ガゾー (その1)

nyc35

日本語をベンキョーしていて、最も感動した物語の登場人物の名前は「謎の怪人ナゾー」だった。
こーゆー姿のひとです。
http://wildcats.pupui.jp/mt/archives/000398.html
この怪人ナゾーが敵役の物語の主人公は「黄金バット」という名前だが、これは机の上にあった煙草が「ゴールデンバット」だったからで、海野十三といい、この当時の子供向け物語作者は半ば江戸戯作者の気分で暮らしていたのが判る。
ついでに言うと、この写真にある水中モーターってなんだ?と思って調べると、60年代の日本で大ヒットしたオモチャのモーターで、戦艦日向を作って底にペタッと吸盤でこの独立防水のモーターをくっつけると最寄りの小学校の池のなかをゆるゆると戦艦が進む情景が現出するというチョー頭のいい発明なのだった。
マブチモーター製です。
わしもマジで欲しいです。

ついでに言った余計な事のさらなるついでを述べると宇都宮徳馬というひとは不思議な政治家で終生自民党議員として過ごしたが、フランス革命が終わったのは遙かむかしなのに政治家を右翼左翼で分けるのはマヌケがやることと決まっているが、右翼左翼という言葉を使いたければ火炎瓶闘争時代の日本共産党よりも遙かに過激な左翼で革共同革マル派など問題にならないくらい左翼で、あまりに左なので大アジア主義を通って反対側に出てしまって、戦前の右翼の役回りをするほど過激な左翼だった。
このひとは面白いことに政治の志は高いのに、そういう人にありがちな「絵に描いた餅病」に陥る観念的な人間ではなくて、商売がうまいひとで、ミノファーゲンという肝臓のクスリで死ぬまで政治資金を補ったが、このひとが節操を枉げないですんだのはそのせいです。
マブチモーターは大平正芳を養った、というか、 大平正芳はマブチモーターという安定した業績の会社の大株主で、だから宏池会のようなカネがかかる会派に属しながらあまりカネに困ったことがなかった。
ブリジストンというもっと可愛げのないマジな大会社に支えられていた鳩山家と較べると、「マブチモーター」というところが読んでいてシブイと感じられる。

とゆーわけで謎の画像、ガゾー。

DSC01764

「広い、新しい海にでてゆく」という記事につけたこの画像は中東料理屋のテーブルのあいだを踊ってあるくベリーダンサーの女びとです。

日本の人は世界中のことに興味があるが、中東のことはあんまり興味がないみたい、と思うことがあった。
いま40代のイラン人にはイランで人気があった夏目雅子の「西遊記」に狂ったひとが多くて、やはり夏目雅子の三蔵法師が人気があったニュージーランド人と「西遊記トリビア」に熱狂していたりしていたが、日本のひととイランの話をしてみると、覚醒剤なんでしょ?、とゆーよーなくらああああい話ばかりするので、そいつは誤解だぜべービーと呟きながら、「踊るイラン人」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/10/01/踊るイラン人/
というブログ記事を書いたことがあった。
あれから4年経って、このあいだチョー美人のイラン人のおばちゃんと話していたら、もはや欧州風にしていると革命警察に苛められたりするようになったようで、
知識人たちが無責任を決め込んで、政治は興味ない、と述べて、もっともらしげにふるまっていると、イランのようなかつては、といってもついこのあいだまで典雅な文明を誇った地域の超大国でもそこまでいってしまうのか、と考えて暗然としてしまいます。

DSC01171

「ギリオージ」という記事
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/05/02/ギリオージ/
につけたこの画像は、オークランド空港の国内線で到着客のドアをじっと見つめているかわゆいガキ。
この姿勢のまま5分くらい、じいいいっっと待っていたかと思ったら、次の瞬間、
「ばあーちゃああーん!」と叫んで、マシラのごとく走ってばーちゃんの胸にとびこんで抱きついたのであって、なんちゅうドラマドラマしたガキであるか、と見ているほうは感動して涙ぐんでしまうほどであった。
ばーちゃんも、そのまま昇天してしまいそうに幸せそうでした。

nuns

この写真は高野山に行ったときに撮った。
行ってみると高野山はロケットの形をした墓があったり、むかし義理叔父に話を聞いたときに「そいつって、ただのスケベオヤジなんじゃね?」とゆって怒られた親鸞聖人の墓所、あるいは、徳川家の墓を見下ろして1段高いところにある豊臣家の墓に、というよりもそのsubtleですらない政治的表現に、高野山という場所の歴史を感じて、面白かった。
義理叔父が東京の地縁しかもたないので日本の知識というと関東ばかりだが、京都人とゆっても村上憲郎では怖いのですべりひゆを誘拐して、京都を案内してもらうといいのではないかと考えます。

sushi

日本にいたとき仲良しだった鮨屋さんの握った鮨の写真で、この写真の追加分を頼む前に30個くらい鮨を食べて、大将に「ガメちゃん、鮨は、そんなに数食べちゃダメだよ」と笑われたあとの注文なので、満腹に近くても食べたい、わしが好きな鮨が3つ並んでいる。左からコハダとアジとアナゴで、このみっつはどこの鮨屋にでかけても食べていたよーな気がする。
築地場内の鮨屋によくたくさんのひとが並んでいたが、いちど行ってみたらおいしいと思わなかったので、もっぱら銀座の、決まった店にいくことがおおかった。
名人芸で、うまくお燗をした樽菊正宗や、「ひや」の八海山で、いわしの塩焼きや鮨やでっかい帆立をちょっとだけあぶったのを食べたりするのは、わしの東京における楽しみで、あんな、他のどんな都会にもない極楽がクソ東電のせいで失われてしまったのは残念だと思う。
いまのまま日本のひとが自分で自分の心をだましおおせて、死にもせず、病気にもならず、すごしていければそんなに良い事はないが、仮に放射脳のガイジンどもが考えているとおりになれば、「江戸前」(東京湾という意味です)の鮨文化などはひとたまりもなく滅びてしまうことになって、50年も前の古くさい技術にしがみついたせいで、これほど精緻な長く続いた文化が危険にさらされるなど、現実味というものが感じられなくて、三流SFのようであると思う。

なだまん

ブログ記事に何度も出てくるように、広尾山まで帰るのがめんどくさくなると、よく日比谷の帝国ホテルに泊まったが、ホテルに泊まるというのは、自分では何もしなくていいということなので、「タクシーで15分なんて、そんなに近いのなら家に帰ればいいのに」と思う人が考えるよりもずっと良いことがある習慣で、特に銀座に行くと有楽町のビックカメラで大量の買い物をする癖があったバカわしは、包装のゴミが大量に出るので、どんなにゴミが出ても部屋の片隅において近所のレストランやバーにでかければ瞬時に綺麗に片付けておいてくれるホテルのサービスが便利で好きだった。
帝国ホテルは日本によくやってくる外国人のあいだでは「日本式」のサービスが行き届いているので有名で、日本のひとがサービスの良い旅館に泊まるのと同じ感覚ではないかと思う。
外国人限定のメンバーシップがあって、宿泊料の割引があり、プールやジムがただになるので、銀座のホテルでいちばん安い、ということもある。
いちど、おもしろがってペニンシャラ・ホテルに泊まったが、部屋がチョーハイテクで、コンピュータに関するものはなんでもあって、ウエザーステーションまであるのがかっこよかったが、それだけのことで、なんとなくファミリーレストランを思わせる、丁寧で礼儀正しいだけでプラスティックなサービスが嫌だったので、いちどだけしかいかなかった。
もうひとつはモニの言う通りで、ただでさえ狭い一階のロビーのレセプションの前にカフェをつくって、それがテレビに出たとかで縁延長蛇の列で、狭隘なロビーの奥のレセプションがビジネスホテルのようだった。
ヘンなホテル、という印象だったのが、モニとわしが日本を発つ頃だったか、あるいはもっとあとにテレビかなにかで見たのを現実のように思いなしているのか、突然ピンクのネオンで縁取りして、巨大パチンコ店みたいになってしまって、ぶっくらこいてしまった。いくらなんでも下品なのではなかろーか。外廊下。

写真は帝国ホテルでただ一度だけモニに強要されて頼んだ和朝食で、モニが自分だけシャンパン付きのいつもの朝食を食べながら、カメラを片手に「ガメ、やっぱり日本食はプレゼンテーションが良くてすごいな」とにこにこしていたのを思い出す。
左下端の梅干しは食べられなかった。
隣のたらこも不気味なのでパスで、あんまり食べるところがないなあー、と思ったのをおぼえている。
こーゆーことを言うから「死ね、ガイジン」とゆわれるのだが、下の椀の米料理は粥で、日本の粥はなさけないくらい不味いと思う。
前にブログ記事に書いた、
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/08/02/食物図鑑_その8_マンハッタン中華篇/
に出てくる粥はカナルストリートをずっと下った中華街(アランと思う)のものだが、
ニューヨークのBoweryにあるCongee Bowery
(PDF注意)
http://www.congeevillagerestaurants.com/contentimages/3509_menu2.pdf
はすごおおおおく旨いが、トッピングは別にして、もう少しなんかちょっとだけ隠し味みたいのをいれてくれればおいしーのになあー、とよく考えた。
(子供のときは、変わった風味だがおいしい粥だと思ってたのに、と思っていま義理叔父に訊いたら、
「あれは「おじや」と言って、日本じゃ、別の食べ物だな、とゆわれたw 難しい)

写真もどっかにあるはずだが、ずっとむかし、義理叔父が和朝食ならここがいちばん旨いに決まっておるというので付き合ったことがある「山の上ホテル」の朝ご飯はおいしかった。なかにバーもあって、画廊主の友達と何年か前の日本遠征のときに行ったが、不思議なことにホテルはたしかに同じなのに雰囲気が様変わりしていて、いちばんびっくりしたのはロビーのコーヒー店の店員ふたりがずっと店の噂話に没頭していて、あんまりびっくりしたので、そのまま行かなくなってしまった。
山の上ホテルが定宿のJane Goodall先生
http://en.wikipedia.org/wiki/Jane_Goodall
も、さぞかし驚いたのではなかろーか。

table

「衣食住_その1」につけたこの画像は、わしの家の、ブーゲンビリヤの花棚の下にあるテーブルでごんす。
このテーブルは台所のすぐ外にあるので、モニとふたりで、ちょっとだけワインを飲んで話す、というようなときに最も用いられる。
そーゆーときには、ここか庭を下ったところにあるガゼボか、どっちかです。

庭に出したままのテーブルは昔からチークがよいと決まっている。
雨ざらしにしておいてだんだん良い色になってくるからで、ボートの甲板もだからチークにする。

モニもわしも明るい照明が嫌いなので蝋燭を多用する。
庭でふたりで裸になってSMショーごっこをしているわけではなくて、ラベンダやヴァニラ、日によって変えるいろいろな香りの蝋燭を灯して、もっと明かりが必要なときには燭台の蝋燭をつけて夜を過ごす。
一応壁や天井にも照明はあるが、あんまり使いません。
わしが落っことした弾みでiPhone5を部屋の隅の家具の下のどっかに蹴り込んでしまって、きゃああああ、をしているときとか、照明がいっせいに点灯されるのは、そーゆーときだけです。

むかしは写真をとるということが嫌いで撮らなかったが、撮らないでいるとメモリ容量が小さい頭がいつのまにか忘れてしまうので、時刻表のようなものを撮りだしたのを皮切りに写真を撮って記録するようになった。
最近は小さいぺったんこのカメラをポケットにいれてもって歩く。
イタリア製西部劇のガンマンのように、さっと撮りだしてパッと撮る。
エリザベス女王のフィリップ旦那は、これが特技で、いまみたいにへろへろになる前は、目にもとまらぬ早業というか、ごく自然な動作で写真をたくさん撮ってしまうことで知られていた。
パレードの途中でやおらコンパクトカメラを取りだしてカメラを向ける観衆を逆に写真に撮るという芸当の嚆矢もこのひとであると思われる。

謎の怪人ナゾーを生み出した鈴木一郎も、マブチモーターで選挙演説をしてまわった大平正芳ももう死んでしまったが、画像のなかのひとびとはまだ生きているひとにしか見えなくて、ただの光と影であるのに明瞭な実在を訴えている。
ひょっとして自分の生きている世界の「確からしい実在」も、こんな程度のものだろーか、と考えてみたりするのです。

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s