Daily Archives: January 14, 2013

海と怪物

1 コモ湖の夏は、いつも突然襲ってくる。 雲ひとつなかった青空の向こうから直立した巨大な白雲が姿をあらわしたかと思うと、次の一瞬、真っ暗な空に変わって辺り一面は息もできない筱雨に変わる。 視界はゼロだし、背中や顔に衝突する雨滴は石つぶてのようである。 ボートの底にあたる激しい雨粒の音を聴きながら、大急ぎで岸に向かう。 「ボ、ボートが沈んでまう」とパニクって、猛烈な勢いで櫂を動かしているわしの姿の前には舳先に座って、頬杖をついて、なんだか嬉しそうにわしの恐慌ぶりを眺めているモニがいる。 「大丈夫、モニ、もうすぐ岸に着くから」と叫んでいるのに、のおんびりと 「わたし、ガメ、大好き」と、チョー見当外れの呟きをもらしたようである。 わしは頭のほうはともかく筋力と肉体の物理的なATP産生量だけは定評があるので、モーターボートのようなスピードで岸に着く。 桟橋に仰向けになってぜーぜーしていると、モニが、面白かったな、という。 なんだか、いつも、こーゆー感じだよねー、と思っているところで目がさめた。 オークランドのHauraki Gulfには、いくつか島があって、ヨットやパワーボートの停泊に適した入江がいくつもある。 帆船時代にオークランドの安酒場でしこたま飲んだ船員たちが、げーげーやりながら二日酔いの頭をさますのに使ったので「酔っ払い湾」の名前があるIslington Bayがいちばん有名だと思うが、他にもHome Bay、Mullet Bay、たくさんあります。 Home Bayなどはケーブルがややこしく複数敷設してあるので釣りには向かない(釣り針でケーブルを引っかけると20万ドル(1500万円)の罰金でごんす)が、あんまりここで名前を書かないほうが良いに決まっている、わしがよく行く入江などでは、朝と夕方にはいろいろな魚がたくさん釣れる。 日本ではちっともとゆっていいくらい魚を食べなかったのに、このときのために有次(ありつぐ)の包丁を日本からもってきて、銀座で何遍もこのブログ記事で自慢するために書いている「外国人向け寿司スクール」にも通ったわしは、刃先も軽やかに「指切っちゃったあー、痛えええー。出血多量で死ぬー」と叫びながら、シマアジ、タイ、アジ、アオリイカという面々の鰓の後ろから内臓をえぐりだし、人間で言えば耳にあたる測線をぞりぞりと矧ぎ、頭とシッポをチョンと切って刺身をつくる。 家の庭からもってきた紫蘇と生姜と醤油で食べる。 モニは一口食べて「おいしい」と言いながら主には自分でつくったキッシュを食べておる。食べてみると、モニのキッシュのほうがどうしてもおいしいので、魚はどうでもよくなって、ふたりで星が満天を飾りだした夜空を眺めながらシャンパンを飲みます。 こうやって晴天の夜にまわりに町どころか人工のものがなにもない入江の沖合で、波の音を聴きながら夜の空をみあげていると、なんとなくバカバカしいほどたくさん星があって、あれがひとつづつ銀河や恒星ならば、人間の知性には価値なんてほんとうにあるのか、という気になる。 おおきな自然に遭遇した人間がもつ、ふつーの反応だと思います。 あるいは、何度かは家に体温計というものがないので判らない(子供が風邪をひいたりするたびにお母さんがやさしい手で体温計を口に含ませてくれるのは日本だけの習慣ではないかと思う)が、高熱が出てベッドでうなっていると、モニがやってきて、デコに手をあてて、「熱い!」とゆって喜んでおる(^^) もう死ぬー、と喘ぎあえぎ述べると、オーバーだ、とゆって、はっはっは、と笑う。 うー、薄情ものおー、このまま死んだら、あのひとにもっとやさしくしてあげれば良かった、と後悔するぞおー、と虫の息で言うと、「ガメは、ほんとうに子供みたいだ」と呆れた様子で立ち去る。 そのまま気絶して、起きてみて、なぜか熱が関節に来ていて足かっくんになってのけぞったり、こけそうになったりしながら歩いているのを、いつのまにか寝室に来ていたモニが笑ってみてます。 カ、カッコワルイと照れ隠しに言うと、モニは容赦なく、おじーさんみたいだ、という。 ガメ、必ずおじーさんになるまで一緒にいようね。 ちゃんと歩けなくなっていても、その頃にはきっと操縦性のよい車椅子があると思う。わたしは押さなくてもすむだろう。 その頃にはモニもおばーさんではないか、と述べかけて、ふと、ひょっとしたら、このひとはおばーさんになど永遠にならないのではないだろーか、 わしだけがおじーさんになって、モニはいつまでも若い美しいままで、いまと同じように寝室に半身を起こして、わしの老衰ぶりを笑っているのではなかろーか、と考える。 モニというひとは、そういう感じがする不思議な人です。 2 戸塚宏という名前は昔、鮎川信夫について調べていたときに出会ったことがある。 社会に適応できなくなった子供を預かって自分の「戸塚ヨットスクール」で、殴る蹴るを繰り返して何人も更生させたので有名な人です。 そのヨットスクールで情緒障害の子供が何人も「正常」になったと当時のマスメディアが激賞して、戸塚ヨットスクールは一躍人気施設になった。 ところが暫くして、というのは70年代の終わりから80年代初頭にかけて、何人もの「生徒」が行方不明になり、あるいは死亡していたことが判って、それまでベタボメ一方だったマスメディアは一転、「それでも効果があるのだから是認されるべきだ」というグループと「殺人学校ではないか」というグループに分かれる。 鮎川信夫は次第に「殺人学校非難」に世論が傾いていった頃、戸塚宏の「勇気」を称賛する。この「事件」は当時の最も良心的であったはずの読書人層におおきな衝撃を与えます。トーダイおじさんのひとりは、そのときの「まるで父親に裏切られたような、やりきれない気持ち」をウイスキーの酔いにまかせて、わしに語ってきかせてくれたことがある。 このひとは、それ以後「社会評論」のようなものをいっさい読まなくなってしまう。 いま日本語wikiを見ると、死者のうちのひとりについて、無数の打撲、内出血の痕跡、歯2本の損壊、と、のんびり、簡単に描いてある。 小さいヨットに使うラダースティックで殴ったもののようで、日本の家庭に普通にありそうなもので言えば野球のバットよりも衝撃力が少し強いくらいになると思います。 … Continue reading

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