明日のための移民講座(その1)

NYC_EV115

渋谷のTower Recordsに行った帰りに駅前のスクランブル交差点の向こう側にたちはだかる「人間の壁」をみて、ぎょえええええー、と考えたことがある。
信号が変わるとチョー短いスカートの高校生やゲイのヘアドレッサーみたいな感じのひとがおおい日本の若い男びとや、そーゆーひとびとがファランクスをなして、どおおおおおーと攻めてくるので、足がすくむ。
「壁」がわしのいるところに到着すると、意外に低い壁で、だいたい肩くらいまでしかないので、180センチちっとだがだいたいにおいてハイヒールを履いているモニも同じで、ときどきぶつかられるのは閉口だが、それでも信号が変わりきらないあいだに向こう側にたどりつけるのを発見して安心する。

日本は土地の大きさを考えると人口が無茶苦茶に多い国で、山ばっかしで、しかもばかでかい山が行儀良く並んで細長い島の真ん中を通っているせいで、北島などはあんまり山がないニュージーランドに較べると平野が極端に少ない。
それでも平野のおおきさを無視して山を含めた国土でみるとニュージーランドは人口は400万人で、国土のおおきさは7割なので、日本の国土でニュージーランドと同じ感じをだそうとすると、570万人くらいがニュージーランド人からみた日本の「適正」な人口ということになります。

こどものとき、親の家のライブリで百科事典を読んでいて、日本の項目に
「人口が1億3000万人」と書いてあるのをみて、冗談だろう、と考えた。
一桁まちがえているのではないかと思った。
人間(しかもコンジョワル)がうじゃうじゃいて、人間が多すぎて住みにくいので有名で、人間がどんどん他の国へ流出してしまうので名前が売れたイギリスですら人口は6000万人で、まだその倍もある。
ひょええええー、と思って、自分にとっては叔父である、あのヘンテコな日本人のおっちゃんがやってきた国は、なんとも凄まじい国であるよーだ、と考えて戦慄した。

行って見ると、日本人は日本という予想よりも遙かに平野が少ない国に、うまく住んでいて、地下鉄が滅多矢鱈に発達していて、しかも山手線というループがうまい具合にまわっていて、その都市計画のうまさに感心したが、しかし、東京のひとの多さは聞きしにまさっていて、地下鉄もバスもパスにして、全部歩いてか自転車で移動するようになるまで時間がかからなかった。
おおきくなってからは、タクシーを常用した。

移民をうけいれなければ人口の老化を解決できないのは、日本では、もう30年も前からわかっていることだった。
そもそも人間が65歳くらいで死ぬことを前提にした思想の産物である年金制度の問題は、さらに前からわかりきっていて、日本の政府がどういう理屈でダメになるとわかりきっている問題に手をつけなかったのかは、外から来て調べてみたものにはわかりにくい。
何度も述べたように、40年くらい前の日本の雑誌を読むと、「フランスの老齢化」について、やや嘲笑気味に述べてある記事がいくらもあって、いまで言えば団塊世代のひとびとは、人口ピラミッドの形からみて、自分達が60歳になれば必ずフランスよりもひどくなる、と熟知していたはずである。
それが、30年前になると議論が雨散霧消して、蒸発してしまう。
先見の明があったわけではなくて、当時のどこの先進国でも同じ議論「フランス型に向かう人口構成」が大問題になっていたのに倣って、ニュージーランドでも「2000年を迎えたときの人口構成比シミュレーション」が発表になって大騒ぎになったのは1970年代の終わりだった。

1970年代は、1973年に日本もまきこまれた産油国から発したエネルギー危機があり、ニュージーランドにとってはそれとは別にイギリスが英連邦を裏切る形でEECに加盟してしまうという大事件が起きて、ただでさえニュージーランドは「国自体がつぶれるんちゃうか」の時期で、当時の首相マルドゥーンは「Think Big」という誇大妄想狂的というか観念的で現実が全然理解できないお題目だけの経済発展政策によって苦境を切り抜けようとして公共事業にカネをばらまいて、ますますニュージーランドを大ピンチに陥れてしまう。

いま70歳代後半のニュージーランドのじーちゃんやばーちゃんと話していると、ホームローンの変動金利が年利24%になった、というようなホラーストーリーがいっぱい聞けて、国がぼろくなると、ニュージーランドのようにそれまでは富裕であった国でも、どのくらい滅茶苦茶になるか、ということがよく判ってベンキョーになります(^^)

解決するには移民をうけいれるしかない、ということになった。
こーゆーふーに述べると、「自分達自体移民なんじゃん、けっ」とゆって悪態をつきだして後は何も聞いていない日本のひとがよくいるが、そーゆーアホな態度では国は沈没してしまう。
頭の悪いティーンエージャーではあるまいし、ニュージーランドの先住民と欧州系人の関係はまた別の問題で、議論が生産性をもつためには問題は「ゆっくりとひとつづつ」考えてゆかねばならないのだと思われる。

ニュージーランド人はちょうど日本人と似て、もともと、たいへん閉鎖的な国民性です。
xenophobiaという。
イギリス人の外国人嫌いは欧州では有名で、まして、遠くのアジア人などは人間だと思っているかどうか疑わしいアンポンタンが社会のすべての階級にいきわたっていて、わしがアジア人ならイギリスに住むのは絶対嫌だが、ニュージーランドも似たようなもので、わしガキの頃(80年代後半から90年代前半)は、とにかく「外国人は見たくない」ひとがたくさんいて、おおっぴらに外国人の悪口をいいまくっていた。
ここでいう「外国人」は主にオランダ人たちを指していて、日本のひとが考えるような「仲間同士のきつい冗談」というような暖かみが少しでもあるものではなくて、底冷えのするような敵意で、その頃はパブで袋だたきにされるオランダ系移民、というような話をよく聞いたものだった。

南のデニーデンに行くと、中国人たちがいて、このひとたちはむかし金鉱や炭鉱を買ってやってきたひとびとと、その鉱山で働いていたひとが多く、富裕なひとが多い。
「外国人」といえば80年代までは、そのくらいで、わしガキの頃の「移民」に対する感想は主に「オランダから来た人々が気の毒である」というものだった。

それが将来の人口比と経済の停滞の問題を解決するために、主にビジネス人たちが政治家を動かして移民の受け入れを増やそうというのだから、大変な騒ぎになった。
それまで何千人という単位にしかすぎなかった移民数が1992年には26000人、1995年には55000人、というふうに急速に増えていった。
初めに目立ったグループは日本人たちで、これはすでに80年代に始まっている。
いま考えてみると多分、その頃の「日本人の洪水」というオーバーで悪意に満ちた表現は、オーストラリア人たちの日本人への凄まじかった敵意を常時何十万人(いまは約50万人)という数でオーストラリアに住むニュージーランド人たちが持ち帰った結果で、わしガキの頃は、近所のひとに「町には日本人がいっぱいいるから注意しなさい」と言われたりして、たしかに下町に行くと日本人たちが大勢いて、日本語でおおきな声で話していたが、あれは多分語学留学生たちで、「移民」ではなかったのではないかと思う。

他には中年以上の日本人たちがたくさんやってきて、そこいらじゅうで大きな家を買い占めていたのを思い出す。
だいたい通りでいちばん高い家を買って、「白いベンツ」を買って、なんだか退屈そうにクルマに乗って町を流してあるくので、よく気味悪がられていた。
ゴルフ場に行くと日本のひとたちが「アスホール」「アスホール」とお互いに言い合いながら、我が物顔でのし歩いている。
とんでもないひとたちだ、と丁度ニュージーランドに来ていたばーちゃんが顔を真っ赤にして帰ってきたのも、この頃で、日本人である義理叔父があせって、よく話を聞いてみると「あっ、そう」という日本語のことで大笑いしたりした(^^)
義理叔父が聞き合わせてみると、退職した公務員、会社員、というひとびとが多くて、日本の公務員ってなんでそんなにカネモチなんだ?とよくおとなたちの話題になったが、どうも、汚職のオカネを日本で使うと拙いのでニュージーランドにもってきている、とか、そーゆーことだったという話だったりした。

そのうちに韓国人と中国人たちが大量にやってきた。
韓国のひとは、もともとアワビの貝殻の工芸品加工工場があったりして、ニュージーランドには縁があるようだったが、おとなたちの話では「徴兵逃れに来ている人間が多い」というようなことだった。

ニュージーランドでは「韓国人が多い」という印象をもつ人が多いが、実際には中国人たちのほうがずっと多い。
見ていると理由は簡単で、初めは香港人が多かった中国人たちは、息子や娘に英語を話すように強制するひとが多かったので、それが習慣になって、社会にとけこむひとが多かったが、韓国人たちはなにしろ門に表札(しかもハングル)を出してしまったりして、日本人たちと同じで、ものすごく異様な印象を与えてしまうからだった。

そうこうしているうちにオーストラリアの社会では、ブリスベンやケアンズがあるクイーンズランド州を中心に反アジア人の感情が爆発してゆく。
むかしからオーストラリアのなかでは文明度が高いので有名で、それを誇りにしてもいるメルボルンがあるヴィクトリア州は平静だったが、1996年のPauline HansonによるMaiden speechに始まる「アジア人排斥運動」の頃、わしはかーちゃんと一緒にオーストラリアのクインズランドの田舎を旅行したが、目を文字通り血走らせて、「アジア人を殺せ!日本人と中国人を、ぶち殺せ!」と述べているひとびとまであちこちにいて、オーストラリア人はランボーであるな、とわしの頭に抜きがたい印象をつくった。

やがてニュージーランドでも同じような反アジア人運動が起きるが、このあいだ2008年前後にニュージーランドにいた日本の人のブログ
http://forgettingjapanese.blog118.fc2.com/blog-entry-20.html
を見つけたら、このひとはオークランドでえらい目にあったらしく、シドニーに遷って、ここには人種差別がなくて幸せである、と書いてある。

ここまで読んで気が付いた人がいるだろうが、実はこれはタイミングによる誤解で、シドニーでは1990年代後半の激しいアジア人排斥運動以後、「人種」について話すことそのものがタブーになった、とゆってもよいくらいで、社会の奥底にわがかまってしまった。
アジア人の前で人種に関連することを述べる、ということは皆無になった。
このひとは、オーストラリアではその反動で基本的にアジア人と欧州系人のあいだに前よりも性質の悪い壁ができてしまいつつあることに気づかなかったのかもしれません。

ここまで長々と移民を受けいれる側で起きた事を書いてきたのは、福島第一の事故のあと移民しようとする日本のひとを脅かすためではなくて、その逆で、移民をうけいれる側に立つにしても、移民してでかけるほうになるにしても、現実を知らねばどうにもならないからで、受けいれる側は決して大喜びで移民を受けいれるわけではなく、主には社会の老齢化の問題から「そうしなければ社会が成り立たない」から、たいていのことは我慢しようとおもって受けいれる。
それだけの覚悟あるいは社会の合意がなければ、徒に移民グループへの憎悪が育ってゆくだけで、結果は、社会の移民の家族に対する負担が増え、社会の平穏は壊れて、殺伐とした人種差別主義者たちがおおよろこびで闊歩する社会になってしまう。
長くなりすぎたのでここでは書けないが「移民のうけいれ」は企業の社員採用に似て、なるべく技量があって質のいい(というと、おいしそうな肉になる仔羊を選んでるみたいだが)移民を選ぶ点で、他国との競争になる。
むかしはもっと単純に「オオガネモチ」をつれてくればいいや、という時期もあったが、それでは全然ダメで、社会のプラスにならないのがわかったので、いまは技量の高い外国人を選ぶほうに集中力が移っている。
移民する側からみると、住みやすい社会であること、賃金が高いこと、「外国人」である自分の息子や娘達が良質な教育をうけられること、外国人への偏見が少ないこと、なによりも「生活の質が高いこと」が選択の鍵になる。

わしは昔、東北の大震災や、福島第一事故が起きるずっと前に「ラナウェイズ」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/28/1669/
という日本を出てゆく日本のひとたちについてのブログ記事を書いたことがある。
あの記事に出てくる「家出日本人」たちはみんな現実のひとたちだが、ときどきeメールをもらうと、みんな、恙なく、社会を楽しんで暮らしているよーである。
家出した先の国で結婚してしまったひともいます(^^)

何度も書いているが、いまどきは肌の色で差別する、などというのは途方もなくダサイ奴だけで、さすがにそーゆーのはいなくなった。
どちらかというと、「社会のルールを守らない」「話す英語がよくわからんからめんどくさい」というような「文化差別」に話全体が移行している。
豪邸を買ってクルマをやたら乗り回して、はては向かいの家の若い娘に「一緒にクルマに乗らない?」とゆって両親を激怒させていたりした昔の日本人おっちゃん移民たちと違って、最近は、日本からやってくるひとは若いひとが中心で、ふつーに暮らせるひとばかりであると思う。
移民してつく仕事も世界中、どこに行っても「Tokyo Express」「本場の鮨」といって肩に力をいれて「日本商売」をするひとが多かったのが、ふつーのコーヒー屋をビジネスブローカーで買って、だんだん店内のデザインがクールになっていって、前の持ち主よりも繊細な味のコーヒーや、甘味を抑えてつくったケーキで地元のひとに人気がでる、というふうに変わってきた。
最近ツイッタで知り合ったひとで考えても、オークランドに住んでいる村上レイはアナリストであるし、やはりオークランドのよんさんは、完全にニュージーランド人風、というか、テキトーに就職して稼ぐぜスタイル、ずっと昔から友達のjosicoはんは、ロスアンジェルスで60fps(かっこいい!)の世界でデザインに没頭していて、すべりひゆはもろにイタリア主婦におちついている。
いずれも、「その土地にいたい理由がある」ひとたちで、こっちから見ていると、だから社会に溶け込むんで幸せに暮らしてるんだべなー、と思います。
総じていって「日本でないどこか」に行こうと思って移民したひとびとはうまくいかないまま日本に戻ってしまうことが多いよーだ。

移民受けいれ側の日本について考えると、最も不安なのは福島事故処理の「日本的な特殊さ」、もっと簡単に言ってしまえば「不正直」さで、東北地方に移住してきた外国人たちから集団で訴訟を起こされる怖れまであると思う。
たいていの外国人には日本のひとのように支配層のウソを半ばウソと知りながら、自分の理性に言い聞かせて、話を枉げてもらって、自分でも信じ込もうとするような複雑な支配への服従心理をもっていないからで、移民をうけいれるということは他の世界で標準になっている理屈をうけいれるということでもあることを考えると、日本の「タテマエとホンネ」という国がかり社会がかりのウソつきシステムは、移民を大規模にうけいれた瞬間から機能しなくなってゆく。

(あー、ちかれた)

えええええええー!
と思う人がいるかもしれないが、好きでも嫌いでも、日本は(人口構成比から考えて)どんなに遅くても2025年までには大規模な移民の受けいれを開始しないと、(前にも述べたように)国ごとなくなってしまうだろう。
日本のひとは目下、尖閣諸島の帰属問題で防衛意識に燃えているところだが、移民社会には実は、おおきなメリットのひとつとして国の安全保障のレベルが高くなる、といういことがあるのが知られている。
外交への影響ももちろんです。

いつまでも顔をそむけていると、それこそ経団連の「一千万人移民計画」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/10/15/員数合わせの「一千万人移民計画」/
のような、途方もないバカタレで杜撰な計画をマジメな顔で述べ立てるひとが出てきてしまう。
もうそろそろ、ちゃんと考えなければいけない時期に来ているのだと思います。

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One Response to 明日のための移民講座(その1)

  1. tdesknf says:

    テキトーに就職して稼いだ職場を、最近「卒業」しました。
    最低時給で、ワーキングクラスの人たちと冗談言ったりケンカしたりなど、とても有意義であっという間の一年半でした。

    最近奥さんが放射脳で、子どもと一緒にオークランドへ避難してきている日本人男性たちが、ここでやりたいことが見つけられず家に引き篭もっていると耳にしました。彼らにこの場を借りて言わせてください。
    「家で日本語世界に閉じこもって暇ぶっこいているんだったら、ボランティアでも何でもいいから外へ出て働きましょう。 奥さんも子供もここの人もみんな喜ぶはず。 お父さん、もうちょっとガンバレ!」

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