第二の太陽

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東京は「オカネがかかる」という点ではロンドンに次いで怖ろしいところで、次いで、とは言ってもロンドンのほうは一応オカネがどこに消えたか判りやすい覚悟の上の消え方だから、まあいいか、と思うが日本のほうは、いくら考えてもなんでなくなったのか判らないオカネのなくなりかただったので、ひょっとすると出っ歯でカナツボマナコの貧乏神が取り憑いたのではなかろーか、と疑ったりしたものだった。

広尾山の家からタクシーに乗って銀座か青山にでるというのが最も一般的な一日の(とゆってもたいてい夜だったが)典型的な始まりで、モニとふたりでレストランで夕飯を食べ、銀座にいればたいてい「ビックカメラ有楽町店」に寄って、むひひひ、とつぶやきながらワイヤレスHDMIだのSSDだのグラボだのと買い込み、コンピュータは日本の会社はVAIOの一瞬の光芒を最期に、当時(2009年)は、もうボロ負けを通り越して存在してないみたいなものにすでになっていたが、イメージングテクノロジーは相変わらず超一流で、キャノン(いまはもう全然ダメだが、その頃はまだ良いカメラがあった)やニコンの一眼レフを買って、きゃあきゃあゆってモニとふたりで喜んだりした。

買い物をして荷物が増えると、いったん広尾山まで帰るのがメンドクサイのでT国ホテルに荷物を置いて、もっと遊ぶ。
むかしからブログ記事を読んでいるひとは、もう判ってるよ、うるせーなー、と思うだろうが、ふんなゼータクな、と怒るひとのためにつけくわえておくと、外国人会員宿泊料はとても安かったのであって、プールやジムもただで、決して驕った気持ちでふんふんしていたわけではないのです。(ほんとよ)

東京は思い出してみるとやはり楽しい町だった。
欠点は気温が高すぎることで、4月から10月までは暑くて外を歩き回って遊ぶ、というわけにはいかなかった。遠征の初めの頃は油断していて暑さのせいで気分が悪くなることが多かったので後半は軽井沢に買った「山の家」にいることもおおかった。
涼しい、とされている軽井沢でさえ夏は暑くて30度を越える。
ある午後庭にだしたテーブルでモニとふたりでシャンパンとプロシュートで遊んでいたら滝のような豪雨になって、モニとふたりでびしょ濡れになりながら狂ったひとたちのように大喜びをしたのをおぼえている。
そのくらい暑かった。

毎年12月から3月はニュージーランドにいたかったので結局11月だけがモニとわしにとっての「東京にいる月」だった。
これも昔から読んでいるひとは知っているが、11月と12月の初めに日本にいたので、自分の誕生日はいつも日本にいたことになります。

日本は訪問するたびに元気がなくなってゆく「病んだ友達」のようだった。
むかしむかしチビ妹とチビわしがかーちゃんに連れられて、ストップオーバーで、義理叔父やかーちゃんシスターに会いにやってきたころは成田空港に降りると、なんだか、「わああああー」と沸き返るような空気で、社会全体が活力に満ちていて、わしは日本のテレビをつけて眺めていたらテレビコマーシャルのテンポが連合王国やニュージーランドに較べて速すぎて、目が回って、実際に気分が悪くなって大笑いされたりした。
原宿に行っても渋谷に出ても、人が「どわあああああ」と溢れかえっていて、向こうから渡ってくる「人間の壁」を通り抜けられるはずはない、と考えて顔をひきつらせた。
かーちゃんシスターのアイルランド人の友達がやってきて、日本の会社に就職した初日、山手線の駅で電車を待っていたら満員でぎゅうぎゅう詰めなので、これは事故かなにか会ったに違いないと考えて、他の人間と肌をふれあって電車に乗ったりするのは嫌なので、次の電車を待っていたら、もっとぎゅうぎゅうで、次も、そのまた次も、すっかり混乱して、怖くなって、泣きながら家に帰って会社に出かけられなかった、という話をするのを聞いて、妹とふたりで、こえー、と顔を見合わせたのもこの頃だった。

統計をみると日本の退潮は1991年頃から始まっているが、実感では2000年頃から日本という国そのものの雰囲気が変わっていった。
もしかすると、この頃からバブル経済にはいっていった連合王国やアメリカ、ニュージーランドとの対比でそう感じるようになったのかもしれません。

日本に到着するたびに、ねえ、なんだかヘンだよね、と妹とふたりで話すことが多くなった。
むかしみたいに粗野なのも嫌だけど、この頃、日本の人って妙にお行儀がよくなって、静かだと思う。おにーちゃん、そう思わない?と妹が訝りだしたのはちょうど西暦でいえば2000年のことです。

日本橋に「室町砂場」という蕎麦屋があって、この店は義理叔父のむかしからの贔屓の店です。蕎麦ガキと卵焼きが子供のころから好きで長じては、それにお燗がつくようになった(^^) 
わしは結局ラーメンは好きになれなかったが蕎麦は好きで、おいしい蕎麦が食べてえー、と述べたら、つれていかれたのが、この店だった。
かーちゃんも気に入ったというので、日本橋にでかけるとこの店に行くことがあった。そのときも、かーちゃんとふたりだったと思う。

品の良いじーちゃんが空席待ちの椅子に座っていて、目の前には灰皿がある。
通路を隔てた向こうには5、6人の団塊おっちゃんとおばちゃんたちがいて、大きな声で話している。
手持ちぶさたなのでしょう。じーちゃんは「マイルドセブン」をポケットからとりだして喫いはじめている。

「あんた、こっちに煙がくるのが見えないのかよ!」と突然団塊おっちゃんのひとりがじーちゃんに怒鳴りはじめる。
「バカかよ。蕎麦の香りが台無しじゃないか!そんなことも判らないのか!」
まだ、ちゃんと日本語が判らないころなので、何を言ってるのか正確には判らなかったが、だいたい、そんなふーなことを怒鳴っていたのだと思う。
じーちゃんは、ちょっとだけ、でも灰皿が、とでも言うように灰皿を指さしたりしていたが、背中をまるめて、まるで物乞いのひとのように頭をさげて詫びている。

わしは不愉快だったので、文句を言いにいきたかったが、かーちゃんが代わりになにごとか言いにいった。
かーちゃんは日本語がほとんどわからないので英語だったと思います。
日本人たちは、なにがなし、びっくりした様子で、しかし、多分かーちゃんが何を言っているのかもわからなかったのでしょう。
要領を得ない顔で、お互いに顔を見合わせていた。

日本のひとが「自分が正しい」と思うと居丈高になって極めて失礼な態度をとる、ということを発見した、それが初めだったと思います。

イギリス資本のInterContinenntalになってしまったが溜池のANAにあるサンドイッチ屋のSubwayで朝ご飯を食べていたら、広場を見渡せるカウンタに座ったわしの背中がなんだかぞわぞわする。
なにごとならむ、と思って振り返ると、およそ10人くらいのゾンビが壁際にならんでジッと虚空を見つめる目で焦点の遠いところをみている。
椅子の上で跳び上がってしまった。
もう少しで恐怖の大絶叫を発するところだった。
日本のひとは、もともと表情をもたないが、だんだんひどくなってというかなんというか、そのあとも、ときどき同様の光景をみかけて、びっくりすることが多くなった。

少しづつ、ネガティブなところが目に付くようになったのは日本の社会に自分の目がなれるようになっただけで元からそういう社会だったのか、実際に日本の社会に変化が起きたのかは、わしには判りません。
ただ、わし個人の目には、日本がだんだん窮屈になって、一方では本来のエネルギーが失われていったように見えた。

わしは日本では「5年に渉る11回の大遠征」とゆっても、要するに最初から最後まで「お客さん」だったので、ダイジョーブかいな、と思っても、それほど深刻に心配したわけではなかった。
いま考えても日本語インターネットではしゃいで回っているひとたちは人間としての礼儀がほぼゼロで、名前を出して悪いが特に「はてな」の「市民」なるひとたちは噴飯ものであったと思うが、何千人が集まって「この悪党め}と囃し立てても、あんまりピンと来なかったのは、やっぱり「お客さん」だったからでしょう。
理由はあったが、実験動物として扱って悪かった、と思っている。
しかし、そのおかげで日本の社会について考えるための良い資料ができたのでもある。

インターネットから離れて現実の世界の日本のほうは、もう正直に言ってしまうと、ひたすら楽しいだけだった。
考えてみると、日本であったひとたちはどのひとも社会的に恵まれたひとたちであって、そのせいもあるのかも知れないが、豊かな社会だけがもちうる、礼儀正しい、親切なひとたちで、
おもいだすままにあげても、クルマのデザインチームのひとびとや、分野はテキトーにごまかしたいと思うが理系研究者たち、上級公務員たち、画廊の持ち主、出版人、政治家、実業家、年が上のひとが多かったが、率直に言って日本の場合はインターネットで行われている「言論」や往来する「人間」についても現実社会のほうが遙かに高い質をもっているように見えた。

インターネット上よりも現実社会のほうが質が高いと感じられるのは取りも直さず、社会の良質な部分がインターネット上には往来していないことを意味していて、もしかすると日本にとってはおおきな意味があるマイナスなのかもしれません。

「国際社会に対する感覚」という点では(所謂)「理系研究者」がもっともすぐれている、というか、ふつーで、それは研究生活を通してさまざまな外国人との交流があり、しかも競争を伴った交流で、いわばアメリカ人ならアメリカ人の「素顔」の横顔を見ながら数年間を過ごしたことに理由があるよーでした。
日本では世界のどんな他の場所でも聞かれないような無茶苦茶な理屈が聞かれて、実際、そういう理屈をまくしたてる日本のひとにあって意見を拝聴するのは、わしが日本にいたときの人の悪い楽しみでもあったが、日本の外国での研究生活の経験がある科学者たちは、そういう良く出来ているだけでバカげた理屈から自由な人が多かった。
世界に伍して云々よりも、競争相手が世界中からやってくるのは元から当たり前の世界だからでしょう。

一方では、「全然ダメ」だったのは80年代にロータリークラブで留学しました、というタイプのひとたちと日本の会社の駐在員として5年間ニューヨークにいました、という類のひとたちで、このひとたちは、どーしよーもない、というか、2年かそこいらを外国に暮らしたということが返って災いして、どこにも存在しないアメリカや、ほとんど通じないドイツ語やフランス語で悪戦苦闘したあげく自分の頭のなかででっちあげた欧州を日本に持ち帰って奇妙な本を書いたりしている人が多かった。
ニュージーランドのようにアジアや欧州、アメリカというようなところへ誰もが何年かでかけて住むのがふつーの社会では起こりえないが、むかしなら松岡洋右という良い例がある、「わたしはアメリカに住んでいたのだ」「ぼくはフランスにいたのだ」ということが返って災厄になって一生せっかく自分が興味をもった社会を誤解して終わるひとが多かった。
留学中に嫌な目にあったのでしょう、欧州人とみれば「人種差別主義者」と自動的に罵り出す気の毒なひとたちには、こういう素性の人が多いようでした。

日本の社会のよいところは、万事物腰がおだやかで、普通の人でもどこか、どんな災厄に対しても覚悟ができている、というようなところだと思う。
「なに、そんなものは表面だけで、内心は薄汚いんですよ」という日本のひとにも多くあったが、仮にそうだとしても表面だけでもいつも穏やかにしていられるのは「文明」というものである。
人間には自分というものが判らないので、わからないなりに、おだやかで礼儀正しくしていようと思うのは正しい。
偽悪的なスタントなどは田舎者のやることで、傍迷惑なだけであると思う。
親切をむきだしにして、マヌケに見えても、人間は他の人間に対しては礼儀正しく穏やかに接するほうがよい。
日本のひとは、実際、連合王国ならば青い作業着を着て、荒っぽい言葉づかいで、話題と言えばサッカーのことくらいしかないひとびとと同じ社会的立場でも遙かに知的なひとが多かった。
そうした底辺に至るまで知的な社会の特性は、日本が欧州やアメリカよりも遙かにすぐれたところで、それを疑う人は(何回も繰り返すようだが)特に80年代や90年代の「インターフェース」のような雑誌を入手して読んでみるとよい。
日本のひとが、たとえば大学に行くチャンスがなくても、いかに「ものを知りたい」自然の欲求をもち、いかに高度な知識を身につけていったか判ると思う。
西洋人なら明日の夕食しか思い浮かべられない状況でも、人間の一生の意味や天上の星について思いをめぐらす人がたくさんいるのが日本の社会だという印象がある。

西洋的な観念から見た「自由主義」「民主主義」という立場からは、日本はひどい落第生で、極めて後進的な国なのは下地真樹逮捕事件をみるだけで一目瞭然だと思う。
違法なことなどなにひとつしていなくてもただ「警察が嫌いな人間だ」というだけで日本では誰かを逮捕できる。
しかも日本では「逮捕」されれば「あれは逮捕さるようなひとだ」といういかにも未開社会らしい評判までついてくる。
その点では、論議の余地がないほど「遅れた国」で、件のアメリカ人観光客逮捕事件もそうだが、さまざまな点で日本が法治国家とは到底呼びがたいこと、民主主義はまったく根付かなかったことは、ルーシー・ブラックマン事件や他の事件を通しても、英語世界にもよく知られていることだと思う。
マジメに「日本は民主主義国家だ」と思っているのは日本から出たことのない狂泉の水を飲んで暮らす日本のひとだけだと思います。

だが一方で、西洋的な民主主義とはなじまないところで、日本には原理主義的なほどの「平等情緒」がある。
どんなに生まれ落ちた環境が異なっても、自分も彼も一個の人間である以上、まったく同じであるはずだ、という強い信念がある。
考えてみると、これは興味深いことで、西洋では人間がひとりひとりそれぞれ能力から何からすべて異なるという前提を当たり前のことと認めた上で、個人の自由や民主主義の政体を採用しているのに、日本では丁度まったく反対に民主主義や自由主義を社会全体がほとんど情緒のレベルですら否定しているのに、あたかも人間の能力が万人において等しいかのようにみなして全日本人の平等を訴えている。

日本では「非望の平等主義」とでもいうべき考えと情緒が社会を覆っていて、それを西洋の民主主義と混同しつづけてきたことがいまの混乱を招いているようにも見えます。

日本食があんまり好きでなかった割に、ときどき、天一本店の天丼がくいてえー、と思ったり、年中暑さで死にかけていた割に夏の青山が恋しいと思ったりするのは、案外、日本がもつ独特の輝き、一見西洋的に見えて日本のひと自身も西洋風だと思い込んでいるが、その実、日本にだけ独自の不思議な社会哲学に染められた、神秘的な色彩の社会をなつかしんでいるのかもしれません。

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One Response to 第二の太陽

  1. esatto says:

    こんにちは。今年に入ってガメさんのブログを発見、以後楽しく興味深く読ませて頂いております。
    私はいわゆる日本の人ですが現在NZダニーデンに在住、4月からは連合王国マンチェスターに移住します。
    特に何があるわけでもないのですが、ただガメさんの感性は素晴らしい!と感じたのでここに記しておこうかなと思った次第です。
    ちなみに私今年から主夫なので(主婦じゃなくてね)家にいる時間が多くなる予定、ガメさん気が向いたらぶらりと我が家にご飯食べに来てください(笑)。

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