Monthly Archives: May 2013

幸福になりたい

欧州が移民に対して門戸を閉ざそうと決心したように見える、と書いたら、 日本語の世界からふたつの声が返ってきた。 ひとつは、日本人から、いいとしこいて、40歳をすぎているのにニュージーランド人に化けようとたくらんでうまくいってしまった村上レイで、 特に、「欧州の福祉政策は働かない移民を呼び込んだだけで大失敗」という論調見たときにはひっくり返りそうになった。 @gamayauber01: そーなのか @wagonthe3rd 「ほら欧州でさえ移民政策に失敗した」の大合唱なってるよねえ。 @IsaoKatoJP — レイ@毎日がロードムービー T30 K12 🚘📷🎹💻🏥🇳🇿🇯🇵🇺🇳🏳️‍🌈 (@wagonthe3rd) May 29, 2013 と述べている。 村上レイは「おれはもうニュージーランド人だ、日本のことなんか知るか」と言い続けているが、その割に日本がどうしてゆいいつの諸問題の解決策であることが(村上レイにとっては)わかりきっている移民の大量受け入れに動かないのか、これでは手遅れになってしまうではないかと苛立って地団駄を踏んだりして、ほんとうはむかし別れたはずの祖国とあんないけないことをしたりこんな人に言えないことをしたりしたのが忘れられなくて「心は忘れても身体が忘れない」状態(©演歌)なのではないかと思われる。 その証拠に心はマクドナルドのドライブスルーでコーラを頼んでいるのに肉体のやるせない一部である声帯は日本語が忘れられなくて、なまって、コーヒーが出てきて後席の息子たちに大爆笑・大受けしているのだとツイッタで述べておった。 過激な移民開国派で、役に立つならグリンゴンでも火星人でもつれてこんかい、という人である。 世界に例をみない、ビクトリア女王の別荘の裏庭で生まれたようながちがちごっちんの保守的な国柄から一転、チョー過激な移民政策をとって国ごと再生したニュージーランドに住んでいるからでしょう。 それに対して、自己紹介を読むとフランスに住む日本人であるらしい「パリババ2号」という人が「もとからフランスに住んでいる白いフランス人」が移民はもううんざりだという意味でよく述べる意見である「福祉政策めあてでくる移民がいるのは事実」 だけ、ということはないですが福祉の恩恵にあずかるために来た移民がいるのは事実。@wagonthe3rd @gamayauber01 @IsaoKatoJP https://t.co/SVFEZ1saIH — パリババ2号 (@Yukfra) May 29, 2013 と言っている。 「移民はわれわれの国に仕事や教育や医療や福祉を盗みに来ている」 「われわれが税金をつかって営々と築き上げてきたものを、移民たちは、ろくに税金を払いもせずに根こそぎさらっていってしまう。このままではわれわれの社会保障は移民たちのせいで破綻してしまう」 というのは、実は「肌の色が異なる醜い人間があんまり増えると町が汚くなる」というような「冗談」を「仲間うち」では平然と述べるある種の人達が、肌の色や人種を公然と理由にするとほんとうは頭の中の大脳が普通の人間の半分しかなくて、「ムスリムやアジア人たちには困ったものだ」と顔をしかめて頭をふると「コロコロコロカラカラカラ」と大脳が頭のなかで音を立てるのをごまかすために、婉曲表現の一種として使うのでもよく知られている。 フランスにもイギリスにもエジプトの石で敷いた道路というものが存在する。 せっかくのんびり寝ていたエジプト人たちの墓をあばいてロンドンにもってきて「博物館」という名前で見世物にしたので、夜中になるといまでも自分達の石棺のまわりを歩き回って、目撃した警備員の髪を逆立てた絶叫を聞いて「にひひひ」をしているという。 もってきてしまったものは、それだけではなくて、アメリカ人などはアフリカ大陸のあちこちから人間をもってきてしまった。 もってきてしまってから、いらなくなって、邪魔だから全部殺してしまったらどうかと考えたりした。 … Continue reading

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Sienaの禿げ頭

イタリアがもっか如何にビンボであるかは幹線道路を走ってみればすぐにわかる。 イタリアの道路は高速道路が私有であったり、国有やコムーネがもってるのや入り乱れていて判りにくいが、公共道路は徹底的にボロボロで、制限時速110キロの道路に、ぼっこおおーんと穴が開いていたりするので小さい車輪のクルマだと危ないほどです。 しかもそういう穴ぼこをパッチアップするのにトラックでやってきたおっさんがひとりでアスファルトを埋めていたりする。安全要員ゼロ。 トラックを万が一のときの盾にして、おっちゃんがどっこらしょとアスファルトを盛っている。 朝、起きたら天気が良かったのでSienaに行くことにした。 水曜日はマーケットが立つ日だとミシュランに書いてあったのを思いだしたからです。 いま調べてみたら日本語では「装飾写本」というそうだが、英語ではIlluminationという。 https://en.wikipedia.org/wiki/Illuminated_manuscript 確かに欧州語でも金箔や絵を使わない装飾的文字だけのものでも骨董美術店に行くとたとえば「Manoscritto mininato」と言って売っているが、本来は金箔や絵をちりばめたものだけについて使われる言葉で、「装飾写本」では値段にして1ページ€100くらいから売っている文字が装飾的な手書き本が入ってしまう。 だからここでも日本語の「装飾写本」という言葉でなくて、ただ「Illumination」のほうが良さそうです。 SienaのカテドラルにはIlluminationで有名なライブリがあるので、そこに行きたい、ということがある。 それにマーケットがあればどこにでもホイホイとでかけていくのも、このブログを昔から読んでいる人にはおなじみのわしの癖で、多分、中世くらいからの先祖と同じ「マーケット」と聞くと浮かれてしまうケーハクさがいまだに血中に残っているのだと思われる。 いま「明日はシエナに行くべ」と述べたツイッタを見ると村上憲郎が返答に「30年前に女房とふたりで闇雲に町中を走ったら偶然Piazza del Campo http://it.wikipedia.org/wiki/Piazza_del_Campo に出た」と恐ろしいことを書いている https://twitter.com/noriomurakami/status/339533964765167616 が、なぜ恐ろしいかというと、ほんとうのことを小さい声で言うと道路はなにしろカンポ広場やドゥオモに出るように出来ているので闇雲に走ってもかなりの確率でどちらかに出るが、たどりつくまでには人間の雑踏で、5,6人はひき殺さなければならなかったはずで、村上憲郎はカーマゲドン http://en.wikipedia.org/wiki/Carmageddon を30年前に実地に行って人生の秘密にしていたものだと思われる(^^;) わしはいまでもスーパー血気盛んな村上憲郎と異なって温和で成熟したおとななので、そんな乱暴なことはしません。 イタリアの町のまんなかで、マーケットが立つ日に駐車する余地があるわけもないので、町の外縁、およそ1キロくらい離れた空き地の無料駐車場をみつけて、そこにクルマを置いていくことにした。 クルマを降りてみるとマーケットへの道がさっぱり判らないので、近くにクルマを駐めて書類を片手に歩き出しつつあるおっちゃんに「マーケットをやってる場所にはどうやって行くのですか?」 と訊いてみた。 おっちゃんは、イタリアの人にはよくある身長が165センチくらいで、風采の立派な紳士っぽい人である。 背広の仕立てがたいへんよろしい。 靴が途方もなくかっこいい。 「マッキーナ(自動車)で行くの?それとも歩き?」 モニが、多少慌てたのか、クルマだけど歩いて行きます、と応えている。 おっちゃんは、うーむ、という顔になってから、しばらく(およそ3秒くらい)長考してから、 「マッキーナで行くの? それとも歩き?」 とさっきとまったく同じ質問をもう一回しておる(^^ 他に質問のありかたを考えてみたが、やっぱり思いつかなかったのでしょう。 「歩きです」と応えると、おお、そうか、と述べてから、 しばらくして、「この道路を向こうがわへ歩いて行くと、ラウンドアバウトがあって、そこを橋の側に渡って、ピッツエリアの前を道路を横断して、そこから50メートルくらい行くと長い階段がある。その階段をあがって、ずううううっと歩いて行くともうひとつラウンドアバウトがあって、そこのクルマだとすると3番目の出口なる道路をわたると、ロムルスとレムスがshe-wolfからお乳を飲んでる銅像が道の両側にあるところに出るからね…あっ…ロムルスとレムス、判る?」 「判ります。ダイジョブ」 「そこをすぎてゆるい坂道をてくてくと歩いてあがって行くと、左に曲がる道があって…(中略)… バスのターミナルが左に見えるところに出るから、その右側の公園をずっと歩いてゆくとマーケットがあると思う。判った?」 … Continue reading

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Vernazzanoの斜塔

1 泊まっている農家の持ち主が近所のひとのパーティに呼んでくれたのででかけた。 この農家の持ち主はミラノの音楽家で、パーティを開いたのはローマの音楽家です。 ドイツ人たちとイタリア人たちとフランス人とイギリス人のカップル(モニとわしのことね)がいる小さなパーティは6時すぎから始まって、10時過ぎまで続いた。 ドイツの人たち(大学の先生と高校の先生、ビジネスマン…)はすぐに自分の国を誇るという欧州でのドイツ人のステレオタイプイメージに沿っていて、ちょっと声を潜めていかに欧州におけるドイツの役割がおおきいか述べてしまうし、さらに声を潜めて、「きみ、知っているかね。イタリアには公式にはドイツ語とイタリア語を話すことになっている村があって、実のところ、イタリア人たちがいなくなるとドイツ語だけで話すのさ」と、さもそれが重大なことであるように厳粛な顔をつくって話す(^^; イタリア人たちは、「この辺の道は、ぶち壊れているのに誰もなおさない。ドイツなら2日目にはもうなおっているけど、この国では未来永劫そういうことは起こるわけはない」とドイツ人たちに述べている。 わしが笑いをこらえるのに苦労したことには、ドイツ人たちの反応は、「ええ、わたしらの国ではイタリアで起きるようなことは起こらない。道路が荒れ果てたまま放置されていることに驚きました」であったことで、ドイツの人は欧州での評判どおりというか、ナイーブというか、何も考えてないというか、オモロイと思う。 欧州人という種族はみんな全然違う文化に拠っているのに、めいめいそれぞれ自分勝手にお国自慢で、欧州人が集まるパーティは上流階級のものでもアカデミックなものでも近所のものでも、その点では変わらないところが可笑しい。 パンにオリーブオイルをぶっかけて塩をひとつまみふったブルスケッタとオリブの実のペーストを塗っつけたパン、ウンブリアのフェネルをまぜた豚のソーセージや野生のイノシシのソーセージで始まったパーティは、パーティ主であるイタリア人たちの職業のせいでイタリア音楽界の危機の深刻さの話に及んで、もう音楽団体がひとつしか生き残っていないのだと聞いてぶっくらこいてしまった。 知らなかった。 欧州では、嫌味を言うとドイツの長年の夢がとうとう果たされたというか、ドイツが大旦那で、自然、他の国民はメルケルさまさま、ドイツ人がご主人様な雰囲気で、放蕩息子と化した趣のあるイギリスや口うるさいだけの伯母さんみたいなフランスは圏外である。 新聞がどう述べても人心とは正直なものであって、口吻にあらわれてしまう。 ケルンの一般的な高校では生徒の6割がトルコや他の国で生まれた生徒であるとか、表面は欧州人にのみわかる符丁的な「ナイス」な言葉と態度で述べられているが、居合わせている欧州人の誰にも判る一定の言い方で、異文化からやってきた移民をべたほめにほめながら、移民はもううんざりだと言っている。 わしは相づちをうちながら、「多文化主義」が欧州では完全に終焉を迎えたことを確認している。 2 午後にはVernazzanoの斜塔 http://www.trasimeno.ws/torre_vernazzano_it.html へ行った。 無理をして行こうと思えばクルマでも行けそうだが、キャンピンググラウンドの門の近くでクルマを降りて森を抜けて歩いていくことにした。 Vernazzanoの斜塔は「ツーリズム」ということを考えるときには、いつも興味深い。 歴史的にも建造物的にもVernazzanoの斜塔はPissaの斜塔に何の遜色もない重要性をもっている。 それなのになぜPissaの斜塔ばかりが有名でVernazzanoの斜塔は知っているひとすら少ないかというと、簡単に言えば「商売の上手下手」の違いに帰着する。 信じるのが難しいが、今日のパーティでドイツ人夫婦が盛んに述べていたとおりSantiago de Compostelaも30年前は、誰にも見向きもされない町だったので、観光においてはマーケティングの才に恵まれた人間がスポットライトをあてるか否かは、決定的な問題なのです。 キャンピンググラウンドでクルマを駐めたモニとわしは、「ほんとうにこの道かなあー」と言いながら、緑が深い森の凸凹の道をどこまでも歩いて行った。 塔が見えるもなにも、開けた視界というものがないので、道の先になにがあるのかも判らない。 それまで降りしきっていた雨が止んで、太陽が出る頃になって、不意に視界が広がって、向こうの森のそのまた向こうに巨大な塔がたたずんでいるのが見えた。 中央に大きなクラックが走っていて、補強のための鋼鉄線のケーブルが何本か張られている痛々しい姿で、Vernazzanoの斜塔は立っていた。 こんなことを言うと笑われてしまうが、なんだか南アメリカのジャングルのなかでエルドラドを発見した探検家かアンリ・ムーオのような気持ちになる。 ともあれ、森を歩いて原っぱに出て塔を発見したときの感動はかなりのもので、他の国ならとっくのむかしに観光開発がすすんで、道は凸凹どころか、舗装されて道路の両肩には「Vernazzanoの斜塔まんじゅう」を売る店が殷賑を極めてるのは見えているので、「やっぱりイタリアはオモロイ国だなああ」と考えました。 帰りにはドライブインに寄って、プラスチックの皿に盛ったfedeliniのラグーソースを食べた。Suppliとテーブルワインとフリザンテでひとりあたり€9。 街道筋でトラックがいっぱい駐まってるドライブインはおいしいというガメ理論が現実によって補強された。 3 「相手にされていない」のだと言うひともいるし、「差別だ」というひともいるが、なんだかそういうことではないのだと思う。 日本は欧州人にとっては「知らない国」だし「知ろうと思ってもとりかかりがない国」だし、皮肉な言い方でも誇張でもなく「普通の欧州人」にとっては「存在しない国」である。 一方では日本で「欧州はわれわれのことを知らないがわれわれは欧州のことを勉強してよく知っている」というが、わしは全然そう思わない。 日本の人も欧州のことはこれっぽっちも理解していないと思う。 ほんとうは当たり前で、ガリシアに3年間住んでいたドイツ人カップルでも「スペインという国は理解不能である」と言う。 直感的に言って10000キロ離れている欧州のことを日本がたいそう理解していると考えているほうが変わっている。 … Continue reading

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Sarteano

1 Umbriaから国境を越えてTuscanyに入ると、突然土地のたたずまいが商業主義的になって、並んでいるオリブの木の一本一本までが「ぼっちゃうぞおおー、にひひひ」と囁いているように見える。 日本で言えば群馬側から国道18号線で軽井沢にはいるというか、熱海みたいちゅうか、そーゆー感じです。 Sarteano http://it.wikipedia.org/wiki/Sarteano でお昼ご飯を食べたら、アメリカ人だらけだった。 ドアのところにミシュランの一つ星だかなんだかが付いていたので、もしかするとアメリカ人向けのガイドブックに出ているのかもしれません。 でっかいラビオリに炒めたトマトのソースがのっかってるのと、ビステカ・デ・マヤーレを食べたが、それぞれ€7.5と€7で、いかにワイン熱海といえど、たとえばレオーネ広場があるフィレンツェの川向こう(観光地でないほう)のレストランストリートよりはだいぶん安い。 フィレンツェならば、たぶん、€12と€10。 銀座ならば同じくらいのものを食べて、 ラビオリは1400円(但し量は半分)、ビステカ・デ・マヤーレのほうは量も同じ200グラムの豚肉で「鹿児島県産黒豚です」という能書きがついて3200円くらいではないだろーか。 それにテーブルワインの赤と炭酸水でモニとふたりの分で€37だったので、まあ、そんなもんかなあーという昼食代だと思われる。 マジ田舎のUmbriaと異なってTuscanyは、なにしろ世界中からイタリアにやってくる観光客の一大目的地なので、超巨大ホテルが通りに軒を並べている。 おおきなバスを連ねたドイツ人やアメリカ人がぶいぶいしている。 イタリアでは「オカネのある観光客」と言えば、おおきな町のフィレンツェやローマ、ミラノでは中国人、田舎ではドイツ人とアメリカ人と相場が決まっているが、 その通り、絵に描いた通りで、道を歩いていると、あるいはスーパーマーケットで飴っこを買っているとドイツ語やアメリカ語がたくさん聞こえてきて、観光地だなああー、儲かってるなああー、と考える。 アジアの人の顔は朝から晩までひとりも見ないが、銀座やなんかのレストランでレストラン協賛の「トスカナのビンヤードめぐり」なんちていっぱいパンフレットを置いてあったのを思い出すと、8月くらいになれば、日本の人がいっぱい乗ったバスも現れるのではないだろーか。 Lazio http://it.wikipedia.org/wiki/Lazio の田舎やUmbriaではアジア人はおろか、他の国から来た欧州人もあんまりでくわさないので、Tuscanyは国際的で、ひらけておるのおー、と感心します。 国境を越えたばかりのChiusoにしてからが、もうTuscanyぽい、というか、イタリアの田園カッコイイでしょう? オカネ頂戴ね、ね、ね、という雰囲気がばりばりに感じられて、なんとなく、オカネ使わないと悪いよねー、という気持ちにさせられるように出来ている。 使わないけど。 州ごと集金装置然としたTuscanyではあっても、田舎は田舎で、イタリアの田舎道ではあちこちで走っている、というか歩いているというかの50cc軽トラ Piaggio Ape の後にくっついて、50ccエンジンなのに車体と荷台があるというだけでも、最高時速30キロの低速が保証されているのに、イタリアでは二人乗りのモデルまであるので、そうすると時速20キロ出ればいいほうのクルマの後をのおんびり走っていると、イタリアの田舎にいるのだなあ、としみじみと感じる。 (そのまましみじみとしていると夜になっても宿に帰りつかないので、追い越すことになります) カタルーニャでは昔ながらのマーケットがバルセロナのような都会でも町のそこいらじゅうにあるが、イタリアではマーケットがおおかたスーパーマーケットに駆逐されている代わりにスーパーマーケットで売っているハムならハム、ソーセージならソーセージの品質がカタルーニャよりも高い。 町も、イタリアもローマより北になると、カタルーニャですら免れないスペインのあの、(わしが大好きな)チョーだらしない、ねろおーんへろおーんな感じがなくなって、ばりばりにマジメになる。 日本での日本の人が笑い話にして嘲るような「怠け者のイタリア人」のイメージは、どこから来たのだろうか、と前に調べたことがあったが、むかしむかしイタリア移民達が初めてアメリカに大量にやってきた頃に、アメリカ大陸で「エスタブリッシュメント」をこいていたアングロサクソン達が、「勤勉で優秀なわしらアングロサクソン」対「怠け者で食べ物と女しか考えないイタリア人」という偏見を発明して、それを白人社会全体を物陰から息を潜めるようにして観察していた日本からの留学生たちが日本に戻ってからおもしろおかしく、まるで自分がアングロサクソンと同じ場所にいたかのように仮定して伝えたもののよーでした。 現実のイタリア人は、このブログにも何度も出てくるように、頭痛がするくらいマジメで、集団作業に長けている。 しかもわしの観察によれば、極めてせっかちで、夕飯を食べるスピードなどは、多分欧州一の高速であると思われる。 わしの主観では日本人よりも速いと思います。 コースで食べてものの30分くらいで食べてしまう。 モニとわしはイタリアで昼ご飯や夕ご飯を食べるときには、「チョーゆっくり持ってくるよーに」と席につくなり厳命するのを習慣とする。 それでも、おもいがけないほど速いタイミングでもってきてしまうが。 道路でも辺り一面不思議の国のアリスのうさぎさんがピョンピョンはねて、ときどき懐中時計を取り出しては「ああ、急がなきゃ。たいへんだ、急がなきゃ」と言っているようなもので、やたらと追い越しをする。 普通の国では対向車が向こうからくるのが見えているときに追い越しをしたりしないが、イタリアの人は恐ろしいことに対向車が迫っていても、車線にやや余裕があって、対向してすれ違うクルマとクルマのあいだに隙間があると見ると、そこに突っ込んでくる。 当然の帰結としてサイドミラーがふっとんでしまったり、あえなく衝突して、くるりんとまわって道路の端に投げ飛ばされたりするが、国民芸というか、一向に改善されないよーです。 2 橋下徹市長の「大阪市長である私は沖縄の女性の怒りを代弁しています」「日本人は他国の女性の権利を心配しています」と聞こえる長口舌は、旅行中はテレビも新聞も見ないのでイタリアではどんな反応があるか判らないが、昨日、Lago … Continue reading

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InVacanza2

1 第一目的地の(UmbriaとToscanaのちょうど国境の辺りにある)農家に着いた。 おおきな農家を改造した一軒家の宿屋で、気が遠くなるほど綺麗な田園のまんなかにある。 オーブンやストーブはもちろん、冷蔵庫もログバーナーもなにもかも完備されているので、スーパーマーケットから買ってきた食材を台所に並べて「料理ができたら起こしたあげるから午寝してていいよん」と述べてキッチンに立つ。 エッチな下心ばりばりでモニさんのゴージャスなマディソンアヴェニューのキッチンでcapelliniのラムの(ピカンテ)ラグーソースかけをつくっていたりした頃と同じです。 いまももちろんエッチな下心ばりばりなわけだが。 (この世に美女とエッチすることとおいしいものを食べること以外に人間が興味をもつにあたいすることはあるだろうか?)(ありはしない)(←反語表現) むふふ。 昨日と一昨日は人間の創始から現在に至るまでの世界の民族のなかでただひとつ「男と女が完全に平等だなんてあたりまえじゃんね」と考えてのほほんとしていることができた偉大な民族の足跡を見て回っていた。 エトルリア人のことです。 エトルリア人は驚くべきことに男と女が平等なのは人間同士なのだから当たり前だという異常な思想をもっていた。 現代アメリカ人たちのように「男と女は平等であるべきだ」と述べているのではない。 「平等に決まってるやん」と「知って」いたのです。 それだけで橋下徹もびっくりなのに、他にも不思議なことがたくさんある民族だった。 エトルリア人たちは自分たちの国権国家をつくることに興味をもたずに、町と町のチョーゆるい連合を好んだが、「エトルリア人が集落を築いていた」と信ぜられている丘に現実に登ってみると、わざと城壁の縄張りが難しいようなところ選んであって、なぜだろう?と考えさせられる。 TODI http://en.wikipedia.org/wiki/Todi の向かいにある丘などは、地の利を得たハンニバルの進撃を阻んだので有名な二重防壁がある丘陵から離れたところにあって、わしのぼんくら頭で考えられるゆいいつの理由は「陶土がとりやすかったこと」と「風光明媚だったこと」、くらいだろうか (^^; ヘンなひとたちだったんだなあああー、と思う。 エトルリア人はこの世界の文明の産みの親であるローマ人よりも遙かにすぐれた叡知と政治技術と軍事・土木技術をもっていたというが、他民族よりすぐれた能力をもった民族の常と異なって民族ごと滅亡させれられたわけではなかった。 どうなったかというと、ローマ人といっぱいエッチしているうちにローマ人と区別がつかなくなってしまったので、こんないなくなりかたもエトルリア人ぽいと思う。 途中でDERUTA http://en.wikipedia.org/wiki/Deruta に寄って、磁器を買い呆けた。 リークと芥子の実のソースの「Frange」パスタと豚肉にベーコン巻のランチを食べた。 €29。 それにキャラメルバナナとティラミスのデザートを食べてアスパラガスのスープと仔牛を食べたモニとあわせて€70。 食前のスプマンテとつなぎのちっこいセロリナスープは店のおごりだったが、ふたりでちょうど一万円くらいで、同じくらいの質の食べ物を出す東京のイタリアンレストランの3分の1くらいの値段ではなかろーか。 同じくらいの質の食べ物を出す東京のレストラン、と書いたが、日本のひとに阿って書けば、ということで、ほんとうは日本であんなにおいしいイタリア料理は食べたことがない。画家の友達に教わっていったレストランだが、なんだかもう滅茶苦茶においしいので、ぶっくらこいてしまった。 2 料理が出来上がったので二階の寝室にあがってみると、モニさんは午寝が本格的な睡眠になってしまって、「ガメ、ごめんね、ガメ、ごめんね…(ぐうっ)」と言いながら眠ってしまって起きられないようである(^^;  せっかく渾身の技をこめて(←誇張された表現)つくった料理をひとりで食べても仕方がないので、ほんでわ、わしもチーズ味のBastonciniでもかじって夕ご飯はパスにすべ、と考えて、いまラウンジに座っているところ。 emailを読んでいると、若い人のマネージャーへのemailが転送されて「部屋を見て回って最近の冷蔵庫は冷蔵庫棚よりも高いのがあるので棚をいったん壊して新しく余裕のある高さにしたほうが、結局は質の高い借り手がつくのではないかと考えました」と書いてある。 見積もりをとったら、一個の棚を壊すのに1200ドルかかると言ってきた(^^; 低い棚のままの部屋は110あるので132000ドルの出費になるがいいですか? マネージャーのおばちゃんはぶっくらこいちまうに違いないが、わしは名前も知らない若い人にemailを書いた。 棚を壊すだけのために1200ドルは法外と思う。 第一110軒もあるのに、この会社の見積もりを見ると杓子定規に「会社規定」の費用を書いているだけである。 こういうときには「相見積」を取らないで、Mがよく知っているから前例のデータを使って交渉するといいのさ。 Mは、この頃、若い人には話がしにくいらしいから、ぼくが電話をかけておきます。 … Continue reading

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移動性高気圧

1 大雨のなかをモニとふたりでクルマからスーパーマーケットのなかに駆け込んでゆくだけでも楽しい。 30歳の人間の生活は複雑で、事業(はっはっは、「事業」だって)どころか家の運営にすら複数の人が立ち働いていて、めんどくさいたらありゃしない。 でも生活を巻き戻して簡潔にしてしまう方法はある。 旅にでるのね。 今日は朝ご飯を食べただけだけど、途中においしそうな店がなかったから、イタリア式乾パンとワインだけでいいび。 普段は家のひとびとが代わりにでかけてくれるスーパーマーケットにモニとふたりででかけて、水とワインや、Tonnoの瓶詰め、パスタ(麺もペストリも!)、プロシュートに白アンチョビ、アラビアータソースを買う。 キッチンがあるところに泊まれば料理もする。 せっかく鍛えた料理の腕前を鈍らせないためには大事なことです。 旅行に出る度に人間の暮らしは簡単なほうがいいなあー、と思う。 生活が単純になるとテレビはおろかインターネットもあんまり見なくなるよーだ。 ラツィオからウンブリアへ抜けるイタリアの曲がりくねった山道を雷雨と競争で駆け抜ける。 雷雲に追いつかれて買い物袋を両腕に抱えたままびしょ濡れになったスーパーの駐車場で「バカップル」そのままに笑い転げている。 さっきまでの豪雨がウソのように晴れて、青空が広がったTODIの田舎道で馬を飼っている牧場に行き当たったので白い馬ばかりが5頭駈けているパドックの柵にもたれて、寄ってきた馬と遊ぶ。 ガメは、どうしてどんな馬にも好かれるのだろう?という。 考えてみれば馬だけではなくて犬も猫も。ロバまで! 「あっ、ロバはね、説明できるぞ。 彼らは日本語で話すのさ。 いいよおおおおー!て言う。 いいいいよおおおおおおー!! ロバたちや日本人たちにとってはOKって意味なのさ。知らなかったでしょう?」 モニが、ウソばっかりと言いながら笑いころげている。 ほんとうのことなのに。 どんな動物にも好かれるのは、ぼくがほんとうは人間なんかじゃないからさ。 知ってるかい? 思い出せなくなってるだけで、モニも、もともとはぼくの種族なんだぜ、と冗談を言おうと思ったが、なんとなく言いそびれてしまった。 自分が何であったかを思い出されて、この楽しい地上の生活が終わってしまっては困る。 サイヤ人は辛いのだとゆわれている。 2 午前3時をまわったころ、窓の鎧戸の下を誰かがおおきな声でひとり声を言いながら歩いている。 RIETIの田舎にいるはずなのに日本語です。 はっきり意味が聴き取れないが「どうしてこんなことになったのだ」というようなこを言っているように聞こえる。 半睡半醒の間が睡眠に傾いているあいだは、それは軽井沢の「山の家」で、鎧戸の向こうなのに青い月の光が見えている庭だった。 だんだん目が覚めてくると、RIETIのオリーブ畑に囲まれた(元はワインセラーだった)一軒家を改造した宿屋の寝室にいるのが明瞭になってくるが、それでも同じ声は歴として窓の下に聞こえている。 でも抑揚だけを聞くと日本語に聞こえるその「鳴き声」は日本語としては意味をなしていなくて、なにかの獣の鳴き声のようである。 見当がつかない生き物の声を訝ってベッドに起き直っていたら到頭モニも目をさましてしもうた。 「イノシシかな?」と言うと、モニはさっさと起きていって窓を開けて身体を乗り出して懐中電灯で音がする方を照らしていたかと思ったら鎧戸と窓をしめてベッドのシーツのあいだにもぐりこんでしまった。 なんだった? と訊いても返事をしてくれません。 シーツを無理矢理ひっぺがして、「ねえ、なんだったの?」と訊くと、 … Continue reading

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RIETI

オリーブオイルは凝りだすとキリがない。 スーパーマーケットの棚に並んでいるオリーブオイルたちは固より本来の賞味期限をすぎた「死んだオリーブオイル」たちで問題にならない。 たしか日本にも量り売りでオリーブオイルを売るヨーロッパのチェーンの支店があったと思うが、ああいうものは序の口で病膏肓に至るとイタリアの農家から農家へ、天にも昇る、というかあの微妙な甘みとかるみのあるうまみを求めて徘徊すること、うまいワインを求めてフランスのヴィンヤードからヴィンヤードを徘徊するひとびとと軌を一にしている。 リエティはイタリアのなかでもうまいオリーブオイルがあるので有名な土地柄でオリーブオイルを買うのに寄った。 アッシジの聖フランシスというが聖フランシスは(わしの記憶が間違っていなければ)アッシジよりもリエティの田舎に住んでいた時期のほうが説教をぶって歩いた回数が多いはずである。 日本で言えば佐久市というか、イタリアのおへそにあたる真ん中にある町で海からも遠い内陸の町である。 わしはヨーロッパの田舎を旅行してあるくときは、めんどくさいので予約したりしない。 食事の準備とかいろいろあるので、ほんとうはそういう態度の悪い旅行者は困るが、「食事の準備がなければ食事はなくてもいいよん」と述べて、目で見てよさそうなところに泊まる。イタリアにもagritourismoなどと名前がついて、田舎のあちこちに膨大な数の宿屋があるが、中世からあるボローイホテルでもベッド&ブレックファストでもよろしい、要は農家でもなんでも泊まるところはたくさんあるので、少し早めに、というのはイタリア人は午後8時くらいから夕食であるという考えが強いので、午後6時くらいまでには訪ねていって、今日、泊まるところがありますか?と訊いて歩く。 辛いトマトソースと苦いオリブの実がはいったTagliatelleとオリーブオイルがいっぱいかかったチキンの無茶苦茶うまい夕飯を食べていたら、3人連れのアメリカ人の女びとたちがはいってきた。 ボスニアに住んでいる。 クルマでローマへ行く途中である。 このふたりはマイアミから来た。 わたしはボスニアに4年間住んでいる。 この世界にボスニアほど美しい町並みのある国はないから行ってみるのはいい考えだと思う。 町はとても安全で、夜中に女ひとりで歩いても少しも危なくない。 だんだん話していると、どうやらアメリカ軍で軍役についてから大学に行って語学を勉強した3人組のようで、ひとりはアラビア語、他のふたりは東欧諸語に堪能であるようだった。 フレミシュの音楽家のカップルもいて、フランス語やイタリア語、英語に流暢なのはいいが、モニにはフランス語、わしには英語、カップルのふたりのあいだではフレミシュ、イタリア人たちとはイタリア語で話すので忙しくて、モニさんはフレミシュ人に対する偏見を隠すのに苦労しているのが横でみていてわかって、くっくっくっ、な感じがした。 海外で会う、少人数で旅行しているアメリカ人たちは、わしの偏見に反して、たいていちゃんとしている。 欧州人に較べても、なんというかおとなであって、態度がきちんとしている。 オバマが国をふたつに割ってしまった。 こういうことはアメリカの歴史を通じてかつてないことだった。 アメリカではルイジアナが最も住みやすいと思う。 フロリダから州境を越えると、まるで別の世界でいつでもほっとする。 やわらかいクレオールの響きのように、人間性も柔らかくて、なめらかであたたかい。 話しているあいだじゅう背筋がぴんと伸びている感じがする。 話し方がすっきりしていて、無駄がなくて、知性的である。 dignityという言葉を思い出す。 部屋に戻って日本語インターネットをのぞいてみたら、アメリカの沖縄駐留軍を異常性欲者集団扱いしてアメリカ人たちを激怒させた大阪市長が今度は「他国の女性の人権も守るような発信をやっていく」と述べたそうで読んでいるほうはごく自然に頼まれもしないのに八紘一宇を唱道して「白人の鬼畜ぶり」に対して「アジア人の代表として人種差別と戦う」ために中国に上陸して南京や上海で「正義の戦い」を戦った過去の日本人の聖戦士ぶりを思い出してしまう。 日本人ほど外国に対して正義の民族としての義務をはたすことに熱心な民族はいないと思うが、なぜそれほど他国人を正義に導くのに熱心なのか見ているほうは単純に不思議の感に打たれてしまう。 ここにくる途中の村にも日本の人がいて、イタリア半島におけるローマ人の先住者であるエトルリア人の研究をしているドイツ人の旦那さんと一緒に地域になじんで生活している様子だった。 イタリアと日本は相性が良い国同士であるようで日本の人が大都市でないところにもたくさん住んでいるという。 都市はどんな国でも外国人にも住みやすいが田舎となると国との相性と文化程度が拮抗するのでないとなかなか住めるものではない。 日本という国に対しての知識はあまりなくても、イタリア人たちは地域地域に溶け込んで生活している日本人たちを観察して日本人たちの文明の高さを知っている。 ところがほとんどニューズにはならないといっても、折に触れて報道される日本の外国に対する態度は居丈高というか傲慢をきわめるというかで、これが隣人として一緒に暮らしている日本のひとたちが出身した国と同じ国なのだろうかと訝る気持ちになる。 日本語の体系と深く結びついて日本の社会には強烈なゼノフォビアが絡みついている。それはほとんど日本語で考えているかぎり脱出できないほどの深刻さであるようにみえることがある。 日本の社会はもっと日本人個人ひとりひとりをそっとしておいてやるわけにはいかないだろうか。 奇妙なことを言う、とおもうだろうが、これまでインターネットを通して眺めてきたかぎりでは個と個の対話ではふつうにしていられる日本のひとたちが「公」を意識し「社会」を意識した発言を始めた途端に、まるで発狂したような、日本以外の社会では到底まともな人間の発言とは考えてもらえない「意見」を述べだすのを見てきた。 いまの状態の日本社会に向かって言っても誰にも聞く耳がないのを承知の上で書くと、「橋下大阪市長の慰安婦発言はとんでもないがアメリカ軍の性犯罪が多いのは事実なので、それを指摘していくことは大事なことだ」「殺し合いを目的とする軍隊の構成員なのだからなんらかのはけ口を与えなければ兵士が強姦を働くのは当然」というような意見はもっともらしく聞こえるのかも知れないが、実際には空想的なくらい無責任を極める意見であると思う。 ツイッタで 「この橋下市長という人の滑稽な点はアメリカ人たちに「性的サービスを買う」ことを奨めることによって「妻子を裏切れ」と唆したのだという最も重要な点をいまだに理解していないことであると思う。それが判らないままジタバタするので日本の外ではだんだん話題として大きくなり規模も拡大しつつある」と書いたら、 … Continue reading

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裸の王様

1 福島第一事故の後で日本人を最もがっかりさせたのは学者と知識人だった。 当時の枝野官房長官をはじめとした政治家の対応も(外国人の目から見れば)酷いもので、2chやはてなのようなインターネットコミュニティはわざわざ「さん」づけをして、いつもの悪態や嫌味に満ちた態度とはえらい違いだったが、インターネット以外の(というのはインターネットをめんどくさがって使わないタイプのおじさんたち)コミュニティでは初めから「詐欺師みたいなことを言う奴だな」という反応だったのをおぼえている。 ぼくは「トーダイおじさん」のひとりが枝野長官が寝不足の目をしばたたせながら目の下に隈をつくって談話を述べているときに「日本もここまで落ちたか」と予測しなかった厳しい口調で政府の「猿芝居」を罵倒するようなeメールを送ってきたのが不思議だったので、その好対照に驚いたりしていた。 外から見ていて、自分の専門ですらない放射線の害について恐れるひとびとの知識のなさをあげつらって「危ないわけがない」と冷笑する日本人「科学者」たちの尊大な姿の滑稽さは極めて日本的な光景に見えたが、そのために逃げ損なった被災地のひとびと、取り分け子供達のことを考えれば、日本の社会の途方もない非人間性がうかがわれて、「大学教師」とさえ名前がついていれば物理学教師の説く痔の直し方でさえありがたがって拝聴しそうな「試験に勝ったものがえらい」社会の後進性を笑ってばかりいるわけにはいかない。 時間が経っていくにつれて、日本のひとびとにも何が起こったかが明らかになって、「放射能などはたいしたことはない」と言い募った学者達の大半は自分達を「学者階級」とでも呼べそうな架空の「他人よりも頭がよい階級人」と思いなして、三々五々、適当なことを言い散らしていただけなのが判ってきた。 いくら権威に弱くても、考えてみれば、船乗りに飛行機の飛ばし方を聞くマヌケはいない。 漁師にクマの撃ち方を訊いていた、というか、ただ「大学で教えている」というだけのことをありがたがって、彼らの言説をいちいち科学的な発言だと信じ込んでいた自分達の錯覚に気付いたのは最近のことでした。 この頃になってインターネットのあちこちにtumblr などの「認識共有サイト」を通して「今度のことで学者という人種がいかに頭が悪くて人間的に低劣な人間が多いかよくわかった」と書かれているが、実は、これは戦後初めての発見ではなくて二度目です。 2 東京大学安田講堂の攻防戦をクライマックスとする全共闘運動は、集結した機動隊員の上にガソリンを撒いてから火をつけたり、重さ十二キロの舗道の縁石を落としたり(この結果石敷きだった東京の舗道から平石が消えてアスファルトに変わった)、硫酸や塩酸の瓶を機動隊員の顔めがけて投げつけたりで、60年安保反対運動時と打って変わった学生側の戦術の暴力化で有名になった。 簡単に説明すると国際コミンフォルムの指令を受け入れた日本共産党と朝鮮総連が1950年の朝鮮戦争に呼応して「火炎瓶闘争」を繰り広げ破壊活動防止法違反の指定を受ける(いまも指定団体のはず)と、1955年には日本共産党は路線を修正して平和革命路線をとる。 その結果、この平和革命路線を「日和見主義」と非難する暴力革命路線の反代々木系と代々木系に全学連は分裂する。 「代々木」はなぜかというと、ここに日本共産党の本部があるからです。 代々木系・反代々木系を問わず想定した最終決戦は1970年6月23日の「日米安保改定」阻止のための決戦で、1967年10月8日の「第一次羽田闘争」を皮切りに1970年6月23日に日米安保条約が自動延長されてしまうまでが戦後日本の動乱の時代だった。 いま沖縄の問題を云々するひとたちの議論がなんだか奇妙な甘えた子供のようになって「安保で国は守ってもらいたいが沖縄の米軍という名の強姦集団はいなくなってもらいたい」というようなアメリカ人達が聞いたら恥辱で顔を真っ青にするようなことを平然と言うのは、一に沖縄はすなわち日本であるということを忘れて他者化して話すことの無責任さに気が付いておらず、二には当時の広汎な数の日本人がもっていた「安保は廃棄すべきだ」という決意がなんだかおとぎ話じみたものに感じられるようになったせいでしょう。 図式は「安保反対闘争」だったが、見ていて面白いのは実際に学生達が憤激していたのは、この頃から大量に学生をうけいれるようになって「大衆化」の道を歩き出していた大学の腐敗で、「反対闘争」の標的は、あるいはこのころから凄まじい勢いであがりだした授業料であり、無給医制度、大学経営陣の運営金の着服、といった学内の身近な問題で、情緒的には眼前の具体的な学内問題のほうが本来の「政治目標」である「70年安保闘争」よりも重要であったように見えることで、無理もない、というか、かえってそれゆえに一般学生の支持もあったのだろーなあーと想像されることです。 900日を越える学生運動のあいだに警察側と全共闘学生側の両方から失望され軽蔑された存在が大学教師たちだった。 日本の研究者・学者達の人格の低劣さは大学を占拠してバリケードをつくって立てこもっていた学生側と、そのバリケードを破壊して死者・負傷者を出しながら、なぜか最後まで銃器を使わずに放水と微弱(CN)催涙ガス、大楯と警棒に頼っていっせい検挙をめざした警察側双方の無数の証言がある。 ついこのあいだまで防犯パトロールの警官が構内に立ち入っただけで「学園の自治を冒すものだ」と述べていた同じ大学人が自分達が学生に胸ぐらをつかまれる事態になると掌を返したように「この度警視庁のきついお達しにより、大学構内は立ち入り禁止とします」という看板を構内に立てて「警察側の」抗議によって看板を撤去せざるをえなくなったり、安田講堂ではカメラを持ってぞろぞろと集まり学生が巨大な体格の機動隊員に組み敷かれて血を流しながら連行されるのをみて拍手喝采して写真に撮り、あまつさえ「やっちまえ」「ざまーみろ」というような野次をとばして機動隊員たちの顰蹙を買ったりした。 上智大学では機動隊に両側から腕を取られた女の学生を後ろから蹴った大学教師兼業神父もいたそうで、機動隊員もびっくりしていたそうだが、目撃した一般学生のひとりであったおばちゃんは「わたし、あれでカトリックやめたんだもの」と教えてくれた。 173時間に渡ってただひとり学生達に軟禁されながら学生達のやっていることを民主主義のルールから外れ、礼儀にも悖ることだとして一歩も譲らず、逆に全共闘学生達から尊敬をうけ、警察が苦労して隠密裡に手渡した救出手順をしるした秘密のメモに「わたしの救出は必要ない。ただいま学生達を教育中」と返事を書いて警察人を感動させた林健太郎文学部教授をほとんどゆいいつの例外として、あるいは権力にこびへつらい、あるいは「大学を出ていない機動隊員」が大学構内にはいることに不快を示して、ある種の大学人はおもうぞんぶんアカデミックの世界に生きる人間の低劣な本性をさらけだして日本国中の軽蔑をかったものだった。 書き連ねても気分が悪くような醜態ばかりなので、ここではこの辺でやめておくがインターネット上に情報が少なく忘れ去られているだけでいろいろな形で活字にも残っていることなので「出典キボンヌ病」のひとたちも、一般の人間にアクセス可能な資料ばかりなのだから、怠け者の夜郎自大を捨てて、自分の力で本にあたってみれば、警察側と学生側の両方から炙り出しのように当時の「学者」たちの目を覆うばかりの人格崩壊者ぶりを目の当たりに出来ると思う。 3 福島第一原子力発電所事故後のひとりひとりの科学者の名を挙げて、その発言と行動の欺瞞ぶりを述べることも出来るが、いまの状態では、それは英語のような言語に譲った方が実効的であると思うので、ここでは述べない。 この短いブログ記事の目的は、学者たちが人間としてすぐれているわけではない、どちらかと言えば、蓋をあけてみれば、一般の水準よりも遙かに低劣な性格の人間のほうが多かったという単純な事実が学生紛争終熄後にはあっという間に忘れられてしまって、また「学者」たちが社会の人間の忘却に乗じて、またしても自分の専門とはほぼ無関係に「社会知の代表」としてふるまいだしたことのくだらなさについて話しておきたかっただけであると思う。 ある社会が信頼性をもった民主主義社会であるためには自分が「この人の言う事は信用できる」と考えた人間の言う事を妄信して、ぞろぞろ後ろをついて歩くのではなくて、自分の頭でものが考えられなければならない。 ここで重要なのは事象ごとに個人が十全な知識と情報をもっていることなどは有り得ないので「歴然として正しい」ことが何もない状態で自分なりの決定をくだし判断を下していくという難しい知的な作業を個々人に可能にしてゆく社会が個人を助けるものとして存在しなければいけないということだと思う。 放射性物質が安全だと説く情報統計学者の話に「相手が学者である」というダジャレに近い理由でとびついて、安全だと自分を言いくるめてしまうのではシャーマンの託宣を絶対のものとして、それを肯んじない部族の構成員を槍で殺しに出かける未開な人間たちと寸毫も変わらない。 日本の社会は歴とした国会議員が難訓の漢字を書いたカードボードを掲げて首相に「この字が読めるか」とマジメな顔で嵩にかかって質問するほどの些末知識偏重社会だが、ろくに英語の綴りが書けなかったジャクソン大統領が面白い奴だということになって、いまだに歴代のなかで人気のある大統領であるアメリカと自分の国を較べて、どちらがより健全な民主主義国家に近いかを考えてみることはよい事であると思う。 社会が成熟を迎えていれば権威の意匠を身にまとってもったいぶって物事を述べる人間は、その「お前達には判らないだろう」という尊大な態度の滑稽さによって「一般大衆」の哄笑の対象になるか、少なくとも警戒の対象にならなければならないはずだが、民主主義が根付かない社会では、逆に、自分を権威と仮想的に同一化して意匠でもよいから権威に連なろうとする人間が大量に出現する。 富国強兵の必要から上意下達の形に社会を歪めていけば社会はごく自然にそういう形になる。 その結果出現する社会は少数の「社会の意思の企画者」たちの思惑がそのまま社会全体の意志となる極めて脆弱な社会で、現代史上のドイツや日本、あるいはシンガポールや中国のような全体主義国家が民主主義国家よりも遙かに素晴らしい速い速度で成長するのも、前二者、ドイツと日本が破滅に向かって進み出したときに呆気なく加速がつくようにして徹底的な破滅にまで至ったのも、等しく同じ理由によっている。 前にも述べたことがあるが大学人などは学問という阿片に中毒した阿片窟の住人と言えばいいか、人間の能力のうち思考力という最も生産性が低くバランスを欠いた能力に自分の全存在を特化させた(言葉がひどいが)畸形的人格であると言えばいいのか、要するに研究者として優秀であればあるほど「社会一般に知性の代表として蒙を啓く」には最も向かないひとびとの集まりで、なかには学長という管理職になった者もいるが、殆どは研究者として配偶者に三行半をつきつけられたり学問に熱中したあまり家族生活を顧みずに娘に愛想をつかされて口を利いてもらえなくなったりしている「学者」が家系にぞろぞろ存在する人間が言う事なのだから聞いてもらわねば困る。 言葉を変えて言えば学者が述べることは自分の学問領域について専門学問の方法を直截に適用する場合のみ正確である可能性をもつので、学問上の方法から一歩でも離れれば、(あたりまえだが)学者の意見でもなんでもなくて、その辺にいるアマチュア学者よりも自分の知力への自負が強い分だけ妄信も激しく頑迷で、通常は有害である。 大学紛争の時代は学者にとっても社会にとっても「学問に秀でた者が社会的判断においても秀でている」という合理性のない考えに囚われていたことによって双方に不幸な結果をもたらした。 日本の大学群が荒廃するおおきな歴史的理由のひとつをつくってしまった。 いまも専門外の科学分野について得々と述べている「研究者」は日本にはたくさん存在して、見ていて傷ましい感じがするが、おおかたのひとが、どうやら目の前でしたり顔で「正しい科学的知見」を述べているおやじはいい気になっているだけで何もほんとうには知らないことを、ただ「大学教員」というこれまでの人生でならば「おや、頭がいいんですねえ」という素朴な反応で暖かく迎えられたタクシーの後部座席や定食屋のカウンタ越しに受け取った感触だけをよすがに、ほんとうは身につけていない煌びやかな知の衣装が見えないと曰うおまえはバカなのだと述べているにすぎないことに気が付きだしたことは良いことであると考える。 しかし裸であった王様の衣装を見えるふりをした頃の自分の惨めさを忘れてしまってはまた元の黙阿弥になる。 … Continue reading

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空飛ぶ会社たち

「180度にはなりませんが178度くらいまでにはなります」というので笑ってしまった。 ニュージーランドから欧州まではどういうルートを通ってもだいたい24時間かかる。 現行の旅客機でもっとも長距離を一気に飛行するのはシンガポールからニューヨークまで20時間弱をとぶ燃料タンクを特別に増設したA380であるはずで、これから考えてわかるとおり、どうやって飛んでも1回どこかで乗り換えなければならない。 むかしはどうしていたかというと成田かシンガポールで乗り換えていた。 成田で乗り換えれば鎌倉ばーちゃんの家に寄っていく楽しみがあったし、シンガポール政府は「ストップオーバー観光事業」にむかしから熱心で、たしか11泊までだと思ったが欧州からシンガポールに寄って周辺国に乗り継いでいくひとに、街の主だったホテルと空港をむすぶただのシャトルを運行して、その上ホテルの料金を半額以下にしている。 この政府が補助金を出して行っている観光事業は大成功で、シンガポールのようにもともと日本のような国に較べれば観光資源に極端に乏しい国が観光大国になっていったのは、このシンガポール政府が推し進めた「ストップオーバー・プラン」のせいだと思う。 いつごろからやっているのか知らないが、わしが物心ついたころはもうやっていたから、90年代の初頭からは確実にやっていたことになる。 他にはエミレットでドバイ経由で往復する、というのも人気があって、エミレットはシンガポール航空と並んで飛行機が新しいので有名な上に自社のラウンジが豪華なので名前が売れている。 ビジネスクラス以上だとエミレットのクルマが家まで迎えに来てくれるので、時間を心配していらいらしながら空港タクシーを待たなくてもよい、という点でも人気がある。 欧州へは距離が遠いニュージーランドからドバイまでがビジネスクラスでドバイから欧州各国まではエコノミークラスという「混合クラス」のパッケージがあったりしてマーケティングが柔軟なのも、この会社の特徴であると思う。 他に香港経由のキャセイ航空や、台北経由の中華航空、韓国を経由する大韓航空というのもあるが、羽田から台北までの短い距離を乗った中華航空の他は自分でも乗ったことがないし友達にも乗ったことがある人がないのでわからない。 欧州系のエアバスの操縦系統が動きの軽いジョイスティックだった頃には「アジア系のパイロットは失敗したときにパニックに陥ってスティックをおおきく引いてしまうので危ない」とまことしやかに言われていた。 名古屋で着陸直前に墜落した旅客機の原因はそれだ、副操縦士がパニクってジョイスティックをおおきく引いたので失速したのだと言われていたが、失速墜落は事実でも、話の真贋は判らない。 台湾の中華航空も羽田から出て便利だと言うので子供の頃の日本滞在中に台北のコンピュータショーを観に行ったことがあったが、復路にやたらと英語が上手な日本人の商社社員のおじちゃんが隣に座っていて、「そろそろなんだよねえ」という。 「なにが『そろそろ』なんですか?」と聞くと 「この会社の飛行機は定期的に墜落するんだけど、だいたいまた落ちるころなんだよね」というので閉口したことがある。 なんだか、楽しそうな口調だったのは、いっちょう外国人のガキを脅かしてやれ、というつもりだったのだろう。 しかし、このおっちゃんは羽田でパスポートコントロールの列にならぶときに、 「おい、外国人はそっちの列じゃない」と言いながら、空港セキュリティのじいちゃんが、なにをおもったかわしの肩を突き飛ばしたのを見とがめて、子供に向かってなんてことをするんだ、おまえはそれでも人間か、第一、日本人として恥ずかしいとおもわないのか、と猛烈に抗議してくれた。 いまでも激昂して、制服の、多分元警官かなにかではなかろーか、妙に威張りくさった警備じーさんを大声で叱責していたおっちゃんのカッコイイ姿を思い出す。 航空会社はおもしろいもので、会社の性格もあるが「お国柄」というべきものがあらわれる。 わしはむかしから、どうやら欧州人や日本人に限らず当のアメリカ人自身にもたいそう評判が悪いらしいユナイテッドやデルタというようなアメリカの航空会社の、投げやりというか、「安い給料で、この仕事やってんだから、くだらないことをガタガタ言うんじゃねーよ」スタイルの、どういえばいいか、サンダル履きでやっている感じのアメリカの航空会社の乗務員が好きで、スーパーマーケットの店員というか、やってられんわこんなの、という内心の声がひしひしと聞こえる割には、親切で、海外線で酒ばかり飲んでいたらめんどくさがって、これ残ってるの全部だからみんなまとめて置いていくわ、と述べてウイスキーのミニチュアボトルを大量にくれたり、サンドイッチがファーストクラスの3分の1しかないなあー、エコノミーはわびしいのお、と思っていると、食べたあとでもお腹が空いているのが明然と顔に出ていたのか、ファーストクラスの余ったサンドイッチをもってきてくれたりして、いやしいわしとしては、主に大学生時代に集中したこの種の厚意を忘れるわけにはいかない。 ニュージーランド航空は飛行機に乗り込むといきなりそこはニュージーランドで、北島や南島の訛のニュージーランド英語が飛び交って、ニュージーランド人特有の「無茶苦茶元気」な感じが飛行機のなかに充満している。 ニュージーランド航空の座席は、フルフラットになるシートにはオットマンが付いているが、ひとりで乗っていると、忙しい仕事のあいまに、わし席にやってきてオットマンに腰掛けて、ジムはどこに行ってるんだとか、タマキドライブはジョギングするのに気持ちいいよね、とか、「友達ぽい」という表現がぴったりのリラックスしたサービスの態度で、大好きである。 福島事故があったりして、放射能が怖いのと、乗客がどんどん少なくなるにつれてボーイング777のようなフルフラットシートがある機種は他の中国線やなんかに配置替えになって、どこで飛ばしてたんだこんなの、と言いたくなるような古い767になって、シートもビジネスクラス(ニュージーランド航空はファーストクラスはない便がほとんど)でも、フルフラットシートはおろか、半分くらいしかリクライニングしない「ただのでかいエコノミーシート」で、食事も何もすべて格下げになった上に、聞くところによると、最近では到頭名古屋線と成田線、関西線と成田線が統合されて、名古屋からニュージーランドに向かおうと思っても直行便はなくなって成田までいったんいかなければならないし、成田から乗るといちど関西空港に連れて行かれると言う人もいた。 日本とニュージーランドのあいだは廃線寸前にも思えて、残念な感じがする。 わしは身体がでかいので、というか、縦に長いので、ビンボ学生の頃からいざ飛行機に乗り込むと、エコノミーの航空券でも空いていればビジネスクラスに替わらせてもらって、「ニセビジネス客」に化けおおせることが多かった。 そうでなければ非常口の横にある席で、この席は前がどおおおーんと空いているので、楽である。 いま書いていて思いだしたが、旧型のジャンボジェットは、この席の横にキッチンがあるつくりで、ワゴンをスチュワーデスばーちゃんが押し出した途端に飛行機が300メートル落下したとかで、どおおおーんと落ちて、食べ物のはいったワゴンがジャンプしてとびかかってきたことがあった。 わしは身体がでかい割にリスのように敏捷であるから両足をあげてワゴンを空中で撃退してことなきをえたが、ばーちゃんは、何を思っていたのかいまでも不明で、なんとなく不服そうな顔だった。 あるいはワカモノが自分の生命を犠牲にして食べ物のはいったワゴンを守るどころか、あろうことか、自分が怪我をしないために食べ物を足蹴にしたのが不満だったのかもしれません(^^; 冒頭の「180度にはなりませんが178度くらいまでにはなります」は、タイ航空のひとの自社のシートに対する説明で、欧州にもどるついでにバンコクに用事があるので、寄っていきたいが、そういう要件があるときにたいてい使うシンガポール航空の適当な便がシドニー経由しかなくて、すると、オークランド→シドニー→シンガポール→バンコク→シンガポール→ローマというチョーややこしい乗り換えになる上に、航空料金が高くてケチをもって南海になりひびくわしの神経に障る、シンガポール航空はファーストクラスとビジネスクラスを厳重に区別する航空会社のひとつで、いつも黙ってにこにこしてビジネスクラスに文句をいわずに乗ってくれているとは言っても、子供の時からチャーターで借り上げたジェット機かファーストクラスしか乗ったことがないモニさんに気の毒な感じがする上に、このあいだあったときのようにモニかーちゃんに「モニもあなたと結婚してからは世間のことに詳しくなったようだ」とこわいことを言われた直後でもあって、そうするとファーストクラスが存在しないオークランド・シドニー間以外はファーストクラスになるが、今回の旅行ではコモ湖で他のひとびとと合流するまでモニとわしと小さい人と小さい人の面倒を見てくれる人の最小編成の旅行だとは言っても、ぐわあああああああな出費で、調べてみるとタイ航空ならローマに着いてミラノから帰ってこられるうえにシンガポール航空に較べて全然安いので、タイ航空でくることにした。 タイ航空は前に2回乗ったことがあって、一度はたしか東京遠征中に成田からチェンマイに行き、もう一度はたしかシンガポールからのサイドトリップでプーケに行ったのだと思う。 予約するときにカレーが選べるのでマサマンカレーにしたら美味かった、というのがいつもいやしいわしの第一印象で、あと、タイの人の国民性で、「ものが頼みやすい」というか、こっちで「頼みたいなあ」と思った瞬間にはもう気配を察して横に立っているというお庭番のごとき鋭い察知能力で、こんなに女のひとびとが他人の気配を察するのに長けているとタイ人の男はみな、すべからくダメダメダメなのではあるまいか、そうゆえば年長の友人である古茶(@kochasaeng)の奥さんはタイの上流社会出身だったなああ、そーか、ふふふ、と余計なことを考えてしまう。 欠点は出発が遅れることだが、わしはなにしろおぼえているだけで4回飛行機がわしを置いていってしまうという航空会社の暴戻に遭遇しているので、30分や40分の遅れなどかえって好都合である。 第一、パキスタン人のHの帰省の話を聴いていたら、パキスタン航空などは「四日遅れる」と言って、たいした遅れじゃないけど、ちょっと遅れすぎるよなあ、と嘆いていたが30分程度遅れるくらいは誤差の範囲というべきか、どうでもいいことである。 他に欠点と言えばラウンジがボロイ(タイ航空の人ごめんなさい)ことと機内のワインの種類がとっても少ない、備え付けのヘッドフォンがノイズキャンセリングでない、というようなマイナーなことばかりで、再び言うとタイの人の国民性で、快適だったのを思い出してタイ航空でくることにした。 航空会社は競争が厳しいのでさまざまな工夫を凝らして、わしガキの頃に較べると飛躍的にサービスが向上した業界と思う。 ヴァージンなどは航空業界に、おおげさに言えば革命をもたらしたので、本人がブリストル405を好んで運転するブランソンのセンスを発揮して、というのは冗談だが、機体などは思い切り古い中古機体にして、その代わり、食事やサービスにたくさんカネをかけることにした。 わしが大好きな、LEDリーディングライトがあり座席がフルフラットになって眠るときには半個室のようになるチョー賢いデザインのニュージーランド航空のシートは、もともとはヴァージンがデザインしたものである。 … Continue reading

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でかけるまえに

人間の一生などは運であると思う。 そう言うと年長の友人たちは「ガメはヘンな奴だ。人間には2種類しかいない。 愚か者と賢明な人間だ。人間の一生には『運』などというものはない。他人よりも優れた人間が勝ち残るというだけのことではないか」という。 こういうおっちゃんたちには、実際、「おれは知恵で勝ったのだ」というだけの実績があって、投資先で予測できなかった戦争が起ころうが、地震があろうが、投資上の巨人たちが動き出して市場が滅茶苦茶になろうが、大混乱のなかから姿を現したときにはちゃんと成果を手にしている。 自分はどうかというと、なんだかいつもテキトーで、大本教の出口なおみたいなことばかり言っていて、自分のために仕事をしてくれるひとたちを戸惑わせたり、混乱させたりする。 自慢すると、わしの仕事上の「武器」は想像力である。 自分には「相手の考えていることが手にとるように判る」という特殊な才能があるようだ、と考えるようになったのは、ある香港人のおっちゃんを相手に仕事上の争闘をしたときだった。 詳しいことは下品だから書かないが、このおっちゃんはたちの悪いひとに首根っこを掴まれていた。 ビジネスや投資の世界ではよくあることで、ビジネスなどはどうしても人間と人間ががやることなので相手の人格が大事になる。 だからチョーひきこもりのガメ・オベールといえど、えっこらせ、と出かけていって相手を観察する。 「多少、人間に問題があっても優秀なんだからいいや」というのは墓穴を掘る早道であって、たいてい思わぬ齟齬が出袋して事業ごと、たか転びに転ぶ。 途中になって「自分の取り分が少ない」とか奇妙なことを言い出したり、利益がおおきいので自分だけで独占したい、と考え出す。 だから人間に問題がありそうな相手とは初めから何もしないのがいちばんいい。 こんなのとやってもしょうがないな、と考えた相手は、そのときは羽振りが良くても、3年くらい経って、「あのひとはどうしてるかなあー」と思って調べると、たいてい、ヘンな人と付き合っている。 ビジネスや投資は面白いもので、時間が経ってゆくと、似たもの同士、というか、狡い人は狡い人同士、人格が低劣な人は低劣な人同士、悪党は悪党同士で、肩を寄せ合うように、ならばいいが、お互いに牙をむきあって、しかし、それでも同じ共同体のなかでキャリアを全うするもののよーである(^^ ところが悪党というものは悪いことをすることにかけては、どこまでも頭がよく回るもので、判りやすい例に翻訳すれば、人柄がよく、仕事が出来て、実際ある程度まではうまくいって「業界」での信用を獲得した社長たちを借金でくびがまわらないようにさせて、このひとたちを使う。 なんだか演歌みたい、というか、こういう人格にすぐれた社長たちは「心の中で詫びながら」騙しにかかる人間たちの「看板」になるので、人間の良し悪しの観察などはいくらやっても、なにしろ後ろに立ってるのが悪魔そのもののような人間なので、ムダなのです。 シアワセなひと、というのはどこにでもいて、「それは零細なビジネスの世界をいっているので、一流企業というのはそんなことはありませんよ」などと言ってすましているが、それは、平たく言ってしまえば会社の経営に預からない「あんまし偉くないひと」だから、そういう平和な考えで生活していけるので、世の中の表面に出てきたものを、いま咄嗟に思い浮かべて述べれば、たとえばフォルクスワーゲンがロールスロイスを買収したときには、クルマ業界人は、その隠密裡に交渉をすすめてまとめあげた鮮やかな手並みに喝采をしたものだった。 ところが世の中には不思議なことがあるもので、そのしばらく後に、今度はフォルクスワーゲンと買収競争をして負けたはずのBMWがロールスロイスの買収を発表した。 タネを明かせば、フォルクスワーゲンはロールスロイスの、長い間投資されておらず、古色蒼然、いまでは使い途がなくなっていたロールスロイス社の自動車部門の「実質」を買わされていたので、なんとロールスロイス社は自動車部門の「実質」と名前を分離する、という手品のような契約書をつくって、実質よりは遙かに価値があるロールスロイスのエンブレムや名前はBMWに売っていたのだった。 その後表面を糊塗するために両者は話しあって表面上はなんとなくまともな取引にみえるように事実を改竄することになったが、 言うまでもなくフォルクスワーゲン社は大損害で、体面もなにもない大恥だった。 そのくらいのことはビジネスの世界ではいくらでもある。 投資の世界になると、当然というか、お話はもっとすごくなって、30階建てのビルの売買契約書をよく読むとリフト(エレベータ)の使用権が別売りになっている(^^; ビルを取り巻いているプロムナードの使用権が他の投資会社に売られている。 終いにはビルの高さが実測値と異なったりする。 なんだか子供のだましあいのようだが、子供のだましあいはチョコレートがかかっているのに過ぎないが、いいとしこいた子供のだましあいのほうは、数十億円、数百億円がかかっているので、滑稽は滑稽でも、だまされて笑ってすます、というわけにはいかない点が異なる。 相手になりきって「こういうときに、あの手の悪党のおっちゃんなら何を考えて、どういう手を打ってくるだろうか」と考えてみれば、しかし、そこが悪党というもののマヌケなところで、欲に駆られているぶんだけやることが見え透いているので、次にやってくると判っている路地に立って、「そんなことを考えてもムダだよ」と伝えてやることが出来る。 どんなに相手が知恵をしぼっても、先回りして相手がやってくるところに立っていられるのは当たり前で、冷菜凍死家の才能とはそういうものである。 せめて、そのくらい才能がないと、やっていても面白くないし、第一オカネがなくなって破滅してしまうが、しかし、そんなことも些事にすぎないには違いなくて、人間の一生を全体として眺めれば、やはり運なのではないかと思う。 自分が結婚した相手で、いつも側にいるのに、こういうことを言うのはヘンな人だが、モニさんはこれを書いている言語をまったく読めないので、なんとなく言ってしまっても良いことにすると、モニのようにものすごい美人に生まれてしまうと、それだけで普通の一生とはだいぶん異なってしまうのではなかろうか。 モニと結婚して面白かったのは、みなが見ていないふりをしながらちらちらこちらを見ていることが多かったことで、なんだか無暗にでかくて、ぬぼおー、として間の抜けたにーちゃんを見ても面白いわけはないから、やはり皆がモニを盗みみているのである。 はなはだしきに至っては、キッチンのできあがった料理をならべるカウンタから、こっそりレストランのシェフがカメラでモニの写真を撮っている。 気が付いて、「ぶ」という顔をして睨むマネをすると、バツが悪そうににっこり笑って手をふっている。 パーティで不用意にモニにあったひとは、いいとしこいて、声が上ずってしまって、大慌てで自分が有名な大学の教授であることを述べて、奥さんを紹介するのもすっかりぶち忘れて、紹介すらされないまま横に立っている奥さんに、すごい顔でにらまれているのに、まったく気がつきもしないで、自分の知性と社会的地位の宣伝を「それとなく」していたりする。 横で見ていて美人に生まれるというのは、なんというくたびれることだろう、と考えるが、本人はなれたもので、ふつうにしている。 美人ばかりがちやほやされて不公平といえば不公平だが、しかし、世の中というものは不公平なものなのである。 木に触りながら言うと、わしは生まれてからずっと運がよかった。 それを認めなければ神様とゆえどぶちむくれて、「きみはヨブの話を聞いたことがある?」とか怖いことを言い出しそうなので、慌てて神様にお礼を述べておく。 難病や大病を患ったひとは、一般に「自分にどこか悪いところがあったから病気になったのだ」と考える。 … Continue reading

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沃野としての世界_1

1 10年前、妙に縦にながくて、コロンバスサークルの、いまはAOLビルが立っている側に立って、のおんびり道行く人を眺めている、深い緑色のポークパイハットをかぶった、顎髭のある、縦縞のシャツを着た、足が細くて二の腕が奇妙なつりあいで太い、肩がおおきな、胸が厚い、全体にバランスが悪いような、昼間からアルコール入りの、従ってときどき左右に揺れている、酔っ払っているときには普段かくしている強いイギリス式アクセントまるだしの英語を話す、見るからに世界の役に立たなさそうな青年をきみが見たとしたら、それはぼくである。 いままでは、いろいろにごまかしてきたが、あんまり長い間日本語ブログを書いているので、ときどきぺろっと話してしまったりして、もう隠しても仕方がないのでばらしてしまうと、ぼくは富裕な家に生まれた。 のみならず、ぼくが生まれた社会はヘンな社会で、人間をムーディーズみたいに格付けするが、生まれによって決まる、そのベラボーな格付けも、いっちゃん上のほうだった。 日本のひとは不思議な種族で、こういうと必ず、「脳内お花畑」とか「設定ではセレブ」と言って、現実は逆だろう、と想像する習慣をもつが、それはそれで、アメリカ人たちのようにフェースブックの世界ではみんなが幸福で充足した笑みを浮かべている文字通りのお花畑もあれば、日本のインターネット世界のように「他人が幸福で恵まれているわけはない」という必勝の信念に燃えている人で充満している世界もあるわけで、あまり関係もない社会の知らない人がどう思おうが、ぼくは一向に構わない。 めんどくさいので怒ったふりをすることはあっても、実際のところ、へえ、と思って、変わってんだな、と考えるだけだしね。 気持ちが、うまく言えないけど。 人間の一生が競争であるという意見には賛成しないが、競走みたいな面もなくはないとすると、みなが100メートルの競走に臨もうとするのに、ぼくはゴールのわずか5メートル手前から走り出したようなもので、その点では運が良かったと思っている。 ラスベガスで一文無しになって、赤い砂漠の岩の上に寝転がって、明日からどうするんだ、と焦慮したり、メキシコでカネを使い果たして、海辺の国道で行き倒れになって、しまいには妹が欧州から病院に駆けつけなければならなくなったりして、なんだかいつもどーしよーもないバカモノであったが、ちょービンボなときも、それが(ほんとうは真剣に困窮すれば両親や祖父母たちが放っておかない、というような意味において)真のビンボでないのはわかっていたし、かーちゃんととーちゃんはと言えば、むかしから周りの人が呆れかえるような溺愛ぶりだったので、そもそも子供のときから「将来を心配する」という感覚に欠けていたのではないかと思う。 イギリスという国は、ある条件下では教育制度がええ加減を極めている、というか、ほんとうに近代国家なのか、というようなところがある国で、それをいいことに、ぼくは子供時代の自由を楽しんだ。 いつも時間が豊富にあって、ありとあらゆることをやって遊んだ。妹をぐるにして遊びたかったが、小市民的というか、妹はマジメで、学校ばかり行くので、良い友達にはなれなかった。 わからないことはHALのようになんでも理解している家庭教師のおっちゃんに聞けば、たいてい用が足りた。 2 世界と和解しようと決心した人間がいるとして、和解の手がかりはなんだろうか、とよく考える。 むかしなら「神」というものがあった。 神は定義上言語の外にあるので、こういうときには便利だと思う。 神について考えているあいだだけは論理に縛られなくてもよい。 情緒に溺れるなり、論理の呪いを逃れて徹底的に放縦なふるまいを許された直感の快楽に身をまかせるなり、なにをやっても「自分の内なる言葉」に咎められることはない。 ところが21世紀になってから科学の訓練を受けた人間にとっては、率直に言って「神」を仮定としてうけいれるのはたいへんな困難が伴う。 科学に対しても神に対しても浅い知識しかもたない(それでいいわけだが)人は「科学的事実は神の手のひらの上にある真理にしかすぎない」というが、それはどちらかというと数学をさして「電卓のほうが便利だ」と述べているのと同じで、どう答えればいいか、返答につまる体(てい)の考えであると思う。 たとえば「宇宙の起源」にしても、宇宙の始まりを説明するのに若干の細部に神を仮定しなければならなかった時代を通り越して、神を仮定すると説明が返って複雑になるところまで来てしまった。 言語が触れることができない「絶対」としての神ですら「困難な仮定」になっているので、伝統的なイメージの意匠をまとった神は、というのはたとえばキリスト教の神は、噴飯物、と言っては酷すぎるが、人間とあの程度しか知能に差がない知性が宇宙をつかさどっているのでは、明日の宇宙の存続が危ぶまれる、というようないけないことを考えてしまう。 ムスリムは盛期を迎えているし、仏教はルネッサンス期が近いようにみえるが、それはまた別の記事にゆずるとして、神様自体はいろいろな点で魅力のない仮説になってしまっているようにみえる。 3 長いあいだ英語人をやっていると「英語世界」の軽薄さにうんざりしてしまうことがある。なんというか、底が浅いというか、聖書と不動産契約書の区別がつかないような文明全体のタッキー(tacky)さに嫌気がさしてくる。 昨日、一緒にツイッタの井戸端で遊んでいたひとたちは一緒に観ていたことになるが、アメリカやイギリスのポップスを聴いたあとで、スペインのポップスを聴くと茫然としてしまう。 スペイン語人たちが見ている世界の「深み」に嫉妬の気持ちが起こって、コンピュータをぶん投げたくなるが、ここでぶん投げると、またマーケティング上手の「ぼく環境問題に関心があるんですよねー」なケーハクセールスマンのようなAppleを不必要に儲けさせることになるので、ぐっと思いとどまって、気を落ち着けてビデオを見直すと、声の出し方といい、身体の動かしかたといい、「細部への情熱」が桁違いなのが見てとれる。 「パッと見」はどうでもいいと思っているのが手にとるように判る。 「あっ、かっこいい」と思っているときに見ている視線の先にあるものが英語人とはまるで異なるところにある。 もうなにしろ30歳のジイジイになってしまったので、年をとっただけなのかも知れないが、結局、文明なんちゅうものはイタリアとスペインと、あとはせいぜいフランスとトルコと、そのくらいにしか存在しないのではないかと思ってタメイキをつくことが多くなった。 レオン http://ja.wikipedia.org/wiki/カスティーリャ・イ・レオン州 の田舎の砂漠のまんなかの食堂で、この世のものとはおもえないくらいおいしいタコのカルパッチョが出てきたのは前にも何度か書いたことがある。 そのときに、なんか食後酒でおいしいものはないかなあーと考えて聞いてみたら、 「これ、この辺でつくるリキュールなんだけど、飲んでみない? おごるよ」 ともってきた黄色のリキュールを飲んだら死ぬほどうまかった。 海から遠く離れた赤い砂が延々と続く砂漠のまんなかでおいしいタコのカルパッチョが出てくるのもヘンだが、都会の喧噪から軽く800キロは離れた町のなかにすらない(何度も繰り返して悪いが)ド砂漠のまんなかで、どうして、こんな洗練された味のリキュールが出てくるのだろう、と考えて頭が混乱した。 大陸南部の欧州の人間にとって、世界と和解するのは簡単なことなのであると思う。 自分が20歳でも60歳でも、事情はあまり変わらない。 どんな場合でも、たとえ自分が80歳でも40歳以下であろうとするアメリカ人とは、そもそも「人間」というものについてもっている思想が異なっている。 … Continue reading

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グローバリズム(1)

1 グローバリズム、はいま世界の半分で進行していることへの下手な命名、あんまりうまく呼べていなくて、そのせいで定義も常に曖昧になってしまう不細工な命名であると思う。 多分、そのうちに違う言葉で呼ばれるようになるだろう。 いまは「ひとが『グローバリズム』という名前で呼ぼうとしている世界的な傾向」のことを、曖昧な習慣にあわせて模糊として「グローバリズム」と呼ぶことにしよう。 グローバライゼイションも慣習によって出来た区別はあまり気にしない。 日本語で「グローバリズム」と言うときにはMundializationへの指向も含むように見えることもあるが、そんなことまで言っていると何が「グローバリズム」なのかさっぱり判らなくなってしまうので、これはまた別に項を立てるべきと思う。 移民に門戸を開くまでは、イギリスなどはまだチョーチョー、チョーx5なくらい退屈な国で、歩いている人間は色が白い奴ばっかし、話す英語のアクセントも(内部バラエティはあっても)同じ、食べるものに至っては普通の収入の人間なら即死するような金額を支払わなければならないレストラン以外は、きみ、これ、水煮したままどっか遊びにいって忘れてたんでしょう?ちゅうようなぐったりして口に含むと舌の上でとろけるような温野菜とか、表層が2ミリの厚さでチャーコールになっているステーキとか、いろいろに冒険的な食べ物を食べることになっていた。 いまでもイギリスには「ステーキは表面のおこげが好きである」という40代以上のおっちゃんがたくさんいるが、それは国全体が白かったころの悲しい食生活の習慣に基づいている、とみなすことが出来る。 アメリカはアメリカで、1982年、初めのうち全然(ただなのに)読んでもらえなかった USA TODAY http://www.usatoday.com/ が発行されるまで日本の読売・朝日のような「大衆向け全国紙」というものは存在しなかった。 大多数のアメリカ人にとっては「満タンのクルマで行ける範囲」が世界であって、ときどき火星に旅行するようにしてニューヨークやサンフランシスコに出かけたりした。 「火星に旅行」がオーバーなら (オーバーだが) お伊勢参り、でもいいです。 英語人の生活は最近までものすごく狭い範囲に限られたものだった。 わしガキの頃、90年代の初めでもまだそうで、その頃の町の様子や、ペンザンスのような町のにぎわいを考えると、なんだか別の国のことを考えているような気がする。 初めてニュージーランドに行ったのは、多分6歳のときなので、1989年だと思うが、 クライストチャーチのカテドラルスクエアの真ん前にある「ミルク・バー」に連れて行ってもらったら、ミルクシェークが錫のカップに入って出てきた(^^; ばーちゃんの話で聞いたことはあっても現物をみるのは初めてなので、おお、すげえ、というか、2万キロを移動するとアインシュタイン効果かなんかでタイムスリップするのかと考えた。 その頃は開店したばかりのマクドナルドがミラベルとリッカートンにあって、兄弟みたいな国のオーストラリア資本をのぞけば、ニュージーランドの外からやってきた会社はマクドナルドくらいのものだった。 あとはせいぜいフォード、ジョンディア、というような会社の製品を製品輸入していただけだったと思います。 日本は対照的に常に世界のものを取り入れようとしてきた国で、上等舶来という言葉さえむかしはあった、西洋の文物は上等だという長い時期を脱して、ちょうど当のその西洋の国国とは逆に、「日本のもののほうがいい」「洋モノはしっくりこない」という思潮が強く出てきたのが1990年代半ばくらいで、「国の門戸を開いていかねば生きていけない」と欧州やオーストレイジアの国々が思い詰めはじめたのとちょうど逆の方向に思い詰めはじめた頃に「グローバリズム」というものが姿を見せ始めたことになる。 あの「ミルク・バー」があった場所は、いまは地震の瓦礫で、背よりも高いネットが張り巡らされて立ち入り禁止になっているが、地震があるまでは「スターバックス」があって、そこによく「グローバリズム反対」の運動家たちがなだれこんだりしていた。 ニュージーランドで、そういう反対運動が頻繁に起こるようになったのは2000年くらいからのことで、それまでは切迫した語彙ではなかった「グローバリズム」が自分の生活に密接に関係があるものとして、多くの場合否定的に語られるようになったのは、そのくらいの頃からだったと思う。 メキシコのクエルナバカという内陸の、メキシコのなかでは裕福な町に行くと、むかしメキシコから休暇に来た大金持ちたちの生活を偲ばせるカシノの跡があって、いまはコスコ(Costco)になっている。 2003年、このコスコが進出するときには、地元のメキシコ人たちは激しく反対して、そのうちの数十人は道路を封鎖するところまでいった。 コスコのすぐそばに経緯をしるした碑(?)が立っている。 http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=20030131&slug=costco31 わしはコスコが出来てしまってからのクエルナバカでぶらぶらして過ごしていたが、地元の人たちのコスコに対する反感は強くて、あんなものがやってきてしまっては、おれはどうやって生きていけばいいんだ、と叩きつけるような口調で述べる食料品店主にであったりした。 グローバリズムがソビエトロシアの崩壊とともに世界を覆い始めたのは、もちろん偶然ではない。 共産主義が強固な幻想として壁の向こう側で君臨していた頃には資本主義側には「やりすぎると必ず共産主義にその「やりすぎ」を衝かれて育てた市場をねこそぎもっていかれてしまう」という恐怖心があった。 ラッキー・ルチアーノが一生の最後の夢を見たバチスタのキューバはサトウキビ畑から姿を現したフィデルの軍隊にカシノからホテル、クラブまで綺麗にもっていかれてしまったし、メキシコも社会主義を標榜してことあるごとに「東側」寄りの発言をする。 ドイツでも日本でも共産主義は正義感の強い若い人間を惹きつけ続けて、日本では自民党政権への失望が少しでも強まると共産党が躍進した。 イタリアでもフランスでもスペインでも、「資本主義の豚」に反撥した国民が共産主義になだれをうって参加してしまう、というのは現実的な脅威だった。 「東欧の自由主義運動を弾圧するために派遣する戦車の燃料が買えない」ところまでソビエトロシア経済がおちぶれて、プラハに真実の春が訪れ、共産主義の理想が姿を変えた全体主義の幻想に他ならないことが白日にさらされると「資本主義の豚」たちのほうは歯止めがなくなってしまった。 流れている「We shall overcome」は同じだが、歌っているのは、今度は資本家たちなのである  (歌詞を考えてみればよい) 共産主義なきあと、資本家たちにとっては「国権主義国家」ほど腹が立つものはない。 資本の論理で見つめる世界は、ちょうど部族の力関係と支配領域をまったく無視してひかれたアフリカ大陸の国境と同じで、市場としてみればひとまとまりに当然なっていなければならない地域に「国境」というくだらない線が引いてあるばっかりに関税を払わねばならないし、第一、仕切りの右と左で世帯収入から何から政治という経済にとっては往々にして邪魔なだけの代物のせいで性格がまったく異なるマーケットになってしまっている。 … Continue reading

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逮捕する

2011年の春に出版されたルーシー・ブラックマン事件についてのすぐれたノンフィクション、「People Who Eat Darkness: The Fate of Lucie Blackman」(Richard Lloyde Parry) http://www.guardian.co.uk/books/2011/feb/27/people-who-eat-darkness-lucie-blackman-review には、ルーシー・ブラックマンの父親が日本の警察を訪れて、警察官たちが働く部屋のなかにコンピュータスクリーンが見あたらないのを見て、「こんな原始的な警察に捜査ができるだろうか?」と不安に陥るところがでてくる。 結局、言を左右にして捜査をさぼり続ける日本の警察に失望した父親は、たまたま日本に来日した、当時の連合王国の首相トニー・ブレアに直接面会して日本の警察に捜査を始めるように圧力をかけてもらうように懇願し、話の内容に呆れかえったブレア首相は、異例どころの話ではないが、日本の森首相に要望を申し入れ、森首相は警察トップを呼んで厳重に捜査を申し渡したもののよーである。 時代劇ならば、ここで警察官僚は恐れ入って大布陣を張って捜査を開始するところだが、現実の日本警察はシブイ役所なので、それでもああだこうだと言ってマジメに仕事をしない。 「お偉いさんには現場はわからん」という反抗心があるのでしょう。 トニー・ブレアは、イギリス本国でも事件がおおきなニュースになってきたのを見て、日本の警察に仕事をしてくれるように懇願するために高官を派遣する。 しまいには顔を真っ赤にして怒る高官を前にしても、シブイというか、プロいというか、日本の警察幹部は、まあ、がんばりますから、という調子で全然仕事をしようとしない。 日本にいたときに最も驚かされたのは警察のありかたで、中国の警察どころかミャンマーの警察よりも、もっと酷いのではないか、と考えることがおおかった。 わかりにくいこともたくさんあった。 「職務質問」というものがあったが、なぜこれで犯罪を防げるのか理解するのが難しかった。 誤解されると困るので慌てて説明する。 街頭で道行く人を見ていて、「長年の経験」から「挙動不審者」を発見して尋問する、というのは群衆にまぎれている犯罪者を発見するには良い方法なのである。 警察官の側に立って想像してみれば、それはほとんど「当たり前」のことに属するだろうと思われる。 あるいは顔をおぼえてさえいる「地元のごろつき」を職務質問して軽く恫喝をくわえるというのは、犯罪で「食っている」箸にも棒にもかからないおっちゃんたちを抑止するには極めて有効であるだろう。 だが職務質問を端緒にして犯罪者を逮捕できるというのは、法治社会ではありえないことである。 なぜ?って、だって職務質問は違法でんねん。 (こう書くと日本のひとは必ず「これこれこういう場合は違法ではないから一概に言い切ることは出来ない」と憤慨の面持ちで言ってくるが、悪い事はいわぬ、そんな「正しさ」は自分の虫かごにでもいれて、帰って寝なさい。おかーさんに添い寝してもらえば、蒸し暑い夜でもよく眠れるであろう) 捜査のどの過程でも違法な手続きがあれば容疑者が無罪になるのは法治社会の常識で、のっけから「あんた悪いことやってんじゃないの?」から始まって、たまたま見つけた犯罪など裁判で有罪になりようがない。 ところが日本では有罪になるものであるらしい。 恫喝も、相手が「悪い人」なら全然OKです。 いや、それはですね、大陸法が法治主義で英米法は法支配で、とかゆわないよーに。 わしは、そういう話をしているのではない。 職務質問で、「ちょっと来い、おまえ」をされた元国家公安委員長のブログ記事 http://www.liberal-shirakawa.net/dissertation/policestate.html を読むと、日本の警察では遵法精神が退廃して「法律なんかどうでもいい」という気分が充満しているのが看てとれる。 警察が法律を守らないのでは悪い皮肉で書かれたSFの社会のようだが、日本ではそれが現実であるらしい。 もう何度も書いたが日本語ではまったく報道されないが日本にいる外国人のあいだではあまねく知れ渡っていた事件に、新宿で、「紀伊國屋書店はどこにあるか?」と道を訊きに交番へはいってきた74歳のアメリカ人観光客に唐突に「ナイフをもっているか?」と尋ねて、アメリカ人じーちゃんが小さなポケットナイフをみせたら、いきなり留置所にぶちこまれた、という(日本にいる外国人のあいだでは)有名な事件があった。 http://www.japantimes.co.jp/community/2009/07/28/voices/pocket-knife-lands-tourist-74-in-lockup-2/#.UYrVM-AoP8s あるいは、こっちは日本社会からは見えないようにするために閉じたコミュニティの内部のフォーラムなので具体的な内容を明かすわけにはいかないが、まだなれない日本で夫が十日間も行方不明になってパニックに陥ったアメリカ人の妻が、大使館に通報し、アメリカ大使館が手をつくして調べたら、夫は日本の警察に拘束されていて、家族との連絡を禁じられている状態であることがわかった、という出来事があった。 … Continue reading

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言葉という「わたし」について_1

英語人が溺れかけているときに「Help me!」と言うが「Assist me!」とは言わない、と前に書いた。 あるいは「朝鮮人帰れ!」という文章を見て、書いた人の意図とは反対に「朝鮮」という漢字の美しさに見とれてしまうことがある。 類語辞典というものがあるが、脳髄は絶えず語彙を比較して、無意識的にも無数にある「類語」から最も適切な単語を選択している。 適切な選択? 選択している主体は、なにが選択しているのだろう? と多少でも頭がまわるひとは疑問に思うに違いない。 そうして考えをめぐらせて、その単語を選択しているのも、また語彙であることを発見してびっくりしてしまうだろう。 このブログでは何度も書いた、エズラ・パウンドの戦後の沈黙のことをよく考える。パウンドはT.S.Eliotが代表作「The Waste Land」を「 IL MIGLIOR FABBRO」という詩人にとっては最高の讃辞とともに捧げたように、きわめて言葉に巧みな詩人だった。 詩において巧みなだけではなく、話す事においても巧みで、どのような種類の会衆でも一瞬で心を奪われたし、どんな女びとでもパウンドが口説くと我を忘れたようになって気が付くとパウンドのベッドの上で裸になっていたという (^^;   ムッソリーニ政権下のイタリアで、ファシズム礼賛の連続ラジオ放送をおこなって、イタリアファシズムがいかに、それまでの退屈で醜悪で偽善に満ちた民主主義に勝るものかを説いた。 そのパウンドは戦後、「あなたはなぜ沈黙したのか?」と問われて、「言葉には伝達の能力などないからだ」と述べている。 あるいはW.H.Audenが「Love each other or perish」という人口に膾炙した表現を新しいアンソロジーから削ってしまった理由を問われて、「人間がお互いに愛し合うなどということはありえないから」と答えている https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/09/love-each-other-or-perish/ パウンドもオーデンも十分に巧みな詩人だったので、言葉の機能のうち「伝達」などは小さい部分にしかすぎない、ということをよく知っていた。 「あなたを愛している」と言って、その言葉だけで言語であらわそうとおもったことが相手に伝わったと思う人は余程鈍感なひとである。 あなたを世界一愛している、とやや修飾をしても、事態はまったく変わらない。 宇宙一、になると逆効果で、そんな100円ショップの棚に並んでいそうな表現をするくらいなら、腕の筋肉がつりそうなくらいおもいきりいっぱいに両腕を伸ばして「こおおおおおおのくらい、愛してる」と述べたほうが、まだ表現としてすぐれていると言うべきである。 (念のために言うと、腕をのばした際に指の先をピンとまっすぐに伸ばしておかないと「たったそれだけしかわたしを愛してないの、推定1.8mくらいの愛情じゃない」とゆわれた場合、「この左手の指の先が示している銀河から右手の指先が示している銀河まで28ギガパーセク(930億光年)あるのであって、わしが示そうと思った純愛はそれよりも大きいという表現なのね」と説明することができなくなります) ではどうすれば「あなたと会えたことが嬉しい」ということを示せばよいかというと、 たとえば岩田宏は 「おれたちは初対面だが もしあえなかったらどうしようかと そればっかり考えていたよ」 と述べているし、岡田隆彦は、 「ラブ・ソングに名をかりて」という詩で史乃さんという名前の恋人に「あんたが好きなのだ」ということをなんとか伝達したいと試みている https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/02/29/日本の古典_その3%E3%80%80岡田隆彦/ こういう表現が、(相手も言語についての修練が出来ている場合には)過不足なく、精確に自分の魂から相手の魂にとどくのは、現実には言葉には、その言葉を一個のニューロン http://en.wikipedia.org/wiki/Neuron とするいくつかの結びつきのうち、いくつかのパターンで「定型」を構成する働きがあるからで、簡単な話、 … Continue reading

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淡い翳のなかの日本

ときどき日本にいたときのことを思い出す。 子供の時に住んでいた日本、連合王国からニュージーランドへ移動する途中のストップオーバーで旅行者として眺めた日本、「十全外人」 http://ja.wikipedia.org/wiki/乾隆帝 遠征計画と(ふざけて)称して5年11回にわたって1回最長数ヶ月滞在した日本。 あたりまえのことなのかも知れないが、どれも、違う国のような気がすることがある。 放射脳なので戻る気が起きないのだから、このブログによく出てきた「定食屋のおばちゃん」の「定食屋」とかを実名で書いたほうがすっきりしそうなものだと思うが、相変わらずぼんやりした表現にしてしまうのは、やはり心のどこかでは、「いつか戻れるようにならないか」と思っているからだろう。 ツイッタでも「あんまり日本が好きではなかった」と、うっかり言って、突然悪態をつかれたり、悲しまれたりしたが、日本の社会は好きとは言えなかった。 外国人の友達でも(フランス人に多かったようにおもうが)日本が大好きで、日本のものならなんでも好意をもって、まるで日本人になりきるつもりでいるかのような人もたくさんいたが、ぼくは、社会全体が軍隊のように感じられて、息苦しいし、退屈だと思う事がおおかった。 個々の日本人は当然別で、こっちでは、むしろ「日本だいすき」なひとびとよりも恵まれて、ずいぶん羨ましがられたりもしたが、考えてみると義理叔父が見えない所で暗躍していたというべきか、かなり気を使ってくれていたのだと思う。 礼儀をわきまえたひとばかりだったし、第一、面白い人がたくさんいた。 もっと若い世代はもちろん50代の人でも愉快な人がたくさんいて、たまたま義理叔父と同じ大学を出た人がおおかったので「トーダイおじさん」という呼称でブログ記事のなかに十把一絡げにされている気の毒なおじさんたちは、特にひとりで遠征計画実行中の頃は、ガメ、ガメ、と言って、ひとをペット並に愛玩して、今日はうなぎ屋、明日は居酒屋、と連れて行ってくれたが、それもいまおもえば、おじさんたちはおじさんたちなりに、「自分が信じる日本の最も良いところ」を見せようと一生懸命に考えてくれていたのだと思う。 なくなった店で言えば「山形屋」という居酒屋につれていってくれて、マグロぬたはうまいぞ、とこぶしもうまい、あれもこれも、と頼んで、いいとしこいて食べきれないほど頼む奴はやっぱりバカだ、と自嘲したりしていたが、小鉢のなかで手をつけられないまま居座っている食べ物が、そのままおじさんたちの過剰な親切心であったことを気が付かないほど頭の悪いガイジンといえどもバカではない。 「山形屋」でいえば、知らない人と肩を寄せ合うようにして座らなければならなかったが、不思議なくらいきちんとした、自分のふるまいを他人の目で観察できる客ばかりで、見ていると、お銚子の酒を飲むペースまで、高級料理店で、来るひとを選ぶような店と同じ、ゆっくりとして、急にもならず、間もあかない、日本の伝統にしたがったペースで盃を傾けている。 銀座松屋デパートの裏の「はちまき岡田」という店も同じで、駘蕩として、白い暖簾をくぐると、まるで戦前の世界でもあるような時間の流れかたで、実際にもやってきた客が「インバネス」を着ていたりして、びっくりしたりしたものだった。 白髪ネギが浮いた鶏のスープや、ますの照り焼き、八勺徳利で出てくる樽菊正宗がうまくて、おおむかしの日本でジジイでいるのは、結構たのしかったのではないか、と考えたりもした。 意外に思うかもしれないが東京という町はバルセロナにちょっと似ている。 町自体は綺麗とは言えないし、道行くひとも無愛想を極めるが、ほんの一歩生活のなかに踏み込むと、楽しいことがたくさんある。 往来では仏頂面で目があっても決して微笑したりしないひとたちが、あの日本の人特有の、つぼみの花が開くのを高速度撮影で撮ったような、明るい、質量のない、透明な笑い顔をみせる。 ほんの少ししかいなかったのに、モニとぼくに天ぷらをつくってくれながら、涙をぬぐいはじめて、「ガメちゃん、もういっかい日本に来てくれな。行っちゃうなんて、つらいなあ。ちくしょう」と言って、しまいには大泣きしはじめてしまったKさんや、いまでもときどき葉書を送ってくれるホテルの総支配人のSさん、日本のひとは外観からは決して想像がつかないほどの激情に近いあたたかい気持ちをもっていて、それが東京という町の最大の魅力をなしていたと思う。 ぼくが日本にもっていたものをすべて処分して、もうこの国には来ないだろう、と考えたのは2010年の秋だった。 東北大震災よりも前のことで、あの福島県の浜通りを非現実的な津波が襲ってきたときにはぼくはもうオークランドの家にいた。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/03/13/1885/ あるいはホームシックだったのかも知れないが、たくさんの良い友人がいたにも関わらず、ぼくはもう日本の社会が嫌でたまらなくなっていたし、気温が上がりすぎて、もともとは寒い土地に向いているらしい体質のモニとぼくには、夜中であっても出かけて歩ける日にちが、ごく僅かしかない、という現実的な理由にもよっていた。 もうひとつ、以前のブログアカウントの終わり頃に何度も書いて「お前は予言者のつもりか、ばかばかしい」といろいろな人に悪態をつかれたように、東海村JOCの事故後に誰も責任を取らないで「無知な現場」のせいにしたり、ことあるごとに「権威ある出典」ばかり発言者に要求して、わかりきった、あるいは、みながうなずけることしか受け付けなくなった日本の社会の体質を見て、(具体的には「もんじゅ」だと思い込んでいたが)原子力発電所の事故のような致命的な事故が起きてモニと自分の生命が危険にさらされるようなことが起きそうだ、という気持ちがあった。 もうひとつは、モニが地震がこわい、と言い始めたこともあった。 (しかし、ふたりとも、愚かにも、ふたつを組み合わせて考えてみる、ということはしなかったが) おとなになってから住んでみると、子供のときのただひたすら面白くて興奮の連続だった日本での生活と異なって、社会の「あら」が目立ったので、日本の社会はどうでもよかったが、日本語のほうは、どうでもよくはなかった。 日本人で英語や欧州語でものを考えられる人は逆のほうから同じことを感じているのを、あとで、勲さんというツイッタ上の友達を始め、いろいろな人と話して学習したが、英語と日本語では言語として根本的に異なる。 ぼくが勲さんと英語で話す時には、ぼくと勲さんは実は神のほうを向いて話している。 言語の構造上自動的にそうなるので、いわば一対一で話しているのに会話自体は三角形を形づくっている。お互いが神に向かって話しかけるのを聞いて、その返答をまた神に向かって話す。 ところが日本語にはこの構造がなくて、日本語で会話するときには、ぼくは勲さんに直接話しかけて勲さんもぼくに直接話かけることになる。 頭の良いひとはここで直ぐに気が付くと思うが、2人の人間が話すときに絶対者を交えた三角形が構成されない会話においては人間はウソツキになるかびっくりするほど失礼なやつになるか、みな同じ考えになるか、どれかしか選択肢がない。 自分の意見を率直正直に述べる方法など、ありはしない。 言語の構造が人間を不正直にするというのはSF物語のようだが、日本語社会では現実なのである。 一方では神を前提にしない言語であるメリットというものもたくさんある。 それは空を仰ぎ見るようにではなく深い井戸を垂直にのぞきこむようにものを見つめて考えられるからで、「人間とは何か」というようなことを考えるには日本語は極めてすぐれた言語であると思う。 虫がよすぎるかもしれないが、だから、日本の社会との関わりは言語上必要な程度にして、というのは気の合う友達と話すだけにとどめて、日本語は自分が「本質」について考える欲求をもっているあいだは失わないで保持していたい。 日本の細部がなつかしい。 軽井沢の発地の闇のなかを明滅しながら飛ぶホタルや、狸坂の急勾配、蕎麦屋のおばちゃんがそっと出してくれる茶碗のおきかたや、カウンタ越しに「ちょっとこれ食べてみなよ」と大将がだすニンジンの漬け物(ぼくが漬け物が嫌いなのはみなよく知っていた)が、おもいのほか、というよりもぶっくらこくほどおいしかったので、「うまい!」とおもわず口にだしたときの、大将おっちゃんの「快心の笑み」というそのままの職業的な誇りに満ちた笑いかた、このブログ記事によくでてくる定食屋のおばちゃんがカウンタの跳ね板をあげてとびだしてきて、ちいちゃなちいちゃな身体で、おもいきりわしに抱きついて、「あああガメちゃんだ。おおきくなっちゃったけど、あんた全然変わらないねえ。ああ、いいなあ、ガメだ。ガメだ!おばちゃん、ずっと会いたかったよ」と、まっすぐに述べてくれるひとのわしの腰にまきついた腕の弱いような、それでいて勁いような、不思議な感覚。 嵐の夜、台所にいて、紅茶を飲んでいると、世界のどこにもない、日本にだけある燦めくような細部がおもいだされて、息がつまるような、胸が苦しくなってくるような、焦燥では言葉としておかしいが、焦燥としか呼びようのない感情に襲われて、自分にとってはただの「外国」にすぎない国のことを思うのに、これはいったいどうしたことだろう、と不思議に思うことがあるのです。

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日本語と所作

わしガキの頃は、従兄弟(父親が日本人)と義理叔父(もろに日本人)と3人で、たとえばグラマシーの通りに出ている昼ご飯のテーブルに座っていて、外国人らしい人を見つけては、それがどこの国から来た人か当てる、という遊びをよくやった。 「よくやった」というが、実はいまでもやります。 モニとふたりでいるときもやる。 わしガキの頃は日本人は服装によって区別がつく人が大半で、NYCならば妙に欧州風な、欧州風だけど、きちっとしすぎた着方のアジア人はまず間違いなく日本人だった。 この遊びは正解がわからなくてもいい遊びなので、たいていの場合、(会話が聞こえなければ)いまのは東欧人だった、あれは、大陸欧州のイタリア人だろう、という推測が合意されたところでゲームは終わるが、テーブルの上に「ここはわたしの席だ」ということを示すために財布やハンドバッグを置いていく人を見ると、「あっ、日本人!」と言って飛び上がって喜んだ。 誤解してはいけないが、「日本人はセキュリティの感覚がない」と頭のなかで難しげな顔をして述べようとしているのではない。 単純に、日本人が貴重品を誰でもが盗んでいけるテーブルの上に置いていってしまうのが面白かったから大笑いして喜んだので、ガキだと言っても、その可笑しさのなかには、 「日本て、平和なよい国だな」という軽い羨望がこめられていたと思う。 その頃はシリコンバレーに行くと台湾の人が多かったが、なんだか暗い色の紺の、チョー安っぽい背広に黒縁の眼鏡で、全体にもさもさしていたので、簡単に区別がついた。 韓国のおばちゃんは、これはいまでもそうだが、なぜかチリチリの鳥の巣みたいな髪の毛にしている人がおおいので、髪をみればイッパツで判る。 プラヤ・デル・カルメンやコズメルのような場所には若いイタリア人やスペイン人が多いので、イギリス人の団体がやってくると、ひと目で判った。 イタリア人やスペイン人たちが、ファッションモデル組合の慰安旅行だろうか、というくらいカッコイイのに、イギリス人たちは、全体に、ボテッとして、だらしないショーツのはきかたで、似合わないアロハを着ていたりして、国是に従っているというか、いかにもダッサイ外見だからです。 ミルピタス https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/27/milpitas-ミルピタス)/ に行くと、ハードウエア産業が中心のコンピュータの町(サンディスクの本社はここにある)なのでインド人や中国人韓国人、そして日本人がたくさん住んでいる。 たしか「アメリカ最大」ということになっているモールに、日曜日、モニとふたりででかけてみたら、ごわあああああっとモールに溢れている人のほぼ全部がアジア人で、ところどころにぽつんぽつんと見えるコーカシアンは、よく見ると奥さんがアジアの人で、簡単にいえばアジアの人がうんとリラックスできる王国です。 日本の人はすぐに判る。 歩き方に強烈な特徴があるからで、一面東アジア人がいるところでも、日本の人が歩いていれば、そこだけスポットで浮き出しているようにわかる。 西洋人はよく日本人をさして「ロボットのようだ」という。 言われれば、あたりまえで、日本の人は嫌な気持ちがするに決まっているが、他の悪口とちがって、日本の人に面と向かっても言うことがおおい。 わしの観察によれば「ロボット」という言葉が出てくるのは、どちらかというと外見からの印象がおおきいようで、それも顔の表情に乏しい、ということはあるが、たとえばカタロニア人も街頭では表情に乏しいので、身体の動き方のぎこちなさ、というほうに強い印象がありそうだ、と思う。 日本にいたときの観察では、日本の人が自然な身体の動かし方をするのは、だいたい小学生くらいまでで、中学生くらいになると、カタカタと音がしてきそうな、ぎこちのない所作がおおくなる。 思春期をすぎると、この「不自然な感じのする動作」は死ぬまで続く。 面白いのは、自分が気安いと感じている年が下の人間といるときには所作が突然自然になって、顔の表情まで寛いで、まったく自然なものに変わっている。 同じ人が「上司」にあうと、椅子にこしかけるやりかたまで、ぎこちない、かつかつと音がしそうなものになる。 パキッ、と音がしてクビがもげてきそうだとハラハラする。 状況証拠から考えて、自意識が動作を阻害することによって、不自然な肉体の動きを招来するのだと思うが、よく考えてみると、それは結果にしかすぎなくて、日本の人の動作を日本の人の動作たらしめているのは、その自意識を沸騰させているなにものかのほうであるに違いない。 この頃よく敬語の体系は、実際に民主主義社会の成立を阻んでいるのではないか、と考えることがある。 よく知られていることだと思うが、敬語の体系は、本来は年長者や上司というような「目上の者」が「目下の者」に敬語を使うことによってしか成立しない。 話が抽象的にすぎる、と思う人は、ひどい日本語しか話せなかった父親と異なって、美しい敬語を話すいまの天皇陛下と皇后が、どんな日本語で政治的教条においてはともかく、日本語の体系のなかでは「目下の者」の集合である「国民」に話しかけているかを観察してみればよい。 現代の日本語では「目上の者」が「目下の者」に敬語をつかうことが少ないのは、日本語がいちど軍隊によって完全に破壊されてしまっているからである。 大学のなかでは学生に敬語で話しかける教授が珍しくなく存在するのは、そのことと関係がある。 軍隊の敬語は、吉原の花魁言葉と同じで、敬語がうまく使えない人間にも即製で敬語が話せるようにつくった人造語だが、上官が部下に敬語を使わない、という敬語全体にとっては致命的としか言いようがない欠点をもっていた。 戦後の企業社会は、その軍隊日本語をそっくりうけついでしまったので、それが結局は「新しい日本語」になったが、この日本語は、おいおい話そうと思うが、欠陥が極めて多い言語で、表現しえない事象がおおいのに較べて、会話が自由にやれないという言語としては信じがたい欠点まである。 人間の意識をつくっているのは言語なので、人間の意識の「リズム」も、また言語でできている。 具体的には、バールで立ち話をしているふたりのイタリア人を思い浮かべてみるのがよいかもしれない。 言葉の調子と、身振り手振りで、あいの手にはいる笑い声の「間(ま)」にまで、イタリア語のリズムがそのまま取り入れられているでしょう? スポーツ選手は筋肉がもっともリラックスして動けるように筋肉の法則に従った美しい「定型」をもっているし、格闘家も「型」をもっている。 普通の人間は言語が自然や生活から吸収したリズムを言語を通して人間に還元する役割を担っているが、現代日本語は、それ自体、言語としての「リズム」、言語としての「時間」を獲得するのに失敗しているように見えます。 多分、義理叔父の書斎でみた新聞の切り抜きかなんかだったと思うが、日本ではジャズプレーヤーの草分けであるらしい渡辺貞夫という人が、自分のジャズがリズムを完全に失ったと感じてジャズプレーヤーを廃業しようと思い詰めるにまで至った「スランプ」の時のことを書いている。 … Continue reading

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rule maker

TPPで最も奇妙なのはアメリカが熱心なことであると思う。 TPP自体については前にも書いた https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/03/17/tpp/ のでここでは繰り返さない。 奇妙だ、というのはアメリカはいちども「インターナショナルルール」に参加したいと考えたことはないからです。 アメリカの外交は「インターナショナルルールをつくるが自分は参加しない」のが特徴で、それはちょうど自分が描いた街路がちゃんと動いているかどうかを見つめる「シムシティ」のプレーヤーに似ている。 ヘンリー・キッシンジャーは20世紀最大の政治的知性であると言ってよいと思うが、このひとの判断で殺された人の数は何百万人という単位ではきかないだろう。 キッシンジャーはしかもその結果を予見して知っていたが躊躇せずに実行した。 リンドン・ジョンソンのチームがベトナム戦争の終結にほぼ成功したとき、リンドン・ジョンソンの側に立っていたはずのヘンリー・キッシンジャーはリチャード・ニクソンのチームにリンドン・ジョンソンがベトナム戦争を終わりにしようとしていることを教える。時期が迫っていた大統領選挙にリンドン・ジョンソンが勝利するためにはどうしても戦争を終結することが必要だったからです。 当時アメリカから南ベトナムへのメッセージを一手にひきうけていたAnna Chennaultは、キッシンジャーがチュー大統領にジョンソン達がベトナム戦争を終わりにしつつあることを告げ、どうやってすでに出来上がっていた和平をぶち壊しにしたか述べている。いまでは公開になっているFBIの文書にも「勝つのは我々だから和平はやめたほうがよい」とニクソンがチュー大統領に述べたことが載っている。 なぜキッシンジャーがこの時点でアメリカが戦争を終結するのを嫌がったかといえば、そこで戦争をやめてしまえば誰の目にも「アメリカが戦争に負けた」のが明かであり、アメリカが戦争に負けたということになれば「アメリカも他の国家と同格の一国家にすぎない」ということになり、国際ルールに参加する一国家としてふるまわねばならなくなるが、それでは世界の平和は保てない、という理屈によっていた。 副大統領候補にハンフリーを抱えたことが功を奏してニクソンに対して終始優勢に戦ってきた大統領戦の最後のダメ押しとしてリンドン・ジョンソンは北ベトナムへの爆撃停止を発表し、支持率は更に急激に上昇する。 誰の目にもリンドン・ジョンソンが大統領に再選されると見えたが、選挙戦の僅か3日前に南ベトナムのチュー大統領がパリの和平会談に出席することを拒否することによってほぼ完成していたベトナム和平工作は一挙に瓦解してリチャード・ニクソンが奇蹟の大逆転をはたして大統領の椅子に座る。 余計な事をふたつ書くとヘンリー・キッシンジャーという人は驚くべき人であって、大統領選の直前、リンドン・ジョンソンの和平工作の中心的人物であったDaniel Davidsonに「次の大統領がどっちになるにしろ、ぼくはその大統領の政策を決めることになるから一緒に働かないか」と補佐役への就任を要請している。 もうひとつは、余計なことと言っても書いておかねばならないことで、ベトナム戦争で死んだ兵士の半分は、このキッシンジャーの和平工作破壊のあとで死んでいる。 死ななくてもよい死を死んだのだった。 ヘンリー・キッシンジャーはリンドン・ジョンソンが大統領選に勝っても別に立場が変わりえたわけではない。 マキャベリよりも遙かに徹底的で数層倍の政治的知性をもっていたので、ヘンリー・キッシンジャーを「マキャベリスト」と呼ぶのはやや滑稽な感じがするが、そう呼びたければマキャベリストであったキッシンジャーは大統領などは誰でもよかったに違いない。 ジミ−・カーターでは困っただろうが、ニクソンかジョンソンかならば、朝食にパンケーキを選ぶかフレンチトーストにするかというほどの違いもなかったはずである。 だがアメリカが他の国家と同じ「国際的ルール」に参加する事態だけは避けねばならないものだった。 ヘンリー・キッシンジャーが思い描いた世界の未来へのロードマップは、まずアメリカがソビエトロシアと対決してこれを崩壊に追い込み、そのあとに必然的にスーパーパワー目指して成長してくる中国共産党とアメリカの全力を挙げて対峙するという図式で、キッシンジャーが考えた世界は50年後の今日、ほぼそのとおりの道筋を歩いてきている。 アメリカの外交政策は一貫して「アメリカがインターナショナルルールをつくるがアメリカは参加しない」というもので、よくこれをアメリカの横暴だと非難する人がいるが、横暴は横暴でも、アメリカにとっては力にまかせた横暴というよりもよりも遙かに本質的な問題で、こっちの図式のほうこそがアメリカ外交政策のアイデンティティになっている。 もっと言ってしまえば「アメリカ」という国家の本質なのだと思います。 アメリカは世界のなかの並外れた強国なのではなくてアメリカの庭のなかに世界がある。 アメリカを「世界のなかの相対的最強国」と認識する国は徹底的に潰してゆく。 おもしろいことに金正日のような政治外交とボードゲームの区別がつかないような独裁者はこのことをとてもよく理解していて、金正日がやっていたことは、このアメリカという存在への本質への理解なしにはうまく見てとることができない。 日本では不自然なくらいおおきな話題になっているTPPや、もうひとつの日本人の心にのしかかっている問題である原発問題ですらも、この認識なしには考える糸口すら見つけるのが難しそうに思えます。 (たまには往々にしてダジャレをなしている題名について説明すると英語の「rule maker」には色々な意味があります。調べてみると題名の意味が判ると思われる)

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GRAS

メキシコ滞在の楽しみのひとつは「おいしいトウモロコシ」であると思われる。 紫色のは特にうまい。黒いのもうまいと思う。 食糧危機はこない、という議論は日本語世界でよくみかける。 英語人でも同じことを言うひとがいるのかも知れないが、ぼくは見たことはない。 放射性物質の害などたいしたことはない、程度の問題だ、という議論も日本語では声がおおきいが、英語では「札付き」のひとが述べるのを目にすることがある程度なので、 自分が住んでいる世界には悪いことは決して起こらない、起こったという人は頭が悪い怖がりか悪意のひとである、というのは日本語を使って考える人たちの言語族的な強い傾向なのかもしれません。 食糧危機がなぜ起こらないかというと、食料が限定要因になって人口が抑制されるからで、従っていつも食料は足りているはずである、という。 なんとなくもっともらしいところが、放射能議論でもそうだったが、こういう説を成すひとの可笑しいところで、「なぜ人間は絶対に死んだりはしないか」について滔滔と説明する5歳児を思わせるが、この手のひとはこういうと色を成して怒るに決まっていても、相手の肩書きが物理学者であろうが医学者であろうが、「話すだけムダ」と感じる。 「なぜムダなのか」をこのブログの記事で書くのでもなんでもいいから、書いたものを通じて話すほうが理性的でもあれば生産的でもあるようです。 現実にはいまの世界は食糧危機の時代にもうはいっている。 「Food is Ammunition- Don’t waste it.」 http://www.ww1propaganda.com/ww1-poster/food-ammunition-dont-waste-it は、日本で言えば「欲しがりません勝つまでは」だろうか、第一次世界大戦の有名なプロパガンダだが、事情をよく知っていればもういちどこの標語を復活させたいほど、 食料は乏しくなってしまっている。 えええー? どこの国の話だよ。うちの近くのスーパーマーケットに行くと、食べ物は山のように積んであるぜ、オーバーなこと言うなよ、と口を尖らせてきみは言うであろう。 でも、食べ物はないのよ。 これから説明できるところまで説明してみようと思う。 GMO (Genetically modified oraganism)は、だいたい1990年代から商品化されてきた。 遺伝子組み替え工学が、安い賃金での長時間労働を厭わない労働文化と高い品質に支えられた日本の自動車・家電の大攻勢を受け止めきれなくなったアメリカ産業界の次期のエースとして、CPUなどの高集積チップと並んでテレビ番組でもてはやされだしたのは、フィルムを観ているとブッシュシニアが大統領として仰々しくモンサント工場を見学していたりするので、1980年代半ばだと思われる。 モンサント社がPosilacという商品名で、rBGH、(乳牛から大量のミルクを搾り出すための)ボーバインホルモン http://en.wikipedia.org/wiki/Bovine_somatotropin を商品化したのが1994年。カナダで有名な、Margaret Haydonたち3人の科学者の公聴会が行われたのが1998年で、このあたりから「食品の工業製品化」が進み出したのが観てとれる。 突然変異体を生産効率をあげるために食品に応用する科学の歴史は古くて、1920年代に遡る。 米のCalrose76はガンマ線の照射で作られたし、小麦の品種AboveやLewisはそれぞれアジ化ナトリウムと熱中性子で生成された。 熱中性子(thermal neutrons)と言えば、グレープフルーツのRio RedやStar Rubyもそうである。 容易に想像がつくことだが1953年にJames WatsonとFrancis CrickがDNAの二重螺旋構造を明らかにしたときから科学者たちの食品への応用の長い熱狂的な旅が始まる。 … Continue reading

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