遠い町へ

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日本語とのつきあいはまだ続いているが日本とのつきあいはなくなってしまった。
収入源を仕事というのだとすれば、ぼくの仕事は冷菜凍死ということになるが、日本には投資はしたことがない。長野県に2軒、東京に1軒、神奈川に1軒、家を持っていたが、これらは自分が腰をおろすための家で、自分がいるだけの家を投資に数えるひとはいないだろう。
遠くから見ていると、日本のひとにとっては福島第一原子力発電所の事故はもう過去の苦しみで、ちょうど衆院選挙でシャワーを浴びたような気持ちであるらしくて、また自民党の政権にもどって心機一転というふうにみえるが、ぼくは「放射脳」なので、あんまり行ってみる気がしない。

めんどくさいのと、あんまり正体を詮索されるのが嫌なので前には書かなかったが、ぼくはもともと日本とは深い縁がある。
子供のときに住んでいたことがあるし、そのあとにも少し住んでいた。
イギリスからニュージーランドに毎年移動する途中でも、半分くらいの年は成田泊まりで移動して、成田を通って移動するときには、義理叔父の実家に幾晩か泊まって、そういうときは従兄弟と日本で待ち合わせをして、ふたりで日本の町のあちこちにでかけたりしたものだった。

だんだん日本の社会のことがわかってくると、軍隊じみたところが嫌だったり、現実の社会で顔をあわせる親切で礼儀正しい「気品がある」という言葉が最も適切におもえるひとびとと異なって、まるで江戸時代の泥田から抜け出てきた化け物のような、なんとも形容しがたい、ただ他人への攻撃の戦法にのみ長けたインターネット上で会う、「会う」というよりも、こういうひとたちは電柱の影から躍り出てくるようにして殴りかかってくるだけだったが、見ているだけでやりきれない感じにさせられるひとびとが飛蝗の群れ方で群れていたりしてげんなりさせられたりしたが、そういうときでも、広尾山の家を出て、モニとふたりで青山や銀座に遊びに出れば、やっぱり日本はいいなあ、と思うことが多かった。

知り合いの画廊に寄って新しく仕入れられたタピエスにコーフンしたり、天野忠夫のぜんぜん訳わかんない小さな彫刻に爆笑したり、どんな小さな美しいものも見逃さない画廊の主人と一緒にでかけてむかしの作家の簡素な別荘に見とれたりしたのは良い思い出である。

あるいは、もう名前を忘れてしまったが、と書いてから思いだしたがたしか「アグニ」という名前の、キャノンデールがはいっていたビルの7階にはインドのホテル王と住友商事が共同でつくった、長い美しいカウンターのあるタンドリ料理屋があって、その店に行くと、シェフたちがモニと一緒に写真を撮りたいといって料理も客もそっちのけでモニと並んで写真を撮りまくるので大笑いしたりした。

無間地獄から這い出してきた上半身だけのゾンビの群のような印象のあるインターネット上のある種の日本人からは到底想像ができないことには、現実の町で会う日本のひとびとは、不思議なくらい性質のよいひとびとで、シドニーのような町でも、これの5分の1でも人間の品性がまともなら、あの「山出し」という言葉がぴったりきそうな荒っぽい町も、さぞかし良い町になるだろう、というようなことをよく考えた。
裏通りの古くからある一杯飲み屋で樽菊正宗の八勺銚子を傾けたり、白髪ネギを浮かべた鶏のスープを飲んで、あるいは六本木の裏通りでモニとふたりでマオタイ酒を飲みながら鍋にはいった鶏そばをつついたりするのは、たまらないほど楽しいことだった。

福島第一原子力発電所の事故で汚染された瓦礫と津波による瓦礫を机の上の地図上で綺麗に切り分けて、まったく別のものとして扱えばいいと述べて日本政府のひとはすましているが、机上の空論であると思う。
現実のものごとは現実に即さなければまともに計画することはできない。
産業廃棄物の業界を少しでも調べれば、たとえ(そんなものはないが)長野県で出た津波瓦礫でも、それを九州にもっていって焼却するのは机上の理屈とは別の理由で危険だろうと思う方が普通である。
そういう考え方を攻撃するのは簡単で、攻撃者は「では瓦礫が不正に処理されるということを証明してみろ」と述べるだけでよいが、理屈の是非で遊ぶのが好きなひとびとが喧嘩と議論を混同して格闘を楽しんでいるあいだに日本中が放射性物質で汚染されてしまって取り返しがつかなくなるのがおちだろう。

チェルノブル事故を体験したウクライナ人やロシア人たちの理屈は簡単で、「すべてを閉じ込めるしかない」というものだった。
事故があって汚染された地域から汚染された瓦礫なりなんなりをいっさい出さないことしか方法はない。
ウクライナ人やロシア人たちの「自分たちへの土地」、その土地の土そのものに対する異常なといいたくなるくらいの度外れた愛情を知っていれば、その決心がどれほどの懊悩の奥から出てきたか判ると思う。

瓦礫で言えば、瓦礫を汚染地域から出してしまえば他の汚染されていない廃棄物と一緒に流通してしまうのは当たり前なのである。
津波ででた瓦礫と福島第一事故で汚染された瓦礫をわけて考えられるのは、原子力発電所の事故で汚染された瓦礫が事故地から拡散されないで、その場で処理される場合だけであると思う。

福島人はいまや沖縄人と本質的に同じ立場におかれている。
福島の問題は実はそのまま日本の問題であるのに、福島以外の地域の日本人は福島と他の地域は別だという不思議な前提をつくって、日本人の(普段であれば)美点である「おかわいそうに」の感情で遠巻きに眺めている。
その全体の構図は沖縄の基地の問題はそのまま日本の問題でしかなくて、沖縄の基地が引き起こしている問題を解決しようとすれば、虚構の積み重ねで築いた日本の防衛体制そのものを投げ出すしかないのだということを認めない日本のひとの「沖縄問題」の、沖縄人にとってはやりきれないという言葉ではいいたりるはずのない本土人の欺瞞の構図と極似している。

不確定な要素が多い問題をあつかうときの基本的な考え方は「致命的なことを避ける」ことだと前にも書いたことがある。
回復可能なことについては集中力がなくなってもよいし、ある程度みこみにしたがって行動してもよいが、回復不可能なことを避けなければならない。
まして、それが自分たちの「国土」というような、かけがえがないどころか、自分たちが拠ってたつ基盤についてのことであるならば、絶対に回復不能な失敗は避けなければならないのは当たり前であると思う。
日本の社会は福島第一事故以前に、自分たちの社会に住む人間から「時間を収奪する社会をつくる」という致命的な大失敗を演じている。
子供の頃の塾通いに始まって、異様なほど長い労働時間、明らかな都市計画の失敗に原因する、通常の限度だとされる30分を大幅に超える通勤時間、時間が目に見えず意識にものぼりにくいリソースであることを利用して、日本の社会は個人から徹底的に「時間」を収奪してきた。
その結果、さまざまな異常なことが起こったが、遠くから眺める者にとっては、人口の減少もその当然な結果の部分的顕れにしかすぎない。
時間を収奪してしまえば家庭が成立する時間もないので、少子化人口減少の次に起きるのは家庭そのものの消失であるだろう。
見合いや職場結婚がおおかった社会で、そうした日本風の習慣が消えて、そうなれば、ひとひととの自然の結びつきによって結婚するなり結婚を別に一緒に生活してゆくなりしてゆくようにならなければカップルに子供がいる生活は生じないが、ちょっと笑い話じみてしまうが、詩人のグレイが述べるとおりもともと恋愛をするためには莫大な時間が必要であるのに、日本の社会では落ち着いて他人を好きになる時間も、ゆっくりと流れる時間の流れも、どちらも存在しないので、「婚活」という滑稽で、どういえばいいか、索漠として身もふたもない習慣が出来てしまった。

瓦礫がばらまかれて、役人たちが「無知な輩」を睥睨しながら述べる「震災瓦礫と津波瓦礫の区別もつかないバカなのか」が産業廃棄の現実を通ってもほんとうならば良いが、仮にほんとうでなければ、あるいは机の上で組み立てた理屈に見落としがあれば、放射性物質が全国に行き渡って、それで終わりである。
意識のうえで福島はすなわち日本のことだと理解して、汚染は極力狭小な範囲に閉じ込めるというのとは丁度ぎゃくの、意識の上では福島人をあわれみながら、現実の汚染は自分たちにも及んでいるという風刺劇ふうの、しかも不可逆な事態を引き起こすことになるだろう。

もちろんぼくは「さよりさん」や下地真樹さんのようなひとたちが、いまや日本では孤立無援であることを知っている。
ずっとむかし、遙かなむかしの、このブログを始めた6年前から繰り返しのべてきたように、日本の社会は手の中でこねくりまわして作り上げた理屈や、「絵に描いた餅」というが、綺麗に餅の絵を描ける軽薄な「賢い人」を崇拝しすぎる傾向をもつ。
日本の社会の殆どの問題は、広い意味では、そこに帰着する。
それは多分古くは中国から、19世紀以降は西欧から、次々に観念を輸入しては咀嚼、あるいはまる呑みこみで嚥下しなければならなかった社会の宿痾であるのかもしれないが、現実と知が剥離してしまっていて、地図にルートを書き込んでもう大陸を横断してしまったと決め込む冒険家のような、言うに言われない滑稽さ、当事者にとっては救いのない悲劇をもたらしつづけている。

そういう社会のなかでは、どれほど「さよりさん」や下地真樹や内藤朝雄が拳をふりあげて叫び続けても、見えざる無数の手によって舞台に押し上げられ、スポットライトをあてられ、最後にはブーイングとともに観客席にひきずりおろされて八つ裂きにされるだけのことだろう。
日本という国の近代の歴史にはそんな例は無数にある。
ついこのあいだまでエラソーを述べていた日本の知識人や作家が恥も外聞もなく「だんまり」を決め込んでいるのは、もちろん、こういうときこそ世間体など捨てて臆病でなくては生き延びられないのを熟知しているからである。

でもなあー、と思う。
なんだか奇跡のようなことが起こって、またモニとふたりで秋の議事堂前の、落ち葉が舞っている舗道でステップを踏むようにあるいたり、薄い雲が出た冬の空の下の下町で、
どーんとおいてあるマグロの頭にぶっくらこいて小さな悲鳴をあげたり、
路地の写真を撮ったり
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/
して、遊べるようにならないものか。

東京は、その背景のマイクロ文明が他の文明とかけはなれているせいで、いまの世界ではいよいよ「ただひとつしかない町」である。
見た目はぱっとしない(ごみん)が、路地の奥や、地下や、あるいはビルのどこかしらに、歴史のなかで、静かに、自分の魂をずっと磨きつづけてきたような「日本人」たちがいる。
うつむいて、なにごとか思い詰めたような表情で黙々と働いて、そのくせ顔をあげて目があうと高速度撮影で花びらが開くように、「相好を崩す」という日本語そのままの様子で、「あっ、ガメちゃん! よく来たねえー」と、こっちまですっかり幸福になる笑顔で迎えてくれるひとたちがいる。

また、あのひとたちに会いたい、と心から思う。

神様!

(画像はまだ瓦礫だらけのクライストチャーチ、二度の地震で完全に破壊されたカテドラル)

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One Response to 遠い町へ

  1. Yoko says:

    何か言葉にして伝えたいのに、その言葉を失ってしまうほど胸が熱くなるお話でした。
    Yoko,Y.

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