闇に目をこらす

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コモ湖といってもいろいろな場所がある。
モニとわしが買った家は湖のまんなかくらいのところにあって、別荘はあまりないただの村です。
5軒ほど離れた家にはドイツ人の家族が住んでいるが他はイタリアのひとたちで、しかも一年中ここに住んでいるひとたちである。
朝、散歩すると道行く人がみな「ボンジョルノ!」と挨拶してゆく。
庭で野菜の世話をしているおばちゃんも曲げていた腰をのばして「ボンジョルノ」と述べるし、裸の上半身を窓からのぞかせているおじちゃんも「ボンジョルノ!」という、いうだけでなく子供のようにちぎれそうな振り方で手をふるところがたいへんイタリア的である(^^;)

急な坂の狭い道がおおいのでベスパを買おうと思ったらモニに「ダメ」と言われた。
運動になりません、という。
運動は走ればいいんではない?というと、走るよりも散歩のほうが運動としてかっこいいと思う、という。
モニが言うと、なんでもそっちのほうが正しいような気がする。

だから急坂をくだり急坂をのぼる。
やってみると一日でなれて、なるほどベスパよかこっちのほうがいいや、と思う。

普段の買い物はMenaggioへいくが、昨日は火曜日だったのでLennoの市にでかけた。近在の農家やなんかが出店してモッツアレーラやぶどうやいちご、パン、なにによらず実質的な買い物ができます。
スーパーマーケットよりも安いし、品質は遙かによろしい。

日本でもマーケットが出ると楽しみにでかけたが「縁日」のようなものは行ってみると、やくざっぽいおにーさんやおじさんが全然やる気のないタコ焼きや焼いたトウモロコシを売っていて、ひどくがっかりすることが多かった。
マーケットは本来、地域のひとが買い物を楽しみに出かけるもので、たとえば佐久穂のマーケットならば東京の原宿のブティックが出店している洋服の店や、上野の韓国料理屋のチヂミ屋台、東京や大阪の先端ファッションの卸屋さんをまわって売り主が自分のセンスを賭けて買い付けてきた服というような店が並ぶべきなのに、ふつう自分達の町で売っている商品よりも遙かに質が落ちる品物を「土地の区割り」に利権があるというだけで見ていて恥ずかしくなるような態度で店をかまえ、土地の日本のひとも警察も違法な状態全体を合法化したような奇妙な空間を支持している。

イタリアでも「これは下っ端マフィアだびな」という出店はあるが、少数で、土地の人と話をしてみると、やはり商売不振で年中店が変わっているよーでした。
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Lennoでmozzarella di buffalaを買って、モニはいかにもイタリアらしいサマードレスを三つ買った。
イタリアの女のひとは、びっくりするほど小さなひとが多いが、コモ湖にはスイスやドイツからおおぜい観光客が来るのでイタリア人と較べれば背がありすぎるモニさんにも買えるサイズがあるよーだ。

2年前に来たことがあるレストランに寄って午ご飯を食べたが、コモ湖では初めて見る中国のひとびと、より正確にいえば中国系アメリカ人の大家族がいて、行儀のわるい子供が驚くべきことにドイツ人夫婦のテーブルのすぐそばに立って彼らのテーブルの食事を見てる。
無礼を怒ったドイツ人夫が顔をそむけていたと思ったら極めて厳しい言葉で子供をしかりつけている。
それを眺めていた中国家族祖父母が今度はドイツ人夫婦をずっと睨み付けている。
全体が、なんだか見ていて恥ずかしくなるような動物園じみた光景です。

一部始終を見ていた隣のテーブルのフランス人の夫婦がモニに向かって「アジア人が来るようになれば必ずこうなる。人間でないものたちがうろうろするようになるのではコモ湖ももうすぐ終わりね」とフランス語で述べたので、わしはいきなり憂鬱になってしまった。
タラのリゾットは塩が多すぎたし、ポモドーロの海鮮スパゲッティはおいしかったが平凡だった。
帰りの支払いのときに「前のはなひげのシェフのおっちゃんはやめたのか?」と訊くと、いきなり若いシェフを呼んで挨拶させた。
もう戻れないよねー、と悲しい気持ちで考えました。
間が悪い日、であるだけなのかも知れないが。

中世の町を歩いてしみじみと考える事は、「われわれはみないなくなるのだ」ということです。
人間などは太陽に照らされれば蒸発する儚い影のような存在にすぎない。
千年、というような時間を経た石畳の狭い道を踏みしめて歩いて行くと、考える必要などなくて、ただ歩をすすめるだけで実感される。
この階(きざはし)の下にたたずんでいた美しい女や、石作りの建物の高い窓の向こうに住んでいたカップルも、旅の商人も、オーストリア人もイタリア人もスイス人も、繁栄したものも零落したものたちも、みな肉体の法則に従って消えてしまった。
いま石畳を右往左往して
あるいは得意の絶頂になり、あるいは失意の底に沈んでいるひとも等しく、ただ地表にさした影にすぎなかったとでもいうように死んで消えてゆくに違いない。

曾祖父が友達と話していて、やや新しいものを毛嫌いする傾向のある曾祖父の友人が、「自分はどうしても中東人やアフリカ人やアジア人は好きになれない。少数なら親切に接することが出来るが、数がこんなに増えてしまうと、なんというか、不安になる」と内心を告白すると、
「ひとは来るが去ってゆくのさ」と応えた。

ガキわしは「しかしアジア人たちは去るだろうか。それがこの国にとっていいことにしろわるいことにしろ定着するのではないか」と曾祖父の意見を訝ったが、いま考えてみると、曾祖父は区々とした異文化人のことを述べたのではなくて、人間という存在そのもののことを述べていたのだと判る。

曾祖父は「現在の一瞬を楽しめない人間に永遠を語る資格はない」とガキわしに述べたことがあったが、そういうことも併せて考えると、あの(わしと血がつながった)老人はあらゆる人間を「旅人」とみなしていたのだと思います。
人間なるものはすべからく「過去」からやってきて「未来」の光のなかに消えてゆく虚しい存在だと知っていた。

わしが育った社会では子供といえどもきちんと敬語を使ってオトナと正面から対峙することを求められる。
「子供は子供らしく」のイタリアガキは、そこへいくと楽ちんで、チョー甘ったれた口調で何事か述べると、イタリア人ガキ特有の甘い、かわゆい相貌とあいまって、周りのおとなは「ううううー、かわいい」と身もだえしてしまって、すべての要求は通ることになっているが、レストランの奥から思い切って走り出て中国人たちの子供に手を振ったレストランの息子のイタリア人ガキを中国人ガキたちは無視で報いた(^^;)

この中国人家族の4人兄弟は「おれたちは料理屋風情のガキが挨拶できる身分じゃねーんだよ」と考えたよーでした。
イタリア人ガキは何が起きたのか理解できないように見えた。

コモ湖のような「凝縮した欧州」のような土地にも「新しい容赦のない生存競争の時代がせめてきたのだ」と考えるのは考えすぎなのだろーか。

もうどーでもいいや、と思うことがある。
この世界にはわしには判らないことが多すぎる。
日本のことだけで言っても、
なぜ日本人はフクシマの子供たちを避難させなかったのか。
なぜこれほど露骨にアメリカが防衛問題上おくりつづけているシグナルを受け取れないのか。
なぜ日本人は自分達の歴史の最大の危機にたっているのに、その簡単な事実が認識できないのか。

わしには判らないことだらけだし、なにしろ一本の蜘蛛の糸と言うべきか、現実の日本との接触はもう何もなくて言語を通じてだけの接点なので、時間がたてばたつほど不明なことも増えてゆく。

第一もうあんまり日本語で述べるべきことも残っていなくて、いったいわしは何を書いているのだろう、と思うことがおおくなってきた。
モニが言うように、わしの日本語は「ヒマをもてあました人間の特殊な興味」「日本語を書いているときだけ違う人間になれるような錯覚を起こすための道具」なのかも知れない、と自分でも思うことがある。

「たいした才能なのだから、いまのまま続けてほしい」と言うのは義理叔父だけである(^^;)

闇のなかにそっと腕をのばすと肘から先がふっと見えなくなる、というような種類の闇を感じてしまうのです。

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7 Responses to 闇に目をこらす

  1. コマツナ says:

    「中世の町を歩いてしみじみと考える事は、「われわれはみないなくなるのだ」ということです。
    人間などは太陽に照らされれば蒸発する儚い影のような存在にすぎない。
    千年、というような時間を経た石畳の狭い道を踏みしめて歩いて行くと、考える必要などなくて、ただ歩をすすめるだけで実感される。」(ガメさんの日記から)

    >みな肉体の法則によって消えてしまった

    最近、大事な人を亡くしました。 さまざまな思いがあります。 
    今日のガメさんの日記が心に沁みました。

  2. 眠り頭 says:

    >わしの日本語は「ヒマをもてあました人間の特殊な興味」「日本語を書いているときだけ違う人間になれるような錯覚を起こすための道具」なのかも知れない

    日本という国とか社会とはおいといて、日本語人ひとりひとりにとっては上に書かれていること以上の意味があると思うよ。日本語練習帳の文章を読んで何かを受け取った人は多いはず。人によっては最も近しい友人である「もうひとりの自分」の声に気が付いて自分を救ってやろうと決意して行動にうつした人もいるだろう。いや絶対いるね。うん。請け負ってもいいよ。
    だから上に書かれているようにガメさんが思っているのだとしたら「それは違うよ」と言いたい。 断固言うよ断固。 読んでてなんか悲しくなってしまった。
    こういう話をしだすと「そういうことじゃないんだ」といわれてしまいそうだけれど。 

    ガメさんの日本語を受け取る側の話ではなくて、ガメさん自身が日本語を気持ちよく使えないということなんだよね。おそらく。

    おれは義理叔父さんと全く同意見だけど。

    でも少しお休みするというのはいいかもしれないね。

  3. 僕はガメさんの文章を読むのが好きです。
    様々な知識や、気付きや、ものの見方、表現の仕方など、それはそれは沢山の事をあなたの文章から受け取っています。
    なので、できる事ならば日本語で書き続けてほしいと思っています。
    お願いする筋合いのものでない事はわかっているのですが。。。

  4. pygmalion says:

    ガメさん、はじめまして。
    私もガメさんの文章が好きです。
    文章の端々から、周りの人々や、世界と、あたたかい交流を重ねていることがわかるから、
    自分の人生が寂しく、むなしくなって泣いてしまうときがあるけど、
    私が物語でしか読んだことのない世界を、確かに生きている人がいるのだなぁ、とも思う。
    この世は、私が思ってきたよりいいものかもしれない、と思えて、神様に感謝したくなる。

    震災後にガメさんの文章に出会って、
    遠いところで、日本を思って、いろんな言い方で考えを伝え続けてくれる人がいて、
    心強く感じていました。

    ガメさんが「日本のことを特別に考えてくれている」とは、もちろん思わなくて、
    世界の中の一部として、他のさまざまなことと同じように、時々、日本のことを考えてくれている、
    ということが、なんだかうれしかった。
    自分が日本を出て行けないことや、社会も、自分自身すら思うように変えられないことが、もどかしかった。

    そうしているうちに、
    だんだん、ガメさんの文章の様子が変わって、
    以前は、「存在する誰か」に向かって話しかけている調子だったのが、
    井戸の底か、洞窟の奥のような、暗闇の中に向かって、
    「この奥に本当に人がいるのか? いたとしても、その人は生きていて、自分の声が聞こえているのか?」と自分の行動を疑っている人のような調子に感じられて、
    ガメさんの(ぴったり来る言葉が見つからないけど)失望が伝わってくるようになりました。

    私は、闇の中で聞いていて、
    焦って、悲しくなって、それでも声が出なくて、もどかしい人のような気持ちでした。

    ガメさんは、自分の声が日本の人に届かない、というけれど、届いていますよ。
    ただ、答える言葉が見つからないんです。
    何を書いても、自分にとってさえ嘘っぽく感じてしまうんです。
    だから、ずっと何かコメントしたい、声を返したい、と思いながら、いままで書き込めませんでした。

    もしかしたら、本当に声が届かなくなる日が来るのかもしれない、
    ガメさんの声も聞けなくなり、私が闇の中で聞いていたことも伝えられない日が来るのかもしれない、
    と思ったので、「生きていて、聞こえています」、と伝えたくて書き込みました。

    日本はもうダメかもしれません。
    ダメだってことを認められない今のままでは、やり直すのも新しく始めるのも無理そうです。
    今までは、日本と自分を同一視してきたけど、違うとわかるようになったから、
    日本はなくなってもいいけど(こんなこと書いてるのがバレたら、いつか特高に捕まるかもしれないですね)、
    なくなる過程で、もし、ひとりひとりが、
    自分の声や、目の前の誰かの声(頭の中で反響する呪いみたいな全体の声ではなくて)を聞けたら、
    自分自身の思いを口に出して伝え合えるようになれたら、
    この場所は、いまよりずっとよくなると思う。

    前に書かれた、『沃野としての世界』の記事が好きです。
    私は、子供のころから、世界の何もかもが怖かったです。
    (恐怖ってまぼろしみたいなものだな、と思うのですけど)
    でも、あの記事を読んで、ひとりでも沃野に向かって顔を上げて歩いていこう、って決めました。
    手遅れかもしれないけど、もがいています。

    ありがとう。

    ふさわしい言葉かどうかはわからないけど、末永くお幸せに。

    長文失礼しました。

  5. kyokotk39 says:

    たいした才能だから続けて欲しいに私も一票!ここのところ日本在住の英人をいろいろ助けている、つもりなんだけど。警察も酷いし裁判所も唐変木だし一体何を支えに正義を訴えたらいいのかわからない。すべりひゆさんのprincipalの話を聞いて少し腑に落ちたけど、それがない社会でどうやって戦えば良いのか途方にくれる。微かな染みにすらならないことは続けても仕方がないのだろうか。

  6. f_theoria says:

    「大庭亀夫日本語ブログとわたくし」:

    大庭亀夫さま

    梅次郎為安ことf_theoriaです.事情があってツイッタは鍵かけなのと140字にはちょっとだけ収まりそうにないのでこちらで.

    ずっと欠かさず読んでいたですわ.

    ちょっと前に言ったかも知れないけど,私がガメさんのブログ見つけたのは何年か前にある場所で“ニセガイジン”って紹介されてたからです.へぇと思って検索して読み始めたらそのまま引き込まれて,2日か3日かけて当時あったアーカイブもほぼ読んでしまった.

    そのとき思ったのは,
    1.えらく教養があるよなぁ.
    2.日本語めちゃくちゃ上手い.語の感覚がえらく高度.明治文豪かい.
    3.少なくとも欧州の文化にものすごく長く(深く)接してないとわかんないようなことが書かれている(ように見える).

    だから,こんなカンジの人なんだろうと思っていました.でも“ニセ”かどうかはわかんなかった.典型的なドメスティック日本人が外国人のふりしてこう云うの書いてる,ってのがちょっとしっくりこなかった.まだ“ニセ?なの?かな?”と思っていた時です.タイミング的には“例の騒ぎ”のあとだったのかな.(僕は騒ぎそのものは目撃してないのだ)

    SNSができる前はブログで“ニセ”が流行ったことがあって.たとえばえらく知性的な女子高校生のブログが評判で,でも僕はちょっとしたことであれ?おかしいなと思って偶然知り合いのつてとゴニョゴニョなテクニックで調べてみたら,実はトーダイ教員のちょっと病気気味?な奥さんがヒマこいてフェイクでやってたとか,まぁその類のお話がけっこうあったんです.

    その後,やっぱり中身面白かったからガメさんのブログちょくちょく読んだり読み返したりしてると,あれあれと思うようになってきた.

    語の感覚は抜群だけど,なんかこう日本語にはないスパイスのかほりがしたのね.えらく高度なのに,おや?みたいな使い方するときも稀にあって.バイリンガルかなにかで外国語を使っている時間が長いから,それが混ざってくるのかな,と思ってた(あとで聞いたらバイどころじゃないんだけど).

    書かれている内容に,これまで全く自分の知らなかったことや視点が多いんだけど僕のごくごく乏しい欧州・米国体験や書物の上の知識から外挿しても矛盾するものはとりあえず無かったし,ためしに日本語でその内容を検索しても大概ほとんど出てこないのね.つまり“新しい”情報なわけで,それにはとても嬉しくて興奮した.(ガメさんは”典型的”日本人が知らない情報を選んで出してくれるんだから当然かもしれないけど)

    あと写真ね.良い写真が多いけど,どうやら日常からのスナップショットで,日本に居てああいうのを集めるのはもっとキレイな(プロっぽいという意味ですごめん)写真をより却ってすごく大変なんじゃないのかな,と思った.仮に日本人が旅行してもああいう踏み込んだ絵や人物がリラックスして映ってるのって,なかなか撮れないような気がする.

    というわけで,こういうのを“ニセ”さんが書くのは実は大変なリソースが必要で,そういうめんどくさい引き合わないことをするかなぁ,と.フェイクだったら最小のリソースで最大の効果をねらうだろうと.でも,だんだんそういうのどっちでも佳くなったんだよね.どっちにしろ“それ”に親しくてよく解ってる人,が“それ”を書いているんだから,それでもう良いんじゃないか,と思うようになった.お友達の皆さんと同じ結論というわけです.

    その前後にtwitterで見つけてチャチャ入れするようになった次第.

    あなたのブログとtwitterはとてもおもしろい.

    これは何度言っても良いくらい.
    義理叔父さんに激しく同意です.

    面白いのは前にもちょっと言ったかも知れないけど,典型的日本人である(んだろうな,やっぱり)ところの僕のアタマの中には無い新しい情報や視点をもたらす(興奮!),ということは勿論ありますが.同時にやっぱりUKのエエトコの家の人で冷菜凍死で食べてて天使のような別嬪の奥さんと小さい人を連れて世界中を移動している(ちょっと僕の想像を超えている生活をしている)ところな30歳の青年が,酒飲んでご機嫌になったりアイスクリーム食べてぽんぽんぺいんしたり○んちん振り回して踊ったり歌謳ったり起床が嫌でぐずったり世界への愛に笑ったり泣いたり懊悩したり日本で出逢った人や食べ物や街並みを偲んだりしている,なんというか,こう,生身の雰囲気にもやられちゃうんだなぁ.

    そういうのが日本語で書ける才能に嫉妬しちゃたりもしております,ええ.(僕がガメさんになんとか勝てるのは古文だけど,それはガメさんが僕に古代ゲール語で勝った,というようなもんですな笑)

    それに地球のあっちとこっちで氏素性も年齢も生育歴もちがう人々が,似たようなことを思っていたり,お互いにオモロイ事を言い合ったりする,それがガメさんを中心に展開されてるのを見て,ああなんて良い時代だと思った.

    いっぽうでこっちにある言語世界の言論(って言って良いのかわかんないようなシロモノだけど)や空気の危うさは,潜在的にはずーーーーっと前からあったとは思うけど,こういう状況になって昔にやったあのパターンをもういっぺん辿り始めて,事と次第によってはごろりとあっちに行ってしまってドカンと破裂しかねない怖さがある.僕もあっちに行って熱狂すればラクなんだろうけど,普通に計量するとこれは破滅だよねとなっちゃってさすがに恐いです.ここを見ている人には蛇足ですけど.

    そんな中でこの一年くらいかガメさんが日本語ブログをやめちゃうやめちゃうと何度も言っていて,どうも今回は重い感じがして,それはなんとなく解るんだよね.疲れたりいやんなったりするだろうなぁと.あとガメさんには何かどうも目的らしきもの(或いは希望と言い換えても良いかもしれないけど)があるような気がして,それが届かない無力感があるのかもと思うときもあります,なんとなくね.それについてはそれがどんな目的でも今までのあなたの言動から考えると大庭亀夫方式の目的(や希望)なんだろうと信じられるから,見ていたい気がする.そして僕の勝手な希望を言わせてもらうと,出来れば,ほんと気が向いたときにも書いて欲しい.

    今まで書いてくれて佳かった.読めて佳かったです.

    あと,ガメさんブログとtwitter読んでて個人的に良かったのは,英語世界に目を開かせてくれたことね.ここ十何年くらいはテクニカルな英文をデコード的にしか読んでおらず,ブンガクテキなものは学生時代にペーパーバックをたかだか数冊読んだくらいで,英語世界はいわゆる雰囲気がない(少なくとも僕には読み取れない)と思い込んでおりました.それは読んでたものが合わなかったの(Lewis CarrollとかPeter Milwardとか笑,Roald Dahlは良かったがこの奇妙な味は落ち着かん)じゃないかと今じゃ思うけど,そもそも母国語を含めて人の使う言語に対する自分の姿勢というのに問題あったように思います.

    最近のガメさんや加藤勲さん達が言ってる,日本語のコミュニケートやディスカッションや思考の道具としての問題点と,一方での英語の利点,というのを眺めていて,なるほどこれってサイエンスを日本語でやるときに陥りやすい問題点とだいたい同一じゃないかと気が付き,ああじゃこっち側からアプローチしてみればいいんでね?と思い始めたのが発端.個人的には高校時代に文学部行きを諦めた日本語のどーしよーもないウダウダ感の原因がわかるかもしれん,というちょいと明る気な見通しもありました.

    で,ガメさんのアドバイスは参考にしたけど,こっちから見てガメさんが日本語(や他の言語)に対するようにやればいいのかと思って少々心掛けていたら,最近英語を読んでいて“言語的雰囲気”がアタマでなくてお腹あたりに立ち上がってくるような感覚があって,あっおもしれー,これって日本語の本を読んでいるときと同質な“感じ”で,これを辿っていくともうちょっと“雰囲気を感じる”ようになれるかなぁと思っとります.

    もう少し先の期待もあって,それは日本語ではないもうひとつのアタマの中の次元軸を英語で作ること,それは(純粋な)サイエンスの軸と多分より近い所にあるだろうから,そのあたりを重点的に探していって,結果サイエンスも英語も(あるべき日本語も)繋がって活きてくると良いなぁという.淡いものですが.

    まぁどこまでやれるかは解らないですけど.少なくとも一つの扉が開いて未来の楽しみが増えたなぁと.
    だからありがとう.お礼が言いたかったのですね.

    さてそろそろブログ本体より長くなってるんじゃないかと思うのでこのへんで止めますが,ブログやめちゃうにせよ,ちょっとずつ続けるにせよ,これまで通りにやるにせよ,無理しないでくださいな.例えやめても僕はもう少し進んだかたちで英語世界をうろうろしてみたいと思うからそのうちどこか別の形で会えるような気もしています.

    なんかイヤガラセのように(脳天気に)長いコメントになってしまってごめん.これは大庭亀夫という多言語世界における知性(と情熱)に対するラヴ・レターなのかと思います.

    ではまた.^^)/~

    :為

  7. 寅吉 says:

    記事の第2節(「老人はあらゆる人間を「旅人」とみなしていたのだと思います。」の部分)について家族と話をしていたら、話題が「松尾芭蕉」の「奥の細道」序文

    ・「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」

    から、始まり

    ・「夏草や兵どもが夢の跡」

    へと移り、最後は春望「杜甫」の

    ・「國破れて 山河在り」

    になりました。

    この日本語練習帳は大変面白いと感じております。

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