Monthly Archives: July 2013

初めての人のための海外旅行マニュアル1_陸上移動篇

JaguarとHertzがともにフォードの子会社だった最後の年である2005年には、面白い事があった。 テキサスのダラスに用事があったわしは、ふらふらと飛び上がってふらふらと着陸したジェット機から降りると、ハーツレンタカーオフィスに歩いてはいってゆく。 ダラスフォートワース空港は、なんだか冗談のようにおおきな空港である上に、スーツケースがなかなか出てこない空港でもある。 きみが初めて海外旅行に出かけたとすると、アメリカならば、ほんとうは、それが3ヶ月程度の短い滞在ならスーツケースは持って行かないほうがよい。 キャリーオン、機内に持ち込みができる小さな、たいていはころころ引っ張って歩く車輪がついたチビスーツケース、そう、あのスチュワーデスさんたちが使っているようなスーツケースに、おおきめの肩からさげられて、しかもチビスーツケースの上にしっかりと載るコンピュータバッグの組み合わせで日本を出るのが最もよいと思われる。 理由は簡単でアメリカという国は日本に較べれば途方もなく洋服、ありとあらゆる衣類が安い国で、しかもフィリピンの人達や東アジア人がたくさんいるせいで、とてもとても小さい服も売っている。靴や下着も同じ。 しかも、そのうちに述べるに違いない理由によって、身長が165センチ以下や身長が190センチ以上のひとの服は、特別に安い価格で手に入る。 いちばん高いのは男では177センチ-180センチくらいの身長の人の服です。 女のひとなら165センチ-175センチの範囲にはいる人の服だろう。 ハーツのオフィスに行くと、予約したときに告げたきみの名前が電光掲示板に並んでいる。 ほんで、エコノミータイプのKaを予約した大庭亀夫ですが、と告げる。 これは極めて大事なことだが、もちろん、レンタカーオフィスでもきみは、「気持ちの良い微笑」を浮かべていなければいけないのね、是非おぼえておいてもらわねば困るが、品のよさそうな微笑と謙譲な態度は、旅費を3割方ほども節約してくれる。 安く旅行するときには、だから、ガールフレンドにこっぴどくふられたあとの傷心旅行であっても、きみは「nice」が微笑を浮かべていなければなりません。 金銭の神様はきびしいのだとゆわれている。 「うーんとですね。コンパクトで予約してあるんだけど、アップグレードする余地はありますか?というのは、その、つまり『エキストラコストなしで』ということになりますけどね」という。 そーするとカウンタのおばちゃんはニカッと笑って「ジャガーならあるぞ」という。 わしは欣喜雀躍、当時出たばかりのジャガー自社製V8エンジンを積んだジャグアXJの鍵をもらって、なんだかどこまでいっても空港のなかであるので有名なダラスフォートワース空港の出口めざしてジャガーを運転していったのだった。 ジャガー。一日25ドル。 よれよれのTシャツとジーンズの汚ねーにーちゃんなのに。 ニューヨークをゆいいつの例外としてアメリカを旅行するのにレンタカーを借りないのは頭から思想的に謬りがある。 たとえば地元人に「じゃ、ちょっと、この道の先でお昼ご飯たべましょうか、おいしいステーキハウスがあるんです」と言われて、ついてゆくと50キロ先である、というようなことがふつーに起きるテキサスのようなところでクルマなしで過ごすのは、自分の力ではまったく移動できないことになるし、第一セキュリティ上も危ない。 80年代にアメリカを訪れた城山三郎や司馬遼太郎というような小説家たちは、性格が慎み深いひとびとであったから露骨に口にだしては言わないが、ダラスやシカゴのような町を訪れて「もうアメリカの時代はほんとうに終わったのだ」と「実感」している。 どうしてそんな見当外れもいいところの「実感」を雑誌を通じて日本人に書き伝えることになったかというと、読めば理由は明らかで「クルマを運転しなかった」からです。 フランスに滞在して噴飯物の「フランス紀行」みたいなものを書いた日本人作家は山のようにいるが、やはりこれもクルマに乗らないひとびとであるよーです。 初めての海外旅行であったり、初心のうちは(世阿弥みたいでかっこいいな、この言い方)、特にレンタカーを必要とする。 ハワイのように日本人と中国人の観光客からぼりまくることで成り立っている観光地ではレンタカーは高いが、アメリカ本土はとても安い。 初めは大手のほうが気分的に安心かもしれないが、別にスターターキーをまわすと爆発するわけではなし、そのへんの地元のレンタカー事務所をあらかじめインターネットで探して一日20ドルくらいのレンタカーで十分である、とも言えます。 城山三郎が80年代の終わりに「これはアメリカ滅亡の象徴である」と考えたシカゴは、たとえば真冬にシカゴ美術館の近くを歩くと、零下8度、ラジオのアナウンサーが「教の体感気温は零下15度です」と述べている戸外で、アフリカンアメリカンたちが点々と舗道のコンクリートに直に寝ている。 ひとどおりもなくて、「廃墟」という名前がぴったりです。 まるで人類の未来に悲観的な映画制作者がつくったSF映画に出てくる町のよーである。 あちゃー、アメリカの経済の崩壊はこんなにすすんでいるのか、とおもう。 だがしかしだがしかし。 クルマに乗って、ほんの20分も行くと、そこに巨大なモールがあって、きみが発見するものは、ティーンエージャーたちのデートから、5歳児達の、わーい、でへへ遊戯から、買い物、食事、はてはジョギングに至るまで、そこで行われている「室内モール社会」である。 心なしかマンハッタンの汚ねー支店よりおいしく感じられるシナボンを食べてコーヒーを飲みながら、そーか、アメリカも郊外にひとびとの生活そのものが引っ越してしまったのだな、と考えてみればあたりまえのことに気がつくだろう。 これを旅行者の立場からみると、アメリカでもほかの国同様、「大都市はただ観光客からボルためだけに存在する」のです。 フランスでも連合王国でもイタリアでもスペインでもいまは同じで、クルマがない旅行者には国の実体そのものが不可視であると思う。 レンタカーは「借り方」というようなものはない。 インターネットで車種をみて、価格をみて、予約すればよいだけのことで、空港からオフィスまで必ずシャトルがある。 他のすべてのことと同様に「1ヶ月単位」ならば、価格は突然安くなります。 地域によるが1ヶ月で3万円くらいからあるであろう。 … Continue reading

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初めての人のための海外旅行マニュアル1_空飛ぶ絨毯篇

いまはインターネット上の情報提供システムが充実しているので、むかしのようにあちこちの航空会社に電話して、あーでもない、こーでもないと議論しなくてもよくなった。 わしガキの頃は、まだ家を宰領しているおばちゃんが、よくあーでもないこーでもないをしていたのをおぼえているが、いまはネット上で、特定の便の航空機の種類、かかる時間、座席表から、食事のメニューのバリエーション、はては評判まで一気に検索できるので楽になった。 いま試みに、ニュージーランド人に化けて、およそ意味不明の「がんばろー」な日本語で意味不明瞭で訳がわかんないツイートを連発しまくっている村上レイ(@wagonthe3rd)が奥さんとふたりで、オカネがもったいないのでエコノミークラスでニュージーランドから日本に里帰りするという計画をもったとして、どんな選択肢があるかインターネットで調べてみると、指定した要件にあわせてとりあえず三つ選択肢が現れる 「3 options looked at in economy class for 2 people MALAYSIA  $3028, includes stopover in KL both ways, seat 17in, recline 34in, config 2-5-2, 777-200 AIR NEW ZEALAND $3684, direct, seat 17.5in, recline 31-35in, config 2-3-2, 767 … Continue reading

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イタリア旅行マニュアル(その1)

夕方になればコウモリが飛び交うこの丘とももうすぐお別れである。 モニと相談してみたが、いまのコモ湖の夏は散歩をして過ごすには気温が高すぎる (涼しい風が吹き始めて気温が下がるのが午後6時頃である)ので、暑くて過ごせない、ということになった。 家の石の壁のなかにはいってしまえば涼しいが、それではなんのために美しい散歩道が中腹につらなっているコモ湖の西岸に家を買ったかわからない。 来年は二週間程度にして、イタリアの、もっと他の土地も見てみたい。 どうしても気に入ったところがなければ、フランスでもやむをえない。 モニもわしも旧世界よりは新世界のほうが好きなのだと思う。 欧州はモニとわしにとっては生活するには楽だが、みなが「文明」の服をちゃんと着こなしているので、アメリカやニュージーランドにいるときのような直截肌に触れるような衝撃がない。 みんなでいろいろなことをやってみて、一緒に新しい社会を建設しているのだ、という興奮に欠けている。 一方では、双方とも実家は欧州なので、なんとなく「いつでも帰れるし」という気持ちもあるのではないだろーか。 イタリアにでかけてくる、と述べたら、自分もイタリアに行こうと思うがどんなふうに旅行するのがよいと思うか、とよく聞かれた。 自分自身が、やっと最近イタリア語が話せるようになったおおアマチュアなので、訊かれても困る、日本語の人が相手ならば、すべりひゆみたいに20年がとこ住んでいるひとに訊いてください、英語人ならばイタリア観光協会重鎮のSに訊いてね、と述べてきたが、考えてみると、まだよくイタリアが判っていないトンチンカンなひとがイタリア旅行について述べるというのも面白いかも知れないので、あとで読んでみてあまりにくだらなかったら削除するという条件で、日本語で書いてみようと思う。 わしは子供のときにイタリアに何回か来たことがあるが、その頃はイタリアと言っても要するに「親と一緒にくっついていったただの場所」で、ベネチアやムラーノ、ローマ、ミラノというような町の、たとえばミラノのドゥオモのてっぺんでなんだかへらへらしている子供の自分の写真は撮ってあっても、記憶がちゃんとしていなくて、見ている本人が、なんとなくフォトショップの合成を見ているような気がする。 コモの山荘には、このブログ記事の初めのほうを注意して読めば一目瞭然であるとおり、なにかちょっとつまづいたり、考えねばならなくなったときに、しばらく記事が消えて、冬の細い柴の薪を燃やしながら考えていたりする「山小屋」はチェルノビオの両親の山荘のことで、かろうじてコモ湖周辺に土地勘があるのもそのせいである。 意識の上では「コモ湖」がイタリアであったことはなくて、「山荘がある場所」だった。 そのあと、これも日本語ブログにでてくるがモニとバルセロナからイスタンブルに向かう途中でフィレンツエに2週間くらいいて遊んでいたことがある。 https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/dolce-vita/ そのあとも、一週間か十日くらいコモ湖に来て、そのときにいまの「夏の家」を買った。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/02/コモ、こもごも/ 実際に買ったのは福島第一発電所事故が起きた年だったがこのブログをずっと読んでくれているひとたちは皆知っている、発電所事故が起きる前の年に「十全文功計画」に従った日本文明征服計画が完了して、断続的に5年間、1年に数ヶ月づつの規模で行われた日本遠征が、その前の年に成功裡に終了したために軽井沢の「山の家」に代わる、自然に囲まれた夏の「山の家」を買う、予定の行動だった。 そのあと小さな人が登場したので、初めてのことでもあり、モニにとってもわしにとっても前代未聞の一年中同じ国ニュージーランドにいて、旅行はわずかにラスベガスに10日間 「UP2U」に書いたような短い旅行をして、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/08/03/up-2-u/ 9月の終わりにここに書くわけにはいかない旅行で1ヶ月ほどを過ごしただけですごした。 というわけでイタリアは、どちらかといえば、これまでは「縁のない国」だった。 イタリアを最新遠征計画の目標に選んだので、こうしてコモ湖の畔に座っているが、いまこの時点でもスペインのほうが親近な感じがしているよーです。 いまの欧州でクルマを運転しないで旅行するというのはばかげた考えであると思う。 それは必然的に「観光客からカネをまきあげるために仕掛けられた罠を巡り歩く」ことを意味している。 駅にはスリからインフォメーションセンターまで、「ヨソ者」からオカネをまきあげるためのすべての仕掛けがせいぞろいする。 だからイタリアを旅行するのでもクルマで移動することが前提になる。 わしガキの頃はかーちゃんが「イタリア国境を越えるとクルマの保険でカバーされない」と言って笑っていたのをおぼえていて、イタリアでクルマを運転するのは「論外」に当たることだった。 イタリアの人には悪いが、運転がアグレッシブで無茶苦茶なフランス人よりも更に滅茶苦茶で、今回もローマからコモ湖にたどりつくまでの一ヶ月で5件のおおきな事故を見た。イタリアのひとの運転がどうしてそれほど滅茶苦茶なのかは、そのうち違う記事で書くと思う。 イタリアはビンボ国なので道路もボロボロで、ときどき「ありっ?道路公団が仕掛けた落とし穴かな?」というようなでっかい穴が、どおおーんと空いていることまであるが、まわりのドライバがどれもこれもエルベ特別攻撃隊のようなひとばかりで140キロで走っていてクラクションが鳴っているので後ろをみると、なんだか「てんぱった」顔をしたおっちゃんが髪の毛をおっ立てそうにして車間距離1メートルくらいで走っている、というようなことがふつーにある高速道路や、左側車線を猛進してくる、どうしてそんなことをして大丈夫だと思うのか皆目理屈の見当がつかないドライバたちをのぞけば、イタリアの道も欧州風に快適です。 欧州風の快適さはなにかと言うと、道路沿いにはたくさんの村や町があって、クルマをオリブの木陰に駐めてちょっと奥へ入れば、そこにはどれもこれも独自な持ち主の「自分」がいっぱい詰まったバールやカフェがあって、話しかければ店のひとも客たちも、親切で、愉快なひとびとで、近在のさまざまな話を聞かせてもらえる。 あるいはラツィオの石ころだらけの、人家もない山道を狸さんがでるかなあー、それとも狢だろうか、と思いながら走ってゆくと、夜の闇にぼんやり光る看板があって、その微かな光を頼りに脇道を降りてゆくと、びっくりするほどおおきな構えの堂々たるレストランがあって、用意してもらったテーブルについて料理を頼むと、ワインも食べ物もびっくりするほどおいしくて、イタリアは実力があるなあああー、と考える。 おおきな町などは、どうでもよい。 おおきな町にあるものは絵はがきが3D化されて町におかれているだけで、見ればおわり、体験すればおわりで、そういう意味合いにおいてはボストンでもフェラーラでもボローニャでも、どこに行っても同じようなものである。 どうしてもおおきな町を楽しみたければ、せめて一ヶ月はその町にいて、通りをあるきまわり、馴染みのバーやパブができて、たくさんのひとと話をして、名前をちゃんとおぼえている気が合う土地のひとたちが何人か出来るのでなければ、楽しい事はなにもないと思う。 マンハッタンやバルセロナは、そうやって過ごすのに良い町で、わしはチェルシーとビレッジの中間にあるわしボロアパートで、モニとふたりで話しているうちに酔っ払って、もっとお酒を飲んで遊ぶび、と衆議が一決してハドソン川沿いやビレッジのバーで、きゃあきゃあ言って酔っ払ってうろうろする午前二時や三時のマンハッタンが大好きだった。 あるいはバルセロナの「革命広場」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/14/「革命広場」の朝の歌/Continue reading

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割れた貯金箱

消費税と国債の大量発行には似たところがある。 どちらも貧乏人にカネモチが荷を背負わせるための仕掛けであるところと、露骨な貧乏人踏みつけ策であるのに当の貧乏人が自分達への苛斂誅求であると意識されにくくつくってあるところがたいへんに似ていると思う。 日本では「日本の国債は同じ日本人自身が買っているから財政危険を招くわけはない」ということになっていて、これは実は70年代に支配層間で盛んに言われた事のコピーである。 国債発行高が小さい経済環境ではまったくの(疑いのない)事実であるにすぎないこの理屈をたくさんの日本人が直感的に、この時点で聞かされるのは「ヘン」だ、と感じるのは、「勘」の拠り所として「ほんとうにそんなに大丈夫なのだったら景気振興のために税金など徴収するのはやめてしまって予算を全部国債発行で賄うことにしたらどうか?」という架空な思考実験的疑問への解答を考えてみればわかるが、本来は、実は国債にいまほどの引き受け手がある経済環境のほうが異常なので、いま程度の国債発行額でも、その異常さに依存していることを「普通人」の感覚で見抜いているからだと思われるが、いまはそれはおいておく。 ものの売買は異なるふたりのひとで起きることを考えれば「同じ日本人」と言っても国籍がおなじだけで売っているのと買っているのは違うひとたちであるのはあきらかだろう。 もっと簡単に言えば国債を買っているのは2%という、一億円国債を買ってやっと200万円という話にならない低リターンで財産の運営を企画することができる「富裕な誰か」であり、売っているのは「その他おおぜい」のビンボ人の集合である日本人の99%である。 国債は借金なので約束の期日がくれば償還せねばならない。 借金を返さなければならないが、利息も払わねばならない。 誰が払うのかというと国債を集団で売り込んだビンボ人が払う。 自分で意識していないだけで、なんのことはない、国という窓口を通じて富裕層からオカネを借りまくって生活しているだけです。 だから国債を発行すればするだけ個々のビンボ人はビンボになってゆく。 消費税も同じことで、たとえば、わしがいまいるイタリアの消費税(IVA)は生活必需品(パン5%家の修繕10%など)を除けば23%だが、価格タグは税金込みの表示なので何か買う度に4分の1近くも税金を取られていると普通のひとの意識にのぼることはない。 カネモチはそういうことがいちいち意識にのぼるからカネモチなので、1億円のヨットを買って2300万円も税金を取られてはかなわないので、クロアチアかどこか税金が安い国で買って、自分の国まで回航する。 ニュージーランドのカネモチならば、自分で2万キロを回航するのはたいへんなのでオーストラリアやニュージーランド、アメリカに多い専門の回航屋にもってきてもらう。 もってきてもらってニュージーランド船籍にすると、そこで15%の消費税(GST)を取られてしまうので、船籍はカリブ海のどっかの国で税金がかからないところにする。 そういうことどもをいちいち手配するのはたいへんなので、アメリカやニュージーランドにはめんどくさい手配をいっさいやって、オカネさえ払えば太平洋の向こうからヨットを運んできてくれる会社がいくつもあります。 国家のほうからみれば徴税のコツは「なるべく政治的力をもたない集団」から「なるべく気付かれないようにこっそり」税金を徴収することで、露骨でマンガ的な例を挙げると、たとえば税金ではないことになっている税金である日本の会社員から徴収する社会保険・厚生年金料は会社員のほうが給与票を眺めて「ああ、おれは4万円保険料を払っているのだな」と思っているときには、実は会社から給料として支払われる前の段階でもう4万円会社員本人に代わって支払っているので、ほんとうは8万円支払っている。 なんとなく書いていても子供だましもいいところで、こういう詐術をおもいついた人の心根の卑しさというものが胸に迫るていの「知恵」だが、これは案外有効であることが判明して、たしかいまでも日本では会社員が30万円の月給から4万円の保険料を払っていると思っているときには、実際には34万円の給料から8万円の保険料を払っているという仕組みが続いているはずである。 このあいだ義理叔父お友達グループの、このブログ記事には「トーダイおじさん」の名前ででてくるトンチンカンおじさんたちのひとりから来たメールを読んでいて驚いたが、日本では、このごろは阿漕な下級悪魔でもぶっくらしそうなことには時間給のパートタイマーから保険料を徴収しているという。 なかにはそうではない理由の人もいるのかもしれないが、通常は「パートタイマー」で仕事をするひとというのは生活が苦しいからそういう割の悪い仕事をするので、まともな社会というものは、そういうところからは「正しさ」を盾にとって税金をひっぺがすようにして徴収をしたりしないものだと決まっている。 社会には「隙間」や「余裕」が適度につくられていないと「弱い者」から窒息死していってしまう。 なにによって「決まっている」かといえば人間が文明の長い歴史を通じて育んできた「常識」によって決まっているので、そういうことを理解できない社会がどうなるかはすでに紀元前に「酷吏列伝」(常軌を逸して職務に忠実だった役人の列伝という意味です)を書いた司馬遷が誌している。 日本の人は本来は汚職であることを汚職でないように制度化合法化して見せかけることに昔から巧みで、義理叔父の時代には免許更新のたびに何故か「日本交通協会」というところから「自動的に」買っただけで二度と読まない「交通教本」その他一式を買わされて、証明書に必要な写真も「免許センターのなかで買わなければいけない」のだと言われたというので大笑いしたことがあったが、いまでもパチンコ屋への「天下り」から警備会社の「コンサルタント」に至るまで、なぜか警察にのみ優秀な人材が集中しているらしく、一定数が警察退職後に再就職してゆく。 もっと驚いたのはたとえば天下りが多い警備会社の「パートタイマー」警備員は保険料を天引きされない例がおおいことで、理由は「役所のコネはそういうときのためにある」ということでした。 ベニト・ムッソリーニはコモ湖西岸のDongoで逮捕されて、Mezzegraで処刑されたと前にも書いたが、わしが買った軽井沢に代わる新しい「山の家」は、そのDongoとMezzegraのあいだにある村にある。 チェルノビオにあるかーちゃんやとーちゃんの山荘のまわりは、このチェルノビオからラリオ辺りにまで点在する別荘の持ち主たちの、ある種類の欧州人たちの小さなコミュニティがあって、それが鬱陶しいので、湖畔に降りず山の中腹だけを通って中世そのままの村から村へあるいていける、この辺りに居心地のよい家を買うのがよいだろうと考えた。 結果から言うと失敗で、わしガキの頃には25、6度にしかならなかったコモ湖は、この頃は30度を超えてしまうので暑くて「散歩」どころではない。 前半は、あぢー、と呟きながら教会の庇の下や石作りのトンネルのようになった中世町の隘路をたどって歩いたりしていたが、後半は結局、クルマに乗って、なんのことはない、チェルノビオへでかけて、両親の山荘ですごし、プールで泳いだり、涼しいラウンジでワインを飲んだりして、わしの「安上がり鄙びた山荘計画」はもろくもお日様に負けて崩壊してしまった。 イタリアにおける策源地を新たに選定しないとダメじゃんね、と考えて、ときどき不動産屋をまわります。 かーちゃんととーちゃんの山荘くらいのものは、山荘といっても何億円というよう程度の金額では買えないので、零細なわしとしては、もっと安くないと買えねー、と思うが、 まわっているうちに気がついたのは、2億円を下回ると、その下には、ちっこいホテルの部屋のような4000万円とかの部屋があるだけで真ん中がない。 しかも、Villaと呼ぶような広大な屋敷のほうばかり市場価格は上昇していて、6000万円以下のフラットは、どうみても価格が低下傾向にあるうえに、わしの目でみて、「あと2年、市場がもたないな」という様相を呈している。 買い手が皆で「待ち」にはいったときの典型的な市場である。 なにを「待っ」ているのかというと市場価格の暴落を待っている。 悪い冗談じみているがコモ湖の近辺はジョージ・クルーニーが引っ越していってしまうと、それが引き金になって不動産恐慌になりそうな雲行きである。 バルセロナの不動産価格は2005年くらいに較べるとすでに半額以下になっている。 特に下町はおおざっぱに言って7割減で、しかも銀行のホームローンの条件が住宅を必要とするような人間にとっては冗談にしか聞こえないほど厳しくなったので、いまでも不動産価格はさがるいっぽうです。 ここでも「中間層」を貪り食ってきた現代世界の末期的症状があらわれている。 日本でもアメリカでも欧州でも支配層は「当面の大崩壊を防ぐ」という大義名分のために、たいていの場合中程度の質の大学教育を受けたテクノクラートが多い中間層をくいものにしてきた。 こういうテクノクラートには自分が身につけた専門技能を極めてゆけば、それが豊かさにつながるのだという20世紀的な「職業道徳」めいた信念をもつ人間が多いので、「オカネのことはわからない」だけでなくオカネの問題を正面から見ようとさえしない人間がひしめいているからです。 … Continue reading

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チェルノビオ

1 人間を30年もやっていると、口が重くなる。 相手に伝わりそうなことだけを述べて、「このひとにこんなことを言っても伝わりはしないな」と考えれば、黙っていれば相手が誤解すると判っているときでも何も言わないですませるようになってしまう。 友達はなるべく少数に限ろうと思う。 5人の友達がいるよりも5つの雰囲気のよいおいしい料理屋の気が利くウエイターを知っているほうが人間の生活を明るくする。 まして結婚してしまうと、モニがいて小さなひとがいる。 他に何が必要だろうかと考える。 山の稜線よりも低く飛ぶ水上機はコモ湖の名物である。 だいたいコモからベラージョへ飛んでまた帰ってゆくが、ときどき、おもいがけずオスッチオやレンノに着水する。 テラスから、それを眺めてモニとふたりで定期コースから外れたことの理由を憶測する。 「お腹がすいたから午ご飯を食べにおりたのでしょう。きっと、あの湖畔のレストランでプチトマトのポモドーロスパゲッティを食べるのだと思う」 「恋人に捨てられた傷心旅行の女のひとが空にあがった弾みで産気づいたので、病院につれていくのではないでしょうか」 ラファエロ、という名前の不動産業者と一緒にチェルノビオのヴィッラを見に行く。 「旦那さんや奥さんのようなかたがメナージョのようなところに夏の家を構えるのはどうかと思う」 30歳になって腐りきっているところに、到頭、「旦那さん」にされてしまった。 湖畔の道を歩いてジェラテリアへ行く。 「ガメは木陰ばかり選んで歩いていて、深窓のお嬢さんのよーだ」とモニが明るい陽光のなかで笑っている。 「今度の誕生日には日傘をあげよう」 だって、もうぼくの腕は真っ赤です。 鼻の頭の皮膚がとれてきた。 髪の毛も色があせてきたよーな気がする。 皮膚ガンになったら、どーしますか。 「ガメは、いつもおおげさで、田舎のおばーさんみたいだ」 突然、水上機が上昇して、山の稜線よりも遙かに高いところに舞い上がる。 見上げると、まるで、もう低空飛行にはうんざりしたのだとでも言うように、見たこともない高い空へあがってゆく。 息をきらせるようにして10メートル上昇するたびに「日常」をずたずたにする決意を表明しているように見える。 その光景はなにがなし、(もう十分夏の太陽のせいで暑苦しい)ぼくの目頭を熱くさせる。 2 ふと、「イタリアは人間的にすぎる」という言葉が頭をよぎる。 そう「思った」わけではない。 そういう言葉が頭のなかのどこかで生成されて意識に浮かんできただけである。 ダヌンツィオは美のなかに生きようとして人間性を遠ざけた。 人間性の「あたたかさ」のみすぼらしさがこの詩人には耐えられなかったのでしょう。 それは彼の無機質のはずであった「美」を有機物質に変換して、あっというまに腐臭を放つものに変えてしまうという点で彼を恐怖させた。 彼はやっきになって「人間的なもの」を否定し、人間性の堕落の象徴である「民主主義」を憎悪した。 ダヌンツィオの伝記を今日開くひとは詩人のあまりの「人間くささ」に驚いてしまう。 彼が「人間性」を遠ざける、その仕草の、あまりの人間くささに、どう反応すればよいか判らなくなってしまう。 ぼくは子供のときには機械になりたかった。 嘆きも悲しみもせず、世界のどんな悲惨が目の前に繰り広げられても。ただ一滴の涙も流れない感情をもたない知性でいられることを理想とした。 妹と一緒に並んで勉強しているときに、「サードギア飽きた。トップギア」と述べて、妹の十倍速度で数式処理をしてみせて、「人間の子は、気の毒である」と嘯いて、妹を怒らせた。 … Continue reading

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グローバルエリートになってしまうまえに

コモ湖というところは、だいたい日中24、25度で夕方になると涼しい風が吹いてくる、という夏の避暑地として発達した。 いまグーグルで自分の夏の家がある村名+weatherで天気を訊いてみると、25度だと言っているが、まっかなウソでテラスに置いた気温計は28度を指している。 石壁で出来た家なので室内はいくらか涼しいがコモ湖の重要な楽しみである「長い散歩」が暑すぎてやれない。 ときどきクルマで湖畔に降りてひと晩帰りの観光客と一緒に湖畔を歩くが、湖畔の道などは単調ですぐ飽きてしまうので、少し歩いて、ジェラートやアフォガートを食べて帰ってきてしまう。 コモ湖のまわりには有名なレストランがいくつかあって、それぞれ何回かずつ行ったことがあるが、南イタリアの食事に較べるとロンバルディアの食事は価格の高低に関わらず歴然と不味く、しかも観光地風の味付けのところも多いので、自然馴染みになった肉屋さんや八百屋から材料を買ってきて自分の家でつくることが多くなる。 うーん、なんとなくつまらん、というのが正直な気持ちで、これなら南仏とかのほうがマシじゃんね、などと考えてしまう。 しかしコスタブラバもアヴィニヨンの郊外の村々もコモ湖も気に入らなくてダメならどーすればいいかという知恵が浮かばない。 モニは口にだして「むさい」ドイツ人やイギリス人が右往左往している夏のコモ湖は低俗なのではないか、と言ったりはしないが、このあいだ家のテラスから望見できる湖畔の道の渋滞を眺めながら「ニュージーランドはいいなあ」と小さく呟いたのをオットー1世(←だじゃれ)であるわしは聞き逃さなかった。 一瞬、コモいえは売り飛ばして、コモではかーちゃんととーちゃんの山荘に滞在することにして、マヨルカかどこかに夏の家を変更しようかと思ったがマヨルカにはモニかーちゃんの巨大な夏の家があるのを思い出して思いとどまった。 第一、それではモニかーちゃんに「梲があがらない夫」として叱責される頻度が増えてしまうのは見えている(^^;) 辛い人生だなあー、としみじみ思う。 家を買った2年前のブログ記事にコモに着いたことを「おこもさんになった」と書いたりするから、こういうことになる。 この4年間ずっとそうだとも言えるが、世界の経済は崩壊寸前で、崩壊寸前なのに、ロープからこけそうになると、おっとどっこいどっこらせのよいよい、と述べて立ち直る、ということが続いている。 中国は製造製品輸出の割合よりも投資国家として変身しつつあるが、もうとっくのむかしに製造業よりも比率が高くなった投資業のリターンが惨めなほど小さいので、真剣な危機を迎えている。 欧州は言うには及ばずで、欧州らしく消費税をあげてみたり、支出を切りまくってみたり細かい工夫をやりつくして、もう気息奄々、イタリアおとうさんやスペインおとうさんを初めとして「お倒産」の夢が現実のものになりつつある。 じっくりつぶれそうな余地を残している欧州経済とは異なって、中国がこけてしまうと、欧州おとうさんとは違う、ドラマティックな大崩壊が見られるので、わしのような借金ゼロのコンジョナシの凍死家以外はみな向こう5年間は退屈だけはしないですむものだと思われる。 中国がこけるとアメリカとオーストラリアがおおごけするのは目にみえている。 アメリカ経済に較べるとオーストラリア経済などは誤差みたいなものなので較べては気の毒だが、ぱっと頭に浮かんだふたつのひとつなので並べて書いている。 日本は天安門事件後の抜け駆け以来、中国政府の覚えがめでたく、中国依存が非常におおきい経済なので、一緒にこける、というよりは、ニュージーランドがオーストラリア経済の一部に組み込まれてしまっている、と同じ性質の言い方において、そういう意味においては中国経済圏の一部なので、やはりはなはだしい影響があるだろう。 世界中経済評論家のひとびとは威勢の良いひとが多いが、凍死家たちのほうは臆病と決まっているので、プレーリードッグみたいというべきか、借金を減らしながら、予定リターンの率をさげて、ときどき地平前の彼方を望見して、「まだ嵐こないから、もうちょっとオカネ稼いどくかな」とつぶやいて、思想もなにもあったものではない、短期稼ぎに邁進する。ケイマン諸島の口座にはどっかり座りこんだ現金がどんどん積み上がって、世界中の投資機会に「つぶれられるもんならつぶれてみい」とにらみを利かせている。 前に、オカネのことが心配ならばとりあえず1億5千万円ほど稼いで、グロスで1500万円、ネットで1000万円くらいの定期年収をうけとれるようにすればスタートとして良いのではないかと述べたが、投資家の考える事は世界中もちろん同じようなものなので、あの記事を書いたあと、いまではグロスで同じだけコンサーバティブな投資(たとえば居住用賃貸)で稼ぐには4億円弱の資金が必要になってしまった。 言葉を変えていえば、「金儲けになど興味はないがオカネのことを考えないで長い一生を暮らしたい」と考える若い人間にとっては、やる気がなくなるような世界になってしまった。 最近は「十全文功計画」の一環としてのイタリア=ローマ文明征服計画準備に忙しいので、ちょっと油断すると日本語さぼりになる傾向があるが、そういうことでは日本語能力はあっというまに衰弱するので、日本語記事を渉猟していたら、たまたま 「目指せグローバルエリート」という記事がふたつあった。 どちらも 「日本の生活は貧しい」 「日本では報われない」 「ダメ日本を出て世界標準の世界でバリバリ頑張ろう」 というようなお話で、日本を出て「グローバルエリート」として「世界で活躍」しているひとたちが「日本の青年よ、世界に向かって羽ばたけ」というようなことなのだった。 なんだか読んでいると年収4000万円が「グローバルエリート」の必要十分条件であるようなことが書いてあって、年収と密接に連関した「エリート」てオモロイんちゃうかしら、と思ったりしたが、それは、わしの皮肉な気持ちが頭のなかでわるさをしているだけでしょう。 わしは体質が「がんばれない体質」なので、「グローバルエリート」とかゆわれると、「たいへんそー」と思う方です。 わしの友達には「ガメ、去年は給料で19億円あったから島を買った。モニさんと一緒に遊びに来なよ」と電話をかけてくる女投資会社社員のようなひとがごろごろしている。 ガッコのときから、わしがタミヤのジオラマを精魂こめてつくって、「このアフリカ師団の戦車の正面装甲をよく見ると目玉焼きが載っているところがプロなんだよねー」と自惚しているときに、革新的な投資リスクの評価方法を数学手法を使って詰めていたようなひとびとなので、どだい、人間の出来が根本から異なっているのだと思われる。 「発明」という全然現実味のない「初めの十分におおきいオカネのひと塊」が、おもわず、我にも非ず、できてしまうまでは、このままいくと、有能な女友達の誰かに有無を言わさずプッシュプッシュプッシュで結婚されて、朝、目が覚めてくる「グローバルエリート」のお嫁さんのために裸で台所に立って甲斐甲斐しく朝ご飯をつくっていると、後ろから精気に溢れた妻女が近づいてきて、後ろからまわした手でち○ちんをつかまれて、おお、朝からこんなになって、お前も顔に似合わず好きだのお、と嫌らしい口調で耳元でいわれるなり抗いながらもいかされてしまう、というようなドーパミン生活になるのではないかと危惧したりしたものだった。 モニさんも、はらはらしていたそーです。 世界標準であっても、「仕事をバリバリがんばって自己を実現するのが理想の一生だ」などというのはくだらないと思う。 午後5時くらいに、なあーんとなくスプレッドシートを眺めていて、ふーんと思っていて、突然シートとは関係のないビジネスモデルを思いついて、評価してみたり、市場を調べたりして、気が付くと午前1時になっていて、当時ガールフレンドであったモニさんにたいへんケーベツされたことがなかった、とは言えない。 仕事というものは(そういうと怒る人がいるのは知っているが)要するにゲームで、ゲームには人間をチョー興奮させる要素があって、しかもビジネスというゲームはゲームデザイナーが束に成ってかかってもつくれないほど巧妙にできた、しかもひとつ勝てばその「勝ち」をまた展開させていくことができるというゲームで、そのうえ勝てばクレジットのかわりに現実に使えもするオカネでビビンビヨオーンと数字があがってゆくので、こんなに交感神経を刺激されるものはない。 能力のある投資家なら、夏の午後、プールサイドのサンデックチェアで、どへへへへえええー、でれええええー、マルガリータうめー、をしていて、突然、「あれ、これオモロイかな? これってやってみると、現実世界ではどうなるのかな?」と思うアイデアが頭にあらわれて、いてもたってもいられなくなって、電話で自分の郎党を呼び出して、「こういうことを準備しといてほしいんだけど」と述べて、自分でも「病膏肓というのはこういうのを言うのかしら」と考えた経験が何度かあるはずである。 余計なことをいうと、そういう経験がなくて、ただ自分のつくった「人脈」とかをたどって、「この会社とこの会社」あるいは「この人とこの人をあわせればもーかる」というような退屈な頭しかない「投資家」などは、パチモンなので、自分で早くそれを悟って「投資」というようなことを考えるのをやめたほうが自分の一生のためだとおもうが、それをここで述べてゆく親切心はわしにはない。 … Continue reading

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イタリア・ノート_1

1 イタリア人は野菜に凝りまくる。 レストランでもサラダは重要なメニューで、カプレーゼはもちろん、普通のグリーンサラダがおいしくないのはレストランにとっては命とりなので、コモ湖のレギュラーカスタマーををつくる必要があるような料理屋、つまり別荘客を相手にする料理屋は、自分の菜園をもって、そこで様々な種類…長いのや、小さいの、大きくてまるいのや、カボチャみたいな形になったの..があるポモドーロやレタス、ズッキーニ、というような野菜を作って、食べ頃になったのを摘んでサラダにする。 食事を準備をする頃になると若いシェフたちが菜園のなかから窓からクビを出しているシェフに「これは、どうしますか? どのくらいいりますか?」と訊いていたりするのは、コモ湖の散歩の途中でみかける夏の風物詩のようなものでもある。 Lee & Perrinsがでっちあげたまことしやかな動機を英語wikipediaなどもそのまま記事にしてしまっているが、ウースターソースがなぜ出来たかは、ある種類のイギリス人ならみんな知っているというか、漠然と了解しているというか、要するに年期のいったバルサミコビネガーと同じ味のソースをぶどうの育たないイギリスでつくってみたかっただけで、8年物くらいのバルサミコビネガーはびっくりするほど「高級ウースターソース」、あるいは「イデア・ウースターソース」というべき味わいである。 オリーブオイルもイタリアの外で売っているものは混ぜ物があったり本来の賞味期限を過ぎているものが大半で、ニュージーランドの「ターゲット」や「フェアゴー」のような企業不正追求番組(会社から担当者まで実名でバリバリ追求して不正を暴いてみせるなかなかオモロイ番組です)で問題になったりするが、出来の良いオリブオイルは軽くて特有の上品な風味があって「オイル」という感じがしない。 ついでに余計なことを書くと、英語のサイトでも日本語のサイトでも「なぜスペイン人やイタリア人はオリーブオイルで料理した肉やなんかに、食べるときにまたオリーブオイルをかけて食べるのか。へんなのではないか」というようなことを書いてあるのをよく見かけるが、理由は簡単で「料理に使うオリブオイルと出来上がった料理にかけるオリブオイルは違うオリブオイル」だからです。 当然、あとでかけるオリブオイルが「本命オリブオイル」で料理に使うオリブオイルに較べるとずっと良質のものを使う。 もっともっと余計なことを書くと、ではオカネモチならば初めから完成料理にかけるオリブオイルを使って料理すればおいしい料理ができるかというと意外や、そういうことは起こらなくて、オイルにも分際があると言えばわかりやすい、あとがけするオリブオイルで天ぷらをつくってもなんだか苦くて頼りない天ぷらが出来てしまう。 バルサミコのほうも同じで50年ものをそのまま味わってみたりアイスクリームにかけたり、果物にかけて食べてみると天にものぼる味だが、たとえばグリーンサラダにかけても野菜がうまければうまいほど味が力負けしてしまってあんまりおいしくない。 12年ものも、runnyなものはリゾットやなんかにかけるとバルサミコ酢の味とリゾットの味が分離してしまっておいしくない。 2年ものから50年ものまで並べて準備しておいて、この料理にはこれがいいかなあー、と選定してかけてみて食べるのが最もよい、ということがわかる。 インサラータ(サラダのことでごんす)の野菜の組み合わせをにらんで、よーし、このインサラータなら、このバルサミコ酢だびな、と決意してかけて食べたときに見事に目論見が当たったときの嬉しさよ。 イタリアの味が濃い、力強い野菜を食べると、サラダって、こんなにうめーのか、明日からベジタリアンでもいいな、とケーハクなことを考える。 2 もう20年がとこイタリアに住んでいるすべりひゆは「いまごろ何言ってるのよ」、けけけけ、と大庭亀夫笑いを笑うに決まっているが、イタリアは究明すれば究明するほど謎が増大する国である。 いま「イタリアは….国である」と述べたが、そこがそもそも怪しくて、むかしはイタリアは国だんべと安んじて思っていたが、判ってくれば判ってくるほど、そこが怪しいのであって、エミリオ=ロマーニャ人が自分達を「イタリア人」と思っているかというと、そんなことはないと思う。 エミリオ=ロマーニャ人と思っているかどうかも怪しくて、もしかすると、「わし、パロマ人だもんね」と思っているのではないか。 モニとわしは欧州のおおきな町がめんどくさくて嫌いなので、たとえば今回もローマのすぐ近くに一週間くらいいたのに、ローマと名の付く場所ででかけたのはボダフォンに用事があってでかけた巨大モールだけであった(^^) イタリア人、たとえばバールのカウンタのなかのにーちゃんに、「あっ、もうちょっとエスプレッソにグラッパいれてね」と注文をつけながら話していると、「ボローニャは行った? フェラーラは?」と言うが、どうも(うまく言えないが)、「えっ、日本に行ったのに大阪行かなかったの?もったいない」という口調で、なんだか外国の話をしているよーである。 本人に訊くと、案の定行ってみたことすらなくて、「一回は行ってみたい」と言う。 コモでも同じで、だんだん話していると夫婦でも不気味なくらい幼なじみ同士が多い。 どうもイタリアというのは「イタリア語を話す長靴の総称」というべきもので、地方分権、地方色豊か、どころか、「このくらいのおおきさでまとまった名前をもっていないと外国の支配にはいってしまう」という、ただそれだけの理由で「イタリア」と名乗っているように見えます。 フランスでももちろんブリタニアへ行けば「自分はゲール人である」あるいはもっと酷ければ「ウエールズ人のほうがフランス人よりは親近感がもてる」というとんでもない人がいっぱいいる、というよりも大半で、あるいは地中海側国境にいけば当然のように自分をカタロニア人と思っていて、ピレネー国境に行けば「私はバスク人ですがなにか?」という。 しかし、しかしx2、それともまた異なってイタリア人は、もっと狭い、食べ物や地勢や人のちょっとした仕草や、訛の抑揚に心やすさというよりもアイデンティティそのものを見いだしているのであって、フランス人と話せば異なるアイデンティティの積み重なりに歴史の重層性を感じるが、イタリアでは重層性はなくて古代ローマから現代まで一層の分厚い歴史を感じる。 なんだか見た目よりも、ずっとすさまじい国なのだと思います。 3 「もう、このままいちゃおうか、ガメ」とモニが述べている。 「コモは冬は全地域お休みだからダメですよ」 「じゃ、明日ミラノに行ってアパート見に行こう」 モニもわしもイタリアが気に入ってしまったので、理由はなにかというと「居心地がいいから」あるいは「気楽にすごせるから」です。 イタリアと日本には似たところがある、とこのブログ記事には何回か出てくる。 人の背丈の低さもそうだが日本語では何というかよく判らないthinな体格というものがとてもよく似ている。 筋肉の付き具合のせいかと思うが、ちょっとしたときの「仕草」「物腰」も、はっとするほど日本人と似ている人が多い。 むかしの記事をひっくり返してみるのがめんどくさいのでリンクが張れないが、前にフィレンツェで会った、道の脇にしゃがんでスーパーマーケットの袋を詰め直していた女のひとなどは、わしは2分くらい話していて、やっと、「あっ、このひと日本人なんだ」と気が付いたくらいだったことをブログ記事にも書いた。 他の西洋の国では(多分)ありえないことで、イタリア人と長い間イタリアに住んでいる日本人、特に女のひとは、ちょっと見たくらいでは区別がつかなくなることがあるよーだ。 しかしイタリア人と日本人が国民として似ているかというと、こっちは正反対といいたくなるくらい「国民性」は異なっていて、イタリア人は日本のひとに較べるとたいへんに「おとな」であると思う。 そう言われて「日本人の悪口」と感じるオモロイ人が多いのは承知している上に、下手をするとあの件の作家のように「人種差別だ!」と「ファン」の皆さんを糾合してまた田舎百姓衆じみて押しかけてこられると困るので、慌てて付け加えると「日本人アメリカ人ニュージーランド人オーストラリア人と比較して」と言い直してもよい。 … Continue reading

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