Vernazzanoの斜塔

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泊まっている農家の持ち主が近所のひとのパーティに呼んでくれたのででかけた。
この農家の持ち主はミラノの音楽家で、パーティを開いたのはローマの音楽家です。
ドイツ人たちとイタリア人たちとフランス人とイギリス人のカップル(モニとわしのことね)がいる小さなパーティは6時すぎから始まって、10時過ぎまで続いた。

ドイツの人たち(大学の先生と高校の先生、ビジネスマン…)はすぐに自分の国を誇るという欧州でのドイツ人のステレオタイプイメージに沿っていて、ちょっと声を潜めていかに欧州におけるドイツの役割がおおきいか述べてしまうし、さらに声を潜めて、「きみ、知っているかね。イタリアには公式にはドイツ語とイタリア語を話すことになっている村があって、実のところ、イタリア人たちがいなくなるとドイツ語だけで話すのさ」と、さもそれが重大なことであるように厳粛な顔をつくって話す(^^;

イタリア人たちは、「この辺の道は、ぶち壊れているのに誰もなおさない。ドイツなら2日目にはもうなおっているけど、この国では未来永劫そういうことは起こるわけはない」とドイツ人たちに述べている。
わしが笑いをこらえるのに苦労したことには、ドイツ人たちの反応は、「ええ、わたしらの国ではイタリアで起きるようなことは起こらない。道路が荒れ果てたまま放置されていることに驚きました」であったことで、ドイツの人は欧州での評判どおりというか、ナイーブというか、何も考えてないというか、オモロイと思う。

欧州人という種族はみんな全然違う文化に拠っているのに、めいめいそれぞれ自分勝手にお国自慢で、欧州人が集まるパーティは上流階級のものでもアカデミックなものでも近所のものでも、その点では変わらないところが可笑しい。

パンにオリーブオイルをぶっかけて塩をひとつまみふったブルスケッタとオリブの実のペーストを塗っつけたパン、ウンブリアのフェネルをまぜた豚のソーセージや野生のイノシシのソーセージで始まったパーティは、パーティ主であるイタリア人たちの職業のせいでイタリア音楽界の危機の深刻さの話に及んで、もう音楽団体がひとつしか生き残っていないのだと聞いてぶっくらこいてしまった。
知らなかった。

欧州では、嫌味を言うとドイツの長年の夢がとうとう果たされたというか、ドイツが大旦那で、自然、他の国民はメルケルさまさま、ドイツ人がご主人様な雰囲気で、放蕩息子と化した趣のあるイギリスや口うるさいだけの伯母さんみたいなフランスは圏外である。
新聞がどう述べても人心とは正直なものであって、口吻にあらわれてしまう。

ケルンの一般的な高校では生徒の6割がトルコや他の国で生まれた生徒であるとか、表面は欧州人にのみわかる符丁的な「ナイス」な言葉と態度で述べられているが、居合わせている欧州人の誰にも判る一定の言い方で、異文化からやってきた移民をべたほめにほめながら、移民はもううんざりだと言っている。
わしは相づちをうちながら、「多文化主義」が欧州では完全に終焉を迎えたことを確認している。

午後にはVernazzanoの斜塔
http://www.trasimeno.ws/torre_vernazzano_it.html
へ行った。
無理をして行こうと思えばクルマでも行けそうだが、キャンピンググラウンドの門の近くでクルマを降りて森を抜けて歩いていくことにした。

Vernazzanoの斜塔は「ツーリズム」ということを考えるときには、いつも興味深い。
歴史的にも建造物的にもVernazzanoの斜塔はPissaの斜塔に何の遜色もない重要性をもっている。
それなのになぜPissaの斜塔ばかりが有名でVernazzanoの斜塔は知っているひとすら少ないかというと、簡単に言えば「商売の上手下手」の違いに帰着する。

信じるのが難しいが、今日のパーティでドイツ人夫婦が盛んに述べていたとおりSantiago de Compostelaも30年前は、誰にも見向きもされない町だったので、観光においてはマーケティングの才に恵まれた人間がスポットライトをあてるか否かは、決定的な問題なのです。

キャンピンググラウンドでクルマを駐めたモニとわしは、「ほんとうにこの道かなあー」と言いながら、緑が深い森の凸凹の道をどこまでも歩いて行った。
塔が見えるもなにも、開けた視界というものがないので、道の先になにがあるのかも判らない。
それまで降りしきっていた雨が止んで、太陽が出る頃になって、不意に視界が広がって、向こうの森のそのまた向こうに巨大な塔がたたずんでいるのが見えた。
中央に大きなクラックが走っていて、補強のための鋼鉄線のケーブルが何本か張られている痛々しい姿で、Vernazzanoの斜塔は立っていた。

こんなことを言うと笑われてしまうが、なんだか南アメリカのジャングルのなかでエルドラドを発見した探検家かアンリ・ムーオのような気持ちになる。

ともあれ、森を歩いて原っぱに出て塔を発見したときの感動はかなりのもので、他の国ならとっくのむかしに観光開発がすすんで、道は凸凹どころか、舗装されて道路の両肩には「Vernazzanoの斜塔まんじゅう」を売る店が殷賑を極めてるのは見えているので、「やっぱりイタリアはオモロイ国だなああ」と考えました。

帰りにはドライブインに寄って、プラスチックの皿に盛ったfedeliniのラグーソースを食べた。Suppliとテーブルワインとフリザンテでひとりあたり€9。
街道筋でトラックがいっぱい駐まってるドライブインはおいしいというガメ理論が現実によって補強された。

「相手にされていない」のだと言うひともいるし、「差別だ」というひともいるが、なんだかそういうことではないのだと思う。
日本は欧州人にとっては「知らない国」だし「知ろうと思ってもとりかかりがない国」だし、皮肉な言い方でも誇張でもなく「普通の欧州人」にとっては「存在しない国」である。

一方では日本で「欧州はわれわれのことを知らないがわれわれは欧州のことを勉強してよく知っている」というが、わしは全然そう思わない。
日本の人も欧州のことはこれっぽっちも理解していないと思う。

ほんとうは当たり前で、ガリシアに3年間住んでいたドイツ人カップルでも「スペインという国は理解不能である」と言う。
直感的に言って10000キロ離れている欧州のことを日本がたいそう理解していると考えているほうが変わっている。

かけ離れた文化を理解するためのゆいいつの入り口は言語だが、冷たいことを述べると英語でさえ日本で英語出版社のような会社の「英語係」として禄を食んでいるひとでも、英語人からみると、うーん、そういうことを知らないということがありうるのか、と言いたくなるていのものである(ごみん)

いままで見てきて日本人で欧州を違和感なく理解していると思えたのは女のひとで配偶者が欧州の国の人間である場合に厳格に限られていた。
それも(理由はまったく判らないが)子供がいるひとに限られていた。

欧州の研究者だの文学者だのというひとは全然ダメで、考えてみると、そういうところに他文化を理解することの難しさを考えるためのヒントがあるのでしょう。

このブログをずっと読んでくれているひとは気が付いていると思うが、いま日本社会で顕在化している問題の多くは日本が(誰にでも納得できるやむをえない理由により)急速に欧州を模倣したことによっているとわしは考えだしている。
その上1945年を境にアメリカの巨大な影が日本に射して、その「アメリカ」を欧州と混同することによって問題はいっそう複雑になったのだと思う。

明治時代に淵源をもつ日本語口語の「伝統からの乖離」の問題は、ここに来てようやく深刻な相貌の真の姿を見せ始めて、日本社会は「言語」を由来とする数々の問題を抱え込むことになった。
しかも問題の段階はすすんで、日本語ではかつての古代ギリシャ語に似て語彙がくさりやすくなっていて、一世代ももたない早さで絶えず死語を生み出している。

わしは、日本人は、そういう言い方をすれば欧州人が日本人に対してもっている距離感を日本人の側からも取り戻さなければならないと思う。
トンチンカンで余計な欧州解説者などいらないから、日本人が日本人に回帰して、言葉がある程度の普遍性と寿命を回復しなければ(おおげさでなくて)社会が崩壊する一歩手前まで来ているのだと思います。

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3 Responses to Vernazzanoの斜塔

  1. 眠り頭 says:

    移民の人たちがどれだけ優秀でも、或いは現地の文化に溶け込もうとしてもやはり違う場所で生まれ育ったというところからくる文化的な差異が、それが例え小さな違和感であっても恒常的に接していると欧州の人にとってはストレスになってしまうのかな。

    移住者にとっても馴染みのない場所に行ってその土地に根を下ろすというのは考えるまでもなく大変なことだと思うけれど、ガメさんの言うように欧州を違和感なく理解していると思えたのは女のひとで配偶者が欧州の国の人間である場合に厳格に限られていて、尚且つ子供がいるひとに限られていたというのでは大変な道程やね(これは日本の人の話なので他国の人の場合はまた出身地に応じてかわってくるのだろうけど)
     
    ドイツに来てよく思うのは(当たり前すぎるし何を馬鹿なと自分でも思うけど)やっぱりここは全然違う土地で自分が生まれ育った所とは似ても似つかない所だと思うこと。
    日曜日公園で自転車の練習をしている父子の会話を近くのベンチに座って聞いていたり、大きな道路を挟んで何やら楽しそうに大きな声で名前を呼びあったりしている男の子たちを見ていると人間なんてどこ行っても変わらんなぁと思うけど、 森の中をふらふらと歩いては、「もしかしたら居るんじゃないか」と思って日本の神さんみたいなのを探してみたりするけどやっぱりいなくて、「そりゃそうだ」と思ったり。 
    美術館にいって、或いは図書館に行って色んな画家の図版をひっぱり出してきて森の絵を見て「ああそうか、ここには全然違う神さんたちがずっと前から住んでたんやな。あほやなおれは」と納得したりしている。 
     僕の故郷とは違う町並み、或いは植生の違う自然の中を歩いているとそこには翻訳が不可能な、土地が持っている本質的な性格とその土地に刻み込まれた膨大な量の記憶を目の当たりにして、その自分が持っているものとは違う何かに惹かれると同時に、自分の背後にあるものがそれを強く拒絶していると感じることがある。 

    僕は人間の魂はどうしても自分が生まれ育った土地の土や文化から逃れる術はないとおもっているのだけれど、それは農耕者の感覚で、自分が百姓の家(兼業農家だったけど)で育ったからだとも思っている。
    祖父や父が「ご先祖に申し訳ない」というのを聞いて育った。ご先祖様というのは土地であり田畑であり、何よりも土のことなのだな、とこの間父親とスカイプで話していて思った。 
    百姓にとっては、山も川も草も木も田畑も、そして墓場へ続く細い山道も全て「ご先祖様」という言葉で表現される死者達の記憶との繋がりを保証するものなのだと思う。

    僕はこういう「土に縛られる感覚」というのを結構特殊なものだど思っているけれどどうなのかな。
    ガメさんのように色んな所に家を持って世界を移動しながら暮らしている人達からすると理解しがたい感覚なんだろうか? でもガメさんがこのブログでよく書いている言語の問題やこの記事の欧州の人たちが移民をうんざりだと思っているというようなことを聞くと、やっぱり人は「土」に縛られる存在なんだろうかと考えてしまう。

    書き始めると思ったより長くなってしまった。ヘンなことを書いてるかもしれないけど、記事を読んでたら言葉がポロポロ出てきたので書いてみたよ。 記事のテーマとズレてたらゆるしてちょ。 では。

  2. Hypocrite says:

    Suppli 大好き

  3. 眠り頭 says:

    自分のコメント読み返したら日本語が間違っていて意味不明なところがあった。恥ずかすい。

    「或いは植生の違う自然の中を歩いているとそこには翻訳が不可能な、土地が持っている本質的な性格とその土地に刻み込まれた膨大な量の記憶を目の当たりにして」

    ではなくて

    「或いは植生の違う自然の中を歩いているとそこには置き換えが不可能な、土地が持っている本質的な性格と、その土地に刻み込まれた膨大な量の記憶が存在するのを目の当たりにして」
    だね。

    失礼しますた。

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