Monthly Archives: May 2013

幸福になりたい

欧州が移民に対して門戸を閉ざそうと決心したように見える、と書いたら、 日本語の世界からふたつの声が返ってきた。 ひとつは、日本人から、いいとしこいて、40歳をすぎているのにニュージーランド人に化けようとたくらんでうまくいってしまった村上レイで、 特に、「欧州の福祉政策は働かない移民を呼び込んだだけで大失敗」という論調見たときにはひっくり返りそうになった。 @gamayauber01: そーなのか @wagonthe3rd 「ほら欧州でさえ移民政策に失敗した」の大合唱なってるよねえ。 @IsaoKatoJP — Ray @ GF8D STi Ver.3 (@wagonthe3rd) May 29, 2013 と述べている。 村上レイは「おれはもうニュージーランド人だ、日本のことなんか知るか」と言い続けているが、その割に日本がどうしてゆいいつの諸問題の解決策であることが(村上レイにとっては)わかりきっている移民の大量受け入れに動かないのか、これでは手遅れになってしまうではないかと苛立って地団駄を踏んだりして、ほんとうはむかし別れたはずの祖国とあんないけないことをしたりこんな人に言えないことをしたりしたのが忘れられなくて「心は忘れても身体が忘れない」状態(©演歌)なのではないかと思われる。 その証拠に心はマクドナルドのドライブスルーでコーラを頼んでいるのに肉体のやるせない一部である声帯は日本語が忘れられなくて、なまって、コーヒーが出てきて後席の息子たちに大爆笑・大受けしているのだとツイッタで述べておった。 過激な移民開国派で、役に立つならグリンゴンでも火星人でもつれてこんかい、という人である。 世界に例をみない、ビクトリア女王の別荘の裏庭で生まれたようながちがちごっちんの保守的な国柄から一転、チョー過激な移民政策をとって国ごと再生したニュージーランドに住んでいるからでしょう。 それに対して、自己紹介を読むとフランスに住む日本人であるらしい「パリババ2号」という人が「もとからフランスに住んでいる白いフランス人」が移民はもううんざりだという意味でよく述べる意見である「福祉政策めあてでくる移民がいるのは事実」 だけ、ということはないですが福祉の恩恵にあずかるために来た移民がいるのは事実。@wagonthe3rd @gamayauber01 @IsaoKatoJP https://t.co/SVFEZ1saIH — パリババ2号 (@Yukfra) May 29, 2013 と言っている。 「移民はわれわれの国に仕事や教育や医療や福祉を盗みに来ている」 「われわれが税金をつかって営々と築き上げてきたものを、移民たちは、ろくに税金を払いもせずに根こそぎさらっていってしまう。このままではわれわれの社会保障は移民たちのせいで破綻してしまう」 というのは、実は「肌の色が異なる醜い人間があんまり増えると町が汚くなる」というような「冗談」を「仲間うち」では平然と述べるある種の人達が、肌の色や人種を公然と理由にするとほんとうは頭の中の大脳が普通の人間の半分しかなくて、「ムスリムやアジア人たちには困ったものだ」と顔をしかめて頭をふると「コロコロコロカラカラカラ」と大脳が頭のなかで音を立てるのをごまかすために、婉曲表現の一種として使うのでもよく知られている。 フランスにもイギリスにもエジプトの石で敷いた道路というものが存在する。 せっかくのんびり寝ていたエジプト人たちの墓をあばいてロンドンにもってきて「博物館」という名前で見世物にしたので、夜中になるといまでも自分達の石棺のまわりを歩き回って、目撃した警備員の髪を逆立てた絶叫を聞いて「にひひひ」をしているという。 もってきてしまったものは、それだけではなくて、アメリカ人などはアフリカ大陸のあちこちから人間をもってきてしまった。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments

Sienaの禿げ頭

イタリアがもっか如何にビンボであるかは幹線道路を走ってみればすぐにわかる。 イタリアの道路は高速道路が私有であったり、国有やコムーネがもってるのや入り乱れていて判りにくいが、公共道路は徹底的にボロボロで、制限時速110キロの道路に、ぼっこおおーんと穴が開いていたりするので小さい車輪のクルマだと危ないほどです。 しかもそういう穴ぼこをパッチアップするのにトラックでやってきたおっさんがひとりでアスファルトを埋めていたりする。安全要員ゼロ。 トラックを万が一のときの盾にして、おっちゃんがどっこらしょとアスファルトを盛っている。 朝、起きたら天気が良かったのでSienaに行くことにした。 水曜日はマーケットが立つ日だとミシュランに書いてあったのを思いだしたからです。 いま調べてみたら日本語では「装飾写本」というそうだが、英語ではIlluminationという。 https://en.wikipedia.org/wiki/Illuminated_manuscript 確かに欧州語でも金箔や絵を使わない装飾的文字だけのものでも骨董美術店に行くとたとえば「Manoscritto mininato」と言って売っているが、本来は金箔や絵をちりばめたものだけについて使われる言葉で、「装飾写本」では値段にして1ページ€100くらいから売っている文字が装飾的な手書き本が入ってしまう。 だからここでも日本語の「装飾写本」という言葉でなくて、ただ「Illumination」のほうが良さそうです。 SienaのカテドラルにはIlluminationで有名なライブリがあるので、そこに行きたい、ということがある。 それにマーケットがあればどこにでもホイホイとでかけていくのも、このブログを昔から読んでいる人にはおなじみのわしの癖で、多分、中世くらいからの先祖と同じ「マーケット」と聞くと浮かれてしまうケーハクさがいまだに血中に残っているのだと思われる。 いま「明日はシエナに行くべ」と述べたツイッタを見ると村上憲郎が返答に「30年前に女房とふたりで闇雲に町中を走ったら偶然Piazza del Campo http://it.wikipedia.org/wiki/Piazza_del_Campo に出た」と恐ろしいことを書いている https://twitter.com/noriomurakami/status/339533964765167616 が、なぜ恐ろしいかというと、ほんとうのことを小さい声で言うと道路はなにしろカンポ広場やドゥオモに出るように出来ているので闇雲に走ってもかなりの確率でどちらかに出るが、たどりつくまでには人間の雑踏で、5,6人はひき殺さなければならなかったはずで、村上憲郎はカーマゲドン http://en.wikipedia.org/wiki/Carmageddon を30年前に実地に行って人生の秘密にしていたものだと思われる(^^;) わしはいまでもスーパー血気盛んな村上憲郎と異なって温和で成熟したおとななので、そんな乱暴なことはしません。 イタリアの町のまんなかで、マーケットが立つ日に駐車する余地があるわけもないので、町の外縁、およそ1キロくらい離れた空き地の無料駐車場をみつけて、そこにクルマを置いていくことにした。 クルマを降りてみるとマーケットへの道がさっぱり判らないので、近くにクルマを駐めて書類を片手に歩き出しつつあるおっちゃんに「マーケットをやってる場所にはどうやって行くのですか?」 と訊いてみた。 おっちゃんは、イタリアの人にはよくある身長が165センチくらいで、風采の立派な紳士っぽい人である。 背広の仕立てがたいへんよろしい。 靴が途方もなくかっこいい。 「マッキーナ(自動車)で行くの?それとも歩き?」 モニが、多少慌てたのか、クルマだけど歩いて行きます、と応えている。 おっちゃんは、うーむ、という顔になってから、しばらく(およそ3秒くらい)長考してから、 「マッキーナで行くの? それとも歩き?」 とさっきとまったく同じ質問をもう一回しておる(^^ 他に質問のありかたを考えてみたが、やっぱり思いつかなかったのでしょう。 「歩きです」と応えると、おお、そうか、と述べてから、 しばらくして、「この道路を向こうがわへ歩いて行くと、ラウンドアバウトがあって、そこを橋の側に渡って、ピッツエリアの前を道路を横断して、そこから50メートルくらい行くと長い階段がある。その階段をあがって、ずううううっと歩いて行くともうひとつラウンドアバウトがあって、そこのクルマだとすると3番目の出口なる道路をわたると、ロムルスとレムスがshe-wolfからお乳を飲んでる銅像が道の両側にあるところに出るからね…あっ…ロムルスとレムス、判る?」 「判ります。ダイジョブ」 「そこをすぎてゆるい坂道をてくてくと歩いてあがって行くと、左に曲がる道があって…(中略)… バスのターミナルが左に見えるところに出るから、その右側の公園をずっと歩いてゆくとマーケットがあると思う。判った?」 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 4 Comments

Vernazzanoの斜塔

1 泊まっている農家の持ち主が近所のひとのパーティに呼んでくれたのででかけた。 この農家の持ち主はミラノの音楽家で、パーティを開いたのはローマの音楽家です。 ドイツ人たちとイタリア人たちとフランス人とイギリス人のカップル(モニとわしのことね)がいる小さなパーティは6時すぎから始まって、10時過ぎまで続いた。 ドイツの人たち(大学の先生と高校の先生、ビジネスマン…)はすぐに自分の国を誇るという欧州でのドイツ人のステレオタイプイメージに沿っていて、ちょっと声を潜めていかに欧州におけるドイツの役割がおおきいか述べてしまうし、さらに声を潜めて、「きみ、知っているかね。イタリアには公式にはドイツ語とイタリア語を話すことになっている村があって、実のところ、イタリア人たちがいなくなるとドイツ語だけで話すのさ」と、さもそれが重大なことであるように厳粛な顔をつくって話す(^^; イタリア人たちは、「この辺の道は、ぶち壊れているのに誰もなおさない。ドイツなら2日目にはもうなおっているけど、この国では未来永劫そういうことは起こるわけはない」とドイツ人たちに述べている。 わしが笑いをこらえるのに苦労したことには、ドイツ人たちの反応は、「ええ、わたしらの国ではイタリアで起きるようなことは起こらない。道路が荒れ果てたまま放置されていることに驚きました」であったことで、ドイツの人は欧州での評判どおりというか、ナイーブというか、何も考えてないというか、オモロイと思う。 欧州人という種族はみんな全然違う文化に拠っているのに、めいめいそれぞれ自分勝手にお国自慢で、欧州人が集まるパーティは上流階級のものでもアカデミックなものでも近所のものでも、その点では変わらないところが可笑しい。 パンにオリーブオイルをぶっかけて塩をひとつまみふったブルスケッタとオリブの実のペーストを塗っつけたパン、ウンブリアのフェネルをまぜた豚のソーセージや野生のイノシシのソーセージで始まったパーティは、パーティ主であるイタリア人たちの職業のせいでイタリア音楽界の危機の深刻さの話に及んで、もう音楽団体がひとつしか生き残っていないのだと聞いてぶっくらこいてしまった。 知らなかった。 欧州では、嫌味を言うとドイツの長年の夢がとうとう果たされたというか、ドイツが大旦那で、自然、他の国民はメルケルさまさま、ドイツ人がご主人様な雰囲気で、放蕩息子と化した趣のあるイギリスや口うるさいだけの伯母さんみたいなフランスは圏外である。 新聞がどう述べても人心とは正直なものであって、口吻にあらわれてしまう。 ケルンの一般的な高校では生徒の6割がトルコや他の国で生まれた生徒であるとか、表面は欧州人にのみわかる符丁的な「ナイス」な言葉と態度で述べられているが、居合わせている欧州人の誰にも判る一定の言い方で、異文化からやってきた移民をべたほめにほめながら、移民はもううんざりだと言っている。 わしは相づちをうちながら、「多文化主義」が欧州では完全に終焉を迎えたことを確認している。 2 午後にはVernazzanoの斜塔 http://www.trasimeno.ws/torre_vernazzano_it.html へ行った。 無理をして行こうと思えばクルマでも行けそうだが、キャンピンググラウンドの門の近くでクルマを降りて森を抜けて歩いていくことにした。 Vernazzanoの斜塔は「ツーリズム」ということを考えるときには、いつも興味深い。 歴史的にも建造物的にもVernazzanoの斜塔はPissaの斜塔に何の遜色もない重要性をもっている。 それなのになぜPissaの斜塔ばかりが有名でVernazzanoの斜塔は知っているひとすら少ないかというと、簡単に言えば「商売の上手下手」の違いに帰着する。 信じるのが難しいが、今日のパーティでドイツ人夫婦が盛んに述べていたとおりSantiago de Compostelaも30年前は、誰にも見向きもされない町だったので、観光においてはマーケティングの才に恵まれた人間がスポットライトをあてるか否かは、決定的な問題なのです。 キャンピンググラウンドでクルマを駐めたモニとわしは、「ほんとうにこの道かなあー」と言いながら、緑が深い森の凸凹の道をどこまでも歩いて行った。 塔が見えるもなにも、開けた視界というものがないので、道の先になにがあるのかも判らない。 それまで降りしきっていた雨が止んで、太陽が出る頃になって、不意に視界が広がって、向こうの森のそのまた向こうに巨大な塔がたたずんでいるのが見えた。 中央に大きなクラックが走っていて、補強のための鋼鉄線のケーブルが何本か張られている痛々しい姿で、Vernazzanoの斜塔は立っていた。 こんなことを言うと笑われてしまうが、なんだか南アメリカのジャングルのなかでエルドラドを発見した探検家かアンリ・ムーオのような気持ちになる。 ともあれ、森を歩いて原っぱに出て塔を発見したときの感動はかなりのもので、他の国ならとっくのむかしに観光開発がすすんで、道は凸凹どころか、舗装されて道路の両肩には「Vernazzanoの斜塔まんじゅう」を売る店が殷賑を極めてるのは見えているので、「やっぱりイタリアはオモロイ国だなああ」と考えました。 帰りにはドライブインに寄って、プラスチックの皿に盛ったfedeliniのラグーソースを食べた。Suppliとテーブルワインとフリザンテでひとりあたり€9。 街道筋でトラックがいっぱい駐まってるドライブインはおいしいというガメ理論が現実によって補強された。 3 「相手にされていない」のだと言うひともいるし、「差別だ」というひともいるが、なんだかそういうことではないのだと思う。 日本は欧州人にとっては「知らない国」だし「知ろうと思ってもとりかかりがない国」だし、皮肉な言い方でも誇張でもなく「普通の欧州人」にとっては「存在しない国」である。 一方では日本で「欧州はわれわれのことを知らないがわれわれは欧州のことを勉強してよく知っている」というが、わしは全然そう思わない。 日本の人も欧州のことはこれっぽっちも理解していないと思う。 ほんとうは当たり前で、ガリシアに3年間住んでいたドイツ人カップルでも「スペインという国は理解不能である」と言う。 直感的に言って10000キロ離れている欧州のことを日本がたいそう理解していると考えているほうが変わっている。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 3 Comments

Sarteano

1 Umbriaから国境を越えてTuscanyに入ると、突然土地のたたずまいが商業主義的になって、並んでいるオリブの木の一本一本までが「ぼっちゃうぞおおー、にひひひ」と囁いているように見える。 日本で言えば群馬側から国道18号線で軽井沢にはいるというか、熱海みたいちゅうか、そーゆー感じです。 Sarteano http://it.wikipedia.org/wiki/Sarteano でお昼ご飯を食べたら、アメリカ人だらけだった。 ドアのところにミシュランの一つ星だかなんだかが付いていたので、もしかするとアメリカ人向けのガイドブックに出ているのかもしれません。 でっかいラビオリに炒めたトマトのソースがのっかってるのと、ビステカ・デ・マヤーレを食べたが、それぞれ€7.5と€7で、いかにワイン熱海といえど、たとえばレオーネ広場があるフィレンツェの川向こう(観光地でないほう)のレストランストリートよりはだいぶん安い。 フィレンツェならば、たぶん、€12と€10。 銀座ならば同じくらいのものを食べて、 ラビオリは1400円(但し量は半分)、ビステカ・デ・マヤーレのほうは量も同じ200グラムの豚肉で「鹿児島県産黒豚です」という能書きがついて3200円くらいではないだろーか。 それにテーブルワインの赤と炭酸水でモニとふたりの分で€37だったので、まあ、そんなもんかなあーという昼食代だと思われる。 マジ田舎のUmbriaと異なってTuscanyは、なにしろ世界中からイタリアにやってくる観光客の一大目的地なので、超巨大ホテルが通りに軒を並べている。 おおきなバスを連ねたドイツ人やアメリカ人がぶいぶいしている。 イタリアでは「オカネのある観光客」と言えば、おおきな町のフィレンツェやローマ、ミラノでは中国人、田舎ではドイツ人とアメリカ人と相場が決まっているが、 その通り、絵に描いた通りで、道を歩いていると、あるいはスーパーマーケットで飴っこを買っているとドイツ語やアメリカ語がたくさん聞こえてきて、観光地だなああー、儲かってるなああー、と考える。 アジアの人の顔は朝から晩までひとりも見ないが、銀座やなんかのレストランでレストラン協賛の「トスカナのビンヤードめぐり」なんちていっぱいパンフレットを置いてあったのを思い出すと、8月くらいになれば、日本の人がいっぱい乗ったバスも現れるのではないだろーか。 Lazio http://it.wikipedia.org/wiki/Lazio の田舎やUmbriaではアジア人はおろか、他の国から来た欧州人もあんまりでくわさないので、Tuscanyは国際的で、ひらけておるのおー、と感心します。 国境を越えたばかりのChiusoにしてからが、もうTuscanyぽい、というか、イタリアの田園カッコイイでしょう? オカネ頂戴ね、ね、ね、という雰囲気がばりばりに感じられて、なんとなく、オカネ使わないと悪いよねー、という気持ちにさせられるように出来ている。 使わないけど。 州ごと集金装置然としたTuscanyではあっても、田舎は田舎で、イタリアの田舎道ではあちこちで走っている、というか歩いているというかの50cc軽トラ Piaggio Ape の後にくっついて、50ccエンジンなのに車体と荷台があるというだけでも、最高時速30キロの低速が保証されているのに、イタリアでは二人乗りのモデルまであるので、そうすると時速20キロ出ればいいほうのクルマの後をのおんびり走っていると、イタリアの田舎にいるのだなあ、としみじみと感じる。 (そのまましみじみとしていると夜になっても宿に帰りつかないので、追い越すことになります) カタルーニャでは昔ながらのマーケットがバルセロナのような都会でも町のそこいらじゅうにあるが、イタリアではマーケットがおおかたスーパーマーケットに駆逐されている代わりにスーパーマーケットで売っているハムならハム、ソーセージならソーセージの品質がカタルーニャよりも高い。 町も、イタリアもローマより北になると、カタルーニャですら免れないスペインのあの、(わしが大好きな)チョーだらしない、ねろおーんへろおーんな感じがなくなって、ばりばりにマジメになる。 日本での日本の人が笑い話にして嘲るような「怠け者のイタリア人」のイメージは、どこから来たのだろうか、と前に調べたことがあったが、むかしむかしイタリア移民達が初めてアメリカに大量にやってきた頃に、アメリカ大陸で「エスタブリッシュメント」をこいていたアングロサクソン達が、「勤勉で優秀なわしらアングロサクソン」対「怠け者で食べ物と女しか考えないイタリア人」という偏見を発明して、それを白人社会全体を物陰から息を潜めるようにして観察していた日本からの留学生たちが日本に戻ってからおもしろおかしく、まるで自分がアングロサクソンと同じ場所にいたかのように仮定して伝えたもののよーでした。 現実のイタリア人は、このブログにも何度も出てくるように、頭痛がするくらいマジメで、集団作業に長けている。 しかもわしの観察によれば、極めてせっかちで、夕飯を食べるスピードなどは、多分欧州一の高速であると思われる。 わしの主観では日本人よりも速いと思います。 コースで食べてものの30分くらいで食べてしまう。 モニとわしはイタリアで昼ご飯や夕ご飯を食べるときには、「チョーゆっくり持ってくるよーに」と席につくなり厳命するのを習慣とする。 それでも、おもいがけないほど速いタイミングでもってきてしまうが。 道路でも辺り一面不思議の国のアリスのうさぎさんがピョンピョンはねて、ときどき懐中時計を取り出しては「ああ、急がなきゃ。たいへんだ、急がなきゃ」と言っているようなもので、やたらと追い越しをする。 普通の国では対向車が向こうからくるのが見えているときに追い越しをしたりしないが、イタリアの人は恐ろしいことに対向車が迫っていても、車線にやや余裕があって、対向してすれ違うクルマとクルマのあいだに隙間があると見ると、そこに突っ込んでくる。 当然の帰結としてサイドミラーがふっとんでしまったり、あえなく衝突して、くるりんとまわって道路の端に投げ飛ばされたりするが、国民芸というか、一向に改善されないよーです。 2 橋下徹市長の「大阪市長である私は沖縄の女性の怒りを代弁しています」「日本人は他国の女性の権利を心配しています」と聞こえる長口舌は、旅行中はテレビも新聞も見ないのでイタリアではどんな反応があるか判らないが、昨日、Lago … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments

InVacanza2

1 第一目的地の(UmbriaとToscanaのちょうど国境の辺りにある)農家に着いた。 おおきな農家を改造した一軒家の宿屋で、気が遠くなるほど綺麗な田園のまんなかにある。 オーブンやストーブはもちろん、冷蔵庫もログバーナーもなにもかも完備されているので、スーパーマーケットから買ってきた食材を台所に並べて「料理ができたら起こしたあげるから午寝してていいよん」と述べてキッチンに立つ。 エッチな下心ばりばりでモニさんのゴージャスなマディソンアヴェニューのキッチンでcapelliniのラムの(ピカンテ)ラグーソースかけをつくっていたりした頃と同じです。 いまももちろんエッチな下心ばりばりなわけだが。 (この世に美女とエッチすることとおいしいものを食べること以外に人間が興味をもつにあたいすることはあるだろうか?)(ありはしない)(←反語表現) むふふ。 昨日と一昨日は人間の創始から現在に至るまでの世界の民族のなかでただひとつ「男と女が完全に平等だなんてあたりまえじゃんね」と考えてのほほんとしていることができた偉大な民族の足跡を見て回っていた。 エトルリア人のことです。 エトルリア人は驚くべきことに男と女が平等なのは人間同士なのだから当たり前だという異常な思想をもっていた。 現代アメリカ人たちのように「男と女は平等であるべきだ」と述べているのではない。 「平等に決まってるやん」と「知って」いたのです。 それだけで橋下徹もびっくりなのに、他にも不思議なことがたくさんある民族だった。 エトルリア人たちは自分たちの国権国家をつくることに興味をもたずに、町と町のチョーゆるい連合を好んだが、「エトルリア人が集落を築いていた」と信ぜられている丘に現実に登ってみると、わざと城壁の縄張りが難しいようなところ選んであって、なぜだろう?と考えさせられる。 TODI http://en.wikipedia.org/wiki/Todi の向かいにある丘などは、地の利を得たハンニバルの進撃を阻んだので有名な二重防壁がある丘陵から離れたところにあって、わしのぼんくら頭で考えられるゆいいつの理由は「陶土がとりやすかったこと」と「風光明媚だったこと」、くらいだろうか (^^; ヘンなひとたちだったんだなあああー、と思う。 エトルリア人はこの世界の文明の産みの親であるローマ人よりも遙かにすぐれた叡知と政治技術と軍事・土木技術をもっていたというが、他民族よりすぐれた能力をもった民族の常と異なって民族ごと滅亡させれられたわけではなかった。 どうなったかというと、ローマ人といっぱいエッチしているうちにローマ人と区別がつかなくなってしまったので、こんないなくなりかたもエトルリア人ぽいと思う。 途中でDERUTA http://en.wikipedia.org/wiki/Deruta に寄って、磁器を買い呆けた。 リークと芥子の実のソースの「Frange」パスタと豚肉にベーコン巻のランチを食べた。 €29。 それにキャラメルバナナとティラミスのデザートを食べてアスパラガスのスープと仔牛を食べたモニとあわせて€70。 食前のスプマンテとつなぎのちっこいセロリナスープは店のおごりだったが、ふたりでちょうど一万円くらいで、同じくらいの質の食べ物を出す東京のイタリアンレストランの3分の1くらいの値段ではなかろーか。 同じくらいの質の食べ物を出す東京のレストラン、と書いたが、日本のひとに阿って書けば、ということで、ほんとうは日本であんなにおいしいイタリア料理は食べたことがない。画家の友達に教わっていったレストランだが、なんだかもう滅茶苦茶においしいので、ぶっくらこいてしまった。 2 料理が出来上がったので二階の寝室にあがってみると、モニさんは午寝が本格的な睡眠になってしまって、「ガメ、ごめんね、ガメ、ごめんね…(ぐうっ)」と言いながら眠ってしまって起きられないようである(^^;  せっかく渾身の技をこめて(←誇張された表現)つくった料理をひとりで食べても仕方がないので、ほんでわ、わしもチーズ味のBastonciniでもかじって夕ご飯はパスにすべ、と考えて、いまラウンジに座っているところ。 emailを読んでいると、若い人のマネージャーへのemailが転送されて「部屋を見て回って最近の冷蔵庫は冷蔵庫棚よりも高いのがあるので棚をいったん壊して新しく余裕のある高さにしたほうが、結局は質の高い借り手がつくのではないかと考えました」と書いてある。 見積もりをとったら、一個の棚を壊すのに1200ドルかかると言ってきた(^^; 低い棚のままの部屋は110あるので132000ドルの出費になるがいいですか? マネージャーのおばちゃんはぶっくらこいちまうに違いないが、わしは名前も知らない若い人にemailを書いた。 棚を壊すだけのために1200ドルは法外と思う。 第一110軒もあるのに、この会社の見積もりを見ると杓子定規に「会社規定」の費用を書いているだけである。 こういうときには「相見積」を取らないで、Mがよく知っているから前例のデータを使って交渉するといいのさ。 Mは、この頃、若い人には話がしにくいらしいから、ぼくが電話をかけておきます。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 3 Comments

移動性高気圧

1 大雨のなかをモニとふたりでクルマからスーパーマーケットのなかに駆け込んでゆくだけでも楽しい。 30歳の人間の生活は複雑で、事業(はっはっは、「事業」だって)どころか家の運営にすら複数の人が立ち働いていて、めんどくさいたらありゃしない。 でも生活を巻き戻して簡潔にしてしまう方法はある。 旅にでるのね。 今日は朝ご飯を食べただけだけど、途中においしそうな店がなかったから、イタリア式乾パンとワインだけでいいび。 普段は家のひとびとが代わりにでかけてくれるスーパーマーケットにモニとふたりででかけて、水とワインや、Tonnoの瓶詰め、パスタ(麺もペストリも!)、プロシュートに白アンチョビ、アラビアータソースを買う。 キッチンがあるところに泊まれば料理もする。 せっかく鍛えた料理の腕前を鈍らせないためには大事なことです。 旅行に出る度に人間の暮らしは簡単なほうがいいなあー、と思う。 生活が単純になるとテレビはおろかインターネットもあんまり見なくなるよーだ。 ラツィオからウンブリアへ抜けるイタリアの曲がりくねった山道を雷雨と競争で駆け抜ける。 雷雲に追いつかれて買い物袋を両腕に抱えたままびしょ濡れになったスーパーの駐車場で「バカップル」そのままに笑い転げている。 さっきまでの豪雨がウソのように晴れて、青空が広がったTODIの田舎道で馬を飼っている牧場に行き当たったので白い馬ばかりが5頭駈けているパドックの柵にもたれて、寄ってきた馬と遊ぶ。 ガメは、どうしてどんな馬にも好かれるのだろう?という。 考えてみれば馬だけではなくて犬も猫も。ロバまで! 「あっ、ロバはね、説明できるぞ。 彼らは日本語で話すのさ。 いいよおおおおー!て言う。 いいいいよおおおおおおー!! ロバたちや日本人たちにとってはOKって意味なのさ。知らなかったでしょう?」 モニが、ウソばっかりと言いながら笑いころげている。 ほんとうのことなのに。 どんな動物にも好かれるのは、ぼくがほんとうは人間なんかじゃないからさ。 知ってるかい? 思い出せなくなってるだけで、モニも、もともとはぼくの種族なんだぜ、と冗談を言おうと思ったが、なんとなく言いそびれてしまった。 自分が何であったかを思い出されて、この楽しい地上の生活が終わってしまっては困る。 サイヤ人は辛いのだとゆわれている。 2 午前3時をまわったころ、窓の鎧戸の下を誰かがおおきな声でひとり声を言いながら歩いている。 RIETIの田舎にいるはずなのに日本語です。 はっきり意味が聴き取れないが「どうしてこんなことになったのだ」というようなこを言っているように聞こえる。 半睡半醒の間が睡眠に傾いているあいだは、それは軽井沢の「山の家」で、鎧戸の向こうなのに青い月の光が見えている庭だった。 だんだん目が覚めてくると、RIETIのオリーブ畑に囲まれた(元はワインセラーだった)一軒家を改造した宿屋の寝室にいるのが明瞭になってくるが、それでも同じ声は歴として窓の下に聞こえている。 でも抑揚だけを聞くと日本語に聞こえるその「鳴き声」は日本語としては意味をなしていなくて、なにかの獣の鳴き声のようである。 見当がつかない生き物の声を訝ってベッドに起き直っていたら到頭モニも目をさましてしもうた。 「イノシシかな?」と言うと、モニはさっさと起きていって窓を開けて身体を乗り出して懐中電灯で音がする方を照らしていたかと思ったら鎧戸と窓をしめてベッドのシーツのあいだにもぐりこんでしまった。 なんだった? と訊いても返事をしてくれません。 シーツを無理矢理ひっぺがして、「ねえ、なんだったの?」と訊くと、 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 3 Comments

RIETI

オリーブオイルは凝りだすとキリがない。 スーパーマーケットの棚に並んでいるオリーブオイルたちは固より本来の賞味期限をすぎた「死んだオリーブオイル」たちで問題にならない。 たしか日本にも量り売りでオリーブオイルを売るヨーロッパのチェーンの支店があったと思うが、ああいうものは序の口で病膏肓に至るとイタリアの農家から農家へ、天にも昇る、というかあの微妙な甘みとかるみのあるうまみを求めて徘徊すること、うまいワインを求めてフランスのヴィンヤードからヴィンヤードを徘徊するひとびとと軌を一にしている。 リエティはイタリアのなかでもうまいオリーブオイルがあるので有名な土地柄でオリーブオイルを買うのに寄った。 アッシジの聖フランシスというが聖フランシスは(わしの記憶が間違っていなければ)アッシジよりもリエティの田舎に住んでいた時期のほうが説教をぶって歩いた回数が多いはずである。 日本で言えば佐久市というか、イタリアのおへそにあたる真ん中にある町で海からも遠い内陸の町である。 わしはヨーロッパの田舎を旅行してあるくときは、めんどくさいので予約したりしない。 食事の準備とかいろいろあるので、ほんとうはそういう態度の悪い旅行者は困るが、「食事の準備がなければ食事はなくてもいいよん」と述べて、目で見てよさそうなところに泊まる。イタリアにもagritourismoなどと名前がついて、田舎のあちこちに膨大な数の宿屋があるが、中世からあるボローイホテルでもベッド&ブレックファストでもよろしい、要は農家でもなんでも泊まるところはたくさんあるので、少し早めに、というのはイタリア人は午後8時くらいから夕食であるという考えが強いので、午後6時くらいまでには訪ねていって、今日、泊まるところがありますか?と訊いて歩く。 辛いトマトソースと苦いオリブの実がはいったTagliatelleとオリーブオイルがいっぱいかかったチキンの無茶苦茶うまい夕飯を食べていたら、3人連れのアメリカ人の女びとたちがはいってきた。 ボスニアに住んでいる。 クルマでローマへ行く途中である。 このふたりはマイアミから来た。 わたしはボスニアに4年間住んでいる。 この世界にボスニアほど美しい町並みのある国はないから行ってみるのはいい考えだと思う。 町はとても安全で、夜中に女ひとりで歩いても少しも危なくない。 だんだん話していると、どうやらアメリカ軍で軍役についてから大学に行って語学を勉強した3人組のようで、ひとりはアラビア語、他のふたりは東欧諸語に堪能であるようだった。 フレミシュの音楽家のカップルもいて、フランス語やイタリア語、英語に流暢なのはいいが、モニにはフランス語、わしには英語、カップルのふたりのあいだではフレミシュ、イタリア人たちとはイタリア語で話すので忙しくて、モニさんはフレミシュ人に対する偏見を隠すのに苦労しているのが横でみていてわかって、くっくっくっ、な感じがした。 海外で会う、少人数で旅行しているアメリカ人たちは、わしの偏見に反して、たいていちゃんとしている。 欧州人に較べても、なんというかおとなであって、態度がきちんとしている。 オバマが国をふたつに割ってしまった。 こういうことはアメリカの歴史を通じてかつてないことだった。 アメリカではルイジアナが最も住みやすいと思う。 フロリダから州境を越えると、まるで別の世界でいつでもほっとする。 やわらかいクレオールの響きのように、人間性も柔らかくて、なめらかであたたかい。 話しているあいだじゅう背筋がぴんと伸びている感じがする。 話し方がすっきりしていて、無駄がなくて、知性的である。 dignityという言葉を思い出す。 部屋に戻って日本語インターネットをのぞいてみたら、アメリカの沖縄駐留軍を異常性欲者集団扱いしてアメリカ人たちを激怒させた大阪市長が今度は「他国の女性の人権も守るような発信をやっていく」と述べたそうで読んでいるほうはごく自然に頼まれもしないのに八紘一宇を唱道して「白人の鬼畜ぶり」に対して「アジア人の代表として人種差別と戦う」ために中国に上陸して南京や上海で「正義の戦い」を戦った過去の日本人の聖戦士ぶりを思い出してしまう。 日本人ほど外国に対して正義の民族としての義務をはたすことに熱心な民族はいないと思うが、なぜそれほど他国人を正義に導くのに熱心なのか見ているほうは単純に不思議の感に打たれてしまう。 ここにくる途中の村にも日本の人がいて、イタリア半島におけるローマ人の先住者であるエトルリア人の研究をしているドイツ人の旦那さんと一緒に地域になじんで生活している様子だった。 イタリアと日本は相性が良い国同士であるようで日本の人が大都市でないところにもたくさん住んでいるという。 都市はどんな国でも外国人にも住みやすいが田舎となると国との相性と文化程度が拮抗するのでないとなかなか住めるものではない。 日本という国に対しての知識はあまりなくても、イタリア人たちは地域地域に溶け込んで生活している日本人たちを観察して日本人たちの文明の高さを知っている。 ところがほとんどニューズにはならないといっても、折に触れて報道される日本の外国に対する態度は居丈高というか傲慢をきわめるというかで、これが隣人として一緒に暮らしている日本のひとたちが出身した国と同じ国なのだろうかと訝る気持ちになる。 日本語の体系と深く結びついて日本の社会には強烈なゼノフォビアが絡みついている。それはほとんど日本語で考えているかぎり脱出できないほどの深刻さであるようにみえることがある。 日本の社会はもっと日本人個人ひとりひとりをそっとしておいてやるわけにはいかないだろうか。 奇妙なことを言う、とおもうだろうが、これまでインターネットを通して眺めてきたかぎりでは個と個の対話ではふつうにしていられる日本のひとたちが「公」を意識し「社会」を意識した発言を始めた途端に、まるで発狂したような、日本以外の社会では到底まともな人間の発言とは考えてもらえない「意見」を述べだすのを見てきた。 いまの状態の日本社会に向かって言っても誰にも聞く耳がないのを承知の上で書くと、「橋下大阪市長の慰安婦発言はとんでもないがアメリカ軍の性犯罪が多いのは事実なので、それを指摘していくことは大事なことだ」「殺し合いを目的とする軍隊の構成員なのだからなんらかのはけ口を与えなければ兵士が強姦を働くのは当然」というような意見はもっともらしく聞こえるのかも知れないが、実際には空想的なくらい無責任を極める意見であると思う。 ツイッタで 「この橋下市長という人の滑稽な点はアメリカ人たちに「性的サービスを買う」ことを奨めることによって「妻子を裏切れ」と唆したのだという最も重要な点をいまだに理解していないことであると思う。それが判らないままジタバタするので日本の外ではだんだん話題として大きくなり規模も拡大しつつある」と書いたら、 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 3 Comments