Mantova、あるいは長く続いた単純な間違いの連続

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モニさんはどんどんイタリア語が上手になる。
わしは毎日洪水のように押し寄せるイタリアのひとびとの超絶おしゃべりぶりに辟易しつつある。
わしはやっぱりイタリア人は鼻孔や口のほかに特殊な鰓をもっていて、喋っているときはそっちを使って呼吸しているのではないかと考える。
そうでなければ、あの息継ぎのないお喋りは説明ができない。

Sorbaraに行く途中の田舎道で立ち寄った朝市でラビオリの型抜きをひとつ買うのに、どこから来たか、どこへ行くのか、イタリアはどこがいいとおもったか、一生懸命に聞きたがるイタリアのひとは子供のようである。
小さな町ならフェラーラがいいと思う。
いや、あんなにおおきな町じゃなくて、もっと小さいほうがいいのです。
おお。
でもボローニャはいいぞ。
ミラノもいい。
ローマはもっといい!

(^^;)

イタリア人には「文明の実力」を感じさせるところがいっぱいある。
わしがいまいるところはパルミジャーノを世界中に送り込んでいる地域で、バルサミコビネガーもここで作られる。
フェラーリやランボルギーニの本社がある。
地元の人と話すと「あっ、フェラーリやランボルギーニは、ほら、輸出用だから、地元のクルマの通は買わないのよ」とゆって、その自分で発明した単純な自虐に自分で笑い転げている。

パルミジャーノやバルサミコビネガーは最もマス商業主義的なスーパーマーケットといえど厳として地元のものを売っている。
薄切りにした牛肉を石板で焼いて、パルミジャーノとルーコラを載せてバルサミコビネガーをぶっかけて食べるとうまいが、この料理にぴったり合う発泡性の赤ワインも、この地方独自のものである。

わしはGPSの「高速道路は含めない」にチェックをいれて、ときどき路傍に新鮮な事故車が転がっている田舎道(この3週間で6つの事故を目撃したので偶然でない高率と思われる)を疾風怒濤の速度で往来するが、ときどきクルマがすれちがうのにやっとの道幅しかない道で巨大トラックが、ぐわあああああ、と車線をはみだしてこっちに迫ってくる。
たいてい自転車を避けるためです。

その自転車には、モデナが近づくと、パキスタニぽいおじちゃんが浮かない顔でペダルをこいでいる。
フェラーラではアフリカ人たちがやはり浮かない顔でオバチャリをこいでいる。

イタリアもこのくらい北に来ると中国の人がいっぱいいて、夕方になると町の道端をびっくりするほどたくさん歩いているが、歩いている人はいても自転車には乗っていなくて、乗り物はクルマである。
オーストラリアやニュージーランドでもそうだが、中国人は頭が良いのでみんなクルマに乗っている。
ときどき機嫌が悪いときには、いまにもクルマに巻き込まれそうになりながら「STAFF」と背中に書いたTシャツを着て自転車をこいでいるパキスタニのおじちゃんを眺めながら、もういい加減に「頭の良さ」という定義を見直したらどうなのかと思う。

「頭の回転がはやくて間違いが少ないこと」のどこがそれほど知的であるのか。

(冷菜凍死商売の一部なので)Mantovaの「Fashion District」
http://www.fashiondistrict.it/it/mantova
というアウトレットへでかけてみたが、午後3時というたずねた時間のせいもあるが、なんだかディズニーランドの廃墟を歩いているような客の数で、店員さんたちと話してみても、途方もない不景気で、ここに具体名を書いてよい話ではないので具体名は書かないが2、3撤退を決めている会社もあるよーでした。

ユーロがアメリカドルに代わる、あるいは並ぶ、基軸通貨になる可能性がゼロになってから、ここまで無理に無理を重ねたユーロ圏の経済の運命は決まっていた。
ここまでもっているのは奇跡に近いことで、よく言われる「欧州の多様性」と言われるものの淵源である「他人のことなんて知らね」という伝統が、こういうときになると、意外な利点を発揮する。

モニはコモに本社があるブティック・チェーンの品物に興味をもったのを皮切りに、イタリア特産の品物を買いだしたら止まらなくなってしまったようでした。
結局シトロンの後には入りきれないくらいアクセサリや服を買い込んでしまったが、コモの家に置いてゆくのならいいが、こんなにたくさんの買い物をどうやって持っていくのだろう(^^)

目下、欧州はドイツ人に「万が一、この苦境が乗り切れたら、もっと威張らせてあげるから、しっかり頑張ってね」とみんなが観客席でお弁当を食べながら声援を送っているところだが、イタリアでも自分ではあんまり頑張る気はない(そりゃ、そーです)ので、「運を天に任す」というか、どーでもいいや、というか、今日の夕ご飯よりも先の遠い未来のことを心配しても仕方がない、というか、欧州伝統の「おれの知ったこっちゃないわ」モードにはいっているところなのが見てとれる。

ダービー伯爵内閣時代に連合王国財務大臣として「日本はチョービンボで搾取できる富がスカな国の割にサムライという凶暴な人間たちがいて、やたらと刃物を振り回してイギリス人に多大な被害を与えたりしている利が少なくて野蛮な国なので中国のような植民地化を考えるのは財政的に見てオタンコナスである」と答弁して結果としては日本の近代化の道を開いたベンジャミン・ディズレーリ首相は、Centoに生まれたイタリア人の孫だったが、そのCentoで夕飯を食べた。

Centoのようなイタリアの小さな町にでかけると町並みが「文明は、もともとこういう形をしているのさ」と語りかけてくるような気がしてくる。
まだ町でくらしているひとびとの呼吸がひとつづつ聞き分けられるような町の大きさだからです。
フランスもそうだが、大陸欧州の町は個人が「自分の人生はこういうものにしたい」と考えて自転車フレームぼスタジオを開いたり、作りたてパスタの店を開いたり、料理屋を開いたり、という人間と社会の関わりの始原的な姿がみてとれて人間と文明の関わりを判り安く説明してくれる。
違う言い方をすると初めに「産業革命」が次にはT型フォードの「マスプロダクション」がいかに個人と社会の関わりを見えにくくしてしまったか簡単に理解できます。

ラッダイト運動の頃のさまざまな思潮を調べてみれば判るが、いまの中国人たちに明日の全盛を約束するタッキーな経済世界は、初期条件の非人間性で本来は初めからいまの結果が見て取れるものだったのが思い起こされる。
この長く続いた単純な間違いの連続に出口はあるだろうか。
福島第一発電所の事故も、もちろん、この「長く続いた単純な間違いの連続」の延長にある。

街道をそれて、麦畑のなかへ真っ白な埃をまきあげながらどんどんクルマを進めて、
見渡す限り麦畑になったところでクルマを駐めて、モニとふたりでクルマを降りて、小麦の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
近所の農家が飼っているクジャクがやや軽蔑的な視線を投げかけているのには構わないで、おもいきり、ぶっちゅうううーとキスをする。

「ガメは太陽の匂いがする」と言う。
あなたもです。
太陽がこれほど魅力のあるものだとは、モニに会うまで知らなかった。
光が、これほど人間を活気づけるものだとは知らなかった。
大好きな人とふたりでいるということが、これほど何もかも書き換えてしまうものだとは、知らなかった。

いえーい!

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One Response to Mantova、あるいは長く続いた単純な間違いの連続

  1. momococoro says:

    いえーい!
    うれしいなー、なんか、こういう日記。
    もっともっと読みたいわ

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