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淡い翳のなかの日本

ときどき日本にいたときのことを思い出す。 子供の時に住んでいた日本、連合王国からニュージーランドへ移動する途中のストップオーバーで旅行者として眺めた日本、「十全外人」 http://ja.wikipedia.org/wiki/乾隆帝 遠征計画と(ふざけて)称して5年11回にわたって1回最長数ヶ月滞在した日本。 あたりまえのことなのかも知れないが、どれも、違う国のような気がすることがある。 放射脳なので戻る気が起きないのだから、このブログによく出てきた「定食屋のおばちゃん」の「定食屋」とかを実名で書いたほうがすっきりしそうなものだと思うが、相変わらずぼんやりした表現にしてしまうのは、やはり心のどこかでは、「いつか戻れるようにならないか」と思っているからだろう。 ツイッタでも「あんまり日本が好きではなかった」と、うっかり言って、突然悪態をつかれたり、悲しまれたりしたが、日本の社会は好きとは言えなかった。 外国人の友達でも(フランス人に多かったようにおもうが)日本が大好きで、日本のものならなんでも好意をもって、まるで日本人になりきるつもりでいるかのような人もたくさんいたが、ぼくは、社会全体が軍隊のように感じられて、息苦しいし、退屈だと思う事がおおかった。 個々の日本人は当然別で、こっちでは、むしろ「日本だいすき」なひとびとよりも恵まれて、ずいぶん羨ましがられたりもしたが、考えてみると義理叔父が見えない所で暗躍していたというべきか、かなり気を使ってくれていたのだと思う。 礼儀をわきまえたひとばかりだったし、第一、面白い人がたくさんいた。 もっと若い世代はもちろん50代の人でも愉快な人がたくさんいて、たまたま義理叔父と同じ大学を出た人がおおかったので「トーダイおじさん」という呼称でブログ記事のなかに十把一絡げにされている気の毒なおじさんたちは、特にひとりで遠征計画実行中の頃は、ガメ、ガメ、と言って、ひとをペット並に愛玩して、今日はうなぎ屋、明日は居酒屋、と連れて行ってくれたが、それもいまおもえば、おじさんたちはおじさんたちなりに、「自分が信じる日本の最も良いところ」を見せようと一生懸命に考えてくれていたのだと思う。 なくなった店で言えば「山形屋」という居酒屋につれていってくれて、マグロぬたはうまいぞ、とこぶしもうまい、あれもこれも、と頼んで、いいとしこいて食べきれないほど頼む奴はやっぱりバカだ、と自嘲したりしていたが、小鉢のなかで手をつけられないまま居座っている食べ物が、そのままおじさんたちの過剰な親切心であったことを気が付かないほど頭の悪いガイジンといえどもバカではない。 「山形屋」でいえば、知らない人と肩を寄せ合うようにして座らなければならなかったが、不思議なくらいきちんとした、自分のふるまいを他人の目で観察できる客ばかりで、見ていると、お銚子の酒を飲むペースまで、高級料理店で、来るひとを選ぶような店と同じ、ゆっくりとして、急にもならず、間もあかない、日本の伝統にしたがったペースで盃を傾けている。 銀座松屋デパートの裏の「はちまき岡田」という店も同じで、駘蕩として、白い暖簾をくぐると、まるで戦前の世界でもあるような時間の流れかたで、実際にもやってきた客が「インバネス」を着ていたりして、びっくりしたりしたものだった。 白髪ネギが浮いた鶏のスープや、ますの照り焼き、八勺徳利で出てくる樽菊正宗がうまくて、おおむかしの日本でジジイでいるのは、結構たのしかったのではないか、と考えたりもした。 意外に思うかもしれないが東京という町はバルセロナにちょっと似ている。 町自体は綺麗とは言えないし、道行くひとも無愛想を極めるが、ほんの一歩生活のなかに踏み込むと、楽しいことがたくさんある。 往来では仏頂面で目があっても決して微笑したりしないひとたちが、あの日本の人特有の、つぼみの花が開くのを高速度撮影で撮ったような、明るい、質量のない、透明な笑い顔をみせる。 ほんの少ししかいなかったのに、モニとぼくに天ぷらをつくってくれながら、涙をぬぐいはじめて、「ガメちゃん、もういっかい日本に来てくれな。行っちゃうなんて、つらいなあ。ちくしょう」と言って、しまいには大泣きしはじめてしまったKさんや、いまでもときどき葉書を送ってくれるホテルの総支配人のSさん、日本のひとは外観からは決して想像がつかないほどの激情に近いあたたかい気持ちをもっていて、それが東京という町の最大の魅力をなしていたと思う。 ぼくが日本にもっていたものをすべて処分して、もうこの国には来ないだろう、と考えたのは2010年の秋だった。 東北大震災よりも前のことで、あの福島県の浜通りを非現実的な津波が襲ってきたときにはぼくはもうオークランドの家にいた。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/03/13/1885/ あるいはホームシックだったのかも知れないが、たくさんの良い友人がいたにも関わらず、ぼくはもう日本の社会が嫌でたまらなくなっていたし、気温が上がりすぎて、もともとは寒い土地に向いているらしい体質のモニとぼくには、夜中であっても出かけて歩ける日にちが、ごく僅かしかない、という現実的な理由にもよっていた。 もうひとつ、以前のブログアカウントの終わり頃に何度も書いて「お前は予言者のつもりか、ばかばかしい」といろいろな人に悪態をつかれたように、東海村JOCの事故後に誰も責任を取らないで「無知な現場」のせいにしたり、ことあるごとに「権威ある出典」ばかり発言者に要求して、わかりきった、あるいは、みながうなずけることしか受け付けなくなった日本の社会の体質を見て、(具体的には「もんじゅ」だと思い込んでいたが)原子力発電所の事故のような致命的な事故が起きてモニと自分の生命が危険にさらされるようなことが起きそうだ、という気持ちがあった。 もうひとつは、モニが地震がこわい、と言い始めたこともあった。 (しかし、ふたりとも、愚かにも、ふたつを組み合わせて考えてみる、ということはしなかったが) おとなになってから住んでみると、子供のときのただひたすら面白くて興奮の連続だった日本での生活と異なって、社会の「あら」が目立ったので、日本の社会はどうでもよかったが、日本語のほうは、どうでもよくはなかった。 日本人で英語や欧州語でものを考えられる人は逆のほうから同じことを感じているのを、あとで、勲さんというツイッタ上の友達を始め、いろいろな人と話して学習したが、英語と日本語では言語として根本的に異なる。 ぼくが勲さんと英語で話す時には、ぼくと勲さんは実は神のほうを向いて話している。 言語の構造上自動的にそうなるので、いわば一対一で話しているのに会話自体は三角形を形づくっている。お互いが神に向かって話しかけるのを聞いて、その返答をまた神に向かって話す。 ところが日本語にはこの構造がなくて、日本語で会話するときには、ぼくは勲さんに直接話しかけて勲さんもぼくに直接話かけることになる。 頭の良いひとはここで直ぐに気が付くと思うが、2人の人間が話すときに絶対者を交えた三角形が構成されない会話においては人間はウソツキになるかびっくりするほど失礼なやつになるか、みな同じ考えになるか、どれかしか選択肢がない。 自分の意見を率直正直に述べる方法など、ありはしない。 言語の構造が人間を不正直にするというのはSF物語のようだが、日本語社会では現実なのである。 一方では神を前提にしない言語であるメリットというものもたくさんある。 それは空を仰ぎ見るようにではなく深い井戸を垂直にのぞきこむようにものを見つめて考えられるからで、「人間とは何か」というようなことを考えるには日本語は極めてすぐれた言語であると思う。 虫がよすぎるかもしれないが、だから、日本の社会との関わりは言語上必要な程度にして、というのは気の合う友達と話すだけにとどめて、日本語は自分が「本質」について考える欲求をもっているあいだは失わないで保持していたい。 日本の細部がなつかしい。 軽井沢の発地の闇のなかを明滅しながら飛ぶホタルや、狸坂の急勾配、蕎麦屋のおばちゃんがそっと出してくれる茶碗のおきかたや、カウンタ越しに「ちょっとこれ食べてみなよ」と大将がだすニンジンの漬け物(ぼくが漬け物が嫌いなのはみなよく知っていた)が、おもいのほか、というよりもぶっくらこくほどおいしかったので、「うまい!」とおもわず口にだしたときの、大将おっちゃんの「快心の笑み」というそのままの職業的な誇りに満ちた笑いかた、このブログ記事によくでてくる定食屋のおばちゃんがカウンタの跳ね板をあげてとびだしてきて、ちいちゃなちいちゃな身体で、おもいきりわしに抱きついて、「あああガメちゃんだ。おおきくなっちゃったけど、あんた全然変わらないねえ。ああ、いいなあ、ガメだ。ガメだ!おばちゃん、ずっと会いたかったよ」と、まっすぐに述べてくれるひとのわしの腰にまきついた腕の弱いような、それでいて勁いような、不思議な感覚。 嵐の夜、台所にいて、紅茶を飲んでいると、世界のどこにもない、日本にだけある燦めくような細部がおもいだされて、息がつまるような、胸が苦しくなってくるような、焦燥では言葉としておかしいが、焦燥としか呼びようのない感情に襲われて、自分にとってはただの「外国」にすぎない国のことを思うのに、これはいったいどうしたことだろう、と不思議に思うことがあるのです。

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