Crossing the Bar

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日本は遠く離れた国で、しかも中で何が起こっているのかよく判らない国なのでもともと英語国民からすると関心がもちにくい国だった。
わしガキの頃は日本が民主国家だというとびっくりするひとがまだたくさんいて、日本に住んでいたことのあるわしガキが、いやちゃんと選挙あるよ、といっても不正が多いのだろう、とか、どういう種類の自由ならあの国の人間には許されているのか、と訊かれたりした。
不正はあるのかもしれないが自分には判らないし、ガキの観察によっても質問者が中国と日本と(頭では別の国だと判っていても)イメージ上混同しているのが感じられたので、あんまりマジメに答える気がしなかった。
めんどくさくなって、よくわかんないけど、民主主義の国なんだよ、あそこは、ちゃんと自由もあるよ、というと、今度はすっかり「日本贔屓」にされてしまったりした。
いちがいに昔の話とばかりは言えなくて、3年前にシカゴ美術館で警備のアフリカンアメリカンのおばちゃんと話していたら、目の前を日本人観光客グループが通ったのがきっかけで日本の話になった。
そのときも、おばちゃんは、あのひとたちの国はどうして共産主義なんかが好きなんだろうねえ、と言ったりしていた。
スペイン語圏はもっとすごくて、簡単な例をあげるとフジモリ元大統領の支持者たちが連呼する仇名は「チノ」で、これは無論「中国人」という意味です。

なんだか半島人も中国人も日本人もごっちゃになった粗雑な英語人の日本人理解がいまのようなハイ・ディフィニションな認識に変わったのは、なんといってもアニメのせいで、わしが11、2歳でアニメに僅かな期間興味をもった(すぐ飽きてしまったが)ときにはガーゴイル
http://en.wikipedia.org/wiki/Gargoyles_(TV_series)
のような日本アニメの影響がおおきいアメリカのアニメと並んでセーラームーンやドラゴンボールZが人気があったが、もっとずっと上の世代もドラゴンボールで育っていたりして、わしが物心ついた頃の世界はすでに欧州も含めて、世界のどこに行っても共通の話題がなければアニメの話をしていれば、それですんだ。

だからアニメの影響がおおきいが、インターネットの発達もあまり注目はされないが理由のひとつで、日本のひとはむかしから勤勉なので、「落差」というほどのものは感じていないよーにみえるが、英語世界ではインターネット以前と以後では、お話にならないほど世界についての知識量に違いがある。

わしはたとえばアメリカ合衆国で「どこから来たの?」と訊かれると、そのときによってニュージーランドとかイギリスとかテキトーに答える、という酷い習慣をもつ。
ニュージーランドと述べるときは南島のアクセントで述べ、イギリスというときは、イギリス英語のアクセントで述べる、という芸の細かさをちゃんと発揮する。

余計なことを書くと、わしの観察によればニュージーランドのアクセントはほぼ例外なくうけて、「素敵(lovely)な、なんだかうっとりするようなアクセントね」とゆわれたりするが、イギリス風のアクセントは、古には敵(かたき)同士といへるときもありけん、One if by Land, Two if by Sea、生理的な反撥を感じるひともいるように見えた。

San Joseの南にLos Gatosという小さな町があるが、その町にかーちゃんの友達が住んでいて、アメリカ人たちがぞろぞろぞろとやってきた週末のパーティで、みなが大学を出ているはずのアメリカ人たちが「ニュージーランドって、何語を話している国なの?」
「北ヨーロッパの国だよね」とマジメに言うので、ガキわしがアメリカ人へのたださえ深い軽蔑をいっそう深めたのは1994年のことだったはずである。
もしかすると「指輪物語」や「ラストサムライ」のせいであるかも知れないが、いまは、アメリカ人といえどもニュージーランドが南半球の国で英語国であるのを正しく理解しているのは、わしはインターネットのせいであると感じる。

あまりニューズになることが少ない日本がこの頃よく「右傾化」で話題になる。
ヨーロッパの友達とほっぺにチョコをつけてスカイプでだべっていても「極右政権」「右翼のごろつき」というフレーズがよく出てくる。
石原慎太郎という名前は日本にいる外国人に限らず、海外にいて日本に関心がある外国人にとっても、往年のKKKの首領よりもひどいイメージの政治家で、東京の友人たちだけのパーティでフランス人のCなどは食卓で名前が出た途端、手にもっていた牡蠣をテーブルに放り出して、両手で耳をおさえ、「いやいや」をしながら、「やめて!わたし、その名前、ききたくない! 聞くとフランスに帰りたくなるからよして!」と大きな声で叫んだりしていた。

実際には、外交センスというものがゼロだった野田首相が石原慎太郎に預けていては何をするかわからなくて危ないから国で買った、ということだったと思うが、傍から見ると国が右翼のごろつき政治家の後押しをして尖閣諸島を肩代わりして購入したように見えた。

わしはいまでも野田首相の最大の失敗は中国の解放軍と武闘派に限定戦争開戦の(中国の人達からすれば正当この上ない)口実を預託してしまったことだと思っているが、そのあとに(外国人からみれば)極右政治家で固めたかつての複雑な多様性を帯びた自民党とは似ても似つかない国家社会主義政党のネオ自民党の政権が(これも、現実のニュアンスと異なるが、外国人からみれば)圧倒的な国民の支持をえてCの大嫌いな石原慎太郎でさえ影がうすくなるよーな極右政権が成立した、と見えている。
いったい、なにが起きているんだ、と訝っている。

現在の英語人や欧州語人の対日理解は、いまのネオ自民党は夏の参院選までは旧自民党っぽい顔をしてみせて、夏の選挙が終わった途端に超国家主義の牙をむきだしにして国家社会主義路線をひた走るだろう、というものだと思う。
日本のひとは自分で認めたことはないが、日本はもともと国全体が軍隊と見なせそうな国であることを英語人もだんだん理解してきている。
ちょっと説明するのが難しいが、わしガキの頃は日本への無理解と戦争時の日本人の集団サディズムの記憶によって「日本は国全体がバラック(兵舎)である」と漠然と印象していたのが、今回は、アニメから始まった具体的理解の積み重ねによって「日本という国は軍隊そのものなのではないか」という同じ結論に辿り着きつつあるので、もちろん、後者がおおくの人間の認識になってしまえば、日本という国は戦後営々と積み重ねてアニメという強力な文明翻訳装置によって「日本人は普遍的な価値を共有する仲間なのだ」という戦争の記憶の払拭という普通なら不可能な事業を含んだ「自己の説明」努力がふっとんでしまうことになる。

そうして皮肉なことに日本が自由国家だというのは能書きだけだ、ということになってしまえば、中国が軍事的に日本に侵攻することへの最大の防壁かつ思想的要塞が失われることになる。
ときどき日本のひとの頭には、冷戦が終わって、日本の「共産主義への主防壁」としてのイメージがすでになくなっていることを忘れているのではないかと思うことがある。
中曽根康弘が戦争時の日本の全滅を意味する「日本の不沈空母化」を謳ってアメリカにわざわざ媚びてみせねばならなかったのは、このオポチュニスト政治家なりの、「55年体制崩壊」への焦りだった。
なんとかしなければ、と考えたのでしょう。

アメリカが戦後日本を考える時のイメージの原像は「釜山ペリミタ」
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Pusan_Perimeter
で、「韓国の国土はいったんコミュニストがその気になれば野原と同じ」という生理的に焼き付いた軍事認識だった。
日本は1950年のアメリカ政府のぬぐいがたい戦慄の記憶によって戦後の長い繁栄を手にした。
「朝鮮戦争による軍需でもうかったので復興した」という日本の戦後経済成長へのシアワセな解説は、そのアメリカの深甚な恐怖の記憶に基づく反応のほんの一部をとりあげて真相を隠してしまった科白にしかすぎない。

ヘリコプターをオスプレーに変え、ダーウィンに基地を建設し始めたアメリカの意図は明瞭で、橋頭堡のすぐうしろの補給後背地兼HQであった日本を単なる守備の対象に徐々に変えて、機動防衛の域内の国にしようと考えている。

日本のソビエトロシア崩壊を起点にする長いゆるやかな凋落は日本人たちが自省的に「あれが悪かった。これもダメだった」という以上に世界史的な潮流の一環だとみなすことができそうです。
皮肉な言い方をすれば、アメリカはこの20年、「日本にほんとうの独立国になってもらおう」としてきたのだと言えると思う。

インドの擡頭は「アジア唯一の民主主義国」という日本のソフトパワー、という言い方がいくらなんでも軽薄なら、国家としての価値をおおきく減じることになった。
インドはもともとふつうの人間の頭では理解できないほどのdiversityの国で、頑固な国権主義国家だが、一方では、目を近づけてみると、国内に共通に通じる言語がなく、人種が異なって皮膚の色ひとつとってもコーカシアンなみの白い肌からアフリカ人よりも深い褐色まで存在する。
世界中から来た遺伝学者が束になって滞在して、この集団がアフリカからもってきて、そのままその狭い地域で保存してしまった、まるで「世界そのものが凝縮されてそこにある」ような遺伝子プールを競って研究している村落がある。

宗教もムスリム諸派にスーフィー、ヒンズー、ブディズム…分類しがたいほど多岐にわたって、ここまで読んだひとは気が付いたと思うが、普通の国家を国家たらしめている共通の文明的な背景がインドという国には存在しない。

ところが教育のあるインド人の友人がいればすぐに判ることはインド人はほとんどどんな国の国民よりも強烈に「インド人」としてのアイデンティティを(努力してではなく)ほぼ生得にもっている。
観察しているとdiversityそのものと生活の食物への指向やリズムへの好み、旋律のコード進行、歌の発声というようなディテールに「インド」が存在している。

インドは陰樹のようにゆっくりと成長する国だが、diversityをこそ尊重するインド文明の特徴は、現代とこれからの時代に適応性をもっている。
採用してみれば、どうして初めからこうしなかったのだろう、とインド人たちが感じている「民主主義」「自由主義」のアジアにおけるチャンピオンは、いまでは日本ではなくインドである。

中国の若い知識人たちは、最近はかなりはっきりと「インドと中国のアジアにおける覇権の争い」という。それまではインドと仲良くしておかないと30年後にはたいへんなことになってしまう、と言います。
最近の中国において顕著な(わしからみると多少誇大妄想にみえなくもない)東アジアブロック化というか保護圏化の動きは、そういう40代以下の中国人テクノクラートの気分を反映している。

メコン川の流域最大の大国ベトナムをにらんでタイランドのコントロールに乗り出したのもマレーシアをブリッジ化したい中国の世界戦略の顕れなら、フィリピンとの貿易をおおきく制限したのも、フィリピンがアメリカのグリップを離れている隙につけこんだ「足場固め」の意味をもっている。

そういう大きな流れのなかで出てきたのが安倍晋三内閣で、アメリカから見ればもともと自由主義経済の仮面をつけた国家社会主義経済の国であることがわかりきっている日本の本性、というか、危険な面が突出して出てきたのだ、と認識しているでしょう。
安倍晋三が正に国家社会主義経済官僚群のチャンピオンであった岸信介の孫であるというブラックジョークじみた事実もあるが、内閣の顔ぶれをみて、その居直ったかのような極右ぶりに顔をしかめたに違いない。

経済はしばらくよくなる可能性がある。
自分達のなけなしの財産をお国のために供出するに等しい経済政策に諾々と順う国民性をみれば一目瞭然で、日本のひとは(皮肉では毛頭なく)相変わらず健気で、そうすれば自分たちの生活は破壊されるのが判り切っているのに、日本経済の復興のために、日本が公共事業を軸に打って出た最後の大博打に合意してしまった。
国民性そのものが国家社会主義経済に最適だからで、自由競争に基づかない経済は危機にあっては脆いが、復興も早い特徴がある。
個人にとっては復興してもビンボへの道に決まっているが、歴史を通じて孤独の道を歩いてきた日本人の集団としての生存の知恵だとおもえば、いちがいに嗤うのは間違っている気がする。

遙かに年長の友人から国際電話がかかってきて、しばらく世間話をしたあと、「ところできみは日本人が自民党を選んだことに感想があるか」と訊く。
わしは、苦しかったのだと思う、と答えた。
乾坤一擲の賭けをして、統治能力がないとわかっている民主党にチャンスを渡すことによって日本人は変わろうとした。
でも、裏目どころか、徹底的に裏切られてしまった。
彼らがいまでも信用しているらしい小沢一郎にしても、相変わらず、「政治の理想は権力をとってから」で政局政局ですべてを矮小化してしまっている。
苦しくて、どこにも希望がなくて、日本人は気が狂いそうなほど追い詰められていると思う。
極右を選択したという意識はないのではないだろーか。
日本という国はご承知のとおり中国化を食い止めることが国の文明のアイデンティティのおおきな部分をなしている。
薄い壁いちまいをいっぱいにひろげた両腕で支えて、つまさきだちで中国大陸からの圧力をこらえてきたのが日本の歴史だった。
だから、もうそういう歴史は生理化していて、尖閣諸島への反応はいま生きている日本人だけの反応ではなくて、もうずっとむかしに死んで言語のなかに潜んでいる先祖たちの魂の反応でもあるのではないだろーか。

最後のところで、おっちゃんは声に出して笑うと、「ガメらしい」とつぶやいて、そろそろヨーロッパにもどってきたまえ、と、(おおきなお世話だが)とーちゃんと同じことをゆって電話が切れた。

現実ではないが、わしは、最近、多分日本にもう行かなくなったせいで、日本が好きなのではないか、と思うことがある。
天神山のトンネルを抜けると一面に広がって、風につれて、ゆっくりと黄金色の波がわたってゆく稲穂の海や、やはり「眩しい」と表現したくなる金色の滝のような音をたてて落ちる議事堂前の銀杏並木の落葉、低い灰色の空がひろがって、吐く息が白くなる繊細な冬の東京の大気、朝日に燦然と輝く、樹木ごとクリスタルになったような冬の軽井沢の森、なによりも、なんだか照れくさそうに曖昧に笑って、子供のようにおおきなお辞儀をする店員の若い女びとたちや、自分の職業への誇りと矜恃で背筋がすっとのびている真珠店のじーちゃんたち、わしが思い出す日本は「極右」の日本ではなく、孤独な文明が2000年のときをこえて生き延びてたどりついた西洋人には見えにくい洗練であると思う。
そうして洗練というものは手のひらのなかの雪のように、あえかに壊れてしまうものである。

ひとりひとりの日本のひとが幸福をとりもどすことを祈ります。

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