手作りの宇宙

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イタリアの田舎の村から村へ走っていて楽しいことのひとつに村ごとに開かれている「メルカト」(マーケット)があることはもう何度も書いた。
おおきなマーケットが立つのは土曜日や日曜日だが普通の日でも「朝市」が立ちます。イタリアではなぜか多い洋服の屋台は正直に言ってあんまり興味がもてないが、小さな朝市でもプロシュートの店がふたつ、魚屋さんがふたつ、パン屋もふたつくらいは開いていて知らない食べ物の説明を聞いたり、試しに食べてごらんよ、と言われてあまりにおいしいので食べてびっくりして後先も考えずに買ってしまったりするのは楽しい。
大阪や東京なら「デパ地下」に匹敵する楽しさがあると思う。

朝市を冷やかして、プロシュートやエビやいわしの揚げたのがはいった袋を椅子の上において、ちっこいウナ・パスタ(デニッシュでごわすな)をウン・カフェでかじるのは平日の楽しい朝の過ごし方である。

チェントからレッジョエミリアへ行く途中で、道のわきにちらっと市が立っていたのが見えた、とモニがいうので町の終わりのUターンできるところまで行って引き返してきた。

クルマを駐めて外に出てみると普通の市ではなくて骨董自転車の市である。
50年代の60年代のビアンキやなんかがいっぱい並んでいて、1946年製のビアンキまで売っている。
中古の部品を売っている店もたくさん出ている。
ニットの、右肩に並んだボタンで止めるチョーかっこいい柄の自転車ジャージー(!)も売っていて、欲しかったが、いつものことというか、サイズが全然あわないのであきらめるしかなかった。

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イタリアは「オバチャリ」王国で、田舎にいると大量のオバチャリが時速100キロでクルマがびゅんびゅん走ってゆく県道の路肩をえっこらえっこらるっこらと走っている。
ビアンキを初めとしたロードレーサー、あるいはロードレーサーぽい自転車に乗ったおっちゃんやおばちゃんたちは、今度はかっこよくもど派手なぴっちりサイクリングスーツで決めている。
どっちか、です。
フランスと並ぶ自転車王国なので、ぴっちりスーツで決めて群れをなしてびゅんびゅんとばしている集団もある。

自転車の製造技術が世界一高いのは台湾で、特に溶接しないで初めからフレーム全体をつくってしまう技術は台湾の独擅場で他の国はぜんぜん足下にも及ばない。
台湾自転車メーカーの「GIANT」に欧州自転車が価格的に太刀打ちできないのはGIANTが低賃金で労働者をこきつかっていたり、材料で手抜きをしているわけではなくて、大量生産で高品質の自転車をつくるメーカーが他には存在しないからです。

欧州の自転車メーカーは、アンドラ公国のコメンサルのスタジオでも判るとおり、もともと家族営業の手作りで、分野が違うので比較として異様だがそれでも譬えてしまえば日本刀の刀鍛冶に似ているのかもしれません。

メルセデスベンツのSクラスとEクラスのステーションワゴンは、ヘッドライトが「角目」のモデルまでは手作りだった。
ひとつのチームがクルマの製作にあたって、Sクラスのチームともなると、たいへんな栄誉で、ドイツ人はああいうひとたちなので「トルコが生んだ傑作芸術」などと皮肉な言い方をして喜んだが、いまのオンボロなSクラスとは違って、当時のSクラスは「高級車」だったことを認めないドイツ人はいないと思う。

もっと時間を巻き戻してしまうと、たしかこのブログ記事にも書いたことがあるが
メッサーシュミットBf109という第二次世界大戦中のドイツ軍の戦闘機はもちろん手作りで生産性が一向に向上しない責任をとって、そういう仕事に才能があったとは思えない航空総監エルンスト・ウーデットが自殺してしまった後、ミルヒのために働いていたアルベルト・シュペーアが調査してみると、最大のボトルネックはなんと操縦座席の製作工程で、その最も工数がかかる作業は「操縦席の座り心地をよくするための椅子の背に馬の毛をいれる作業」だった。
ドイツという「職人大国」における職人の「ものをつくる」ということへの偏執がよく判る話だと思う。

日本やアメリカのような国では、工業製品は、どう言えばいいかよくわからないが「完成しているもの」として生活のなかにはいってくる。
トヨタのクルマを買えば、まず間違いなく故障せずに動いて、なかには新車を買って、ボンネットをいちども開けてみないでクルマを買い換えてしまうひともいそうな気がする。

素人がかけらも理解できない知識と技術をもった「専門家」たちが完璧な製品をつくりあげて、それに対価を払う「素人」は言われた通りに使って、万が一壊れた場合には、「専門家」がいるトヨタのガレージならガレージに電話することになっている。

「電力」などいうものに至っては、もう準神様がつくっているもので、人間が不平を言うなどとはとんでもなくて、「神様」がつくった原子力発電所がときどき爆発したりメルトダウンしたりしていることは目をつむって、恭しく下げ渡される電力を黙って使わせていただいている。
原子力発電所が稼働できなくなって火力に頼らなければならない夏がくると、「恐れ多くも畏くも電気様は足りなくなりそうなのであるから下々のものどもは電気様の使用を控えるように」とご託宣が述べられると、みなでエアコンを止めて汗まみれになりながら、予備電力あと20%あと12%と神々の労役をはらはらしながら見守ることになる。

欧州はもともと「手」の文明なので、なにもかもが個人の手が生み出したものだ、という「文明」に対する基礎的なイメージがある。
鉄を「熱いうちに」叩き、グラインダーでシャフトを削り、エンジンのボアを拡大して手製オートバイが出来る。

自転車などは更に典型的で、フレームは名人がつくったものがしなりと剛性のバランスが良いのでコルナゴかなにかにしたいが、その他のものは既製品はシマノ(くだらないことを書くとこの会社の名前はイタリア語式に「シマーノ」と言いやすくて、なんとなくイタリアっぽいのもイタリアで人気がある理由のひとつであると思う)の変速機は既製品を買うとして、他は自分でつくっちまうべ、という人がいる。
サドルやなんかは、実際、自分でせめて改造したもののほうが具合が良いと思う。

日本酒という飲み物は自分でつくると酒精度が強くなりやすい飲み物のようで、イギリスでは、「裏庭でみんなで日本酒をつくって飲んだら強くてトイレに嘔きに行く以外一日気絶していた」
「救急車で運ばれた」という話をよく聞く。

バルサミコビネガーやワインは自分でつくり始めると凝りまくって、蒐集がつかなくなる。
わしの友達でも病膏肓に入ってニュージーランドの小さなワイナリーを買ってしまったひとがいる。
(欧州に買わずにニュージーランドに買ったのは欧州と異なってニュージーランドはワイン造りの細かい「これはダメ」「あれはダメ」規則が少ないからです)

フィレンツェで靴職人の4人にひとりは日本人だと言うので驚いて日本人職人のにーちゃんに理由を聞いたら、
「日本では『職人』というものがもう成り立たない社会なんです」という答えだった。
奇妙な感想を述べると靴職人が成り立たなくなった社会ならマンガ職人である漫画家や物語職人である小説家もいなくなってしまうのではないか、とヘンな感想をもった。

この世界にはついこのあいだまで個人が自分で興味をもってやってみて作れない技術というものは存在しなかった。
わしの友達には「ぼく、ひとりでもガメがオカネだしてくれれば原爆くらいならつくれると思うけど」というカリフォルニア人の危ないワカモノがいるが、そういう「ヘンなひと」を例外にして、個人の手が届かない技術の代表として原子力発電は存在している。
フクシマの地震があってすぐ、たまたまツイッタでみかけたおばちゃんが、「ありゃあー、原発ダイジョブかな」とひとこと述べたら、「お前はバカか。日本の原子力発電所建築技術のすごさを知らないのか」「原子炉がメルトダウン起こすと思うだけでお前の無知など知れている。黙れ」と何十という「専門家」のツイートがおばちゃんに向けて発せられて、気の毒なおばちゃんはアカウントを削除してしまったのを目撃した。

いまの原子力発電技術は、「現代技術の粋」「技術の最先端」と誤解しているひとがいるようだが、技術としては古い技術で、しかも生物進化の枝のようなものを思い浮かべながら述べると、進化の枝に入り込んだ、「先のない技術」で、鳥で言えばペンギンであるよりもモアに似ている。
あの装置が巨大で複雑なのは、本来一気に起こるはずの核分裂反応を遅延させるための制御が難しいからだが、技術が好きな人はわかるとおもうが「屋上に屋を架す」ような複雑な仕組みをもつ技術というのは、技術としての「筋がわるい」からそうなる。
それこそ純然たる素人でも初めから眉につばをべっとりつける人が多かった「常温核融合」に「そんな筈はない」と思いながら追試を繰り返してみて膨大な時間を費やしたワカモノ研究者が多かったのは、あの話にはどこかしら「本当の技術というものは、こういう筋ではないか」と思わせるところがあったからだと思います。

たとえば文学的な才能に恵まれたひとならば、「手は頭よりも賢い」ということを当然だと思っている。
頭のなかであれこれ考えて、いわばパーキングブレーキがかかったままのクルマを無理矢理エンジンで動かしているような状態から、自分では考えてもいなかった表現や思想へのヒントを「手」が頭の働きとは別に勝手に書いてしまうことがある。
というよりも、それが才能のある書き手と良い所はあっても結局は群小作家にしか過ぎない書き手との違いで、群小作家というものは昔から「構想したことしか書けない」ので、文学電卓というか、知性のダイナミズムが生まれないところで「おもしろい話」を書くだけにひとたちである。

科学といい、技術というのも同じことで、「手」が「頭」とうまく連結されていなくては、なんだか途方もなくヘンな「真実」を頭から信じてしまう。

補助金が出ているせいもあるが、イタリア人たちは話してみると、あちこちに太陽発電パネルを貼り付けて、あっちで10kwこっちで30kwと発電するのを楽しんでいる。
自分の手のなかからエネルギーが生まれてくる錯覚が楽しいのでしょう。
ちょっとおおきな太陽発電パネルには必ず「こんだけのキャパシティがあって、いままでこんだけ発電した」という実績掲示板が付いていて、おお、すげー、などとゆってワインで酔っ払ったおっちゃんたちが盛り上がっていたりする。

わしの、常に発言の趣味がわるいオーストラリア人の友達は「日本のワカモノはさ、みんなただひたすら心頭滅却して自慰に狂っている栗の花の匂いがする人生を歩いているわけだがら、せめても不毛な行為を発電につなげるべきだと思うね。丁度、行為に及ぶのは夜中だろうし」と述べていたが、採算が悪くても自家発電の妙味にめざめるには良い試みであるかも知れぬ。
(悪い冗談でごみん)

日本にいるとき(若い女のひとのアイデアだそーだったが)JRの改札の雑踏のエネルギーで発電する、というのがあって、わしをカンドーさせた。
わしの知っている日本の若い科学者たちは「発電のオーダーが違う。ナンセンスすぎる」と怒っていたが、オーダーが違うのは説明なしで直感的にわかっても、しかしそれでも、と言いたくなるようななんとも言えぬ「筋のよさ」が、改札口を抜ける群衆が床を踏みしめる力で発電する、という考えにはあるからだと思われる。

日本で習う世界史では「神風連」なみの扱いだと聞くが「ラッダイト運動」はちょうどグローバリズムに反対するひとびとが無力であるように無力であっただけである。
当時から当然のように敗北が予想されていた運動だったが、思想的には実は巨大な意味があったとわしは信じている。
日本語で書く機会があるとは思わないが、自分の国語では書く機会があると思ってます。

「大量生産」というアメリカ人が生んだ思想は、廉価で巨大な量の製品の津波となって世界をおおってしまったが、(やや現実だと信じることが難しいことには)、そのT型フォードの形をして始まった思想そのものを見直さなければならないところにわれわれは来てしまっている。
「大量生産思想」の最も正統な継承者である中国が、同じ「豊かな生活」の価値観をもって「繁栄」を推し進めてしまえば、地球全体が廃坑になるしかないからです。

戦争にボロ負けに負けたあと日本は30年代の美しいクライスラーの流線形を捨てたアメリカ工業に憧れて「大量生産型」の社会をつくったが、もともと工芸の強い伝統をもっていた。
そして、その伝統は、荒地農業技術や科学というような意外な分野で活かされている。
あるいは「マンガ」や「アニメ」も、本来はその伝統に根ざしている。

頭よりも手で人間は思想をつくってきたのだ、と目覚める日には、いまよりも遙かに理にかなった社会になるのではないかと思います。

太陽電池があちこちにはっつけてある。
いまわしはロンバルディアにいるがロンバルディアに来ると他の地方よりオカネモチなので高速道の防音壁が全面太陽発電パネルになっていて。ぶっくらこいてしまったりする。

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One Response to 手作りの宇宙

  1. masako says:

    何年も前、バカンスの初日。夜明け過ぎにCDG空港に着いてすぐに、目的地へと車で南下していた時、「やれやれ、朝ごはん」と、休憩した村の、広場に一軒しかなかったカフェで、お揃いのブルーの格好いい自転車用スーツに身を包み、これもお揃いの早そうな自転車に乗った、どこから見てもリタイヤしたフランス人のおじさん達の自転車チーム(?)を見た事があります。
    朝の8時前に、格好いい自転車にピチピチにフィットしたブルーのマヨで現れた五、六人のおじさん達は、めいめい愛車から降りると、常連らしい慣れた態度でテラスのテーブルを囲み、皆でパスティスを飲み始めたのでした。
    家族でクロワッサンを食べていた私達は、「あれは、きっと家で待っている奥さん達に、チームの練習だとか何とか言って出てきて、全員揃った所で、これからゆっくり飲んで、お昼ごろに家に帰るんだろう。それも、きっと、毎週末、同じ事をしてるんだろうね。」と、(日本語で)こそこそ話してにんまりしてしまいました。(まあ、夜明けから自転車の練習をしていたのかも、ですけど。)

    おじさん達は、それはそれは楽しそうでした。

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