An Ordinary Life_2

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日本語では「夕まだき」という。
船を夕方の暮れなずんだ海の島影の下にいれると、たとえばアジは釣り糸を投げるごとに4本針のサビキに3匹ずつ釣れる。
のんびり釣っても10分も釣ると、1ダースくらいは釣れてモニとふたりで食べるには十分な量のアジがあがるので、それを甲板で、日本で買ったカッチョイイ「有次」の包丁で、たった1回であえなく終了した「ガイジン鮨スクール」の成果、素早く捌いて塩焼きにする。
塩焼きにするのも(臭くなるので)キャビンのキッチンではなくて、甲板でカセットガスボトルを使うポータブルストーブ(コンロ?)を使う。

モニがさっきから白ワインを片手に傍らに立って、「ガメは、お魚屋さんみたいだな」とわしの練達の腕をほめておる。
頭や内臓を、さっきからずっと物欲しげに船のまわりを飛び回っているカモメに投げてやると見事なダイブでひったくってゆく。

モニは器用なので、ずっと長く箸を使っているわしよりも、ずっと上手に箸を使う。
魚の好きな地中海人もアジだけは骨が多すぎて食べないが、モニは箸でさっさと無数にみえる小骨を避けてしまう。わしがときどき骨をかんで顔を顰めて指で骨をとりだすのを見て、「カッコワルイ」と言って大笑いする。

船を入り江にいれると、他に船がいないので、しばらく停泊灯をつけないでいて、まっくらにして、空をみあげて遊んだ。
遙かな遠くなのに空が嫌な色に明るんでいるのでオークランドの方角はすぐにわかる。

クルーなしでモニとふたりで船に乗っているときには、酔っ払ってしまうと、なにか起きてしまうと対処できなくなってしまうので、ペリエで割った赤ワインかシャンパンくらいで、あんまり飲まないことにしているが、それでもワインが1本空になってしまう。
スピーカーから流れていたマリア・カラスのソプラノの声を消すと、光も音もない、満天の星の他には何もない黒々とした海が広がっている。

冬の東京にもっといられなかったのは残念だったと思う。
冬、と言っても東京の冬はとても暖かくて、わしはたいていTシャツ一枚で過ごした。
1月2月はニュージーランドの短い天国のような夏と重なるので、ほとんど他のところで過ごしたことはない。
12月の初めの一週間くらいしか東京で過ごせたことはなかった。
それなのにモニとふたりで思い出す東京は、冬のほうが多くて、自分達で考えても不思議な気がする。
いつもそうなのか、モニとふたりで訪問したころがたまたまそうなのかわからないが、東京は1年のうち半分以上が夏の暑さで、せっかくの楽しい町並を歩いて遊ぶのは暑すぎて無理だった。
明るいあいだは暑いので日が沈んでからでかけて遊ぶことが多かったが、それでも随分暑かったのをおぼえている。

それでも歩ける気温のときには、モニと一緒にいろいろなところへでかけた。
わしは「デパ地下」が好きであって、人が多いところが嫌いなのに、デパ地下だけは平気でジューススタンドでジュースを買ったり、アイスクリームを食べながら、見たこともなければ食べ方もわからない食べ物を見て歩くのが好きだった。

雑然とした雑踏のフロアに広がっているのは「ぶっくらこいちまう」としか言いようがないほどの多様な食べ物で、おざなりで唐突な感じの「ヨーロッパ食品」はつまらないと思ったが、日本の地方の店の出品となると俄然いきいきとした多様性をはっきした。

見ていてわかるのは日本の人の幸福の焦点は(あたりまえだが)他の国にいてテレビ番組やニューズで見聞きする貧弱な印象の生活ぶりとはまた別のところにあることで、いわばBBCが伝える「日本の生活」は「標準語の生活」で、日本のひとがあの薄ぺらい生活に耐えられるのは自分の代ではなくても背景として自分が出身した地方語で出来ている「田舎」があるからではないか、と考えたりした。

東京の日本人の友達でタイランドの東北にいくとイナゴを食べるんだよ、と言って顔をしかめているひとがいたが、デパ地下に行くと、ちゃんと秋田県だかどこだかの名産としてイナゴの佃煮を売っている。

明治時代に「西洋人に、ばれるとやばい」という号令で犬を食べる習慣はなくなってしまったようだが、敗戦直後の台湾、半島、満州からの大量の帰国者と不作が重なった深刻な食糧危機のときに、復員海軍軍人の大砲を撃つ技術と航海技術に目をつけたアメリカ人たちの命令で復活したくじらを食べる習慣は、周知のとおりまだ続いている。

「山の家」軽井沢から近い東御には生産量が日本一のくるみを使った「くるみ餅」があって、おやきというモニとわしが大好きだった平たい餅(ピン)のような食べ物があった。長野県には、気味が悪いので食べたことはなかったが馬肉を食べる習慣もあったと思う。

蕎麦にはパスタと同じくらい、と言いたくなるようなバラエティが存在して、「韃靼そば」というようなのや、大量の大根おろしにおおきなエビを揚げたのがはいっている冷たいそば、ごまだれで食べるサラダのような蕎麦もよく食べた。

標準語や西洋式が仮面のようにかぶさっている生活の下では、伝統からまっすぐにつながったいきいきとした多様性や個人が息づいているのを、だから、わしは知っているのだと言ってもよい。
アメリカやオーストラリア、ニュージーランドのように全国のスーパーマーケットでほぼ同じものを売っていて、ないとは言えないが、貧弱な地方独特の食べ物のバラエティしかもたない英語国の人間にいくら説明しても、わかるはずがない「日本」が、そこには歴然として存在している。

日本のひとの孤独さの第一の理由は、やはり言語によって厳重に隔離されていて、外国人たちが「北朝鮮よりひどい」と言ってよく内輪の冗談のタネにする「記者クラブ」を中心とした自発的で合憲法的な、それでいて中国などに較べると桁外れに厳格な言論統制、もともとが社会の有能な「部分」として機能するように徹底的に訓練されていて、自分の意見は「公」から与えられた選択肢のなかからのみ選択できるように巧妙に仕組まれた社会システム、その上に「跳ね返り」があらわれると、地鳴りが起こるようにどこからともなく起きて、個人を徹底的に弾劾する集団サディズム、というような多くは明治時代に意図的にデザインされた「一個の閉じた存在としての個人であることを許さない」社会にある。
難しいことを考えなくても、単純に、英語サイトを開いて、日本語サイトも開いて横に並べて、ニューズの選択と記事の翻訳をならべてみるだけで、どれほど野放図なデタラメがおこなわれているかは、(いまはインターネットがあるので)どんなひとにも一目瞭然である。

その上に日本のひとは東北弁、土佐弁、薩摩弁、というような生活を実感するために必要な地方語を奪われてしまった。
厳密に国家によって「検定」された教科書はその役割をよく果たして地方人の誇りを念入りに靴の踵でひねりつぶしてしまった。

標準語のうちでさえ、日本のワードプロセッサの歴史を調べていたときに、一太郎で言えば「ver. 4.3」の頃になる1988年にP1.EXEが出るまで「丼」という漢字がユーザー単語登録なしでは出なかったのを発見して驚いたことがある。
かつ丼もダメで、親子丼もダメ、標準語の世界で流通した日本語ワードプロセッサには「公」以外には存在する余地がなかったもののようだった。

あとに残ったのは、初対面の相手から、なんとかして年齢、最終学歴、職業的地位を聴き出して、複雑綿密な計算をしてから言語を決定する「敬語部分」が肥大した標準語で、いつか日本語ツイッタの友達たちとさんざん話したように自分の友達の親が死んだと聞いても英語では「Sorry for your loss」という、その単純な表現が日本語にはない。
「ご愁傷さま」では皮肉な冗談としてしかとられなくて、失礼だと思う、と言われてしまった。
では、なんと言えばいいのか?
残念でした、だろうか?
宝くじが外れたわけではあるまいし。
それではひどすぎるのではないだろうか。

「普通の生活」はどこにあるか? 
と考えて行き着いたのは、まだ近代以前の伝統が息絶えずに残っている田舎の生活で、粘ってからみつくような人間関係や乏しい職業の選択ということはあっても、
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/12/27/トザイケーザイ_2/
田舎の生活のほうが徹底的な自己の部品化、容赦のない疎外、というものがないだけ良いように思われた。

だんだん考えていて、日本の他の社会に較べて現実感を失うほど桁外れな問題を起こす部分は、やはり「標準語」の問題を初めとする言語の問題に帰着するようだ、と考えた。
卑語が多い語彙から眺めていくと社会の姿が見通しよく眺められる英語世界と、言語と社会の構造としてはやはり似ていると言えば似ている。

日本では標準語が個人の「普通の生活」をひきつぶしてしまった、という違いがあるだけと思う。

朝、ひとりで目をさまして、コーヒーを飲んでいると、目の前で2メートルくらいの鮫がちょうど水族館のイルカたちがやるようにジャンプした。鮫のような怠け者がジャンプするのはたいてい近くにシャチがいるからで、
いつか見た優美な泳ぎ方をするシャチの家族は、この辺がねぐららしかった。

太陽がのぼって、水温があがると積乱雲がたちのぼってくる。
この雄大で飛行機をとばしているときには最悪の危険である雲は、むかし、葉山の海で泳いでいると、山肌をわたる小径が、騎乗の侍たちの鎧の肩をするほどだったので「鎧擦り」と名前のついた山の向こうによく見えた雲だった。
日本の海面の暖かい海を思い出して、なつかしいなあ、と思う。

「小さい人」が大きくなったら、モニと3人で、またあの不思議な国を訪れる日がくるだろうか?
あるいはインターネットを通してしか知らない友達たちと実際に顔をあわせて、笑いあう日があるのだろうか?

それまでなんとか日本語を失わずに、頭のなかの「日本語人」を大切にして、過ごせればいいと思う。

ほんとうに、そう思う。

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One Response to An Ordinary Life_2

  1. niku says:

    「Sorry for your loss」は日本語だと「そうだったのか(ですか)・・・」だと思う。
    言葉に合わせて神妙な顔で哀情を示しつつ、二秒ぐらい間を空ければ尚良しと思われる

    昔テレビで見たけど、職場のランクの高い上司と定食屋に行く時、上司の側にある醤油を取ってもらうには、どんなセリフが最も礼儀正しいと言えるのかと言う馬鹿げた企画があったんだが

    「すいません。醤油を取ってください」とか「醤油を取っていただけますか?」は60点ぐらい
    正解は、ほんの少し狼狽した身振りをしながら醤油を見つめて「あ、あのぅ醤油~」と言う。
    ポイントは上司に「命令」するのではなく、自発的に醤油を取ってもらう形にすることで、選択を行うのは常にあなたですよ、と伝わればいいらしいw

    こういうのは極端な話だけど、標準語の冷たい響きで言葉が詰まってしまう事は良くあることで、それが奇妙なコミュニケーションを作ってるのかな

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