Monthly Archives: April 2013

「時間を取り戻す」_教育篇

人間が絶対時間を生きているわけではないことは酩酊しているときのことを考えればすぐにわかる。 バーで友達と酒を飲みながら壁の時計をみて「まだ午後十時だから大丈夫」と思う。 もう少しだけ、と思って、よくみるとやや呂律が怪しくなった友達と、にこにこしながら話していて、ふと時計をみると、さっき時計をみたときからほんの少ししか経っていないのに針が午前3時を指している。 「10-minutes rule」はDuke大学のハリス・クーパーが唱えだした簡明なルールで、「学校は宿題を出した方が子供の教室での理解は容易であること」 「宿題は学年数に10分間をかけた時間がかかるものであることが望ましいこと」を述べている。 第7学年(日本ならば中学一年生)は7x10=70分ぶんの宿題、 第12学年(日本では高校3年生)には12x10=120分ぶんの宿題を出す。 最近、アメリカの親たちが「宿題を減らす運動」を繰り広げているのはもともと典型的な学歴社会であるアメリカで、社会の競争が激化した結果、塾通いをはじめ、特にアジア系移民を中心に子供の時間が「勉強」で埋めつくされることに対して起こった「西洋人の伝統的な教育への考え方」の叛乱というべきもので、「10-minutes rule」は、そういう親たちの理屈の上での支えになっている。 日本にいるときに不思議だったことのひとつは、たとえば、「なぜ日本人はあんなに急いで靴紐を結ぶのか」ということだった。 通勤時に背広服で雑踏する有楽町の駅の前に立っていると、50代のおっちゃんが足下の靴紐がほどけたのに気づく。 さっ、としゃがんであっというまに靴紐を結び直す。 器用なひとがおおい国なので、ほんとうはきっとあの電光石火といいたくなる早業で、ちゃんと靴紐を直してしまったのだと思うが、頭はそう考えて納得しても、余計なお世話で、やはりまた靴紐がほどけそうな気がする。 それはなぜかというとこちらの「靴紐を結ぶのにかけるべき適切な時間」とおっちゃんの「靴紐を結ぶのに許された時間」の感覚がまったく合致していないからで、わしの頭の中では、靴紐を結ぶという作業は、おっちゃんの2倍はじっくり行われるべきものだからです。 鰺を釣るときには、日の出か日没のときが最もよい。 ニュージーランドなどは、よもや鰺が食用になると思っている人間はいないので、鰺は油断したまま海面下にうじゃうじゃ群れていて、 おもりをつけてぽおんと放り込むと水の下に針がもぐった瞬間に餌無しの4本針のサビキに、いきなり4匹鰺がぶらさがって釣り上げられてくる。 快晴の昼間は満潮干潮に関わらず、まして満月新月もなく、餌をつけて、しばらくじぃっと我慢しても針にかかるのは鯛ばかりで、鰺はいっこうに釣れない。 鰺の押し鮨に味をしめているので、ときどき鰺釣りに行こうとおもうが、チョーあたりまえのことを言うとパワーボートででかければ日の出にマリーナについても時速50キロなり60キロなりでポイントに急行してどばどばと鰺を釣り上げることができるが、ヨットを選択すると、なにしろ諸葛亮孔明は「強風を起こす術」について具体的な方法を残しておいてくれなかったので、文字通り風任せで、時速9キロで、へろへろと現場へ向かうしかない。 現場に着いたころは鰺は離散してしまうので、やむをえないので、もうちょっとヨットで遊んでから夜はステーキにしよう、と思うが、ヘンなことをいうと、ここでモニとわしはヨットから「自然の時間はどういうペースであるか」を復習している。 日本の社会のいちばんの大罪は子供とおとなの双方から「時間」を大量にしかも恥じらう様子もない露骨さで奪っていることにあると思う。 ずっとむかしには、子供が学校が終わったあとでまた学校に行く、ということがどうしても理解できなかった。 なんでそんな時間をみすみすドブに捨てるようなもったいないことをするのか、だいいち、それではいつのんびりして「子供」がやれるのだ、と考えた。 子供の意識はおとなよりも遙かに稠密に出来ているので、1時間も勉強に集中させれば観念が猛烈な勢いで組み上がって、現実を蹴落として、自転する言葉の理屈というか、現実とは乖離した精緻な「観念のための観念」を動かす機械が頭のなかに発生してしまう。 「学校のあとの学校」へ行くとなると、子供にとって最も必要な「自然の時間の流速」を感得する人間の一生で最重要な機会を失って、根源的な不安、社会や自然から自分の時間の流れが孤立して齟齬をきたす、という不協和のなかで死ぬまでを暮らすことになる。 子供は子供らしくなどということは大人の蒙昧な思想で、子供という概念そのものが最近の産物なので、子供は人間らしくなることなしに「子供らしく」なったりはしない。 子供は「無防備なおとな」で、これから育ってゆくために最大の「防備」になるのは、「自分がここにいることは自然なことなのだ」という感覚である。 自分が自分の立っている場所に立っているのは世界にとっても自分にとっても当然のことであって、この世界と協和して齟齬が無い感覚で生きていることは当たり前のことなのだという感覚によって人間はときに起きる「困難なとき」を慌てもせず悲観もせずに、それこそ、忙しい雑踏のなかで、充分に時間をかけてゆっくりと靴紐を締め直すひとのように困難を乗り越えてすすんでゆくことができる。 そうして、その「生きてゆくペース」が、自然にかつて「子供」であったひとに、自分は自分であることだけで重要な存在なのだ、という意識を自然に与えてゆく。 子供にとっては「急かされる」ことは致命的でありうる。 まして社会全体によって急かされつづけて充分な時間の感覚を与えられなかった子供は、おどおどした気持ちのまま世界を渡ってゆくことになる。 「自分に最適な時間の感覚」「自分がもっとも自然でいられる時間の流速」はひとによって異なるが、日本のような高速で変拍子なコンテンポラリイジャズのビートに似たリズムが支配する社会では、そこで齟齬をきたさないのは、簡単に言えば「軽薄才子」だけだろう。 だが時間を取り戻すことは出来る。 子供のときに受けた大きな傷をいやすことは出来る。 前に「経済篇」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/01/03/「時間を取り戻す」_経済篇/ で述べたように、1時間があれば50分だけを使うのがよい。 それで社会が要請する約束がはたせなければ約束のほうに諦めてもらうのが良いと思う。 約束のほうに諦めてもらうことが許されない社会ならば、その社会はきみにとっては時間が窮屈にすぎる社会なので、やむをえず、その社会を捨てて他の社会へ移動するしかない。 … Continue reading

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十年

1 その頃のぼくの財布にはしわくちゃの紙幣が二枚とギターピックと、なんだかくしゃくしゃになったままいつも取り出すのを忘れてそこにある、中国人夫婦がやっているベーカリーのステーキパイのレシートがはいっていて、Salif KeitaやCesaria Evora、そうかと思うとAudioslaveが入っていたりするキチガイみたいなiPodが反対側のジーンズのポケットに入っていた。 世界のことなど、どうでもよかった。 ぼくはぼくの一生だけで手いっぱいで、太陽がのぼればベッドをぬけだしてでかけ、人にあって質問を投げかけられれば機知に満ちたとまではいかなくても、せめて誠実で正しい言葉で答えようとする自分に嫌気がさしていた。 週末になれば頭がつかえそうな地下のワインセラーを改造したクラブにでかけて、豊胸手術でリズムだけを肥大させた(性的に誇張された花嫁のような)音楽で踊り狂った。 たいていは名前もよくおぼえていない女の子たちと土曜日のベッドのなかで眼をさました。 ぼくは20歳だった。 無軌道で滅茶苦茶で世界が大嫌いなのにいつも上機嫌な完璧な暴力のかたまりで、議論で言い負かすよりも相手の入れ墨だらけの皮膚の下で骨格が耐えきれずに折れる鈍い音を聴くほうがずっと好きだった。 2 若いということはなんという怖ろしいことだろう。 きみの行く手にはどんなふうにでもきみを呑み込んでゆける無限に似た「未来の時間」があって、太陽は南中の位置にあるのに、空は暗くて遠くはいつでもかすんでいて良く見えはしない。 瞋恚の炎が胸に燃えさかっているのに、きみにはどうしても自分がほんとうは何に怒っているのか理解できはしない。 きのうまでまるで聖母を慕う気持ちで愛していた女のひとが声を枯らして呻きをあげ汗にまみれてただ形が美しいだけの惨めな肉体に変わり果てたのをみて神を呪っている。 20歳という年齢は「薄汚い子供」である年齢でもある。 毎日はてしもなく増殖する物語には始まりがあるだけで終わりがなく、きみをいっそう苛立たせる。 人間が積み重ねた叡知を足で蹴って壊してしまいたくなる。 両手で耳をおおい叫び声をあげてみればどうか。 あるいは裸でベッドの脇に立って怒りと嫉妬に狂気した女びとに拳銃をわたして、ぼくを撃ってくれ、と哀願してみればどうか。 いっそ敬虔な祈りを捧げてみてはどうか、いちども信じたことのない神のために 3 地獄であるのと同時に天国だった、あの焼きごてで眼を鋳つぶされたような毎日から、どうやって抜け出たか、不思議なことにもうおぼえていない。 この手のひらの染みが消えたのは手を洗ったからか、それとも染みが全体に広がってわからなくなってしまったのか。 それは「激しい日々」ですらなくて、若くて統合がうまくとれていない神経系とホルモンとですべての説明がついてしまうのではないか。 きみはなんだか精霊にずっと欺かれていたひとでもあるように、いつのまにか激情に取り残された自分の姿を見て茫然とする。 影がもう二度と自分の姿を映さないことを発見して途方にくれるピーター・パンのように 満ち足りた午後が終わって、太陽の輝かしい光に包まれていた芝生が夜露に濡れる頃になると、きみの魂は、あの圧倒的な「愚かさ」のなかへ帰ってくる。 人間の悟性には「なにもわかっていないのにすべてが説明されてしまっている」状態があって、20歳のときには、きみの愚かさはきみの理性には囁きすら聞こえないところで、すべての宇宙の秘密を語り尽くしていた。 あの沈黙へ帰りつかねばならない。

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世界が観ている

ゼノフォビア、という。 外国嫌い、のことです。 国家的行動にまでエスカレートした例でいうと、 最近で言えばジンバブエは欧州人を追い出して農場をとりあげてしまった。 そのときに追い出された人たちがたくさんニュージーランドに住んでいるので、当時のジンバブエの様子はよく耳にする。 あるいはMira Nairの映画「Mississippi Masala」に出てくるインド人の家族はウガンダを追放されてアメリカにやってくる。 日本にいるときには日本人のゼノフォビアが、よく話題になった。 「そのうちに鶴橋の韓国人街とか横浜の中華街で『韓国人出ていけ』デモをやりかねない」「まっさかあー。いくらなんでも日本人がそこまでおちぶれることはないっしょ」と言って笑いあっていたが、わしが日本を離れたあとでほんとうになってしまって驚いた。 1973年まで日本語で白豪主義という、White Australia policyをとっていたオーストラリアはニュージーランドや連合王国よりも「人種についての発言」は公の場では避けなければいけない暗黙の了解があるが、ゼノフォビアそのものは社会の底に堆積していて、Pauline Hanson http://en.wikipedia.org/wiki/Pauline_Hanson のように全国的なアジア人排斥運動として爆発することもあるし、 「Curry bashing」 http://www.fightdemback.org/2009/05/29/curry-bashing-in-melbourne-sydney/ のように局所的なものは、いつも(もちろんいま現在でも)社会の深層にくすぶっている。 欧州人の子孫の場合は容易に「外国人排斥」が「人種差別」と結びついてあらわれるので、同じものだと錯覚するひとが日本人には多いが、実際には、「人種差別」と「外国人排斥」というふたつの根が異なる木が絡み合っていることは、わしが子供の頃はニュージーランドではまだ根深くあった「オランダ移民排斥」を考えれば明かだと思う。 「オランダ人は人前で感情を爆発させる(感情の抑制が利かない=未開である)」 「オランダ人は自分勝手で吝嗇」 「オランダ人は理屈をこねるのが好きで自分ではなにもしない」というのから始まって、「オランダ人は他人の社会にはいりこんで社会の努力の成果である医療や教育の成果を盗みとろうとする」 「オランダ人はわれわれの税金を泥棒することばかり考えている」 その結果、オランダ人の家に遊びに行ってお互いの顔が見えなくなるまで部屋の灯りをつけないのを見て「やっぱり…」と思う。 義理叔父によると「欧州文化の外側にいる人間からみるとまったく気が付かない」そうだが、内輪では明らかで、いまでもオランダ人に対する強い反感は残っていると思う。 同じようにフランス人はベルギー人たちに対して「軽い軽蔑」を隠さないし、当のベルギー人(ワロン人)たちはフレミシュに対する激しい嫌悪と軽蔑の感情を隠しはしない。 いつかいとことかーちゃんシスター、義理叔父との4人で、欧州人間のゼノフォビアの話をしていたら、鎌倉ばーちゃん(叔父のおかーさん)が珍しく「どんな話をしているの?」と訊くので説明したら、あー、そういうことは日本でも地方間であるわねえ、東京の人は関西弁でまくしたてられるのを嫌うし、関西の人は東京に出てきて「みんな喧嘩してるのかと思った」と言うのよ、と感想を述べたのでおもしろかった。 日本が長い間「分国」していて互いの通行をきびしく制限していたことを考えると、日本という国は内部に一個の「国際社会」をもっていたわけで、納得できる感じがする。 日本語で書かれたものを読んでいると、「世界に対して恥ずかしい」「外国人が見たらどう思うか」「世界から見てどうか」という言葉がよく出てくる。 福島第一事故のあとでは、特におおかったように見える。 特に政府の、子供に出来の悪い絵を描いてみせて現実だと思わせようとするような「放射能は安全です」に(正当な)怒りを感じたひとびとは、自分達の当然うなづいてもらえると思っていた恐怖や不安に対して、驚くべきことにさまざまな屁理屈を述べて「頭から安心しろ」と学者達までが述べだしたことに衝撃をうけて、「世界の人が見たらどうなるとおもっているのか」「日本人は騙せても外国人たちは騙されない。いまに外国から怒りの大波が寄せてくるぞ」と述べた。 自分の社会のあまりの常識のなさに衝撃をうけて、「もっとまともな常識がある世界」として欧州なりアメリカ合衆国に期待したのだと思う。 インターネットが普及する前、わしガキの頃の新聞は、なんというか、チョーしょぼい新聞で、ニュージーランドの「The Press」で言えば日本で大政治スキャンダルが発生した記事よりも、ワイマカリリ郡で一夜で牛さんが十頭死んだことのほうが遙かに大きな記事だった。 というよりも連合王国でもニュージーランドでも、日本のニューズなどは「ゼロ」に限りなく等しい日々で、もちろんドラゴンボールを始めとする「アニメの日本」は誰でも知っていたが、(うまく言えないが)それと「現実の日本」とはどうしても結びつかないように見えた。 その結果、日本人が父親のいとこをまぶだちとして、日本に住んだことがあり、もっともうまがあうオトナが日本人の義理叔父であったにも関わらず、わしにしても、「日本」というのは、なあああんとなくアジアアジアしてないアジアの国、というようなチョーあいまいな、模糊模糊した、ぼんやりと立ち上がった積乱雲のような存在にしかすぎなかった。 まして周りの友人たちにとっては「日本」と言えば悟空で、それ以外のことになると、中国と違うのはわかるけど中国みたいなもんじゃないの?で、「なんだかわかんないし、わかんないままでほっといても別に構わない国」だったと思う。 上の世代はもっとひどくて、じーちゃんばーちゃんたちに至っては「日本人て、なんであんなに自転車が好きなのだ」(中国、しかも1970年代の中国の朝の風景を日本だと思っている)という人もいれば、「共産主義の国でトヨタみたいに良い品質のクルマをつくるには何か文化的な秘密がなければならない」と考え込む人もいて、そんなに何にも知らないんだったら、とりあえず考えるのやめて寝れば、と言いたくなる人も結構たくさんいる。 … Continue reading

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水上生活者の手記

この頃は海の上にいることが多い。 直截の理由はいままでの結婚前から持っているチョーぼろ船に代わるカッチョイイ船、という新しいオモチャを手に入れたからだが、家は家の用事を手伝ってくれるひとたちがうろうろしているので、以前のように裸でちんちんをブンブンさせて家中走り回りながらモニさんと鬼ごっこをしたり「悪いお医者さんと絶体絶命の哀れな患者」ごっこ https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/05/21/ が出来ない、というような理由もある。 わしは何でも自分でやるのが好きであって、暇さえあれば、と言ってプーなので起きてから寝るまで暇だが、庭の日の当たる隅っこに着々と形成されつつあるベジ・ガーデンに水を撒いたり、ポサムっぽい動物にかじられたビートルートを見て逆上したり、お洗濯をしたり、鯛のまるごと酒蒸しをつくって家中の人間に奨めてまわったり、壁を塗り替えたり、部屋の壁紙を剥がして新しいのに変えてほくそえんだり、親の家にいるときでも「将来、絶対に出世しない人って手先が器用で若いときから違うわよねー」と妹に感心されたりしていた。 であるので、厨房で料理のひとが料理しているといきなり玉葱を切ってお手伝いをしたりするが、どうも素人がうろうろするので鬱陶しがられているよーな気がする。 そこへ行くと船は良い。 船でもチョーでかい船になると、たくさんクルーがいるが、50フィートくらいまでならヨットでもパワーボートでもモニとわしとふたりで足りる。 外洋に出て遠くへ行くときには制御の動力系が壊れると50フィートもあるヨットでは、たとえば帆がでかすぎてたいへんだが、40フィートまでならマニュアルでも操船できる。 なんだか「小さい人」が生まれてくる前の、モニとのふたりだけの生活が戻ってきて、いつもほっぺたをくっつけてクスクスして暮らせて、いえーい、な感じがするのでたいへん良いのだとゆわれている。 船のなかというのは、前にパワーボートをツイッタで紹介したことがあるが、ヨットだと、こーゆー感じ http://www.jeanneau.com/mur/interieur/Sun_Odyssey_469.html で、このジュノーというヨットは船体の能力としては世界中どこへでも行けるが、乗ってみるとわかるというか、ストアレジのスペースが少なくて、数ヶ月、というような無寄港航海に耐えられるような食料やなんかを積み込むのがたいへんで、インテリアも荒天向きに出来ていないが、だいたいヨットのインテリアはどの会社も似たりよったりで、こーゆー感じのものです。 見れば判るとおり、「動く家」という感じのもので、傾いたり、ぐらぐら揺れたりして変な家だが、普通に住めます。 ニュージーランドは国が最も近い隣国であるオーストラリアでも2000キロ以上あって、日本を出発して同じ距離を行くと鹿児島から戦艦武蔵が沈没したフィリピンのシブヤン海まで行けてしまう。 そのせいでむかしから自分で飛行機を飛ばしたりボートで遠くへ出かけたりする人間の巣窟になっている。 そういう人々のなかには家を売り飛ばしてしまってボートに住んでいる人もたくさんいて、オークランドのマリーナで言うと、ベイズウォーター http://www.bayswater.co.nz/ のようなマリーナは、そういうボート乗りがいっぱいいるので有名である。 ヨッティング自体が好きなひとは、2万キロというような遠くにでかけるのでも20フィートから25フィートというようなちっこいヨットが好きで、最年少世界周航にでて、映画になったりして有名なRobin Grham http://en.wikipedia.org/wiki/Robin_Lee_Graham の「The Dove」( 図は姉妹艇) http://www.boatus.com/cruising/baggywrinkle/specs.asp は、24フィート(7.3m)しかない。 日本では石原慎太郎という人が、後進国ぽいというか、「ヨットは俺たち特権階級の遊び。ビンボ人がやれるもんちゃうぞ。やれるもんなら、やってみい」という、嫌味を言うと、叩き上げの成功者である父親をもった息子らしい、ぐりぐりおらおらビンボニンおらぐりぐり、なイメージをヨットの上につくってしまったので、結果としてヨットで遊ぶ人は大学の体育会系という集団強姦事件でよく話題になる人達の「特権」になってしまったような趣だが、ニュージーランドではビンボニンでもふつーに遊ぶ、ただの遊びです。 あんまりオカネがかかる遊びでもない。 ちっこいのなら世界を一周できるようなヨットでも150万円も出せば買えるので、20歳くらいでトンネル工事で働いたオカネを貯めてヨットで北米へ出かけたりする。 初めはガルフ、次には沿岸をまわって練習して、それから、だいたいトンガを目指す。 トンガ行きに慣れたところで、ガラパゴスに寄港してアメリカ大陸へ行く。 このルートならば他にたくさんヨットが通るので遭難した場合危険が少ないということもある。 日本には、何事によらず腹を立てる人が多いので、上に出てくるジュノーを調べたら高いじゃないか、という人がいそうだが、ジュノーのようなヨットは「家」なのでああいう価格になる。 The Doveのようなヨットはキャンピングに出てテントを張っているようなもので、テントと別荘のどちらが楽しいかと言えばどちらとも言えないと思う。 実際、わしは高校生や大学生の頃は、チョーボロイヨットで、ひとりでよく近くの無人島まで出かけた。ときどき船尾から水が洩れてきて床が水浸しになる古うううういヨットだったが1回マヌケにも強風に煽られたブームが頭にぶつかって脳震盪を起こして死にかけたことがあったが、事故というのはそのくらいで、らくちんで楽しかった。 トイレなどあるわけはないので緑色のバケツを愛好した。 赤いバケツが食事用で緑がトイレだったが一度酔っ払って間違えて、ぐわああああ、と思いながらカレーを食べたことがある。 飛行機も楽しいがボートは自由で良い。 … Continue reading

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言葉の死について

インターネットのあちこちで、共有できる言語を伝って、世界中のいろいろな人たちが話を交わして、びっくりしたり、笑いあったり、喧嘩になったりしているのは、20年前ならSFだが、いまではありふれた光景になった。 ぼくはニセガイジンという有り難い称号をうける程度には日本語で考えることが出来るので、こうやって目の前にあるコンピュータのスクリーンのなかに開いているウインドウのひとつは必ず日本語になっている。 スクリーンのそちらがわからこちらがわは見えなくて判りにくいのは当たり前だが、だいたいぼくの部屋では大音量で音楽がいつも鳴っていて、こう言うとまた「そんな人間がいるわけがない」と言ってくる人がいるに決まっているが、めんどくさいので構わずに話をすすめると、3つか4つくらいの言語にまたがったSNSとフォーラムのウインドウが開いている。 その他にスカイプを含むVoIPも使うが、こちらは日常生活でよく知っているひとだけです。 日本語で日本の人とSNSやなんかで話しているときに、人柄のよさそうなひとに多いが、「いまのは大事な意見だ。日本人に適切な忠告をしてくれてありがとう」と言われたりすることがよくあるが、少なくとも自分が知っている範囲では、そういうお礼を述べる「国民」は日本人だけなので、びっくりしてしまう。 日本の人が日本語を使ってものごとを考えているときに、いかに孤独か、ということを考えることが多くなった。 日本語で不足なくものごとを考えられる人間が側に立って、えっ?これはダメっぽいんじゃない? こっちはカッコイイな、と言って話しているときに突然「日本人への忠告ありがとう」と言われるのは、人によっては「ガイジン」というすごい差別語をもつ日本人の閉鎖主義の表れだと怒る人がいると思われるが、ぼくは、その徹底的に孤独な心性に驚いてしまう。 ついさっきまで同じ言語で、というのは取りも直さず同じ情緒と癖がある思考の幹に属して、肩と肩を並べて話していたのに、「日本のこと」になると日本人以外は遠くから見下ろして考えているとほぼ自動的に考えるのは日本のひとの強い性癖で、他の国民にも見られることだとは到底いいがたい。 イギリス人とニュージーランド人が話していて、ニュージーランドは簡単に大聖堂ぶっ壊しちゃったりして、ああいうのは拙いんでないの?とイギリス人が言い出して、ニュージーランド人が貴重な忠告ありがとう、と述べるとは考えられない。 あれはボブ・パーカーよりも政府がもっとバカで、あいつらは出費の削減しか考えない途方もない白痴である。 このあいだは、クライストチャーチでは人口に偏りができたから、生徒数の少なくなった学校がでてきたので就いては他の学校に統合すると言いやがった。 白痴である上に血も涙もない奴らである、というふうに会話は続いていくものであると思われる。 日本語で日本のひとが欧州のことについて述べたものは間違いがおおいようだ、と書いたら、では欧州人のお前が日本語で日本について述べることにも意味がないではないか、とえらい剣幕で述べに来た人がいて、(そのひとにとっては失礼にも)大笑いしてしまったことがあったが、そのひとは言語の機能と外国人・自国人ということについて頭が混乱してしまっている。 「日本語で日本人が欧州について述べる」ことに照応するのは「欧州人が欧州語で日本について述べる」でなければならないのだが、カッとしやすい、おっちょこちょいな人だったので血が頭にのぼって譫妄したのだと思われる(^^) 日本人の孤独な姿は福島第一原子力発電所事故を契機にして、異様な影を世界中のメディアに浮かびあがらせてきた。 なにしろ考えの前提も常識もなにもかもが唖然とするくらい違うので、経緯をちゃんと把握していないと、「言っていることがぜんぜん判らない」くらい日本のひとの「常識」はいまでは他の世界のそれと隔絶してしまっている。 もう事故から2年も経っているので、英語でも日本のひとが「なぜ放射能が安全だと考える」のが説明されている文章があちこちにあって、拾い集めてくれば、辻褄だけはあっている巧妙な説明を見通すことは出来るようになっている。 このブログでは何度も書いたので具体的な疑問は繰り返さないが、これこれこうだから日本の事故はたいしたことはなくて安全基準もつくってあるから日本人は安全です。 心配してもらわなくていい。 事故は収束しました。なんなら終熄と呼んでも大丈夫。 はっきり言ってしまうと、日本人の言い分だけを聞いていると、まったく尤もらしいが、我に返って、自分の頭の中の世界と照応させて、言わば「日本人の常識」と「普通の常識」を較べてみると、「日本の常識」は辻褄があっているだけでいかにもチャチで、もっともっとはっきり強い言葉をつかって言えば軽薄を極めていて、かつては科学の分野でもおおきな声望をもっていた日本人の科学性とは、たったこれだけのものだったのか、と思う。 ここまで読めば気が付くと思うが、ここで初めて日本人でない人間ははっきりと「日本人」の異様さについて眼を瞠っているので、ここに至って、普段は意識しない「日本」という仕切りが意識の上で越えがたい理解不能な壁となって眼のまえに登場してしまっている。 いわば「忠告ありがとう」と突然述べて外国人を訝らせる、不思議な日本の人の心性と同じ場所に外国人たちを押しやってしまっている。 ここから先は書いても日本語である以上わかってもらえなさそうで、書いてもしようがないような気がするが、そういう投げやりなことではいけないだろうから、数が少ない何人かの人に向かってでもいいから書くと、ここで起こっていることは何かというと実は日本語の「地方語化」が過去に予想されたよりも遙かに速やかに起こってしまっているのだと考える。 日本社会のなかで高名な科学者たちや知識人たちが「放射能の無害性」について力説するときに、どの程度自分の議論の普遍性を意識しているのかわからないが、結果からみると、地方ルール、日本社会のなかで説得力があればそれでいいや、な投げやりな感じがして、変な言い方だが、これまで放射能の害について世界中の人間が蓄積してきた「常識」へ真っ向から挑戦する緊張感などまるでみられない。 まるで「日本人はバカだから、こんなものでいいだろう」とでも言うような、真理を自作して適当に犬たちに投げ与えるいんちきな学問の神様のような好い加減さにみえる。 普遍語が支える世界に背を向けて「日本人向けの真理」を何の躊躇もなくつくってしまった結果、言語というものは自分をぞんざいに扱ったものたちに対して常にそういう巧妙で本質的な復讐をするが、日本語全体が地方語化して、日本語で語られるものは、日本語人のあいだでだけ通用する「真理」になってしまった。 半島人はむかしから半島でだけ通用する「真理」のタッキーさに苦しんで、おかげで朝鮮語はどんどん真理性を失ってしまい、英語でものを考える以外に方法がなさそうなところまで自分達を追い詰めていった。 インド人たちも同じで、というよりは、もう一段積極的にインド諸語を地方語として自ら定義して娯楽映画や歌謡にかぎってしまい、思考は英語で行う、と決めてしまった。 インド人たちはお互いの母語が通じないので英語を共通語として採用したのだ、と思ってしまいがちだが、当のインド人たちと話してみると、ぜんぜんそういう理由ではなくて、どちらかといえば英語の普遍性をインド文明で乗っ取ってしまってインド英語をつくったほうが文明の建設がやりやすい、という積極的な戦略であるらしい。 いまの日本で起きていることは、10の選択がある事象に6つの選択しか可視的に与えられず、残り4つの選択は伏せられていて、どのひとつも正しくはない6つの選択肢から正解を探すという徒労の連続である。 あるいは日本人は選択肢そのものが捏造されていて日本のなかだけで「完璧に証明された」、外側の人間からみるとクビをひねるしかないような定理を組み合わせて、更に突飛な空想的な「事実」を証明しにかかっているヘレニズム時代の歴史の闇の向こうに消えていった数学者の姿に似ている。 このブログを始めたときには、まさか日本語が言語としての意味を失ってゆくところに立ち会うとは思っていなかった。 そういう可能性すら考えられなかった。 日本語はいまの段階では架空な現実に架空な現実を架して、巧妙だが薄っぺらな、自分達で容易に信じられることだけ、あるいは信じたいことだけを材料に、それ以外のことはすべて虚構だと退け、現実であるはずがないと小心な心に言い聞かせるためだけに存在する「道具」になりさがっている。 言語は本来「道具」にはなりえない。 「日本語を使う」というが、本来は言語は人間の脳髄が「使える」ような代物ではなくて、言語自体が思考している。脳髄にできることはわずかに言語が内蔵している論理ベクトルを差配して方向を決定したり、言語が歴史を通じて貯えた情緒のなかから適宜選択してより明然と情緒を表現できるように選択することだけである。 ところが言語の真実性が失われるにしたがって、日本語は急速に論理のつじつまあわせの「道具」に変わってきた。 強い言葉を使えば劣化して腐敗してきたのだと言い直してもよいと思う。 この段階になると放射性物質についての、議論とは到底よびえない言い合いが良い例だが、同じ材料をつかってAがBであるという「完全な証明」とAは(Bと相反する)Cであるという結論を、どちらも「完璧に」証明できるようになる。 … Continue reading

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bluewater

イースターホリデーの、ひとの数が少ない通りを歩いて行くと、イースターエッグハントの子供たちの声が生け垣の向こうからきこえてくる。 テニスコートでボールを打ち合う音や笑い声がきこえる。 芝刈り機のエンジンの音や刈られた芝のにおいが夏のにおいの代表だとすれば、イースターホリデーは秋のはじまりの音で、毎年、イースターエッグハントのチビガキたちの声が聞こえると、また1年が経ったのだなあー、と思う。 きのうツイッタで会った70年代後半から80年代という、ちょうどぼくが生まれる直前の連合王国やアメリカで酷い人種差別にあった、というひとのことを考えていた。 連合王国はいわずと知れた階級社会で、日本のひとは階層という意味で「階級が違う」というが、平民、士族、華族とあって、その下に不可触賤民がいた戦前の日本社会と同じで、貧富や学歴にはよらず、社会制度として固定された「階級」が存在する国である。 あのひとはオカネモチで階級が違うから、というのは、だから戦後日本の平等社会が生み出した言葉の誤用で、ただ無軌道な人を「アウトロー」(「捕まっていない犯罪者」という意味です)と呼ぶ人がいる日本らしくて、案外、日本人が誇りにしていい謬りなのかもしれない、と思う。 小さな声でいうと階級社会にもいいことがまったくなくはない、とこの頃おもうが、 いまは恐竜化して意味を失いつつあるシステムとはいっても、やはり「階級」の存在は社会全体におおきなストレスを加えていて、毎年たいへんな数のイギリス人が「新天地」をめざして他国へ移住してしまうのは、イギリスという国のとんでもない天候のせいもあるが、やはり階級社会のせいだろう。 マーガレット・サッチャーは上流階級の人間が自分のアクセントを(もちろん何も言いはしないが)冷え切った冬の底のような気持ちでバカにしているのを知っていて(といって、そんなことを知らないイギリス人はいないが)懸命に発音矯正教室に通った。 それでもイギリス人同士にしかわからない、きわめて些細な、しかし歴然としたやりかたで侮蔑されるので、心底イギリス社会を憎んですごしてきた。 簡単に言えばイギリス社会のいっぺんつくったものは変えたがらない、そういう歪みが生み出した国国が、労働者階級の夢の実現をめざしたニュージーランドであり、もっと野放図なコントロールのない自由をめざしたオーストラリアであると考えることができる。 オーストラリアは、前にも書いたが、なにしろNed Kellyが国民的英雄であり、ユーレカの叛乱 http://en.wikipedia.org/wiki/Eureka_Rebellion が国民の自由の背骨として記憶される国なのである。 大量の移民と並んで、階級社会がうみだした圧力は、お互いにお互いを、気でも違ったひとびとのように差別する習慣とお互いを労りあう心とを同時につくりだした。 イギリス人の他人に対するすぐれた想像力がなければ絶対に出来ない、魂の中心にささるような、あるいは、猫がねずみをいたぶるような意地悪や、まるで相手が自分自身であるかのような、これも魂にまで届くあますところのない気持ちの暖かさは、両方とも同じ淵源から出たものであると思う。 差別に苦しんだ、と述べていた日本のひとは、世界でも超一流のイギリス人の差別(^^;)にあって、さぞかし苦しんだだろう。 イギリス人の差別は、社会に長くとどまればとどまるほどわかってくるていのものである。 そしてイギリス人の心の底にある、ぞっとするほど冷たい利己心に触れると、いたたまれない気持ちになって国から逃げ出すしかなくなる。 「いまは違う」というひとがいるが、ぼくには、「よかったですね」という以外には挨拶がない。 そんなことは信じていないから。 イギリス社会における差別は暴力と並んでイギリスの文明の本質に根ざしている。 お互いにお互いを階級によって、貧富によって、階級とはまた別の生い立ちや育った環境によって、偏執狂的な精確さと微細さをもって差別するのだから、相手がもっとも嫌がることを知っていなければダメで、そう考えていけばわかると思うが、アジア人が相手ならば、十分にsubtleな共通の基盤がないので、頭の悪い人間はてっとりばやく人種を道具にする。 吉田健一の本には「草の家に住む者は石の家に住む者に刃向かってはならない、という言葉を知らないのか」と言われて若い吉田健一が悔し涙にくれるところが出てくるが、このイギリスじじいは、イギリス的意地悪の規範から外れているというべきで、そんなありきたりの格言をつかってあからさまに相手を侮蔑するような頭の単純さでは、自分が仲間はずれにされてしまうが、人種差別主義者というのは概して脳の容積が足らない人間が多いので、この程度の退屈な意地悪しか思いつかなかったのかもしれない。 人種差別は差別されたと感じるほうの定義によって100%差別であるかどうかが決まるというのがルールで、「黒人のひとはリズム感がいいね」と言われればアフリカン・アメリカンは差別的な発言であると感じる。言われたときに頭のなかで条件をいわば計算して、言った人間がたとえばアメリカに留学してきたばかりのそういう事柄についてナイーブな日本人留学生なら、笑って、ふざけて答える可能性があるが、アメリカで生まれて育ったコーカシアンがそう述べた場合には、少なくとも心のなかで警戒するだろう。 「プエルトリカンの女のひとは美人が多いな」というのも同じだし、アジアの女のひとはやさしい、と述べるのも、人種差別であるとみなされる。 少なくとも、そんな危ない人間をパーティに呼ぼうと考える人はいないに違いない。 アジア人が述べる自分達への人種差別などくだらない、コーカシアンがアフリカ人に対してもってきた「人種差別意識」はそういうこととは別のものだ、とデンゼル・ワシントンが演じるアフリカン・アメリカン青年が恋人の父親であるインド人に激怒する有名なシーンがミラ・ネアの映画のなかに出てくる。 アフリカンアメリカンにすれば、「これ以上くるな」と嫌がらせとともに述べられるアジア人への罵声は「差別」というようなものではなくて、差別というのは、(アフリカから遠いむかしに連れてこられて自分はアメリカ人でしかないのに)自分そのものが否定されて、この国に生きているのは許さない、と言われることである。 アジア人はアメリカにいてもアジア的な文化や思想をもって逃げ道をつくって暮らしているくせに、なにを言うんだ、おまえらは白人のふりをしたいだけじゃないか、という理屈をもっている。 ハイチではフランス人はハイチ人たちを文字通り家畜としてあつかった。 少しでも反抗的な態度をみせれば足や手を切り落としたし、気が向けば女たちを鎖につないで強姦した。 ブードゥーという不思議な宗教は「呪い」と「毒」がもつ比重がおおきいが、その理由は、このハイチの苛酷な、人間としてどころか、生物としてすら生きることそのものを許されない環境だった。 吉田健一(元首相麻生太郎の叔父さんです)はキングスコレッジを中退した理由をさまざまに述べているが、この繊細な魂をもった、あとに日本の首相になるエリート外交官の息子がなぜケンブリッジを去ることに決めたかは、活字にするわけにはいかなかっただろう。 書いたものを読んでいて田舎者まるだしの態度が原因なのが看てとれる、大半の欧州人の冷淡な相手の態度に腹を立てて「人種差別」と日本語で述べ立ててまわるのが好きな「作家」たちを、彼等よりもひどいものを見て、何を見たか、ひと言も述べないまま死んだ吉田健一が見たら片頬をゆがめて笑うだろうが、その吉田健一が死んでから、38年が経っている。 上で述べたツイッタで出会ったひとが連合王国の醜さに脅かされ辟易してから、30年が経っている。 ちょうどその頃は、日本という、まったく自分達とはルールが違う、休みもせずに、狂いでもしたように低賃金で働いて、会社の部品になりきることが幸福だとでも言うような、いままで欧州人たちが見たこともないような人間の集団が、自分達の仕事をどんどん奪って、あまつさえ会社の幹部たちには「お前達が遊んでばかりいるから日本人に市場をとられるんだ。もっと低い賃金で日本人なみに働け」と自分達が人間並みの生活をするのが悪いと言わんばかりの態度をとられ、あいつら日本人は自分達が人間でなくてもいいとおもってるのか、そんなゲームのルールがあってたまるものか、という怒りに駆られていた頃なので、考えてみると、実際に大変だったはずである。 この人がスーパーマーケットにいれてもらうことすら許してもらえなかったと述べている当時のアメリカ合衆国の地方都市、たとえばGMタウンのミシガンのフリントでは、1978年を転がり落ちる初めの年として、過労死を繰り返しながら、それでもまったく企業戦士であることをやめようとしない日本人の(アメリカ人にとっては)狂気としか見えない労働文化をもった日本の自動車企業に進出によって町が失業者であふれるようになり、フリーウエイをまたぐ橋の上から日本車を狙って狙撃しようとする人間があらわれるところまで日本人への憎悪が高まっていった。 どこかで日本の自動車や家電製品をハンマーで叩き壊して気勢を挙げるアメリカ人の群衆のフィルムを観たことがあると思う。 … Continue reading

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