豊かさ、はどこへ行ったか? (その1)

DSCN0899

定食屋さんのピザ窯のなかではピザを焼く薪の炎がごうごうと渦巻いている。
近所の農家から町へ梨やりんごにいちごを配送するおっちゃんたちや近在の主婦、ひと組だけだが大学生ふうの若い男のふたり連れもいる。

テーブルにあるものはどのひともだいたい決まっていて、この辺りの特産品である発泡性の赤ワインにスパークリングウォーター、篭に入ったパン。
あとは€13のコースを食べているひともいるし、€6から€8のピザをぱくついている人、タリアテッレ、フジッリ、トルテリッニ思い思いのものを思い思いのソースで食べている人。

モニとわしはトルタフリッタ(画像のプロシュートの上に篭にはいってる揚げパンのことね)
http://ricette.pianetadonna.it/guide/come-preparare-la-torta-fritta
とプロシュートから始まって、マスタードソースのポークソテーやでっかい胡椒の実がごろごろはいったクリームソースがかかった分厚いステーキを食べた。
DSCN0947
DSCN0949

ちょうど広いテントの下の全部のテーブルが垣を背にして見渡せる席だったので、イタリア人たちが楽しそうに話したり、笑い転げたり、子供に食べ物を食べさせたり、「チャオ、チャオ、チャオ!」と述べて去って行ったりするのが一望に臨まれる。

道路の補修のオカネもままならないのはエミリオ・ロマーニャに来ても同じことで、ウンブリアの田舎のように、どかああああーんと、道路のまんなかに「気が付かなかったら死んでしまいますがな」という大きさの穴は開いていないものの、クルマが120キロくらいでびゅんびゅん往来する田舎道は凸凹で、すぐにハンドルをとられそうになる狭い車幅の道にイタリア名物オバチャリで往来するひとびとがいて、カオスというか、ひょっとしたらイタリアのサラリーマンは毎日出勤して家に帰ってくるたびに無事生還の親族を挙げたパーティやってるんちゃうか、とおもうような危険さである。

南アフリカでのサッカーワールドカップがあった2010年には、そのむかし政府が主唱してつくったフィアットのパレルモ郊外テルミニ・イメレーゼ工場で1400人いるはずの工員全員がワールドカップが始まった途端に「病気」になって休んでしまい、いなくなってしまった。

フィアットのCEO、セルジオ・マルキンネが「あんな工場はもうこれ以上面倒みられない。イプシロンの生産が終わり次第閉めてやる」と息巻いたと英語世界ではおもしろおかしく報道されたが、実態は実は遙かに深刻で、この「マフィアとの関連をもたないシチリアでの初めての産業拠点」として作られた工場にはマフィアの力が浸透しており組合の形をとって、さまざまな生産妨害を行っている。

イタリアでは政界と社会の絶対的腐敗は底が途方もなく深くて、ほとんど戦後史を通じた問題だった。わしの「山の家」の近くでぶち殺されたベニトムッソリーニがいまでも社会的な人気を保っている理由は、あの役者気取りの威勢のいいおっちゃんがこの根強い社会の腐敗を一掃しそうに思えたからである。

マフィアを一掃しようと考えた裁判官は容赦なく爆弾で吹き飛ばされ、「マフィアの息がかかっていない」警察幹部は不思議な死に方で死に、バチカンのなかでも、決して証明されはしないがイタリア人ならたいていみなが知っている「不思議な事件」がたくさん起きた。
社会の腐敗は停滞を生んで、イタリアから国外へでてゆく移民は、社会のなんともいえない差別に満ちた住みにくさと天気の悪さで愛想をつかしてむかしからどんどん人がいなくなってしまう連合王国同様、途絶える、ということがなかった。

ニューヨークの下町に行くとイタリア人特有の顔立ちの人間がたくさんいて、まるでイタリアの都市にまぎれこんだようだが、あの人たちは3代前から延々とつづく移民の末裔で、ラツィオで会った移民3世の女びとは先祖が出てきた村を訪ねにラツィオの田舎の村に来て村を挙げて歓迎された感動を語っていたがイタリア語はひとことも話せなくて、胡乱なイギリス人(わしのことですね)に通訳を頼まなければ部屋のシャワーを直してもらうことも出来ないようでした。
それほどの時間が経っても、社会は改善されず、イタリアから出て行く移民は、いなくならずに、この頃ではブラジルなどの多国籍企業に職を求めて海を渡るのが流行っているよーである。

富の分配、ということはローマの歴史を貫くおおきな主題だった。
力があって、能力があるものが富んで、それでいいのか、とローマ人は紀元前ですら反乱してきた。

植民市群から安価な穀物が流入し、海外から「奴隷」という形で大量に流入した「低賃金で働く移民」のせいで中小農民が没落しパトリキの寡頭経済支配が拡大したローマで、民主主義社会を取り戻そうと上級貴族として約束された人生も生命も投げ出して社会改革を行おうとしたグラックス兄弟がティベリウスは暗殺されガイウスは自殺に追い込まれるのは紀元前133年ー123年のことである。

軍人としても政治家としてもすぐれた人であった「エロ禿げおやじ」カエサルは、歴史の文脈から言えばグラックス兄弟の改革を現実になし遂げたひとであるとも言えるが、この強大な権力と絶対の人気を誇った人物であってすら、改革に反対する勢力に暗殺されてしまう。

平日の午後の田舎の定食屋を見渡しながら、しかし、とわしは考えないわけにはいかない。
この圧倒的な「豊かさ」の感じの正体はなんであるか。
人間の顔が活き活きしていて、まるで神様が「ほーれ、みてみいガメ、人間というものはもともとはこーゆーものだったんだよねえー。いまのお前が知っている人間などは、あれはな、ゾンビであると思うぞ」と、例の皮肉な、態度の悪い口調で述べにきそうである。

ニッキさんという人がいて、このひとが1990年代の初めに北海道に視察旅行に行ったときのことは、たしか、この日本語ブログでも書いたことがある。
連合王国の実家の、ラウンジの薪が燃えている暖炉のまえで、ニュージーランドでは農業の「ボード」の役員であるこの人は、「日本の農家の貧しさといったら!あまりの酷さに吐き気がするほどのものだったわ!ボロボロの服に、こんな家でどうやって冬を過ごすのだろうと思う家!あんな貧しい国は、わたしは見たことがない!」
ガキわしは、そのときの暖炉の前の話題が日本の話だったのでドラゴンボールが好きなんです、と言おうと思って待ち構えていたが、ニッキさんのあまりの語調の強さと嫌悪の表情の厳しさに黙っているほうがよさそーだ、と考えた。
かーちゃんが、「日本の人は見かけよりは、ずっと豊かで、貯蓄したりして倹約しているという人もいますね」と穏やかに述べていたのを覚えているが、このニッキさんのあと、いままで、「日本が豊かだなんてとんでもない。スラムの暮らしですよ」という連合王国人やニュージーランド人、アメリカ人、ドイツ人…. 数限りなく会ったと言ってもよい。

日本に60年代の終わりから住んでいるUさんというドイツ人の女の人は、わしが何の気なしに「60年代の日本の文明的な面が失われて残念ですね」と述べたら、びっくりするように厳しい口調で、「日本が文明的な社会だったことはいちどもありませんよ。そんなものは日本人が得意のごまかしで、日本人たちの頭のなかにあるだけの過去です。どこで聞いてきたか知らないが、いい加減なことを言ってはなりません。日本はわたしが見てきた限り、ずっと野蛮で粗暴な社会でした」と厳しく言われたこともある。
このひとは日本に縁が深い、日本の友達のあいだではそれこそ「親日派」で通っていたひとだったので一層おどろいてしまった。

わし自身は子供のとき(1990年頃)の奈良と青森への旅行のときに、日本のひとたちの見た目の貧しさに驚いたことがある。
それまでは自分の国にいても、日本のテレビでも日本と言えば都会しか見たことがなく、いま考えてみれば自分が住んでいる広尾山の界隈と義理叔父の実家があった鎌倉しか見たことがなかったのでギャップに驚いただけと思うが、まず来ている「服」がどうしようもなく貧しげに見えた。
数字で見ると日本はその頃繁栄を極めていたわけで、視覚的な記憶と統計が表しているものが異なりすぎて、頭が混乱するようなところがある。

こういうことを言うと、またヘンな人がいっぱい人がよってきて「おらおらおら」されてしまうが(^^)、最後に日本にいた2010年でも、寒い午後、数寄屋橋のレストランから下の交差点を眺めながら「結構、ビンボっぽいなあー」と思ったことは(白状すると)あるが、田舎に行っても、うひゃああああああ、と思うようなビンボっぽい格好がなくなったのは、もしかするとユニクロが地方に進出したときと時期が一致しているのではなかろーか。

日本のことをよく知らない外国人を脅かそうとおもったら日本の地下鉄路線図を見せるのが最もよい、というのは日本にいたことがある「在日」外国人のあいだでは比較的よく知られた「オドカシかた」であると思う。
あの架空な未来都市の路線図のような駅が密集した図を見て現実だと思えるひとは、ごく少数の、日本の「アニメ」とかに馴染んでいるオタク青少年だけだろう。
ついでに、ひっひっひ、驚いたか、と呟いて、あのね、ほんでね、東京駅で山手線の時刻表みるとね、電車が来る時刻が書いてないのだよね。
「1〜2分の間隔で来ます」って書いてあるのね、と宣告すると相手はたいてい、ぐひゃああ、というようなどひゃあああ、というような不思議な音を発して、絶句してしまう。

だがしかしだがや。
日本の、たとえば東京では男は通勤電車のなかでは全員痴漢である。
主観的には痴漢でなくても物理的にち○ちんが周囲からの圧力に負けて前の女の人の腰にぐりぐりするような状態、あるいは身体の前面が目の前の女びとの背中に対して「後ダッコ」の体勢になってしまう車内は客観的に「社会によって強制的に痴漢にさせられている」というか心頭滅却して周りの女びとはただの物体であると思いなしてもブラのカップまで胸に感じているのに、客観的にこれを痴漢でないというのは難しい。
ラッシュアワーの男会社員はいわば国家によって強制的に「痴漢」にさせられているのであって、そのあとの「心理的に痴漢だったかどうか」がたいした問題ではなく一律有罪になるのは、国家からしたら(法律整合上)「当たり前じゃん」という程度の話なのかもしれません。
ときどき恣意的あるいはランダムに対象を抽出して「はいっ、きみ痴漢ね」と言っていればいいだけのことである。
ロシアンルーレットみたいなものなのかもしれません。

(義理叔父は半蔵門線が出来たばっかりの頃ってさあ、池尻大橋とかでドアがあくと、ポロポロポロッと小学生とかがこぼれおちてきて、戻れなくなって泣き狂ってたんだよなあああー、と懐かしがっていたが、それでは発展途上国の大貧民列車である。何が「懐かしい」のか、さっぱりわからん)

ニッキさんたちが見た「日本」を思い出してみると、「家、服、食べ物の見た目の貧しさ」ということに収斂されるが、こういう浅薄な「うわべ」は意外に実質を映し出すものでもあって、たとえば日本は国がいちばん繁栄していたときでも高等教育が無料だったことはない、と聞いて驚いたことがある。
わしは日本の「教育に熱心な国」というイメージからも当然大学を卒業して、修士課程の修了くらいまでは無料なのだとばかり思っていた。

統計の上では日本の会社員の単位時間あたりの給料は決して悪くは無い。
わしが子供のときはニュージーランドのだいたい2倍で、いまでもニュージーランドの1.3倍くらいあるはずです。
ところが日本にいるときにわしが現実として観察したのは、日本の会社員が朝7時半には家を出て夜8時近くに帰ってくるひとが多いことで、直感的な総収入とあわないので、注意して話を聞いてみると「残業」が(他のひとが帰らなければ自分も帰らないというような)半ば強制的な形で課せられていて、しかも完全には「残業手当」が支払われていないことでした。

このブログ記事を書きだしたころ、その発見を書いたら、「日本ではきちんとした労働法があって労働環境が整っているのにいい加減なことと言うな」「アメリカでも同じだ」といっぱい叱責が来たので、そーですか、と思ってそれ以上はやめたが、いまでもどの程度会社が残業をちゃんと任意のものと認識して支払いもちゃんとしているか、怪しいもんだ、と思っている。
件のトーダイおじさんたちに聞くと、けっけっけ、と笑って「ガメちゃん、ぼくのいた通産省は31時間打ち止めになったってお祝いしたことがあるんだよねー。ほんとうは150時間残業してるのに31時間分出るようになったってお祝いしてたんだから。民間は推してしるべし」と述べておった。

1980年代初頭にシンガポールに行った義理叔父は、案内の「朱」さんに「シンガポールでは家の私有を認めないかわりに安価で住みやすいアパートを国民全員に供給しています。これは、日本の失敗から学びました」と言われて、こおおおおおのおおおおやろううううう、と思ったそうだが、「でもさ、あれって後で考えてみると露骨にほんとだったんだよねー。日本の個人の幸福不在のいちばんの原因は家だな」という。

わしは財務省の役人のおっちゃんにインタビューして住居政策の失敗について財政面からの質問をしてみたことがあったが、このひとはニコニコしながら「鴨長明以来の簡素な住居を愛する日本の伝統」について説明してくれただけであって、ほんもののバカなのではないだろーか、と疑わせる人だった。

長くなってしまったので、この辺でやめたほうがいいよーな気がする。
わしがイタリアの定食屋でオカネがないはずなのに、いかにも「ゆたかな」イタリア人たちを見て考えていたことは「文明のありかた」よりも、日本が空前の繁栄で稼いだオカネが具体的にどこにいってしまったか?という物理的なことだった。

日本の外から(従兄弟や義理叔父という存在に支えられて)日本を眺めていたわしがいつも「日本」という国の印象としてもっていたのは「なぜ、このひとたちは海外にばかりオカネをもってきてよその国で不動産を買い漁ったのか?」ということだった。
なにしろアメリカの幸福の象徴であるロックフェラーセンターを強奪的に買う、という無茶までやったのである。
中国の人が皇居を買うみたいなもんです。

オーストラリアではサーファーズパラダイスという元はビンボ人が暖かい気候の土地に集結した、という土地柄の荒っぽいところに日本人がやってきて(あるオーストラリア人の表現によれば)「海岸線ごと」買ってしまった。
クライストチャーチのような小さな町でさえ、エーボンヘッドという空港に近い中級住宅地は「ジャポンヘッド」という地元の人間の憎しみが籠もった名前で呼ばれていた。

「日本人」と言えば、手の付けようがないほど人間を不幸にする荒廃した社会をつくってしまって、オカネが儲かったのを幸い、他国に押しかけて土地や建物を無茶なやりかたで買い漁る人々、というイメージが、だいたい1990年代の中頃まではあったと思う。

わしはおぼえていないが、父親などはロサンジェルスから東京に行くJALの太平洋線に乗ったら、ファーストクラスがやくざの幹部ばかりで、日本の航空会社は二度と御免だ、と思ったことがあったという。
このやくざたちは、アメリカのウエストコーストで「地上げ」をするために誰かがカネを払って派遣していたもののようでした。

あるいは「簿外負債」というものについて教えてくれた銀行の役員のおっちゃんがいる。
これは「ない」ことになっている不良債権で、ここにそのまま書くわけにはいかないが、なんだか普通の人間が聞いても本気に出来ないような金額である。

わしには「きんぴらニセガイジン事件」(^^;)以来、日本語インターネットって、こーゆー感じのものだなあーというイメージがある。
失礼な人間には答える必要がない、という実社会のルールの欠落がそのままインターネットにも反映されている。
「次はこういうふうに書いてみて」「次はこう」と皆でやった面もあるが、それでも皆が驚喜してみつめた特異な反応は、わし個人にとってもびっくりするようなことがいくらもあった。
だから、公開されていない資料を使って「ものを考えるひとたち」だけのために共有の知識を届ける、というのは日本語世界では残念ながら無理なことだと判っている。
英語フォーラムに似せて日本語フォーラムをつくったのは、そのせいです。
クローズドサーキットでしか、出がらしみたいな「真実」でないことを述べ合う方法はない、と悟ったからである。

だから、こーゆービミョーな問題については「奥歯にものがはさまった」ような漠とした言い方になることが多いと思うが、それは「日本語インターネット世界」の特殊性によるのだ、と納得してもらわねば困る。
このブログを読んでくれているはずのフォーラム参加者のひとびとは具体的数字事実などについてはソースと一緒に聞かれればフォーラムのほうでは述べる用意がある。

制約はあるが、この「豊かさ、はどこに行ったか?」という続きものでは、文化的な豊穣とは別に日本人の個々が繁栄の果実として手にしたはずの「豊かさ」が、どういう仕組みで、誰によって、どんなふうに費消されてしまったか考えたいと思ってます。

(どーせ、二回目まででもチョー時間がかかるんだけど)

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

4 Responses to 豊かさ、はどこへ行ったか? (その1)

  1. 森亘旦 says:

    いつも楽しく拝読しております☆

    1990年ころ、奈良に来られましたか。自分、19歳やったなあ……。
    奈良は遺跡が多いので、大阪の地価に比べたら膨らみ方も弾けた影響も小さかったらしいです。(小耳に挟んだ話。)こまごま工事ばっかりしてたけど、都会ほどはお金は廻って来なかったみたいです◎

    住居に関して日本の住宅がちゃちだというのを聞くたびに、あたまのなかで『三匹のこぶた』のお話がうかんでしまう。あのお話を、高校の社会の先生が『人種差別のニュアンスがある』と言ってたが、(レンガのお家に住んでる人が一番賢い、ということで)さればと言って、日本の気候にあった木造建築は見る影もなくなっちゃったなあと思います。

    なんといっても集成材ね。父親が建築関係の仕事してるのですが、90年頃、落胆と言うか嘆息というか、首をふりながら『家を買うならどの程度の集成材使ってるか、聞いてから買えよ。あんなん、接着剤で留めたるだけや。いつ耐用が切れるかわからん。ベニヤ板あるやろ、ベニヤと要はいっしょや。ある日バラけてくる。』と言ってました。(その後、改良されたかどうか知らない。されただろうか。)

    ちゃちですぐ壊れる、そして捨てるというのを、『アメリカの使い捨て文化が入って来たんや』と思ってたフシもあったかもしれません。(だからといってアメリカの使い捨て文化がどう言うものかは誰からも詳しく説明されない。『なんとなくイメージ』ですね。)(逆にアメリカ人はエンジンが壊れるまでクルマを買い替えない、乗り倒す、という話も聞いたことあります。)

    日本の迷走ぶりはすごい、もう訳が分からない、と毎日思う。
    いいところは残して、再出発!というチャンスも原発事故でなくしちゃいましたね。

    日本人は親切で律儀でまじめ、器用で勤勉、なんていう評価を鵜呑みにしてきたツケなのかも。
    それは自分たちが思ってるよりも深い洗脳で、海外旅行を頻繁にする人でさえ『日本が一番、豊かでいい国、暮らしやすい☆』とよく言います。

    今はガメさんが書き記すことと、身の回りにあることのギャップをジッと見つめています。

    よい旅をなさってください☆ちゃお。

  2. Sachiko Watanabe says:

    はじめまして。フォーラムに興味があります。リンクを教えて頂けますと幸甚です。

  3. 寅吉 says:

    ガメさん、はじめまして。

    ガメさんの現実に対する視点や物事の考え方は、視野の狭い私に新しい価値観を与えてくれます。

    この記事の題目を読んだら、ふと祖父母の話を思い出したので書いてみます。

    私の育った田舎は、日本が第二次大戦で敗戦するまでは、とてもとても封建的なところで、ごく少数の地主さんと、その他大勢の小作人で構成される村でした。
    小作人さん達は、地主の主人達を「旦那さん」「女将さん」と呼んでペコペコしていたそうです。
    地主の人々は、年貢を納める小作人達を使用人の様に扱っていたそうで、別の村から嫁いできた祖母は地主の威張っている様子を見て大層驚いたそうです。

    そんな地主階級にも転機が訪れます。大日本帝国の敗戦です。
    GHQの施政下で地主の所有する農地の解放が行われます。
    それまで小作人だった人達に、田圃と畑が格安で提供されることになりました。

    そんなわけで地主に年貢を納める必要が無くなりましたので、働いた分はすべて自分の所得になります。小作人から解放された人達は、まず自分の所有することになった土地(畑)に家を建てることにしました。道に面する畑は農民たちの家屋敷になりました。

    衣食住を自給できるようになった農民たちは小作人時代と比べると豊かにはなりましたが、戦後の資本主義(ガメさんから見ると社会主義かな?)に合わせて次男坊三男坊が出稼ぎに首都圏へと飛び出していきます。なんせ食うや食わずの小作人時代が長かったので資本の蓄積が少ないのです。余計者(祖父談)を養う余裕がありません。

    そんなこんなで、朝鮮戦争特需から始まる戦後の高度経済成長で、私の育った田舎の元小作人であった人達は自作農民を経て所謂サラリーマンへと変身していきます。
    昭和の終わり頃の株価が急騰し最高値をつけるまでの数年間は、どの家庭も金銭的に余裕があったように思います。

    ようやく題目の「豊かさ、どこいったか?」になりますが、その金銭的余裕はどこへ向かって行ったのか?祖父母によると、車、バイク、貴金属、旅行、パチンコ、株式、不動産投機などに費やされていたようです。
    特に株式、不動産においてはバブル崩壊後に大損した家々が多かったようです。

    ガメさんの文章に出てくる「豊かさ」。
    人を幸せにする文化、そしてそれが実際の形となる食べ物、飲み物、住まい、芸術、音楽など、そしてそれを生み出す人びとの生活。

    私の生まれ育った田舎の人々は株価が最高値をつけた時、幸せの基準を帳簿上の数字に見出してしまったのかなと思いました。

    追記
    日本語フォーラムに興味があります。
    参加者募集などがあれば、嬉しいです。
    気が向いたときにでもお願いします。
    (長文すみません >< )

  4. Meg says:

    >>わしには「きんぴらニセガイジン事件」(^^;)以来、日本語インターネットって、こーゆー感じのものだなあーというイメージがある。

    私にとっての「きんぴらニセガイジン事件」にあてはまるのは、2010年に下のトピックを読んだときかな?「ああ、2CHだけじゃなく、本当に普通の人たちがこんなことを考えているんだ。。。」と思って、もう日本には住めないと思いました。
    [シングルマザーという選択、いけないですか?] http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/1027/358961.htm

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s