Daily Archives: February 16, 2013

天地無用社会

ノースショアという地区は、オークランドの橋の向こう側にある地区で韓国の人がたくさん住んでいる。 もともとは「白い町」で右を向いても左を向いても同じような「元イギリス人」が多くて退屈な地区だったが、どこの国でも同じ、日本の人と韓国の人は「白人地区」が大好きなので、あっというまに5万人という韓国のひとのコミュニティが出来た。 モニは半分菜食主義みたいな食事が好きなので、なかなかうんといってくれないが、わしは下品にも肉肉しい食べ物が好きなので、コリアンBBQを食べに行きたい、と思う事がある。 カルビが好きです。 骨のまわりに肉がまきついたように切ってあって、炭火のストーブの上に載せたパンの上から店のひとがハサミで切って焼いてくれる。 もっとも周りを見渡すと、これはわしがマヌケげな「ガイジン」であるからかもしれなくて、ふつうの半島人の客は自分達で勝手にハサミで切って焼いて食べている。 韓国料理屋に行ったことがあるひとなら、みな知っていることだと思うが、10個から20個という数の小鉢が出る。 キムチ、水キムチ、チヂミ、ホウレンソウをゴマとあえたもの、牛スジの煮込み、… いっぱい出てくる。 こういう小鉢は無料ででてくる。 お代わりもタダで、ホウレンソウのチヂミがおいしいので、3回くらいお代わりをすると、店の主人がやってきて、そんなにおいしいのか?と訊く。 無茶苦茶おいしーんだけど、というと、えも言われない、というか、子供のようなまっすぐな表情で相好をくずして、暫くすると、でっかいピザのLサイズくらいのチヂミをもってきて、もちろんタダだぞ。食べろ食べろという。 ほんで500グラムくらいの、さっきのBBQのガルビとスープとご飯で20ドル(1600円)なので、ときどきでかける。 店内でみかける大学生たちは、どうやら半島から高校を卒業して大学に勉強に来ているようで、どことなく、というよりも瓜二つというくらい日本の留学生たちに似ている。 韓国語で、くつろいで話している。 わしが子供の頃は髪の毛を染めているかどうかで日本人とその他の東アジア人の区別がついたが、最近は半島人も男も女も髪の毛を染めるようになったので、外目にはまったく区別がつきません。 なぜかたいてい女の子ばかりの集団だが高校生たちがはいってくると、多分、小学校くらいからニュージーランドにいる人が多いようで、韓国の人は3歳くらいから子供を英語圏に「留学」させるので有名だが、まったくアメリカナイズされている。 ニュージーランドで育って「アメリカナイズ」は不思議であるし第一曲芸みたいだが、現実の様子を書いているだけのことで、実際アメリカナイズという言葉が描写としても最も適当であると思われるので、やむをえないと思ってもらえないと困ります。 どうしてそうなるかは、当の半島人たちに訊いてみないと判らない。 はいってくるときは、丁度アメリカのティーンエイジャーたちがカフェにはいってくるときと同じでがやがやと、あるいは缶コーラを手に持ち、スマートフォンの画面を見てたちどまったりしながらやってくる。 テーブルについても、座り方のお行儀の悪さから、椅子とテーブルの距離に至るまでアメリカ人ぽく構えている。 ところが店の主人がテーブルに注文をとりにくると、突然、申し合わせたように椅子に背を伸ばして座り直して、あまつさえ椅子を手でひいてテーブルに近付けさえして、「きちんと」する。 声の調子から、表情まで変わって、東アジア風にrigidな態度になる。 想像するに店の主人は明らかな年長者なので、年長者への敬意をみせているのだとおもわれるが、まるで切り替えスイッチがついているような変身の鮮やかさで、横でみていて、感心してしまう。 上下の別に厳しいのは日本社会の特徴であると思う。 英語人の国で観察していると、上下の別に最も厳しいのが半島人で次が日本人かなあー、と考える。 豊臣秀吉に会いに行った朝鮮使節は、儒教の礼なんてしったこっちゃねーよ、な日本人たちの態度の悪さ、礼儀もなにもない下品さに「野蛮人の国」と太鼓判を押すが、その憤りと侮蔑の様子はむかしむかしのフランス人のビンボで礼節を知らぬイギリス人に対する憐れみというようなものとは、また質が異なって、「人間じゃねーな、こいつら」という激しいもので、儒教が玄界灘を渡りきれなかった様子がよくわかります。 日本の上下の別の厳しさは、長年時代劇で鍛えられたらしい日本のひとの前近代観とやや異なって、近代にはいってからのものではなかろーか、と思うことがある。 近代以前から、長幼の序も、どうも本を読んでいると農工商がこの順に階級だったとは当然信じられないにしても、「士」とその他という形では実際に存在したらしい階級社会もあったのはほんとうだが、いまの日本社会のように社会的地位と年齢と性別その他諸々の社会的ポジションを入力して瞬時に偏差値が導き出され、その偏差値によって話しかける言語そのものが変異するというようなチョー巧緻な上下別社会は近代にはいってからのものであるようにみえる。 勝海舟のおとっつあん(父親、というよりは、どうみても「おとっつあん」な人です)である勝小吉が自分の一生を聞き書きさせた「夢酔独言」が典型だが、江戸時代も終わりの旗本などは、もうデッタラメもいいところで、文字の読み書きはできない、武芸の練習などやったことがない、それなのに喧嘩だけは大好きで、朝から大酒を飲んで旗本の倅同士で徒党を組んで寺の境内やなんかで乱闘を繰り返しては、おれが勝った、見たかボケナスと言ってえばりかえるという、現代で最も似ているものを探すとやくざのチンピラみたいなひとびとであったのがわかる。 そういう「上」がポンポコリンな世の中になると、たいていは下の階級のものが暴れ出して上の階級のものを社会から駆逐して討滅することになるが日本の場合はそうならずに、薩摩と長州という「別の国」が攻め上ってきて徳川の世にとってかわってしまった。 いまで言えば中国の人民解放軍がせめのぼってきて自民党政権を駆逐するようなものである。 薩摩の社会というのは、上から末端まで綺麗に上下をつけてしまうのが特徴の全体主義社会で、義理叔父は先祖が薩摩の出身だが、義理叔父のじーちゃんの頃は、まだまだ全然サツマっていて、なにしろ小学校に入ると総当たりで喧嘩をするのだそーである(^^) 殴りに殴りまくって、いちばん強かったやつが学年の大将になる。 以下、二番から237番という末席の、実際にも自殺することが多かったらしい「いじめられっ子」に至るまで、小学校のときから綺麗に順番がついている。 日本の近代軍事力は薩摩人が基礎を築いた。 途中で自分達の「いちばんの大将」西郷隆盛が冷遇されて、やってられるかバッカロー(註:ウイリアムサロイヤンの小説に出てくる主人公がただひとつ聴き取った日本語でんねん。もちろん「バカヤロウ」のことである)というので大挙して薩摩に帰ってしまったりしたが、もっとねっちりした官僚仕事に向いていたらしい長州人と異なって軍事と戦争が大好きであったらしい薩摩人は日本の軍隊の文化形成におおきな力をもっていた。 わしは日本の人にとっては「近代」とは近代軍隊のことではなかったか、という深い疑いをもっている。 かすりの着物を着て走り回っていた田舎の村をでて、地方の青年が初めに見る「西洋」は徴兵されて入営する軍隊だった。 いま言われるほどにはなかなか成功しなかった日本の近代化は「鎮台」と呼んだ鎮守府がかき集めた絵に描いたような弱兵が薩摩の精鋭軍兵を圧倒的な武器の優勢によって制圧した軍隊において最も成功した。 着物を着て過ごした田舎の若者達は、軍隊に入営することによって草履を靴に履き替え、ズボンとシャツを着る習慣を身につける。 … Continue reading

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