でかけるまえに

paris56

人間の一生などは運であると思う。
そう言うと年長の友人たちは「ガメはヘンな奴だ。人間には2種類しかいない。
愚か者と賢明な人間だ。人間の一生には『運』などというものはない。他人よりも優れた人間が勝ち残るというだけのことではないか」という。

こういうおっちゃんたちには、実際、「おれは知恵で勝ったのだ」というだけの実績があって、投資先で予測できなかった戦争が起ころうが、地震があろうが、投資上の巨人たちが動き出して市場が滅茶苦茶になろうが、大混乱のなかから姿を現したときにはちゃんと成果を手にしている。

自分はどうかというと、なんだかいつもテキトーで、大本教の出口なおみたいなことばかり言っていて、自分のために仕事をしてくれるひとたちを戸惑わせたり、混乱させたりする。

自慢すると、わしの仕事上の「武器」は想像力である。
自分には「相手の考えていることが手にとるように判る」という特殊な才能があるようだ、と考えるようになったのは、ある香港人のおっちゃんを相手に仕事上の争闘をしたときだった。
詳しいことは下品だから書かないが、このおっちゃんはたちの悪いひとに首根っこを掴まれていた。
ビジネスや投資の世界ではよくあることで、ビジネスなどはどうしても人間と人間ががやることなので相手の人格が大事になる。
だからチョーひきこもりのガメ・オベールといえど、えっこらせ、と出かけていって相手を観察する。
「多少、人間に問題があっても優秀なんだからいいや」というのは墓穴を掘る早道であって、たいてい思わぬ齟齬が出袋して事業ごと、たか転びに転ぶ。
途中になって「自分の取り分が少ない」とか奇妙なことを言い出したり、利益がおおきいので自分だけで独占したい、と考え出す。

だから人間に問題がありそうな相手とは初めから何もしないのがいちばんいい。
こんなのとやってもしょうがないな、と考えた相手は、そのときは羽振りが良くても、3年くらい経って、「あのひとはどうしてるかなあー」と思って調べると、たいてい、ヘンな人と付き合っている。
ビジネスや投資は面白いもので、時間が経ってゆくと、似たもの同士、というか、狡い人は狡い人同士、人格が低劣な人は低劣な人同士、悪党は悪党同士で、肩を寄せ合うように、ならばいいが、お互いに牙をむきあって、しかし、それでも同じ共同体のなかでキャリアを全うするもののよーである(^^

ところが悪党というものは悪いことをすることにかけては、どこまでも頭がよく回るもので、判りやすい例に翻訳すれば、人柄がよく、仕事が出来て、実際ある程度まではうまくいって「業界」での信用を獲得した社長たちを借金でくびがまわらないようにさせて、このひとたちを使う。
なんだか演歌みたい、というか、こういう人格にすぐれた社長たちは「心の中で詫びながら」騙しにかかる人間たちの「看板」になるので、人間の良し悪しの観察などはいくらやっても、なにしろ後ろに立ってるのが悪魔そのもののような人間なので、ムダなのです。

シアワセなひと、というのはどこにでもいて、「それは零細なビジネスの世界をいっているので、一流企業というのはそんなことはありませんよ」などと言ってすましているが、それは、平たく言ってしまえば会社の経営に預からない「あんまし偉くないひと」だから、そういう平和な考えで生活していけるので、世の中の表面に出てきたものを、いま咄嗟に思い浮かべて述べれば、たとえばフォルクスワーゲンがロールスロイスを買収したときには、クルマ業界人は、その隠密裡に交渉をすすめてまとめあげた鮮やかな手並みに喝采をしたものだった。
ところが世の中には不思議なことがあるもので、そのしばらく後に、今度はフォルクスワーゲンと買収競争をして負けたはずのBMWがロールスロイスの買収を発表した。

タネを明かせば、フォルクスワーゲンはロールスロイスの、長い間投資されておらず、古色蒼然、いまでは使い途がなくなっていたロールスロイス社の自動車部門の「実質」を買わされていたので、なんとロールスロイス社は自動車部門の「実質」と名前を分離する、という手品のような契約書をつくって、実質よりは遙かに価値があるロールスロイスのエンブレムや名前はBMWに売っていたのだった。
その後表面を糊塗するために両者は話しあって表面上はなんとなくまともな取引にみえるように事実を改竄することになったが、
言うまでもなくフォルクスワーゲン社は大損害で、体面もなにもない大恥だった。
そのくらいのことはビジネスの世界ではいくらでもある。

投資の世界になると、当然というか、お話はもっとすごくなって、30階建てのビルの売買契約書をよく読むとリフト(エレベータ)の使用権が別売りになっている(^^;
ビルを取り巻いているプロムナードの使用権が他の投資会社に売られている。
終いにはビルの高さが実測値と異なったりする。

なんだか子供のだましあいのようだが、子供のだましあいはチョコレートがかかっているのに過ぎないが、いいとしこいた子供のだましあいのほうは、数十億円、数百億円がかかっているので、滑稽は滑稽でも、だまされて笑ってすます、というわけにはいかない点が異なる。

相手になりきって「こういうときに、あの手の悪党のおっちゃんなら何を考えて、どういう手を打ってくるだろうか」と考えてみれば、しかし、そこが悪党というもののマヌケなところで、欲に駆られているぶんだけやることが見え透いているので、次にやってくると判っている路地に立って、「そんなことを考えてもムダだよ」と伝えてやることが出来る。
どんなに相手が知恵をしぼっても、先回りして相手がやってくるところに立っていられるのは当たり前で、冷菜凍死家の才能とはそういうものである。

せめて、そのくらい才能がないと、やっていても面白くないし、第一オカネがなくなって破滅してしまうが、しかし、そんなことも些事にすぎないには違いなくて、人間の一生を全体として眺めれば、やはり運なのではないかと思う。

自分が結婚した相手で、いつも側にいるのに、こういうことを言うのはヘンな人だが、モニさんはこれを書いている言語をまったく読めないので、なんとなく言ってしまっても良いことにすると、モニのようにものすごい美人に生まれてしまうと、それだけで普通の一生とはだいぶん異なってしまうのではなかろうか。
モニと結婚して面白かったのは、みなが見ていないふりをしながらちらちらこちらを見ていることが多かったことで、なんだか無暗にでかくて、ぬぼおー、として間の抜けたにーちゃんを見ても面白いわけはないから、やはり皆がモニを盗みみているのである。

はなはだしきに至っては、キッチンのできあがった料理をならべるカウンタから、こっそりレストランのシェフがカメラでモニの写真を撮っている。
気が付いて、「ぶ」という顔をして睨むマネをすると、バツが悪そうににっこり笑って手をふっている。
パーティで不用意にモニにあったひとは、いいとしこいて、声が上ずってしまって、大慌てで自分が有名な大学の教授であることを述べて、奥さんを紹介するのもすっかりぶち忘れて、紹介すらされないまま横に立っている奥さんに、すごい顔でにらまれているのに、まったく気がつきもしないで、自分の知性と社会的地位の宣伝を「それとなく」していたりする。

横で見ていて美人に生まれるというのは、なんというくたびれることだろう、と考えるが、本人はなれたもので、ふつうにしている。
美人ばかりがちやほやされて不公平といえば不公平だが、しかし、世の中というものは不公平なものなのである。

木に触りながら言うと、わしは生まれてからずっと運がよかった。
それを認めなければ神様とゆえどぶちむくれて、「きみはヨブの話を聞いたことがある?」とか怖いことを言い出しそうなので、慌てて神様にお礼を述べておく。

難病や大病を患ったひとは、一般に「自分にどこか悪いところがあったから病気になったのだ」と考える。
犯罪では強姦被害が典型的で、人間がまだ無明の深い時代に生きていた頃は周囲ですら「夜中に男の欲情を刺激するような恰好で歩いていたおまえがわるい」ということすらあった。
深刻な話題なのに軽口を言うと、そんなら、世の中の女びとがみんな灰色の、ロシアの収容所服みたいな服を着ていればいいことになるが、そんな世の中に住むのは願い下げであると思う。
女びとの美しさで眩しいような燦めくような午後があるから、男どもも町の通りに出て闊達な気持ちになるので、そういうことに経済効果を算出してみせたひとはいないが、
やってみると、案外と何千億円、という経済効果があるのではないだろうか。
冗談だが。

大病にかかることと病気になってしまったひとの行いとに関係などあるわけはないが、それほど簡単なことさえ、人間は不運に陥れば混乱して確信がもてなくなってしまう。
すべてが自分によってコントロールされている、などというのは、人間がもちやすい他愛ない妄想で、ほんとうであるわけがない。
病気になるのも意味性など微塵もないただの「運」で日頃の行いとは何の関係もあるわけはないが、人間には「意味性」を血眼になって探すという病気があるので、
病気になったときすら、そこに「意味」をみいだそうとする。

自分よりも年長で、巨大な成功を収めたひとびとであるといっても、「人間の一生は運に左右されているにしかすぎない」という意見を変えたいとは思わない。
幸いおっちゃんたちも、「いったい何を言いだすんだ」と怒り出すことはなくて、
「ガメはヘンな奴だ」ですむので、そのくらいの見解の相違は我慢してもらえばいいや、と思います。

去年1年は「小さい人」の理由で10日と数週間の旅行に二回でかけただけだったが、今年から、元の生活に戻る。
このブログを長い間読んでくれているひとにはお馴染みの「移動モード」になるので、妙に短い記事や、「尻切れトンボ」の記事、唐突に終わったかとおもえば、いつのまにか記事が書き足されている。あるいは何日も放擲されているかとおもえば、一日にいくつもの短い記事が載る、というふうに乱調であると思う。
「山の家」(イタリアのコモ湖というところにあります)に着いてしまえば、「定住モード」になって、元に戻るが、ひさしぶりに戻る欧州なので1ヶ月ほどうろうろして歩きたい。(まだどこをうろうろするか決めてないが、だいたいクルマで小さな町や村にでかけて、そこで空いているところに泊まるので、いつもと同じ、予定などは最後まで立たないのだと思われる)
「ノマド」というヘンな言葉が発明されてしまう前は「ノーマッド日記」という名前だったりしたが、日本語の意味が変えられてしまったので、もう使うわけにはいかないよーです。
あとで読んでそれとわかるように、適当な名前をつけまする。

でわ。

(画像はシャンゼリゼの乞食たち。組織化されていて産業を成しておる)

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