Monthly Archives: February 2013

はっぴー

日本語になおすと「幸福の科学」で四谷大塚進学教室のシステムをコピペしてつくった新興宗教みたいだが「Happiness Reseach」は人気のある分野で、ハーバード大学の講座のなかで最も人気があるのも、この「幸福の科学」である。 アメリカで最も人気があるのは件のドーパミン理論で、最もドーパミンが放出されやすい状況を最も幸福になりやすい状況と定義してさまざまなリサーチを行う。 遺伝的因子が5割、オカネモチであったり社会的地位が高かったりの社会的成功の要因が1割で、残りの4割の要素である友人関係や家族、過ごす時間の質、というようなことを考え直してディプレッションを回避したり、幸福感を増大させようという思想に立った科学である。 英語世界では「世界で最も個人が不幸な国」と言えば、ほぼ自動的に日本をさす。 そんなバカな! いいかげんなことを言うと承知しないぞ! という声が聞こえてきそうだが、ほんとうなものは仕方がない。 日本が世界で最も不幸な国であるというのはただの常識であると思う。 日本の人の面前でそんなことを言うひとはいるわけがないので、こういう話は日本のひとの耳が届かないところで英語人同士でしかなされないことを考えると、アメリカに20年住んでいるという日本の人でも、日本語のメディアばかり見ていれば、周囲のアメリカ人が「日本ほど個人を不幸にする社会はない」と思っていることにまったく気が付かずに、アニメを通して憧れの国だと思われていると錯覚して、毎日とくとくとしてアニメや日本料理の話をして、周囲に気の毒がられている、という状況も夢ではない。 高名な心理学者Ed Dienerが登場するRoco Belicのドキュメンタリ映画 「Happy」 http://www.imdb.com/title/tt1613092/ もまた英語世界の「常識」を踏襲して日本を「最も個人が不幸な国」として取材している。 誕生日に「大事な仕事の話があるから」というので会社の同僚と「飲み」につきあわされる39歳の会社員は、家族よりも仕事が優先される日本の日常を、屈託のない笑顔で向けられたマイクとカメラに向かって話す。 「明日は妻と会うからダイジョーブですよ」と明るく笑う。 トヨタ自動車の品質管理部門に勤めていた夫を過労死で失った妻は、玄関にあらわれた男性が一緒に過ごした時間が少ないせいで父親だとわからない娘のビデオや、死ぬ直前に上司に助けてほしい、と述べながら書いた申し送り状をインタビュアーに見せる。 観ていて最も悲惨な感じがするのは、あるいは日本の人には感覚的に判りにくいかも知れないが過労死で夫を失った妻達だけでつくった、お互いを励ましあうためのコーラスグループで、「良い夢を見てね ママはパパの笑顔を胸に抱いて生きる ママは負けないよ」という合唱曲を声をあわせて歌う姿は、西洋人にはここに至ってまで発揮される集団主義を思わせて、二重の意味でやりきれない気持ちにさせられる。 日本とは全く相反する価値観をもった社会として、ブータンが挙がっている。 ブータンの情報省大臣であるDasho Kinley Dorjiが画面に登場して、最近ブータンが世界に向かってヴォーカルに主張しているGNH (Gross National Happiness)というブータンの国家的思想について雄弁に力説する。 GNHは、見たとおり、GDPと対立的な、国民がどれだけ幸福であるかが国家の実力だと述べる国家指標のことです。 なんとなく自社の製品の優秀さを力説するトヨタのセールストップを思わせる口調でにやにやさせられてしまう。 あるいはデンマークのCo-Housing Community http://en.wikipedia.org/wiki/Cohousing がもたらす大家族的幸福について述べる。 Co-Housingというのは、ひとつのセクション、あるいはひとつの建物に数世帯が住んでお互いに助け合って暮らすという人間を北欧的な孤独から救済するためのシステムで、デンマークではかなり受けいれられている。 学校のイジメ撲滅の伝道師、学校におけるイジメ廃絶への独特な取り組みで有名な Michael Pritchard http://www.michaelpritchard.com/ が紹介され、日本社会内部からの日本社会への異議としての沖縄社会、ルイジアナのコミュニティ、compassionに満ちていたはずの原初の人間社会への暗示としてナンビアのブッシュマンたちの生活が語られる。 映画には神経科学者のRead Montagueも登場して、人間が幸福感をうるためにお互いを助け合い協力しあうことがいかに大切か、協同的行為がいかに脳髄にとってコカインを注ぎ込むような幸福感を生み出すものであるかを力説する。 映画が映し出していくものはことごとくいまの世界で「幸福」あるいは「幸福感」というものを考えるときのスタンダードともいうべき事象や知識であると思う。 (ところが) 困ったことに、こうした「幸福」への思想に同意できない。 映画のなかで、他の事例と同列のものとして扱われているが、よく考えてみると明らかに異質な例がひとつだけでてくる。 … Continue reading

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日本語ノート1

日本語で何かを書くということに意味があると思ったことはない。 ひどいことを言うなあー、と思う人がいると思うが、ありのままの気持ちとして日本語を勉強をするということはアルメニア語を勉強するのと本質的に変わらない、とベンキョーの初めから思っていた。 わしはムダなことをするのがひたすら好きなので、役に立つことをするのは、なんとなくつまらん、という気がする。 シーシェパードという世にも下品な集団は、鯨類研究所というもっと下品な集団と抗争しているという事実のみにすがって生き延びているが「日本人のやることに文句たれるんじゃねーよ」というのは日本の人の紛いようのない国民性なので、日本の社会に大憤慨を引き起こしている。 ちょうど、夏になるとほとんど毎日捕鯨のニュースが流れて「日本人はひどい」と言ってニュージーランドやオーストラリアの頑是無いガキどものあいだにふつふつとたぎる「日本人なんか大嫌い」感情が醸成されるのと対をなしている。 ダグラス・マッカーサーも失職した海軍軍人を起用して戦後日本の飢餓を救うという一石二鳥の「名案」が、よもや日本の「伝統文化」に化けて、ニュージーランドやオーストラリアの気持ちのやさしいガキどもに日本人への憎悪と軽蔑を植え付けることになるとは思わなかったに違いない。 「反捕鯨がいかに白人の偽善か」というのはネット上でみるかぎりは日本人にとっては福島第一事故の結果全国に撒き散らされた放射性物質などを遙かに上回る切実な関心の対象であるように見えるが、見ていて不思議な気がするのは、「これを日本語で述べあうことにどんな意味があると思っているのだろうか?」ということである。 自称右翼の在特会とかなんとかいうひとたちのほうが遙かに賢くて、韓国の人や中国の人がメールに添付して送ってくる動画に出てくるプラカードには「韓国人たちを皆殺しにせよ!」というようなことが英語でちゃんと書かれてあって、(彼等が主張するところの)「日本人の共通な感情」がどんなものであるか英語人にもストレートに判りやすいように工夫がされている。 しかも、日本語世界の内側にいて日本語でオーストコリアなどというおもろすぎるチョー下品語を発明しているひとびととは異なって、ちゃんと半島人が多く住む新大久保まで行く、というやむにやまれぬ半島人虐殺への現実的情熱もみせている。 観ていて、捕鯨推進のひとびともシドニーの例えばピットストリートにでかけて「韓国人と一緒に、鯨も虐殺せよ!」と叫んで歩くべきであると考える。 日本人になにか言いたいことがあれば日本語を身につけるのが最も簡単な方法で、イタリア人に、イタリア版横山ノックみたいなやつを首相にしてはいかんではないか、と言いたければイタリア語で述べるのが礼儀というものである。 しかし、わしは別に日本の人に意見がいいたくて日本語を身につけたわけではなかった。 通常は日本語を外国語として勉強する人の第一の理由である就職のためでもない。 日本のひとは怒るかもしれないが、理由を聞かれれば「ムダだから」としか答えようがない。 数学をベンキョーしたのも医学を途中でやめたのも同じ理由によっている。 「ムダなことしか性にあわない」からだと思う。 役にたたないことでないとコーフンしない性格なんです。 もの好きにしか見えないこと、というものがこの世界にはある。 明治時代に日本語が文語から口語への跳躍に失敗して、空中ブランコに手をかけそこなって、言語として墜落していったのを目撃したのは良い例である。 日本語で書かれた物語で英語で読んでもオモロイ物語の筆頭は「The Makioka Sisters」(「細雪」)であると思うが、谷崎潤一郎という人は物語の構築だけではなくて日本語の感覚にもすぐれていた。 ジャン・ギャバンというフランスではチョー有名な俳優の名前を思い出そうとして、 「ほら、きみ、あのジャガイモみたいな顔の男だよ、なんて言ったっけ、あの、ハサミを落としたみたいな名前の俳優」と言ったそうで、 ジャン・ギャバンを「ハサミを落とした音」と感覚しているところだけで、もう、谷崎潤一郎にとって言語というものがどういうものであったかわかる(^^) 谷崎潤一郎は、ニセ関西人を志した。 ニセガイジンを志した大庭亀夫みたいだが、ニセガイジンと言われるやニセガイジンらしくふるまって、日本の人が国民的な持病である集団サディズムの姿を顕したのをみて、けけけけ、と笑って喜ぶという、底意地の悪い、徹頭徹尾アホなひとびとをおちょくることしか考えていない悪人大庭亀夫に較べて、谷崎には「言語の真実性」という深刻な問題があったのだと思われる。 谷崎潤一郎は、本人があからさまに述べたことはないと思うが、関西語にしか言語としての真実性、というのが曖昧でわかりにくければ日本の現実の事象をあますことなく表現できるだけの言語としての性能を認められなかったのではないか、と思う。 標準語が欠陥言語であることを谷崎はよく知っていた。 標準語散文の名手と言われた志賀直哉の小説をいくつか読んで思うのは、「このひとはひょっとすると標準語で表現できることしか題材に選ばなかったのではないか」という重要な疑問である。 書かれたものがばりばりの私小説で、そこから一歩も出ようとしなかったことのほんとうの理由も、そういうことなのではないか、と疑える。 私小説にしておけば標準日本語では説明しにくいことは説明しないですませてしまえばいいからです。 志賀直哉はあとで「日本語なんかやめてフランス語にしちまえば」と述べて日本語世界を驚倒させた。 根っからの愛国者が多い日本では、誰もが、反駁したケーハク評論家丸谷才一や三島由紀夫の意見にいちもにもなく頷いたが、志賀直哉のほうが丸谷才一や三島由紀夫よりも遙かに日本語が上手だった、という事実について、もう少し日本の人は思いをいたしたほうがよかったような気がする。 志賀直哉は「日本の標準語では表現できないこと」の広汎さを熟知していたと推測するほうが普通である。 日本語世界で丸谷才一が評価される理由というものが判らないのでここでは何も述べない。 三島由紀夫は志賀直哉が表現を避け、夏目漱石がばんばん新語を量産する方法で対処した問題に「死語」「硬直化して使われなくなった表現」を大量に採用することで乗り切ろうとした。 もともとドナルド・キーン先生によれば、ソメイヨシノを知らずにキーン先生に訊いて、「ああ、これがソメイヨシノか」と言ったというひとである。 三島由紀夫の生涯で語られる逸話は、どれも、三島由紀夫が現実からまったく乖離した「観念の人」であった、現実の認識が極端に苦手なタイプであったことを教えてくれる。 軽く自然にふるまう、ということが最低の条件であるアメリカのカクテルパーティで、三島由紀夫がいかに孤独な来客であったかは、いくつかの証言がある。 … Continue reading

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ブルースを聴いてみるかい?

詩が、たくさんの人に読まれるのが難しいのは、そこで表現されている言語の美、あるいは「高み」に届くためには読み手の側に訓練が必要だからである。 その観念が励起した場所にある「高み」のなかで表現の絶対性を獲得した言葉(詩句)を田村隆一は「定型」という言葉で呼んだ。 詩は、そのひとそれぞれの解釈があるから、というのは単に「私には詩が読めません」と告白していることに他ならない。 詩はまさに「ひとそれぞれの解釈」を許さないことが特徴だからです。 あざやかなるかな武蔵野、朝鮮、オルペウス という吉増剛造の詩句を考えると、古い意味の音韻の定型は存在しないが、 あざやかなるかな、と故意にひらがなで書かれた言葉のなかに含有された「鮮」という漢字の形と朝鮮、表音から形象に言葉が転移したことによって逆に「朝鮮」からは朝の鮮やかさが呼び起こされて、武蔵野とオルペウスの呼応を支えている。 吉増剛造は、たとえばその詩のなかで「高麗川」という単語を同じような言葉の冒険のなかで使う事によって、日本人が半島人に対してもっている(日本人が意識することすらなしに言語を通じて表明している)歴史的な敬意を表現することに成功している。 書かれたもののなかではいちども述べられないが、背景には吉増剛造という人が日本人の美意識そのものが半島人の文化に由来していることを熟知している、ということがある。 そうして、詩句全体の定型を強固にしているのは、武蔵野、朝鮮、オルペウスというみっつの「遠く隔たったもの」を邂逅させた詩句の構造である。 詩人が発想したのではなくて言葉同士がよりあって詩人の手をとって詩句を書かせたのは助走や跳躍の試みがあますことなく描かれている詩の前後を見れば事情は明瞭にわかる。 余計なことを書くと吉増剛造の詩の特徴にひとつは詩人がどうにかして言葉と言葉をお互いに呼び合うようにさせようとする、まるで言霊を召喚しようとする巫女の儀式のような過程が詩のなかに詳細に描き込まれていることであると思う。 読み手の側ですぐれた詩のもつ絶対性に呼応できるだけの「観念の高み」をもつには、それぞれの言語における口承古典文学から始めて、その言語のもつ情緒の形や歴史性を理解することがもっとも近道だが、読書によっても、才能がある人間ならば表現の絶対性がもつさまざまな「定型」、もっと平たい言葉で言えば「あたりの感覚」をもつに至ることはできる。 現代世界では詩自体が死滅してしまっているが、まったく存在しないということではなくて、ちょうど恐竜の絶滅の原因について天井まで届く本棚のあるライブリで議論しているふたりの生物学者たちが、部屋の片隅の鳥かごのなかで自分達を不思議そうな顔でみつめてクビを傾げているインコ自体が恐竜の子孫であることに長い間気づかなかったように、かつての詩は「歌」に姿を変えて生きているのであると考えるのがもっとも適切であると思う。 歌詞のある音楽は、詩と解釈に相対性を許さないチューンとの相互補完でできている。「定型の高み」を言語が内包する歴史的な情緒の組み合わせによらず音楽というより普遍性が高い「定型」に聴き手への正確な伝達は任せて、解釈にゆらぎの余地がおおきな言葉を使っても、送り手が身をおく精神世界の全体が聴き手に届くという仕組みをもっている。 ジャズとブルースのおおきな違いはジャズが言語との補完をめざさずに音楽のみで「定型の高み」を精確な形のまま聴き手に届けようとするのに対してブルースは言葉と音楽が寄り添って、相手に自分の魂が置かれている場所そのものを投げてよこそうとする点にある。 音楽の側からみればジャズのほうが本道であるのはあたりまえだが、重要なことは、ブルースのようなやりかたでは、相手に向かって投げて、寸分の変わりもない形で受け取らせる「自分の魂の形」が「高み」でなくてもいいことで、ブルースや、ブルースに由来するブリティッシュ・ブルース、アフリカン・ブルース、というようなものはみな、ブルースがもつその機能に依存して広汎なひとびとの心に訴えていった。 2003年、ニューヨークの名物男 Jack Beers  http://nymag.com/daily/intelligencer/2009/12/jack_beers_94-year-old_strongm.html が建設に参加したRADIO CITYで行われたブルースの祭典「Lightning in a Bottle」 http://www.imdb.com/title/tt0396705/ は素晴らしいコンサートだった。 登場した歌手たちの顔ぶれだけを見ても、 David Honey Boy Edwards, Keb’Mo, Odetta, Ruth Brown, Buddy Guy, Larry Johnson, … Continue reading

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愛国心

現代の最も重要なドキュメンタリ映画作家のひとりであるNahid Persson Sarvestaniの亡命王妃Farah Pahlaviを描いた素晴らしい映画「The Queen and I」のなかで王室支持のイラン人がもってきたイランの土をFarah王妃が、手のひらにとって、「これはNiavaranの土だわね」と呟きながら、じっと見入る場面がある。 映画自体、王と王妃を追い出す政治運動に「17歳の共産主義者」として参加したNahid Persson Sarvestaniと追い出された王妃Farah Pahlaviの奇妙な、しかし哀切な感じがする友情を描いた傑作だが、映画をみているうちにふつうの人間ならば普段は考えない「愛国心」というようなことについて考えてしまう映画でもある。 イギリス人は愛国心というようなことはまともな人間が口に出すのは恥ずかしいことだと考える。 深い意味はなくて、食べ物を食べるときに音を立てるのは下品であるとか、まして舌鼓を打つなんてとんでもない、というようなことのほうに近い。 ユニオンジャックを打ち振りながら外国人排斥なり、同じくらいケーハクななんらかの政治的メッセージを叫びながら練り歩いても、沿道のひとの反応は「そんなにユニオンジャックが好きならパンツにして穿け」「ピーピーの染みをつくるなよ」と言われてげらげら笑われて終わりだろう。 もしかすると中には「愛国ファン」みたいなヘンタイみたいなのがいるのかも知れないが、愛国心のほうでは明かに迷惑をするだろうと思われる。 共産主義の理想を信じて王政打倒の運動に参加したPersson Sarvestaniは、そのあとにくるはずだった(アヤトラ・ホメイニが約束した)民主主義の社会はあらわれず、その代わりにムスリム独裁の恐怖政治があらわれたことに失望する。 当時17歳だった弟が警察に連行されて処刑されると、すべてを捨ててドゥバイに密航する。 いまはたしかスウェーデンに住んでいるはずである。 一方の王妃ファラもサダト大統領のエジプトに逃れ、やがてサダトが暗殺されるとパリに逃れてゆく。 イラン革命が達成され王室が国外に逃れた次の週に、高校生の女の子達が「今度の政府は女はみなスカーフをかぶるようにと言い出すに決まっている、って噂があるのよ」と言って笑い転げている。 少なくとも表面はフランス的な社会だった革命前のイランではスカーフの着用などはイラン人に共通な偏見である「野蛮で粗野なアラビア人」たちの風習にすぎなかったからです。 ところが、その週の週末には政府は実際にスカーフで髪を隠すことを法律化する。 シャリーア http://en.wikipedia.org/wiki/Sharia が国法になってしまった。 「石打ちの刑も復活した」と欧州で会ったイランの女びとが言うので、相変わらず世界のことに関心をもたないでノーテンキな暮らしを続けていたわしは驚いてしまったことがある。「あれは石が大きすぎても小さすぎてもいけないの。小さくては苦痛が与えられないし、大きすぎると、苦しまないですぐ死んでしまうでしょう? 結婚もしないで性交渉をもつような女は、苦しみ抜いて死ななければいけないのよ」 「イスラム社会は女にとっては地獄そのものでしかない」 Persson Sarvestaniの映画にも処刑場で拾われた、血がべっとりとついた石が出てくる。 ウクライナ人たちは、「世界でいちばん素晴らしい国はウクライナさ」という。 ひとりの例外もないよーだ。 食べ物がうまい。 お菓子も世界一。 人間が素晴らしい。 底抜けに親切なんだぜ、みんな。 冬にはみなで集まって酒を飲む。 しまいには、酔っ払って「女の子たちも、すげー綺麗だからな! ガメ、キエフに来たらとびきりの美人に紹介するよ!」と言って、モニさんにものすごく怖い顔でにらまれたりしている(^^) いつかウクライナに帰るの?と訊くと、どのウクライナ人も爆笑して、「絶対、帰らない」という。ろくな仕事がないしね。 社会のインフラもぼろぼろで、生活の不便がおおすぎる。 … Continue reading

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新橋で、朝食を

艨艟、という言葉を見ると地中海をおもいだす。 ヘンな連想なのだろうが衝角がある船を思い出すからで、コスタブラバのわしが好きなレストランは階上に宿泊できる部屋があって、レストランの片付けが終わるまで酔っ払って、次の日の昼間も一日テラスでごろごろ日光浴をしているのが好きだった。 凪の海に小さな漁船が一隻浮いていて、遠くが靄でかすんでいる海は、ベタ凪ぎの地中海だけがもっている輝かしい貌をもっている。 アンチョビには白アンチョビと赤アンチョビがあって、赤アンチョビはパスタの味付けに使うとうまいが、カバを飲みながらつまみにするにはなんといっても白アンチョビである。このブログ記事には何度もでてくるパンコントマテ、パンに生ニンニクとトマトをすりつけて食べるカタロニアの食べ物…と言ってもいまではスペイン中どこにでもあって、レオンやガリシアに行けば、オリジナル発祥の地から遠い町のレストランらしく、トマトとニンニクをすりつけた上に、ハモンをのせたり、オリーブオイルをかけたりする邪道な、でも邪道ゆえに邪なおいしさで旨いパンコントマテもどきがたくさんある。 昨日注文しておいた、中に細かく砕いたハモンセラノがはいったクロケタス(日本のクリームコロッケみたいなものでごんす)やポテトが入ったオムレツ、ついでにわがままを言ってつくってもらったツナやチーズにいっぱい自家製ジャムをのっけたピンチョスが届くと冷たいカバを飲みながら降り注ぐ太陽の光のしたでフラットにしたデッキチェアで腹ばいになったまま裸で朝ご飯を食べる。 北ウエールズの農場のベッド&ブレックファストには、ふつうのB&Bよりは手がこんだものがいくつもあって、そのうちのひとつはかーちゃんととーちゃんのお気に入りであったのでよくでかけた。 白い上っ張りを着たスペイン人のボイさんたちがひとつづつ皿を説明しながらテーブルの上に並べてくれる。 メニューは家ででてくるのと変わらない普通の朝食で薄く切ってスタンドに並べたトーストにミドルベーコン、ポークソーセージ、卵ふたつの目玉焼きに、ハッシュブラウンがついている。 マーマレード、ジャム、マーマイト、バター、と瓶がずらっとならんで妍を競う光景も家のサンルームのテーブルに並ぶ朝食と変わらない。 ところがこのB&Bの朝食は、メニューにあるものすべてが自分の農場のとれたてのもので、たとえばベーコンを切って一口頬張ると口腔に農場の青い草地と青空がたちのぼるようである。 卵にも力があって濃厚で、すべての食べ物が強い味をもっている。 まるで普段食べているベーコンや卵がみんな神様が目を離している好きに天使達がいたずらで味を薄めた贋造品であるかのような味で、普段食べているものばかりなのでなおさら、子供心にもやや狼狽するくらいおいしかった。 朝食をたくさん食べるのは、もともとはイギリス人の下品な習慣だが、歴史をさかのぼれば敵国同士であったアメリカ人もまねっこでいまはたくさん食べて、わしのチョーボロイアパートは遙か南のチェルシーのしかも南のはしっこにあるので普段は行かないが、モニさんはもともとセントラルパークの東側にあるアパートに住んでいたので、(といってアパートはまだありますけど)モニさんと楽しい夜を過ごすと、日本でも有名なカーネギーホールのすぐ近くの観光客も集うとは聞きけん、 「Brooklyn Diner」 http://www.brooklyndiner.com/ で朝ご飯を食べることもあった。 モニさんのアパートの賄いのおばちゃんは、チョー料理が上手なひとであって、わしのアパートの賄いのおにーちゃん(わしのことね)とは段が3つくらい違う腕前であったが、でも「Brooklyn Diner」のようなところでは朝の雰囲気を食べる。 このレストランでいちばんおいしいメニューはチキンポットパイだと思うが、 朝ご飯には、やはりフレンチトーストでなければワッフルかパンケーキで、それにアメリカ人が好きなコーヒーの出がらしをお湯で薄めたみたいな訳のわからない(でも、おいしい)コーヒーのマグを片手に横にそのテーブルに腰掛けたことのある有名人の名前を刻印した金属のプレートがあるちっこいテーブルで、鼻がくっつきそうなほど顔を近づけて、楽しいねー、ほんとだねー、をするのがいつもモニとわしは大好きだった。 プーケ(Phuket)は俗化しているから嫌いだというひとがいるが、わしはその俗っぽいところにぞくぞく(<−ダジャレ)するのであって、下町や(日本のひとたちがよく泊まる高級ホテルが建ち並んだ)ラグーンに泊まる気はしないが、二週間や一ヶ月というくらいの短期に少し離れた丘の上のホテルからトゥクトゥクに揺られて下町へでて、朝ご飯を食べるのは好きだった。 プーケのホテルの朝食はだいたいにおいておいしいと思うが、いかんせん洋式であって、わざわざタイランドの遙か南のド田舎までやってきて西洋式の朝ご飯では毎日たべているとなにがなしうらぶれた気分になってくる。 下町にでると、タイのひとはみな「ぼったくりレストラン」だというが、わしにはチョー安いとしかおもわれない、300円くらいの朝食メニューが並んでいて、テーブルが隣あったスイス人のねーちゃんやドイツ人のにーちゃんたちと、「昨日はどこへいったか」という話をしながら、愛想の良い男だが女びとのかっこうでクールに決めたにーちゃんたちがもってきてくれるグリーンカレーとレッドカレーとイエローカレーの3色カレーに、ちょうど「つけ麺」のようにして、日本の素麵そっくりの麺をつけて食べる料理や、タイ式のフィッシュソース風味の無茶苦茶うまい炒飯を食べるのは楽しい一日の始まりだったと思う。 プーケからすぐのシンガポールは、前にも書いたように、ロンドンとクライストチャーチの往復の途中で何度も寄る町だった。 いまは物価が高くなって魅力がない町になってしまったが、むかしはなんでもかんでも安くて、妹が初めてつくった目が覚めるような青の美しいサリは、たしかシンガポールのインド人街で仕立てたものだった。 シンガポールの蒸し暑い朝のなかへホテルから出て、タクシーに乗ってマクスウエルセンター(Maxwell Food Centre)やChinatown Food Centre http://www.singapore-vacation-attractions.com/hawker-food-photos.html に行くのはシンガポールに滞在する重要な楽しみでなくてはならない。 チャイナタウンのホーカーズには、1SGドル(75円)のおいしい朝ご飯もある。 むかし、何度目かのチャイナタウンコンプレックスで、どんどん動いていく長い行列が一軒の店の前に出来ているのでおもしろがって並んでみたら、日本のオカカみたいなものがご飯の上にかかって横にピーナッツが添えてある、という「シンガポール式猫まんま」のようなものが出てきた。 この店にはメニューはそれひとつしかなくて、おっちゃんとおばちゃんが、なんだかビデオを16倍速で早送りしているようなバビューンなスピードで皿にどんどんよそってゆくと、お客のほうもてぐすねひいてタイミングをはかって、さっと皿をうけとるのと引き換えに1ドルをおいていく。 なんじゃ、これは、と順番が来て手にした、およそわしの趣味からはとおおおおーく離れた食べ物を手にして一瞬悲哀の感情に打たれたが、気を取り直して食べてみると無茶苦茶おいしい。 上の写真で「Glutinuous Rice」といういかにも英語っぽいマヌケな名前で呼ばれているのがその料理です。 見るからに不味そうだが、うまい。 … Continue reading

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荒っぽさの効用について

初期の艾未未 (Ai weiwei)の有名なパフォーマンスに漢王朝時代の壷を床に落として割ってみせる、というのがあった。 あるいは、Ai weiweiは、これもたいへん有名だが古美術価値ばりばりの新石器時代の壷に「コカコーラ」の商標を朱で描いてしまう。 http://dailyserving.com/2010/07/ai-weiwei-dropping-the-urn/ Alison KlaymanがつくったAi weiweiについての素晴らしいドキュメンタリ 「Never Sorry」のなかで、Ai weiwei自身がインタビューに答えて「壺は両方とも本物だよ」と述べている。 Ai weiweiは殆どの作家がなんらかの集団に属している中国の芸術家のなかでは極めて異例な「一匹狼」で、いまに至るまでどこにも属していない。 いつもひとりで、自分の二本の足で歩いて、尾行してくる中国の公安警察の開けさせたクルマの窓にクビを突っ込んで「なぜ、おれを尾行する? ふざけるな。イヌ」と悪態をつく。 天安門の前にたって中指をつきたてた(中国政府にとっては)とんでもない写真を世界中に公開する。 http://nyogalleristny.files.wordpress.com/2012/06/aiweiwei_finger.jpg 中華人民共和国60周年の記念で鼻高々の政府の面子をたたきつぶすように、ビデオカメラの前に立って「Fuck you, motherland」と述べる。 夜中に嫌がらせにやってきた警官に銃の台尻でなぐられて重傷を負って入院開頭手術で生と死の境をさまよい、戻ってきてやったことが、この「Fuck you , motherland」だった。 初めてAi weiweiを見た人が不思議に思うのはAi weiweiには「自由への闘士」や「勇敢な政治運動家」というにおいが少しもないところであると思う。 大地の上に自分の2本の足で立っている自然の人が、政府という絡みつく根のように自分の行動や思考を妨げる組織を煩わしがって、怒っている。 ときどき、自分でも制御できない怒りが突然あらわれた龍のように空を割って暴れだす。 Ai weiweiは自分を逮捕しようとする警官に「やれるものならやってみろ、このクソ野郎」という。 ツイッタでは「通りで独裁に向かって投石するくらい愉快なアウトドアスポーツはない」と書く。 ある欧州人は「Ai weiweiのなかのフーリガン」という表現を使った。 Ai weiweiというひとのなかの「湧きだして奔出する怒り」を表現し得て妙であると思う。 中国の知識人たちはAi weiweiの感情にまかせたような政府へのすさまじい個人の怒りの表現をみて、「これまでの自分達のやりかたではダメなのだと悟った」とインタビューで述べている。中国人の芸術家や知識人は伝統的にもっと穏やかな口調で、しかし巧緻な皮肉で政府を揶揄する伝統を持っていたが、そんなやりかたではまったくダメだということをAi weiweiが教えてくれた、という。 「知性のきらめき」などは国家にとっては鳥の糞ほどの影響もない。 … Continue reading

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マイナス金銭講座_初級編

カネモウケの話なんて低級なことは聞きたくない、という冷笑的なコメントや嘲りのコメントがいっぱい来て、この手の知ったかぶりで「きみの無知は笑える。きみは何にもわかってないけど、ぼくはなんでも知っている」という人たちくらい退屈なひとびとはいないのでめんどくさいのでやめてしまったが金銭講座のようなものはほんとうはたいていの人に必要なものだったと考える。 そーゆー下品なことは西洋人しか考えないのだという、いかにも「大義に生きる」日本人らしい思し召しを垂れるひともいたが、仰せの通り西洋人は下品なので、若い西洋人が一生の巻頭にあたって考える事は「どうやったらラットレースから抜け出せるか」ということである。 日本の人が志を大事にしながらみんなで一緒にラットレースの周回をくるくるまわる状態を好むのに比して、西洋人はどうやったら自分が、この稼いでも右から左に出ていく、ノーブレーキピストをこぎつづけるようなラットレース場から出られるか、ということを考える。 オークランドで言えば、一戸建てでも4%のリターンはあるので、3億円くらいの不動産を(自分の家を別にして)もってしまえば、1200万円の家賃が期待されて、税金を払ったり修繕をしたり、管理会社に払ったりしていると、800万円が懐にはいって、まあ、そのくらいあえばくえるか、というのがゴールとされている。 自分の家がだいたいリミュエラあたりなら1億円からあるとして、都合4億円の余剰のカネがいることになる。 金銭講座は高潔な日本のひとびとの道徳的な反対にあったのでやめて、ラットレースから抜け出たあとの話をすると、ウエストヘイブンのマリーナに行くと何百という世界一周が可能なヨットが並んでいて、そーゆえば、あのおっさんこの頃みないな、と思っていると、日焼けして帰ってきて、ロスアンジェルスまで行ってきたんだよ、という。 30フィート、すなわち9メートルちょっとくらいの艇長と腕前があれば片道1万キロくらいは、すいすいと行って帰ってこられるところが現代のヨットのよいところであると思われる。 現代のヨットは操船がチョー簡単で、GPSとチャートの組み合わせで帆を自動操作して勝手に進んでくれる。 300キロくらい間違えてたどりついたりすることもなくはないが、そのときはそのときで修正して行けばいいだけである。 全長が40フィートを越えるようなヨットはわしガキの頃なら夫婦ふたりで操船するのはたいへんだったが、最近は、ふたりで楽ちんで操作できるヨットがあって、ものをつくることに関してはかわいくないくらい頭がいいドイツ人たちのつくるヨットのなかには、ひとりでも操船できるものすらある。 いま売れている HANSE575 http://www.hanseyachts.com/#/gb/575/documents.html などは、その典型で、インテリアがみたとおりダサイが、すべてがややアホらしいくらい合理的に出来ていて、世界一周くらいは、問題なく夫婦ふたりでやれる。 ニュージーランドは飛行機の免許をとるのがチョー簡単な国なので、飛行機をもっている人もたくさんいて、前にも書いたことがあるよーな気がするが、「牧場」の家の近くにはパドックの柵をいちぶ取り払って、T10やなんかのクラシックプレーン飛ばしているひとがいる。 牧場を改造して自家用の飛行場をつくるのは、冬になると道路が閉ざされてしまったりする南島ではわりとふつーのことである。 モニもわしも、なにしろ生まれてからこのかたずっとヒマなひとたちなのでPPLはもっているが、飛行機はセスナだと新しいスカイキャッチャーで400キロくらいしか飛べないので、たかがオークランドからクライストチャーチに行くのでさえ何回も給油しなくてはならなくて、結局、あんまり乗らなくなってしまう。 飛行機が好きな友達が来たときに、途中でエンジンをアイドリングにして、「きゃあああ、エンジンが止まってしまった。ど、どーしよう」と述べて脅かして遊ぶくらいが、楽しみで、あんまり楽しいことはないと思う。 そのうち何かの弾みでマジメに仕事をするようになったら双発のジェット機でも買うべ、と思っていたが、わしがマジメに仕事をするようになるのはイエローストーンのスーパーボルケーノが爆発するよりも可能性が低いのが、われながら、判明してきたので、どうせそのうち一式陸攻のレプリカを秘密制作してラバウルの上空を飛んで土地の古老をびびらせる、くらいのことしかしないのではないかと思われる。 一式陸攻は、飛ばすには余程いい飛行機らしくて、機銃弾があたると簡単に火だるまになって7人の乗員があっさり死んでしまうので戦争には向かなかったが「戦争にさえ使わなければ、あんなに良い飛行機はなかった」という証言がいくつも残っている。 あの飛行機はたしか6000キロ飛べるので、タンクを増設すればオークランドからホノルル(7000キロ)くらいはいけるはずである。 ヨットよりも楽ちんなのは、ツイッタでも述べたがパワーボートで、アメリカ人はモーターヨットとかいう訳のわかんない言葉で呼ぶが、要はディーゼルか300hpx2でまかなえる程度の大きさ(艇長12メートルくらいまで)ならガソリンのエンジンで自走するボートのことで、スティーブジョブズが企画して自分のためにつくった巨大な船でなくても、40トン程度のボート http://www.tradeaboat.com.au/news-and-reviews/article/articleid/80626.aspx があれば、最近は気象レーダーが発達しているので、かなりとおくまで安全に行ける。 さっきのヨットもそうだが、いまのボートは、7メートル程度のニュージーランドのふつーの会社員が買う程度のボート http://www.smuggler.co.nz/this_smuggler720spt.php でも、ステレオにシャワーやトイレ、ダブルベッドくらいはついている。 夫婦で、週末に出航して、どこかの半島か島の入り江で酒を飲んで釣りをしたりディンギィを下ろして、無人島に上陸してテントを張って遊んだりする。 ラットレースから抜けだして、家のホームローンも払っちゃったもんね、という30代の夫婦がもっともオカネを使うのは旅行だろう。 たしかニュージーランドの法定有給休暇は28日だったと思うが、この1ヶ月の休暇を固め打ちして、たとえば欧州に行く。 たいていその国にいる友達の家に泊めてもらうが、もうちょっとオカネを使う気があれば短期貸しのアパートに泊まって1ヶ月を過ごす。 ホテルはどんな場合でも最後の手段だと思います。 どーしてもホテルしかなくて、万事休すやむをえない場合というのはあって、そういうときはなるべく小さいホテルで過ごすほうがよい。 ヒルトンのような世界チェーンに泊まるのが最低で、普通はそういうところには泊まらないと思う。 ブログ記事に書いちったホテルでゆえば、ラチャマンカ http://www.rachamankha.com/ や、El Far http://www.greatsmallhotels.com/costa-brava-boutique-hotels/hotel-el-far#description のようなタイプのホテルが最もよい。 … Continue reading

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天地無用社会

ノースショアという地区は、オークランドの橋の向こう側にある地区で韓国の人がたくさん住んでいる。 もともとは「白い町」で右を向いても左を向いても同じような「元イギリス人」が多くて退屈な地区だったが、どこの国でも同じ、日本の人と韓国の人は「白人地区」が大好きなので、あっというまに5万人という韓国のひとのコミュニティが出来た。 モニは半分菜食主義みたいな食事が好きなので、なかなかうんといってくれないが、わしは下品にも肉肉しい食べ物が好きなので、コリアンBBQを食べに行きたい、と思う事がある。 カルビが好きです。 骨のまわりに肉がまきついたように切ってあって、炭火のストーブの上に載せたパンの上から店のひとがハサミで切って焼いてくれる。 もっとも周りを見渡すと、これはわしがマヌケげな「ガイジン」であるからかもしれなくて、ふつうの半島人の客は自分達で勝手にハサミで切って焼いて食べている。 韓国料理屋に行ったことがあるひとなら、みな知っていることだと思うが、10個から20個という数の小鉢が出る。 キムチ、水キムチ、チヂミ、ホウレンソウをゴマとあえたもの、牛スジの煮込み、… いっぱい出てくる。 こういう小鉢は無料ででてくる。 お代わりもタダで、ホウレンソウのチヂミがおいしいので、3回くらいお代わりをすると、店の主人がやってきて、そんなにおいしいのか?と訊く。 無茶苦茶おいしーんだけど、というと、えも言われない、というか、子供のようなまっすぐな表情で相好をくずして、暫くすると、でっかいピザのLサイズくらいのチヂミをもってきて、もちろんタダだぞ。食べろ食べろという。 ほんで500グラムくらいの、さっきのBBQのガルビとスープとご飯で20ドル(1600円)なので、ときどきでかける。 店内でみかける大学生たちは、どうやら半島から高校を卒業して大学に勉強に来ているようで、どことなく、というよりも瓜二つというくらい日本の留学生たちに似ている。 韓国語で、くつろいで話している。 わしが子供の頃は髪の毛を染めているかどうかで日本人とその他の東アジア人の区別がついたが、最近は半島人も男も女も髪の毛を染めるようになったので、外目にはまったく区別がつきません。 なぜかたいてい女の子ばかりの集団だが高校生たちがはいってくると、多分、小学校くらいからニュージーランドにいる人が多いようで、韓国の人は3歳くらいから子供を英語圏に「留学」させるので有名だが、まったくアメリカナイズされている。 ニュージーランドで育って「アメリカナイズ」は不思議であるし第一曲芸みたいだが、現実の様子を書いているだけのことで、実際アメリカナイズという言葉が描写としても最も適当であると思われるので、やむをえないと思ってもらえないと困ります。 どうしてそうなるかは、当の半島人たちに訊いてみないと判らない。 はいってくるときは、丁度アメリカのティーンエイジャーたちがカフェにはいってくるときと同じでがやがやと、あるいは缶コーラを手に持ち、スマートフォンの画面を見てたちどまったりしながらやってくる。 テーブルについても、座り方のお行儀の悪さから、椅子とテーブルの距離に至るまでアメリカ人ぽく構えている。 ところが店の主人がテーブルに注文をとりにくると、突然、申し合わせたように椅子に背を伸ばして座り直して、あまつさえ椅子を手でひいてテーブルに近付けさえして、「きちんと」する。 声の調子から、表情まで変わって、東アジア風にrigidな態度になる。 想像するに店の主人は明らかな年長者なので、年長者への敬意をみせているのだとおもわれるが、まるで切り替えスイッチがついているような変身の鮮やかさで、横でみていて、感心してしまう。 上下の別に厳しいのは日本社会の特徴であると思う。 英語人の国で観察していると、上下の別に最も厳しいのが半島人で次が日本人かなあー、と考える。 豊臣秀吉に会いに行った朝鮮使節は、儒教の礼なんてしったこっちゃねーよ、な日本人たちの態度の悪さ、礼儀もなにもない下品さに「野蛮人の国」と太鼓判を押すが、その憤りと侮蔑の様子はむかしむかしのフランス人のビンボで礼節を知らぬイギリス人に対する憐れみというようなものとは、また質が異なって、「人間じゃねーな、こいつら」という激しいもので、儒教が玄界灘を渡りきれなかった様子がよくわかります。 日本の上下の別の厳しさは、長年時代劇で鍛えられたらしい日本のひとの前近代観とやや異なって、近代にはいってからのものではなかろーか、と思うことがある。 近代以前から、長幼の序も、どうも本を読んでいると農工商がこの順に階級だったとは当然信じられないにしても、「士」とその他という形では実際に存在したらしい階級社会もあったのはほんとうだが、いまの日本社会のように社会的地位と年齢と性別その他諸々の社会的ポジションを入力して瞬時に偏差値が導き出され、その偏差値によって話しかける言語そのものが変異するというようなチョー巧緻な上下別社会は近代にはいってからのものであるようにみえる。 勝海舟のおとっつあん(父親、というよりは、どうみても「おとっつあん」な人です)である勝小吉が自分の一生を聞き書きさせた「夢酔独言」が典型だが、江戸時代も終わりの旗本などは、もうデッタラメもいいところで、文字の読み書きはできない、武芸の練習などやったことがない、それなのに喧嘩だけは大好きで、朝から大酒を飲んで旗本の倅同士で徒党を組んで寺の境内やなんかで乱闘を繰り返しては、おれが勝った、見たかボケナスと言ってえばりかえるという、現代で最も似ているものを探すとやくざのチンピラみたいなひとびとであったのがわかる。 そういう「上」がポンポコリンな世の中になると、たいていは下の階級のものが暴れ出して上の階級のものを社会から駆逐して討滅することになるが日本の場合はそうならずに、薩摩と長州という「別の国」が攻め上ってきて徳川の世にとってかわってしまった。 いまで言えば中国の人民解放軍がせめのぼってきて自民党政権を駆逐するようなものである。 薩摩の社会というのは、上から末端まで綺麗に上下をつけてしまうのが特徴の全体主義社会で、義理叔父は先祖が薩摩の出身だが、義理叔父のじーちゃんの頃は、まだまだ全然サツマっていて、なにしろ小学校に入ると総当たりで喧嘩をするのだそーである(^^) 殴りに殴りまくって、いちばん強かったやつが学年の大将になる。 以下、二番から237番という末席の、実際にも自殺することが多かったらしい「いじめられっ子」に至るまで、小学校のときから綺麗に順番がついている。 日本の近代軍事力は薩摩人が基礎を築いた。 途中で自分達の「いちばんの大将」西郷隆盛が冷遇されて、やってられるかバッカロー(註:ウイリアムサロイヤンの小説に出てくる主人公がただひとつ聴き取った日本語でんねん。もちろん「バカヤロウ」のことである)というので大挙して薩摩に帰ってしまったりしたが、もっとねっちりした官僚仕事に向いていたらしい長州人と異なって軍事と戦争が大好きであったらしい薩摩人は日本の軍隊の文化形成におおきな力をもっていた。 わしは日本の人にとっては「近代」とは近代軍隊のことではなかったか、という深い疑いをもっている。 かすりの着物を着て走り回っていた田舎の村をでて、地方の青年が初めに見る「西洋」は徴兵されて入営する軍隊だった。 いま言われるほどにはなかなか成功しなかった日本の近代化は「鎮台」と呼んだ鎮守府がかき集めた絵に描いたような弱兵が薩摩の精鋭軍兵を圧倒的な武器の優勢によって制圧した軍隊において最も成功した。 着物を着て過ごした田舎の若者達は、軍隊に入営することによって草履を靴に履き替え、ズボンとシャツを着る習慣を身につける。 … Continue reading

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Buon soggiorno !

人間がひとらしくなるのは18歳くらいだろうか。 16歳や17歳はいかにも人間を始める前夜祭というか、男も女も、たとえば恋愛といっても肉体的な欲望の衝動が強すぎて、チョー下品な言葉をつかえば「やりまくり」の頃であって、盛りがついているというか、週末ともなれば、いちゃいちゃもんもんばかりしていて、なんだか忙しい。 18歳くらいになってやっとお互いの眼をみつめる余裕ができるもののよーである。 長いあいだ人間の肉体を構成している部品の耐用年数は100年ということになっていた。 大事につかえば一世紀もつ、保証書はないけどね、ということになっていたが、最近は改訂されて50年であるという。 赤ん坊になって大気中に放出されてから50年までは神様がデザインしたときの想定年数だが、そこからあとはだましだまし使ってもらうしかない。 膝が痛んだり、文字が読めなくなったり、DNAの転写を間違えたりしているうちに、だんだん壊れてきて、無力型の体型になって、最終的には動かなくなって棺のなかにはいる。 魂というものを仮定すると魂は肉体をもたないので思惟することしかできない。 考えるだけでもおぞましいが、恋人の滑らかな肌の感触を自分の肌に感じる、あの得も言われぬ感触も、夏の暑い日にボートから冷たい水にとびこんで泳ぐ爽快も、小川を跳躍して越える愉快さも、魂は、どれも感覚することができない。 聖体はおろかチョコも食べられないので、魂などは文字通り取りかかりのないぼんやりした闇のなかで退屈きわまる時間を過ごしているのだと言わざるをえない。 ただ考えることだけしかできない、肉体という感覚受容器のかたまりを装備している生身の人間からみると、気の毒というのもあほらしいくらい惨めな存在です。 そうして、ある日、魂は肉体を求めてもどってくる。 春の日だまりの暖かい陽射しのなかに身を横たえる心地よさや、ボートをこぐ手を休めて、水のなかに揺れる、あのくすぐったいような微かな動揺を求めて帰ってくる。 出生のときの、あの爆発的な叫び声は泣き声の姿をしているが、実際には魂がふたたび人間の肉体という歓喜に満ちた感覚受容器を獲得した有頂天の雄叫びであると思われる。 人間が一生を生きることの意味を考えるのが難しいのは、生きることの意味を考えることに大した意味がないからである。 死が迫った人間は「自分の一生とはなんだったのか?」と考える習慣をもつが、それもただの習慣にしかすぎない。 そこで起きているのは本末の転倒で、意識は生じたものであるにすぎず、そうであるのに自分の意識が自己であると仮定した結果、話に混乱が生じてしまっている。 人間は(日本のひとがなぜか大好きな言葉でいえば)「考える葦」なのではなくて、 「葦」なのであると思う。 考える、ということは偶然生じた属性にしかすぎない。 厄介なことにその属性が思惟と発見の主体なので、言葉が一人称であるところへ「私」が移動してしまっているだけである。 ざっと20歳から50歳まで、保証期間中の人間の稼働期間は30年ある。 その30年間にどんなことが出来るかというと、馬に乗る、テニスをする、泳ぐ、自転車にのって転倒する、頭に興奮物質が充満するまで長距離を走る、筋肉を使う遊びというのは楽しいもので、人間の遊びの重要な部分をなしている。 肉体だけではなく、魂のほうも営業しているので、ベンキョーしたりして、こっちのほうも多少は面倒をみる。 他人と話して笑い転げたり、しんみりしたりするというのは重大な快感なので、言語もせめてみっつくらいは身についていないと、つまらない。 さらに重要な楽しみは、「もうあんまり行く所がなくなっちゃったな」という、言い方を変えると「地球は意外と狭い」と実感する程度まで旅をすることで、UKやニュージーランドでも、他の国に住んだことがないひとは「アジア人は狡猾でたまらん」というようなことばかり言っていて、さびしい人格のひとが多いようだ。 トルコのクルド人弾圧の知識を精いっぱいひけらかして、鼻息をふんふんさせているより、当のトルコ人とクルド人の夫婦(数が多い)と、アジアンサイドのイスタンブルで、ランタンを買いに来たのに「まあ、かけていきなよ」と言われて、トルコ人たちの、あの途方もなくおいしいお茶をのみながら、お互いにわかる語彙を動員して、天気の話でもしていたほうが楽しい。 故国では儀仗兵というたいへんな名誉がある仕事であったのに、ニュージーランドではマリーナの清掃という仕事しかない仲のよいフィジー人のじーちゃんが、娘夫婦に一緒に暮らそうと言われたのにクイーンズタウン(日本で言えば軽井沢、だろうか)に行かなかったという。 びっくりして理由を訊くとささやくような声で「ここは海に近いから」というので、そういうことは失礼であるのに、言葉につまって気が付くと涙がでてしまっている。 あるいは望月の緑の稲がいちめんに広がった畦道をモニとふたりで歩いていると、向こうからちいさなちいさなばーちゃんがやってきて、傍らによけて道を空けて待っていると、ばーちゃんがたちどまって、にっこり笑って、「ひゃああああー、ガイジンさんはおおきいのお」という。 80歳くらいだろうか、あのばーちゃんの子供のような眼の輝きをいまでもおぼえている。 本に書かれてしまったことは、みなつまらないことばかりである。 そこには人が恋しくてたまらないトルコ人おっちゃんの厚みのある手のひらのような笑顔もなければ、フィジー人じーちゃんの魂のなかの波の音も、長野県のばーちゃんの、70年余の時間の向こうからまっすぐにこちらを見つめている幼い子供の強い好奇の眼の輝きもない。 多少でも知性のある人間は本を読むのが病気のようなもので、ほうっておくと本ばかり読んでいるが、やはりそれは病的な状態で、不健全なだけでなく、本人が考えているよりも深刻な狂気に囚われた状態であると思う。 病状が重いかどうか知りたければ、自分が知っている世界の悲惨を数え上げて、これまでその悲惨に対してどれだけのことをやってみたか考えてみるとよい。 悲惨への認識に対して行動があまりに少なければ、どう言い逃れを試みても、やはり心が病んでいるのである。 前にハウラキガルフは全体がよく出来たオークランド人の遊び場であると書いたが、地球そのものが、広いとは言っても有限で、だいたい10年くらいでどこになにがあるか判る、というハウラキガルフに似ている。 人間の「保証期間」の30年は、うろうろしてみると意外と狭い地球の上でいろいろな人間や事象と出会うには、案外ちょうどいい時間の長さなのかもしれない。 人間は世界を「感じ」に生まれてくる。 永遠の魂があるとして、魂は感覚の記憶なしでは死滅するほかないからであると思う。 … Continue reading

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葉隠の葉が枯れるとき

凝固した光のような美しさに眩んだ目をおちつかせてみれば日本刀は暴力である。  フロンティアのアメリカ人たちが腰に差していた拳銃と歴史的思想的にほぼ同じ意味をもっている。 新渡戸稲造の発明した「武士道」やさまざまな観念的装飾によって日本人自身忘れてしまったようにみえるが、落ち着いて考えてみれば自明というのもばかばかしいほど自明なことで、明治時代に政府からの強圧的な命令で廃止されるまでは、「一人前の男」ならば公道で携帯されるべき究極の暴力として日本刀は存在した。 1588年に豊臣秀吉が刀狩を行うまでは農民も日本刀をもっていた。 もっというと刀狩のあとでも村落には槍や弓矢は武器として大量に貯蔵されているのが普通だったはずである。 アメリカ人で銃砲規制に反対する人間の理屈は、聞いていると、明治時代に帯刀を禁止された武士の理屈と瓜二つで、面白いなあ、と思う。 人間の魂の独立のために必要である。 戦う手段がなくてどうやって個人の尊厳が保たれるというのか。 ニュージーランドは銃砲許可を得るのが簡単な国で、クルマの免許をとるより簡単である。 3種類の免許があってライフルが最も一般的で狩猟免許にあたる。 突撃銃(圏銃弾を使った機関銃)やオートマティックライフルも所持するのにたいした障碍はない。 アメリカと異なるのは「持って歩けない」ことで銃はすべて専用の鍵がかかるロッカーにいれておかねばならないことになっている。 警察が1年に1回程度やってきてちゃんとロッカーにはいっているかどうか見に来ます。 近所の機関銃までもっている銃を偏愛するおっちゃんに、なんでそんなに銃が好きなのか、と訊いたら、しばらく、ちょっと寂しいような表情で考えてから、 「人を殺したいんだとおもう」と述べたのは、前にもこのブログ記事で書いた。 しかしロッカーのなかに暴力として閉じ込められているので、なかなか社会文化的な意識の表層にまで銃がのぼってくるわけにはいかないようでした。 英語世界では「どの武器がすぐれているか?」というようなテレビ番組は、やたら暴力的な英語人の性格を反映して年がら年中やっている。 日本刀は、番組のなかで取り上げられる武器のなかのスーパースターで番組に登場するたびに称賛をひとりじめにする。 観ていて、凄まじいとしか形容できない暴力の発現であると思う。 これほど素晴らしい破壊の精髄をつくりうる文明の、暴力への宗教的偏愛というものは、ほとんどその湾曲した刃面をみただけでわかる体(てい)のものである。 漢の劉邦が国家原理に儒教を採用したのは手にした権力に秩序をもたらすためだった。 漢帝国の国家的行動原理に採用されることによって儒教は東アジア一帯に決定的な力をふるうことになるが、朝鮮半島人が中国人自体よりも原理主義的に儒教を信奉して内心ひそかに中国人などよりも自分達こそが儒教の民であると考えるに至るほどの先鋭的な優等生であったのに較べて日本人は劣等生もいいところでせいぜい儒学にとどまって儒教までは行きつかなかった。 いろいろな理由があるだろうが、蒸し暑い島に住む海洋民族であった当時の日本人にとっては「肌をみせない」儒教的タブーは暑くてやってられるか、というような習俗と、儒教では極めて重要なさまざまな局面での「適正な形」の「そりがあわなかった」という理由も案外とおおきかったように思える。 十二世紀になると日本人は多分平安時代の辺境で発明された日本刀に儒教の役割を担わせようとした。 観念よりも暴力によって自分達の世界を統制しようと試みたわけで、たいていは系統的に整備された観念への畏怖によって挫折する試みに、武士達は当時の貴族達の腐敗を利用して暴力による統制という新しい試みに成功する。 江戸時代になってからまとわりつきはじめて、明治時代に至って知識人によって喧伝されるに至る「侍の美意識」などは日本刀に象徴される暴力支配の本質からすれば刀の鍔の装飾ほどの意味もないことであると思う。 日本人が東アジアではただひとり、徹底的な暴力の信奉者として歴史の舞台に登場する民族であることのほうが遙かに重要なことであると思える。 もうひとつの暴力社会である西洋の歴史を眺めればわかるが暴力を原理とする社会には勝者と敗者のみが存在して、本来、その中間にはなにも存在しない。 弱者への「おもいやり」は勝者が自己満足のために行う傲慢な儀礼であることも多い。敗者への苛酷な眼差しがなによりの特徴であって、失敗者は失敗した者のがわに理由がるはずだというロジックが発生する。 武芸の本質はからだの動きのモーメントを退避力と打撃力に特化させて無駄なく移動させることにあるので暴力社会では「効率」が極端に奨励される。 そうやって暴力的な支配をつくりあげてしまえば、あとは「戦いの美」なり「極意」なあり、なんでもいい、ひとうけのする神聖ぽい聖性をでっちあげてしまえば、それで社会の行動規範になりうる。 容易に想像がつくことだが、絶対暴力が本質である西洋型近代国家と日本人がそれ以前から営々と築き上げてきた暴力崇拝社会はごく簡単に合体してひとつのものになった。 どちらの社会でも神殿に座っているのは、ふだん不可視ではあっても一朝ことあれば、あっというまにむきだしの姿をあらわす暴力だからです。 日本が他の東アジア諸国に先んじて近代化を達成したのは儒教的なめんどくさい繁文縟礼よりも暴力の明快さを好んだ民族性によると思われる。 日本の社会の特徴は、常に被害を被る側の一方的な犠牲によって社会そのものが成立していることで、性別ならば世界中に知れ渡っている、途方もないほど地位が低く、家事、育児、補助収入、すべてを押しつけられて家庭のなかでの過労死という悲惨で滑稽な事態まで引き起こしている女たち、企業ならば、性格も温厚な幹部達が、トーダイとキョーダイが将校、早稲田慶応旧帝大が下士官、残りはヘータイと、びっくりするようなことを穏やかに笑いながら述べるサラリーマン、世代でいえば、未来をとりあげられたまま、しっかり働け、ゆとりはさんざん楽しんだんだから、もう夢はみるなよ、と報酬のかわりの投げやりな激励だけが支給される30代以下の若い世代、と踏みつけにする側と踏みつけにされる側がくっきりとふたつに分かれて、内臓が破裂するまで社会が上にのっかって徹底的に抑圧する。 そういったすべての無惨な現実に「日本的な文化」「和」「精神性」というような他の社会ならば失笑されるような粉飾をオオマジメに述べて、改善する必要はないと太鼓判を押すのが日本の社会がもつ最重要の機能である。 それでもインターネットや海外の生活を通じて、治療されないでむきだしのままにされた刀創に似たむごたらしさが隠蔽できなくなると「日本だけではない」「他の社会も同じだ」という呪文をとなえればたいていの「ヘータイ」は沈黙させられることになっていて、そのための材料になる「出典」を用意する訓詁学者は、笑い話のようだが、ボランティアで山のように存在する。 まず現実を認識することから始めなければならない、とわれわれは子供のときに教わることによって自分の一生をスタートするが、なんのことはない現実をまっすぐに受け止めるという技量は人間が生きていくために必要な技量のなかでも習得が最も難しいものであるせいで、自分にもうけいれられる「観念で整形されたサブセットとしての現実」を傍らにおいて、それを現実であることにする。 しかしサブセットは単なるサブセットで現実そのものではないので、やがて自分がみている現実と自分ののしかかる現実の差異のなかで個人どころか社会ごと押しつぶされてゆく。 どの社会も経験する、そういう矛盾の圧力によって社会が破砕される瞬間にいまの日本人は生きているのかもしれません。

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「ふつう」をめざすということ

33歳と34歳の夫婦。 旦那さんは元は南アフリカの人で奥さんは両親がイギリス人の2代目移民である。 ITのものならなんでもチョー遅れているニュージーランドでは珍しくふたりともIT会社で仕事をしている。 旦那さんはシステムインテグレーションの仕事のエンジニアで奥さんは日本で言う「外資」の役員です。 会社のパーティで出会ったのだそーだ。 わしはもともと旦那を知っている。 この頃は行くのがめんどくさくなって自分の家で運動することにしたのでやめてしまったが、(と書いていて思いだしたが、駐車場がないジムで最寄りの駐車場が1時間320円というたわけた駐車料金になったのでやめたのだった。記憶のすりかえおそるべし) 前によくでかけたジムで知り合った。 メートル法になおすと2メートルちょっとであるわしとちょうど背丈がおなじくらいで、ふたりとも鉄筋筋骨製のような体格も似ているので一緒にトレーニングをすることがおおかった。 気のやさしい、誠実なひとで、よいひとです。 ときどきパブで一緒にビールを飲んだりした。 ツイッタでニュージーランドの「普通の生活」について日本語ツイッタ友達と話していてニュージーランド人の「普通の生活」を書いてみようかと考えた。 15年前は日本人の平均収入のちょうど半分だったニュージーランド人の収入は、いまは8割弱で、数字の上ではだんだん近付いてきたが内容は随分ちがう。 アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドはもともと貧富の差がおおきいので有名なみっつの国で、ニュージーランドのオークランドでもハーンベイ・ポンソンビーというCBDに隣接した小さな住宅地、東側に広がるパーネル、オラケイ、リミュエラ、セントヘリオスというようなところに家を買うのは一億円はないと小さな家でもまず買うのは無理である。住民同士仲がよいコミュニティがまだ生きている住宅地で、オラケイだけは南半分が国が建てたアパートが並ぶ貧困地区、北半分が10億円を優に越える住宅が並ぶ通りを3つもつ変わった性格の住宅地だが、概してこそ泥は年中あるが平和で、夜眠るにも鍵をかけないで眠るひとも多い。 一方オークランドの南一帯に広がる広大なサウスオークランドは「Once Were Warriors」 http://www.imdb.com/title/tt0110729/ の舞台になった地域で失業、家庭内暴力、暴力性犯罪、麻薬中毒、アルコール中毒が蔓延している。 ギャング同士の抗争で命を落とす十代の人間も多い。 書いてあるものをちゃんと読んでみたことはないが、近所のばーちゃんなどと散歩の途中で話をすると「ニュージーランドの犯罪の8割」がサウスオークランドで起きるという。このばーちゃんだけでなくて、同じことを言う人は多いが、サウスオークランドはマオリ人とポリネシア人が多い地区なので「異文化圏」に対する偏見もあるのかもしれません。 ニュージーランドは住所がわかればいま住んでいる人がいくらで家を買ったかわかるので、内緒で、いまちょっと見てみると、友達夫婦は1億2000万円でリミュエラの家を買ったものであるらしい。 セクションが小さい200坪くらいの家で、手間がかからない小さな庭があって残りはテラコッタのタイルが敷いてある、いま流行のタイプの家です。 これも最近の流行である石窯とテーブルがキッチンの外側にあるが、(これも殆どの家と同じく)石窯はめんどくさいので飾りで、普通のワゴン式ガスバーベキューが横に置いてある(^^) 生姜色の成熟した性格のおおきな猫が一匹と猫よりもずっと小さな、チョーちびこいWest Highland White Terrierの子犬が二匹いる。 子供は3人は欲しい、というので、友達に、こんなところでだべっているヒマはないではないか、とよく下品な冗談をゆわれる。 奥さんはIT関連の学位をふたつもっている管理職だが会社には1ヶ月に2回くらいしか行かない。 Polycomのシステムが家にはいっているが、「スカイプですますことのほうが多い」そーです。 ファイバー・オプティックがまだ来ないのでエクスチェンジに近いいまの家を選んで買った。 クラス6ケーブルが壁の裏側や天井を通して張り巡らされていて、ラウンジを含めて6つある部屋のどれにも50インチのプラズマとLEDのHDTVがある。 マルチリモコンは流行のロジテック110iを使っている http://www.logitech.com/en-nz/product/6378?crid=60 奥さんはBMWの3シリーズで旦那はフォードのエクスプロアラーです。 http://www.ford.com/suvs/explorer/ こうやってずらずらと具体的に書き記してみて思うのは、自分でも予期しないことで、日本では若いひとに給料を払わなさすぎるのではないか、ということだった(^^) この夫婦は「結婚めざして預金」などということは全然考えていなかったので、ふたりとも独身のままでいいや、と思っていたのに会社のパーティで会ったら、一目で恋におちてしまって突然結婚することになった経緯は、わしは旦那を通してよくしっている。 日本の年齢と状況が同じくらいの友達と較べて考えると、まず給料の体系が異なるので、ニュージーランドの平均年収が日本の8割弱だと言っても20代だけで較べると、(これも統計をみて言っているのではなくて普段の生活からくる「感じ」だが)ニュージーランド人は3倍くらいもらっているのではないだろうか。 … Continue reading

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ひととひとが

人間の一生はおもしろいもので、1年2年と経っていくうちに、悪党は悪党同士、狡い人間は狡い人間同士、善良な人間は善良な人間同士、というふうにごく自然に固まってゆく。ビジネスの世界では特に顕著で、悪い経営者は悪い経営者同士で騙しあいをする。悪党はだいたい悪党に裏切られて破滅することが殆どであるのは眺めていて面白いほどである。 ふつうの人間は薄汚い魂の人間と口を利くのがめんどくさいので、なにか言われても相手にしない。 日本語の社会でいえば日本は特殊な社会なので「薄汚い魂の人間」がときに何千人何万人という数になって圧倒的な多数になるのは実験済みだが、それでも事情は同じであるべきだと考える。 そのうちにブログ記事に書いてしまうかもしれないが、自分が嫌いな人間が4,5年経つうちにやたらと事故死や病死をしてしまう考えようによっては怖いひともいるし、これは普通のひとが想像するよりも数が多いが、オカネモチのなかにはヒマツブシに自分の悪口を言った人間の人生を、たいていは思いも寄らない何年も経ったタイミングで、ちょうど猫がネズミをなぶり殺しにするようにずたずたにして「遊ぶ」ひともいる。 しかし、ふつうの人間はそういうヒマなことはしないことになっている。 関わりを避けていくだけなので、付き合いの範囲内に現れるのがまともな人間だけになってゆく。 いまの自分のまわりを見渡すと30歳というような年齢になると、まったく行儀のよい良識人ばかりになってゆくもののよーである。 そうやって現実の生活ではむかしからよく知られた当たり前のことであるし、インターネットの世界でもよく眼をちかづければ薄汚い人間は薄汚い人間だけで語り合い、まともな人間はいつのまにかまともな人間だけの集団をつくってお互いを近い人間として認識しているものであると思う。 切羽詰まったひとは、だいたい親しい友達をだましてオカネをはぎとろうとする。 しばらく会っていない「高校のときの親友」というようなのが標的になりやすいのは万国共通であると思う。 落ち着いて考えてみれば簡単な理屈で、来月生きてゆくにも困る、という状態のひとは、普段付き合いのある周りの人間にはみな現状がばれていて、あのひとにオカネ貸してももどってこないよねー、とみなに思われているので経済上の信用がない。 だから近しいひとで自分の現況に疎いひとをだますことになる。 あるいはビジネスの世界ではいよいよ乾坤一擲、誰かを欺して何十億円か手にして逃げようと考えるひとは、もっとも親しいオカネもち、あるいは自分をもっとも信用してくれた上司、というような人間をだますのは定石である。 これは知らない人間はそうそうオカネについて他人を信用しないという理由によっている。 そうして、神と人間についても、これとよく似た事情がある。 何の気なしに、むかしの友達と連絡しなくなってしまって、どうも怠けているのはよくない、と呟いたら父親に聞きとがめられて「それは違うだろう」と言われたことがある。 「友達というものは変わってゆくものだ」という。 「自分が成長するにつれて、友達は退屈な人間にみえてくるもので、また、そうでなければならない」 やな奴、と思ったが、是でもなく非でもなく、しばらく会わない友達のことを考えると、父親の、いかにもこれまでの一生を社会の選良として過ごしてきたひとらしい言葉を思い出す。 30歳にもなると、避けがたく、他人への関心がなくなる。 なにが起きても腹がたたなくなるかわりに、自分の気持ちのなかに「くだらない人間」に対する底冷えのするような軽蔑の気持ちの層ができてしまっているのを感じて狼狽する。 他人を軽蔑する気持ちの強い人間に囲まれて育ったので、あんまりこういう人間たちの同類にはなりたくない、どんなバカが相手でもちゃんと腹を立てなくてはいけないだろう、と思っていたのに、見事なくらい同類になってしまったのではないか、と疑念が生じる。 モニと小さな人とわしとが幸福ならばそれでよくて、他のことなどどうでもよいと思っているのではなかろうか? もとより罪悪感をもって考えるような種類のことでないのは当たり前だが、それでも世界に対して冷淡であるというのはすごくカッコワルイことなのではないか? たとえばハイチやコンゴの悲惨についてモニとわしは大きな関心をもっている。 チベットについても、ふつうの関心以上の気持ちがある。 他人に言うことではないから具体的なことは書かないが、寄付だけではなくてモニとわしとふたりでいろいろな活動にも参加する。 だが結局、人間性への過剰な期待などはとっくのむかしになくしているのではないだろうか。 恋をすると人間は何も手につかなくなる。 一日じゅう、ぼおーとしていて、赤信号で道を渡ろうとして死にかけたりする。 冬の冷たい雨にびっしょり濡れながら両手におおきな花束を抱えて歩いて道行く人にヒソヒソされたり、カウチに天地さかさまに腰掛けた挙げ句に頭を床にしたたかぶつけて涙ぐんでいたりする。 おもいだすと犬さんよりも頭がわるいのが歴然としているので赤面するが、いわば自己批評機能が完全に停止した状態であったその頃を思い出すと、人間が正しい叡知に到達するにはどうしても愚かでなければならないのだと悟る。 人間性の限界は合理的思考によって生まれる。 合理的な精神は確かなものだけを材料にすることによって不十分に小さい集合サイズの十分条件のなかだけで自転してしまうからである。 ある種類の頭のわるいひとは、自分を局外の批評家のようにみなして、「笑える」「微笑ましい」というような言い回しをしたがるが、なぜそういう無効な現実との関わり方を告白し、あまつさえ広く他人の目にさらしてすら恥ずかしくおもわないのかというと、極端に限られたロジックと知識で懸命につくりあげた犬小屋のような自分の侘びしい「合理性の部屋」を自分なりに念入りに点検して、堂々たる知性の城塞のように妄想してしまっているからだろう。 人間の偉大さは普遍的価値基準に照らせば自分で感じている価値の千分の一もないに違いないささやかな理性よりも、自分の口で自分のシッポをくわえて完結させた自家中毒的理性から腕をつかんでつれだしてくれる愚かさのなかにこそある、と何度も書いた。 そこにしか希望はない、とも書いたことがある。 誰でも経験するとおり霧に閉ざされた向こう岸を見ることなしに跳躍するのでなければ人間が人間でありつづけることは出来ないが、跳躍の瞬間、たしかに向こう岸が存在することを保証するものはなにかといえば、それはお互いでしかないのだ、と発見して驚いてしまっているのかも知れません。

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日本の古典_その5鮎川信夫

見知らぬ美しい少年が わたしの母の手をひいて 明るい海岸のボートへ連れ去っていった というのは鮎川信夫が1948年に書いた「秋のオード」の初めの三行である。 堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」に出てくる「良き調和の翳」とは鮎川信夫のことだが、当時、早稲田大学の学生だった鮎川への友人達の表現は定まっていて「初めからおとな」「出だしから完成されている」というようなものだった。 書くものの情緒が時代に寄り添いすぎていたために言葉を微調整しながら読むのが難しいが天才詩人であった牧野虚太郎ややはり突出してすぐれた詩を書いた森川義信が安心して詩を書けたのは(牧野と森川は戦死してしまうが)この戦後に「荒地」という重要な現代詩の同人に育ってゆくグループの中心に鮎川信夫という批評精神が立っていたからだと思われる。 初期の鮎川信夫の詩を読むと鮎川信夫自身、田村隆一ほど巧みではないかもしれないが(詩の世界では「巧妙である」ということは重要なことである)すぐれた詩人であって、しかも後年の印象とは異なって、もともとは抒情詩人としての資質にすぐれた人だった。 17、8歳の頃の詩だと思うが、「寒帯」という詩には 「あおく、つめたく…. 青い魚が跳ねると 沼の静けさが、かへってきた」 という詩句がある。 沈黙のひろがりのなかで一瞬するどく輝きながら跳躍して反転するものを見る、というのは鮎川信夫の基本的な感覚のひとつで、鮎川の目のなかでは世界に生起する事象というものが、すべからくそのようなものとして見えていたに違いない。 田村隆一は詩で重要なこととして「patheticであること」を挙げているが、文章のなかにおいてみると、実はこれは英語の用法としてヘンで、田村隆一が意図したことを意味しないが、(多分、田村隆一が生きている間は、この巨大な詩才をもった詩人に遠慮してまわりの英語人たちは田村の数多い英語の謬りを指摘しなかったのではないだろうか)しかし意味をくみとれば、やや高みに浮いた観念の息苦しい悲壮さ、というようなつもりだったのだろうと思われる。 田村隆一は、その感情をあらわすために高い、よく出来た金管楽器のような透き通る音をもったが、鮎川信夫は、もっと低い、しかし稠密な音色をもっていた。 抒情詩人の抒情を破壊して、鮎川信夫が一種の「破壊された情緒」を身につけて詩の中へ帰ってきたのは鮎川が徴兵されて、スマトラ島の戦線に送られ、傷病兵として帰還したあとのことだった。 詩人とは不思議な種族である。 詩人は、どんなに良い詩を書いても詩を書くことによっては暮らせないことを知っている。 戦後の日本では「プロフェッショナルの詩人」ということになれば、谷川俊太郎と吉増剛造と田村隆一の3人のみが挙げられるが、谷川俊太郎はコピーライターと作詞家、詩人、という遠目には似てみえなくもない三つの職業をうまくひとつの職業のようにみせることによって自分が生活するに足るだけの収入をつくっていった。 田村隆一は「詩人」として雑誌グラビアに自分のヌード写真を売った初めてのひとである(^^) このひとは「詩人」という職業名の光輝を、どのように世間に売っていけば収入に変わるかよく知っていた。 一種、古代ギリシャの哲学者のような渡世ができたひとだった。 吉増剛造のみが真に、直截に「詩人」として生きようとしたが、そのことにどういう意味があったのか、ここでは述べない。 いずれ吉増剛造の詩について述べるときに、書いてゆくことができると思います。 詩人にとっては詩に没頭すればするだけ、生活はできなくなってゆくわけで、それでも、良い詩を書くために午後の約束も放擲して詩人が机に向かうのは、うまく言葉が言葉をつれてきて、自律的に運動をはじめ、自分の思考というようなものは停止して、魂が中空に浮かんで危ういバランスを保ちながら浮いているような、あの感覚がなくなれば退屈で死んでしまうしかない、と感じるからである。 鮎川信夫は後世の評価である「鋭利な文明批評家」であるよりも、遙かに、本質的に詩人だった。 しかも、日本の近代史のなかでは稀な、絶望しきった魂をもつ詩人だった。 晩年、鮎川信夫のファンたちを悲嘆の底に蹴り落とした「戸塚ヨットスクール称賛事件」は、要するに、鮎川がついぞ人間の世界に希望をみいだしたことがなかった、ということの当然の帰結にしかすぎない。 鮎川信夫の魂のなかにあっては暴力と非暴力どころか、死と生すら境界をはぎとられて、ひとつの結界に同居するふたつの相似のものにしかすぎなかった。 口にはだせなかったものの、当時のひとのなかでは、鮎川の長屋の家へたびたびやってきては何時間も陰気な顔をして黙って正座して座っていて、じっと鮎川が原稿を書くのを眺めていては、また黙って帰っていったという、「遅れてきた兵士」であった、吉本隆明だけがその機微をしっていたでしょう。 「この病院船の磁針がきみらを導いてくれる」と船長は言う、 だが何処へ? ヨオロッパでもアジアでもない 幻影のなかの島嶼…….. という「病院船」の一節は文明批評というより鮎川信夫というデッドパン(deadpan)ジョークの一片だが、この詩が書かれた戦後直ぐの日本人よりも、いまの日本人のほうが広汎に詩句の意味を理解できるはずである。 あるいは、 姉さん! 餓え渇き卑しい顔をして 生きねばならぬこの賭はわたしの負けだ 死にそこないのわたしは 明日の夕陽を背にしてどうしたらよいのだろう … Continue reading

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An Ordinary Life_2

1 日本語では「夕まだき」という。 船を夕方の暮れなずんだ海の島影の下にいれると、たとえばアジは釣り糸を投げるごとに4本針のサビキに3匹ずつ釣れる。 のんびり釣っても10分も釣ると、1ダースくらいは釣れてモニとふたりで食べるには十分な量のアジがあがるので、それを甲板で、日本で買ったカッチョイイ「有次」の包丁で、たった1回であえなく終了した「ガイジン鮨スクール」の成果、素早く捌いて塩焼きにする。 塩焼きにするのも(臭くなるので)キャビンのキッチンではなくて、甲板でカセットガスボトルを使うポータブルストーブ(コンロ?)を使う。 モニがさっきから白ワインを片手に傍らに立って、「ガメは、お魚屋さんみたいだな」とわしの練達の腕をほめておる。 頭や内臓を、さっきからずっと物欲しげに船のまわりを飛び回っているカモメに投げてやると見事なダイブでひったくってゆく。 モニは器用なので、ずっと長く箸を使っているわしよりも、ずっと上手に箸を使う。 魚の好きな地中海人もアジだけは骨が多すぎて食べないが、モニは箸でさっさと無数にみえる小骨を避けてしまう。わしがときどき骨をかんで顔を顰めて指で骨をとりだすのを見て、「カッコワルイ」と言って大笑いする。 船を入り江にいれると、他に船がいないので、しばらく停泊灯をつけないでいて、まっくらにして、空をみあげて遊んだ。 遙かな遠くなのに空が嫌な色に明るんでいるのでオークランドの方角はすぐにわかる。 クルーなしでモニとふたりで船に乗っているときには、酔っ払ってしまうと、なにか起きてしまうと対処できなくなってしまうので、ペリエで割った赤ワインかシャンパンくらいで、あんまり飲まないことにしているが、それでもワインが1本空になってしまう。 スピーカーから流れていたマリア・カラスのソプラノの声を消すと、光も音もない、満天の星の他には何もない黒々とした海が広がっている。 2 冬の東京にもっといられなかったのは残念だったと思う。 冬、と言っても東京の冬はとても暖かくて、わしはたいていTシャツ一枚で過ごした。 1月2月はニュージーランドの短い天国のような夏と重なるので、ほとんど他のところで過ごしたことはない。 12月の初めの一週間くらいしか東京で過ごせたことはなかった。 それなのにモニとふたりで思い出す東京は、冬のほうが多くて、自分達で考えても不思議な気がする。 いつもそうなのか、モニとふたりで訪問したころがたまたまそうなのかわからないが、東京は1年のうち半分以上が夏の暑さで、せっかくの楽しい町並を歩いて遊ぶのは暑すぎて無理だった。 明るいあいだは暑いので日が沈んでからでかけて遊ぶことが多かったが、それでも随分暑かったのをおぼえている。 それでも歩ける気温のときには、モニと一緒にいろいろなところへでかけた。 わしは「デパ地下」が好きであって、人が多いところが嫌いなのに、デパ地下だけは平気でジューススタンドでジュースを買ったり、アイスクリームを食べながら、見たこともなければ食べ方もわからない食べ物を見て歩くのが好きだった。 雑然とした雑踏のフロアに広がっているのは「ぶっくらこいちまう」としか言いようがないほどの多様な食べ物で、おざなりで唐突な感じの「ヨーロッパ食品」はつまらないと思ったが、日本の地方の店の出品となると俄然いきいきとした多様性をはっきした。 見ていてわかるのは日本の人の幸福の焦点は(あたりまえだが)他の国にいてテレビ番組やニューズで見聞きする貧弱な印象の生活ぶりとはまた別のところにあることで、いわばBBCが伝える「日本の生活」は「標準語の生活」で、日本のひとがあの薄ぺらい生活に耐えられるのは自分の代ではなくても背景として自分が出身した地方語で出来ている「田舎」があるからではないか、と考えたりした。 東京の日本人の友達でタイランドの東北にいくとイナゴを食べるんだよ、と言って顔をしかめているひとがいたが、デパ地下に行くと、ちゃんと秋田県だかどこだかの名産としてイナゴの佃煮を売っている。 明治時代に「西洋人に、ばれるとやばい」という号令で犬を食べる習慣はなくなってしまったようだが、敗戦直後の台湾、半島、満州からの大量の帰国者と不作が重なった深刻な食糧危機のときに、復員海軍軍人の大砲を撃つ技術と航海技術に目をつけたアメリカ人たちの命令で復活したくじらを食べる習慣は、周知のとおりまだ続いている。 「山の家」軽井沢から近い東御には生産量が日本一のくるみを使った「くるみ餅」があって、おやきというモニとわしが大好きだった平たい餅(ピン)のような食べ物があった。長野県には、気味が悪いので食べたことはなかったが馬肉を食べる習慣もあったと思う。 蕎麦にはパスタと同じくらい、と言いたくなるようなバラエティが存在して、「韃靼そば」というようなのや、大量の大根おろしにおおきなエビを揚げたのがはいっている冷たいそば、ごまだれで食べるサラダのような蕎麦もよく食べた。 標準語や西洋式が仮面のようにかぶさっている生活の下では、伝統からまっすぐにつながったいきいきとした多様性や個人が息づいているのを、だから、わしは知っているのだと言ってもよい。 アメリカやオーストラリア、ニュージーランドのように全国のスーパーマーケットでほぼ同じものを売っていて、ないとは言えないが、貧弱な地方独特の食べ物のバラエティしかもたない英語国の人間にいくら説明しても、わかるはずがない「日本」が、そこには歴然として存在している。 3 日本のひとの孤独さの第一の理由は、やはり言語によって厳重に隔離されていて、外国人たちが「北朝鮮よりひどい」と言ってよく内輪の冗談のタネにする「記者クラブ」を中心とした自発的で合憲法的な、それでいて中国などに較べると桁外れに厳格な言論統制、もともとが社会の有能な「部分」として機能するように徹底的に訓練されていて、自分の意見は「公」から与えられた選択肢のなかからのみ選択できるように巧妙に仕組まれた社会システム、その上に「跳ね返り」があらわれると、地鳴りが起こるようにどこからともなく起きて、個人を徹底的に弾劾する集団サディズム、というような多くは明治時代に意図的にデザインされた「一個の閉じた存在としての個人であることを許さない」社会にある。 難しいことを考えなくても、単純に、英語サイトを開いて、日本語サイトも開いて横に並べて、ニューズの選択と記事の翻訳をならべてみるだけで、どれほど野放図なデタラメがおこなわれているかは、(いまはインターネットがあるので)どんなひとにも一目瞭然である。 その上に日本のひとは東北弁、土佐弁、薩摩弁、というような生活を実感するために必要な地方語を奪われてしまった。 厳密に国家によって「検定」された教科書はその役割をよく果たして地方人の誇りを念入りに靴の踵でひねりつぶしてしまった。 標準語のうちでさえ、日本のワードプロセッサの歴史を調べていたときに、一太郎で言えば「ver. 4.3」の頃になる1988年にP1.EXEが出るまで「丼」という漢字がユーザー単語登録なしでは出なかったのを発見して驚いたことがある。 かつ丼もダメで、親子丼もダメ、標準語の世界で流通した日本語ワードプロセッサには「公」以外には存在する余地がなかったもののようだった。 あとに残ったのは、初対面の相手から、なんとかして年齢、最終学歴、職業的地位を聴き出して、複雑綿密な計算をしてから言語を決定する「敬語部分」が肥大した標準語で、いつか日本語ツイッタの友達たちとさんざん話したように自分の友達の親が死んだと聞いても英語では「Sorry … Continue reading

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「欧米」という幻

日本が本来もっている文化的な肉体と取り入れてきた外からの文化の不整合は、ほとんど無意識のようにして、普通のひとは職業を通じて知っているものである。 編集の仕事をしている女のひとが、ガメ、連雀町で蕎麦おごってやるよ、というのでついていって話をしたことがある。 表紙のデザインについて話していたときに「表紙をほんとに洗練されたデザインにするのって良い考えじゃないのね」というので、不思議に思って理由を訊いたら「日本語がはいると、それだけでデザインが壊れるから」という。 「デザインの人間にとっては常識だと思う」 日本語が絵柄にはいると完璧なデザインは望めないので「強いデザイン」を考える、という話を聴きながら、そういうことを「織り込み済み」の条件として仕事をするのはたいへんだべな、と考えたのをおぼえている。 日本人は着物のほうが似合う、というと侮辱されたように感じるひとがいるのは知っている。 言っているほうのオタンコナスガイジンたちのほうも機微を察知して、このごろは、あまり言わなくなったのではないかと思う。 若い人には洋服が似合う日本のひともいて、特に細い薄いシルエットが好きな十代の女の子たちには、日本の女びとは返ってうらやまれたりする。 前にも書いたがサンフランシスコの住宅地の道を歩いていたら、目の前を着物を着た女のひとが歩いていて、その歩く姿の美しさにびっくりしてしまったことがあった。 東アフリカの民族衣装には背の高い女のひとが着ると、その場に居合わせたひとがどうしても抗いがたい力でみてしまう体(てい)のデザインのものがあって、黄色を基調としたロングドレスに身を包んだそのエチオピア生まれの女のひとを、モニもわしも、パーティにいたひとはみな、感動するような気持ちで見つめていたことがあったが、表面の形象の美しさを越えて、時間の向こうのずっと遠くからまっすぐにこちらに向かってやってくるような美しさで、着物にもやはり同じ力がある。 ポール・ジャクレーの浮世絵のおもしろさは、浮世絵という日本の伝統木版/絵画と欧州人の感受性と熱帯の習俗という遠く離れた3つのものをひとつの作品のなかにあわせたところにある。 http://www.artelino.com/articles/paul_jacoulet.asp https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/06/05/ポール・ジャクレー%E3%80%80(paul-jacoulet/ いまの日本文化のおもしろさは、たとえばポール・ジャクレーの浮世絵のおもしろさに似ている。 若い頃のDavid Bowieのステージ衣装をデザインしたりした山本寛斎 http://www.carteblanche-x.com/blog/2011/06/04/the-musician-and-the-designer/ のように意識して歌舞伎などの伝統文化をとりいれたひともいるが、 Yohji Yamamotoのように、欧州と日本という遠く離れたふたつの文化が昇華された、しかし歴然とした形で顕れていることもある。 http://meetthedesigner.co.uk/2012/12/meet-the-relentless-yohji-yamamoto/ 言葉の世界でも西脇順三郎などは、日本語の側に「かるみ」を与えることで、日本語と欧州語という何光年もと呼びたくなるくらい離れているふたつの言語の懸隔をうまく利用して根源的な「存在の寂しさ」を表現することに成功している。 マンガやアニメは言うまでもなく日本の奈良時代以来の長い絵巻物や他の物語性のある絵の伝統が戦後に日本に洪水のように流入したハリウッド映画と、ウォルト・ディズニー、より重要なのはいまの日本のテレビ番組表からは考えられない数のアメリカのテレビ番組が出会って形成されたものだが、そこに登場する目が異様におおきな登場人物というような「どこにも存在しない人間」は結局は具体的な形象を伴わざるをえないアニメのなかで遠くのものを結び合わせる、普遍性への自然な工夫なのだと思う。 芸術の世界ではうまくいったが、社会のほうではそれほど成功したとは言えなかった。 森鴎外などを読んでゆくとわかることは、欧州の社会システムや軍事、学問を「吸収」するために欧州へ派遣された日本の選良たちには一種の自分が「選ばれた者である」ということから来たらしい「軽薄さ」がつきまとっていることで、欧州人で森鴎外のある種類の体験談の半分以上が作り話、あるいは「言わない部分が途方もなくおおきい」影を切り取った話の数々であることに気づかないひとはいないだろう。 自分の見てきたことを正直に述べたのは夏目金之助漱石ただひとりで、あとはみなウソツキであると言ってもよいくらいであると思う。 この頭の働きはよいが物事の理解が深いところまで届かなかったという意味で軽薄な青年たちは、日本に歴史上珍しいほどの惨禍をもたらした。 「富国強兵」というような名前の下に輸入されたただひたすら機能化をめざして人間を抑圧する「欧州」は、欧州人の目からみると、どこにも存在しない欧州で、西洋が「輸入」した日本の文化でいえば、ニューヨークのマフィアがニンジャの暗殺手法を研究したような奇妙なものだった。 最も典型的なものでいえば「時間の感覚」があるだろう。 19世紀は英国の歴史のなかでも特殊な時代で、「時間厳守」ということが流行のようになっていた奇妙な時代だが、日本にはその「時間厳守」の流行が更に誇張された形で導入された。 プロイセンはなにしろ北ドイツ連邦をつくりはしたものの来年は周辺国にひねりつぶされるかもしれないという緊張のなかにあったので、「すべては国家のため」という準軍事体制をとらざるをえない特殊社会だったが、日本はこれを恒久的な欧州の一類型なのだと受け取って輸入してしまった。 日本のひととオペラや古典音楽の話をすると、すぐ「ワーグナー」「モーツアルト」と言われて苦笑を我慢する。 ちょうど「ビートルズは素晴らしいですね」という人にたくさん出会ったり、「アバってごぞんじですか?」と言われるのと感じは似ている。 ワーグナーもビートルズも、それは「良い」に決まっているが、あんまりそういう名前を褒めるのは、言葉が悪いが田舎染みているというか、なんとなくヘンで、理屈ではなく、「そういうことはしない」という範疇にはいっている。 あるいは戦争に完敗するとアメリカ人たちが占領した日本に乗り込んできて、アメリカ人たちの靴のつま先をなめるようにしてひれ伏している日本人達を、鞭で追い使う主人そのままの態度で日本をどんどん変更していったが、このときにやってきた「アメリカ民主主義」は、当のアメリカ本国にある「民主主義」とはまったく異なる、いわば「存在しないアメリカ民主主義」だったのはよく知られている。 観念的原理主義的な、経済的にはケインズ主義、社会的には当時萌芽のままアメリカでは大弾圧にあった「アメリカ型社会主義」とでも言うべき観念を信奉した若いひとびとが居場所を失って日本にやってきた例も多かった。 明治と1945年の二度にわたって、肉体のない観念だけの「西洋」が日本にやってきて、それまでの日本の文明的な肉体にあたる部分をぶちこわした結果はどうであったかというと、日本人は現実からまったく剥離した奇妙な世界、ひらたく言えば「絵に描いた餅」の世界を生きだしたように見える。 へ理屈、というのか、頭だけで考えて、机の上に観念を並べて、はっはっは、これでうまくいってしまった、とひとりごちる態度は、戦争中にニューギニア島のチェーンソーでも切れない熱帯の凶悪な蔓(家の庭にはブーゲンビリアがある一角があるが、美しく華やかで、しかも「清楚」という言葉を思い出させる花を咲かせるが、このあいだ庭師がはねかえった蔓に打たれてひどい怪我をした。だが、もちろんブーゲンビリアは熱帯の蔓植物としてはまったく獰猛ではないほうである)がからみあった200キロのジャングルに、現地にはいちどもいかないまま定規でまっすぐに直線をひいて、1週間で行ける、と命令した日本陸軍参謀たちに似ている。 日本人全般に対して人間性というものとはかけ離れた、悪い冗談のような要求を日本の支配層が歴史を通じて繰り返すのは、「現実」というものから感覚が剥離してしまっているからで、なぜ剥離してしまうかと言えば「自分ではなにもしない」上に、現実を見に行くことすらしないからである。 そうして、彼らの怠惰と軽薄を権威付け正当化してきたのは常に「現実には存在しない西洋」だった。 … Continue reading

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近況報告に名を借りて

1 むかしはフリップフロップをはいていたが、めんどくさいので、この頃はたいてい裸足ででかける。 ときどき剃ってさっぱりするが、モニにいいかげんにヒゲを剃りなさい、ちくちくして痛い、と言われるまでは顎も口のまわりも頬も細い毛のヒゲがもじゃもじゃで、ボートで海に出て帰ってきたりすると、太陽で色がまだらに褪せている(^^) ゴジラが踊り狂っている赤い影や「神様!セクシーすぎるおいらを許してね」ちゅうようなデタラメなプリントのTシャツを着ているのは、シルクスクリーンでTシャツの柄を刷るのが好きなせいである。 日本語ではショーツという言葉の意味がヘンタイなせいで、読んでいる人はずっとわしがニッカーズ(アメリカ風に述べればパンティ)を穿いて町を歩きまわっていると思っていたそうだが、そうではなくて、ショーツはどういう適切な日本語があるのかわからないが半ズボンなのか短いパンツなのか、ともかくショーツで、でっかいサングラスをかけて、耳からたいていの場合、白いアイポンのイヤフォンのケーブルがぶらさがっている。 結構うるせー音量だが、どんな音楽が鳴っているかというとSalif Keita, AmansalvaとかNelly Furtado,Areski、Thione Seck, Sinik, Rihannaちゅうような雑多な音楽であるよーだ。 大陸欧州のクラブミュージックが多いのであるかもしれません。 Remueraの道を降りて、タマキドライブへ行くことがある。 海岸のカフェのどこかに寄って、無茶苦茶に冷えたソーヴィニョン・ブランを飲む。 小さい人が現れてからは、しかし、家の庭で遊んでいることが多くなった。 建物から離れた庭の下のほうにあるガゼボでシャンパンを飲みながら、モニさんにラブレターを書いたり、いいとしこいて詩を書いたり、モニ以外には誰にも見せない絵を描いたりする。 今朝は水彩でボヘミアンドレスを着て弓矢をもった天使がSavio Firmino風のカウチに半身を起こして横になっている絵を描いてモニに褒められた(^^) あるいは芝生の上にだしたラウンジャーに寝っころがって、どんどん形を変えながら流れてゆく積雲や、双眼鏡のなかに映る月の表面をみている。 実感としてニュージーランドの物価はこの20年で3倍くらいになったが、ニュージーランドは、どう述べるのが最も適切だろうか、生活のスタイルそのものがオカネがかからないように出来ているので、東京のように「なんだかよく判らないのにオカネが減ってゆく」ということはない。 なにをするにも、というよりも、なにをやっていてもたいしてオカネはかかりません。 2 オダキンのtumblrを見ていたら、自分の「金銭講座(その3)」の記事が出ていて、 「rAdio-AktiV(brettspieler)」という人が、 「でもこれ、社会性や公共性に考慮して公正にやらないと、ただの「非対称性の濫用」に陥ってしまうんだけど、「ビジネスとはそういうもの」という「現実主義」で押し通すことの何と多いことか。」 とコメントをつけている(^^) オモロイやつ、と思ったが、よく考えてみるとちょうどさっき書き終わった「金銭講座(その4)」は露骨にアベノミクス下の日本経済でふつーの人が自分の現金財産を防衛するために焦点をしぼった株式売買講座で、零細凍死家たちがどういう「定石」にのっとって「何をやらないか」を考えるかについて書いたもので、社会性や公共性に考慮して公正にやらないと、著しい「非対称性の濫用」になってしまう記事なので、げげっ、とおもった。 うーむ。じゃ、1から3までの金銭講座も削除すっか、と思って記事を見たら、今度は「日本人はあなたのようにお金儲けばかり考えている人間は少数派なので、こんな記事はみたくもない」ちゅうようなコメントがふたつ来ている(^^;) うーむx2。 考えてみると、これは神様が「あんまりカネモーケの話なんて下品な話をするとビンボ神を使わしておまえの富を召し上げてくれるわ」とゆっているのだと思われるので、もうブログで金銭の話をするのはやめることにした。 わしは日本がらみの投資に手をだしたことはないが、ゲームの勝ち方を考えつくと、現実に適用するとどういう結果になるか見たくてしようがない。 定石のあとにちょっと書いたように、おもしろいことに気が付いたので、これはやってみたいが、自分ではあんましやる気がしないので義理叔父にゆってみると、 「あっ、ぼく非対称だいすき。ちゃんと公共性に考慮して公正にやるから、ガメ、それおれにやらせろ。すごく儲かったらアイス買ってあげるからね」というので、記事を注釈と一緒に送ったら、よろこんでおった。 しかし、この「rAdio-AktiV」というひとがいうのはほんとうで日本では公共性と公正が大事で皆がひとしく儲からねばならない。 わしにもクレクレの国である。 危うく日本語を書いているのに日本の人の道に外れるところであった(^^;) 3 日本語でなにかを書くということは、それが論文であれ、小説であれ、祈りの言葉であれ、要するにただのムダであると思う。 何度かこのブログでもツイッタでも書いたように日本語は崩壊の過程にあって、何年か前には「普遍語としての地位を失って地方語に転落する可能性がある」といろいろな人が論じていた時期をすぎて(ちょっと現実に起きる事だとは信じがたいことだったが)ほんとうに地方語に転落して、いまの地位は、だいたいトルコ語くらいの地位であると思う。 … Continue reading

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Crossing the Bar

日本は遠く離れた国で、しかも中で何が起こっているのかよく判らない国なのでもともと英語国民からすると関心がもちにくい国だった。 わしガキの頃は日本が民主国家だというとびっくりするひとがまだたくさんいて、日本に住んでいたことのあるわしガキが、いやちゃんと選挙あるよ、といっても不正が多いのだろう、とか、どういう種類の自由ならあの国の人間には許されているのか、と訊かれたりした。 不正はあるのかもしれないが自分には判らないし、ガキの観察によっても質問者が中国と日本と(頭では別の国だと判っていても)イメージ上混同しているのが感じられたので、あんまりマジメに答える気がしなかった。 めんどくさくなって、よくわかんないけど、民主主義の国なんだよ、あそこは、ちゃんと自由もあるよ、というと、今度はすっかり「日本贔屓」にされてしまったりした。 いちがいに昔の話とばかりは言えなくて、3年前にシカゴ美術館で警備のアフリカンアメリカンのおばちゃんと話していたら、目の前を日本人観光客グループが通ったのがきっかけで日本の話になった。 そのときも、おばちゃんは、あのひとたちの国はどうして共産主義なんかが好きなんだろうねえ、と言ったりしていた。 スペイン語圏はもっとすごくて、簡単な例をあげるとフジモリ元大統領の支持者たちが連呼する仇名は「チノ」で、これは無論「中国人」という意味です。 なんだか半島人も中国人も日本人もごっちゃになった粗雑な英語人の日本人理解がいまのようなハイ・ディフィニションな認識に変わったのは、なんといってもアニメのせいで、わしが11、2歳でアニメに僅かな期間興味をもった(すぐ飽きてしまったが)ときにはガーゴイル http://en.wikipedia.org/wiki/Gargoyles_(TV_series) のような日本アニメの影響がおおきいアメリカのアニメと並んでセーラームーンやドラゴンボールZが人気があったが、もっとずっと上の世代もドラゴンボールで育っていたりして、わしが物心ついた頃の世界はすでに欧州も含めて、世界のどこに行っても共通の話題がなければアニメの話をしていれば、それですんだ。 だからアニメの影響がおおきいが、インターネットの発達もあまり注目はされないが理由のひとつで、日本のひとはむかしから勤勉なので、「落差」というほどのものは感じていないよーにみえるが、英語世界ではインターネット以前と以後では、お話にならないほど世界についての知識量に違いがある。 わしはたとえばアメリカ合衆国で「どこから来たの?」と訊かれると、そのときによってニュージーランドとかイギリスとかテキトーに答える、という酷い習慣をもつ。 ニュージーランドと述べるときは南島のアクセントで述べ、イギリスというときは、イギリス英語のアクセントで述べる、という芸の細かさをちゃんと発揮する。 余計なことを書くと、わしの観察によればニュージーランドのアクセントはほぼ例外なくうけて、「素敵(lovely)な、なんだかうっとりするようなアクセントね」とゆわれたりするが、イギリス風のアクセントは、古には敵(かたき)同士といへるときもありけん、One if by Land, Two if by Sea、生理的な反撥を感じるひともいるように見えた。 San Joseの南にLos Gatosという小さな町があるが、その町にかーちゃんの友達が住んでいて、アメリカ人たちがぞろぞろぞろとやってきた週末のパーティで、みなが大学を出ているはずのアメリカ人たちが「ニュージーランドって、何語を話している国なの?」 「北ヨーロッパの国だよね」とマジメに言うので、ガキわしがアメリカ人へのたださえ深い軽蔑をいっそう深めたのは1994年のことだったはずである。 もしかすると「指輪物語」や「ラストサムライ」のせいであるかも知れないが、いまは、アメリカ人といえどもニュージーランドが南半球の国で英語国であるのを正しく理解しているのは、わしはインターネットのせいであると感じる。 あまりニューズになることが少ない日本がこの頃よく「右傾化」で話題になる。 ヨーロッパの友達とほっぺにチョコをつけてスカイプでだべっていても「極右政権」「右翼のごろつき」というフレーズがよく出てくる。 石原慎太郎という名前は日本にいる外国人に限らず、海外にいて日本に関心がある外国人にとっても、往年のKKKの首領よりもひどいイメージの政治家で、東京の友人たちだけのパーティでフランス人のCなどは食卓で名前が出た途端、手にもっていた牡蠣をテーブルに放り出して、両手で耳をおさえ、「いやいや」をしながら、「やめて!わたし、その名前、ききたくない! 聞くとフランスに帰りたくなるからよして!」と大きな声で叫んだりしていた。 実際には、外交センスというものがゼロだった野田首相が石原慎太郎に預けていては何をするかわからなくて危ないから国で買った、ということだったと思うが、傍から見ると国が右翼のごろつき政治家の後押しをして尖閣諸島を肩代わりして購入したように見えた。 わしはいまでも野田首相の最大の失敗は中国の解放軍と武闘派に限定戦争開戦の(中国の人達からすれば正当この上ない)口実を預託してしまったことだと思っているが、そのあとに(外国人からみれば)極右政治家で固めたかつての複雑な多様性を帯びた自民党とは似ても似つかない国家社会主義政党のネオ自民党の政権が(これも、現実のニュアンスと異なるが、外国人からみれば)圧倒的な国民の支持をえてCの大嫌いな石原慎太郎でさえ影がうすくなるよーな極右政権が成立した、と見えている。 いったい、なにが起きているんだ、と訝っている。 現在の英語人や欧州語人の対日理解は、いまのネオ自民党は夏の参院選までは旧自民党っぽい顔をしてみせて、夏の選挙が終わった途端に超国家主義の牙をむきだしにして国家社会主義路線をひた走るだろう、というものだと思う。 日本のひとは自分で認めたことはないが、日本はもともと国全体が軍隊と見なせそうな国であることを英語人もだんだん理解してきている。 ちょっと説明するのが難しいが、わしガキの頃は日本への無理解と戦争時の日本人の集団サディズムの記憶によって「日本は国全体がバラック(兵舎)である」と漠然と印象していたのが、今回は、アニメから始まった具体的理解の積み重ねによって「日本という国は軍隊そのものなのではないか」という同じ結論に辿り着きつつあるので、もちろん、後者がおおくの人間の認識になってしまえば、日本という国は戦後営々と積み重ねてアニメという強力な文明翻訳装置によって「日本人は普遍的な価値を共有する仲間なのだ」という戦争の記憶の払拭という普通なら不可能な事業を含んだ「自己の説明」努力がふっとんでしまうことになる。 そうして皮肉なことに日本が自由国家だというのは能書きだけだ、ということになってしまえば、中国が軍事的に日本に侵攻することへの最大の防壁かつ思想的要塞が失われることになる。 ときどき日本のひとの頭には、冷戦が終わって、日本の「共産主義への主防壁」としてのイメージがすでになくなっていることを忘れているのではないかと思うことがある。 中曽根康弘が戦争時の日本の全滅を意味する「日本の不沈空母化」を謳ってアメリカにわざわざ媚びてみせねばならなかったのは、このオポチュニスト政治家なりの、「55年体制崩壊」への焦りだった。 なんとかしなければ、と考えたのでしょう。 アメリカが戦後日本を考える時のイメージの原像は「釜山ペリミタ」 … Continue reading

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