カレーライスの味

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クライストチャーチよりもオークランドにいることが多いのは、モニがオークランドのほうが好きであるというのが第一の理由で、モニがオークランドのほうが良いといえば第二の理由はあってもなくても同じだが、インド料理がクライストチャーチよりも遙かにおいしいという理由がある。
インド料理はカレーだけではないのはあたりまえだが、思い出してみると日本のひとと話す時にカレーは楽しい話題であって、なんとなくカレーの話がしたいと考えた。

郊外のジャクソンハイツというようなところへ行けば別だがマンハッタン島のなかには、あんまりおいしい店はない。
Lexington Aveのマレー・ヒルあたりに何軒か固まってあるが、MSGが多いのと味がアメリカ人向けにスパイスを減らしてあるのとで、あんまりおいしくない。
まして昼間は、バフェで、自分でカレーをみつくろってよそう方式なので、想像が付くというか凡庸な味です。下の写真のような感じのお皿をつくって食べることになる。

curry1

ニューヨークと東京のインド料理屋のシェフたちの悩みは、話してみると共通しているようで、「スパイスの違いがわかってもらえない」ということにあるよーでした。
いくら高価で新鮮なスパイスを使っても、よい反応が返ってこないし、安いスパイスでごまかしても文句が出ない。
レストランの主人はそうなればスパイスの原価を安いものに抑えようとするので自然カレーはどんどん不味くなってゆく。

インド人シェフ達からみると「東京もニューヨークもカレーの味がわかってくれないからつまらん」ということになるが、日本人からすると、インドのカレーだけがカレーではないので、自分達がアレンジしてきた「カレーライス」はすでに悠久の歴史を誇っているのよ、という言い分がありそーです。

アメリカでは実はカレーがいちばんおいしいのはミルピタス
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/27/milpitas-ミルピタス)/
のようなコンピュータ産業の工場やウエアハウスがたくさんある町で、インドのひとびとがごちゃまんと住んでいるので、下の写真のような無茶苦茶おいしいカレーが並んだタリの上にでっかいドサやロティあるいはチャパティがのって出てきてたった10ドルである。

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イギリス海軍はなにしろ階級社会ばりばりの国(ちょっと信じがたいがいまでもそうです)(ほんとうに先進国なんだろうか)の海軍なので、水兵の食事などはかぎりなく豚の餌に近い食べ物で遠洋航海の終わりになると肉が腐るので、腐った肉を食べさせる工夫として、インド人もすなる、スパイスをぶちかけた「カレー」というものを発明して、ライスの上にぶちかけて食べさせることにした。
これがイギリス海軍のコピペで発祥した日本帝国海軍に受け継がれたのがカレーライスで、日本人らしい洗練がくわわって、海軍水兵の豚の餌から、仲間にうまいものを食べさせたい一心の海軍厨房人の努力が加わって英国海軍カレーよりとだいぶん違った遙かにうまいものを出したもののよーである。

歴史を調べてさかのぼると銀座「Tops」というレストランが嚆矢に見えるが、もしかすると神保町の高山書店があるビルのなかにある「ボンディ」のほうが早いのかもしれない、そのうちに「欧州風カレー」という、不思議なものが出来て、それは1960年代の終わりだが、だって欧州にカレーないじゃん、とふくれっつらをするのはお行儀が悪いというべきで、たとえば「ボンディ」の公式ページをみればちゃんと「欧州風ソースを使ったカレーなので欧風カレーと呼ぶ」と書いてある(^^)
欧州にあるような高級なカレー、という意味ではないのです。

日本のように広汎ではないがイタリアにもイタリア風カレーというものがちゃんと存在して、リゾット風のものです。(下の写真はフロレンスのチキンカレー)

curry2_1

自分の文化のなかでよそからやってきた食べ物をとりこもうとする努力の様式においてイタリア人と日本人は似ていると言えなくもない。

連合王国ではインド料理が国民食で、スコットランドやウエールズ、北アイルランドといったイングランドとはまるで共通点がない国々がまがりなりにも連合しているのは、ゆいいつの共通点としてカレーを食べるからだとゆわれている。
インド人がもたらした偉大な食文化が、偏狭なイギリス人をして心を開かしめているのだとゆってよいと思われる。
インド人に聞くとヨハネスブルグのほうがおいしいと言うが、それでもロンドンが二番目でオークランドが三番目くらいにインド料理はうまいという。

日本とは異なって、オークランドのカレーはだから、まったくのインドのカレーで、ロンドンのようにコンテンポラリー・インディアン
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はないが、普通のカレーはケララ、ムンバイ、…いろいろな地方のカレーが食べられる。
ランチで10ドル(750円)、夜で16ドルくらい。

日本にいるときには、特に初めの頃はCoCo壱番屋によくでかけた。
わしは日本の田舎が好きだったので、よくクルマで旅行に出たが、食べられるものがいまいちよく判らないのでCoCo壱番屋に、2時や3時という時間に行くと、ブラジル人のカップルであふれていて、カレーという食べ物の普遍性にカンドーしたりした。

1964年にS&Bカレーが「インド人もビックリ」
http://www.sbcurry.com/qa/history_2.html
の「特製ヱスビーカレー」を発売して、日本にライスカレーブームが訪れる。
日本語の文章を読んでいると、ライスカレーがいかに「家庭の幸福」と分かちがたく結びついている食べ物なのかがわかって、こういう食べ物は英語世界で言えばなんだろう?と考えてみるが、適当な食べ物が思いつかない。
じゃがいもがごろごろとはいっていて、家庭によって異なったらしい輪切りのニンジン(注意してみると初めの頃のライスカレーはニンジンが縦切りでなくて輪切りのものが多かったようだ)
前にブログ記事で書いたように実際に自分で作ってみると豚バラ肉がいちばんおいしいようだったが、日本ではカレー用という、多分チャックステーキをダイスに切ったものだと思うが、牛肉をいれたものが人気があるよーでした。
たまねぎをいれて、色が変わるまで炒めて、牛肉をいれて、また炒めて、ニンジンをいれて、ぐつぐつと煮て、ジャガイモをいれる。
ジャガイモが崩れて粘度が高くなるのが嫌なひとはジャガイモを別に水煮、あるいはコンソメで煮てルーと一緒にいれる。
日本のひとなら誰でも知っているチョー簡単な料理だが、ニュージーランドのように味覚が保守的なひとが多い国でも、日本の「インスタントカレー」は好きな人が多くて、ふつーのスーパーマーケットでどこでも売っている。
マンガにも小説にも映画にも家族が一緒にカレーライスを食べる光景は日本という国ではなんども繰り返しでてくる。
「カレーライス」という歌まである(^^)
https://www.youtube.com/watch?v=jrLRPXxTcCI

カレーライスといえども文化なので、国によって著しく異なる。
いつかわしの好きな日本語インターネット人がバターチキンについて書いているのを読んでいて、バターチキンはインド料理がインドからの移民とともにダイレクトにはいってきたイギリスやニュージーランド、オーストラリアというような国では、「初心者のカレー」というか、カレーの味がよくわからない人が注文するカレーなので、「バターチキン」を精確に定義しようと試みている文章を読んで、おおおお、と思った。
決して皮肉な気持ちではなくて、ひとつの文化から来たものがもうひとつの文化に取り込まれてゆく現場を目撃したような気持ちがしたからです。
余計なことを書くと、その文章を読んでからインド人の友達と会ったときにふと思いついて「バターチキンの定義ってなんだ?」と訊いたら、「きみたちイギリス人が食べられるカレーの総称だよ」と言って可笑しそうに笑っておった。
初めインドから来た移民がスパイスの味がわからないマヌケな味覚のイギリス人客への対応に困り抜いて「マヌケイギリス人」用に発明したのがバターチキンというメニューで、予想通り、というかベースはチキン・ティカ・マサラだそーでした。

オークランドではたとえばモシャムというフィジーから来たインド移民が経営するおおきなスーパーマーケットがある。フィジーはB.C.時代(紀元前という意味ではなくてフィジー人の隠語でBefore Coupという意味です)においてはインド人の南太平洋における貿易センターだったので、オーストラリアのおおきなインド系スーパーマーケットもフィジー系のものが多い。
フィジー系のスーパーで飽き足りない場合はもっと規模が小さい店が多いいろいろな地方の(それぞれの地方色がある)インド料理素材店へ行く。

現代の若い共稼ぎインド人夫婦に招かれて家に遊びに行ってみると、日本と同じ、というか、「Mother’s Recipe」シリーズで有名なDesai Brothers
http://www.mothersrecipe.com/InnerPages/Indian/Default.aspx
や、Parampara Foodのスパイスミックスを使って、それに鶏肉をいれて終わり、という日が多いようだ。
細かいことを言うと、たとえばギーはバタの代用品だから、という言葉が出てきて驚いたり、びっくりすることがたくさんあるが、そんなことを述べていると永遠につづく「うしなわれたときを求めて」のようなブログ記事になってしまうのでやめる。

書いているうちに飽きてしまって書けなくなってしまったが、カレー自体はインドのカレーにずっと近いのに豆腐やなんかの点で日本料理の影響が強いと本人たちが自認するマレーシアのカレーやシチューだと言うが誰が食べてもカレーなエチオピアのカレー、インド人たちが「インド風中華料理」と呼ぶだけで中国人たちが「こんなんが中華料理のわけないやん!」とぶんぶんぶんと首をふるインド風中華料理カレー、ついでに述べると、どっからどこまでも日本のカレーなのに名前はポルトギーズチキンである中華料理のカレー。それとは別にあって、上から照り焼きソースがかかっていたりする中華料理屋の「日式カレー」、そしてもちろんタイランドの洗練されたソースのカレー、カレーは世界中にあって、無限に近いバリエーションをもち、しかも定義がなんだかよくわからないところがオモロイ食べ物であると思う。

日本の友達とニューヨークの鮨屋に行くと、ほとんど例外なく「こんなの鮨とはゆわん!」と言って怒る。
ところがインドの友達は、みな、これ、うまいなと言いながら「日式カレー」を食べる。
狭量だというようなことではなくて、ものにこだわる、こだわりかたが異なるので、文化が違うのがよく見えてこれもオモロイ感じがする。
そんなことに理屈をつけてみるのはバカだが、記事そのものがバカ記事なので、バカバカバカにも理屈を述べると、インドというのは国そのものが巨大なdiversityの国であって、言語も違えば宗教も皮膚の色も異なって、ほしたらインド人ってなんやねんと他の国のひとがいいそうなものなのにインド人は厳然としてインド人です。
わしは自信をもっていうが、当のパキスタン人やインド人が絶対にそんなことは起こらないというのも知っていてもパキスタンとインドも遠からず(と言っても50年という単位だが)ひとつになるに決まっている。
インドを「インド」たらしめている力は西洋人には定義できない異様な求心力をもつ力であるからです。

「カレー」は、そういうインド文明がうみだした食べ物らしく、あちこちの国でカレーはガラムマサラのことだ、カレーと言うものは存在しないのだ、ともっともらしくいろいろなひとが述べている。
そういうしかつめらしい議論を聞き流しながら、インド人たちはアルゴビミックスやチキンティカマサラミックス、パラクパニルミックスと並べてへーきで「チキンカレーミックス」や、外国人たちが唱える正統カレー理論によればありえないはずの「ビーフビンダルー」まである(^^;)

むかし義理叔父がみせてくれた日本のドキュメンタリーに両親に虐待されて、何日もアパートメントのテラスに放置されて餓死した子供の話があった。
近所のひとたちが何度も電話したのに何もしなかった児童福祉相談所の所長が、「わたしたちとしても最善を尽くすべく議論を重ねたのですが、虐待されているという確かな証拠をみなさんが集めてくださらなかったので、手をだすわけにはいかなかった」と述べるインタビューで終わるそのドキュメンタリーで、子供が息をひきとる前に最後に言った言葉が「おなかがすいた。カレーがたべたい」だったというところで義理叔父とわしと従兄弟のいいとしこいた3人の男は、身も世もなく、おいおいと大声で泣いたものだった。

カレーは日本では人間の家庭の幸福とまっすぐにつながっている食べ物であるような印象はだいたいその頃にできあがって、日本でカレーを食べるたびに、それが蕎麦屋のカレーであれ、インド料理屋のチキン・ティカ・マサラであれ、駅のスタンドの不思議な味のするカツカレーであれ、いつも「日本の家庭」ということを考えた。
遠くから「カレーがたべたい」という、空腹にたえられなくなったちいさな子供の声が聞こえるような気がしたものでした。

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