Monthly Archives: June 2013

豊かさ、はどこへ行ったか?(その3)

オーストラリア人はaggressiveなのが欠点というが、そのシドニーのタクシー運転手は訛から考えて一代目のギリシャ人移民であるのに、たいそうaggressiveで、その点ではもうすっかりオーストラリア人なのだった。 目にみえるものすべてが気に入らないとでもいうように悪態をつきまくっていたが、オーストラリアの生活、ということになると、神経が昂進してしまって正常にもどらなくなったといえばいいか異常な興奮状態になって、こんなクソみたいな国が世の中にあっていいのか、この国の奴はどいつもこいつも頭がわるいクソだ。 知ってるか?おれはオーストラリア政府に騙されてこの国に移民してきたんだ。 なあああーにが「ランド・オブ・プレンティ」だふざけやがって。 犬のおしっこでももう少しマシな、ぬるい薄気味悪いコーヒーに500円とってヘーキなくらいこの国のバカどもはクソである。 知ってるか? オーストラリアの政府は中国人に買収されてんだ。 ほんとの政府は北京にある。 あっ?中国野郎達の首都は上海だっけ? まあ、どっちでもいいや。 あいつら中国人は、それで北京や東京からやってきて、オーストラリアをそっくり買い占めて、中国野郎のうすぎたない顔を通りにならべようっていうんだぜ。 知ってるか? おれの家は買ってから値段が3倍になっちまった。 「よいことでないの」とわし。 「よーいことのわけがねんだろがっ!」と興奮して英語が崩壊しつつある運転手。 お客さん、おっまええ、ばっかだなあー。 だって、おれの家だよ? 売ったらおれはどこに住むんだよ? 不動産の、税金があがるだけで、おれは損しかしねーんだよ。 「なるへそ」 ギリシャ人運転手おっちゃんは、そのまま、ずううううっと興奮していて、オペラハウスからボンダイビーチに着く頃には、哀れな運転手おっちゃんは、かなり凶悪な人相に変わっていた。 オーストラリア人が呪詛する不動産価格の高騰の背景には、たしかに「チャイナ・マネーの流入」が含まれている。 地図でみるとおおきな国だが、オーストラリアはなにしろ(主に水の不足のせいで)南側のへりっこ沿いくらいしか住めるところがなく、経済的にはまったくの小国なので、ちょっと中国からオカネが流れ込んでくると、ちいさなちいさな居住不動産市場は、どんっと跳ね上がってしまう。 中国はインターバンクレートの急騰が話題になったばかりだが、オーストラリア人やニュージーランド人の視点から見ていると、他にももっと不審な点がいろいろある。 「オーストラリア人やニュージーランド人って、あんたねえ、いまの経済は世界的なものなんだよ。そんな視点あるわけないだろ」と怒る人が出てくると困るので説明すると、 不動産の騰がり方がヘンで不動産人と話してみると中国人たちの土地の買い方が「ヘン」だからだという意味です。 もうひとつはニュージーランドやオーストラリアで中国人の「富豪」たちと話してみて初めて判る事実、ということもある。 オーストラリア人たちは大量のカネをもってやってくる中国人たちについて、ほとんど値踏みというものがなくて、まるで国ごと沈没するのがわかっていて救難艇に乗って逃れてくるひとびとのようだ、と異口同音に述べる。 なんだか息せき切って高級住宅を買い漁っている。 4年前には、シンガポール人たちが同じことを述べていた。 自分達の会社の投資団にくわわった中国人たちを案内すると、なにを見ても価格を聞いて「安い!安い!」と連発する。 なにがなし、バカにされたような気になって、セントーサに近い新しいコンドミニアムを見せた。 「いくらか?」と聞くので、待ってましたとばかりに「一戸、二十億円ですね」というと、びっくりしてしまっている。 なはは、驚いたか、田舎者め、と思って溜飲を下げていたら、 「そんなに安いのか!じゃあ、おれと娘用にふたつ買うから、購入を手伝ってくれ!」 と言われたそーでした。 その頃は「中国人は富が偏在しているので、金持ちはバカガネモチであるな」と述べていたが、最近は、どうも様子がヘンである。 こういうことをブログ記事で詳しいことを書くバカはいないし、いままでもうっかり書いて、知ったかぶりのヘンなひとが説教をしにあらわれるだけでよいことはなかったので書かないが、市場の底が抜けるのではないか、と思われる徴候がたくさんある、というよりも中国人たち自身は、はっきりとそう思っているように見える。 中国の経済が実は歴史的には日本経済の模倣とみなせることは前にも書いた。 チョー大雑把に言うと日本の経済をまねてつくりだした自由社会風の統制経済がシンガポールであり、そのシンガポール https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/1512/Continue reading

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「分解された光」のような幸福について

1 子供のとき、メイドが必要なオトナになりたくなかった。 祖父は良い人だったが、なにも自分では出来ないひとだった。 卓上の、小さいわりにびっくりするようなおおきな音がするベルを振って使用人の誰かを呼ぶ。 ガキわしはいつもそれをとても「かっこわるい」ことだと思って眺めていた。 ワイングラスをいくら洗っても曇りが残るのにモニが洗うと魔法を使ったように綺麗になる。 どうやったらそんなに綺麗になるの?と聞くと、「ただふつうに洗うだけです」という。 でもわしが洗ってもモニが洗ったように綺麗にはならない。 そーゆーことはあるが、汚れ物の洗濯にしろ、(手でする)皿洗いにしろ、部屋の掃除にしろ、自分でやってめんどくさいと思うことはない。 かーちゃんと妹とわしと3人で並んでTシャツの「あっというまにたためるたたみかた」を習ったり、洗剤をどんなに使ってもおちない汚れがお湯を使えば落ちるのを教わって、「Mr.Hotwaterを讃える詩」を書いたり、 洗濯物があっというまに乾く(しかも、すっごく良い匂い!)ので「太陽の母上様」にふざけて手紙を書いたりした。 自分の身の回りのことがなんでも自分で出来る生活は、とても快適で、人間が自由になるということはほんとうは「自分の世話が自分で簡単にできるようになる」というだけのことなのではなかろうか、と考えたりした。 「小さいひと」が生まれてからは、小さいひとの面倒を見る人に始まって、さまざまなひとがモニとわしの生活を手伝ってくれるが、なんだかつまらない感じがすることがある。 自分達の生活でないみたい、というか、会社みたい、というか、(読んでて気が付いたひとがいるかもしれないが)広尾でモニとわしを手伝ってくれていた(スーパー家政婦)Yさんも含まれていて、とてもすぐれたやさしいひとたちばかりだが、それでもイタリアの田舎で、農家の二階で、おなかがすいて、モニとふたりでありあわせのトマトとモッツアレラにバジルを載せてacetoをかけて食べると、なんだか、そっちのほうが「ほんとうの生活」であるような気がした。 子供ができれば夫婦らしくなるのかと思ったが、全然そんなことはなくて、モニは本を読んでるときに気をひこうとおもってほっぺをつんつんすると「やだ!」と言ってものすごい勢いでいやがり、もっと、頭をなでなでする(モニは、これをものすごく嫌がる)と、チョー怖い顔でにらみつけて、「ガメなんか大嫌い!」と宣言する。 わしは周知のとおり温和で成熟した立派なオトナだが、夫婦としては、まるでふたりの5歳児が、床にお尻をぺったりくっつけて一緒に生活しているものであるという意見もあるよーです。 だがダメ夫婦はダメ夫婦なりに、「自分達がもっと幸せになるためにはどうすればいいだろうか?」と考える。 料理のひとたちとかはモニの実家に帰ってもらって、料理は、また交代で自分達でやったらどうだろうか。 あんなに年がら年中手伝ってくれる人達がうろうろしていては、家中を素足でどたどたと走りまわって、ふたりで素っ裸でおっかけっこもできないし、このブログ記事の初期頃には何度も出てきた「悪いお医者さんと哀れな若い女の患者ごっこ」もできない。 考えなおさないとなー、と思う。 さいわい「クビ」というような恐ろしいことをしなくても、助けてくれるひとびとを、それぞれモニの実家とかーちゃんととーちゃんの家に帰ってもらうだけである。 旅にでることの最も良い点は、どうやっても生活が簡素になることで、この一ヶ月余、おいしいものがあっちの市でもこっちの店でも売っているイタリアを北上しながら、いろいろなものをモニとふたりで料理しあって、一緒に肩をならべて野菜をとんとん切ったり、ふざけて、アメリカの「鉄板焼き」シェフをまねて包丁で、モニが捧げ持つ皿にトマトを切り飛ばして並べたりして遊んだ(^^;) 人間は簡単に言うとバカなので、そうやって夫婦で遊んでいるときのほうがおもわず50億円儲かってしまったときよりも幸せである。 しかも、ふたりでひそひそと幸福をかみしめているときのほうがみなに祝福される瞬間よりも幸せであるような気がする。 2 人間の文明などは地球という星の表面に射した一瞬の影にしかすぎない。 宇宙の膨張と不可逆な老化の過程で起きた、お互いに遠く隔たった宇宙の数カ所で斉一的に起きた現象であるにしろ、ただ、地球という惑星だけで起きた気まぐれで孤独な現象であるにしろ、有機体が神経系をもつにいたって、やがてそれが集中して、中枢を形成し、意識を持つに至ったといっても、うまく言えないが、実はただそれだけのことなのだと思う。 意識は言語を生成すれば必然として思惟をもち、意識をもたない自然から独立したものとして己を意識し、昂然として死んでゆくことを学ぶが、しかし、それは無意識の物質が自然の破壊の力のなかで滅んでいくことと、どれほど異なることだろう。 ブッダというひとは風変わりなひとで、「自分がいま吹いていて頬をなでている風と本質的に変わらない存在である」ということに耐えられなかった。 享楽を捨て、愛情を捨て、富貴を捨て、幸福そのものを捨てて、彼はそれによって旅に出た。 彼の哲学者としての偉大さは、神などいないと一点のくもりもなく確信できたことにあったが、その一方で(矛盾したことには)宗教者として、神は天上から見下ろす父などではなく、一杯のミルク粥を差し出す娼婦のなかにこそ存在することを知ってもいた。 わしが知っているかぎり、ブッダは「神などいない」ということと「言語で考える人間にとっては神が存在せざるをえない」というふたつのことのあいだに矛盾がないことを知っていた初めての人類です。 神を信じなかった彼の宗教は「超越的存在」を必要としなかったことによってパウロが発明した宗教やマホメットが宣伝した宗教よりも本質的にすぐれている。 3 テラスでイタリア風のリネンのサマードレスを着た天使の絵を描いていたら、いつのまにかやってきて後ろに立っていたモニが「ガメ、明日はまた悪魔がいる島に行こうか」といって笑っている。 嫌ですよ、そんなことを面白がって悪魔がのりうつったらどうしますか、と返事をしながら、わしは、モニとわしが遭遇したカタルーニャの悪魔たちについて思い出している。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/23/悪魔の住む町/ そんなことより、明日はかーちゃんととーちゃんがいる家にでかけて、妹夫婦やかーちゃんシスターや義理叔父も交えてみなでのんびり昼ご飯を食べて、それから、ふたりで湖にボートを出して、昔のようにのんびりしましょう。 夏の太陽は強いが、東岸ぞいにボートをすすめて、木陰で休もう。 いつも静かなコモ湖の水面で、太陽は「分解した鏡」のように反射して、モニとわしをうっとりさせるにちがいない。 … Continue reading

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正しいレミングの夕暮れ

1 ロシア人たちが帰って行ったので、また静かになった。 ウクライナ人とロシア人には共通した文化性として「思い込みの激しさ」みたいなものがある。 コロンバスみたいというか、バハマ諸島をインドと思い込んでしまうとフロリダがマレーシア半島に見えて、これを遡っていけば富貴の王国である中国にたどり着くはずだと思い込んでしまうところがある。 ロシア人たちにものごとを訊くのははなはだ危険なことであって、わしはイギリス人旅行者に、このガスオイルがディーゼルですよね?と訊かれて、いやそっちの緑色のノズルがディーゼルだと自信をもってこたえたロシア人郎党を見て慌てて走って行って気の毒なイギリス人夫婦に、そのガスオイルがディーゼルです、と訂正しなければならなかったことがある。 不思議なのはこのロシア人郎党はもう6年もスペインに住んでいることで、いったいどうやってクルマを爆発させないで6年間を過ごしてきたのかいまでも不明である。 もうすぐ7月なので、夏にコモの別荘にやってくるひとびとはほぼやってきたように見える。 かーちゃんととーちゃんの「山の家」は「チェルノビオ」という、わしがチョーボロイ「息子版山の家」を買ったところからは離れたところにある。 息子さん御夫婦は今年の夏はコモ湖にいらっしゃらないのですか?  いえ、息子たちはLのほうにおりますので、とかーちゃんが応えると、まあ、息子さんは、ずいぶん零落なさって、というような顔をされるようだが、旧世代の見栄の世界などわしの知ったことではない。 コモ湖は面白いところで、コモ湖にやっと頭を出しているような島にあるロカンダ(宿付きのレストランのことですね)の不思議な儀式は、昨日、なんであんなことをやるのだ、と思って調べてみたら、もともと島には悪魔が住んでいてとんでもないことばかり起こるので食事の前に「悪魔祓い」の儀式をしなければいまだに客達に対してすら取り憑いたり事故を起こして殺したりするので悪魔祓いをしなければ営業が出来ないのである。 けっけっけ、そんなん迷信にきまってるじゃんね、と思って調べてみると、ふたりの共同経営者のひとりは不可解な交通事故で死に、片割れも地元コモの伯爵夫人に刺されて死んでいる。 迷信を迷信と笑って受け流すことを許さないのが欧州というもので、実際にこの島は呪われているものであるよーだ(^^) 二回結婚して二回死別したせいで巨万の富を相続したアメリカ人のKさんは、わしの仲の良い友達だが、サンジョバンニの花火が終わった次の日にやってきた。 わしのかーちゃんと同じくらいの年齢の人だが、気が遠くなるように美しいひとです。 酔っ払うと「ガメは、わたしが旦那をふたりとも殺したと思っているのだろう?」というようなチョーあぶない冗談をいう。 そういうときにはライオンのような金髪をバサッとふって、さまざまな毒物の効果と遺留物質について滔々と論じたりする。 わしは、Kさんの傷つきやすい、やさしい人柄を熟知しているので、Kさんが自分の背中の後ろで陰口を利く、脳が半分しかない人間が大半の「上流社会人」たちをからかうために、自分についての卑しい噂を発明した人間たちをコーフンさせてやるために、最近になって勉強した知識だと簡単にわかる。 2 日本が戦争に負けたときに「階級社会」を完全に破壊したことは何と言ってもよいことだった。肝腎の貴族社会の元締めだった世界の歴史でも珍しいくらい無責任な王家である天皇家がマッカーサーの「ドンキ」の棚に並んでいそうな通俗的な貴族趣味のせいで生き残ってしまったのは日本の人のために残念なことだったが、聡明な国民性の日本のひとたちのことだから、早晩、あんな下らないものも廃止してしまうことだろうとは思う。 「無責任」と書いたが、それでは公平でないと言える。 日本の天皇家が「責任」という概念を持ったのはたった一代明治天皇があるかぎりで、他にはあとにも先にも存在しない。 天皇家における「無責任」がどういう伝統的な理由によるかは「調べる」というほどのこともなくて「承久の乱」について書かれた短い読み物を読めばそれで足りる。 普通の日本人の感覚で幕府方に追われて必死に逃げ場を求める元側近の西国武士たちに「おまえたちが勝手にやったことではないか。わたしの家に逃げてきては、まるでわたしが首謀者のようで迷惑である」と言い放った後鳥羽上皇の言葉は途方もなく人非人じみているが、落ち着いて天皇家の歴史を読めば天皇という存在にとっては「責任を認めること自体が最大の無責任」なのである。 種明かしは簡単で、歴代天皇の責任は「天皇家」に対してのみにあって日本人に対してなどはないので、日本人たちに対して自分の過失・責任を認めることは倫理的に酷い無責任にしかすぎなかった。 それはそれでよかった、といえばいいのか、「尊い者への畏れ」ということを理解しない西洋人にとっては「天皇家の不可侵な聖性」「現人神」などはただの日本に蔓延した未開野蛮な習慣にすぎなくても、それは一国の文化なのだから、尊重されるべきだということになって落ち着いた。 そのデタラメで突出した戦闘性ゆえに、わしが尊敬する年長の友人である内藤朝雄は今上陛下のファンである。 「偉大なわれらの天皇陛下バンザイ」というようなツイートがいくつも流れてきて苦笑させられてしまう。 どんな本や記事を読んでもなるほどアキヒト陛下は「善い人」であって、内藤朝雄が知らないことで誰もが感心しそうなことを述べれば、今上陛下は、若いときに昭和天皇夫婦と宮内庁の強い意向に敢然と反抗して、沖縄タイムスと琉球新報の二紙をとることに固執して結局周囲の失望を歯牙にもかけずに購読しつづけた。 顔を見ても、あのアキヒトという人の顔は極めて強い意志と善意をもつ人の顔であって、諸国の王族のなかでも、一生をすごすことによって、あんな立派な顔をつくってもちえた人はいないだろう。 個人としては極めて立派な人であることは、わしは違う理由によっても知っている。 しかし、それがなんだというのか。 福島第一事故が起きたのに誰も責任をとらないのだから、今度はもっと酷い事故がもういちど起きるに決まっているではないか、とツイッタで書いたら、日本人をやめてニュージーランド人になったわが友村上レイが、「責任をとらせる」なんていうことをガメまで言うのか、責任をとらせて何になる、とわざわざ書いてきて、いいとしこいて、なんというバカだろうか、移民局にちくって永住ビザとりあげたるぞ、と思ったことがあったが、「責任」という言葉の意味がまるでわかっていないとしか言いようがない。 「責任」という言葉を儒教的な個人徳目の違反に関わることとして見てしまうから村上レイのようなチョーバカなことが言えるので、責任とは(この場合には)社会的にシステムを究明して不良箇所を発見して繰り返させないためにある。 責任が糾明されない場合には、どうなるかというと、いまこの瞬間の世界中の人間が目撃しているように、南京虐殺はなかったことになってしまい、慰安婦はカネ欲しさに日本兵の男根の行列に向かっていっせいに股を広げて「戦争をすれば必ず止めがたく止みがたく自然昂進する」とたくさんの日本人論者が述べている加虐性性欲が暴力化する「自然事態」への「防波堤」になるヴァジャイナ・テトラブロックのようなものとなって、「結局日本人は悪くなかった」という世界中の人間におなじみになった日本人の「日本人はいつも正しい。お前がわるい」歴史観にたどり着くことになる。 ほんで、どうなるかというと、なんのことはない、そんなに遠くない将来に「日本人はもういっかいやる」に決まっているのだと思う。(ごみん) 新大久保の愛国者達のデモの英語動画を見て、わし友達は「ガメは徴候がでてくるのは2025年くらいからだろうとゆっていたが、もう始まってるじゃん」と言ってきたが、責任を認めないということは結局ああいうことなのであると思う。 皮肉ないいかたをすれば、この日本人が破滅にむかってレミングのように行進する「破滅への道」を切り開いたのはダグラス・マッカーサーであったと思う。 彼は、あのいかにもアメリカ人らしい安っぽい貴族趣味で昭和天皇が「私がすべての責任をとります」と言ったという彼らしい好みの一場の英雄劇を仕立てることによって近代日本から「責任の追及によって社会を正常に戻す」という機能を奪ってしまった。 昭和天皇が日本に貢献できるゆいいつの道であった「自らを死刑に処する」という英雄的な死を彼から奪ってしまった。 … Continue reading

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ピエモンテの畦道

アウトレットへは意外に遠くて片道で100キロ近くある。 運転しているのはウクライナ人のAで、助手席にはAの奥さんLが座っている。 情報工学に進路を変えて修士号を取る前はダンサーだったAが運動神経抜群でクルマの運転が上手なのは経験から判っているのでモニとわしは後部座席でのんびりシャンパンを飲んでいる。 イタリアのドライバーは相変わらずで、状況に関係なく反対方向車線を突進してきたり、一時停止のはずの脇道から飛び出してきたりするが、Aは持ち前の反射神経で、悪態をつきながら、それでもモニとわしが安全と感じる巧さで運転してゆく。 ミラノ空港を過ぎてしばらくするとピエモンテにはいった。 ロンバルディアとは打って変わった美しさで、へえ、と思います。 美しい田園風景を見たとたんにバローロという人口500人に過ぎないイタリアでも最小の「コムーネ」がピエモンテにあるのを思い出した。 ワインで有名な村で、イタリアのワインの代名詞のように思う人もいる。 しばらくして両側が森林になると、風景はモニの母親の別荘が立つ湖のあるパリの郊外に似てくる。 ウクライナ人夫婦が嘆声をあげるので、「どうしたんだび?」と聞くと、 「ウクライナにそっくりの風景なんですよ、この道」という。 ウクライナと聞くと一面の麦畑のところどころに油井があって、道路の脇に3号戦車のまだ煙をあげている残骸が点々としているというドアホな風景しか思い浮かばないわしは、 へえええー、という気の抜けたマヌケな相づちを打つのがやっとである。 コモのあたりではあまりみかけない広大なヴィンヤードやオリブの林がみえて、ピエモンテは結構綺麗な土地だのお、とモニに述べていると、びっくりしたことには広大な水田地帯がみえてきた。 初めは半信半疑だったが、少しいくと道の両側に水を満々と張った美しい水田の広がりがすぐそばに見えて疑いの余地がない。 まるで、日本のようだ、とモニがつぶやいている。 日本になど、これっぽっちも関心がないウクライナ人夫婦は、「日本は米しか作物がないって、いいますものね」という。 それに日本の農民には移動の自由がない、とAの奥さんのL、いや、それとも選挙権がないんだったっけ?というとAが運転しながら、移動の自由はあるよ、たしか選挙権が与えられてないんだよ、と応えている。 ここは日本に似ているなあ、とふたりの会話を遮るようにモニがいう。 わしも、ほんとうに似ている、という。 ウクライナ人夫婦がびっくりしたように、「日本て、こんなに綺麗な国なんですか?」と振り返って聞いている。 畦道をひとりの老人が歩いていくのがみえる。 小さくて、腰をわずかにかがめていて、日本のひとのようです。 ひょこひょこといえばいいのか、人形のような歩き方といえばいいのか、 歩き方まで日本のひとに似ている。 あのひとはフクシマの事故をどう考えただろう? と唐突なことを考えた。 どうとも思っているわけはなくて、フクシマのことを知っているかどうかも怪しいが、しかし、イタリア人だけは、そう思ってくれていなければいけないような(というのは言い方がヘンだが)気がしたのは、ついさっきのウクライナ人たちの選挙権や移動の自由への誤解が頭に残っているからでしょう。 ミツバチの巣箱が見えたところで、ウクライナ人夫婦が、ウクライナの蜂蜜がいかにうまいか話し始める。 モニがイタリアの蜂蜜もおいしいぞ、種類も豊富で、わたしはエミリアロマーニャでchestnutの蜂蜜を生まれて初めて食べた、と述べると、英語が得意のウクライナ人夫婦であるのに「chestnut」が判らない。 castagnoのことだよ。ロシア語ならкаштан というと、「ああ、カシュタン!」と言って喜んでいる。 あれから蜜がとれるなんて知らなかった。 ウクライナ語でもほぼ同じという。 ウクライナは面白い国で500キロしか離れていないのにAはロシア語で育って奥さんのLはウクライナ語で育った。 そうであるのに、あるいはそうだからなのかもしれないが、Aはロシアが大嫌いで奥さんのLは「ロシアにもいいところがある」という。 アウトレットはウクライナ人夫婦とロシア人たちの希望なので、モニとわしはモカ(エスプレッソをつくる伝統的にはアルミ製の器具のことです)の専門店とモニの靴をみたりして1時間足らずを過ごしただけで、残りの二時間近くをアウトレットのなかのカフェの通りに面したテーブルに腰掛けて、アウトレットでこんなにすごい人出はアメリカでもどこでも見たことがない、と言いたくなるような数の人間でごったがえす通りを眺めていた。 「イタリアの人は小さいのお」とわしがおもわずつぶやくと、モニも不思議がっている。牛乳が不味いからかな、と言うとモニが「ガメはまたすぐそういうことをいう」と言って笑っている。 男も女も小さなひとがおおくて、なんだか日本の人達を見ているような気がする。 実測してみると、もしかすると日本の人よりも平均身長が小さいのではないか、と思うほどである。 … Continue reading

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麦わら帽子の思考

  1 家庭内の「おかあさん」の地位が高く社会が母親を尊敬している国では一般に社会における女性の地位は低い。 日本で赤ん坊という「邪魔者」をつれた若い母親をいいとしこいた男がチョー下品な表情でにらみつけたりしたりするのは日本でも女びとの権利が高まる前兆だろう、と冗談を言ったらモニに怒られたことがある。 イタリアはおもしろい国で父親と息子のふたりづれで旅行しているのや母親と息子、母親と娘、父親と娘の組み合わせで旅行しているのにもよく遭遇する。 ニュージーランドならば父親と息子が一緒に狩りや釣りにでかけることはあるが、旅行するのに息子を連れて行く、という父親は少ないだろう。 旅行は夫婦あるいは友人同士でするもので、娘と母親を家に残して父親と息子がクルマで旅行して歩く、というのは想像するのがちょっと難しい気がする。 フランス人と結婚して、20年住んで、フランスの生活にも慣れ、友達も出来て、週末のパーティをこなし、子供もおおきくなって、というところで夫が死んだら、友達が寄りつきもしなくなって、パーティに呼んでも一向に「長年の友人」であるはずのひとびとはあらわれず、自分は夫の付属物にしか過ぎなかったのか、と失望落胆するという話はフランスの(特に)外国人社会ではよく聞く。 イタリアではどうだろう、と考えることがよくある。 あっさり「イタリアでも同じですよ」とイタリア人の友達に言われたことはあるが、このひとはいわゆる「上流社会」のひとなので、社会の一般的傾向をつかむためにはまったくあてにならない。 世界中どこでも上流社会人は薄情なものと決まっていて、しかも国民性の反映がもっとも薄い社会層だがらです。 湖水に面したテラスに座って意地汚く巨大なジェラートの塊をつついていたら桟橋にチャーターのスピードボートが近づいてくる。 英語圏ではcabrioletと呼んだりする。舳先にU字型のベンチがついているタイプのデーボートである。 http://www.tristramboats.com/cabriolet-models/690-cabriolet/ イタリアの人のなかには物腰仕草がびっくりするほど日本人に似ているひとがいるが、ボートの若い衆に助けられて「えっこらせ」と下りてくる70代くらいのばーちゃんと40代くらいのおばちゃんの親子らしいふたりづれを見て、「あっ日本のひとだな」と考えたが、顔をみるとイタリアのひとびとです。 ボートの乗り降りというのは意外と体力を必要とするので40代のおばちゃんはともかく、でっぷり太った70代のばーちゃんのほうは角度を変えてみたり後ろ向きに降りようとしたりするが、ボートチャーター会社の若い衆ふたりの手を借りてもたいへんそうで、桟橋に下りる努力を観察している課程でばーちゃんのでっかいパンツという見てはいけないものまで見てしまって失礼なことになってしまった。 ところで舳先のカウチに座ったままばーちゃんの旦那さんとおぼしき男人は動きもしない。 なんでだろー?と思ってみていると、若い衆ふたりに促されて、やっと、よっこらしょと腰をあげておる。 なんだ、やっぱり下りるのか、と安心する、わし。 ここでじーちゃんがおりないとするとボートはたしかにチャーターなのでいろいろと説明がつかなくて困るのです(^^) ところがじーちゃんは上背がデカイ上に太っているので、若い衆ふたりがかりでもたいへんで、クレーンを呼ばないとダメそうな困難な状況がみてとれた。 悪戦苦闘七転八倒で、第一イタリアの桟橋というのはコモ湖に限らずええかげんというか年より向けにできていなくて桟橋とボートのあいだにおおきなギャップができやすいので、フェンダーがでかいこともあって下の湖におっこちてしまいそうである。 ばーちゃんと娘も心配しているべなああー、と思って、ふたりのほうを見ると、豈に図らんや、ふたりはとっくのむかしに岸辺にあがって、折から開かれているマーケットの洋服屋に盛んに質問している。 じーちゃんのほうは振り向きもしません。 わしは足柄山の金太郎を日立製起重機でパワーアップしたくらい力持ちで、ボート上でバランスをとるのも慣れているので桟橋までおりて手を貸してやるっぺかなあーと思ってモニの顔をみたところで、じーちゃんも必死に足をばたばたさせたりした不屈の努力の末に桟橋に降り立った。 下りてみるとじーちゃんがボートを下りるのに悪戦苦闘するわけで、歩くのにも杖を片手にゆっくりとしか歩けないのです。 桟橋をやっと歩いていって、階段の前まで来て、手すりなんて滅多についていないイタリアの古い階段はときどき無慈悲に一段の高さが高いが、その階段の前でたちすくんでいる。 若い衆のひとりが、ボートをとびおりてダッシュで走ってきて、じーちゃんが階段をあがるのを支える。 ばーちゃんと娘は気付いてもいないというか一瞥もくれないで、ふたりでドレスを手にとってひそひそと話し合うのに夢中である。 じーちゃんが開始以来およそ5分の激闘の結果、ボートを下り階段をあがってふたりに追いついて話しかけると、「あら、あなた、まだ死んでなかったの?」という風情でばーちゃんがふりかえって、なにごとか話しかけている。 うーむ、と呻く、わし。 イタリアのおかーさんは夫に冷たいのではないか。 なんだか粗大ゴミと言われる極東某国のようなおとーさんの扱われかたである。 一緒に眺めていたモニは、「あのおじーさんはきっとずっとプライドが高い夫として生活してきたので、自分が弱いところをひとに見られるのが嫌なのに違いない。奥さんと娘さんは、それを熟知しているのでわざと無視していたのだろう」と述べたが、ほんとうかしら。 長年の「女としての抑圧されてきたことへの恨み」が感じられる。 男がやりたい放題であることで欧州ではギリシャとならんで有名なイタリアだが、ほんとうは年をとってから静かに復讐される夫のホラーストーリーが豊富に眠っている社会なのかもしれません(^^;) 2 マーケットの帽子屋台でイタリア式の麦わら帽子を買った。 どこにでも売っている、安い、使い捨ての麦わら帽子です。 表に帽子を出したままで誰もいないので、奥のキャラバンとテントに向かって、 … Continue reading

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闇に目をこらす

1 コモ湖といってもいろいろな場所がある。 モニとわしが買った家は湖のまんなかくらいのところにあって、別荘はあまりないただの村です。 5軒ほど離れた家にはドイツ人の家族が住んでいるが他はイタリアのひとたちで、しかも一年中ここに住んでいるひとたちである。 朝、散歩すると道行く人がみな「ボンジョルノ!」と挨拶してゆく。 庭で野菜の世話をしているおばちゃんも曲げていた腰をのばして「ボンジョルノ」と述べるし、裸の上半身を窓からのぞかせているおじちゃんも「ボンジョルノ!」という、いうだけでなく子供のようにちぎれそうな振り方で手をふるところがたいへんイタリア的である(^^;) 急な坂の狭い道がおおいのでベスパを買おうと思ったらモニに「ダメ」と言われた。 運動になりません、という。 運動は走ればいいんではない?というと、走るよりも散歩のほうが運動としてかっこいいと思う、という。 モニが言うと、なんでもそっちのほうが正しいような気がする。 だから急坂をくだり急坂をのぼる。 やってみると一日でなれて、なるほどベスパよかこっちのほうがいいや、と思う。 普段の買い物はMenaggioへいくが、昨日は火曜日だったのでLennoの市にでかけた。近在の農家やなんかが出店してモッツアレーラやぶどうやいちご、パン、なにによらず実質的な買い物ができます。 スーパーマーケットよりも安いし、品質は遙かによろしい。 日本でもマーケットが出ると楽しみにでかけたが「縁日」のようなものは行ってみると、やくざっぽいおにーさんやおじさんが全然やる気のないタコ焼きや焼いたトウモロコシを売っていて、ひどくがっかりすることが多かった。 マーケットは本来、地域のひとが買い物を楽しみに出かけるもので、たとえば佐久穂のマーケットならば東京の原宿のブティックが出店している洋服の店や、上野の韓国料理屋のチヂミ屋台、東京や大阪の先端ファッションの卸屋さんをまわって売り主が自分のセンスを賭けて買い付けてきた服というような店が並ぶべきなのに、ふつう自分達の町で売っている商品よりも遙かに質が落ちる品物を「土地の区割り」に利権があるというだけで見ていて恥ずかしくなるような態度で店をかまえ、土地の日本のひとも警察も違法な状態全体を合法化したような奇妙な空間を支持している。 イタリアでも「これは下っ端マフィアだびな」という出店はあるが、少数で、土地の人と話をしてみると、やはり商売不振で年中店が変わっているよーでした。 Lennoでmozzarella di buffalaを買って、モニはいかにもイタリアらしいサマードレスを三つ買った。 イタリアの女のひとは、びっくりするほど小さなひとが多いが、コモ湖にはスイスやドイツからおおぜい観光客が来るのでイタリア人と較べれば背がありすぎるモニさんにも買えるサイズがあるよーだ。 2年前に来たことがあるレストランに寄って午ご飯を食べたが、コモ湖では初めて見る中国のひとびと、より正確にいえば中国系アメリカ人の大家族がいて、行儀のわるい子供が驚くべきことにドイツ人夫婦のテーブルのすぐそばに立って彼らのテーブルの食事を見てる。 無礼を怒ったドイツ人夫が顔をそむけていたと思ったら極めて厳しい言葉で子供をしかりつけている。 それを眺めていた中国家族祖父母が今度はドイツ人夫婦をずっと睨み付けている。 全体が、なんだか見ていて恥ずかしくなるような動物園じみた光景です。 一部始終を見ていた隣のテーブルのフランス人の夫婦がモニに向かって「アジア人が来るようになれば必ずこうなる。人間でないものたちがうろうろするようになるのではコモ湖ももうすぐ終わりね」とフランス語で述べたので、わしはいきなり憂鬱になってしまった。 タラのリゾットは塩が多すぎたし、ポモドーロの海鮮スパゲッティはおいしかったが平凡だった。 帰りの支払いのときに「前のはなひげのシェフのおっちゃんはやめたのか?」と訊くと、いきなり若いシェフを呼んで挨拶させた。 もう戻れないよねー、と悲しい気持ちで考えました。 間が悪い日、であるだけなのかも知れないが。 2 中世の町を歩いてしみじみと考える事は、「われわれはみないなくなるのだ」ということです。 人間などは太陽に照らされれば蒸発する儚い影のような存在にすぎない。 千年、というような時間を経た石畳の狭い道を踏みしめて歩いて行くと、考える必要などなくて、ただ歩をすすめるだけで実感される。 この階(きざはし)の下にたたずんでいた美しい女や、石作りの建物の高い窓の向こうに住んでいたカップルも、旅の商人も、オーストリア人もイタリア人もスイス人も、繁栄したものも零落したものたちも、みな肉体の法則に従って消えてしまった。 いま石畳を右往左往して あるいは得意の絶頂になり、あるいは失意の底に沈んでいるひとも等しく、ただ地表にさした影にすぎなかったとでもいうように死んで消えてゆくに違いない。 曾祖父が友達と話していて、やや新しいものを毛嫌いする傾向のある曾祖父の友人が、「自分はどうしても中東人やアフリカ人やアジア人は好きになれない。少数なら親切に接することが出来るが、数がこんなに増えてしまうと、なんというか、不安になる」と内心を告白すると、 「ひとは来るが去ってゆくのさ」と応えた。 ガキわしは「しかしアジア人たちは去るだろうか。それがこの国にとっていいことにしろわるいことにしろ定着するのではないか」と曾祖父の意見を訝ったが、いま考えてみると、曾祖父は区々とした異文化人のことを述べたのではなくて、人間という存在そのもののことを述べていたのだと判る。 … Continue reading

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明日があるさ

日本は2050年にも独立国でいたければ対中国戦略に全力をつくさなければならないし、そのことに集中力をもたなければならない。 極端ないいかたをすれば世界中の日本に興味がある外国人が知っていることで、日本人だけがぼんやりとおもいうかべることなのかもしれません。 もちろん他にも日本が生きのびる道はあって、中国が西洋諸国に向かって盛んに示唆する「中国圏の形成」提案にしたがって、中国圏に入り、古代の東アジア政治の文法に戻って中国の衛星国として生きてゆくという戦略は残されている。 でも、甘やかされた子供のように自分のいいたい放題を述べて、悪い事は全部同盟国に押しつけて、アメリカを「横暴な専制主義国家」と口汚く罵り、アメリカとの同盟を維持しようとする自国の政府は傀儡であり奴隷であると嘲って快哉を叫びながら、2050年にもいまのような政治的な立場である日本であることは絶対に望めない。 可能性はゼロです。 いま20代で2050年にはアメリカの支配層として国策を決定する立場になるひとびとと極東の将来に対するビジョンについて話してみれば簡単にわかることであると思う。 鳩山由起夫は日本では「バカな変人」ということになっているのは知っているが、論理の筋道は通っていた。 わしは彼の主張は観念の世界のみでうまくいくもので現実世界では到底無理だんび、と思っているが、たとえば沖縄の問題ひとつとっても「彼の主張が現実的でない」のならば、最小限沖縄県以外の日本人は沖縄人ひとりあたり年間200万円程度の賠償金を払っていなければおかしいはずで「お気の毒に」と述べて言っていることとやっていることにまったく整合性がない。 橋下徹に至っては沖縄の「風俗業」に従事する女びとたちごと「ダッチワイフ」扱いで、彼にとって「政治」などは観念を現実に無理矢理変換する遊びにしかすぎないことがばれてしまうていたらくだった。 くだらないことをいうと、橋下徹のような人は、むかし沖縄や横須賀で週末になれば性器裂傷や子宮口破裂で救急搬送されてくる「風俗業」の若い女びとたちを泣きながら「もっと自分の身体を大事にしなさい」と叱責しながら治療した女医さんたちの話でも聴きにいけばどうなのかと思う。 わしのようなプーのガイジンでも会って話を聞かせてくれたのだから、大阪市長という「要職」についている人間ならやる気になればいつでも出来るのではないでしょうか。 中国の外交はむかしからやりかたがはっきりしていて、先ず「こうしたい」とはっきり言う。友好協会や政治的にぶっくらこくようなことを述べても(シビリアンコントロールが発達している)西側ではたいした問題にならない西洋国家訪問中の高級将校、あるいは学者の口を借りて、公の場でのべてみせて反応をみる。 反応が手厳しければ、また4、5年待ってから同じことをやってみます。 アメリカで中国の将軍が「日本はすでに中国圏だ」と述べてみたり、「アメリカにはなにも出来はしない。きみたちアメリカ人がICBMを中国に打ち込むかどうか鳩首会議を開いているあいだに、われわれのICBMはロスアンジェルスにもシカゴにもワシントンDCにもニューヨークにも命中してとっくのむかしに灰にしているのさ。シカゴもワシントンDCもニューヨークも!」と言ったりするのは、中国のむかしからの外交の文脈に照らせば失言ではありえない。 あるいは中国の学者たちが突然「琉球は中国領土であって日本は簒奪者にすぎない」と述べるのも学説の主張であるよりも「歴史の事実を中国はこういうふうに書き直したいから、よく自分の国の損得を考えて日本に味方するのがいいか中国に味方するかよく考えてみよ」と言っている。 日本人は発言がなんとなく「先進国」に向かってされていると感じてしまうので「学説が正しくない」という「正しさ」の話になってしまうが、実体は近隣アジア諸国とアジア全体を取り仕切っているアメリカに対する政治的メッセージなので、正しくても正しくなくても、それ自体は発言の意味とはあんまり関係がない。 オーストラリア首相のジョン・ハワードは退任直前に「オーストラリアには百万人の中国スパイがいる」と述べて、オーストラリア人を爆笑させ、有名な中国礼賛政治家のケビン・ラッドが首相の座につく道を舗装したが、現実は常に意外なもので、この「オーストラリアの百万人中国スパイ説」はイギリスのような閉鎖的なところで政治が語られる習慣がある国では長い間常識とされていたことにすぎない。 ハワードは連合王国の誰かから在任中に警告を受けていたのでしょう。 アメリカに暮らす中国人スパイの人口は百万人どころではないが、なぜスパイ人の数がそんなものすごい数になってしまうかというと、「中国のスパイ」はかつてのロシアのKGBというような専門職ではなくて「パートタイム」だからです。 たとえば横浜のバーで働く若くて気立ての良い中国人ホステスがいたとして、日本の暮らしも悪くないと考えて働いて、横須賀の海上自衛隊の将校と恋に落ちる。 この将校がたとえばイージス艦の技術将校ならばまず間違いなく、知らない中国人があらわれて「これこれこういう情報を聞き出してくれれば報酬をやろう。断れるとは思ってないよね。きみの両親は四川省の成都にいるんだっけ?弟さんは優秀で北京大学で政治学を勉強しているのだったね」と言われることになる。 日本のような国では外交回復以前の「日中友好協会」時代から育てた専業スパイもいると言っていたが、こっちはブログで書くことではないと思う。 そういう中国の「文脈」を考えるといま日本を巡って起こっていることは中国が明瞭に「日本は自分のものだ」と述べ始めたということで、物事の生起の順序と時間を考えると2050年という年を見つめて主張をはじめたのだと思われる。 尖閣諸島が国家としての中国にとって3本指にはいる重大な問題なのは中国がそれを問題の本質を覆い隠すための仮面にしている資源問題ではなくて「日本を中国圏に編入する」問題のロードマップの要に位置しているからだと思われる。 中国の「将来は日本を中国圏に組み入れたい」という希望の表明に対するアメリカの返答が以前に書いた「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」だった。 今年にはいってニュージーランドとの軍事同盟を実質的に回復したアメリカはオーストラリアとの軍事同盟を強化するだろう。 オーストラリアの「仮想敵国」であるインドネシアがオーストラリアの北に位置しているのはもっけの幸いで、アメリカとオーストラリアは伝統的な太平洋の拠点であるブリズベンよりもダーウィンのような土地に軍事力を集中していくと思う。 アメリカ人の友達から届いたemailを読みながら、ふと思ったのは、「日本はどうなるんだろう」という、自分でも理由がわからない胸を締め付けられるような気持ちで、わしは繰り返し述べているように日本語は好きでも日本の社会には大して興味がなく、日本人全体に至っては個別に名前が言える、すべりひゆやナス、ミナ、…義理叔父、TさんUさん…あるいはオダキンというような友達をのぞけば、チョーくだらなかった(マジメに騒いだはてなの人たちごみん)「ニセガイジン」騒ぎと、それにつづく「はてな」住民の大挙襲来と執拗でバカみたいな攻撃のあとでは軽蔑しか残らなかった。 (あの騒ぎのせいで当時日本語を勉強していたわし友達が大挙して日本語と日本文化の学習を放棄したのは前にも書いたが、やむをえなかったと思う) だから「胸が締め付けられる」理由はどこにも見当たらないが、わしが「この人達が太平洋の未来をつくっていくのだな」と感じる若いアメリカ人たちは、はっきりと日本を「不誠実な同盟者」としてみているし、うんざりしている。 面白い、といっては語弊があるが、この若いアメリカ人のひとつ上の世代が日本人を日本人として見ていたのに較べて、若い世代のほうは(良い意味ではない)「アジアの国」とみなして、どれほど理不尽な悪態をつかれても未開なのだから仕方がない、国益のためにはここで怒るのはアホのすることである、という態度に戻ってしまったことで、ときどきは「日本の命脈もつきてしまったかなああー」と思うことさえある。 だから、どうだ、と言われても困るのだけどね。 ボストン近郊の友達のemailに珍しく日本についての長い記述があったを読んで、日本のことを思い出しただけです。 暗い話で、ごみん。 (画像はウンブリアの田舎のホームセンターで買った「蚊取り線香」。コモ湖には蚊がいないんだけどねw)

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