むかし、日本は戦争をした

paenell23

日本が戦争に負けたのは1945年のことだった。
戦争に至った理由は以前にも書いたが本質的には「欧州で勝ちまくっているナチのおこぼれが欲しかった」ことである。
当時の日本では「バスに乗り遅れるな」という標語が流行ったが、このバスはナチがフランスを占領したせいであちこちにできた元フランス植民地の空白や同じように無力化されたオランダ植民地を「ただでわけ取り放題」にするための「バス」だった。
その、日本の人のお怒りを承知のうえでいえば、卑しい口元の「新時代」へ自分達を運んでくれるバスに日本人はどうしても乗り遅れたくなかった。

それまではどうしても広大な植民地を自分達の手でにぎって話さない「けちんぼな先行者」である連合王国やアメリカ、欧州諸国を妬ましげな上目遣いで睨み付けながら、「そんなにたくさん持っているのだから少しくらいおれにもタダでよこせ人種差別主義者め」というお決まりの悪罵を内心で毒づくしかなかったのに同じ世界秩序の紊乱者としてあらわれたナチが意外にも電撃的な戦勝を手にしてあっというまに大陸欧州を手にしてしまったので、のんびりしていてはおこぼれがもらえないと考えて浮き足立って、とにかくなんでもいいから戦争を始めてしまいたい、と考えた。
ナチが他ならぬ日本人を猿と軽蔑していることは、たとえば「我が闘争」から削除して翻訳して、「なかったこと」にしてしまった。
人種問題などとるにたりないと思わせるほどの利益が目の前にぶらさがっていたからです。

ちょうどいまの北朝鮮と同じことで当時広く伝えられていた中国での集団強姦や虐殺に反撥した世界は日本への制裁を強めていて、1990年代にソビエトロシアの軍隊が実際にそうなってしまったように補給物資、就中燃料の欠乏から軍隊の経営が難しくなっていた、という理由もある。
陸軍は日本が挑発して起こしたノモンハンでの戦闘でジューコフの機甲師団に鋼鉄に生身で体当たりするような無様な戦闘を繰り広げて、現代戦においては自分たちの軍隊がまったく用をなさないのを知っていたにも関わらず、佐官級将校達を中心に戦闘の実際そのものを書き換えてしまい、「ロスケ相手なら勝てる」と、いまから考えてみれば信じがたい無責任な虚栄を張っていたが、なにしろ現実を知っているので、オランダがナチに敗れてインドネシアの原油が「取り放題」の対象になり、フランスもナチにくだってインドシナがからっぽになると、もう無我夢中で置き去りにされたものを掠めにいった。

当時のアメリカ人にとっては日本人は「ただの人間を神と崇める未開な民族」にしかすぎなかった。
日本人が自前の飛行機を設計して、しかもその飛行機群は主戦場が太平洋であることを意識した設計で長大な航続距離をもたせるという合理的な思想に基づいていたり、地紋航法を乗り越えて戦闘機操縦士ですら風の偏向を機上で計算しながら洋上を飛べる航空技術を身につけている(PPLをとってやってみれば判るが、これは人間業では無理な感じがするほど難しい作業です)ことなどを知っていたのは極くひとにぎりで、ほとんどの場合、「日本人は人間を神と崇拝できるほど未開である」という観念にとらわれて、中国大陸からの武官達の報告も無視されてきていた。
日本が実際に真珠湾を攻撃した頃には「日本に近代戦遂行能力がある」というような発言は、タブー、というか、変わり者とみなされて将来の栄進の妨げになるので誰も韲えて言おうとはしない話題になっていた。

フランスのように既に打ち負かされていたわけではなかったが連合王国は当時、風前の灯火もいいところで、表現に巧みなウインストン・チャーチルの口にかかれば「The Few」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Few
ということになって、なんとなく英雄的でかっこいいが、なにしろ計画性に長けて全員一丸となって合理的な生産計画をつくることにかけては当時もいまも世界一のドイツ人を相手に、計画性がゼロで、同僚同士の足のひっぱりあいに熱中する伝統をもつ高級将校に率いられ、訓練に至ってはタイガーモスで離着陸が出来てハリケーンでまっすぐ飛べればもうベテランとみなして、あとは自分で上手になってね、な、これも第一次世界大戦以来伝統の無茶苦茶なパイロット養成計画で、スペイン内戦で腕を磨いたドイツ軍の戦闘機パイロット達には「なんでイギリス人は標的機を自分たちの戦闘機の訓練でなくておれたちの訓練に差し向けて寄越すんだ」と訝られるくらいダメな空軍の全力を挙げてナチの侵攻を阻止しようとしているところだった。

自分の国を守る戦力がまったく足りないのに植民地防衛にまわす軍隊などあるわけはなくて、実際にも太平洋地域の主戦力はブリュースターバッファロー
http://en.wikipedia.org/wiki/Brewster_F2A_Buffalo
という樽に翼をつけてみたら飛びましたとでもいいたげな、とんでもないアメリカ製戦闘機で、しかも数が足りないので用途は日本軍の上空を飛んでびびらせることに専念して、あんまり使うな、という命令を受けたりしてしていた。
苦し紛れにプリンスオブウエールズを派遣してシンガポール人たちに対して「イギリスはちゃんとアジア権益を守る意志はあります」というこどもだましのポーズをつくってみせたが、このプロモーション企画も、ただチャーチルの頭の古さを証明するだけで終わってしまった。

もっと悪い事にはオーストラリアもニュージーランドも、戦士として素質がありそうな若い衆はみな連合王国防衛のために出払っていて、南太平洋は軍事的な真空地帯になっていた。
そこに、「バスに乗り遅れるな」の日本人達が、どっと侵攻してきたのだった。
家を開けて遠い国へ出かけて旅の空にすごしていたら、戻るにも戻れない距離の彼方で、自分の妻や家族が日本侵攻の危機に曝されていると知ったニュージーランド人やオーストラリア人の「日本人の卑怯」に対する憎悪はすさまじかった。
日本の敗戦処理委員会ではニュージーランドとオーストラリアは常に強硬に日本への厳しい復讐を迫るので読んでいて驚くが、要するに、「空き巣を狙われた夫たちの怒り」とでもいうのに似ている。
残された女達、ということでいえば、東南アジアやポリネシア、マイクロネシア各地で赤十字の看護婦や伝道の仕事に携わっていた女のひとたちは、日本人が進出してきたほとんどあらゆるところで強姦被害に遭って、BBCのドキュメンタリなどではいまもよくインタビューが放送される。
ガキわしも、香港の病院に赤十字のボランティアとしてつとめていたヨークシャー人のおばちゃんが、「そうして日本兵たちがわたしたちの病院にやってきました。彼等は私達をゆびさして『二階にあがれ』と命令した。それから…わたしたちはひとり残らずレイプされた」と述べて、テラスの外の夕陽に輝く庭を眺めながら「That wasn’t very nice」とつぶやく姿に大泣きしたりしたものだった。

「人間を神と崇めるバカタレの国」という侮蔑を奉じて軍備をまったく怠っていたアメリカ合衆国と自分の家が火事で丸焼けの最中の連合王国が一応まもっていることになっていた太平洋は、圧倒的に優勢な軍備(ちょっと意外な感じがするかもしれないが開戦当初の日本陸軍は機関銃、榴弾砲、対戦車砲、戦車、航空機、あらゆる点で連合軍よりも質も数も遙かにうわまわっていた。海軍については言うのもばかばかしいくらいの戦力差があった)の日本人たちにあっというまに踏みにじられた。

(余計な事を書くと日本語で太平洋戦争について書かれた本を読むと「日本軍の補給思想の欠落」ということが書かれているが、それは半分しか本当でないように見える。
日本軍はかなり精密に補給を計算して実行できる軍隊だった。
ちょっと考えてみればわかるが、そうでなくては4000キロ先の戦線まで補給物資をとどける、というようなことが出来るわけはない。
朝鮮半島侵略戦の補給指揮官だった石田三成の例をあげるまでもなく日本人は伝統的には補給の才能に恵まれた民族であると思う。
日本軍に欠けていたのは補給思想よりも「補給線防衛」のハウトゥーで、これは多分第一次世界大戦に一部局地戦をのぞいて参加しなかったからだろう。
北海や北大西洋を舞台にして「補給を断てば勝てる」という、やらしい思想をもったドイツ軍と対峙したことがなかったからだと思われる)

日本軍の殺到ぶりは、なにしろ碌な軍隊が存在しない無抵抗戦域なのだから当たり前だが、ものすごいスピードで珊瑚海にあらわれた日本の、上陸用の兵士たちを伴った、「海を覆うような」大艦隊のニュースに、オーストラリア人やニュージーランド人が、いかにパニクったかは、たとえばオークランドの沿岸を船でひとまわりすればすぐに判る。
至る所に急造の砲座やトーチカがつくられているからで、あれらはみな、じーちゃんやばーちゃんが、「日本軍がくる!」の報にえっちらおっちらこさえたものである。
珊瑚海海戦について「日本が勝った」「アメリカが勝った」「引き分けだった」と相撲の判定みたいなことを書いている本が世の中にはたくさんあるが、戦争は無論勝ち負けだけではない。
珊瑚海海戦で最も重要なことは「攻勢の日本軍がそこで止まった」ことで、自前の軍勢の精鋭が欧州やアフリカに出払ったオーストラリアやニュージーランドの国民感情とブリスベンの重要性をみなおしたアメリカ人達が、ほんでわ、というので南太平洋を軸とした戦略を再構築していったことにある。
その直截の答案がガダルカナルで「ここで戦力をつかいはたさせてしまえば、日本にもう他の戦力はない」という点と「欧州という主要な戦場で戦うための時間稼ぎができる」点ですぐれた着眼だった。

次から次に、あるものは赤ん坊を抱え、あるものはバンザイすら叫んで市民がとびおりて死んでしまうので、アメリカ兵を薄気味悪がらせた「Banzai Cliff」「Suicide Cliff」があるサイパン島が1944年にあっけなく陥落することによって日本の対連合国戦争は実質的に終了する。
普通の国ならば、ここで降伏調印するが日本はいま読んでいてもよく頭にはいってこない理由で、なぜか戦争を継続する。
いろいろな理由が解説されているが、自分が日本にいたときに見聞きしたことに照らすと、「重要な決断になるほど決断ができない」「現実を直視することが出来ない」「危機が迫ると頭でつくりあげた虚構を全員で信じはじめる」日本の文明的な特徴が「起こってはいけないこと」の最たるものであった「正義の国不敗日本が戦争に負ける」という事実に直面して噴きだしてしまったようにみえる。

たくさんの日本の人が指摘しているとおり、サイパン陥落後の日本支配層の反応は福島第一事故のあとの支配層の反応と薄気味が悪いほどそっくりで、都合の悪い事実の隠蔽、「専門家」が登場して素人は黙れキャンペーンを繰り広げるところ、支配層の思惑の情緒的アンプリファイアとしての役割に専念するマスメディア、どれひとつとっても福島第一事故のあとの日本と酷似している。
「全員が納得することがもっとも大事だ。みなでよく話しあうように」という昭和天皇の意見によって何十回もムダな会議を繰り返して、結局なにも決められず、そのあいだじゅう国民が一方的にそのつけを払わされる、という図式も同じで、太平洋戦争末期と福島第一事故のあいだに横たわる(表層的には大変化に満ちた)65年という歴史の時間をおもえば、民主主義だのなんだのというよりも、もっと深く日本人の心性に根ざしたものなのでしょう。

日本を占領しにやってきたアメリカ人の若い男たちが見た日本人という民族は異様なもので、女はなぜか顔に泥や墨を塗って髪の毛を蓬髪に仕立ててあり、男達はやたらと愛想良く笑いかけて、風変わりな発音でハロー、ウエルカム、と述べる。
イタリアに進駐したアメリカ兵たちは、「どいつもこいつも『あなたたちが来てよかった。自分はナチを憎んでた』と言う大嘘つきばかりだ」とイタリア人たちへの軽蔑をこめて書いているが、日本にやってきたアメリカ兵たちは、イタリア人よりも度を越した日本の男たちの卑屈ぶりに呆気にとられているように見える。

日本は沖縄を含めれば、というよりも沖縄の痛みはそのまま自分の痛みであると主張する言葉が本心であると仮定すると1945年から1972年の27年間アメリカの占領下にあった。
もちろん民政よりもいちだん下にある軍政のあつかいです。
あるいは沖縄人の苦しみが日本人のものであるというのが、おざなりの嘘であるとすれば1945年から1952年までの7年間、アメリカの軍政下に占領されていたことになる。
これほど長く、徹底的でうむをいわせぬ占領は世界の歴史のなかでも珍しい。
ナチのパリ占領などは足下にも及ばないほど無惨な日本文化の破壊をアメリカ人たちが行ったのは、ドイツ人が同じ欧州人としてフランス人たちの生活や文化に深い憧れをもっていたのに較べて、アメリカ人たちには日本の文明への敬意どころか理解も欠けていたからでしょう。

アメリカ人たちの日本占領の基本方針は「日本の文化を完全に破壊する事」「日本的なものを根こそぎにすること」だった。
「日本をアメリカ社会的価値にもどづいてアメリカ化すること」というふうにトーンがやわらいでいくのは、もっとずっとあとのことになる。

日本語は廃止して英語にしなければ日本人の悪魔的な思考方法は変わらないだろう、という見込みにしたがって、日本語を廃止しようとするが、第一には日本人側の強い抵抗があって、その上にアメリカ人たちのあいだからも「それでは日本が半島人に対して日本語以外を禁じたのと同じ事で人聞きが悪い」という声があがって沙汰やみになった。
ずっと読んでいくと、要するにアメリカ軍が7年をかけてやったことは、いまアメリカ軍がイラクやアフガニスタンでやっていることと同じで、イラクやアフタニスタンに較べて日本人のほうが占領前の、バカな人間ほど大声で集団で威張ってあるく辛い記憶がおおきかったぶんだけ、過去の伝統への執着が少なかったところだけが異なる。

イラン人はたいてい自分達の高い文明を背景にイラク人や他の「アラブ人」を極く自然に、人間としてやや下にみる、というか、粗野な人間の集団として眺める習慣をもっているが、そのイラク人たちといえども、古い文明の民らしく、ごく自然に「アメリカ人の野蛮さ」というものをかぎつけるので、なかなかアメリカ人式の占領政策はうまくいかないが、日本では当のアメリカ人たちがびっくりするほど、とてもうまくいった。
サクラ、フジヤマ、ゲイシャ、というのは当時うまれた日本で良いみっつのものと言う意味の言葉だが、ここでいうゲイシャは、本来の意味の芸者ではなくて売春婦のことです。
こういうと顔をしかめる人がいるのは判っているが、日本の若い女達の売春婦は、アメリカ人の若い男たちが世界のどこでも見たことがないほど、教育程度が高く貪欲さが少ない売春婦たちだった。
「ラクチョウオトキ」のような日本人にとっては「あばずれ」の典型のように言われる女びとでもアメリカ人からみると、人間としての哀しみや慎みをもった、カネを払って女の体を時間買いする、という行為からは起きるはずがない一種の感動を若いGIたちに与えた。

あんまり長くなったので、そろそろ終わりにしたいが、いま考えられているよりも、日本はアメリカ軍による長い軍事占領と徹底的な日本文化の破壊によって自己を失ってしまった。

教育や行政というような国の根幹を成す部分においてことさらアメリカ人たちは自分たちの制度を乱暴なやりかたで接ぎ木して去っていった。
日本の大学、たとえば東京大学というようなところに行くと、容れものだけを残して略奪されて荒廃した欧州大学の建物に、アメリカ式のマスプロ教育風景がはいりこんでいるような奇妙な印象をうけるが、実際、あれは日本の戦後の「教育」そのものを象徴しているのかもしれないと考えてみたりしたのをおぼえている。

わしの実家には当時の日本の人たちからの贈り物だと思われる「Made in Occupied Japan」の陶器が何セットかあるが、前にそのことを思い出して記事
https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/02/25/made-in-occupied-japan/
を書いたらppqqというひとが、コメント欄で、小松真一という人が日本が戦争に負けた原因として
「文化の普遍性がないこと」と述べていることについて教えてくれている。

歴史を通じて、押し寄せる中国の文明に対して、日本人はずっと必死で自己のアイデンティティを守ろうとしてきたが、この頃、案外と日本人は「普遍性に背を向けることによって別の普遍性を見いだそうとした」のだろうか、と考えることがある。
特に日本における禅宗の特殊な発展においてそうみえる。

世界中の人が夜空をみあげて、煙るような、光が瀑布になって流れ落ちるような美しさに打たれているときに日本人だけが、深い暗闇の井戸の底に映る、たったひとつの星を、じっと見下ろしている。
わしは、しかし、日本人のそのまるで方角の違うものおもいが、ただ奇矯なものであると、おもいたくないまま過ごしているのであるのかもしれません。

(元の稿にはナポレオンの補給について書いてあったがクレフェルトみたいなひとが文句を言いに来てめんどくさいので削除した)(戦争の話になると「権威」のひとがいつもたくさん寄ってくるが、わしは戦争議論につきあう興味ない)(ごみん)

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