黄土の影めざして

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中国で「何か」が起きているのはニュージーランドやオーストラリアに住んでいると普通にわかる。
ものすごい勢いで中国のオカネが流入してくるからで、この2年ほどずっと続いている。
わしが住んでいる家のまわりでも5ミリオン(4億2千万円)というような家が売りに出されて3日で売れてしまう。
5ミリオンでも8ミリオンでも家なのだから普通でも売れるには売れるが、3日で売れるのは普通とは言えない。
知り合いの不動産会社のおっちゃんに聞いてみるとチューゴクの人、ということだった。

最近はやや下火になってきたと思うがイギリス圏には「ビジネスブローカー」という商売がある。
あるひとが身ひとつで「逸風堂」なるラーメン屋を始めて、だんだん名前が知れ渡ってくる。
売れるようになって支店をつくり、支店をつくるという、どんなレストランにとっても経営上の最も難しい試練のひとつもうまくこなして押しもおされもせぬ名前の「銘店」となりマンハッタンのユニオンスクエアの近くにまで店を出して、ここでも流行する。
するとたとえばニュージーランド人が店を始めたのだとすると、往々にして、この「逸風堂」そのものを名前から取引先とのつながりからいっさいがっさいひっくるめて第三者に売ってしまう。
本人はたいてい地中海やなんかに別荘を買って遊びほうけて暮らします。

日本でも1993年だかに営業権の売買が認められたはずで、うろおぼえだが信用組合系のベンチャーキャピタルだかなんだかビジネスブローカーをしているはずだが、なぜかうまくいっていない。
歴史がないからかもしれないし、「名前を買う」のがピンとこないのかもしれない。

あちこちの国の、このビジネスブローカーのおっちゃんたちと話をしていると、この分野でも中国人の買い手が圧倒的だそうです。

オークランドのCBD(Central Business District)に「That’s Amore」 (それが愛なのよ)という有名なピザ屋があるが、このあいだ出かけてみると、店内が妙にこざっぱりして東銀座の裏通りのピザ屋っぽくなっている。
ウエイトレスや厨房もアジアの人である。
味はまあまあ変わっていないが、やや突出した「えぐい」感じが減少して公約数ぽくなっている。

イタリア人の友達と会ったときに、「That’s Amore」の話をしたら、「ああ、あのXXはオーストラリアに行ったのよ」と、さすがはコミュニティサイズの小さなイタリア人たちで、なにがどうなったか詳細に知っていた。
ピザ作りが上手な陽気なイタリア人おっちゃんXXは、やはり中国の人たちにビジネス全体を売ったのだという。

あるいはシンガポール人たちがやってきて、「中国からやってきた大旦那」たちがいかに景気がいいか話をしている。
経営投資の話をしているのに、不動産をみせろとあまりにうるさいのでセントーサの新しい豪華マンションをみせた。
いくらだ?と聞くので、「40ミル」(320億円)というと、目をまるくしている。
いくら中国が儲かっていると言っても、さすがにびっくりしちゃったでしょ、ふっふっふ、と思っていたら、「安い! そんなに安いんだったら、娘のぶんとふたつ買いたいから世話してくれ」と言われたそーである。

しかし、この話をしたシンガポール人のAも、「あれは、儲かっているというより脱出準備、とかそういう感じだよね」と述べていた。
なんだか、とにかく、なんでもいいから国の外にカネを逃がしたいという感じだった。

飽きもせずにもうひとつ例を挙げると、ラスベガスとフェニックスは不動産市場がいったん瓦解したので世界中から「住居用不動産投資」のひとびとが群がっている。
全体に価格が3/10くらいになって、一億円の家は3000万円、もともとが3000万円の家は、どうかすると600万円とかで売りに出されるので、「お買い得」なのね。

わしもモニとおもしろがって出かけたのはこのブログ記事にも書いた
https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/08/03/up-2-u/

ラスベガスは、狭義の都市人口だけをみていると気が付かないが、ラスベガス郊外を含めると、なにしろ1980年代には30万人しかなかった人口がいまは250万人あるという人口爆発が起きた都市圏なので、ほんの少しの人口変動が巨大な市場変化を生み出してしまう。
ところがこのタイプの変化では家賃は不動産価格ほど変動しないのが常なので、こういう場所には必ずオカネもちが「わっ」と群がる。

モニとわしは、いたあいだがたまたま無茶苦茶暑かった(摂氏46度)ので、ちょっとくらい見て歩こうかなあー、と思っていた気持ちもどっかへ行ってしまって、あまりのコンジョのなさに呼んであったアメリカ人不動産会社シャチョーの友達も笑っていたが、この夫婦によると、やはり中国のひとびとが、どわあああああ、と高級住宅を買い占めていったそうでした。

中国では何が起きているのだろう? と考える。
レポートを読んで推測がつくことはあるが、ここに書くことではないし、
なんだかレポートからわかること以上のことが潜在しているような気がする。
こういうことは日本語でしか書けないが、繁栄への反応として何かがひどく「不自然」であるようにみえる。

お温習いをすると、シンガポールのいまの経済成長率を低いほうにごまかして発表しなければならないほどの大繁栄は、要するに、日本の、国家が強く介入する経済のマネだった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/1512/
このシンガポールをお手本にしてつくったのが香港経済で、それは順序が逆でないか、というひとがいると思うが、そうではなくて、返還後の香港は「一国二制度」だけではなくておおきな経済政策上の変化もあったのだと思われる。
この香港の大成功に味をしめて上海、Shenzhen、…と中国はいわば「日本型経済」を洗練させて中国で次次に実験を成功させてゆく。
ところが、気が付いてみると中国経済はいかにも「点」型で、中国政府の経済官僚が楽観していたようには「面」になっていかなかった。
どうしても都市から地方へ経済が波及していかないのです。

チョーおおざっぱに述べてしまうと、その巨大な面である国土に点型の経済政策をもちこんだ無理な構造の結果うまれたのが、すさまじい貧富の差で、その上に偽善を憎む、というか、もともと歴史的に「no rubbish 」で、貧困救済などと言う人がいると笑い出す、「おためごかし」を嫌う国民性があわさって、カネモチはスーパーカネモチになり、ビンボニンは息もできない超ビンボになっていった。

要するに、社会不安が起きているので、中国という国は面白い国で、むかしから天候不順が続いても為政者のせいだったが、その伝統が生きているのかどうか、なんでもかんでも政府が悪いと怒りを燃やすので有名な、太古の昔から世界でも最も扱いにくい国民なのです。
政府からみて、凶暴である。
日本人の、ほぼ対極にある。

別に日本のひとが怒ってむきになって言わなくても世界中みんな知っている、というべきだろーか、尖閣諸島の紛争も国民の怒りを背景にした「政権内部の緊張」の結果なら、自発的なデモなど金輪際あるわけがない中国の通りを埋めつくす「反日」「小日本をたたきつぶせ」の声も、よく知られているとおり、反日ならば政府もおおめにみてくれるので、とりあえず日本を悪魔のように罵って、政府への怒りも薪にしてくべて、日本への憎悪の炎をいやましにしているだけである。

オークランドではマレーシア人、インドネシア人といってもだいたい中国系の人でマレーシア料理といっても、ほんとうはだいたいニョニャ
http://allabout.co.jp/gm/gc/393509/
だというような話も何度か記事に書いたが、モニさんがフランス人友達とCBDのデパートで買い物をしているあいだ、「インターナショナルフードモール」で、のおんびりコーヒーを飲んでいると、モールの大画面TVに日本兵が中国人の女のひとの腕をとってひきずっていくドラマの場面が大写しになっている。

日本の人は興味深い場所に国土があるから大変だのお、と思いながら中国式の、なんだか訳がわからないくらい甘い、タピオカのはいったアイスコーヒーを飲みながら、いまや集団強姦にかからんとしているらしい、超ステレオタイプの「ぐふふふ日本兵」たちを眺めている。
この手のドラマでは、だいたい、次の瞬間、カンフーの達人のにーちゃんが現れて、ぐふふ日本兵群はばったばったと倒されて、村に平和が戻って終わるのだが、
このチョーしょーもない(中国の人、ごめんね)、中国語圏に洪水のように溢れている反日ドラマとシドニーの湾口を見下ろす豪邸と、タクシー運転手に親しげに語りかける遠山の金さんみたいな習近平像は、すべて同じ淵源から出ている。

なにか、途方もなく不安定なものが黄土の大陸ではぐらりぐらりと揺れている。
ずうううっと、あんまり中国に興味をもたないでやってきたわしも、そろそろスタッフまかせじゃなくてマジメにベンキョーしてみっかなあー、と思っています。
中国語は、文明そのものに、いちど文化大革命で大断絶が起きているので、日本語みたいに、たとえば「The Makioka Sisters」を日本語で読み直してみる、というような楽しみが少ないが、このブログ記事でもたびたび紹介したように、
Sa Ding Ding
http://www.youtube.com/watch?v=aXJZxGzEwj4
をみればわかる、少数民族と漢族のあいだから立ち現れた美しい軋音のような音楽や、
ときに「粗暴」にすらみえる中国人生来の自由を求める性格の雄叫びのような
Ai weiwei (艾未未)
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/02/19/荒っぽさの効用について/
たちの素晴らしい視覚芸術もみえるようになってきた。

そろそろ中央アジアの砂塵を横切って歩いて行こうかと思っています。

あの黄土へ。
乾いた感情と「哭」の土地へ。

中国へ!

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2 Responses to 黄土の影めざして

  1. tetsujin says:

    大庭亀夫様

    2013.03.29の記事「むかし、日本は戦争をした」をあるサイトの紹介で知って、その後一週間ぐらいかけてたくさんの記事を読みました。2008年や2009年のものも、もっと前の1970の表示があるものも、手当たり次第に開いては読んで、止まらなくなってしまった。やらなければいけない仕事があるのに。毎日、あっちこっち開いては読みふけっています。ガメ殿と関心が重なっているようだ。異論はほとんどない。

    「「インチキだけど信じている」日本のひとの不思議な信念の合唱が聞こえてくる。(November 20, 2009)」

    これを、一般的に、というか日本人の特殊性としてではなく、人間の認知と行動の一つのありようとして、説明する、ということは私の関心でもあります。たぶん、「インチキだから信じていることにする(make-believe)」なのでしょう。「信じて(believe)行動する」かわりに、「信じていることにして(make-believe)行動する」。

    職業柄(哲学教師)、日本について書かれていることも、西洋について書かれていることも、戦争について書かれていることも、どれもなかなか切実に毎日の生活につながっています。

    分からないところもある。

    「言葉は明示的だから言葉をもつものは論理的必然によって「神」をもたなければならぬ。直覚的には「外側」がない世界には「内側」がありえないからです。(October 30, 2009)」は、分からない。

    分からないけれど、それはそれで面白い。何か、言語についての、非常に私と異質な直観がはたらいているように思います。

    それでは、また。

  2. Ray says:

    >「言葉は明示的だから言葉をもつものは論理的必然によって「神」をもたなければならぬ。直覚的には「外側」がない世界には「内側」がありえないからです。(October 30, 2009)」は、分からない。

    ガメが禅のことをケーハクと言うのは、このことと関係してるのかな。

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