麦わら帽子の思考

 

家庭内の「おかあさん」の地位が高く社会が母親を尊敬している国では一般に社会における女性の地位は低い。
日本で赤ん坊という「邪魔者」をつれた若い母親をいいとしこいた男がチョー下品な表情でにらみつけたりしたりするのは日本でも女びとの権利が高まる前兆だろう、と冗談を言ったらモニに怒られたことがある。

イタリアはおもしろい国で父親と息子のふたりづれで旅行しているのや母親と息子、母親と娘、父親と娘の組み合わせで旅行しているのにもよく遭遇する。
ニュージーランドならば父親と息子が一緒に狩りや釣りにでかけることはあるが、旅行するのに息子を連れて行く、という父親は少ないだろう。
旅行は夫婦あるいは友人同士でするもので、娘と母親を家に残して父親と息子がクルマで旅行して歩く、というのは想像するのがちょっと難しい気がする。

フランス人と結婚して、20年住んで、フランスの生活にも慣れ、友達も出来て、週末のパーティをこなし、子供もおおきくなって、というところで夫が死んだら、友達が寄りつきもしなくなって、パーティに呼んでも一向に「長年の友人」であるはずのひとびとはあらわれず、自分は夫の付属物にしか過ぎなかったのか、と失望落胆するという話はフランスの(特に)外国人社会ではよく聞く。

イタリアではどうだろう、と考えることがよくある。
あっさり「イタリアでも同じですよ」とイタリア人の友達に言われたことはあるが、このひとはいわゆる「上流社会」のひとなので、社会の一般的傾向をつかむためにはまったくあてにならない。
世界中どこでも上流社会人は薄情なものと決まっていて、しかも国民性の反映がもっとも薄い社会層だがらです。

湖水に面したテラスに座って意地汚く巨大なジェラートの塊をつついていたら桟橋にチャーターのスピードボートが近づいてくる。
英語圏ではcabrioletと呼んだりする。舳先にU字型のベンチがついているタイプのデーボートである。
http://www.tristramboats.com/cabriolet-models/690-cabriolet/

イタリアの人のなかには物腰仕草がびっくりするほど日本人に似ているひとがいるが、ボートの若い衆に助けられて「えっこらせ」と下りてくる70代くらいのばーちゃんと40代くらいのおばちゃんの親子らしいふたりづれを見て、「あっ日本のひとだな」と考えたが、顔をみるとイタリアのひとびとです。
ボートの乗り降りというのは意外と体力を必要とするので40代のおばちゃんはともかく、でっぷり太った70代のばーちゃんのほうは角度を変えてみたり後ろ向きに降りようとしたりするが、ボートチャーター会社の若い衆ふたりの手を借りてもたいへんそうで、桟橋に下りる努力を観察している課程でばーちゃんのでっかいパンツという見てはいけないものまで見てしまって失礼なことになってしまった。

ところで舳先のカウチに座ったままばーちゃんの旦那さんとおぼしき男人は動きもしない。
なんでだろー?と思ってみていると、若い衆ふたりに促されて、やっと、よっこらしょと腰をあげておる。
なんだ、やっぱり下りるのか、と安心する、わし。
ここでじーちゃんがおりないとするとボートはたしかにチャーターなのでいろいろと説明がつかなくて困るのです(^^)

ところがじーちゃんは上背がデカイ上に太っているので、若い衆ふたりがかりでもたいへんで、クレーンを呼ばないとダメそうな困難な状況がみてとれた。
悪戦苦闘七転八倒で、第一イタリアの桟橋というのはコモ湖に限らずええかげんというか年より向けにできていなくて桟橋とボートのあいだにおおきなギャップができやすいので、フェンダーがでかいこともあって下の湖におっこちてしまいそうである。

ばーちゃんと娘も心配しているべなああー、と思って、ふたりのほうを見ると、豈に図らんや、ふたりはとっくのむかしに岸辺にあがって、折から開かれているマーケットの洋服屋に盛んに質問している。

じーちゃんのほうは振り向きもしません。

わしは足柄山の金太郎を日立製起重機でパワーアップしたくらい力持ちで、ボート上でバランスをとるのも慣れているので桟橋までおりて手を貸してやるっぺかなあーと思ってモニの顔をみたところで、じーちゃんも必死に足をばたばたさせたりした不屈の努力の末に桟橋に降り立った。

下りてみるとじーちゃんがボートを下りるのに悪戦苦闘するわけで、歩くのにも杖を片手にゆっくりとしか歩けないのです。
桟橋をやっと歩いていって、階段の前まで来て、手すりなんて滅多についていないイタリアの古い階段はときどき無慈悲に一段の高さが高いが、その階段の前でたちすくんでいる。
若い衆のひとりが、ボートをとびおりてダッシュで走ってきて、じーちゃんが階段をあがるのを支える。

ばーちゃんと娘は気付いてもいないというか一瞥もくれないで、ふたりでドレスを手にとってひそひそと話し合うのに夢中である。
じーちゃんが開始以来およそ5分の激闘の結果、ボートを下り階段をあがってふたりに追いついて話しかけると、「あら、あなた、まだ死んでなかったの?」という風情でばーちゃんがふりかえって、なにごとか話しかけている。

うーむ、と呻く、わし。
イタリアのおかーさんは夫に冷たいのではないか。
なんだか粗大ゴミと言われる極東某国のようなおとーさんの扱われかたである。

一緒に眺めていたモニは、「あのおじーさんはきっとずっとプライドが高い夫として生活してきたので、自分が弱いところをひとに見られるのが嫌なのに違いない。奥さんと娘さんは、それを熟知しているのでわざと無視していたのだろう」と述べたが、ほんとうかしら。
長年の「女としての抑圧されてきたことへの恨み」が感じられる。

男がやりたい放題であることで欧州ではギリシャとならんで有名なイタリアだが、ほんとうは年をとってから静かに復讐される夫のホラーストーリーが豊富に眠っている社会なのかもしれません(^^;)

マーケットの帽子屋台でイタリア式の麦わら帽子を買った。
どこにでも売っている、安い、使い捨ての麦わら帽子です。
表に帽子を出したままで誰もいないので、奥のキャラバンとテントに向かって、
「ボンジョルノ!」と大きな声で呼びかけてみると、店のひとが出てきたが、このひとが、わしの日本人友達のミナ
https://twitter.com/MinaMaeda
にそっくりのひとだったので、わしはびっくりして涙がでそうになってしまった。
ミナのサイト
http://www.grosgrain.jp
に行ってみればわかるがミナ自身が麦わら帽子のデザイナーなのでなおさらだった。
麦わら帽子を買うだけで泣きだしたりするとヘンなガイジンだと思われて警察に通報されてしまうので、ここには大阪府警はないからタイホはされないと思うが、尋問くらいはされるかもしれないので、かろうじて感情をとどめて、わしの様子をみてやや怪訝そうな顔をしているイタリア版ミナに、「おいくらですか?」と尋ねて、つつがなく帽子を購入した。
ところがイタリア・ミナは、「帽子を買いにきてくれてありがとう。いつか、きっと会おうね」という。
えっ?と思ったが、なんとか妥当な挨拶を述べていま買ったばかりの麦わら帽子を頭にのせて、強い陽の当たる坂道をのぼって家に帰ってきた。
いつか、きっと会おうね、は聞き間違いであったに違いない。
でも、わしは、実をいうと、その帽子屋の女びとが日本語でそれを述べたような気さえしたのでした。
太陽で頭が煮沸されて幻影をみたのだと思われるが、さっきも寝室のタンスの上をみにいったら麦わら帽子はちゃんと現実の物体として存在するので、写真を冒頭に載せておこうとおもう。

「日本語だけを通じたつながり」というとか細いものに思われるが、わしは、有名なひきこもりであって、こんなことをいつまでも書いていると逆に誰だかばれてしまうので、具体的にはひきこもりがどういうふうに「有名」なのか書くわけにはいかないが、どのみち仕事の上でさえ、わしに面会するのは棘の道で、「偉そうに生意気だ」といって、むかしから怒らせなくてもよいひとを怒らせてしまう。

奇妙なもので、わしがどんな人間であるか知らないひととは、というのは気まぐれではいった店の店員さんやウエイトレス、あるいは交差点でたまたま隣り合わせになったひととなら、いくらでも軽口を利いて、相手を確実に笑い転げさせ、「またね」とゆってウインクして別れることが出来るのに、わしの生い立ちや仕事、どんな社会的属性を帯びた人間かを知っている人間とは、まったく会いたくない。
極端な言い方をすると、そういう人間たちのなかで会っていても完全にリラックスできるのはモニだけで、少し範囲を広げても従兄弟と義理叔父くらいなものなので、あとの人間とはなるべく工夫して会わないことにしている。

もともとがそういう暮らしなので、飽きっぽい性格に反して、いきなりやめちゃったり、アカウントの削除やブログの行方がくらまされて、変なところでこっそりと再開されている、ということの繰り返しはあるが、なんだかやる気もないみたいな日本語の練習を、「忘れるといままでの積み重ねがチャラになってしまう」という吝嗇な人特有の妄想に脅かされて続けてきた日本語を通じての友達が気持ちの上で、いつのまにかおおきくなってしまっているのである。

日本語を通じてだけだろうが、毎日顔をつきあわせていようが、友達としてつきあっていきたい人間は簡単に判別がついて、ゲームブログ時代からの付き合いであるjosicoはん
https://twitter.com/josico
は、わしのブログがはてな市民だったか2chだかの盛大ないっせい攻撃にあって、人非人扱いだったときに、「あのひとたちが言っていることがもしかしたら本当かもしれないし、ガメの言う事は滅茶苦茶で私も読むとあったまにくることが多いけど、わたしはガメが書くものが面白いから好きだし、あんな集団攻撃をする人間達なんてくだらないと思う」とわざわざメールで書いて寄越して、「友達がここにいるのだから忘れるな」と言って寄越してきたひとだった。
その頃josicoはんは大手ゲーム会社のデザイナーで、josicoはんのほうは、ガメ・オベールという変な奴は仕事をぶっちしては遊びにでかけてしまい、同僚社員ともうまくやっていけない零細ゲーム販売店のハシにもボーにもかからないダメ社員だと思っていたはずである。

ナスもすべりひゆもそうだった。
3人に共通しているのは愚かにも「友情」というものの価値を信じていることであって、いいとしこいてマヌケだと思うが、わしはマヌケな人間が好きなので、だんだん現実世界で会いたくなって困っているところなのです。

わしの「ひきこもり」は先祖伝来のものである。
遺伝的なもののよーです。
なにかまとまったものを書いても発表しようと考えたことはないし、自分で興味をもって、一応の結論を得たことも引き出しに放り込んでほっぽらかしにしたままである。
どうも、自分には「他人に理解されたい」という欲望が病的に欠落しているような気がする。
子供の頃から、相手の勘違いや謬った理屈で糾弾されても言えばすぐ真実が判明する反駁もしたことがなかった。
めんどくさい、という理由だったが、両親や妹に不思議がられることがよくあった。
自分でも、そこまでしてひきこもる理由が判らないが、案外、チョー態度がわるい魂の持ち主で、「世界と関わりになるのがめんどくさい」だけなのかもしれません。

ほんとうは、もっと話したいことがあったが長くなったし、お腹がすいたので近所の料理屋にでかけて少し早い夕食を食べたい。
いじめ発言をすると、イタリアはおいしいものだらけで、
こんなロブスターのtaglioliniや、
DSCN1257

厨房にいれてもらって見ていると、(モッツアレーラと一緒に)すっかりピザを焼き上げてしまってから(誰もみているわけではないのに)皿に絵画的なほど綺麗に並べたパルマのプロシュートや自分の庭でとれたポモドーロをならべたトッピングを並べてゆく、空想的なくらいおいしいピザのような食べ物が、あちこちに転がっている。
DSCN1131

ああ、だめだ、こんなにおいしいと人生なんかどうでもよくなってしまう、どへえええ、と思う料理を食べて、ランブルスコを飲みながらいつも鏡のように静かな湖の湖面を眺めていると、ひきこもりでいいや、とやはり思ってしまうのです。

ただの怠け者の口実かもしれないけど。

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2 Responses to 麦わら帽子の思考

  1. DoorsSaidHello says:

    どうしてなのかはわからないけれど、
    わたしはきみをとてもあいしている。
    ふしぎだな、きみのことばをずっとよんできて、
    いまはじめてのように、とてもいとしい、とおもう。

    ずうっと、とおくにみえるあかりのように、
    あなたのことをおもってきた。

    はじめて声をかけたときは、
    なんだか遠くの丘の上の人に手旗信号を送るみたいで、
    返事がもどってきた時には感動したよ。

    でもいまは、きみがしずかにとなりにいるきがしてる。
    まるでレストランで、となりのテーブルにいるみたいに。

    わたしたちはむかいあうことはなかったけれど、
    おなじ風景を見て、わたしはあなたのことばを聞き、
    たまにおもうことをつぶやいたりした。

    同じ湖畔に、ながいあいだ座っていてくれてありがとう。
    わたしはきみのこえをきくのがすきだった。
    いままでにないほどきみを近くに感じるので、

    きっとひとつの時間が終わろうとしているのだと
    思います。だから言えるうちに言っておく。

    わたしはいつでも、いつまでもきみのことがだいすきです。
    しぬまでかわらないとおもいます。

    画面の上の文字としてだけ存在している、
    しかし画面の外でちゃんと実在している、
    きみを愛するものより。

  2. Kojiro says:

    ガメさん、俺はアンタの書くお話が好きだぜ。
    そりゃあ、むかっぱらの立つ時もあるけどさ。

    それでも、アンタの書く日本語は好きだよ。
    向田邦子のエッセーの次くらい・・・、いや、
    開高健の書く釣行紀の次くらいには好きだよ。

    俺ら日本人に挑んでくるような、意外な角度で
    ズバッと特異な日本語表現をぶつけてくる
    アンタはかっこいいと思うよ。

     だから、なんだ。
     ええっと、も少し続けてくれたっていいじゃないか。
     そうだろ?みんなアンタのブログを楽しみにしてんだからさ。
     そういうわけでなんだか、良くわかんない
    けどさ。次も頼むよ。いいだろ?
     そんなところで、じゃあな、家族によろしくな。
     バイバイ。

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