移動性高気圧2

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国木田ドッピョという名前がいいのではないかと思う。
ドッピョはイタリア語でダブル、という意味です。
大庭亀夫というようないかにもニセガイジンぽい名前をやめて、明治の文豪国木田独歩の名をかりて、しかもイタリア文明への憧れがにじみでた「国木田ドッピョ」は良い名前であるよーな気がする。
改名をまじめに検討したい。

イタリアにやってきてからまだ二週間だが、イタリア人はマジメで勤勉なので、マジメかつ勤勉な人間のみを愛する渡邊和民なわしの心の琴線に触れる。
金銭に触れるのではない。
琴線です。
金泉という酒もあるが、立山のほうがうまいと思う。

今回イタリアにいるのは斥候行動である。
十全計画は通常「調査→斥候→侵攻」の順で行われるが、王国はもっか人員が不足気味なので十全外人たるわしが出張ることになった。
ラツィオからウンブリアを経てトスカナへやってきた。
不動産価格を調査したり、町々のひとびとと話したり、唐突に「あんたはムッソリーニを知っているかね?」と広場のまんなかでわしを呼び止めて長口舌をふるわれるばーちゃんの気迫に負けたりしながら、ゆっくりと北上中のもののようである。
二週間目には話している人が、ふと、話すのをやめて「あんたイタリア人だよね?でも、どこの訛か判らないが、どこかの訛がかすかにあるなあ」と言われるのを期待していたが、そんなことは全然起こりませんでした。
英語人なのがバレバレである。スペイン語でOKOKとゆっているのではありません。ばれっぱなしにばれている。
くやしい。
すごく、くやしい。

イタリアにはでっかい鼻ヒゲを生やして青いつなぎを着てちゃんとあの帽子を被っているスーパーマリオからそのまま逃げてきたようなおっちゃんが要所要所で待ち伏せているが、そういうおっちゃんに「きみ、ね、それ男性名詞」とかゆわれると、ぐわあああああと思います。

モニさんのイタリア語上達は早いようだ。
ニューヨーク暮らしが長かったせいでアメリカ人の語学下手が伝染して外国語が得意でないのだと思っていたら、イタリア語は思いの外はやくおぼえてしまう。
なんとなく世界から自分だけが取り残されてゆくような寂しい気持ちがする。

毎日クルマでイタリアの田舎をうろうろしている。
イタリアの道路は変化があって楽しいので飽きないのね。
「田舎道」といっても判りにくいので写真を添付すると、こーゆー感じの道です。
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ラツィオの田舎は、こーゆー感じの曲がりくねった山道が多いが、そーゆー、ほんとうは「イノシシが短距離競走に使ってるだけなんじゃね?」というような道をずんずん、カーブをヒール&トウで(冗談です)せめながら走ってゆくと、山道の途中に忽然とレストランの入り口があって、やってるんだかやってないんだかわからない、チョーやる気のないたたずまいに構わずにどんどんと建物にはいってゆくと奥には人がたくさんいて、一口食べるとテーブルの上に立って振り付きでカンツオーネを歌いたくなるような料理が出てくる

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山道を抜けて幹線道路に出ると、こーゆー感じ
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横を見ていると、こーゆー町がひっきりなしに見える

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わしがいままでの一生で見た最もオモロイドライバはフランス国境に近い高速道路で見た「スパゲッティを食べながら運転している若い女びと」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/22/イタリア・フランス・スペイン/
だったが、なにしろスパゲティを食べながら130キロでぶっとばす偉人を生む国なので、ふつーの道路でもオモロイ人はいっぱいいます。

前にも書いたがオンカミングのクルマが200メートルくらいのところに来てるのに、「車線が広いんだから避けられるべ」というので追い越しをかけて突っ込んでくる人、あるいは、左折して出てくるクルマが見えているのに追い越しをして見事に激突してしまう人、理由は不明だが追い越しをかけるインディケーションを出したまま左に出て、そのまま斜めにダッシュで麦畑に突っ込んでしまう人、ゲージツ的、というか、どうして同じ欧州で、というか同じ人間で、なんでこんなに「運転」というものへの思想が異なるのだと考えて感心してしまう。

こちらはあぶねーとアマチュアカーレースで習ったディフェンシブドライビングのすべてのテクニックをフルに発揮して避けまくるが、イタリアの人はどーやって道路上で生き延びているのだろうと考えると不思議な気がしてきます(^^;)
ついでに述べておくとモニさんが運転することもあるが、モニの運転はイタリアのドライバの運転よりもずっと怖い(追い越しをさせないとか)なので、気合い勝ちで、極めて安全です。怖がって誰も近づかん。

たとえばDerutaのような陶器・磁器の町に行けば当然スタジオを訪問して、製法や歴史、業界の裏事情、いろいろな話を聴いて遊ぶ、
次の食事の料理屋も、こういうときに忘れないで聞いておく。宿屋も聞いて決める。

そうやって運転していくうちに疲れればまた次の宿、一泊だけならイタリア式のモーテル
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に泊まって、また次の町をめざす。

大陸欧州の旅の最も良い点は、中世の旅人の道をとおって、あたかも中世の旅人、ただし馬の代わりにクルマで、遠くまで楽しい食事や会話、ワインを楽しみながら移動してゆけるところで、アメリカや豪州、ニュージーランドでは、残念なことに文化にそこまでのバラエティがないので、この「ひとつの世界から次の世界へ」旅をしてゆく感覚が味わえない。
鉄道の旅も同じで、鉄道は移動能力が高すぎるので、異文化が次々に自分の皮膚をなでながら通過してゆく感覚がない。
日本で「新幹線のせいで鉄道の旅の味わいがなくなってしまった」というひとがいたが、鉄道などは現実には新幹線的なスピードが本質で、日本で言えば陶器の急須でお茶が出て、御殿場線がやっこらせとループをまわっていたころなら不便なりに鉄道そのものの楽しみがあったかも知れないが、いまは効率がよすぎて、世の中をバイパスしてしまうのでつまらないと思う。
わしは子供のときは鉄道でもよく旅をしたが、最近は、もう乗りません。
クルマの途中であちこちにはぐれて行ってしまう、ええかげんな旅のほうが好きなよーです。

知らない町のスーペルメルカート(もちろんスーパーマーケットのことですのい)に寄って、モニとふたりで、きゃあきゃあ言いながら、見たこともないメーカーの
食品を買って歩くのは楽しい。
こんなことを言うとイタリアにずっと住んでいるひとびとには苦笑されてしまうに決まっているが、わしはイタリアの缶詰や固形スープやなんかの外側に描かれた「特徴的にイタリアっぽい」絵が好きなのでもある
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旅行に出ると家にいるときにはひとがやってくれることもモニとふたりで力をあわせてなんでもやる。
時間がどんどん結婚前、ふたりでシーツのあいだでただもうニコニコしたいた頃にどんどん戻ってゆく。
宿屋の人から借りた洗濯機でどんどん洗濯物を洗って、「抜けるような」という言葉がぴったりの深い青色のイタリアの青空の下で、パンッと干すと、どちらからともなく顔を見合わせて、笑い転げてしまう。
なんだかキチガイの夫婦みたいだが、モニとわしは、そういうときただ闇雲に理由もなく幸せで、賢人はこんなときに幸福を感じないのなら、賢人でなくてなくてよかったなあー、と思う。
わしには、「モニさん、だああああいすき」とだらしなくつぶやきながら、誰もいない農道で踊るようにしながらモニの脇を歩くバカタレな午後のほうが似合っているようでした。

明日はまた、出かけなければ。

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One Response to 移動性高気圧2

  1. 田鶴 says:

    ラスコーの洞窟に描かれた、敏捷で伸びやかな生き物たちを感じます。
    無傷な優美さを保ったまま、時には迷いもなく狩猟者の矢と一体化しさえする。
    例えばその一頭の馬に私は決して会うことができないだろうけれど、
    ラスコーの人が岩に刻み念入りに彩色を施した世界といつか向き合いたい。

    そういえばテーブルに積まれた書物の写真、なんだか半睡状態ですね。

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