日本語と所作

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わしガキの頃は、従兄弟(父親が日本人)と義理叔父(もろに日本人)と3人で、たとえばグラマシーの通りに出ている昼ご飯のテーブルに座っていて、外国人らしい人を見つけては、それがどこの国から来た人か当てる、という遊びをよくやった。
「よくやった」というが、実はいまでもやります。
モニとふたりでいるときもやる。

わしガキの頃は日本人は服装によって区別がつく人が大半で、NYCならば妙に欧州風な、欧州風だけど、きちっとしすぎた着方のアジア人はまず間違いなく日本人だった。
この遊びは正解がわからなくてもいい遊びなので、たいていの場合、(会話が聞こえなければ)いまのは東欧人だった、あれは、大陸欧州のイタリア人だろう、という推測が合意されたところでゲームは終わるが、テーブルの上に「ここはわたしの席だ」ということを示すために財布やハンドバッグを置いていく人を見ると、「あっ、日本人!」と言って飛び上がって喜んだ。

誤解してはいけないが、「日本人はセキュリティの感覚がない」と頭のなかで難しげな顔をして述べようとしているのではない。
単純に、日本人が貴重品を誰でもが盗んでいけるテーブルの上に置いていってしまうのが面白かったから大笑いして喜んだので、ガキだと言っても、その可笑しさのなかには、
「日本て、平和なよい国だな」という軽い羨望がこめられていたと思う。

その頃はシリコンバレーに行くと台湾の人が多かったが、なんだか暗い色の紺の、チョー安っぽい背広に黒縁の眼鏡で、全体にもさもさしていたので、簡単に区別がついた。
韓国のおばちゃんは、これはいまでもそうだが、なぜかチリチリの鳥の巣みたいな髪の毛にしている人がおおいので、髪をみればイッパツで判る。

プラヤ・デル・カルメンやコズメルのような場所には若いイタリア人やスペイン人が多いので、イギリス人の団体がやってくると、ひと目で判った。
イタリア人やスペイン人たちが、ファッションモデル組合の慰安旅行だろうか、というくらいカッコイイのに、イギリス人たちは、全体に、ボテッとして、だらしないショーツのはきかたで、似合わないアロハを着ていたりして、国是に従っているというか、いかにもダッサイ外見だからです。

ミルピタス
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/27/milpitas-ミルピタス)/
に行くと、ハードウエア産業が中心のコンピュータの町(サンディスクの本社はここにある)なのでインド人や中国人韓国人、そして日本人がたくさん住んでいる。
たしか「アメリカ最大」ということになっているモールに、日曜日、モニとふたりででかけてみたら、ごわあああああっとモールに溢れている人のほぼ全部がアジア人で、ところどころにぽつんぽつんと見えるコーカシアンは、よく見ると奥さんがアジアの人で、簡単にいえばアジアの人がうんとリラックスできる王国です。

日本の人はすぐに判る。
歩き方に強烈な特徴があるからで、一面東アジア人がいるところでも、日本の人が歩いていれば、そこだけスポットで浮き出しているようにわかる。

西洋人はよく日本人をさして「ロボットのようだ」という。
言われれば、あたりまえで、日本の人は嫌な気持ちがするに決まっているが、他の悪口とちがって、日本の人に面と向かっても言うことがおおい。

わしの観察によれば「ロボット」という言葉が出てくるのは、どちらかというと外見からの印象がおおきいようで、それも顔の表情に乏しい、ということはあるが、たとえばカタロニア人も街頭では表情に乏しいので、身体の動き方のぎこちなさ、というほうに強い印象がありそうだ、と思う。

日本にいたときの観察では、日本の人が自然な身体の動かし方をするのは、だいたい小学生くらいまでで、中学生くらいになると、カタカタと音がしてきそうな、ぎこちのない所作がおおくなる。
思春期をすぎると、この「不自然な感じのする動作」は死ぬまで続く。

面白いのは、自分が気安いと感じている年が下の人間といるときには所作が突然自然になって、顔の表情まで寛いで、まったく自然なものに変わっている。
同じ人が「上司」にあうと、椅子にこしかけるやりかたまで、ぎこちない、かつかつと音がしそうなものになる。
パキッ、と音がしてクビがもげてきそうだとハラハラする。

状況証拠から考えて、自意識が動作を阻害することによって、不自然な肉体の動きを招来するのだと思うが、よく考えてみると、それは結果にしかすぎなくて、日本の人の動作を日本の人の動作たらしめているのは、その自意識を沸騰させているなにものかのほうであるに違いない。

この頃よく敬語の体系は、実際に民主主義社会の成立を阻んでいるのではないか、と考えることがある。
よく知られていることだと思うが、敬語の体系は、本来は年長者や上司というような「目上の者」が「目下の者」に敬語を使うことによってしか成立しない。
話が抽象的にすぎる、と思う人は、ひどい日本語しか話せなかった父親と異なって、美しい敬語を話すいまの天皇陛下と皇后が、どんな日本語で政治的教条においてはともかく、日本語の体系のなかでは「目下の者」の集合である「国民」に話しかけているかを観察してみればよい。

現代の日本語では「目上の者」が「目下の者」に敬語をつかうことが少ないのは、日本語がいちど軍隊によって完全に破壊されてしまっているからである。
大学のなかでは学生に敬語で話しかける教授が珍しくなく存在するのは、そのことと関係がある。

軍隊の敬語は、吉原の花魁言葉と同じで、敬語がうまく使えない人間にも即製で敬語が話せるようにつくった人造語だが、上官が部下に敬語を使わない、という敬語全体にとっては致命的としか言いようがない欠点をもっていた。
戦後の企業社会は、その軍隊日本語をそっくりうけついでしまったので、それが結局は「新しい日本語」になったが、この日本語は、おいおい話そうと思うが、欠陥が極めて多い言語で、表現しえない事象がおおいのに較べて、会話が自由にやれないという言語としては信じがたい欠点まである。

人間の意識をつくっているのは言語なので、人間の意識の「リズム」も、また言語でできている。
具体的には、バールで立ち話をしているふたりのイタリア人を思い浮かべてみるのがよいかもしれない。
言葉の調子と、身振り手振りで、あいの手にはいる笑い声の「間(ま)」にまで、イタリア語のリズムがそのまま取り入れられているでしょう?

スポーツ選手は筋肉がもっともリラックスして動けるように筋肉の法則に従った美しい「定型」をもっているし、格闘家も「型」をもっている。
普通の人間は言語が自然や生活から吸収したリズムを言語を通して人間に還元する役割を担っているが、現代日本語は、それ自体、言語としての「リズム」、言語としての「時間」を獲得するのに失敗しているように見えます。

多分、義理叔父の書斎でみた新聞の切り抜きかなんかだったと思うが、日本ではジャズプレーヤーの草分けであるらしい渡辺貞夫という人が、自分のジャズがリズムを完全に失ったと感じてジャズプレーヤーを廃業しようと思い詰めるにまで至った「スランプ」の時のことを書いている。
考えれば考えるほど泥沼の底におちてゆくスランプのなかで、アフリカンアメリカンのプレーヤーに、「アフリカに行ってみろよ」と言われる。
もうジャズは自分には無理だ、日本人にはやっぱり無理だったんだ、と考えていた渡辺貞夫は自嘲的な気持ちでアフリカに、ともかくも出かける。

「ところがアフリカに着いてみると、すべてはジャズだった」
と、このサックス奏者は感動的な筆致で書いている。
「動物が歩くリズム、人間が歩くリズム、雨も、風も、生きていることさえ、ありとあらゆるものがジャズなのだ」

そうやってサックス奏者はジャズプレーヤーとしてのキャリアに戻ってゆくが、読んでいて気が付くのは、このひとがアフリカの「ジャズのリズムで出来た天地」のなかで洗い流したものは「日本語による内的思考」だったことである。

リズムが確立されていない社会では、人間は(ほんのわずかな一瞬だが)自分の意識にたちもどって考えてみなければならない。
こういうときは、どうするのが相応しかったか、この人は年長者だから、こういう話し方にしなければならない。この人は課長で、この人は顧客の係長なので、ここではこうすべきである、….わしなら、間違いなく、わっはっは、とごまかし笑いをして、すたすたと家に帰ってきてしまうだろう。

そんなメンドクサイ生活、やってられるか、と思うからです。
日本語には、いっぺん破壊された自分の身体をつなぎあわせなおして、日本人と日本の社会を楽なものに戻してやる義務があると思う。
それが出来なければ、結局は、英語にとって替わられてしまうのではないかと思います。

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