Daily Archives: April 18, 2013

抱き合うひとびと

日本語で書いているのだから日本のことを書こうと思っている。 日本語で欧州のことを書いても自分で読んでみてなんだか日本語が邪魔で欧州の話であるような気がしないし、英語でイタリアのことを書くくらいでも難しいのに日本語でアメリカのことを書いたりするのは隔たりがおおきすぎてなんだか曲芸的な感じがする。 いつもはそう思っているが今日はどうしてもニュージーランドのことを書きたい。 とうとうニュージーランドでも同性婚が認められたからです。 http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=10878223 この日ニュージーランドでは、この記事の写真のRobyn PatersonとPaula Boockのように、いままでの一生で最も幸福な笑顔を浮かべて同性の恋人と抱き合って過ごしたひとがたくさんいた。 このひとたちの笑顔を、テレビで見つめながら、モニとわしも涙を浮かべて、ここまでやってくるためのニュージーランド人たちの長い道のりについて考えた。 ニュージーランドは英語国のなかでも元来が最も保守的な国なのでさまざまな偏見がある。 ポリネシア人やマオリ人はなまけもので東アジア人は不正直でずるばかりする。 では欧州人(ニュージーランドのコーカシアンは自分達を(やや滑稽なことに)「ヨーロピアン」と呼ぶ)の欠点はなんだろう、と誰かが述べて、「優越意識」と他の声が答えて自棄的頽廃的な笑いに沈む(^^;) それでもひとつひとつ乗り越えてきた。 どんな国からも遠く離れているのと孤立している国としては人口が極端に少ないのとで「一緒に手をとりあってやっていくほかないじゃないか」という気持ちが強いからだと思う。 中国人たちは、どうしてあんなに自分勝手なんだ? インド人の男たちの、あの怠け者のくせに偉そうな態度はどうにかならないのか? ムスリム人の女たちが集団でブルカをかぶっているのをみていると気分が悪くなる。 他の国なら公の場で口にだすだけで問題になることを口々に愚痴りながら、でも「おかしいだろ?おまえのやってることは」「どうにもわからんわ」と言い合いをしているうちに、なんとかお互いがおぼろげにながら理解できるようになってきた。 ボート友達のピーターは、54歳で警官、元は海軍の水兵だった。 小さな駆逐艦で世界中を航海した。 呉にも横須賀にも行ったことがある。 台湾では、両足にでっかくカッコイイ、オールヌードのねーちんのタトゥーをいれた。(青い線がちょっとぼけているが) 「海の男」で、海の男であるからには「海の人間」の世界は有名なマリーナの名門クラブは相変わらず女びとが入れないのでわかるとおり、いわゆる「マッチョ」な世界のひとです。 息子はBという古風な名前が付いた、長身のやさしげな、しかし芯の強い人です。 ニュージーランドの高校を出てアメリカのフィラデルフィアへ行った。 帰ってきたときには、ピーターの親友のアメリカ人夫妻の娘と結婚して一緒だった。 ところがBがほんとうに好きだったのはアメリカ人夫妻の息子のほうで、不自然な生活に耐えられなかったBと夫妻の息子は家を出て、ふたりで暮らしはじめた。 ピーターといえども現代の父親なので言葉にして失意を述べたりはしないが、父親たちの「息子話」になると、やや淋しそうな顔をする。 自分が見たかった息子の暮らしぶりとは随分ちがってしまったのが見てとれる。 ピーターの娘のアナとぼくとが、目の前で同性の恋人と笑っているBをからかって、「Bは、もう、ムウウウウチョ・ゲイだからな」「笑い方がゲイだし」「だいたい、おにーちゃんはガメの尻をみてるときの目がもうゲイだもん」、ぶはははは、と笑っていて、ふと気が付くと隣のラウンジから淋しそうな目でこっちを見ているピーターに気が付いてアナとふたりで「しまった」と思う事があった。 Bの例を挙げたのは、ニュージーランドではゲイのカップルは当たり前だと言っても、まだまだゲイの人びとの前で礼儀正しくしているだけのひとがたくさんいることを述べたかったからで、同性のカップルは不自然だと考えている人は、感覚的に言って全体の人口の3分の1くらいもいるのではないだろうか。 女と女のカップルになると、もしかすると半分以上の人間が不自然どころか不道徳と感じているのかもしれません。 なにを反映してなのかは考えたことがないからわからないが、「西洋の国」と一般化してよいと思う、西洋の国では男同士のカップルに較べて女同士のカップルへの反撥は比較にならないほど強い。 ずっとむかし、ぼくが10歳くらいのことだったと思う。 サンフランシスコのウエスティン・サン・フランシスという古ぼけてボロイでも一流ということになっているホテルのロビーで父親を待っていたら、バーのカウンターにひとりで、いかにも心細げに座っている綺麗な若い女の人がいた。 時計を何度も観ている。 だいぶん離れたところにいるぼくの場所まで、華やいだ香りが流れてきそうな感じがするほど美しい人で、子供のことだから、ぼんやりした憧れだが、世の中には、あんなに美しい人がいるのか、とおもうほど綺麗な人だった。 小太りの女の人がはいってきて、その美しい人をみつけると、駆け寄るように近寄って、花束を渡して、恋人同士のキスを始めた。 ふたりの女のひとの頬には涙が流れていた。 女のひと同士のカップルが公の場で、それほど感情を爆発させて抱擁しあうのをみたことがなかったので、子供のぼくはびっくりして見つめていたが、同時に、(その頃から「ガメは大人のように観察する」と気味悪がる人がいたが)バーのなかのアメリカの男達が同性のカップルを眺める、怒りを抑えきれない、とでも言うような、憎悪と憤怒のこもった視線を投げているのに気が付いて「怖い」と感じた。 … Continue reading

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