いつかどこかで

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Tamaki DriveはCBDの埠頭があるQuay Streetが名前を変えて、Judges Bay,Okahu Bay, 海辺の繁華街であるMission Bay, (いまグーグルの地図を見ると名前は載っていないが沿道で最も美しい)Kohimaramaの浜辺をめぐってSt. Heliers Bayに至る、海沿いの風景の美しい道です。
前にも書いたが、ところどころには戦争中に日本軍が南下して来たときに大慌てでつくったトーチカがある。
海の向こう側にはなだらかな山容が美しいランギトトが見えていて、たとえばコヒマラマの海辺にあるドイツ料理屋でポークソーセージに山盛りのマッシュドポテトとザワークラウトがついた皿を肴にビールを飲んで、そのあとも物足りなければ白ワインを何杯か飲んで、砂浜や遊歩道、あるいはボードウォークをふらふらと歩いて酔い覚ましをするにはとても良い道だと思う。

もちろんいまはGoogle Street Viewというものがあるのでグーグルの地図のなかに降りてみれば、どんな道なのかはすぐに判る。
地図の中のコヒマラマの浜辺で海の側を向いてみれば真向かいにおおきく広がっているのがランギトトで右側の遠く遙かに微かに見えているのはフェリーでオークランド中心市街と結ばれた、大きな住宅地とヴィンヤードがあるワイヒキ島です。

ボードウォークに沿ってベンチが並んでいる。
ベンチは(たいていは遺言による)寄付で贖われるので、
ベンチの背には寄贈したひとの名前をしるした小さな真鍮のプレートが付いている。
なかにはサカムラxxという日本の人の名前のものもあって、ベンチに腰掛けて、どんな一生を過ごしたひとだろうなあ、と考えてみたりする。
亡くなった年がニュージーランドがアジア人排斥運動のただなかにあった1996年なので、なおさら、いろいろなことを考える。

ベンチに座って、波打ち際を身体を前屈みにして懸命に凝視して、波が返し始めると、怖くてたまらないというような、歓喜をきわめたような、あの小さな子供の特有の叫び声をあげて全速力で走ってやってくる波から逃げてくる子供や、おもいおもいに水着をつけて、あるいはトップレスで、日光浴をしている女びとたち、広い肩を真っ赤に日焼けさせて、ビールの瓶を手に持って沖合をみつめている男たち、浜辺にいるひとびとを眺めているだけで1時間くらいはすぐに経ってしまう。

わしが子供の時と異なるのは、行き交う人々の話す言葉が英語だけではなくて、イタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語と随分いろいろな言葉が増えたことで、まるで東欧の町みたいだとgrumpyなじーちゃんやばーちゃんたちが鼻を鳴らすロンドンほどではないが、多い日には半分以上の人が大陸欧州人であると感じられて、ニュージーランドも変わったよねーと考える。

世紀が変わって21世紀になったちょうどその頃から人間と国の関係は音を立てるようにおおきく変わった。
個人が生まれた国ではなくて自分が住みたい国に住むのは、特に決意が必要なようなおおげさなことではなくて、当たり前のことになった。
高校生活を終えると、あるいは大学生活を休憩して、アイスクリーム工場やマクドナルド、ファームハンドのパートタイム仕事でためたオカネで、30万円もあれば買える世界一周航空券を買って、ワーキングホリデービザやおおきい声ではいえないが就労ビザなしで、アジアから欧州へ、欧州からアメリカへ、アメリカからオーストラリアへ、少しづつ移動しながらいろいろな国や社会を見て、気に入った国があれば、そこにとどまって生活を始める。
日本のひとでもそういう若い人はたくさんいて、こうやって書いていて思い出すだけでも、メキシコのホテルのコンシエージュで、「よく理由がわからないけどメキシコが気にいっちゃったんで、観光旅行に来たままもう5年も住んでるんですよねー」と屈託なく笑っていた女のひとや、バリバリのハマッコで、日本人の女なら要するにsexually availableでちょろいよなと考えて言い寄ったアルバイト先のインド料理屋のマネージャーを横浜人らしい啖呵で怒鳴りつけて以来、当のマネージャーも含めたインド人店員全員の尊敬の対象になってしまい、マネージャーの真剣な求婚も笑いとばして3ヶ月が経ってニュージーランドからオーストラリアに去る頃には、「あの子、いなくなっちゃったんだよ」とインド人たちが目に涙を浮かべて教えてくれるほどだったYさん、何人も思い浮かぶ。

わし自身もだが、まわりを見渡してみても、パスポートを複数の国籍にまたがってもっているひとは普通で、むかしから愛国心がぜんぜんないので有名な連合王国人兼業者が最も多いが、ベルギー人でアメリカ旅券をもっていて、ありっ?ベルギーとアメリカってパスポート両方もてないんじゃなかったっけ?と気が付いて訊くと、唇に人差し指をあてて「シィイイー」と眉根を寄せてみせるベルギー人おばちゃんのようなひともいる(^^)

国のほうでもマジメにやらないと選んでもらえないのが判ったので、移民プログラムを工夫したり、法人税をゼロにしてみたり、綺麗なねーちゃんやハンサムなにーちゃんを大量に他国から特別ビザで移民させたりして、という最後のはウソだが、もう最近では「やれることはなんでもやってみる」必死さで、優秀な他国人に定着してもらおうとする。

義理叔父が初めてニュージーランドにやってきたのは1980年代だが、その頃はクレジットカードやトラベラーズチェックの日本語のサインをうけいれてもらえない店がたくさんあったという。
本物かどうか目がなれなくて判断が難しい、という理由だそうでした。
帰りがけに空港の売店で「ウォークマン」の電池を買ったら空港のセキュリティチェックで電池を捨てさせられた。
まだその当時は連合赤軍が起こしたダッカ事件やテルアビブ空港乱射事件の記憶が生々しい頃で、外国人の扱いになれていなかったニュージーランドでは日本人だけを別のグループにして、ほとんど容疑者扱いだった、という。
日本のパスポートは情けないほど信用がなくてグループツアーなら別だが大陸欧州でも日本のパスポートでひとりで旅行しているとあちこちの国で別室に連れて行かれることが多かったと他のおじちゃんたちも述べている。

義理叔父は空港で買ったんだけど、と抗議しかけたが、クライストチャーチ空港職員のあまりに横柄な態度にむっとして、もうどうでもいいや、と諦めかけたら後ろに立っていたアメリカ人にーちゃんが猛烈な勢いで怒り出して、「その電池は、このひとの所有物じゃないか!それを勝手に没収して捨てるなんてバカがあるか。いったいどんな規則があって、そんなことが出来るというんだ。バカか、おまえは」としまいには大声で怒鳴りだしたので、セキュリティゲートが騒然となった。

わしでも目の前でたとえば中国の人が中国パスポートだというだけで不当な扱いを受ければ同じように怒ると思うが、アメリカ青年の奮闘もむなしく結局電池は捨てられてしまった。

あるいはずっと後で、かーちゃんシスターと結婚したあと、サムナーの浜辺に近いハンバーガー屋で、こんにちわー、と入っていって、ブラックボードをみあげて注文しようと目をもどしたら、店の主人が黙って奥にはいっていったまま、いくら呼んでも戻ってこなかったそーである。

義理叔父の人種差別、あるいは日本人嫌いに対する反応は簡単で、「人種差別は、差別する方の問題でおれの問題じゃないから、おれの知ったこっちゃねーよ」というものです。もうひとつの義理叔父の人種差別についての意見の「白人の人種差別と言いたがる日本人は自分が人種差別主義者なんだよ。経験から言って人種差別の話をしたがる人間は必ず人種差別主義者だと思う。ガメは、ブログとかでそういうヘンタイみたいなバカなやつにいちいちマジメに応対しすぎる」と並んで、ぬわるほどと思う。

個人が住む国を選ぶことが普通になったことには、現代の個人が社会の側から世界を眺めることをせずに個人の側から世界を見て、社会を相対化する視点を獲得したことにも関係がある。もともとは欧州の思想である「愛国主義」は当の欧州では国権主義の衰退とともに流行らなくなって、とうとう国境まで「一応ここまでフランスだからね」という象徴としての線に変えてしまった。
わしガキの頃はまだもぎとるようにパスポートをひったくって威張りくさっていたフランス国境の役人のことを思い出すと、呆気にとられてしまう変化で、
人為的に作られたものは人為的に廃止できるのだ、というのは理屈の上ではあたりまえでも、いざ現実をみると、なあーんだ、たったこれだけのことなのか、と拍子ぬけしたような気持ちになったのをおぼえている。
フランスとイタリアの国境などは、なんだか面白いというか、橋を渡ると突然言語がフランス語からイタリア語にかわり、橋のフランス側ではバゲットにエメンタールとハムをはさんだサンドイッチを売っているのに、イタリア側ではいきなりパニーニに変わる。
「放射脳のバカどものせいで福島の風評被害が広がり、福島県経済が打撃を受けるのが判らないのか」というのを大阪のひとが言っていたりすると、一瞬、頭が混乱して、なにがどーなってるんだ、と考えるのは、日本では社会の側にたって物事をみるのが普通で個人の立場から世界を見る習慣がないことを、こちらが忘れてしまっているからだと思う。
自分があたかも政府や自治体の部分であるかのように頭のなかで想定してみると、日本の社会で行われる理解しがたい議論の殆どは理解できるようになるもののよーでした。

イギリス人、ロシア人、日本人、というような「レッテル」を自分の魂から剥がして、ぼんやりと浜辺に立って海をみていると、自分が向かい合っている世界の向こう側から「自然」としての世界が立ち上がってくる。
人間がつくったルールよりも自然に内在するルールのほうが遙かに普遍的で強力であることが実感される。
同じ人間である仲間にロシア人であればロシア語で、フランス人とはフランス語で話しかけて、なにを言ってるんだか判らないイルカたちとは、手をふったり甲板の上で跳びはねてみせたりして意思の疎通を試みる(^^)

うまく言えないが、自分がひとりで地面の上にたっていて、どんな場所へも自分の意志ででかけて、どんなことも自分とだけ相談して決める「自分が、一個の閉じた全体である」感覚は自分が人間であるという感覚の基礎であると思う。
日本国国民であったり、トーダイ人であったり、ましてやソニーの課長さんが自分なのではレゴのブロック一個にしか過ぎなくて、自分というブロックが全体のブロックにぴたっと合うのが達成感の源では、いくらなんでも「自分」というものが気の毒であると思う。

夏になると、インド人たちは大家族で浜辺にやってきて、まるで家庭バッフェと名前をつけたくなるような、ダル、チャナ、アルゴビ、さまざまなカレーをひろげて、ロティをちぎり、バジやサモサも片手に、芝にひろげたおおきな布の敷物の上でラジオもつけて、ボリウッドの音楽をかけて、子供たちはふざけて踊ったりしている。
ポリネシア人たちも、タロや豚のグリルを食べながら、おおぜいで寛いでいる。

アフリカの小さな村を7万年前に出て、「緑のハイウエイ」をたどって世界中に拡散していった人間は、いままた世界中の街角で邂逅している。
人間の魂が不滅で、肉体だけを取り替えながら意識の奥底の冥海で記憶を保持しつづけているという信仰がほんとうなら、「長いあいだあわないうちに、ぼくはすいぶん白くなってしまったし、きみはずいぶん黒くなっちゃったんだね」と魂同士が呼び合って、可笑しがっていることだろう。
最新のDNA解析の結果が「人種」という概念を科学的には意味のない概念として否定しさった、もっと簡単に述べれば「人種」などというものは種のレベルでは存在しないのだと証明してみせたことには未来から振り返ったときには、いま考えられているよりもずっと大きな意味を人間の文明にとってもたらすことになると思う。

コーナーをまわって、肩と肩がぶつかって、うひゃあ、すまんすまん、と言いながら相手が道路に取り落とした紙袋からこぼれた品物を拾って渡しながら、このひとはアフリカ人だが、どっかで見たことがあるひとみたいだ、なんだか懐かしい感じがする、とじっと相手の目をみつめる金髪のにーちゃんがいる。
知らないひとなのに、いきなり私の目をじっとみつめるなんて、なんて失礼なパツキンにーちゃんだろう、と考えながら、でも初対面なのに、なんだか会えなかったら途方にくれてしまったかもしれないような不思議な感じがするのはなぜだろう、と訝るアフリカ人の女びとがいる。
もういちど、どこかででくわせば、ふたりはきっと一緒に夕飯を食べにいくだろう。
やがて週末のカウチで、アフリカ人のねーちゃんは欧州人のにーちゃんの太腿の上に褐色の足を載せて、美しく伸びた腕をカウチの背にくつろがせて、やさしい声で朝まで語り明かすだろう。
7万年の時空を越えて魂たちが呼び合う声が、またお互いに聞こえるようになった。
もう会えないと思ってたよ、と、世界中の町角で、肌の色が違い、骨格が違い、母親が話す言語も違うひとびとの魂が、ふたたびめぐりあえる時代にもどってきたのだと思います。

(いえーい!)

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5 Responses to いつかどこかで

  1. iro says:

    最後の段落で涙がこぼれました。
    あったかい言葉が欲しくていつもここにきてしまいます。

  2. says:

    わしも泣いてしまったなあ。
    また泣かされてしまったわい、とコメントしようと思ったけど、それより、いきなりだけど、私は私とガメさんとガメさんの文章に誓って、幸せになるぞ。
    日本人、及び日本語人に生れてしまうと、「自分」に気づいて幸せになるのは本当に困難だが、私は幸せになるぞ。
    少なくとも、今まで無視に押し込めに押し殺しを重ねてきた、自分の声を、きく姿勢でだけは、いようと思う。
    今まで自分など「なかったこと」にしてきたことを詫びて、ただもう、私の幸せのために、手を取り合っておくれんかのう、と、今まで何度か頼んでみたことはあったが、毎回「今までムシしまくって何や今さら」と凍傷にかかったような無関心が返ってくるだけであった。

    けど、最近、ちょっと変ってきてる。
    また報告できたらうれしいっす。

  3. esatto says:

    ガメさん、コメントの返信ありがとう。なんかうれしいなあ。

    私日本の人、奥様はイタリアの人、子供はKiwi girlですが我々にとってはただ一つの家族です。まだ日本ではいわゆる国際結婚というものが珍しく(以前よりは増えてると思うが)思われる風潮がある。NZにいる時は自分の国籍なんか意識することはないが、日本に帰国するたびに「あ、俺って日本の人だったんだ」って意識させられます。

    私の子供にしても今はKiwi girlだが将来はイタリアの人、または日本の人、もしくは連合王国の人になるかもしれない。人間が作った枠組みにはめられてしまう今の世界から抜け出す為には、まず自分が「人間」だって事に気付くことなのかなあ、と南半球の果てからボーとしながら考えてる日曜の午後、最近珍しくダニーデンは良い天気が続いてます。うれしいなあ。

  4. >最近珍しくダニーデンは良い天気が続いてます。

    今年は去年と違って天気がよくて良い。
    オタゴの夏は特に良い。
    ラッキーですのい

    • esatto says:

      良い天気が続いてると書いた途端いつものダニーデンの天気に逆戻り、昨日今日と強風&雨&晴れの繰り返し(笑)。こんな日は生まれたての赤ちゃんと家でのんびりするのが一番です。

      オタゴの内側の夏は私から言わせると本当の「夏」なんですが、ダニーデンの夏
      は気温もそこまで高くならず(20度前後)私にとっては天国です。ちなみに日本(東京)の夏は私にとって地獄です(笑)。

      4月から移住するマンチェスターの夏はどうなんだろ。UKはロンドンとその他のちっちゃい街しか行った事ないんです。行った事の無い街に移住するのかよ!と突っ込みが入りそうですが事実なんです。人生って面白い。奥様仕事頑張ってね〜。私は子育て頑張ります!

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