初夏の一日

nyc167

「からみついた足」のことを考えていた。
一組は真っ白い細い長い足で、女の足である。
もう一組は、日焼けした「巨大な」と形容したくなる筋肉質の褐色の足で、弾力のある筋肉に包まれた二本の足が外側から白い二本の足に、といっても非対称にからみついている。

The Neighbourhoodをひさしぶりに聴く。
聴いているとバーボンを飲みたくなる音楽というものがあって、
The Neighbourhoodの音楽はそうであると思う。
ジャックダニエルがどっかにあったはずだと思って酒庫に行くが、見つからない。
仕方がないのでマッカランの首をつかんで帰って、ペールの氷とソーダを入れて飲む。
SchweppesのClassic soda waterを知ってますか?
強烈な炭酸で、そのまま飲んでもうまいが、ウイスキーをこれで割って飲むとうまい。マッカランの12年というような生(き)で飲まないと文句をいう頭のわるいひとがたくさんいる高いウイスキーをソーダで薄くして飲むのは夏の楽しみであると思う。
ウイスキーの「ほんとうの味」を味わいたいひとは勝手に後生大事に味わえばいいので、わしは、「ほんとうのこと」になんて興味がない。
いんちきでもなんでもいいから、モニとわしの一生を邪魔しないでくれて、おとなしくしていてくれればいいだけです。
「本物」を求めてさすらい歩くような田舎くささには耐えられない。
世の中が贋物だけになってしまったら、どんなにかいいだろう。

魚の刺身というようなものは飽きてしまったので、King Fishが釣れてしまうのは(おおきいので)困ると話していたら、インド人のシェフの友達が「カレーにすればいいんだよ」と言い出した。チリやコリアンダやターメリックやなんかのいつものスパイスをミックスして、ココナッツミルクをたっぷりいれる。
通常の信念とは異なって、King Fishはいいカレーになるんだぜ、新鮮ならなおさらさ。

第一、きみたちはさ、魚を気味悪がりすぎる。
「あの目がね」と、わし。
骨もあるし、とK。

まったく、きみらと来たら!とインド人の友達は両手をあげて、天井をみつめてみせる。
救い難いひとたちだ。
おいしいものは何も食べないで、牛だの、豚だの、ドブで出来たようなものばかり食べるんだからな!

牛は神聖なんじゃないの?
と、K。
死んでしまえば、動物はみんなドブみたいなもんさ、きみも、とインド人はつぶやく。

なんとなく可笑しいな、と考えていたら、ふいに、咳がでてきて止まらなくなった。

Scallop Dredgeという。
日本語では何というか知らない。
帆立貝をとるための仕掛けのことです。
料理人がおいしい帆立のレシピを知っているのに、ニュージーランドにはまともな帆立がないと言って嘆くので、それなら、わしが新鮮な帆立貝をとってあげようというので、釣り具屋へ行って買ってきた。
フランス人たちは自然のなかでやることは何も知らないので、興味津々で、D型金具はどうやって使うのか、鎖の長さはどうやって決めるのか、あれこれ質問攻めでうるさい。
knotのなかで最も基本的なユニノットすら知らないので教えてやると、みんなで、子供のように目を輝かせて、「いーち、にー、さん、しー」と数えながら、ロープを巻いている。

あとで日本の英国公使になるハリー・パークスは、近代黎明期に中国と日本で一生を過ごした人だった(初めに清に到着したのが13歳のときで、そのあと死ぬまで殆ど中国・日本にいたはずである)が、イギリス人的頑迷さのせいでたくさんの爆笑話を残している。
会議のテーブルと椅子の並び方が気に入らないので腕まくりをして並べ直していたら、折悪しく中国の大官たちが入室してきて、中国の大官ともなれば、肉体労働は心から忌むべきものなので、腕まくりをして椅子をもちあげていたパークスに軽蔑の一瞥をくれたこれら清の大官たちは冷ややかな表情を浮かべて会議をボイコットしてしまう。

そこまで極端でなくても、わしも、いまに儒教エリートの伝統を引き継いで自分で手を動かして何かするということを嫌う半島人や中国人はもちろん、日本人の友達と話していてすら、「えっ?そんなことまで自分でやるんですか?」とびっくりされることがよくあった
そんなことまで、も何も部屋の壁や家の壁を塗るのはオトナの楽しみというべきであるし、天井まである本棚など、そうそうわしより上手につくれるひとはいない。

フランス人たちも、儒教人たちに似たところがあって、ホタテがなければ海に行って取ってくるという考えも、そのためには何を揃えてどうすればよいか、ということも思いつかないもののよーでした。

終いには、これで取れなかったらどうするのか、とまで言い出すので、そのときは、ウエットスーツを着て酸素ボトルを背負って海の底に潜ってホタテ貝の生態を観察するのさ、と言うと、ひええっ、というような短い叫び声をあげて、向こうの部屋へ行ってしまったのであって、大陸人はまことにしょーもないやつらだと、わしのほうは偏見をひとりごちたのでした。

「からみついた腕」のことを考えていた。
片方は真っ白い細い長い腕で、女の腕である。
他方は、日焼けした「巨大な」と形容したくなる褐色の腕で、おおきな手のひらが女の真っ白い手のひらを包み込んでいる。

その指の一本一本の形を見て、男が女を愛していることがわからない人間は底の知れないマヌケであると思う。
男の考えていることは女の幸福で、それがどんなに白痴じみた行動だと判っていても、美しい宝石だとみれば女に買って家に持って帰り、よく晴れた夏の日には花屋の花を半ば買い占めて家にもって帰る。
女が気鬱そうな表情で窓の外でも眺める朝でもあろうものなら、(心配そうに声をかけると怒られるのが判っているので)あんまり気づかれないように、ちらちらと女の横顔を眺めて、こーゆ−場合、自分に出来ることには何があるかを考える。

女が機嫌がよければ自分も機嫌がよくなり、女が悲しそうな表情をすれば自分も悲しい気持ちになる。

ガメは、どうしたいの?と訊かれて、
モニを幸せにしたい、と答えて、そうでなくて自分では何をしたいの、と怒られる。
そうゆわれても自分でやりたいことなんて、ないんだからさ。

こんなときはどんなふうに答えればいいのか、家でも悪ガキどものあいだでも教わったことはなかった。
秋の長い影がさす競技場で、観客などいらないから誰よりも遠くまでジャベリンを投げられるようになりたい、とでも答えればいいのだろうか。
判らないが、怒られたすぐあとで、頬にキスをしてもらえるので、まあ、なんとなくいいか、と思っているのです。

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