天使ではいられない午後

NYC22

ドゥアラの街を歩いていると、人のよさげなおっちゃんが寄ってきて「仕事ないの?若いのに仕事しないのはよくないよ。いい仕事があるんだけど、やってみない」と言う。
これがキンシャサなら「サラマサラ!」なんちって話の終わりに親しげに肩をポンと叩くところだと思われるが、バントゥー語では「仕事しようぜ!」というのをなんというか知らない。

他のおおぜいの若い男たちとトラックに乗り込むと、なぜか工場は町から遙か離れたところにあって、なかなか着かないのだそーである。
何時間もバスに揺られて夜中に工場に着くと、その日から、一日十数時間という労働がはじまる。
監督の殴る蹴るは当たり前だと言うから、当たり前じゃないほうはどんな仕打ちなのか、あんまり考えたくないが、想像がつくような気がします。

日当は一日1ドルで、食べ物は動物の餌なみ。工場の経営者の中国人たちは武器をもって見張りに立っていて、トラックに乗って自発的に「ひとさらい」されてきたアフリカにーちゃんにも、ここに至って初めて、なぜ工場が「middle of nowhere」にあるか理由がのみこめた。

帰ろうにも街に帰れないから、です。
歩いて逃げようと思っても町まで数百キロの荒野には途中で飲める水すら手に入らないのだった。

アフリカ人と中国人の険悪な対立はアフリカ大陸中いたるところでみられる。
奴隷労働のいきつくところがアフリカ大陸だからで、アフリカの奴隷労働工場群から生み出される製品は当然日本を含めた先進国の国民の日用品として使われる。
たいていの場合は実際に製品がつくられた国の国名は伏せてあるよーだ。
最終組み立てを中国なら中国で行えば、なんの問題もなく「メイド・イン・チャイナ」でとおる。

なじみのイタリア料理店で、ふと思いついて、テーブルの傍らに立ってワインを注いでくれながら、モニとわしに向かって無茶苦茶おかしい冗談をぶっこきつづけていた店主に、「イタリアのトマト缶て、なんであんなに安いんだろう?」と聞いてみたことがある。
ほとんどなんの理由もなく、唐突な質問をするのは、自分では判らないが、わしの癖であるそーで、そのときも「イタリア料理を食べている→おいしいけどふたりで6万円は高いんじゃね?→そーゆえばイタリアの缶トマトって、安いよなあー」という、しょもない連想に拠ったものであるらしい。

店主の言葉は驚くべきものだった。
「あれはイタリアにいる中国人がイタリアの町で中国からイタリアに連れてきた中国人を低賃金で使ってつくってるんです。だからメイドインイタリイでひとつの缶60円で日本で売れる。中国製イタリアトマト。ははは。中国人て頭いいよね」

イタリア人の旦那さんパウ朗とイタリア息子と、ずうううっっとイタリアに住んでいて頭のなかがほぼ完全にイタリア化している我が友「すべりひゆ」(@portulaca01)に聞いてみると、話がやや異なる。
タンカーみたいな船に皮がひんむかれて缶の中身化した「イタリアトマト」が中国からイタリアに送られてくる。
それをイタリアで缶に詰めて、はい、いっちょあがり、堂々たる「FATTO IN ITALIA」の出来上がりなのだそーである。
テレビのドキュメンタリで何度も取り上げられて問題になっているそうだ。

SLAPP
https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/16/slapps/
と言う。

そういう攻撃部隊を前衛にもって、ばしばし反対派の農家や団体、有名人たちを撃墜した「遺伝子工学食品ジャイアント」たちは、むかしむかし「あすこそ仏滅」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/11/07/あすこそ仏滅/
というブログ記事で書いたとおり、たった1エーカーの土地から5トンのとうもろこしを収穫する。

それを記事にも書いたとおり本来はとうもろこしは食べないはずの牛さんたちに無理矢理食べさせる。
シロップにして混ぜる。
「健康に最適」な全粒粉パンに混ぜる。

その結果、食品の価格は劇的に安くなって、外食にしても、ファミリーレストランのチェーンに行けば、物価の高いマンハッタンのどまんなかで、日本人ならふたりで食べてもまだ余りそうなランチコンボが$6で食べられる。

今日、おおくのビンボニンが食べていかれるのは、この「遺伝子工学食品」のおかげで、もし遺伝子工学がうみだした安価な食品がなければ、世界人口そのものが養えるわけはない。

われわれの生活の実態はアフリカや中国や東南アジア南アメリカの奴隷労働によってつくられた衣類や工業製品(100円ショップでどれほどのものが買えるか実見して、ぶっくらこいちまわないひとはいないだろう!)によって賄われている。
農耕馬よりも遙かにひどい条件でこきつかわれる奴隷工員がつくったものを罪悪感をもたないで身につけ、使うことができるのは、奴隷労働が見えない所で行われ、「存在しない」ことになっているからである。

日本でのTPPについての議論は的外れになってゆく一方であるように見えるが、それはどうでもよい。
面白いと思うのは「TPP後の日本」として論じられている社会が「日本人が考える西洋諸国」とぴったり重なっていることで、「日本人が考える」と頭につけざるをえないのは、スケアモンガリングというか、アメリカ人、ニュージーランド人やオーストラリア人がみたら、「ほたら、あんたらはわしらの国は地獄やと思うてまんのか」と言いたくなるていのものだからです。

へえええー、なるほどなああー、そういうふうに思うんだあ、と思いながら読んでいた「TPPに加盟したら、こんなに大変になる」という代表的な理由に
「外国人が大量に流入して日本人の職が奪われ、賃金が低下する」というのが、あって、エビさんのようにのけぞってしまった。

欧州では数は以前に較べて圧倒的に少なくなったとはいえ、アジア人をみつけては袋だたきにしたり、すれちがいざまに「自分の国に帰れ、この薄汚いアジア人めが」と述べたりしている時代遅れのおっちゃんたちがいるが、このおっちゃんたちの主張が、「外国人が大量に流入して自分達の職が奪われ、賃金が低下する」という、これそのままだからで、こんな意見がおおぴらに載っちゃうのかあー、と思ってびっくりした。
最近はスキンヘッズのおやじたちまで、「この頃の自称スキンヘッズのガキどもは人種差別とかばっかし抜かしやがって、弱い者イジメで、怒りかたにコンジョがない。あれはスキンヘッズでなくてボーンヘッズと呼ぶべきだ」と「ボーンヘッズ」運動(^^;)を展開しているが、そのボーンヘッズの主張とこの日本のひとびとの主張は瓜二つです。
極右も真っ青というか、もしかすると手弁当で頼めば反TPPの手伝いに来てくれるのではなかろうか。

ニュージーランドは初期において移民政策を誤って、社会が必要としている技能の持ち主よりもカネモチを優先的に移住許可するというぶわかたれな間違いを犯したりしていたので、移民社会としては優等生とは言えないが、それでも「外国人」が「大量に流入」した結果おきたことは、職業の創出と雇用の増大だった。
移民の流入で社会内部の競争が増大するにつれて、国自体の競争力が強くなり、それにつれて(長い間停滞していた)賃金は上昇していった。

外国人が外国において奴隷労働にこきつかわれ、反倫理的な労働の結果の安い製品が日本に流入した場合には「日本人の職が奪われ、賃金が低下する」が、移民自体が増大した場合は通常逆のことが起きるのは、世界中のたくさんの国で実験ずみである。
世界の「先進国」のなかでは最も閉鎖的である欧州の国々ですら、そのことを認めざるをえなくなったので、もっかの移民攻撃は欧州人が自分達の医療と教育を盗みに来ているのだと信じ込んでいる「不法入国者」に集中している。

競争をさけようとする気持ちは判らなくはない。
人間は本然的に怠けものだからです。
競争にさらされるより日なたぼっこでぬくぬくしているほうが好きなのは世界中に例外はない。

なんだか冗談のようだが、移民を大規模に受けいれだしてから、それまでは大学ですら無試験同様(ニュージーランドの大学は長いあいだ20歳になれば無試験で入学できた)で、仕事も午後4時には終わり、という牧歌的社会だったニュージーランドの子供たちは「勉強」ということをすることになった。
学校に優劣がつきはじめ、新聞には高校の詳細な教科別活動別の評価が一覧表になって載るようになり、大学のランキングが行われるようになった。
「伝統的な」ニュージーランド人たち、マオリや2代目3代目の欧州人移民よりも遙かに真剣な、移民達の自分の人生への姿勢と懸命さが社会全体に影響するようになった。

ニュージーランド人が、なぜ、こぞって、それまでのチョーらくちんな社会を捨てて、移民を大量に受けいれ、自分も努力という自分たちにとって最も苦手なことをやらなければ生きていけない社会をつくるのに同意したかというと、誰がどう考えても、国のなかから「世界」を締め出してしまえば、自分たちの国全体が食えなくなる、ということが明らかになったからだった。

TPPについては、めんどくさいので、前回
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/03/17/tpp/
に述べたこと以上のことを言いたくないが、「世界を拒絶すれば自分が破滅するしかない」のは、当たり前すぎて、ここに書くのが恥ずかしいくらい当たり前のことであると思う。
江戸時代に260年間鎖国することによって日本人は変化を異常なほど嫌悪する「なにもしないためならなんでもする」頭が硬化した老人じみたものの考えかたをつくってしまったように見えるが、それでも鎖国自体を実行することができたのは、東側を巨大な水の荒野とでもいうべき太平洋に隔てられて、中国という大国の背後に隠れた、世界の「東のはて」にあるという特殊な地理環境と、人間の活動範囲がそれぞれ小さい範囲に終始して、いまのようにさまざまな文明が重なりあう「狭い世界」とは根本的に異なる「空漠とした世界」だったという環境によっている。

世界を拒否する、という選択はありえなくはない。
中国がそうだったし、小さい国でいえばブータンは有名であると思う。
しかし、世界を拒否したまま先進国である、という選択肢はありえない。
GDPが低下するから、ではない。
世界を拒否した国は、世界の動向を受動的に受けいれるしかないからです。

ちょっと考えてみれば判るが国を閉じてしまえば結局は日本は日本の人が激しく怖れるモンサントの餌場になるしかない。
農業を国として保護すれば、「国によって手厚く保護された産業は将来において必ず滅びる」という産業の鉄則に従って日本は農業全体を失うだろう。

日本の人の主張は、「お母さんやお父さんが会社に働きに行くのは嫌だ」という駄々っ子の主張にちょっと似ている。
自分は暖かい家庭が欲しいのだ。
そのためにはお父さんとお母さんがずっと家にいてくれないと困るのだ。
親が子供と一緒にいる時間が少ないと子供は不幸になるのを知らないのか。
だからお母さんもお父さんも仕事をやめて、わたしと一緒にいるべきである。

その通りさ。
そーなんだけどね、と、わしは日本の人たちの主張をひとわたり読み終えて考える。
正しさ、ということには、あんまり意味がない。
特に現実が攻め寄せてくるときには、対応する現実的な方法だけがあって、正しさや正しくなさには登場の余地すらない。

生き延びなければならないときに、そんな生き延びかたには正義がない、と言われたときには、人間はどういうふうに答えるのが正しいのか。
「では一緒に、いるわけがない神に祈りましょう」とでも言えばいいのか、と考える。

お互いに人間でなくて天使ならばよかったわけだが、とおもう。
天使ならば、人間らしい感情など、これっぽちもなくて、
「生き延びてゆくことの痛み」もまた感じないですんだでしょうから。

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2 Responses to 天使ではいられない午後

  1. Roki says:

    暇があればコツコツ読んでます。
    文量が普通のブログよりもかなり多いのと更新頻度からやはり会社勤めでない人はこうも時間があるのかぁという気持ちになってます。
    このブログは興味深いというか、好きです。
    ガメさんが正確にどこ出身なのかは知らないですが失礼な(と日本人から見て思われる)ことをズバズバ言うのと、自分の意見への自惚れ具合から、いつか英語を教えてもらっていた英人にどことなく似てるなぁと思ってます。
    ガメさんが言いたい放題言っている(と、少なくとも僕の目からは見える)ので、コメントで言いたい放題言っても別に怒られない、日本語のブログでは珍しいものなのだと勝手に思っております。
    このメッセージは別に喧嘩を売ってるわけではなく、ファンレターのようなものです。ということを先に言っておきたいです。
    ガメさんについて一番おもしろいなぁと思うのは日本が別に好きというわけではなく(少なくとも僕の目にはそう見えない)日本語自体に興味を抱いているというところです。だからうへへ日本のアニメマンガ同人誌大好きだぜその延長線で日本語覚えちゃったぜという日本語を第二言語として話す人が9割ほど持ってると思われるような背景がなく、そのために日本は良い国だという、「〜に対する海外の反応」というニュースサイトで取り上げられているような日本好きの外国人が持っているようなフィルターがない。だから日本を外から眺めたらどう見えるか、という視点が限りなく客観的になっているような気がします。
    ガメさんの言っていることは半分ぐらいこいつは何を言ってるんだほっとけよこのやろうと感じるものですが、残りの半分は面白いなぁと思っています。
    ほっとけよという例を挙げると、日本が太平洋戦争に突入した原因が「バスに乗り遅れるな」だったというところは、「この人はアメリカの石油禁輸を受けて、企画院で行われた会議のことを知っているのだろうか。そこで鈴木企画院総裁が「南進したらこれくらい石油とれまっせ」とほぼ無理矢理こじつけて南進を決定したということを知っているのだろうか。」ということを思いました。あるいは調査捕鯨とシー・シェパードの話だったり、日本におけるTPPとかだったりします。
    面白いなぁと思うのは世界は個人を見ていないという記事だったり、ヨットでどっかに浮かんでいるという記事だったり、日本語が死んでいっているという記事だったり、アベノミクスが小さい者から大きい者への富の移転だという記事だというわけです。
    この文章は僕が思うことをただつらつらと書いているだけでまとめろと言われたら「ブログおもしろいです。がんばってください」という一行にのものになってしまいそうな気がしますが、ガメさんの長い長い記事に相当するようなコメントにしなくてはと思っているので、長い長い記事には及びませんがこのようなコメントを書いているわけです。
    ガメさんは自由奔放で天邪鬼な自惚れ屋だと思っているので、このコメントに返信はあまり期待していません。しかしそれでも返信をもらえると、ファンの一人としてはうれしいなぁと思うわけであります。

  2. Ray says:

    「国産小麦100%のパンはおいしい」という日本の人のイメージを守る為には、生・無添加大好きの日本の人が真っ先に嫌いそうな、WHOも使うな言うてる「臭素酸カリウム」を、焼いたら検出されんようなるという凄い理屈を発明して、使わざるを得ない。そんなことを思い出した。

コメントをここに書いてね書いてね

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