幸福になりたい

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欧州が移民に対して門戸を閉ざそうと決心したように見える、と書いたら、
日本語の世界からふたつの声が返ってきた。
ひとつは、日本人から、いいとしこいて、40歳をすぎているのにニュージーランド人に化けようとたくらんでうまくいってしまった村上レイで、

と述べている。
村上レイは「おれはもうニュージーランド人だ、日本のことなんか知るか」と言い続けているが、その割に日本がどうしてゆいいつの諸問題の解決策であることが(村上レイにとっては)わかりきっている移民の大量受け入れに動かないのか、これでは手遅れになってしまうではないかと苛立って地団駄を踏んだりして、ほんとうはむかし別れたはずの祖国とあんないけないことをしたりこんな人に言えないことをしたりしたのが忘れられなくて「心は忘れても身体が忘れない」状態(©演歌)なのではないかと思われる。
その証拠に心はマクドナルドのドライブスルーでコーラを頼んでいるのに肉体のやるせない一部である声帯は日本語が忘れられなくて、なまって、コーヒーが出てきて後席の息子たちに大爆笑・大受けしているのだとツイッタで述べておった。

過激な移民開国派で、役に立つならグリンゴンでも火星人でもつれてこんかい、という人である。
世界に例をみない、ビクトリア女王の別荘の裏庭で生まれたようながちがちごっちんの保守的な国柄から一転、チョー過激な移民政策をとって国ごと再生したニュージーランドに住んでいるからでしょう。

それに対して、自己紹介を読むとフランスに住む日本人であるらしい「パリババ2号」という人が「もとからフランスに住んでいる白いフランス人」が移民はもううんざりだという意味でよく述べる意見である「福祉政策めあてでくる移民がいるのは事実」

と言っている。

「移民はわれわれの国に仕事や教育や医療や福祉を盗みに来ている」
「われわれが税金をつかって営々と築き上げてきたものを、移民たちは、ろくに税金を払いもせずに根こそぎさらっていってしまう。このままではわれわれの社会保障は移民たちのせいで破綻してしまう」
というのは、実は「肌の色が異なる醜い人間があんまり増えると町が汚くなる」というような「冗談」を「仲間うち」では平然と述べるある種の人達が、肌の色や人種を公然と理由にするとほんとうは頭の中の大脳が普通の人間の半分しかなくて、「ムスリムやアジア人たちには困ったものだ」と顔をしかめて頭をふると「コロコロコロカラカラカラ」と大脳が頭のなかで音を立てるのをごまかすために、婉曲表現の一種として使うのでもよく知られている。

フランスにもイギリスにもエジプトの石で敷いた道路というものが存在する。
せっかくのんびり寝ていたエジプト人たちの墓をあばいてロンドンにもってきて「博物館」という名前で見世物にしたので、夜中になるといまでも自分達の石棺のまわりを歩き回って、目撃した警備員の髪を逆立てた絶叫を聞いて「にひひひ」をしているという。
もってきてしまったものは、それだけではなくて、アメリカ人などはアフリカ大陸のあちこちから人間をもってきてしまった。
もってきてしまってから、いらなくなって、邪魔だから全部殺してしまったらどうかと考えたりした。
なぜアングロサクソンが苦労に苦労を重ねて成功して、その尊い努力の結果支払った税金から、アフリカ人たちの教育や福祉の面倒をみなければいけないのか。
あのアフリカ人たちが遊んで暮らしている社会を築いて支えてきたのはいったい誰のカネなのか。

まともな人間でありそーな「パリババ2号」さんには、なんだか気の毒みたいだが、欧州人の立場を理解したい一心の日本人である「パリババ2号」さんは良いとして、このひとの周りで、「事実なんだから仕方がない」「移民を差別するわけでは決してないし、必ずしも移民そのものに反対しているわけではないが、行き過ぎるは困るので言うと」「第一、私にも移民の友達がたくさんいるので、悪意があるわけではないのは判ってもらえるが」と気の小さな人種差別主義者が必ず必須の教養として身につけている枕詞を頭にふってから、述べたがることに多少でも正当性があるのかというと、そんなもんかけらもないわい、としか言いようがない。

人間の世界の進歩は「わたしは幸福になりたい」というひとりひとりの人間の強い願いをエネルギーとして起こる。
人間の進歩が、「もうダメだあ」「これから先の世界は悪くなるだけだんべ」「むかしはえがった」という老人達の悲鳴やつぶやきにも関わらず、ここまで一度も停止しないできたのは、単純に「まだ幸福になれない人間がいるから」という簡潔な理由によっている。

このブログには何度もでてくるいまの現代人の共通の祖先である人間全員が住んでいた人口が数千人という単位を越えないアフリカ大陸のたったひとつの村に住んでいたアフリカ人たちの、そのなかのまた小さなグループは、気候の変動につれてみるみるうちに緑から褐色に変わる景色を見て、勇気をふりしぼって、まだ見ない土地へ行こうとたちあがって歩き出した。
かすかな緑がつづく道を伝って、海に遮られれば筏ともいえないような蔓でしばりつけた木の幹を組み合わせてつくった乗り物で、雲の形から陸地が存在すると判る対岸をめざした。
一方で、住み慣れた村に残ったひとびとは死滅した。

「福祉を盗みにくるだけの移民がいるのも事実だ」という欧州人と「自分を準欧州人とみなしているひとびと」の理性の感情に左右されない厳正さに、わしは憧れないわけにはいかない。
それほどの、蛇のような冷静さを持てれば人間はどれほど知的でありえたことだろう。

わしがエチオピアに生まれて親になって病弱な子供を抱えていれば、わしは一も二もなくフランスでもどこでもいい、子供が生きていけるかも知れない医療制度が存在する国に「医療サービスの恩恵を盗みに」行くだろう。
仕事などは、そのあとで考える。
食っていければいい、と思うだろう。

まったく救いのない貧困のなかで苦闘するコンゴ人たちの姿を描いた映画でもある
Staff Benda Bilili
http://fr.wikipedia.org/wiki/Staff_Benda_Bilili
の映画、「Benda Bilili」
http://en.wikipedia.org/wiki/Benda_Bilili!
には、キンシャサの路上で暮らしながら、「どうやったら欧州へ行けるか」「欧州へ行けば野垂れ死にしなくてもいいという」とさんざん夢を語り合い、何時間も語り合ったあとで、でも行けるわけがない、と考えて落ち込んで肩をだきあって泣く若いコンゴ人たちが出てくる。

「福祉政策めあてでくる移民」の正体は彼らであって、まるで奇跡が起こるようにして普通の人間には考えられもしなかった「欧州へ行く」という機会をつかんで欧州へやってきたものの戻ることも出来ず、職もなく、故郷では人並み外れた能力を持つことを矜持にしていた誇りを欧州人たちにズタズタにされながら、欧州人たちの伝統的な「よそ者」への冷酷さの壁にとりかかりもつかめずにゴミ箱をあさるまでに落ちぶれてゆく人間たちが、選挙で勝つために指弾されている「福祉教育泥棒」である。

日本の「タカミネ」のギターを寝るときでも身体のそばから離さないマリの国民的歌手 「KarKar」

は、マリで歌手として成功を収めてから移住したフランスでは最もよいときで道路工事の日雇い労働者だった。
わしの大事な友人であるロシア人の研究者の女びとは、まるまる2年食べるために留学先のパリの街頭で売春婦をしていたと笑って教えてくれたことがある。

欧州に限らない。
いまの世界で先進国だと肩をそびやかせている国々は、歴史の神様の目からみれば単なる「収奪者」の群れにすぎない。
キンシャサに生まれるのもロンドンに生まれるのも東京に生まれるのも、ただの偶然なのである。
キンシャサに生まれたきみの兄弟が、自分のポリオにかかった妹のためにパリをめざすのをなぜきみは平然と「泥棒」だと呼べるのだろう。
四川の田舎に生まれて、飢餓に瀕する村中の期待を担って真っ暗で50℃を越えるコンテナのなかで息をひそめ、夜更けの横浜の埠頭におりたった中国生まれのきみ自身の兄弟を、どうしてきみは「職業泥棒」と呼べるのだろう。

わしはきみがフランス人でも日本人でもキンシャサ人でも、四川人でもどうでもいい。
全体の人間を救うのは神様でも無理なのだから、わしなんかの手に負えるわけはない。
でも、なんとかうまくロンドンにもぐりこんで、福祉と老後の保障を手に入れたアフリカ人にめぐりあえば、せめてもその幸運を祝福してあげればよいと思う。
移民法の不正くらいは片目をつぶって、ウインクして見逃してやれば良い。
そーゆーのを「文明人的態度」というのだと思うぞ。
(何をのけぞっておる)

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2 Responses to 幸福になりたい

  1. lazarus says:

    事情があって、ツイッターで会話ができないようなので、こちらに書かせていただく。
    先日、妖怪目玉殿と話をしていて、「発作をおこしてタクシーで病院に行かなかったらオールナイトニッポンを聞くこともなかったろうな」と書いたら、タクシー?救急車じゃないの?と驚かれた。続けて、「よほど運が悪くなければ死ぬことはない。チアノーゼぐらいでさ」と書いたのだが、冷静に振り返ってみれば、私の置かれた環境は立派なネグレクトと呼べるものだったろう。さらに続けて、「現在で例えるならばフクシマの子どもみたいなもんさ」と書いた。
    大人になってから、車で奥会津の山深いところまで行けるようになって考えたことは、「こんなところに生まれていたら俺は死んでいたろうな」ということだった。

    (氷を入れたビールを飲みながら) ラザロ

  2. tetsujin says:

    ガメ・オベール様

    文句なしにかっこよいぞ。読み終えて元気が出た。

    もう10年以上も前に、某国の不法就労集団に本当に優しくしてもらったことがある。ちょっとした縁でラマダン明けの御馳走に招いてくれた。

    男も女もきつい肉体労働にたずさわっていた。みんな胸板が厚くて、握手したら手が肉厚で大きかった。何のわだかまりもなくもてなしてくれて、こっちは行き詰まっていたときだったから、気持ちが救われた。ほんとに今思い出しても涙がにじむ。

    海辺に大勢でピクニックに行ったりした。持っていったハラールの肉の他に、漁師さんからカタクチイワシをでかいトロ箱で買って、炭火で焼いてタマネギとトマトと一緒にパンにはさんで食べた。あんなにうまい小イワシの食べ方、知らなかった。別の折には、工事現場で大けがをした若い衆のために車いすを手配したら、すごく感謝されて、かえってこっちがもうしわけないくらいだった。

    その後お金を貯めて帰国して、ヘーゼルナッツの果樹園を買ったとか、夫婦でお店を開いたとか聞いた。彼らにとって日本は居残るところじゃなかった。それはさておき。

    生き延びるために日本を利用できるんなら、みんなどんどん利用してくれ、と思う。それは、こちらもしあわせになることでありうる。

    「幸福になりたい」というガメ殿の表現は、今までもうひとつぴんと来なかった。というのも、「しあわせ」とか「こうふく」というのは、私には印象派の絵画みたいなものを連想させるコトバだから。たしかにそれは悪くない。でも、そういうものは「プチブル的」というものでありまして、まだプチブルがほとんどいなかった頃、日本ではバカにされてた。「家庭の幸福は諸悪の本」と太宰治も言っておる。(でも現実にプチブル見習いになってみたら、居心地良くて、やめられませんがな。)

    ガメ殿が「幸福になりたい」というコトバで表現することは、生き延びたいということなのだった。ならば、文句なく支持する。わしらの国がまだ使いものになるなら、存分に使ってみんな生きてくれ、と思う。それがわしらのよろこびとなり、誇りとなるだろう。

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