Monthly Archives: February 2013

はっぴー

日本語になおすと「幸福の科学」で四谷大塚進学教室のシステムをコピペしてつくった新興宗教みたいだが「Happiness Reseach」は人気のある分野で、ハーバード大学の講座のなかで最も人気があるのも、この「幸福の科学」である。 アメリカで最も人気があるのは件のドーパミン理論で、最もドーパミンが放出されやすい状況を最も幸福になりやすい状況と定義してさまざまなリサーチを行う。 遺伝的因子が5割、オカネモチであったり社会的地位が高かったりの社会的成功の要因が1割で、残りの4割の要素である友人関係や家族、過ごす時間の質、というようなことを考え直してディプレッションを回避したり、幸福感を増大させようという思想に立った科学である。 英語世界では「世界で最も個人が不幸な国」と言えば、ほぼ自動的に日本をさす。 そんなバカな! いいかげんなことを言うと承知しないぞ! という声が聞こえてきそうだが、ほんとうなものは仕方がない。 日本が世界で最も不幸な国であるというのはただの常識であると思う。 日本の人の面前でそんなことを言うひとはいるわけがないので、こういう話は日本のひとの耳が届かないところで英語人同士でしかなされないことを考えると、アメリカに20年住んでいるという日本の人でも、日本語のメディアばかり見ていれば、周囲のアメリカ人が「日本ほど個人を不幸にする社会はない」と思っていることにまったく気が付かずに、アニメを通して憧れの国だと思われていると錯覚して、毎日とくとくとしてアニメや日本料理の話をして、周囲に気の毒がられている、という状況も夢ではない。 高名な心理学者Ed Dienerが登場するRoco Belicのドキュメンタリ映画 「Happy」 http://www.imdb.com/title/tt1613092/ もまた英語世界の「常識」を踏襲して日本を「最も個人が不幸な国」として取材している。 誕生日に「大事な仕事の話があるから」というので会社の同僚と「飲み」につきあわされる39歳の会社員は、家族よりも仕事が優先される日本の日常を、屈託のない笑顔で向けられたマイクとカメラに向かって話す。 「明日は妻と会うからダイジョーブですよ」と明るく笑う。 トヨタ自動車の品質管理部門に勤めていた夫を過労死で失った妻は、玄関にあらわれた男性が一緒に過ごした時間が少ないせいで父親だとわからない娘のビデオや、死ぬ直前に上司に助けてほしい、と述べながら書いた申し送り状をインタビュアーに見せる。 観ていて最も悲惨な感じがするのは、あるいは日本の人には感覚的に判りにくいかも知れないが過労死で夫を失った妻達だけでつくった、お互いを励ましあうためのコーラスグループで、「良い夢を見てね ママはパパの笑顔を胸に抱いて生きる ママは負けないよ」という合唱曲を声をあわせて歌う姿は、西洋人にはここに至ってまで発揮される集団主義を思わせて、二重の意味でやりきれない気持ちにさせられる。 日本とは全く相反する価値観をもった社会として、ブータンが挙がっている。 ブータンの情報省大臣であるDasho Kinley Dorjiが画面に登場して、最近ブータンが世界に向かってヴォーカルに主張しているGNH (Gross National Happiness)というブータンの国家的思想について雄弁に力説する。 GNHは、見たとおり、GDPと対立的な、国民がどれだけ幸福であるかが国家の実力だと述べる国家指標のことです。 なんとなく自社の製品の優秀さを力説するトヨタのセールストップを思わせる口調でにやにやさせられてしまう。 あるいはデンマークのCo-Housing Community http://en.wikipedia.org/wiki/Cohousing がもたらす大家族的幸福について述べる。 Co-Housingというのは、ひとつのセクション、あるいはひとつの建物に数世帯が住んでお互いに助け合って暮らすという人間を北欧的な孤独から救済するためのシステムで、デンマークではかなり受けいれられている。 学校のイジメ撲滅の伝道師、学校におけるイジメ廃絶への独特な取り組みで有名な Michael Pritchard http://www.michaelpritchard.com/ が紹介され、日本社会内部からの日本社会への異議としての沖縄社会、ルイジアナのコミュニティ、compassionに満ちていたはずの原初の人間社会への暗示としてナンビアのブッシュマンたちの生活が語られる。 映画には神経科学者のRead Montagueも登場して、人間が幸福感をうるためにお互いを助け合い協力しあうことがいかに大切か、協同的行為がいかに脳髄にとってコカインを注ぎ込むような幸福感を生み出すものであるかを力説する。 映画が映し出していくものはことごとくいまの世界で「幸福」あるいは「幸福感」というものを考えるときのスタンダードともいうべき事象や知識であると思う。 (ところが) 困ったことに、こうした「幸福」への思想に同意できない。 映画のなかで、他の事例と同列のものとして扱われているが、よく考えてみると明らかに異質な例がひとつだけでてくる。 … Continue reading

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日本語ノート1

日本語で何かを書くということに意味があると思ったことはない。 ひどいことを言うなあー、と思う人がいると思うが、ありのままの気持ちとして日本語を勉強をするということはアルメニア語を勉強するのと本質的に変わらない、とベンキョーの初めから思っていた。 わしはムダなことをするのがひたすら好きなので、役に立つことをするのは、なんとなくつまらん、という気がする。 シーシェパードという世にも下品な集団は、鯨類研究所というもっと下品な集団と抗争しているという事実のみにすがって生き延びているが「日本人のやることに文句たれるんじゃねーよ」というのは日本の人の紛いようのない国民性なので、日本の社会に大憤慨を引き起こしている。 ちょうど、夏になるとほとんど毎日捕鯨のニュースが流れて「日本人はひどい」と言ってニュージーランドやオーストラリアの頑是無いガキどものあいだにふつふつとたぎる「日本人なんか大嫌い」感情が醸成されるのと対をなしている。 ダグラス・マッカーサーも失職した海軍軍人を起用して戦後日本の飢餓を救うという一石二鳥の「名案」が、よもや日本の「伝統文化」に化けて、ニュージーランドやオーストラリアの気持ちのやさしいガキどもに日本人への憎悪と軽蔑を植え付けることになるとは思わなかったに違いない。 「反捕鯨がいかに白人の偽善か」というのはネット上でみるかぎりは日本人にとっては福島第一事故の結果全国に撒き散らされた放射性物質などを遙かに上回る切実な関心の対象であるように見えるが、見ていて不思議な気がするのは、「これを日本語で述べあうことにどんな意味があると思っているのだろうか?」ということである。 自称右翼の在特会とかなんとかいうひとたちのほうが遙かに賢くて、韓国の人や中国の人がメールに添付して送ってくる動画に出てくるプラカードには「韓国人たちを皆殺しにせよ!」というようなことが英語でちゃんと書かれてあって、(彼等が主張するところの)「日本人の共通な感情」がどんなものであるか英語人にもストレートに判りやすいように工夫がされている。 しかも、日本語世界の内側にいて日本語でオーストコリアなどというおもろすぎるチョー下品語を発明しているひとびととは異なって、ちゃんと半島人が多く住む新大久保まで行く、というやむにやまれぬ半島人虐殺への現実的情熱もみせている。 観ていて、捕鯨推進のひとびともシドニーの例えばピットストリートにでかけて「韓国人と一緒に、鯨も虐殺せよ!」と叫んで歩くべきであると考える。 日本人になにか言いたいことがあれば日本語を身につけるのが最も簡単な方法で、イタリア人に、イタリア版横山ノックみたいなやつを首相にしてはいかんではないか、と言いたければイタリア語で述べるのが礼儀というものである。 しかし、わしは別に日本の人に意見がいいたくて日本語を身につけたわけではなかった。 通常は日本語を外国語として勉強する人の第一の理由である就職のためでもない。 日本のひとは怒るかもしれないが、理由を聞かれれば「ムダだから」としか答えようがない。 数学をベンキョーしたのも医学を途中でやめたのも同じ理由によっている。 「ムダなことしか性にあわない」からだと思う。 役にたたないことでないとコーフンしない性格なんです。 もの好きにしか見えないこと、というものがこの世界にはある。 明治時代に日本語が文語から口語への跳躍に失敗して、空中ブランコに手をかけそこなって、言語として墜落していったのを目撃したのは良い例である。 日本語で書かれた物語で英語で読んでもオモロイ物語の筆頭は「The Makioka Sisters」(「細雪」)であると思うが、谷崎潤一郎という人は物語の構築だけではなくて日本語の感覚にもすぐれていた。 ジャン・ギャバンというフランスではチョー有名な俳優の名前を思い出そうとして、 「ほら、きみ、あのジャガイモみたいな顔の男だよ、なんて言ったっけ、あの、ハサミを落としたみたいな名前の俳優」と言ったそうで、 ジャン・ギャバンを「ハサミを落とした音」と感覚しているところだけで、もう、谷崎潤一郎にとって言語というものがどういうものであったかわかる(^^) 谷崎潤一郎は、ニセ関西人を志した。 ニセガイジンを志した大庭亀夫みたいだが、ニセガイジンと言われるやニセガイジンらしくふるまって、日本の人が国民的な持病である集団サディズムの姿を顕したのをみて、けけけけ、と笑って喜ぶという、底意地の悪い、徹頭徹尾アホなひとびとをおちょくることしか考えていない悪人大庭亀夫に較べて、谷崎には「言語の真実性」という深刻な問題があったのだと思われる。 谷崎潤一郎は、本人があからさまに述べたことはないと思うが、関西語にしか言語としての真実性、というのが曖昧でわかりにくければ日本の現実の事象をあますことなく表現できるだけの言語としての性能を認められなかったのではないか、と思う。 標準語が欠陥言語であることを谷崎はよく知っていた。 標準語散文の名手と言われた志賀直哉の小説をいくつか読んで思うのは、「このひとはひょっとすると標準語で表現できることしか題材に選ばなかったのではないか」という重要な疑問である。 書かれたものがばりばりの私小説で、そこから一歩も出ようとしなかったことのほんとうの理由も、そういうことなのではないか、と疑える。 私小説にしておけば標準日本語では説明しにくいことは説明しないですませてしまえばいいからです。 志賀直哉はあとで「日本語なんかやめてフランス語にしちまえば」と述べて日本語世界を驚倒させた。 根っからの愛国者が多い日本では、誰もが、反駁したケーハク評論家丸谷才一や三島由紀夫の意見にいちもにもなく頷いたが、志賀直哉のほうが丸谷才一や三島由紀夫よりも遙かに日本語が上手だった、という事実について、もう少し日本の人は思いをいたしたほうがよかったような気がする。 志賀直哉は「日本の標準語では表現できないこと」の広汎さを熟知していたと推測するほうが普通である。 日本語世界で丸谷才一が評価される理由というものが判らないのでここでは何も述べない。 三島由紀夫は志賀直哉が表現を避け、夏目漱石がばんばん新語を量産する方法で対処した問題に「死語」「硬直化して使われなくなった表現」を大量に採用することで乗り切ろうとした。 もともとドナルド・キーン先生によれば、ソメイヨシノを知らずにキーン先生に訊いて、「ああ、これがソメイヨシノか」と言ったというひとである。 三島由紀夫の生涯で語られる逸話は、どれも、三島由紀夫が現実からまったく乖離した「観念の人」であった、現実の認識が極端に苦手なタイプであったことを教えてくれる。 軽く自然にふるまう、ということが最低の条件であるアメリカのカクテルパーティで、三島由紀夫がいかに孤独な来客であったかは、いくつかの証言がある。 … Continue reading

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ブルースを聴いてみるかい?(1)

詩が、たくさんの人に読まれるのが難しいのは、そこで表現されている言語の美、あるいは「高み」に届くためには読み手の側に訓練が必要だからである。 その観念が励起した場所にある「高み」のなかで表現の絶対性を獲得した言葉(詩句)を田村隆一は「定型」という言葉で呼んだ。 詩は、そのひとそれぞれの解釈があるから、というのは単に「私には詩が読めません」と告白していることに他ならない。 詩はまさに「ひとそれぞれの解釈」を許さないことが特徴だからです。 あざやかなるかな武蔵野、朝鮮、オルペウス という吉増剛造の詩句を考えると、古い意味の音韻の定型は存在しないが、 あざやかなるかな、と故意にひらがなで書かれた言葉のなかに含有された「鮮」という漢字の形と朝鮮、表音から形象に言葉が転移したことによって逆に「朝鮮」からは朝の鮮やかさが呼び起こされて、武蔵野とオルペウスの呼応を支えている。 吉増剛造は、たとえばその詩のなかで「高麗川」という単語を同じような言葉の冒険のなかで使う事によって、日本人が半島人に対してもっている(日本人が意識することすらなしに言語を通じて表明している)歴史的な敬意を表現することに成功している。 書かれたもののなかではいちども述べられないが、背景には吉増剛造という人が日本人の美意識そのものが半島人の文化に由来していることを熟知している、ということがある。 そうして、詩句全体の定型を強固にしているのは、武蔵野、朝鮮、オルペウスというみっつの「遠く隔たったもの」を邂逅させた詩句の構造である。 詩人が発想したのではなくて言葉同士がよりあって詩人の手をとって詩句を書かせたのは助走や跳躍の試みがあますことなく描かれている詩の前後を見れば事情は明瞭にわかる。 余計なことを書くと吉増剛造の詩の特徴にひとつは詩人がどうにかして言葉と言葉をお互いに呼び合うようにさせようとする、まるで言霊を召喚しようとする巫女の儀式のような過程が詩のなかに詳細に描き込まれていることであると思う。 読み手の側ですぐれた詩のもつ絶対性に呼応できるだけの「観念の高み」をもつには、それぞれの言語における口承古典文学から始めて、その言語のもつ情緒の形や歴史性を理解することがもっとも近道だが、読書によっても、才能がある人間ならば表現の絶対性がもつさまざまな「定型」、もっと平たい言葉で言えば「あたりの感覚」をもつに至ることはできる。 現代世界では詩自体が死滅してしまっているが、まったく存在しないということではなくて、ちょうど恐竜の絶滅の原因について天井まで届く本棚のあるライブリで議論しているふたりの生物学者たちが、部屋の片隅の鳥かごのなかで自分達を不思議そうな顔でみつめてクビを傾げているインコ自体が恐竜の子孫であることに長い間気づかなかったように、かつての詩は「歌」に姿を変えて生きているのであると考えるのがもっとも適切であると思う。 歌詞のある音楽は、詩と解釈に相対性を許さないチューンとの相互補完でできている。「定型の高み」を言語が内包する歴史的な情緒の組み合わせによらず音楽というより普遍性が高い「定型」に聴き手への正確な伝達は任せて、解釈にゆらぎの余地がおおきな言葉を使っても、送り手が身をおく精神世界の全体が聴き手に届くという仕組みをもっている。 ジャズとブルースのおおきな違いはジャズが言語との補完をめざさずに音楽のみで「定型の高み」を精確な形のまま聴き手に届けようとするのに対してブルースは言葉と音楽が寄り添って、相手に自分の魂が置かれている場所そのものを投げてよこそうとする点にある。 音楽の側からみればジャズのほうが本道であるのはあたりまえだが、重要なことは、ブルースのようなやりかたでは、相手に向かって投げて、寸分の変わりもない形で受け取らせる「自分の魂の形」が「高み」でなくてもいいことで、ブルースや、ブルースに由来するブリティッシュ・ブルース、アフリカン・ブルース、というようなものはみな、ブルースがもつその機能に依存して広汎なひとびとの心に訴えていった。 2003年、ニューヨークの名物男 Jack Beers  http://nymag.com/daily/intelligencer/2009/12/jack_beers_94-year-old_strongm.html が建設に参加したRADIO CITYで行われたブルースの祭典「Lightning in a Bottle」 http://www.imdb.com/title/tt0396705/ は素晴らしいコンサートだった。 登場した歌手たちの顔ぶれだけを見ても、 David Honey Boy Edwards, Keb’Mo, Odetta, Ruth Brown, Buddy Guy, Larry Johnson, … Continue reading

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愛国心

現代の最も重要なドキュメンタリ映画作家のひとりであるNahid Persson Sarvestaniの亡命王妃Farah Pahlaviを描いた素晴らしい映画「The Queen and I」のなかで王室支持のイラン人がもってきたイランの土をFarah王妃が、手のひらにとって、「これはNiavaranの土だわね」と呟きながら、じっと見入る場面がある。 映画自体、王と王妃を追い出す政治運動に「17歳の共産主義者」として参加したNahid Persson Sarvestaniと追い出された王妃Farah Pahlaviの奇妙な、しかし哀切な感じがする友情を描いた傑作だが、映画をみているうちにふつうの人間ならば普段は考えない「愛国心」というようなことについて考えてしまう映画でもある。 イギリス人は愛国心というようなことはまともな人間が口に出すのは恥ずかしいことだと考える。 深い意味はなくて、食べ物を食べるときに音を立てるのは下品であるとか、まして舌鼓を打つなんてとんでもない、というようなことのほうに近い。 ユニオンジャックを打ち振りながら外国人排斥なり、同じくらいケーハクななんらかの政治的メッセージを叫びながら練り歩いても、沿道のひとの反応は「そんなにユニオンジャックが好きならパンツにして穿け」「ピーピーの染みをつくるなよ」と言われてげらげら笑われて終わりだろう。 もしかすると中には「愛国ファン」みたいなヘンタイみたいなのがいるのかも知れないが、愛国心のほうでは明かに迷惑をするだろうと思われる。 共産主義の理想を信じて王政打倒の運動に参加したPersson Sarvestaniは、そのあとにくるはずだった(アヤトラ・ホメイニが約束した)民主主義の社会はあらわれず、その代わりにムスリム独裁の恐怖政治があらわれたことに失望する。 当時17歳だった弟が警察に連行されて処刑されると、すべてを捨ててドゥバイに密航する。 いまはたしかスウェーデンに住んでいるはずである。 一方の王妃ファラもサダト大統領のエジプトに逃れ、やがてサダトが暗殺されるとパリに逃れてゆく。 イラン革命が達成され王室が国外に逃れた次の週に、高校生の女の子達が「今度の政府は女はみなスカーフをかぶるようにと言い出すに決まっている、って噂があるのよ」と言って笑い転げている。 少なくとも表面はフランス的な社会だった革命前のイランではスカーフの着用などはイラン人に共通な偏見である「野蛮で粗野なアラビア人」たちの風習にすぎなかったからです。 ところが、その週の週末には政府は実際にスカーフで髪を隠すことを法律化する。 シャリーア http://en.wikipedia.org/wiki/Sharia が国法になってしまった。 「石打ちの刑も復活した」と欧州で会ったイランの女びとが言うので、相変わらず世界のことに関心をもたないでノーテンキな暮らしを続けていたわしは驚いてしまったことがある。「あれは石が大きすぎても小さすぎてもいけないの。小さくては苦痛が与えられないし、大きすぎると、苦しまないですぐ死んでしまうでしょう? 結婚もしないで性交渉をもつような女は、苦しみ抜いて死ななければいけないのよ」 「イスラム社会は女にとっては地獄そのものでしかない」 Persson Sarvestaniの映画にも処刑場で拾われた、血がべっとりとついた石が出てくる。 ウクライナ人たちは、「世界でいちばん素晴らしい国はウクライナさ」という。 ひとりの例外もないよーだ。 食べ物がうまい。 お菓子も世界一。 人間が素晴らしい。 底抜けに親切なんだぜ、みんな。 冬にはみなで集まって酒を飲む。 しまいには、酔っ払って「女の子たちも、すげー綺麗だからな! ガメ、キエフに来たらとびきりの美人に紹介するよ!」と言って、モニさんにものすごく怖い顔でにらまれたりしている(^^) いつかウクライナに帰るの?と訊くと、どのウクライナ人も爆笑して、「絶対、帰らない」という。ろくな仕事がないしね。 社会のインフラもぼろぼろで、生活の不便がおおすぎる。 … Continue reading

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新橋で、朝食を

艨艟、という言葉を見ると地中海をおもいだす。 ヘンな連想なのだろうが衝角がある船を思い出すからで、コスタブラバのわしが好きなレストランは階上に宿泊できる部屋があって、レストランの片付けが終わるまで酔っ払って、次の日の昼間も一日テラスでごろごろ日光浴をしているのが好きだった。 凪の海に小さな漁船が一隻浮いていて、遠くが靄でかすんでいる海は、ベタ凪ぎの地中海だけがもっている輝かしい貌をもっている。 アンチョビには白アンチョビと赤アンチョビがあって、赤アンチョビはパスタの味付けに使うとうまいが、カバを飲みながらつまみにするにはなんといっても白アンチョビである。このブログ記事には何度もでてくるパンコントマテ、パンに生ニンニクとトマトをすりつけて食べるカタロニアの食べ物…と言ってもいまではスペイン中どこにでもあって、レオンやガリシアに行けば、オリジナル発祥の地から遠い町のレストランらしく、トマトとニンニクをすりつけた上に、ハモンをのせたり、オリーブオイルをかけたりする邪道な、でも邪道ゆえに邪なおいしさで旨いパンコントマテもどきがたくさんある。 昨日注文しておいた、中に細かく砕いたハモンセラノがはいったクロケタス(日本のクリームコロッケみたいなものでごんす)やポテトが入ったオムレツ、ついでにわがままを言ってつくってもらったツナやチーズにいっぱい自家製ジャムをのっけたピンチョスが届くと冷たいカバを飲みながら降り注ぐ太陽の光のしたでフラットにしたデッキチェアで腹ばいになったまま裸で朝ご飯を食べる。 北ウエールズの農場のベッド&ブレックファストには、ふつうのB&Bよりは手がこんだものがいくつもあって、そのうちのひとつはかーちゃんととーちゃんのお気に入りであったのでよくでかけた。 白い上っ張りを着たスペイン人のボイさんたちがひとつづつ皿を説明しながらテーブルの上に並べてくれる。 メニューは家ででてくるのと変わらない普通の朝食で薄く切ってスタンドに並べたトーストにミドルベーコン、ポークソーセージ、卵ふたつの目玉焼きに、ハッシュブラウンがついている。 マーマレード、ジャム、マーマイト、バター、と瓶がずらっとならんで妍を競う光景も家のサンルームのテーブルに並ぶ朝食と変わらない。 ところがこのB&Bの朝食は、メニューにあるものすべてが自分の農場のとれたてのもので、たとえばベーコンを切って一口頬張ると口腔に農場の青い草地と青空がたちのぼるようである。 卵にも力があって濃厚で、すべての食べ物が強い味をもっている。 まるで普段食べているベーコンや卵がみんな神様が目を離している好きに天使達がいたずらで味を薄めた贋造品であるかのような味で、普段食べているものばかりなのでなおさら、子供心にもやや狼狽するくらいおいしかった。 朝食をたくさん食べるのは、もともとはイギリス人の下品な習慣だが、歴史をさかのぼれば敵国同士であったアメリカ人もまねっこでいまはたくさん食べて、わしのチョーボロイアパートは遙か南のチェルシーのしかも南のはしっこにあるので普段は行かないが、モニさんはもともとセントラルパークの東側にあるアパートに住んでいたので、(といってアパートはまだありますけど)モニさんと楽しい夜を過ごすと、日本でも有名なカーネギーホールのすぐ近くの観光客も集うとは聞きけん、 「Brooklyn Diner」 http://www.brooklyndiner.com/ で朝ご飯を食べることもあった。 モニさんのアパートの賄いのおばちゃんは、チョー料理が上手なひとであって、わしのアパートの賄いのおにーちゃん(わしのことね)とは段が3つくらい違う腕前であったが、でも「Brooklyn Diner」のようなところでは朝の雰囲気を食べる。 このレストランでいちばんおいしいメニューはチキンポットパイだと思うが、 朝ご飯には、やはりフレンチトーストでなければワッフルかパンケーキで、それにアメリカ人が好きなコーヒーの出がらしをお湯で薄めたみたいな訳のわからない(でも、おいしい)コーヒーのマグを片手に横にそのテーブルに腰掛けたことのある有名人の名前を刻印した金属のプレートがあるちっこいテーブルで、鼻がくっつきそうなほど顔を近づけて、楽しいねー、ほんとだねー、をするのがいつもモニとわしは大好きだった。 プーケ(Phuket)は俗化しているから嫌いだというひとがいるが、わしはその俗っぽいところにぞくぞく(<−ダジャレ)するのであって、下町や(日本のひとたちがよく泊まる高級ホテルが建ち並んだ)ラグーンに泊まる気はしないが、二週間や一ヶ月というくらいの短期に少し離れた丘の上のホテルからトゥクトゥクに揺られて下町へでて、朝ご飯を食べるのは好きだった。 プーケのホテルの朝食はだいたいにおいておいしいと思うが、いかんせん洋式であって、わざわざタイランドの遙か南のド田舎までやってきて西洋式の朝ご飯では毎日たべているとなにがなしうらぶれた気分になってくる。 下町にでると、タイのひとはみな「ぼったくりレストラン」だというが、わしにはチョー安いとしかおもわれない、300円くらいの朝食メニューが並んでいて、テーブルが隣あったスイス人のねーちゃんやドイツ人のにーちゃんたちと、「昨日はどこへいったか」という話をしながら、愛想の良い男だが女びとのかっこうでクールに決めたにーちゃんたちがもってきてくれるグリーンカレーとレッドカレーとイエローカレーの3色カレーに、ちょうど「つけ麺」のようにして、日本の素麵そっくりの麺をつけて食べる料理や、タイ式のフィッシュソース風味の無茶苦茶うまい炒飯を食べるのは楽しい一日の始まりだったと思う。 プーケからすぐのシンガポールは、前にも書いたように、ロンドンとクライストチャーチの往復の途中で何度も寄る町だった。 いまは物価が高くなって魅力がない町になってしまったが、むかしはなんでもかんでも安くて、妹が初めてつくった目が覚めるような青の美しいサリは、たしかシンガポールのインド人街で仕立てたものだった。 シンガポールの蒸し暑い朝のなかへホテルから出て、タクシーに乗ってマクスウエルセンター(Maxwell Food Centre)やChinatown Food Centre http://www.singapore-vacation-attractions.com/hawker-food-photos.html に行くのはシンガポールに滞在する重要な楽しみでなくてはならない。 チャイナタウンのホーカーズには、1SGドル(75円)のおいしい朝ご飯もある。 むかし、何度目かのチャイナタウンコンプレックスで、どんどん動いていく長い行列が一軒の店の前に出来ているのでおもしろがって並んでみたら、日本のオカカみたいなものがご飯の上にかかって横にピーナッツが添えてある、という「シンガポール式猫まんま」のようなものが出てきた。 この店にはメニューはそれひとつしかなくて、おっちゃんとおばちゃんが、なんだかビデオを16倍速で早送りしているようなバビューンなスピードで皿にどんどんよそってゆくと、お客のほうもてぐすねひいてタイミングをはかって、さっと皿をうけとるのと引き換えに1ドルをおいていく。 なんじゃ、これは、と順番が来て手にした、およそわしの趣味からはとおおおおーく離れた食べ物を手にして一瞬悲哀の感情に打たれたが、気を取り直して食べてみると無茶苦茶おいしい。 上の写真で「Glutinuous Rice」といういかにも英語っぽいマヌケな名前で呼ばれているのがその料理です。 見るからに不味そうだが、うまい。 … Continue reading

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荒っぽさの効用について

初期の艾未未 (Ai weiwei)の有名なパフォーマンスに漢王朝時代の壷を床に落として割ってみせる、というのがあった。 あるいは、Ai weiweiは、これもたいへん有名だが古美術価値ばりばりの新石器時代の壷に「コカコーラ」の商標を朱で描いてしまう。 http://dailyserving.com/2010/07/ai-weiwei-dropping-the-urn/ Alison KlaymanがつくったAi weiweiについての素晴らしいドキュメンタリ 「Never Sorry」のなかで、Ai weiwei自身がインタビューに答えて「両方とも本物だよ」と述べている。 Ai weiweiは殆どの作家がなんらかの集団に属している中国の芸術家のなかでは極めて異例な「一匹狼」で、いまに至るまでどこにも属していない。 いつもひとりで、自分の二本の足で歩いて、尾行してくる中国の公安警察の開けさせたクルマの窓にクビを突っ込んで「なぜ、おれを尾行する? ふざけるな。イヌ」と悪態をつく。 天安門の前にたって中指をつきたてた(中国政府にとっては)とんでもない写真を世界中に公開する。 http://nyogalleristny.files.wordpress.com/2012/06/aiweiwei_finger.jpg 中華人民共和国60周年の記念で鼻高々の政府の面子をたたきつぶすように、ビデオカメラの前に立って「Fuck you, motherland」と述べる。 夜中に嫌がらせにやってきた警官に銃の台尻でなぐられて重傷を負って入院開頭手術で生と死の境をさまよい、戻ってきてやったことが、この「Fuck you , motherland」だった。 初めてAi weiweiを見た人が不思議に思うのはAi weiweiには「自由への闘士」や「勇敢な政治運動家」というにおいが少しもないところであると思う。 大地の上に自分の2本の足で立っている自然の人が、政府という絡みつく根のように自分の行動や思考を妨げる組織を煩わしがって、怒っている。 ときどき、自分でも制御できない怒りが突然あらわれた龍のように空を割って暴れだす。 Ai weiweiは自分を逮捕しようとする警官に「やれるものならやってみろ、このクソ野郎」という。 ツイッタでは「通りで独裁に向かって投石するくらい愉快なアウトドアスポーツはない」と書く。 ある欧州人は「Ai weiweiのなかのフーリガン」という表現を使った。 Ai weiweiというひとのなかの「湧きだして奔出する怒り」を表現し得て妙であると思う。 中国の知識人たちはAi weiweiの感情にまかせたような政府へのすさまじい個人の怒りの表現をみて、「これまでの自分達のやりかたではダメなのだと悟った」とインタビューで述べている。中国人の芸術家や知識人は伝統的にもっと穏やかな口調で、しかし巧緻な皮肉で政府を揶揄する伝統を持っていたが、そんなやりかたではまったくダメだということをAi weiweiが教えてくれた、という。 「知性のきらめき」などは国家にとっては鳥の糞ほどの影響もない。 … Continue reading

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マイナス金銭講座_初級編

カネモウケの話なんて低級なことは聞きたくない、という冷笑的なコメントや嘲りのコメントがいっぱい来て、この手の知ったかぶりで「きみの無知は笑える。きみは何にもわかってないけど、ぼくはなんでも知っている」という人たちくらい退屈なひとびとはいないのでめんどくさいのでやめてしまったが金銭講座のようなものはほんとうはたいていの人に必要なものだったと考える。 そーゆー下品なことは西洋人しか考えないのだという、いかにも「大義に生きる」日本人らしい思し召しを垂れるひともいたが、仰せの通り西洋人は下品なので、若い西洋人が一生の巻頭にあたって考える事は「どうやったらラットレースから抜け出せるか」ということである。 日本の人が志を大事にしながらみんなで一緒にラットレースの周回をくるくるまわる状態を好むのに比して、西洋人はどうやったら自分が、この稼いでも右から左に出ていく、ノーブレーキピストをこぎつづけるようなラットレース場から出られるか、ということを考える。 オークランドで言えば、一戸建てでも4%のリターンはあるので、3億円くらいの不動産を(自分の家を別にして)もってしまえば、1200万円の家賃が期待されて、税金を払ったり修繕をしたり、管理会社に払ったりしていると、800万円が懐にはいって、まあ、そのくらいあえばくえるか、というのがゴールとされている。 自分の家がだいたいリミュエラあたりなら1億円からあるとして、都合4億円の余剰のカネがいることになる。 金銭講座は高潔な日本のひとびとの道徳的な反対にあったのでやめて、ラットレースから抜け出たあとの話をすると、ウエストヘイブンのマリーナに行くと何百という世界一周が可能なヨットが並んでいて、そーゆえば、あのおっさんこの頃みないな、と思っていると、日焼けして帰ってきて、ロスアンジェルスまで行ってきたんだよ、という。 30フィート、すなわち9メートルちょっとくらいの艇長と腕前があれば片道1万キロくらいは、すいすいと行って帰ってこられるところが現代のヨットのよいところであると思われる。 現代のヨットは操船がチョー簡単で、GPSとチャートの組み合わせで帆を自動操作して勝手に進んでくれる。 300キロくらい間違えてたどりついたりすることもなくはないが、そのときはそのときで修正して行けばいいだけである。 全長が40フィートを越えるようなヨットはわしガキの頃なら夫婦ふたりで操船するのはたいへんだったが、最近は、ふたりで楽ちんで操作できるヨットがあって、ものをつくることに関してはかわいくないくらい頭がいいドイツ人たちのつくるヨットのなかには、ひとりでも操船できるものすらある。 いま売れている HANSE575 http://www.hanseyachts.com/#/gb/575/documents.html などは、その典型で、インテリアがみたとおりダサイが、すべてがややアホらしいくらい合理的に出来ていて、世界一周くらいは、問題なく夫婦ふたりでやれる。 ニュージーランドは飛行機の免許をとるのがチョー簡単な国なので、飛行機をもっている人もたくさんいて、前にも書いたことがあるよーな気がするが、「牧場」の家の近くにはパドックの柵をいちぶ取り払って、T10やなんかのクラシックプレーン飛ばしているひとがいる。 牧場を改造して自家用の飛行場をつくるのは、冬になると道路が閉ざされてしまったりする南島ではわりとふつーのことである。 モニもわしも、なにしろ生まれてからこのかたずっとヒマなひとたちなのでPPLはもっているが、飛行機はセスナだと新しいスカイキャッチャーで400キロくらいしか飛べないので、たかがオークランドからクライストチャーチに行くのでさえ何回も給油しなくてはならなくて、結局、あんまり乗らなくなってしまう。 飛行機が好きな友達が来たときに、途中でエンジンをアイドリングにして、「きゃあああ、エンジンが止まってしまった。ど、どーしよう」と述べて脅かして遊ぶくらいが、楽しみで、あんまり楽しいことはないと思う。 そのうち何かの弾みでマジメに仕事をするようになったら双発のジェット機でも買うべ、と思っていたが、わしがマジメに仕事をするようになるのはイエローストーンのスーパーボルケーノが爆発するよりも可能性が低いのが、われながら、判明してきたので、どうせそのうち一式陸攻のレプリカを秘密制作してラバウルの上空を飛んで土地の古老をびびらせる、くらいのことしかしないのではないかと思われる。 一式陸攻は、飛ばすには余程いい飛行機らしくて、機銃弾があたると簡単に火だるまになって7人の乗員があっさり死んでしまうので戦争には向かなかったが「戦争にさえ使わなければ、あんなに良い飛行機はなかった」という証言がいくつも残っている。 あの飛行機はたしか6000キロ飛べるので、タンクを増設すればオークランドからホノルル(7000キロ)くらいはいけるはずである。 ヨットよりも楽ちんなのは、ツイッタでも述べたがパワーボートで、アメリカ人はモーターヨットとかいう訳のわかんない言葉で呼ぶが、要はディーゼルか300hpx2でまかなえる程度の大きさ(艇長12メートルくらいまで)ならガソリンのエンジンで自走するボートのことで、スティーブジョブズが企画して自分のためにつくった巨大な船でなくても、40トン程度のボート http://www.tradeaboat.com.au/news-and-reviews/article/articleid/80626.aspx があれば、最近は気象レーダーが発達しているので、かなりとおくまで安全に行ける。 さっきのヨットもそうだが、いまのボートは、7メートル程度のニュージーランドのふつーの会社員が買う程度のボート http://www.smuggler.co.nz/this_smuggler720spt.php でも、ステレオにシャワーやトイレ、ダブルベッドくらいはついている。 夫婦で、週末に出航して、どこかの半島か島の入り江で酒を飲んで釣りをしたりディンギィを下ろして、無人島に上陸してテントを張って遊んだりする。 ラットレースから抜けだして、家のホームローンも払っちゃったもんね、という30代の夫婦がもっともオカネを使うのは旅行だろう。 たしかニュージーランドの法定有給休暇は28日だったと思うが、この1ヶ月の休暇を固め打ちして、たとえば欧州に行く。 たいていその国にいる友達の家に泊めてもらうが、もうちょっとオカネを使う気があれば短期貸しのアパートに泊まって1ヶ月を過ごす。 ホテルはどんな場合でも最後の手段だと思います。 どーしてもホテルしかなくて、万事休すやむをえない場合というのはあって、そういうときはなるべく小さいホテルで過ごすほうがよい。 ヒルトンのような世界チェーンに泊まるのが最低で、普通はそういうところには泊まらないと思う。 ブログ記事に書いちったホテルでゆえば、ラチャマンカ http://www.rachamankha.com/ や、El Far http://www.greatsmallhotels.com/costa-brava-boutique-hotels/hotel-el-far#description のようなタイプのホテルが最もよい。 … Continue reading

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