Pater noster

IMG_3907

モニさんは午後に一緒にでかけたAuchanでイタリアの夏の太陽に負けてしまって、お午寝です。
駐車場は摂氏35度もあるのでモニでなくてものびてしまう。
イタリアという国は太陽が国や風景のデザインに組み込まれているので、太陽のほうでも勝手きままにふるまって、たいした緯度でもないのに、ぐわあああああ、なくらい暑い。

子供のとき、初めてか二度目かのイタリア旅行で、わしは怖い夢を見た。
悪魔達が集まってchantsを唱えている。
その祈りは(夢のなかなので)何故か「Pater Noster」で、
Pater noster, qui es in caelis:
sanctificetur Nomen Tuum;
fiat voluntas Tua,
sicut in caelo,et in terra.
であって、そのころのわしには無論、なにを言っているかは判りはしないが、
それが「Pater Noster」であることだけは判って、なぜなら、あの祈りはいまの日本語だけは違うらしいが、他のどんな国語でも同じ「声調」だからです。

目を覚ましてみると、宿の近くでカトリック教会の組織した少年団だかなんだか学校の学期の終わりが近づくとさまざまな催し物をするイタリア人たちの不思議な習慣に従って開かれたパーティで「少年」どもが「Pater Noster」を唱和しているのであって、それは、穏やかであるよりは熱狂的な調子で、わしに「イタリア」という風土についての強烈な印象を残した。

イタリアは文明の母であるとともにファシズムの国である。

イタリア人たちは「熱狂」が好きである。
普段の「ぼくはぼくの幸福を追求するのがすべてなのさ」という地平から止揚されて「集団としての熱狂」の中空に浮くカタルシスを特に好む。

モニとわしが買ったコモの家の隣にはチョーまじめなイタリア人の夫婦が住んでいるが、その家の寄宿学校に通っている14歳の息子が帰ってくると、ミラノのコンサートに行きたい、とか言い出すよーで、親子での長い長い激論が始まる。
その一部始終を、わしは自分の家の裏庭のテーブルで聴いておる(^^;)

他人の家の家庭内論議の詳細をばらすわけにはいかないから、それはいかに日本語で書いているといっても省くが、わしが感銘を受けたのは、話の内容とは別の「おかあさん」の話しかたで、話が佳境にはいってくると「お父さんだって、あなたを愛しているのを良く知っているでしょう?」「だからロックコンサートに行かせてあげたいけど、まだ若すぎると思って心を鬼にして『ダメだ』と言っているのよ」と述べているのだが、その声調が「嫋嫋と」という漢語表現そのままの情緒が堤防からあふれ出してくるような切々としたものである。

英語人は「感情を露わにする」ということを極端に嫌う。
そんなことをするくらいなら物理的に殴っちゃえば、と思うほうである。
どれほど悲惨な内容の話をしていても一滴でも涙がこぼれれば相手に「I’m sorry」と述べる。
香港。19歳でボランティア赤十字看護婦をしていたイギリス人上流階級の女びとはある日上陸してきた日本兵たちに集団強姦された事実を「That wasn’t nice」と静かな声で述べただけだった。

ところがイタリア人やスペイン人たちはもっと「直球」であって、てんこもりになった感情や情緒が言葉と一緒にとんでくる。

その「情緒」は時に「停滞した社会」に揚力をもたらす。
もともとイタリア人たちは「集団作業」というものを得意とする文化をもっている。
そういってはいけないのだろーが、日本のひとよりも(やる気になれば)ローマ人たちのほうが集団でなにかをやりとげることに関しては数段上である。

建築の設計やクルマのデザインというようなものを見れば一目瞭然で、イタリア人は「集団行動」ということに関してはもともと天才なのです。

イタリア人は自分達の長く浸りきった文明に「倦んで」いるが、そこから脱出しようとして、ときどき感情の止揚、というよりもより本質的には「言語による相互理解の回復運動」を行う。
そうして、落ち着いて考えてみれば簡単にわかるが、そういう「文明回復運動」が「民主主義」というような現実主義がちがちの政体に馴染むわけはないので、精神的跳躍の行き先は(過去には)ファシズムになった。

いまの日本語世界では判りにくいのを通り越して理解不能だろうが、欧州には昔から「研ぎ澄まされた美意識は民主主義という政体と共存が可能か」という命題がある。
民主主義という現実主義が生んだ怪物のような「膿み崩れた」政体を嫌う芸術家は大陸欧州にはたくさんいた、どころか、民主主義主唱者のしたり顔に激しい美的反発を感じるほうが通常だった。

言うまでもなくイタリアは、われわれが文明として持っている「bright side」ほとんどすべての母である。
イタリアという国はすごい国でイタリアのどんな田舎にでかけても風景や細部から「decency」が失われるということはない。
いったいどうしてこんなことが歴史のなかで起こりえたのだろう、と思うくらいそーである。
細部のすべてが言葉の厳密な意味で「優雅」であると思う。

でもその「decency」のなかでイタリアの「民主主義」は政体として定着しているとは言えない。
詳細をはしょって述べてしまうと、その最大の理由は(ヘンなふうに聞こえるだろうが)イタリア人が「やさしい人たち」「美意識が強いひとびと」であることであると思います。

この頃わしは民主主義とは結局、北海文化で育ったひとびとの「おまえのことなんて知るけ」「死ね」の文明でしか機能しないのではないかと思うことがある。
日本の人たちのように「具合が悪いので明日は仕事を休みたい」という、たったひとことが言えずに、次の日もまた次の日も会社に出て、ある日ひっそりと死んでしまうような人間たちにとっては「民主主義」という政体、あるいは「個人主義」という思想は結局、とっぴで架空な思想にしかすぎないのではないかと思うことがある。

熱狂や「一体感」のような文明の段階を数段すすめてしまうのに絶対必要な情緒的推進装置は結局民主主義とは相容れないものではないか、という疑問はわしを苦しめる。
もしそれが杞憂であるとすれば、わしがイタリアの子供達のあの熱狂的な「チャンツ」に抱く違和感はどこから来るのだろう、と思うからです。

民主主義とそれを支える個人主義には、わしが育った文明圏を出てもほんとうに普遍性があるのだろうか

(誰にも、この声が聞こえるわけはないが)
(わしは欧州語でこの記事を書くべきだろうか)

なんだか腰折れだけど

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

One Response to Pater noster

  1. tetsujin says:

    ガメ・オベール様

    懐かしく思い出してしまった。

    天にまします我らの父よ
    願わくば御名の尊ばれんことを
    御国の来たらんことを
    御旨の天に行なわるるごとく地にも行なわれんことを
    我らの日用の糧を今日我らに与え給え
    我らが人に許すごとく我らの罪を許し給え
    我らを試みに引きたまわざれ
    我らを悪より救い給え
    アーメン

    憶えているもんやねえ。ちびすけの頃は「ひきたまわざれ」というところが、「ん、なんだこりゃ?」でした。

    altar boy だった頃、いろいろ教え込まれた。dominus vobiscum には et cum spiritu tuo と答えるだよ。ほんでもって、per omnia sacra sacrorum なんちて、旋律に乗せてまだ歌える。ほんとは司祭の歌うところだけんど。

    今は、食べ過ぎると mea culpa, mea culpa, mea maxima culpa とつぶやくぐらい。大食は大罪ですから。そして、英語国で「I was a catholic.」と言ったとき、過去形の使い方がちょっと分かった気がした。

    話は変わって。

    美と民主主義は合わない、個人主義も合わない。なぜなら、美は、根本のところで共同的な体験だから。

    美をなかだちにすると、うまく行けば、ある瞬間、他人と共通の感覚に達することができる。それがおそらく、何ものかの支配の下に自ら進んで入り込むという、人類の最初の政治的体験だったはず。

    旧石器時代の人々は、地底に降りる洞窟の奧深く、獣脂ランプのかすかな光の助けを借りて、岩壁に巨大なバイソンや馬を描いた。それはたぶん、彼らが心から欲しかった日用の糧だったし、おそらくそのまま神々でもあった。人々は、闇の中で、歌い、踊り、忘我に達して神々の世界に入っていった。(と、David Lewis-Williamsという人が言っているのね。受け売りです。)

    忘我の中で幻視した神々の姿と、現実の森や獣とを重ね合わせて生きることが、人類による世界の意味づけの最初の形だった。石器時代の形而上学です。

    歌と絵と踊りを通じて、この世ではない別世界にともに旅立ち、またこの世界に帰ってくる。これを集団で経験すること。これこそ、ホモ・サピエンスの群れが、この世のものではない何ものかの支配の下に集団で入り込む体験の原型だったのではありますまいか。

    そして、民主主義も個人主義も、集団的な忘我の体験とは結びつきそうにない。民主主義と個人主義は、この世を意味づける別世界に《みんなで一緒に》旅立ったりはしない、という決意に貫かれているように見えます。

    「そんなふうに生きて、何がおもしろいの?」と問われたら、別世界から来る怪物に殺されないですむ、と答えよう。ペンテウスは、バッカスに憑依した女たちに八つ裂きにされた。だが集団的憑依を利用しない統治は、集団サディズムを解放しないだろう。

    とはいうものの、幻想の中の別世界をほんとうに断念するなんてことは、ホモ・サピエンスにはたぶんできない。それは、愛も、恋も、歌も、踊りも、詩も、神話も、劇も、神々の図像も断念することだ。共同的な感情体験をすべて捨て、一瞬で他人と通じ合う感覚を知らずに生きる、なんてことは、わしらの脳の構造から言ってもたぶん無理なんだろう。

    美と感情の共有の方が、民主主義や個人主義よりはるかに原始的で自然なことらしい。だから、民主主義や個人主義を育ててやらないと、別世界から怪物がやって来てわしらは殺されてしまう、と思います。

    いささか意外なことに、人類のほとんどすべてにとって、地中海の美よりも北海の荒くれた習俗の方が、これまでもこれからも、生き延びるために不可欠で、手の届きにくい、遠い目標なのだと思います。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s