天地無用社会

NYC573

ノースショアという地区は、オークランドの橋の向こう側にある地区で韓国の人がたくさん住んでいる。
もともとは「白い町」で右を向いても左を向いても同じような「元イギリス人」が多くて退屈な地区だったが、どこの国でも同じ、日本の人と韓国の人は「白人地区」が大好きなので、あっというまに5万人という韓国のひとのコミュニティが出来た。
モニは半分菜食主義みたいな食事が好きなので、なかなかうんといってくれないが、わしは下品にも肉肉しい食べ物が好きなので、コリアンBBQを食べに行きたい、と思う事がある。
カルビが好きです。
骨のまわりに肉がまきついたように切ってあって、炭火のストーブの上に載せたパンの上から店のひとがハサミで切って焼いてくれる。
もっとも周りを見渡すと、これはわしがマヌケげな「ガイジン」であるからかもしれなくて、ふつうの半島人の客は自分達で勝手にハサミで切って焼いて食べている。
韓国料理屋に行ったことがあるひとなら、みな知っていることだと思うが、10個から20個という数の小鉢が出る。
キムチ、水キムチ、チヂミ、ホウレンソウをゴマとあえたもの、牛スジの煮込み、… いっぱい出てくる。
こういう小鉢は無料ででてくる。
お代わりもタダで、ホウレンソウのチヂミがおいしいので、3回くらいお代わりをすると、店の主人がやってきて、そんなにおいしいのか?と訊く。
無茶苦茶おいしーんだけど、というと、えも言われない、というか、子供のようなまっすぐな表情で相好をくずして、暫くすると、でっかいピザのLサイズくらいのチヂミをもってきて、もちろんタダだぞ。食べろ食べろという。
ほんで500グラムくらいの、さっきのBBQのガルビとスープとご飯で20ドル(1600円)なので、ときどきでかける。

店内でみかける大学生たちは、どうやら半島から高校を卒業して大学に勉強に来ているようで、どことなく、というよりも瓜二つというくらい日本の留学生たちに似ている。
韓国語で、くつろいで話している。
わしが子供の頃は髪の毛を染めているかどうかで日本人とその他の東アジア人の区別がついたが、最近は半島人も男も女も髪の毛を染めるようになったので、外目にはまったく区別がつきません。

なぜかたいてい女の子ばかりの集団だが高校生たちがはいってくると、多分、小学校くらいからニュージーランドにいる人が多いようで、韓国の人は3歳くらいから子供を英語圏に「留学」させるので有名だが、まったくアメリカナイズされている。
ニュージーランドで育って「アメリカナイズ」は不思議であるし第一曲芸みたいだが、現実の様子を書いているだけのことで、実際アメリカナイズという言葉が描写としても最も適当であると思われるので、やむをえないと思ってもらえないと困ります。
どうしてそうなるかは、当の半島人たちに訊いてみないと判らない。

はいってくるときは、丁度アメリカのティーンエイジャーたちがカフェにはいってくるときと同じでがやがやと、あるいは缶コーラを手に持ち、スマートフォンの画面を見てたちどまったりしながらやってくる。
テーブルについても、座り方のお行儀の悪さから、椅子とテーブルの距離に至るまでアメリカ人ぽく構えている。

ところが店の主人がテーブルに注文をとりにくると、突然、申し合わせたように椅子に背を伸ばして座り直して、あまつさえ椅子を手でひいてテーブルに近付けさえして、「きちんと」する。
声の調子から、表情まで変わって、東アジア風にrigidな態度になる。

想像するに店の主人は明らかな年長者なので、年長者への敬意をみせているのだとおもわれるが、まるで切り替えスイッチがついているような変身の鮮やかさで、横でみていて、感心してしまう。

上下の別に厳しいのは日本社会の特徴であると思う。
英語人の国で観察していると、上下の別に最も厳しいのが半島人で次が日本人かなあー、と考える。
豊臣秀吉に会いに行った朝鮮使節は、儒教の礼なんてしったこっちゃねーよ、な日本人たちの態度の悪さ、礼儀もなにもない下品さに「野蛮人の国」と太鼓判を押すが、その憤りと侮蔑の様子はむかしむかしのフランス人のビンボで礼節を知らぬイギリス人に対する憐れみというようなものとは、また質が異なって、「人間じゃねーな、こいつら」という激しいもので、儒教が玄界灘を渡りきれなかった様子がよくわかります。

日本の上下の別の厳しさは、長年時代劇で鍛えられたらしい日本のひとの前近代観とやや異なって、近代にはいってからのものではなかろーか、と思うことがある。
近代以前から、長幼の序も、どうも本を読んでいると農工商がこの順に階級だったとは当然信じられないにしても、「士」とその他という形では実際に存在したらしい階級社会もあったのはほんとうだが、いまの日本社会のように社会的地位と年齢と性別その他諸々の社会的ポジションを入力して瞬時に偏差値が導き出され、その偏差値によって話しかける言語そのものが変異するというようなチョー巧緻な上下別社会は近代にはいってからのものであるようにみえる。

勝海舟のおとっつあん(父親、というよりは、どうみても「おとっつあん」な人です)である勝小吉が自分の一生を聞き書きさせた「夢酔独言」が典型だが、江戸時代も終わりの旗本などは、もうデッタラメもいいところで、文字の読み書きはできない、武芸の練習などやったことがない、それなのに喧嘩だけは大好きで、朝から大酒を飲んで旗本の倅同士で徒党を組んで寺の境内やなんかで乱闘を繰り返しては、おれが勝った、見たかボケナスと言ってえばりかえるという、現代で最も似ているものを探すとやくざのチンピラみたいなひとびとであったのがわかる。

そういう「上」がポンポコリンな世の中になると、たいていは下の階級のものが暴れ出して上の階級のものを社会から駆逐して討滅することになるが日本の場合はそうならずに、薩摩と長州という「別の国」が攻め上ってきて徳川の世にとってかわってしまった。
いまで言えば中国の人民解放軍がせめのぼってきて自民党政権を駆逐するようなものである。

薩摩の社会というのは、上から末端まで綺麗に上下をつけてしまうのが特徴の全体主義社会で、義理叔父は先祖が薩摩の出身だが、義理叔父のじーちゃんの頃は、まだまだ全然サツマっていて、なにしろ小学校に入ると総当たりで喧嘩をするのだそーである(^^)
殴りに殴りまくって、いちばん強かったやつが学年の大将になる。
以下、二番から237番という末席の、実際にも自殺することが多かったらしい「いじめられっ子」に至るまで、小学校のときから綺麗に順番がついている。

日本の近代軍事力は薩摩人が基礎を築いた。
途中で自分達の「いちばんの大将」西郷隆盛が冷遇されて、やってられるかバッカロー(註:ウイリアムサロイヤンの小説に出てくる主人公がただひとつ聴き取った日本語でんねん。もちろん「バカヤロウ」のことである)というので大挙して薩摩に帰ってしまったりしたが、もっとねっちりした官僚仕事に向いていたらしい長州人と異なって軍事と戦争が大好きであったらしい薩摩人は日本の軍隊の文化形成におおきな力をもっていた。

わしは日本の人にとっては「近代」とは近代軍隊のことではなかったか、という深い疑いをもっている。
かすりの着物を着て走り回っていた田舎の村をでて、地方の青年が初めに見る「西洋」は徴兵されて入営する軍隊だった。
いま言われるほどにはなかなか成功しなかった日本の近代化は「鎮台」と呼んだ鎮守府がかき集めた絵に描いたような弱兵が薩摩の精鋭軍兵を圧倒的な武器の優勢によって制圧した軍隊において最も成功した。

着物を着て過ごした田舎の若者達は、軍隊に入営することによって草履を靴に履き替え、ズボンとシャツを着る習慣を身につける。
「カレーライス」といういままで見たことも聞いたこともない西洋の食べ物のおいしさに眼をまるくする。
椅子への座り方、歩き方、走り方、から始まって、「前へ倣え」の整列の仕方、上下の厳しい区別まで徹底的にたたきこまれる。

地方において日本の近代化を担ったひとびとは、無論、そうやって「西洋としての軍隊」に「留学」したひとびとなのである。

わしが「良い翳をもつ日本人の一典型」として考えるのが好きな小平邦彦の頃はまだ東京大学の合格発表は成績順だったという。
その頃のひとが書いた懐旧談を読むと、なんにでもかんにでも順番と上下がついていて、まるで社会ごと何がえらくて何がえらくないかばかり考えている偏執狂社会のようにみえるが、要するにまるごと軍隊のコピーで出来ているのだ、と考えると、最も説明がつきやすい感じがする。

いやなことを書くと、では、軍隊にとって女びとは何であるかというと「おかあさん」であるか「賄い婦」であるか「慰安婦」だろう。
そういうと目を剥いて怒るひとがいっぱいいるのは知っているが、考えれば考えるほど仮説として便利であるように思われる。

ラウンジでシャンパンを飲んで踊り狂って、モニさんに紙幣を下着に突っ込んでもらったりしながらオオバカタレな夜をすごして、にははは、うけちゃったわ、と呟きながらツイッタが開きっぱなしになったコンピュータの画面を見ると日本語ツイッタのアカウントのタイムラインで村上憲郎おっちゃんが「もう日本語やめれば」と過激なことを述べている。
憲郎おっちゃんの世代は日本語の達人と目されていた志賀直哉が「日本語なんてくだらないからフランス語を国語にしちまうべ」と言ったり、いくども英語を国語にしようとする運動があったり、いまに較べると言語についての論争がおおかった時代をくぐってきた世代であるはずで、世代的な結論が「外国語に国語を変えるなんちゅうのは文化が判らないやつの譫言」と出て、日本語をやめる、というのがいったんはタブーとして定着した世代です。口にだしていうには、かなり勇気がいる。

インド人が、ほいほいと、という印象で国語を猛烈な速度で英語に変えつつある
(わしガキの頃は「教養のあるインド人は英語を話す」と言っていたのが、あっというまに「多少でも教育があるインド人は」に変わって、いまは大多数の若い世代のインド人は、というふうに変わった)一方で、日本人が「公用語を日本語から英語に変える」という考えに殆ど検討をくわえる必要も感じないで「そんなの問題にならない」と言うことには、そういう歴史的な背景がある。

日本のひとが英語の話をするのを横でみていると、よくそんな細かいことまで見てるなー、わし、そんなん考えたことないぞ、と思うことがたくさんあるが、同じように外国人から日本語をみると、母語でない人間にしか見えない事があるようにも見えて、
ちょうど光が水で偏光するように、日本のひとは頭のなかで考えたことを意見として表明するときに敬語を代表格とする社会からの言語体系を通した圧力によって、「考えた事が言えない」状況に陥ることが頻繁にあるように見える。
言葉が発声されるときには本人であるよりも社会が意見を述べている。

そこまでいかなくても、義理叔父は、おおむかし、まさかここで書くわけにはいかないその家庭の相談事に母親に頼まれて応じたアメリカ人の高校生の女の子に、問題が解決した日の帰り、女の子に肩をたたかれて、「おれが大学にはいったら、一緒に遊びに行こうな!」と日本語でゆわれて、なにがなし、新鮮な気がし、いいとしこいて、ぐっときてしまったという。
敬語の非人間性、ということに、そのとき初めて思い当たったそーである。

もう長くなったので、また違う機会に考えようと思うが、日本語の敬語には、やはり精緻な敬語の体系をもつ英語の敬語とは異なって、人間の思考に社会を割り込ませ、社会の習慣と抱き合わせになって、本来の考えとは異なる強い言葉で言えば「ウソ」をつかせる力がこもっているように見える。
いわば言語をとおして、このブログ記事でなんども繰り返し述べた、「個人という全体」を「社会の部分」に変換しようとする強い力が働いている。

そうしてそれは儒教的な文化から来たのではなくて儒教的な形骸を利用した軍隊の文化の体型から来ているように思われる。
この次には、もっと眼を近づけて、近代以前の敬語と近代の敬語では、どう違うかを具体的にみてみたいと思っています。

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One Response to 天地無用社会

  1. meg says:

    がめさんへ、
    今回の敬語の話にはすごく同感しました。  この前、海外にいる日本人同士がどうして仲良くなれないのかという話題がTWITTERであったのですが、私はこれは敬語が原因だとずっと思っています。 日本人が3-4人集まると、性別・年齢・職業・社会的地位(?)で、グループ内で自然と敬語を使うようになります。 すると、会話の中で、グループの中での序列・身分が露骨になって自由な議論が出来なくなるんですよね。 一度、敬語で身分が出来てしまうと、相手が偏狭なことを言っていても本当に反論できなくなるんですよね。 こうして、こういう部分の日本社会を嫌って海外に出た人は、現地の日本人会から疎遠になっていくんですよね。
    そのときは、偶々、海外に放射能避難した日本人女性が現地の日本人に意地悪ばかり言われると嘆いていたのですが、「母子避難であること」「日本人の多く住む高級(?)住宅地に住んでいないこと」「労働ビザを持っていないこと」「車を持っていないこと」などを根拠に瞬時にグループの最底辺という扱いを受けたようでした。 自分も、そういえば、現地の日本人会に出席したときに、一つ質問に答えるたびに「減点1、2、3」とリアルタイムで自分の身分が下がっていくのが分かるような会話があったことを思い出しました。
    実は、私は、日本語でも関西弁には救いがあると思っています。 この前、「京都大学卒の教授が中心になって、大阪大学卒の教授のお祝いする」というような日本人の集まりが現地の大学であったのですが、この会は本当に盛り上がって、みんなで乾杯して終わりました。 実は、私が楽しいと思えた日本人会はこのときが初めてでした。 後から考えると、その場に集まったのは箱根の山から西の日本人ばかりで、全員がゆるい関西風の日本語で会話していて、ほとんど序列を感じなかったことが大きかった気がするんですよね。 それ以後、私は、時々、ワザと関西弁風に日本人と会話することがあります。 (自分は西日本出身ですが、関西弁はEFL。)

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