Monthly Archives: January 2013

カレーライスの味

クライストチャーチよりもオークランドにいることが多いのは、モニがオークランドのほうが好きであるというのが第一の理由で、モニがオークランドのほうが良いといえば第二の理由はあってもなくても同じだが、インド料理がクライストチャーチよりも遙かにおいしいという理由がある。 インド料理はカレーだけではないのはあたりまえだが、思い出してみると日本のひとと話す時にカレーは楽しい話題であって、なんとなくカレーの話がしたいと考えた。 郊外のジャクソンハイツというようなところへ行けば別だがマンハッタン島のなかには、あんまりおいしい店はない。 Lexington Aveのマレー・ヒルあたりに何軒か固まってあるが、MSGが多いのと味がアメリカ人向けにスパイスを減らしてあるのとで、あんまりおいしくない。 まして昼間は、バフェで、自分でカレーをみつくろってよそう方式なので、想像が付くというか凡庸な味です。下の写真のような感じのお皿をつくって食べることになる。 ニューヨークと東京のインド料理屋のシェフたちの悩みは、話してみると共通しているようで、「スパイスの違いがわかってもらえない」ということにあるよーでした。 いくら高価で新鮮なスパイスを使っても、よい反応が返ってこないし、安いスパイスでごまかしても文句が出ない。 レストランの主人はそうなればスパイスの原価を安いものに抑えようとするので自然カレーはどんどん不味くなってゆく。 インド人シェフ達からみると「東京もニューヨークもカレーの味がわかってくれないからつまらん」ということになるが、日本人からすると、インドのカレーだけがカレーではないので、自分達がアレンジしてきた「カレーライス」はすでに悠久の歴史を誇っているのよ、という言い分がありそーです。 アメリカでは実はカレーがいちばんおいしいのはミルピタス https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/27/milpitas-ミルピタス)/ のようなコンピュータ産業の工場やウエアハウスがたくさんある町で、インドのひとびとがごちゃまんと住んでいるので、下の写真のような無茶苦茶おいしいカレーが並んだタリの上にでっかいドサやロティあるいはチャパティがのって出てきてたった10ドルである。 イギリス海軍はなにしろ階級社会ばりばりの国(ちょっと信じがたいがいまでもそうです)(ほんとうに先進国なんだろうか)の海軍なので、水兵の食事などはかぎりなく豚の餌に近い食べ物で遠洋航海の終わりになると肉が腐るので、腐った肉を食べさせる工夫として、インド人もすなる、スパイスをぶちかけた「カレー」というものを発明して、ライスの上にぶちかけて食べさせることにした。 これがイギリス海軍のコピペで発祥した日本帝国海軍に受け継がれたのがカレーライスで、日本人らしい洗練がくわわって、海軍水兵の豚の餌から、仲間にうまいものを食べさせたい一心の海軍厨房人の努力が加わって英国海軍カレーよりとだいぶん違った遙かにうまいものを出したもののよーである。 歴史を調べてさかのぼると銀座「Tops」というレストランが嚆矢に見えるが、もしかすると神保町の高山書店があるビルのなかにある「ボンディ」のほうが早いのかもしれない、そのうちに「欧州風カレー」という、不思議なものが出来て、それは1960年代の終わりだが、だって欧州にカレーないじゃん、とふくれっつらをするのはお行儀が悪いというべきで、たとえば「ボンディ」の公式ページをみればちゃんと「欧州風ソースを使ったカレーなので欧風カレーと呼ぶ」と書いてある(^^) 欧州にあるような高級なカレー、という意味ではないのです。 日本のように広汎ではないがイタリアにもイタリア風カレーというものがちゃんと存在して、リゾット風のものです。(下の写真はフロレンスのチキンカレー) 自分の文化のなかでよそからやってきた食べ物をとりこもうとする努力の様式においてイタリア人と日本人は似ていると言えなくもない。 連合王国ではインド料理が国民食で、スコットランドやウエールズ、北アイルランドといったイングランドとはまるで共通点がない国々がまがりなりにも連合しているのは、ゆいいつの共通点としてカレーを食べるからだとゆわれている。 インド人がもたらした偉大な食文化が、偏狭なイギリス人をして心を開かしめているのだとゆってよいと思われる。 インド人に聞くとヨハネスブルグのほうがおいしいと言うが、それでもロンドンが二番目でオークランドが三番目くらいにインド料理はうまいという。 日本とは異なって、オークランドのカレーはだから、まったくのインドのカレーで、ロンドンのようにコンテンポラリー・インディアン はないが、普通のカレーはケララ、ムンバイ、…いろいろな地方のカレーが食べられる。 ランチで10ドル(750円)、夜で16ドルくらい。 日本にいるときには、特に初めの頃はCoCo壱番屋によくでかけた。 わしは日本の田舎が好きだったので、よくクルマで旅行に出たが、食べられるものがいまいちよく判らないのでCoCo壱番屋に、2時や3時という時間に行くと、ブラジル人のカップルであふれていて、カレーという食べ物の普遍性にカンドーしたりした。 1964年にS&Bカレーが「インド人もビックリ」 http://www.sbcurry.com/qa/history_2.html の「特製ヱスビーカレー」を発売して、日本にライスカレーブームが訪れる。 日本語の文章を読んでいると、ライスカレーがいかに「家庭の幸福」と分かちがたく結びついている食べ物なのかがわかって、こういう食べ物は英語世界で言えばなんだろう?と考えてみるが、適当な食べ物が思いつかない。 じゃがいもがごろごろとはいっていて、家庭によって異なったらしい輪切りのニンジン(注意してみると初めの頃のライスカレーはニンジンが縦切りでなくて輪切りのものが多かったようだ) 前にブログ記事で書いたように実際に自分で作ってみると豚バラ肉がいちばんおいしいようだったが、日本ではカレー用という、多分チャックステーキをダイスに切ったものだと思うが、牛肉をいれたものが人気があるよーでした。 たまねぎをいれて、色が変わるまで炒めて、牛肉をいれて、また炒めて、ニンジンをいれて、ぐつぐつと煮て、ジャガイモをいれる。 ジャガイモが崩れて粘度が高くなるのが嫌なひとはジャガイモを別に水煮、あるいはコンソメで煮てルーと一緒にいれる。 日本のひとなら誰でも知っているチョー簡単な料理だが、ニュージーランドのように味覚が保守的なひとが多い国でも、日本の「インスタントカレー」は好きな人が多くて、ふつーのスーパーマーケットでどこでも売っている。 マンガにも小説にも映画にも家族が一緒にカレーライスを食べる光景は日本という国ではなんども繰り返しでてくる。 「カレーライス」という歌まである(^^) https://www.youtube.com/watch?v=jrLRPXxTcCI カレーライスといえども文化なので、国によって著しく異なる。 … Continue reading

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いつかどこかで

Tamaki DriveはCBDの埠頭があるQuay Streetが名前を変えて、Judges Bay,Okahu Bay, 海辺の繁華街であるMission Bay, (いまグーグルの地図を見ると名前は載っていないが沿道で最も美しい)Kohimaramaの浜辺をめぐってSt. Heliers Bayに至る、海沿いの風景の美しい道です。 前にも書いたが、ところどころには戦争中に日本軍が南下して来たときに大慌てでつくったトーチカがある。 海の向こう側にはなだらかな山容が美しいランギトトが見えていて、たとえばコヒマラマの海辺にあるドイツ料理屋でポークソーセージに山盛りのマッシュドポテトとザワークラウトがついた皿を肴にビールを飲んで、そのあとも物足りなければ白ワインを何杯か飲んで、砂浜や遊歩道、あるいはボードウォークをふらふらと歩いて酔い覚ましをするにはとても良い道だと思う。 もちろんいまはGoogle Street Viewというものがあるのでグーグルの地図のなかに降りてみれば、どんな道なのかはすぐに判る。 地図の中のコヒマラマの浜辺で海の側を向いてみれば真向かいにおおきく広がっているのがランギトトで右側の遠く遙かに微かに見えているのはフェリーでオークランド中心市街と結ばれた、大きな住宅地とヴィンヤードがあるワイヒキ島です。 ボードウォークに沿ってベンチが並んでいる。 ベンチは(たいていは遺言による)寄付で贖われるので、 ベンチの背には寄贈したひとの名前をしるした小さな真鍮のプレートが付いている。 なかにはサカムラxxという日本の人の名前のものもあって、ベンチに腰掛けて、どんな一生を過ごしたひとだろうなあ、と考えてみたりする。 亡くなった年がニュージーランドがアジア人排斥運動のただなかにあった1996年なので、なおさら、いろいろなことを考える。 ベンチに座って、波打ち際を身体を前屈みにして懸命に凝視して、波が返し始めると、怖くてたまらないというような、歓喜をきわめたような、あの小さな子供の特有の叫び声をあげて全速力で走ってやってくる波から逃げてくる子供や、おもいおもいに水着をつけて、あるいはトップレスで、日光浴をしている女びとたち、広い肩を真っ赤に日焼けさせて、ビールの瓶を手に持って沖合をみつめている男たち、浜辺にいるひとびとを眺めているだけで1時間くらいはすぐに経ってしまう。 わしが子供の時と異なるのは、行き交う人々の話す言葉が英語だけではなくて、イタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語と随分いろいろな言葉が増えたことで、まるで東欧の町みたいだとgrumpyなじーちゃんやばーちゃんたちが鼻を鳴らすロンドンほどではないが、多い日には半分以上の人が大陸欧州人であると感じられて、ニュージーランドも変わったよねーと考える。 世紀が変わって21世紀になったちょうどその頃から人間と国の関係は音を立てるようにおおきく変わった。 個人が生まれた国ではなくて自分が住みたい国に住むのは、特に決意が必要なようなおおげさなことではなくて、当たり前のことになった。 高校生活を終えると、あるいは大学生活を休憩して、アイスクリーム工場やマクドナルド、ファームハンドのパートタイム仕事でためたオカネで、30万円もあれば買える世界一周航空券を買って、ワーキングホリデービザやおおきい声ではいえないが就労ビザなしで、アジアから欧州へ、欧州からアメリカへ、アメリカからオーストラリアへ、少しづつ移動しながらいろいろな国や社会を見て、気に入った国があれば、そこにとどまって生活を始める。 日本のひとでもそういう若い人はたくさんいて、こうやって書いていて思い出すだけでも、メキシコのホテルのコンシエージュで、「よく理由がわからないけどメキシコが気にいっちゃったんで、観光旅行に来たままもう5年も住んでるんですよねー」と屈託なく笑っていた女のひとや、バリバリのハマッコで、日本人の女なら要するにsexually availableでちょろいよなと考えて言い寄ったアルバイト先のインド料理屋のマネージャーを横浜人らしい啖呵で怒鳴りつけて以来、当のマネージャーも含めたインド人店員全員の尊敬の対象になってしまい、マネージャーの真剣な求婚も笑いとばして3ヶ月が経ってニュージーランドからオーストラリアに去る頃には、「あの子、いなくなっちゃったんだよ」とインド人たちが目に涙を浮かべて教えてくれるほどだったYさん、何人も思い浮かぶ。 わし自身もだが、まわりを見渡してみても、パスポートを複数の国籍にまたがってもっているひとは普通で、むかしから愛国心がぜんぜんないので有名な連合王国人兼業者が最も多いが、ベルギー人でアメリカ旅券をもっていて、ありっ?ベルギーとアメリカってパスポート両方もてないんじゃなかったっけ?と気が付いて訊くと、唇に人差し指をあてて「シィイイー」と眉根を寄せてみせるベルギー人おばちゃんのようなひともいる(^^) 国のほうでもマジメにやらないと選んでもらえないのが判ったので、移民プログラムを工夫したり、法人税をゼロにしてみたり、綺麗なねーちゃんやハンサムなにーちゃんを大量に他国から特別ビザで移民させたりして、という最後のはウソだが、もう最近では「やれることはなんでもやってみる」必死さで、優秀な他国人に定着してもらおうとする。 義理叔父が初めてニュージーランドにやってきたのは1980年代だが、その頃はクレジットカードやトラベラーズチェックの日本語のサインをうけいれてもらえない店がたくさんあったという。 本物かどうか目がなれなくて判断が難しい、という理由だそうでした。 帰りがけに空港の売店で「ウォークマン」の電池を買ったら空港のセキュリティチェックで電池を捨てさせられた。 まだその当時は連合赤軍が起こしたダッカ事件やテルアビブ空港乱射事件の記憶が生々しい頃で、外国人の扱いになれていなかったニュージーランドでは日本人だけを別のグループにして、ほとんど容疑者扱いだった、という。 日本のパスポートは情けないほど信用がなくてグループツアーなら別だが大陸欧州でも日本のパスポートでひとりで旅行しているとあちこちの国で別室に連れて行かれることが多かったと他のおじちゃんたちも述べている。 義理叔父は空港で買ったんだけど、と抗議しかけたが、クライストチャーチ空港職員のあまりに横柄な態度にむっとして、もうどうでもいいや、と諦めかけたら後ろに立っていたアメリカ人にーちゃんが猛烈な勢いで怒り出して、「その電池は、このひとの所有物じゃないか!それを勝手に没収して捨てるなんてバカがあるか。いったいどんな規則があって、そんなことが出来るというんだ。バカか、おまえは」としまいには大声で怒鳴りだしたので、セキュリティゲートが騒然となった。 わしでも目の前でたとえば中国の人が中国パスポートだというだけで不当な扱いを受ければ同じように怒ると思うが、アメリカ青年の奮闘もむなしく結局電池は捨てられてしまった。 あるいはずっと後で、かーちゃんシスターと結婚したあと、サムナーの浜辺に近いハンバーガー屋で、こんにちわー、と入っていって、ブラックボードをみあげて注文しようと目をもどしたら、店の主人が黙って奥にはいっていったまま、いくら呼んでも戻ってこなかったそーである。 義理叔父の人種差別、あるいは日本人嫌いに対する反応は簡単で、「人種差別は、差別する方の問題でおれの問題じゃないから、おれの知ったこっちゃねーよ」というものです。もうひとつの義理叔父の人種差別についての意見の「白人の人種差別と言いたがる日本人は自分が人種差別主義者なんだよ。経験から言って人種差別の話をしたがる人間は必ず人種差別主義者だと思う。ガメは、ブログとかでそういうヘンタイみたいなバカなやつにいちいちマジメに応対しすぎる」と並んで、ぬわるほどと思う。 個人が住む国を選ぶことが普通になったことには、現代の個人が社会の側から世界を眺めることをせずに個人の側から世界を見て、社会を相対化する視点を獲得したことにも関係がある。もともとは欧州の思想である「愛国主義」は当の欧州では国権主義の衰退とともに流行らなくなって、とうとう国境まで「一応ここまでフランスだからね」という象徴としての線に変えてしまった。 … Continue reading

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アナバシス

文字は自転車の補助輪のようなものではないかと思うことがある。 ホメロスのイリアスやオデュッセイアは文字によらず暗誦されて世代から世代へと伝えられた。 日本でも古事記は稗田阿礼の口承を筆録したという。 平家物語は、いまで言えばロックンロールのライブショーのようにして琵琶語りの法師たちが平曲を述べた。 前にも書いたが母語でない言葉の体系を頭のなかにつくる第一歩は詩をまるごと憶えてしまうのがいちばんよい。 英語人もいわばそうやって良い英語を学習して内なる英語を形成したのだとも言えるからで一般的とは言えないかも知れないが、それでもT.S.EliotやDylan Thomasの詩をまるまるおぼえているくらいは普通のことで、シェイクスピアの気に入った戯曲を暗誦(そら)でいえる友達も大勢存在する。 自分の日本語でいえば西脇順三郎岩田宏や岡田隆彦、田村隆一、鮎川信夫というひとたちの詩を暗記した結果であって、ブログ記事をさかのぼっていくとそっくりの言葉の調子がたくさんあって読んでいて恥ずかしい感じがする。 日本語は同音異義語がたくさんあって、実業界において性交してしまったり、トーダイを出て賤民だと思い込んでしまったりする、音の機能が退化した不思議な言語だが、それでも言語は言語であって、音がすべての思想を支えている。 文字を補助輪であると述べたのは、たとえば論文を活字で読むという行為は実は筆談で会話するのと本質的に変わらない行為だと言いたかった。 マンガという表現の形式がアニメに較べると遙かに西洋人にとっては受容が難しいのは自分を観察していて西洋人は「絵を見て」それから「吹き出しの文字を読む」からであると思う。いっぽう、同じ大脳の持ち主であるのに日本語モードに切り替わって大庭亀夫でいるあいだは絵と吹き出しを同時に見て了解している。 このあいだ西洋語と日本語・中国語では使っている大脳の部位が異なるというのは実は謬りで実際には同じ部位がスパークしているにすぎないと書いている記事を読んでいたが、信じるのが難しいと感じた。 器質的に起きていることが同じならば、不可視の処理の過程で異なるプロセスがあるのではないかと思う。 日本語はおおすぎる同音異義語のせいで、語彙が増えるにつれて、音声化されている語彙を花火のように脳裏に視覚化して思い浮かべないと相手の言っていることを理解できないことがあるように思われる。 これは何を反映しているかというと、日本人がもともと生得的に形成した和語とより複雑な観念を形成するにあたって膨大な量をとりいれた漢語のあいだに通常の言語では見られないおおきな断絶があることを映している。 無論、同音異義語が途方もない数であるのと同根であると思う。 日本語を使うことの恐ろしさは言語のなかに実体や現実の感触をまったく伴わない語彙が大量に存在していることで、日本語を使うということは特に現実から剥離した観念の迷宮をさまよい歩くことと同義になりうる。 身近で簡単な例を挙げると「ご飯」と「ライス」の区別を外国人にちゃんと納得させるのは不可能な作業であると思う。 いちど築地の定食屋で注文を取りに来た、後で判明したところによると素晴らしい英語を話す若い女の店員が、ふたり連れの客がアジフライとハンバーグを注文したのに アジフライのご飯はどうしますか?ハンバーグのライスはおつけしますか?と訊いていて、横で聞いていた大庭亀夫の目を輝かせた。 なんというクールさであろうと考えた。 アジフライの盆にのってくるご飯とハンバーグのライスでは炊き方が違うわけではないだろう。日本のひとは言葉の歴史的コンテキストを無意識的に選択して臨機に呼び方を変えている。 まったく同じsteamed rice(ほんとうは水で煮たライスでも英語人は米に関しては感覚が粗野なのでそう呼ぶ)を、ご飯と呼びライスと呼んで、そのふたつはまったく同じものでありながら、ふたつのまったく異なる食べ物である。 軽井沢の夕方、蝉がないている森のなかに出したテーブルを囲んで件のトーダイおじさんたちがビールを飲みながら、ライスカレーとカレーライスの違いについて延々と議論している。 カレー&ライスも違うからな、とひとりのおじさんが厳粛な顔をして述べる。 カレー&ライスはカレー&ナンになりうるがカレーライスはカレーナンに変化できやしない。ライスカレーに至ってはもうカレーがご飯の上にかかってやり直しが利かなくなっている。 もうひとりのおじさんがカレーライスはご飯ではなくてライスにカレーが寄り添っているものね、と相槌を打っている。でもあれもカレーロティやカレーナンというわけにはいかないのさ。 リコリシュという西洋世界ではチョーありふれたお菓子(liquorice)を示す言葉は、ずっと前に記事 「昆布石鹸の味」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/11/23/昆布石鹸の味/ に書いたが、日本語に氾濫するカタカナ語の素性を、というべきか、形成の過程を少しうかがわせてくれる言葉で、向田邦子という人が生きた70年代から40年が経ったいま、ようやく語彙が実体を微かにもちつつある。 実体と言っても、それは言葉によって解説された実体であって、ひとちぎり噛みとると口のなかいっぱいに子供時代がひろがるような、あのなんとも言えない落ち着いた気分にさせてくれる味が日本語に翻訳されたわけではなさそうである。 逆の場合を述べると、英語で解説された日本料理のメニューほど不味そうな食べ物の表現はない。 「boiled soy beans」から塩水でゆであがった「枝豆」を想像するのは難しいし、「bonito flake」から、あえやかな、湯気にさえゆっくりと身もだえする削り節を想像するのは熟練した悪魔でも無理だろう。もっと簡単なもので言っても鮨のトロが「fatty tuna 」では口に含んでからでもトイレに走って行って吐き出したくなってしまう。 「現人神」(あらひとがみ)という言葉は実は戦前の日本人が天皇が神などではなくてただの貧弱な体格の近眼の人間の男性にしかすぎないことをよく知っていたことを顕している。「神様」でないことを知っていたので、わざわざ観念だけを表現して現実が背後に感じられない「アラヒトガミ」という語彙に固執したのだと思われる。 一方で、日本人がアラヒトガミの英語訳であるliving … Continue reading

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from hell _1

日本が80年代に世界から吸い上げた冨はすさまじい金額だった。 いつかミッドタウンを歩いていたら目の前の日本人のおじさん3人組の最も年長らしいひとがロックフェラーセンターを指さして、「あれも日本のものだったのに、アメちゃんに取り返されちゃったしなあー」とゆっていて可笑しかったが、日本の銀行を中心にした機動艦隊のごとき「買い漁り部隊」は世界中で不動産を買い漁った。 日本で言えば丸の内一帯を買い占めたのと同じだろうか、「アメリカの象徴」ロックフェラーセンターを買ってしまったのもそうだが、もうひとつのアメリカの象徴コロンビアピクチュアをソニーが買収したことに対してはハリウッド人は猛反発で、なんでもかんでも「親日」「反日」のラベルを貼りたがる日本語ネット人にとっては「親日」家の代表であるらしいスピルバーグなども、このときに「日本のアメリカ文化侵略を許すべきでない」と立ち上がったひとりだった。 いまの世界では中国の他国での不動産の買収が話題になっているが、中国などは当時の日本の、国ごと中村うさぎになったようなキチガイじみた不動産ショッピングに較べれば文字通り桁違いで、80年代の日本の不動産買収の津波に比してはさざ波のようなものです。 地の果て、というとクライストチャーチ人に怒られてしまうが、クライストチャーチのような文字通りの地の果てにある町ですら町でいちばん高価な不動産であるクラレンドンタワー http://en.wikipedia.org/wiki/Clarendon_Tower は「虎ノ門実業会館」の所有だった。(過去形なのはこのあいだの地震で取り壊しになったからです) http://www.csmonitor.com/World/Asia-Pacific/2012/1221/Japanese-firms-set-spending-record-in-buying-up-foreign-assets ハワイのワイキキやオーストラリアのサーファーズパラダイスなどは延々と続く波打ち際のビルは殆ど日本企業の所有で、いまでも面と向かって「ハワイは日本の領土みたいなものだから」と言われたと苦笑しながら話すハワイ人や「日本人のおかげで潤って嬉しいでしょう」と日本の観光客に言われたと述べるオーストラリア人はたくさんいる。 世界チェーンのホテルでも、たとえばウエスティングループは青木建設が所有していた。その当時に泊まったひとの話を聞くとホテルのなかが日本語だらけで、いかにも日本のホテルだったそうです。 もうひとつ80年代の思い出話を聞いていて共通しているのは、日本企業が買収攻勢に乗り出した地域や分野ではなぜか日本のやくざが大量にやってきていたことで、不思議というか、やくざと銀行と大企業が一体であったような奇妙な印象を与える。 サーファーズパラダイス一帯がほぼ「日本のもの」になるのと前後して出来たコンラッドジュピターカシノは刺青に肌を埋めつくしたやくざで溢れかえっていたそうで、当時シフトマネジャーをしていたおっちゃんに聞くと、負けるとすごむわ、チップをぶちまけるわで、あまりに怖いので拳銃をもって出勤していたそーである(^^) クイーンズランドでは拳銃の携帯は違法だと思うが、ええかげんなクインズランド人のことなので、まあいいか、ということになっていたのでしょう。 元警察官僚だったひとは山口組の予算だけで1年間40兆円だというが、これはいくらなんでも桁を間違えているのではないかと思う。 ところが名古屋で守衛さんをしているひとに聞いたら、やはり講習会で40兆円だと話し手も同じバックグラウンドで元警察幹部だという。 インターネットや関係がありそうな日本語の本を手にとって読んでも、ちゃんと数字はない、というよりもインターネットに至っては桁が違う金額が殆どおもいつきのように並んでいるだけで、要するに「誰にも判らない」のではないかと思われる。 アメリカではマクドナルドは不動産デベロッパーとしての一面をもっている。 もっているどころではなくてマクドナルドはレストランではなくて不動産デベロッパなのだ、と言う人もたくさんいる。 ビンボで荒廃した地域にカウンシルと相談してマクドナルドが店をだすと、そのあたり一帯が整備されて人の流れが戻り、まわりに店が出来て地域一帯の地価がはねあがる。 マクドナルドはその中心に座る権利をフランチャイジーに分配することによって利益をうる。 日本ではmiddle of nowhereに製造業者が工場をつくる、あるいは工場予定地を買うことによって、周りの土地の値段がものすごい勢いで上昇する。 日本の銀行は極めて特殊な銀行で「ビジネスプランを評価して資金を貸す」ということは殆どない。土地を担保に土地の評価額の7割を貸す、というような貸し出し方なので、工場を作ることがそのまま資金調達方法になる、という不思議なことを日本の会社は繰り返していた。日本の会社は殆どこの方法でボロ儲けしたので、ホンダ、パナソニック、ソニーというような会社にとっては土地が高騰することがなによりも大事だった。 ホンダ、トヨタ、というようなときには、本体の会社だけではなくて、その周りで仕事をしているジグ屋、パーツ屋、すべての周辺業種「系列」が同じ構造をもっていた。 こういう生産業種はいまのように15%というようなショボイ利益率ではまったくなくて、原料費が1万円なら製品は10万円です。金属棒を仕入れてきて、ポンと穴を開けると1万円の棒が10万円になった。 日本人の企業家と話すとすべての業種にわたって「土地」ということがおおきく思考に影をおとしている。 80年代に大量に蓄積された余剰なカネは賃金の上昇や租税を通した社会のインフラ整備に向かわずに土地再投資に向かっていった。 国内の土地不動産にたいした上昇が見込めなくなったとき、日本の企業は海外の不動産に目をむけはじめた。 その結果がロックフェラーセンターの買収であり、ハワイ州の買収であり、サーファーズパラダイスの租借地化だった。 ここではハワイ州人やアメリカ本土人、豪州人の日本企業の土地買い漁りに対する激しい反撥を述べるのが目的ではないので、オーストラリア人や、怒りのあまり日本車を道路にひきだしてハンマーでぶちこわしてみせたりしていたアメリカ人たちが何を考えたかはどーでもよい。 考えようとしているのは、バブル期のオカネがどこに行ったか?ということで、 日本人ひとりひとりの幸福にはついぞ使われなかったオカネは結局どこに行ったのだろう?ということを考える試みの一部です。 考えてみればわかるが「出典キボンヌ偏執狂」のひとびとの考え方では、こういう問題では入り口にすら近づけない。 ほんとうの数字なんか、どこにもない。 どこにもなくはなくて、ほんとうはあるが、銀行や役所の金庫のなかにあって、行員や公務員ですら見る機会をもたされない。 日本ではときどきブルドーザで立ち退かせたい家に突っ込んで物理的に建物を破壊したり、ほんとうのことを書きそうになったジャーナリストを駅の裏路地でナイフを体に突っ込んでぐりぐりしたり、ほんとうのことを映画にしそうになった元俳優の監督の顔を切ったり、それでもやめないと、世界中でも日本のマヌケな警察しか信じるわけのない(だが日本の警察は「本物」と「鑑定」したw)チョーインチキな遺書をでっちあげて屋上から突き落として殺したり、という程度でしか世間の表面に姿をあらわさないやくざも、ふつーのひと同様、いったん外国に出ると羽根をのばしたい気分になるのでしょう。 いろいろな姿をみせている。 企業が土地を扱うときには間接的にしろやくざに頼む習慣が日本の企業にはあるようで、なぜそうなのかは判らないが、現実の問題としてやくざが土地・不動産の買収に関与していたのは日本企業があらわれる先々で必ずやくざの大群があらわれていたのでわかる。 そこから容易に想像がつくのは日本人が朝は早くに起きて2時間近い時間を電車に揺られ、へとへとになるまで働いて家に帰ってくるという繰り返しでつくられたカネは、企業の不動産指向と不動産を指向すればそこにどういう需要によるのか群がってくるやくざへと流れていったと考えられる。 … Continue reading

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第二の太陽

東京は「オカネがかかる」という点ではロンドンに次いで怖ろしいところで、次いで、とは言ってもロンドンのほうは一応オカネがどこに消えたか判りやすい覚悟の上の消え方だから、まあいいか、と思うが日本のほうは、いくら考えてもなんでなくなったのか判らないオカネのなくなりかただったので、ひょっとすると出っ歯でカナツボマナコの貧乏神が取り憑いたのではなかろーか、と疑ったりしたものだった。 広尾山の家からタクシーに乗って銀座か青山にでるというのが最も一般的な一日の(とゆってもたいてい夜だったが)典型的な始まりで、モニとふたりでレストランで夕飯を食べ、銀座にいればたいてい「ビックカメラ有楽町店」に寄って、むひひひ、とつぶやきながらワイヤレスHDMIだのSSDだのグラボだのと買い込み、コンピュータは日本の会社はVAIOの一瞬の光芒を最期に、当時(2009年)は、もうボロ負けを通り越して存在してないみたいなものにすでになっていたが、イメージングテクノロジーは相変わらず超一流で、キャノン(いまはもう全然ダメだが、その頃はまだ良いカメラがあった)やニコンの一眼レフを買って、きゃあきゃあゆってモニとふたりで喜んだりした。 買い物をして荷物が増えると、いったん広尾山まで帰るのがメンドクサイのでT国ホテルに荷物を置いて、もっと遊ぶ。 むかしからブログ記事を読んでいるひとは、もう判ってるよ、うるせーなー、と思うだろうが、ふんなゼータクな、と怒るひとのためにつけくわえておくと、外国人会員宿泊料はとても安かったのであって、プールやジムもただで、決して驕った気持ちでふんふんしていたわけではないのです。(ほんとよ) 東京は思い出してみるとやはり楽しい町だった。 欠点は気温が高すぎることで、4月から10月までは暑くて外を歩き回って遊ぶ、というわけにはいかなかった。遠征の初めの頃は油断していて暑さのせいで気分が悪くなることが多かったので後半は軽井沢に買った「山の家」にいることもおおかった。 涼しい、とされている軽井沢でさえ夏は暑くて30度を越える。 ある午後庭にだしたテーブルでモニとふたりでシャンパンとプロシュートで遊んでいたら滝のような豪雨になって、モニとふたりでびしょ濡れになりながら狂ったひとたちのように大喜びをしたのをおぼえている。 そのくらい暑かった。 毎年12月から3月はニュージーランドにいたかったので結局11月だけがモニとわしにとっての「東京にいる月」だった。 これも昔から読んでいるひとは知っているが、11月と12月の初めに日本にいたので、自分の誕生日はいつも日本にいたことになります。 日本は訪問するたびに元気がなくなってゆく「病んだ友達」のようだった。 むかしむかしチビ妹とチビわしがかーちゃんに連れられて、ストップオーバーで、義理叔父やかーちゃんシスターに会いにやってきたころは成田空港に降りると、なんだか、「わああああー」と沸き返るような空気で、社会全体が活力に満ちていて、わしは日本のテレビをつけて眺めていたらテレビコマーシャルのテンポが連合王国やニュージーランドに較べて速すぎて、目が回って、実際に気分が悪くなって大笑いされたりした。 原宿に行っても渋谷に出ても、人が「どわあああああ」と溢れかえっていて、向こうから渡ってくる「人間の壁」を通り抜けられるはずはない、と考えて顔をひきつらせた。 かーちゃんシスターのアイルランド人の友達がやってきて、日本の会社に就職した初日、山手線の駅で電車を待っていたら満員でぎゅうぎゅう詰めなので、これは事故かなにか会ったに違いないと考えて、他の人間と肌をふれあって電車に乗ったりするのは嫌なので、次の電車を待っていたら、もっとぎゅうぎゅうで、次も、そのまた次も、すっかり混乱して、怖くなって、泣きながら家に帰って会社に出かけられなかった、という話をするのを聞いて、妹とふたりで、こえー、と顔を見合わせたのもこの頃だった。 統計をみると日本の退潮は1991年頃から始まっているが、実感では2000年頃から日本という国そのものの雰囲気が変わっていった。 もしかすると、この頃からバブル経済にはいっていった連合王国やアメリカ、ニュージーランドとの対比でそう感じるようになったのかもしれません。 日本に到着するたびに、ねえ、なんだかヘンだよね、と妹とふたりで話すことが多くなった。 むかしみたいに粗野なのも嫌だけど、この頃、日本の人って妙にお行儀がよくなって、静かだと思う。おにーちゃん、そう思わない?と妹が訝りだしたのはちょうど西暦でいえば2000年のことです。 日本橋に「室町砂場」という蕎麦屋があって、この店は義理叔父のむかしからの贔屓の店です。蕎麦ガキと卵焼きが子供のころから好きで長じては、それにお燗がつくようになった(^^)  わしは結局ラーメンは好きになれなかったが蕎麦は好きで、おいしい蕎麦が食べてえー、と述べたら、つれていかれたのが、この店だった。 かーちゃんも気に入ったというので、日本橋にでかけるとこの店に行くことがあった。そのときも、かーちゃんとふたりだったと思う。 品の良いじーちゃんが空席待ちの椅子に座っていて、目の前には灰皿がある。 通路を隔てた向こうには5、6人の団塊おっちゃんとおばちゃんたちがいて、大きな声で話している。 手持ちぶさたなのでしょう。じーちゃんは「マイルドセブン」をポケットからとりだして喫いはじめている。 「あんた、こっちに煙がくるのが見えないのかよ!」と突然団塊おっちゃんのひとりがじーちゃんに怒鳴りはじめる。 「バカかよ。蕎麦の香りが台無しじゃないか!そんなことも判らないのか!」 まだ、ちゃんと日本語が判らないころなので、何を言ってるのか正確には判らなかったが、だいたい、そんなふーなことを怒鳴っていたのだと思う。 じーちゃんは、ちょっとだけ、でも灰皿が、とでも言うように灰皿を指さしたりしていたが、背中をまるめて、まるで物乞いのひとのように頭をさげて詫びている。 わしは不愉快だったので、文句を言いにいきたかったが、かーちゃんが代わりになにごとか言いにいった。 かーちゃんは日本語がほとんどわからないので英語だったと思います。 日本人たちは、なにがなし、びっくりした様子で、しかし、多分かーちゃんが何を言っているのかもわからなかったのでしょう。 要領を得ない顔で、お互いに顔を見合わせていた。 日本のひとが「自分が正しい」と思うと居丈高になって極めて失礼な態度をとる、ということを発見した、それが初めだったと思います。 イギリス資本のInterContinenntalになってしまったが溜池のANAにあるサンドイッチ屋のSubwayで朝ご飯を食べていたら、広場を見渡せるカウンタに座ったわしの背中がなんだかぞわぞわする。 なにごとならむ、と思って振り返ると、およそ10人くらいのゾンビが壁際にならんでジッと虚空を見つめる目で焦点の遠いところをみている。 椅子の上で跳び上がってしまった。 もう少しで恐怖の大絶叫を発するところだった。 日本のひとは、もともと表情をもたないが、だんだんひどくなってというかなんというか、そのあとも、ときどき同様の光景をみかけて、びっくりすることが多くなった。 少しづつ、ネガティブなところが目に付くようになったのは日本の社会に自分の目がなれるようになっただけで元からそういう社会だったのか、実際に日本の社会に変化が起きたのかは、わしには判りません。 … Continue reading

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ヨクマナビ ヨクアソベ

ヨクマナビ ヨクアソベ、は第四期国定修身教科書に出てくる言葉で、 ヨクマナビ ヨクアソベ、ジコクヲマモレ、オヤノオン、チュウギ、ヨイコドモと続く。 日本にいるときには、「仕事も遊びも真剣におもいきりやる」というひとに多くあって、なにがなし、うんざりする気持ちにさせられたものだった。 学ぶよりも遊ぶほうが人間にとっては大事なのは自明だが、もう少しよく考えてみると、「遊ぶ」ことから分離した「学び」などは言わば退屈な労働であって、そんなものを一生懸命やっても何の足しにもならないどころか有害である。 だから国が強制して使わせたこの教科書はたった一行に奇蹟的なほどの蒙昧がつめこまれているので、どうしても懸命になにかやりなさいと述べたいならば、 ヨクアソビ、ヨクヤスメ とするのが、まだしも正しい表現であると思う。 もっと正鵠を期すると人間はがんばってしまったりすると碌なことはないので、 テキトーニアソビ、ノコリハ ゼンブヤスメ くらいが正しいのだと思われる(^^) 子供などは自分に適性があることを目の前にぶらさげられると、ほっといてもアフターバーナーに火がついて、それこそ眠る間も惜しんで没頭するので、オトナの口から、 ヨクアソビ、だの、ましてやヨクマナベ などと、大きなお世話もよいところである。 そういうことを言うからオトナは常に子供に軽侮される。 救い難いバカだ、と思われているのです。 そういう軍事教練みたいな「学ぶ」ことへのアプローチはもってのほかで、せいぜい我慢強いだけの独創もなにもない「社会の丈夫な部品」が学校教育を通じて「錬成」されるだけだが、それにしても「おもいきり仕事をしておもいきり遊ぶ」と述べるひとの、あの粗野な感じ、名状しがたい卑しい感じは、どこからくるのだろうか? 自分のことを考えると、両親に「もっと勉強しなさい」と言われたことはいちどもない。 わしに限らず、級友のどの顔を思い浮かべても、「もっと勉強しろ」と言われたことはないだろうとほぼ100%の確信をもって信じられる。 もっと遊びなさい、のほうは言うまでもないというべきか、ただでさえ遊びほうけているやつに、そんなことを述べたら、火に油、反日に燃える中国に靖国参拝であって、どのくらい無茶苦茶なことになるか判らないような判り切っているようなものなので、そんな怖ろしいことを言われた事はもちろんありません。 とつおいつ、もどったり、いったり、アフガンを食べたり、コーヒーを飲んだりしながら考えてみると、それは内心の声として聞こえてくるべき言葉であって、外側から、まして社会の側から述べられてよいことではないのに、「ぼくは仕事もがんがんやるかわりに、遊ぶのも一生懸命やります」というひとの言葉は、「社会からの要請」を個人が述べているに過ぎないので、どうも猛烈に何事かに「励む」ひとというのは言わば社会の要請を一点に集める虫眼鏡のような機能をもってしまっているらしい。 自分自身の魂がささやきかける声が、社会の要請の声にかき消されてまったく聞こえなくなっているひと、と言えばいいだろうか。 努力家、というものが、どういうタイプの努力であっても、なんとなく品が悪い感じがするのも、どうもそういうことと関係がありそうだと思う。 よく働き、よく遊ぶひとが家族と休息して芝生の上でごろごろしたり、チビ犬と日がな一日遊んだりするイメージがもてないのは、その延長で、「よく休む」という社会が決して要請しない一方で人間にとっては最重要の意味をもつ時間の価値を認識できないからだろう。 がんばりすぎる人は、肉体に負荷をかけすぎることによって大病をし、精神に負荷をかけすぎることによって自殺するが、がんばるということそのものが自分の「内なる正直でしかいられない自分」にとっては悪徳でしかないことに気が付かないので、回復するとまた「がんばって」しまったりする。 まわりにも「がんばる」ことを期待しているのが黙っていてすら判るので、職場や家庭においても迷惑きわまりない存在である。 百害どころではなくて、呼吸する厄災であるといっても過言ではないと思う。 はた迷惑、という言葉を思い出す。 「内なる正直な自分」が、自分を保持している肉体と精神がものごとに集中してもよいと思っているかどうかは、よく知られているように、「時間があっというまに経ってしまうかどうか」によってすぐに判る。 だから自分の間尺にかなった時間を過ごすひとにとっては人生は一瞬である。 何度もこのブログ記事で述べた「聴き取りにくい声」のうち、最も聴き取りにくい声は、自分の魂が発する声であると思う。 われわれは社会的動物である上に、社会性を強めて肥大させる文明をもってしまったせいで、現代に至って、自分の「内心の声」などは、どんなに必死に耳を傾けても聞こえなくなってしまっている。 畸形なほど発達した社会性は、もはや人間が個人でいることを許さなくなっているように見えることがある。 穐𠮷敏子は「自分にやさしくしなければならない」「だから私はバンドを解散することに決めました」とステージの上で述べて、皆を感動させたが、その通りで、どこかの時点では問答無用で自分にやさしくしなければ、日常的に酷使に耐えて、なんとか非人間的な現代社会に魂を適応させようと根を詰めている「ほんとうの自分」は、ほとんどの場合、精神も肉体も見放して立ち去る寸前にある。 ただ、自分が共に歩いてきた肉体と(意識された)精神への愛おしさだけで一緒にいてくれている。 ヨクマナビ ヨクアソベなどは世界中共通に軽薄な思想しかもたない軍人の考えることである。 人間が人間に立ち返るために必要なことは、根を詰めて下を向いていた顔をあげて、労働の美徳などという新教徒が発明した今出来の愚かな徳目を捨てて、ゆっくり休むことでしかない。 そのとき初めて、「内なる自分」と世界は和解して、昨日までの戦場も、よく見てみれば、やさしく人間を包み込む田園であることに気が付くのだと思います。 (画像は大陸欧州の高速道路を走っていると頻々と見かける「風力発電タービンの羽根」。見かけるたびに人間はテクノロジーの過渡期には奇妙な技術的アイデアに頼ろうとするものだなー、と感慨にひたりまする)

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自由という名前の檻と群体社会

まだこのブログを書き始めたばかりで「もんじゅ」がぶっとぶに違いないと述べて、日本固有の、傷つきやすい魂をもったひとびとから、「日本の技術の高さを知らないのか」「西洋人だけが原子力を独占しようとするのは白人のおもいあがりである」というお便りをもらったのは、あれはたしか2006年のことだった。 もんじゅは一定以上の期間運転すれば必ずぶっとぶというオモロイ設計の原子力発電所なので、いまはお休みでも、稼働の努力を続ける限りは、そのうち期待にこたえるとおもうが、そうこうしているうちに福島第一事故が起きて、こっちは「津波」という(自分にとっては)予測外のことが引き金であったので、ぶっくらこいてしまった。 もっともプロはプロなので、破局の寸前までいきながら何とか踏みとどまった福島第二と較べればわかる、福島第一の立地選定の杜撰さ、全体の施設も低すぎる位置にあるところに何億円だかの節約のためにつくってしまうといういーかげんさについては、初めから「いったい何を考えてるんだ」という声はたくさんあったもののよーです。 右傾化のほうは、日本語サイトにでかけてしばらく眺めていると、誰も実感としてはどのくらいひどくなっているか感じていないようだが、2ちゃんねる的な知恵で、「言ってはいけないことだが」と、つけくわえておいて中国を訪問して中国政府の狙い通りの発言をおこなった元首相を「国賊」というかつて日本社会全体を美しい愛国心でまる焼けにしてみせた昔のなつかしい言葉を使って呼ぶ大臣まで出てくるほどひどくなっていれば、船がどこに向かっているか判りにくい船内にいても、右側に見えなければいけないはずのオリオン座が左に見えていることにくらいは気が付きそうなものであると思う。 ここのところ英語世界やドイツ語世界が、もうためらいもなにもなく日本の政権を「極右」と呼んでいるのは、いまならまだ自分たちと一緒にやれるところまで戻ってこられるから戻ってこい、と呼びかけているので、こういうときにいつかここにやってきた小説家が悪態をついたような「自分達がいかにまともな国かみせびらかす」(^^;)ために呼びかけをしているわけではない。 中国政府を西洋人世界が激しく攻撃するのも、それが世界中の人間にとって危険な政府であると信じているからで、あの小説家が誤解したように「アジア人が劣っている」と感じているからとは違う。 世界中の人間の博愛・平等というようなノーテンキなことを述べているのでもなくて、中国のひとはどこの社会にも定着していて、いまの世界では中国人あるいは中国系人の友人や同僚をもたずに生活するのは、都市の多少でも知的な労働者にとっては不可能なことで、これだけ身近に中国人たちを知っていれば、石を投げようにも距離が近すぎて投げられない。 実際、両腕をのばして抱擁するほうがずっと楽な距離でわれわれは共に暮らしている。 日本人と日本政府は一体感の繭のなかにつつまれていて、状況がきびしくなればなるほど日本人は、その繭のなかで体制と国民が溶けあって、まるで群体 http://ja.wikipedia.org/wiki/群体 の細胞のように個々でありながら全体の部分としてのみ機能する、というのは、いまでは西洋世界でも常識に属するほど誰でも知っている。 へえー、そーなのか、という反応を示す人間のほうが数は多いに決まっているが、それは日本になど何の興味も無いという人間が圧倒的な多数だからで、めんどくさいが、すぐにいじけてしまうらしい、心根のやさしい日本のひとの心的反応を考慮してつけくわえれば、たとえばドイツであっても、ドイツって何やってる国だっけ? あー、そういえばBMWてドイツのクルマだったな、という程度の関心しかない人間などニュージーランドには山ほどいる。 ユダヤ人嫌いなんだよね、あのひとたち、とマジメなドイツ人が聞いたら心臓麻痺を起こして死にそうな反応のひとなど、m&mのチョコレートくらいありふれている。 安倍内閣日本についての感想は、バッキシ折れてしまいそうな状態の財政の主梁にゴジラが片足で立って踊ってみせる、というくらいの負荷がかかって、財務がもうどーもならん、はっはっはになってしまいそうだが、財政破滅が起こるか、経済が復興するかの時間的競争だろう。 いまの日本には工業製品で言えば品質の洗練だけがあって突出した技術がないので、市場では、たとえばソニーがいまの完敗の状態からサムソンとアップルに立ち向かって逆転できるのか、というと心許ないが、一方では産業世界全般の体力は高度成長期などとは比べものにならないくらい強いので、なんとかなる可能性がなくはない。 余計なことをつけくわえると日本の家電が売れないのは、ひとつには海外の生産拠点における品質管理能力が低いからであると思われる。 やってみるとすぐに判るが、豪州製のトヨタと日本製のトヨタでは同じ車種でもドアが閉まる音からしてもう異なっている。 プジョーやフィアットも同じ問題を抱えているが、たとえば南半球では最も生産地による差が激しいという定評のある三菱自動車ほどひどくはない。 BMWやフォルクスワーゲンはたいへんに海外工場の管理が上手で、中国製のBMWと南アフリカ製のBMWはほぼ品質的な差がない。 さらに言えばシンガポールのカルフールには最も安い髭剃り器として長いあいだ「セイコー社製の電動シェーバー」があったが、これは笑い話がたくさんできるほどひどい製品だった。 シャープがラップトップコンピュータで演じた失敗も有名だが「デザイン製造過程にタッチしないで名前だけを渡して利益をあげる」タイプの製品も日本製品全体の品質への信頼を著しく下げたと感じられる。 領土問題については、もっと簡単で「戦争になるか」「一挙に片がつくか」で、他の行き先は考えられなくなった。 中国は昔からそういう国で対中強硬派の政治家が相手の国にあらわれると、その国に対してはお行儀がよくなる。 ここで説明するのはめんどくさいので説明しないが、親中国政権が相手だと途端に態度が悪くなって強硬な政権に対しては、なんだか妙に行儀良く座り直してしまうのは、中国共産党であるよりも、中国という国の、もっと深いところに根ざしている反応であると思う。 それが「弱腰」なのかというと、そうではないのは、いまの安倍政権のスタイルをみて、アメリカが俄に尖閣をめぐる「限定戦争」を現実のものとして考えだしたところをみればわかる。 オスプレ配備が象徴的な出来事だが、アメリカは長い間とってきた固定防衛線戦略を 線ではなく係争域をもうけた機動防衛戦略に変更してきた。 前端の象徴がオスプレ配備ならば後端の象徴はダーウィンの基地建設だと思う。 オーストラリア軍の仮想敵国がインドネシアなのにあわせて「対インドネシア戦略」ということになっているが、そんな口実を信じる人はいないだろう。 ところで落ち着いて考えれば判るが機動防衛戦略がカバーする尖閣諸島は固定防衛線戦略の内側にある尖閣諸島よりも中国側からみれば限定戦争を起こしやすい状況下にある。 中国は初めの計算とやや異なってアメリカが尖閣防衛に本気なのが明瞭になったので、尖閣諸島を巡る限定戦争を起こすことの得失を再計算しなおさねばならなくなったが、中国側からは、尖閣諸島はもともと外交側に起因する問題では無くて中南海のミーティングテーブルから生まれた、内政問題ですらない、いわば宮廷内問題なので、それでも限定戦争を起こす余地はある。 アルゼンチン側が制作した映画やドキュメンタリを観るとフォークランド諸島戦争がサッチャーの企図どおりの限定戦争に終始して拡大しなかったのは、アルゼンチン側に早々と厭戦気分が起きて「やる気がなくなった」からであるのが良く判るが、日本のひとの場合はどうだろうか。 案外、仕掛けた中国側が呆然とするような国を挙げての「戦争マシン化」が起こるのであるかもしれません。 日本という船の船内にとどまって小さな(日本のマスメディアの殆ど悪意が感じられるほどの無能力によって)歪んだ風景しか映らない船窓から見える世界しか見えない状態で「自由」でいるためにはどうすればいいか、あるいは、もっとはっきり言ってしまえば「正気」でいるためにはどうすればいいだろうか、とときどき日本に残ると決めた日本人のつもりになって考えてみることがあるが、それは結局、「自分が囚われないための小さな檻をつくる」という奇妙な作業に帰着する。 前にも述べた通り、ソクラテスが処刑されたのは、簡単に言えば、ソクラテスひとりが正気で残りの民衆はすべて狂気にとらわれてしまったからだった。 種明かしをしてしまえば、このブログ記事には何回もでてくる件の「狂泉」の話は、ソクラテスが処刑されたような状況は東洋にはなかったのかと義理叔父に尋ねて、義理叔父が思いついた例が「狂泉」だったのだが、いずれにしろ、 自分自身の知性を檻に閉じ込めて、酸素の吸入管とコミュニケーションケーブルを英語世界の海上に連絡して、じっと息を潜めて回りで起きている事を見つめているしかなくなってゆくかもしれない。 インターネット以前は、そんなことはありえないことだったが、(出典をみせろ、そんなことが権威のある活字でどこに載っていると騒ぎ立てるのが好きな出典バカの群蝗のせいで)、せっかく海外に住んでいる日本人たちが述べることや(あるいは最近ではもう予測がつく展開にうんざりして口を閉ざしてしまう人も多くなったので)述べるのをあきらめてしまったことを日本にいても見聞きする方法はあって、たとえば英語国の町町ではクルマを運転する習慣に支えられて、いまでもたくさんのFM局が営業しているが、たいていは3人くらいの若い衆ないし30代くらいの人びとが冗談を言い合いながらすすめるのがスタイルのそうしたプログラムはほとんどすべてがインターネット上にストリーム配信している。 日本のひとり語りが多いラジオ番組とは異なって殆どが音楽だが、一日の夕方というような頃になると、トークショーがある。 そういうものを聞く習慣をつけるのはよいことであると思う。 … Continue reading

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