豊かさ、はどこへ行ったか? (その2)

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トカゲが石壁を這い回る、人間がふたり並んで歩くのがやっとの幅の中世からの石を敷き詰めた道を歩いて隣の村まで歩く。
夏のコモ湖は湖畔は観光客に占領されているので、日本で言えば夏の軽井沢と同じことで、丘の中腹を延びている「裏道」から「裏道」を伝って移動する。

イタリアに来てからちょうど1ヶ月になる。
まるで戦前の欧州の山間の村のようなラツィオの曲がりくねった山道や、見渡す限りブドウ畑のトスカナとウンブリア、おいしいものがこれでもかこれでもかと詰め込まれたようなエミリオ・ロマーニャを経てフランス語圏・ドイツ語圏とイタリアという文明の核融合炉をつなぐシナプスのようなロンバルディアにやってくると、やっぱりなんだかほっとする。

近所の知り合い夫婦が経営しているホテル兼料理屋に朝ご飯を食べに行くと、イタリア語に混じって聞こえてくる言葉はほとんどドイツ語だが、ときどきでかけるレノには英語人たちがたくさんいる。
アイスクリームを食べによった店では隣のテーブルに座っていたのはフランス人の若夫婦で、よく考えてみるとなんだか信じがたいことだがイタリアに着いてから初めて知らないひととフランス語で話をした。
目の前のベネトーのヨットが21フィートで、あんな小さなベネトーは初めて見たということから湖上でのヨット遊びも楽しいべな、という話をした。

フランスはどんな場合でも偉大な航海者だったBernard Moitessier
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/03/23/「とても単純だが言葉によっては説明できない理/
が生まれた国で、もちろんヨットきちがいが多い国だが、Jenneauのヨット 
http://www.jeanneau.com/mur/interieur/Sun-odyssey-50-DS.html
が典型的であるように沿岸周航を念頭にデザインしたヨットが多い。
大洋を横切って航海するよりも地中海のコスタブラバからニースへ、ニースからギリシャの島々へというフランス人のヨット遊びのやり方がよく出ていると思う。

イタリア人たちはヨットにおいてもスピード狂で、モニとふたりでハウラキガルフの島に遊びにいく途中で、夕暮れの海を風にまかせて疾走するプラダチームのアメリカズカップ用のレーシングヨットによくでくわしたが、クルージングちゅうにはイタリア人にはほとんどでくわさなくて、どうもイタリア人たちにとってはヨットは風のスピードで暴走するためにある船であるらしい。

フランス人夫婦と、わっはっはと笑いあいながら話をしていると、じっとこっちを見ているイタリア人がいたりして、やべー、あのおっちゃんフランス語がわかるのだ、やべーx2と考えたりした。

日本はどうして田舎を破壊してしまったのだろう、と考える。
イタリアの田舎を旅行してうっとりすることのひとつは川の美しさである。
イタリアの自然の特徴は「やさしさ」であって、人間がどれだけ丹精こめても形のどこかにもともとの呵責ない自然の獰猛をのぞかせている連合王国の自然とは根本から異なる。「これがほんとうに地球上の風景だろうか」と誰でもが息をのむニュージーランド南島のraggedな異惑星的な風景などは言うまでもない。

大河であるポーもそうだが、田舎のそこここを流れている川の堤の美しさはイタリアの自然の美しさのなかでも特別に述べなければならないもののひとつであると思う。
舗装されてはいてもデコボコなイタリアの田舎道をドライブしながら、横にそれて、川端の芝生に腰をおろして食べるパニーニはおいしい。
チリビンからランブルスコを出して600円もだせばチョーうまい一本が買えるこの発泡性の赤ワインを飲みます。
モニ、大好きと述べると、モニは「ガメは朝からもう6回もわたしを好きだと述べている」と可笑しそうに笑う。
でもやさしい顔でにっこり笑っていて「わたしも」という代わりに、やわらかい唇をそっとほっぺにくっつけてくれる。

大洋は広大だが魚が住めるところはほんの一部しかないのと同じことで、地球はおおきな星だが人間が自然のやさしさにタメイキをつける場所など、いまちょっと考えると中部イタリアの田舎くらいしかありはしない。
そして日本も明治の初期までは同じような稀有な繊細な自然に恵まれていたことを当時日本を訪れたおおぜいの欧州人が証言している。

父親と一緒のわしガキと妹に鳥取県の沿岸を案内してくれた建設省のひとは、テトラポッドを指さして「こんなものいらないと思う」と言った妹に日本の海は荒いので欧州と違ってこういうものが必要なのだと述べたがコンクリートだらけの海岸を見てえらく機嫌が悪かった妹も、そういうことは表情に出ないわしも、それはウソだとしっていた。
欧州はもちろんニュージーランドでもテトラポッドよりもたとえば溶岩を使ったほうが遙かに消波性が高いのがわかっていたからで、小学生のわしでも、川の両岸を部分的でもコンクリートを使ってかためはじめれば、いずれ全流域をコンクリートで固めざるをえず、しかも川の増水傾向が悪化してかえって治水に失敗する例が多いくらいのことは本で読んで知っていた。

1906年に天皇の命令一下無数の鎮守の森を破壊した神社合祀令以来、日本のひとたちは憑かれたように自分達の文明の揺籃である自然を破壊しつづけた。
皮肉な言い方をすれば「カネさえあれば自然の破壊に情熱を傾けた」と言ってもいいくらい熱中した。

わしはコモ湖に移すまでは軽井沢に「山の家」をもっていたが、江ノ島電鉄の社長が植えたという(うるさいことを言えば土地の植生とあわない)落葉松の林は、特に早朝は木漏れ日が宝石の光のようでかっこよかったが、ちょっとクルマで周りにでかけると酷いもので、まるで土砂崩れをを誘発するためにつくったような「砂防ダム」や江戸時代につくられた、むかしの写真をみれば美しいとしか形容のしようがない用水を無惨にコンクリートで固めてしまい、旅人に日陰をつくるために街道の両側に植えられた松は切り倒されて倒産した「ラブホテル」の巨大な看板が赤錆びて斜めにたおれかかっている。

あるとき道に迷って望月の宿の近くのなんだか妙に新しいトンネルを抜けたら、あれはタイムトンネルなのだろうか、というくらい風景が変わって、一面、黄金色の稲穂の海で、遠くに見えている山のほうに向かってクルマをすすめていくと、森のなかに路面一面に細枝がちらばった明らかに使われていない舗装道路があって、そこだけは別天地で、天気がよければそこにでかけて、いま思い出してみると笑いばなしみたいだが、綺麗に舗装された道路のまんなかに敷物を敷いてピクニックをしていた。

イタリアの田舎のBar(バール)で、グラッパをしこたまいれたエスプレッソを飲みながらイタリア人おっさんたちと話していると皆、「経済? ダメダメダメ、全然ダメ。ダメダメダメダメダメ」と言うが、イタリア人は不思議にもあくまで屈託なく、友達同士誘い合ってビールを飲んでだらしなく、げひひひ、と笑いあい、ときにはおめかしをして奥さんを伴って友達夫婦とかっこいいレストランに夕食を摂りにいく。

そんなのどこの国でも同じじゃん、という人がいると思うが、そうではなくて、うまく言えないが、なんとゆーか余裕で、いっぱい借金してクビがまわらないのに、この余裕はどこから来ているのだと訝しんで話したり観察したりしていると、(笑ってはいけません)イタリアのおかーさんみたいにやさしい自然の美しさから来ているのだと考えた。

(小さい声でいうと自然、には(一部)男の姿の良さや女びとの美しさも含まれておる)

欧州の国が「工業化」に向かうときに絶対に農業を犠牲にしなかったことには「おいしいものが食べられなくなるのはやだ」というような理由がいろいろあるが、どんなに日本や中国に鈍くさいとバカにされても(むかしから、この分野では日本の経済専門家から欧州はバカ扱いされておる)工業と農業のバランスを捨て去らなかったのは、意識してではなくても、「それでは人間ではなくなってしまう」という気持ちがあったからだと思います。
工業に産業を収斂して所得が倍増されたとして、その倍になったオカネでプロシュートもゴルゴンゾーラもオリーブが入った天にも昇る味のパンや12年もののバルサミコ酢のひとくち口にふくんだらおいおい泣きたくなる感動や。ゼロゼロ小麦粉を寝かせて使って、ドウをつくる母親の味のピザが食べられなくなったとしたら、なんのための「所得」なのか?

第一、景気をよくするために公共事業を興すというが、それは要するにわたしたちの自然を幾許かの利益のために切り売りすることなのではないか?
そんなにっちもさっちもいかなくなった家計が自分達の先祖伝来の森や家具や庭園を切り売りするようなやりかたが「景気振興策」といえるのか?
あなたがた政治家はそれほどさもしく頭がわるいのか?

とゆーよーな議論が「景気振興策」のたびに起きて、議論が起きるたびに政治家たちは敗退してきたのだった。

若いクライストチャーチ人は、悲しいことがあると、ゴドレーヘッドという岬に行って誰もいない岬の突端の草のなかに腰を下ろして、南極につづく冷たい水の海を眺めながら大泣きに泣くのだ、とむかしわしはこの日本語のブログに書いたことがある。

同じように若いイタリア人は、絵も言われれぬほど優雅な姿の川岸を見つめながら、唇をかみしめて自分を捨てていった恋人をおもって泣くだろう。

若いフランス人たちは、クルマをとばして夕方たどりついた湖の畔の森で湖水をみつめているだろう。

英語でならassetという。
自然こそが自分の国と社会の最大のasset で自分の魂は結局はそこに属しているのだ、ごく自然に知っているからです。

「豊かさはどこへ行ったか」という続き物の記事の2番目を、銀行の簿外の闇に消えたカネや国土そのものが投機の対象になるという未曾有の軽薄な投機の結果、土地はひとりひとりの日本人が住んで幸福めざして落ちついた生活をスタートするどころか株式そのまま「金儲け」の材料に堕落してしまった事情を書いていこうとおもったが、その前に、崩壊寸前の経済を目の前にしたイタリア人たちの「幸福」を眺めているうちに、個々の日本人に対して行われた「支配層」の収奪のうち最悪最大のものが「自分達のいくばくかの利益のために自然を二束三文で売り飛ばしてしまったこと」であることを先に書いておいたほうがいいような気がした。

日本の支配層の、それほどの桁外れの非情がなければ、これから書いていこうとする異常な「繁栄のなかの悲惨」は起こるはずがないことだったからです。

くだらないことを書くと、南方熊楠というひとの人間の能力を逸脱した「第六感」は正しかった。鎮守の森の精霊たちを殺してしまえば百年後にはなにが起こるか、正確に知っていた。
わしはこの英語世界では忘れられた人物について書き残しておこうと思っているが、このサーバーの片隅に日本語でも、「こんなに偉いやつがいたのだ」ということを書き記しておこうと思います。

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One Response to 豊かさ、はどこへ行ったか? (その2)

  1. 寅吉 says:

    ガメさんの文章には、「人の優しさ」と「自然の恵み」それに「幸福な人生の送り方」が内包されていますね。

    >>日本はどうして田舎を破壊してしまったのだろう、と考える。
    祖父母の話を思い出すと、私の住む田舎も戦後「土地改良」という名の公共事業によって、田畑の区画整理が行われました。
    家々が所有する細かく分かれていた不定形な田畑が、広く管理しやすい碁盤目状の四角形になり、細く曲がりくねった農道が広く真っ直ぐな舗装道路になりました。
    毎年村人たちで協力して維持してきた用水路は、壊れないコンクリート製へと姿を変えました。

    そんなコンクリート製の用水路も、何度目かの土地改良で導入された農業用水道によって、お役御免となりました。今では蛇口をひねると田圃に水が入ります。

    川と田圃を繋いだ以前の用水路はもうありません。ただ農業用水道を経て水が流れるのです。

    >>欧州の国が「工業化」に向かうときに絶対に農業を犠牲にしなかったこと
    日本の農業もこう在りたいです。
    美味しいものをこれからも食べ続けたいですから。

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