Daily Archives: January 25, 2013

第二の太陽

東京は「オカネがかかる」という点ではロンドンに次いで怖ろしいところで、次いで、とは言ってもロンドンのほうは一応オカネがどこに消えたか判りやすい覚悟の上の消え方だから、まあいいか、と思うが日本のほうは、いくら考えてもなんでなくなったのか判らないオカネのなくなりかただったので、ひょっとすると出っ歯でカナツボマナコの貧乏神が取り憑いたのではなかろーか、と疑ったりしたものだった。 広尾山の家からタクシーに乗って銀座か青山にでるというのが最も一般的な一日の(とゆってもたいてい夜だったが)典型的な始まりで、モニとふたりでレストランで夕飯を食べ、銀座にいればたいてい「ビックカメラ有楽町店」に寄って、むひひひ、とつぶやきながらワイヤレスHDMIだのSSDだのグラボだのと買い込み、コンピュータは日本の会社はVAIOの一瞬の光芒を最期に、当時(2009年)は、もうボロ負けを通り越して存在してないみたいなものにすでになっていたが、イメージングテクノロジーは相変わらず超一流で、キャノン(いまはもう全然ダメだが、その頃はまだ良いカメラがあった)やニコンの一眼レフを買って、きゃあきゃあゆってモニとふたりで喜んだりした。 買い物をして荷物が増えると、いったん広尾山まで帰るのがメンドクサイのでT国ホテルに荷物を置いて、もっと遊ぶ。 むかしからブログ記事を読んでいるひとは、もう判ってるよ、うるせーなー、と思うだろうが、ふんなゼータクな、と怒るひとのためにつけくわえておくと、外国人会員宿泊料はとても安かったのであって、プールやジムもただで、決して驕った気持ちでふんふんしていたわけではないのです。(ほんとよ) 東京は思い出してみるとやはり楽しい町だった。 欠点は気温が高すぎることで、4月から10月までは暑くて外を歩き回って遊ぶ、というわけにはいかなかった。遠征の初めの頃は油断していて暑さのせいで気分が悪くなることが多かったので後半は軽井沢に買った「山の家」にいることもおおかった。 涼しい、とされている軽井沢でさえ夏は暑くて30度を越える。 ある午後庭にだしたテーブルでモニとふたりでシャンパンとプロシュートで遊んでいたら滝のような豪雨になって、モニとふたりでびしょ濡れになりながら狂ったひとたちのように大喜びをしたのをおぼえている。 そのくらい暑かった。 毎年12月から3月はニュージーランドにいたかったので結局11月だけがモニとわしにとっての「東京にいる月」だった。 これも昔から読んでいるひとは知っているが、11月と12月の初めに日本にいたので、自分の誕生日はいつも日本にいたことになります。 日本は訪問するたびに元気がなくなってゆく「病んだ友達」のようだった。 むかしむかしチビ妹とチビわしがかーちゃんに連れられて、ストップオーバーで、義理叔父やかーちゃんシスターに会いにやってきたころは成田空港に降りると、なんだか、「わああああー」と沸き返るような空気で、社会全体が活力に満ちていて、わしは日本のテレビをつけて眺めていたらテレビコマーシャルのテンポが連合王国やニュージーランドに較べて速すぎて、目が回って、実際に気分が悪くなって大笑いされたりした。 原宿に行っても渋谷に出ても、人が「どわあああああ」と溢れかえっていて、向こうから渡ってくる「人間の壁」を通り抜けられるはずはない、と考えて顔をひきつらせた。 かーちゃんシスターのアイルランド人の友達がやってきて、日本の会社に就職した初日、山手線の駅で電車を待っていたら満員でぎゅうぎゅう詰めなので、これは事故かなにか会ったに違いないと考えて、他の人間と肌をふれあって電車に乗ったりするのは嫌なので、次の電車を待っていたら、もっとぎゅうぎゅうで、次も、そのまた次も、すっかり混乱して、怖くなって、泣きながら家に帰って会社に出かけられなかった、という話をするのを聞いて、妹とふたりで、こえー、と顔を見合わせたのもこの頃だった。 統計をみると日本の退潮は1991年頃から始まっているが、実感では2000年頃から日本という国そのものの雰囲気が変わっていった。 もしかすると、この頃からバブル経済にはいっていった連合王国やアメリカ、ニュージーランドとの対比でそう感じるようになったのかもしれません。 日本に到着するたびに、ねえ、なんだかヘンだよね、と妹とふたりで話すことが多くなった。 むかしみたいに粗野なのも嫌だけど、この頃、日本の人って妙にお行儀がよくなって、静かだと思う。おにーちゃん、そう思わない?と妹が訝りだしたのはちょうど西暦でいえば2000年のことです。 日本橋に「室町砂場」という蕎麦屋があって、この店は義理叔父のむかしからの贔屓の店です。蕎麦ガキと卵焼きが子供のころから好きで長じては、それにお燗がつくようになった(^^)  わしは結局ラーメンは好きになれなかったが蕎麦は好きで、おいしい蕎麦が食べてえー、と述べたら、つれていかれたのが、この店だった。 かーちゃんも気に入ったというので、日本橋にでかけるとこの店に行くことがあった。そのときも、かーちゃんとふたりだったと思う。 品の良いじーちゃんが空席待ちの椅子に座っていて、目の前には灰皿がある。 通路を隔てた向こうには5、6人の団塊おっちゃんとおばちゃんたちがいて、大きな声で話している。 手持ちぶさたなのでしょう。じーちゃんは「マイルドセブン」をポケットからとりだして喫いはじめている。 「あんた、こっちに煙がくるのが見えないのかよ!」と突然団塊おっちゃんのひとりがじーちゃんに怒鳴りはじめる。 「バカかよ。蕎麦の香りが台無しじゃないか!そんなことも判らないのか!」 まだ、ちゃんと日本語が判らないころなので、何を言ってるのか正確には判らなかったが、だいたい、そんなふーなことを怒鳴っていたのだと思う。 じーちゃんは、ちょっとだけ、でも灰皿が、とでも言うように灰皿を指さしたりしていたが、背中をまるめて、まるで物乞いのひとのように頭をさげて詫びている。 わしは不愉快だったので、文句を言いにいきたかったが、かーちゃんが代わりになにごとか言いにいった。 かーちゃんは日本語がほとんどわからないので英語だったと思います。 日本人たちは、なにがなし、びっくりした様子で、しかし、多分かーちゃんが何を言っているのかもわからなかったのでしょう。 要領を得ない顔で、お互いに顔を見合わせていた。 日本のひとが「自分が正しい」と思うと居丈高になって極めて失礼な態度をとる、ということを発見した、それが初めだったと思います。 イギリス資本のInterContinenntalになってしまったが溜池のANAにあるサンドイッチ屋のSubwayで朝ご飯を食べていたら、広場を見渡せるカウンタに座ったわしの背中がなんだかぞわぞわする。 なにごとならむ、と思って振り返ると、およそ10人くらいのゾンビが壁際にならんでジッと虚空を見つめる目で焦点の遠いところをみている。 椅子の上で跳び上がってしまった。 もう少しで恐怖の大絶叫を発するところだった。 日本のひとは、もともと表情をもたないが、だんだんひどくなってというかなんというか、そのあとも、ときどき同様の光景をみかけて、びっくりすることが多くなった。 少しづつ、ネガティブなところが目に付くようになったのは日本の社会に自分の目がなれるようになっただけで元からそういう社会だったのか、実際に日本の社会に変化が起きたのかは、わしには判りません。 … Continue reading

Posted in 日本の社会 | 1 Comment