「ふつう」をめざすということ

NYC32

33歳と34歳の夫婦。
旦那さんは元は南アフリカの人で奥さんは両親がイギリス人の2代目移民である。
ITのものならなんでもチョー遅れているニュージーランドでは珍しくふたりともIT会社で仕事をしている。
旦那さんはシステムインテグレーションの仕事のエンジニアで奥さんは日本で言う「外資」の役員です。
会社のパーティで出会ったのだそーだ。

わしはもともと旦那を知っている。
この頃は行くのがめんどくさくなって自分の家で運動することにしたのでやめてしまったが、(と書いていて思いだしたが、駐車場がないジムで最寄りの駐車場が1時間320円というたわけた駐車料金になったのでやめたのだった。記憶のすりかえおそるべし)
前によくでかけたジムで知り合った。
メートル法になおすと2メートルちょっとであるわしとちょうど背丈がおなじくらいで、ふたりとも鉄筋筋骨製のような体格も似ているので一緒にトレーニングをすることがおおかった。
気のやさしい、誠実なひとで、よいひとです。
ときどきパブで一緒にビールを飲んだりした。

ツイッタでニュージーランドの「普通の生活」について日本語ツイッタ友達と話していてニュージーランド人の「普通の生活」を書いてみようかと考えた。
15年前は日本人の平均収入のちょうど半分だったニュージーランド人の収入は、いまは8割弱で、数字の上ではだんだん近付いてきたが内容は随分ちがう。
アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドはもともと貧富の差がおおきいので有名なみっつの国で、ニュージーランドのオークランドでもハーンベイ・ポンソンビーというCBDに隣接した小さな住宅地、東側に広がるパーネル、オラケイ、リミュエラ、セントヘリオスというようなところに家を買うのは一億円はないと小さな家でもまず買うのは無理である。住民同士仲がよいコミュニティがまだ生きている住宅地で、オラケイだけは南半分が国が建てたアパートが並ぶ貧困地区、北半分が10億円を優に越える住宅が並ぶ通りを3つもつ変わった性格の住宅地だが、概してこそ泥は年中あるが平和で、夜眠るにも鍵をかけないで眠るひとも多い。

一方オークランドの南一帯に広がる広大なサウスオークランドは「Once Were Warriors」
http://www.imdb.com/title/tt0110729/
の舞台になった地域で失業、家庭内暴力、暴力性犯罪、麻薬中毒、アルコール中毒が蔓延している。
ギャング同士の抗争で命を落とす十代の人間も多い。
書いてあるものをちゃんと読んでみたことはないが、近所のばーちゃんなどと散歩の途中で話をすると「ニュージーランドの犯罪の8割」がサウスオークランドで起きるという。このばーちゃんだけでなくて、同じことを言う人は多いが、サウスオークランドはマオリ人とポリネシア人が多い地区なので「異文化圏」に対する偏見もあるのかもしれません。

ニュージーランドは住所がわかればいま住んでいる人がいくらで家を買ったかわかるので、内緒で、いまちょっと見てみると、友達夫婦は1億2000万円でリミュエラの家を買ったものであるらしい。
セクションが小さい200坪くらいの家で、手間がかからない小さな庭があって残りはテラコッタのタイルが敷いてある、いま流行のタイプの家です。
これも最近の流行である石窯とテーブルがキッチンの外側にあるが、(これも殆どの家と同じく)石窯はめんどくさいので飾りで、普通のワゴン式ガスバーベキューが横に置いてある(^^)

生姜色の成熟した性格のおおきな猫が一匹と猫よりもずっと小さな、チョーちびこいWest Highland White Terrierの子犬が二匹いる。

子供は3人は欲しい、というので、友達に、こんなところでだべっているヒマはないではないか、とよく下品な冗談をゆわれる。

奥さんはIT関連の学位をふたつもっている管理職だが会社には1ヶ月に2回くらいしか行かない。
Polycomのシステムが家にはいっているが、「スカイプですますことのほうが多い」そーです。
ファイバー・オプティックがまだ来ないのでエクスチェンジに近いいまの家を選んで買った。

クラス6ケーブルが壁の裏側や天井を通して張り巡らされていて、ラウンジを含めて6つある部屋のどれにも50インチのプラズマとLEDのHDTVがある。
マルチリモコンは流行のロジテック110iを使っている
http://www.logitech.com/en-nz/product/6378?crid=60

奥さんはBMWの3シリーズで旦那はフォードのエクスプロアラーです。
http://www.ford.com/suvs/explorer/

こうやってずらずらと具体的に書き記してみて思うのは、自分でも予期しないことで、日本では若いひとに給料を払わなさすぎるのではないか、ということだった(^^)
この夫婦は「結婚めざして預金」などということは全然考えていなかったので、ふたりとも独身のままでいいや、と思っていたのに会社のパーティで会ったら、一目で恋におちてしまって突然結婚することになった経緯は、わしは旦那を通してよくしっている。

日本の年齢と状況が同じくらいの友達と較べて考えると、まず給料の体系が異なるので、ニュージーランドの平均年収が日本の8割弱だと言っても20代だけで較べると、(これも統計をみて言っているのではなくて普段の生活からくる「感じ」だが)ニュージーランド人は3倍くらいもらっているのではないだろうか。

ホームローンにしても、日本の銀行はCDOのような考えはどこにもなくて銀行自体が自分のクレジットのおおきさを拡大できないで終始している(しかもそのせいでクレジットクランチの被害が小さくてすんだ、というマンガ的な意見を述べるひとも大勢いた)せいでローンの額がぎょっとするくらい小さいので20代のカップルが自力で1億円のローンを組むのは難しいようにみえる。

おおきな家を買えないというと、おおきな家を借りるか、小さな、家ともいえないようなおおきさの家を買うかしかなくなるのは当然だが、前者の場合は家賃が40万円というようなものになって生活には見通しがなくなるし、後者ではそもそも空間が十分にとれないので子供を作る気がしないだろう。

日本の経済をぼんやり眺めて得た感想は、日本の経済は「個人が幸福になれない社会のせいで衰退した」という漠然とした印象だったが、その「個人の幸福」には「子供をもつ」という選択肢が含まれる。
しかし、住居が床面積が200平方メートルにも満たないような家で、しかも育児の半分を担うべき夫が朝の8時に家を出て夜の8時を過ぎて帰ってくるような生活で妻が子供を持っても良い、と考えることがあるとは到底考えられない。
それでは自分の負担がおおきすぎてむかしの日本の流行語を適用すれば「モーレツサラリーマン」に「モーレツ主婦」で、自分たちの生活などというものはどっかに飛んで行ってしまうだろう。

わしは正直に述べて、日本のような個人から時間を収奪することで成り立っている社会で「少子化対策」などと言っている政府をみて、わけがわかんねーと考えることが多かった。あれでは育児どころか、夫婦がのんびりリラックスしていちゃいちゃもんもんに没頭する時間もないと思う。
いちゃいちゃもんもんなしで子供が出来るのは、チョー下品な言い方をすると「つっこんで終わり」のバカ男が支配する夫婦間だけのことで、文明社会では妻も人間であるのが普通なので、どういう観点から見ても子供をつくる気になりはしない。

そのうえに根本から間違っているとしか言いようがない「ジジイになるまで忠勤すれば人間らしい暮らしも考えてあげるからね」の、いまでは世界になりひびく悪名高い日本の会社の老若が転倒した給与体系があり、ダメ押しでついぞクレジットの拡大を考えたことがない前近代的な金融システムがある。

まるで人口を減少させるために国を経営しているようなもので、当然の予想に順って人口が減少し、市場が縮小し、ぬけだせない慢性的な経済の衰退を引き起こして、経済の衰退はいまでは人間の魂に及んで、世界でいちばん外国人が住みたがらない国であるのに外国人の多い街を「外国人でていけ」と喚きながら練り歩くマヌケな集団があらわれる。

「日本をよくする」という人間がいるかぎりは日本の社会が衰退から抜け出ることはない、というのはよく出来た皮肉というよりはスラップスティックマンガ的な事実だと思う。
「日本をよくする」というかけ声で全体のための部分として、個を殺して自分を犠牲にするという、まさにその自分の価値を否定する「個の部分化」によって日本はここまで坂を転落してきた。
現代の経済では「個々人が幸福になるための意欲」がおおきなファクターだが、日本の社会には社会をよくするためには個々の生活を犠牲にすべきだという倒錯がある。
日本が「よくなる」ためには、個人、とりわけ若い人間が社会の冨のおおきな部分の分け前をスタートの時点で還元されて、しかも自分を更に幸福するために大胆に踏み出すための社会から(簡単な例では教育ローンやホームローンの)の支援が受けられるようにならなければ、どうにもならないだろう。

ツイッタでぶつぶつ言っているのを聞いたひともいると思うが、あとで話の内容がよく判っていないおっさんたちが濫用したせいで誤解されるに至った金融工学手法を使って銀行のクレジット拡大の方法をみいだしたTerri Duhonは、チームをつくった当時24歳だったはずである。「ああいう手法のせいで金融危機が起こったのだ」というひとがいるのは承知しているが、わしは単純に、おきまりの、退屈で退嬰的な「むかしがいいのさ」という怠けものの意見にしかすぎないと考えるが、この記事では議論しない。

「若い人間は未熟であって修行が必要だ」というのは未開社会共通の特徴にしかすぎない。
少なくとも「老成した」自分達が作り上げた社会がいまのような無惨な失敗に終わっているのに、そんなことは素知らぬ顔で、ここに至ってもなお若い人間を奴隷じみた報酬でこきつかおうという日本のいまの支配層は見ていて胸が悪くなるほどの恥知らずであると感じる。
自分自身の老後は安泰であるように周到に準備して、若い人間には底なしの流砂から顔だけを出しておける程度の板いちまいを投げ与えて、「若いひとにがんばってもらわなくちゃ」とにっこり笑って述べるのは驚くべき恥知らずな無責任さであると思う。

真剣に「日本を良い国にする」つもりがあるならば、黙っていまふんぞりかえっている部屋から静かに出てゆくのが最善でゆいいつの「社会への貢献」であると思います。

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