イタリア旅行マニュアル(その1)

夕方になればコウモリが飛び交うこの丘とももうすぐお別れである。
モニと相談してみたが、いまのコモ湖の夏は散歩をして過ごすには気温が高すぎる
(涼しい風が吹き始めて気温が下がるのが午後6時頃である)ので、暑くて過ごせない、ということになった。
家の石の壁のなかにはいってしまえば涼しいが、それではなんのために美しい散歩道が中腹につらなっているコモ湖の西岸に家を買ったかわからない。
来年は二週間程度にして、イタリアの、もっと他の土地も見てみたい。
どうしても気に入ったところがなければ、フランスでもやむをえない。

モニもわしも旧世界よりは新世界のほうが好きなのだと思う。
欧州はモニとわしにとっては生活するには楽だが、みなが「文明」の服をちゃんと着こなしているので、アメリカやニュージーランドにいるときのような直截肌に触れるような衝撃がない。
みんなでいろいろなことをやってみて、一緒に新しい社会を建設しているのだ、という興奮に欠けている。
一方では、双方とも実家は欧州なので、なんとなく「いつでも帰れるし」という気持ちもあるのではないだろーか。

イタリアにでかけてくる、と述べたら、自分もイタリアに行こうと思うがどんなふうに旅行するのがよいと思うか、とよく聞かれた。
自分自身が、やっと最近イタリア語が話せるようになったおおアマチュアなので、訊かれても困る、日本語の人が相手ならば、すべりひゆみたいに20年がとこ住んでいるひとに訊いてください、英語人ならばイタリア観光協会重鎮のSに訊いてね、と述べてきたが、考えてみると、まだよくイタリアが判っていないトンチンカンなひとがイタリア旅行について述べるというのも面白いかも知れないので、あとで読んでみてあまりにくだらなかったら削除するという条件で、日本語で書いてみようと思う。

わしは子供のときにイタリアに何回か来たことがあるが、その頃はイタリアと言っても要するに「親と一緒にくっついていったただの場所」で、ベネチアやムラーノ、ローマ、ミラノというような町の、たとえばミラノのドゥオモのてっぺんでなんだかへらへらしている子供の自分の写真は撮ってあっても、記憶がちゃんとしていなくて、見ている本人が、なんとなくフォトショップの合成を見ているような気がする。

コモの山荘には、このブログ記事の初めのほうを注意して読めば一目瞭然であるとおり、なにかちょっとつまづいたり、考えねばならなくなったときに、しばらく記事が消えて、冬の細い柴の薪を燃やしながら考えていたりする「山小屋」はチェルノビオの両親の山荘のことで、かろうじてコモ湖周辺に土地勘があるのもそのせいである。
意識の上では「コモ湖」がイタリアであったことはなくて、「山荘がある場所」だった。

そのあと、これも日本語ブログにでてくるがモニとバルセロナからイスタンブルに向かう途中でフィレンツエに2週間くらいいて遊んでいたことがある。
https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/dolce-vita/

そのあとも、一週間か十日くらいコモ湖に来て、そのときにいまの「夏の家」を買った。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/02/コモ、こもごも/

実際に買ったのは福島第一発電所事故が起きた年だったがこのブログをずっと読んでくれているひとたちは皆知っている、発電所事故が起きる前の年に「十全文功計画」に従った日本文明征服計画が完了して、断続的に5年間、1年に数ヶ月づつの規模で行われた日本遠征が、その前の年に成功裡に終了したために軽井沢の「山の家」に代わる、自然に囲まれた夏の「山の家」を買う、予定の行動だった。

そのあと小さな人が登場したので、初めてのことでもあり、モニにとってもわしにとっても前代未聞の一年中同じ国ニュージーランドにいて、旅行はわずかにラスベガスに10日間 「UP2U」に書いたような短い旅行をして、
https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/08/03/up-2-u/
9月の終わりにここに書くわけにはいかない旅行で1ヶ月ほどを過ごしただけですごした。
というわけでイタリアは、どちらかといえば、これまでは「縁のない国」だった。
イタリアを最新遠征計画の目標に選んだので、こうしてコモ湖の畔に座っているが、いまこの時点でもスペインのほうが親近な感じがしているよーです。

いまの欧州でクルマを運転しないで旅行するというのはばかげた考えであると思う。
それは必然的に「観光客からカネをまきあげるために仕掛けられた罠を巡り歩く」ことを意味している。
駅にはスリからインフォメーションセンターまで、「ヨソ者」からオカネをまきあげるためのすべての仕掛けがせいぞろいする。
だからイタリアを旅行するのでもクルマで移動することが前提になる。

わしガキの頃はかーちゃんが「イタリア国境を越えるとクルマの保険でカバーされない」と言って笑っていたのをおぼえていて、イタリアでクルマを運転するのは「論外」に当たることだった。
イタリアの人には悪いが、運転がアグレッシブで無茶苦茶なフランス人よりも更に滅茶苦茶で、今回もローマからコモ湖にたどりつくまでの一ヶ月で5件のおおきな事故を見た。イタリアのひとの運転がどうしてそれほど滅茶苦茶なのかは、そのうち違う記事で書くと思う。

イタリアはビンボ国なので道路もボロボロで、ときどき「ありっ?道路公団が仕掛けた落とし穴かな?」というようなでっかい穴が、どおおーんと空いていることまであるが、まわりのドライバがどれもこれもエルベ特別攻撃隊のようなひとばかりで140キロで走っていてクラクションが鳴っているので後ろをみると、なんだか「てんぱった」顔をしたおっちゃんが髪の毛をおっ立てそうにして車間距離1メートルくらいで走っている、というようなことがふつーにある高速道路や、左側車線を猛進してくる、どうしてそんなことをして大丈夫だと思うのか皆目理屈の見当がつかないドライバたちをのぞけば、イタリアの道も欧州風に快適です。

欧州風の快適さはなにかと言うと、道路沿いにはたくさんの村や町があって、クルマをオリブの木陰に駐めてちょっと奥へ入れば、そこにはどれもこれも独自な持ち主の「自分」がいっぱい詰まったバールやカフェがあって、話しかければ店のひとも客たちも、親切で、愉快なひとびとで、近在のさまざまな話を聞かせてもらえる。

あるいはラツィオの石ころだらけの、人家もない山道を狸さんがでるかなあー、それとも狢だろうか、と思いながら走ってゆくと、夜の闇にぼんやり光る看板があって、その微かな光を頼りに脇道を降りてゆくと、びっくりするほどおおきな構えの堂々たるレストランがあって、用意してもらったテーブルについて料理を頼むと、ワインも食べ物もびっくりするほどおいしくて、イタリアは実力があるなあああー、と考える。

おおきな町などは、どうでもよい。
おおきな町にあるものは絵はがきが3D化されて町におかれているだけで、見ればおわり、体験すればおわりで、そういう意味合いにおいてはボストンでもフェラーラでもボローニャでも、どこに行っても同じようなものである。
どうしてもおおきな町を楽しみたければ、せめて一ヶ月はその町にいて、通りをあるきまわり、馴染みのバーやパブができて、たくさんのひとと話をして、名前をちゃんとおぼえている気が合う土地のひとたちが何人か出来るのでなければ、楽しい事はなにもないと思う。

マンハッタンやバルセロナは、そうやって過ごすのに良い町で、わしはチェルシーとビレッジの中間にあるわしボロアパートで、モニとふたりで話しているうちに酔っ払って、もっとお酒を飲んで遊ぶび、と衆議が一決してハドソン川沿いやビレッジのバーで、きゃあきゃあ言って酔っ払ってうろうろする午前二時や三時のマンハッタンが大好きだった。
あるいはバルセロナの「革命広場」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/14/「革命広場」の朝の歌/
で樽のテーブルにカバのグラスとタコとジャガイモにマヨネーズがどちゃっとかかった皿を挟んで、情欲まるだしの火がついてしまいそうな目でみつめあって、森羅万象の話をするのが好きである。

でも初心のうちは、そういうことは考えずに、田舎町から田舎町、村から村へと、田舎道をどんどん進んで、日本のコンクリートで固めた、ひからびた死体のような河とは似ても似つかないイタリアの美しい川岸に腰掛けて、あまりの自然の美しさにタメイキをついたり、村はずれのバールで、ウン・カフェと砕いて売ってもらうチョコのひとかけらで幸福のあまり絶句したり、ジェラテリア(アイス屋さんでごんす)で、いつつ載っけてもらったジェラートがおっこちないように曲芸オットセイのようにバランスをとりながらフラゴラにピスタチオ、チョコレートをなめまわして平らげたりしながら、田舎から田舎へ、善意から善意へ、風光明媚から風光明媚へ、のんびりとクルマで移動してゆくのがイタリアではもっともよい旅行法に思われる。

田舎ばかり旅行することの、もうひとつの、しかも重大な利点は、全然しらない料理屋にはいっても、まず「はずれ」はないことで、なああああーんにも考えずにはいっても人口が1000人の町や500人とかの村がおおいイタリアの田舎でつぶれないで営業している店は、おおげさではなくて、ええええっ?と思うくらいおいしくて、しかも鄙には稀どころではない上品な味の料理が平然と出てくる。
北イタリアに入ると突然食べ物がおいしくなくなって、しかるべきレストランでしかるべきオカネを払わないと(あるいは払っても)ビミョーな食べ物を食べさせられるが、エミリオ=ロマーニャまでは、ばっちしである。

店によってまるで思想が異なるカルボナーラ

https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/06/13/pasta_alla_carbonara/

や、カレー味のロブスターのリゾット、
イタリアのチョーうまいペッパーソースがかかったビステカを食べて、ランブルスコやスプマンテ、ネロダボラで酔っ払って、もーうごけねー、と思ったら、そのロカンダ(部屋付きのレストラン)で泊まってしまえばよい。
高くても€50くらいだと思います。

あるいは、この手を使うにはイタリア語が話せるのが必須条件だが
Agriturismo
http://www.agriturismo.it/?gclid=CKfo6L_8rLgCFUVe3godxhMA_g
に載っている農園に泊まるという手もあります。
要はフランスやスペインと同じことで、テキトーにクルマで探して、ここがよさそーだなー、というところに泊まるのがよい。
ホテル、みたいな宿泊施設は、農家が提供している宿のような宿屋が満員でやむをえないときに「やむをえない」と呟いて使うものだとおもったほうが良いかもしれません。

「言葉」っていわれてもねー、と思う人がいるかもしれないが、言語ができない土地を旅行することには殆ど意味がない。
英語が出来れば世界中どこを旅行しても困らない、というのは、「困らない」だけのことで、それならば英語を日本語に置換しても同じだと思われる。
前にも書いたが、わしはむかし「イタリア人はみなフォークだけでなくスプーンをきちんとうまく使って食べる」と述べるアメリカ人の若い女びとに、おずおずと、「わしは、イタリアのひとは、たぶん、あんまりスプーンは使わないと思うけど」と述べて、ものすごい勢いで怒られたことがある。
「わたしは4ヶ月もイタリアに住んでたのよ?
わたしがこの目でみたことが信じられないなんて、そんなことがよく言えるわね!」と言う。

このアメリカ人の女びとの「観察」はその土地の言語が出来ない旅行者の「体験」というものをよく顕している。
英語にも日本語にも膨大な量の信じらないくらいトンチンカンな「欧州滞在記」があるが、よく考えてみると、どれもせいぜい留学生程度の言語能力で生活あるいは旅行したひちの書いた本で、自分で日本について書いたものを読んでも、(もしかするといまでもそうかも知れないが言葉が完全には理解できなかった初期は特に)似たようなもので、いわくいいがたい隔靴掻痒の感覚というか、ガラス越しに見ている感じというか、よくてもそういう感じがつきまとうていのもので、歴史もなああああんんんにも知らなくても、その土地の言葉だけは話せないとどうにもならないような気がする。

わしはイタリア語をおぼえたりするのは英語人よりも日本語人のほうがはやいだろうと思っている。
最近はイタリアの人も「自分は英語が下手なので申し訳ない」と謝ったりして、わしガキの頃の欧州人の態度とはえらい違いです。
「英語ができれば収入が増える。給料が高くなる」という背景によっているのだと思われる。

イタリア語をはじめたとき、まず第一の障碍は妹で、このひとはコンジョがわるいかわりに語学の天才なので、わしが、ドベイルバーニョ?(トイレはどこであるか?)くらいしかゆえなくて、しかも自信なげにもにょもにょ発音するものだから、「えっ?」「ええええっ?」と激しく聞き返されてショックでおもらししそうになっているときには、もう生意気にも、並み居るイタリア人たちが目をまるくして賛嘆の言葉を述べるくらいイタリア語が上手だった。
その次の障碍が英語人であることで、ちょっともごもごいっていると、相手はさっさと英語に切り替えてしまう。
イタリアにいてもなかなかイタリア語で話をさせてもらえなくて、劣等感におののくあまりイタリアが嫌いになりかけたりした。

いまでもアメリカに10年住んでいて英語でものを考える回路が厳然と頭にある、というタイプのひとがあらわれると、そのひとの完璧英語で会話が行われるか、わしのタコイタリア語ですすむかは、同座の人間、タイミングその他でビミョーで、多分、イタリアの人のほうにも「わたしは英語が上手なのにイタリア語で話されるなんて傷つく」という気持ちがあるように見受けられる。

日本の人はそういう複雑微妙な状況から自由なので、いきなりイタリア語責めで、受けてたたないと料理屋でもなにを食べさせるか判らない、という問題もあるであろーから、やはり日本人であるほうが断然有利であると思われる。
そのうえ、イタリア語は日本のひとにとっては「綴りのとおりに読めばいい」という楽ちんな言葉で、綴りのとおりに読んでも全然イタリア語の発音にならない、あるいはイタリア人たちに言わせれば「なんで書いてあるとおりに読まないの?」と言って爆笑されるという発音理解上の病気を有する英語人に比較して圧倒的に有利である。

言語などは、だいたい百時間もあればひととおりは話せるようになるものなので、一日二時間練習すれば50日で、あとはイタリアにいってからもっと上手になればいいや、たったそれだけの努力なのだから、どうしても言語だけは頭のなかにつくってからいかなければダメであると思う。

「ボンジョルノ」の、「ル」がおかしいと笑われたりしながら、なんとか、とつおいつ、だんだんにイタリア語っぽい頭の部屋ができてくればよいので、のんびりやればよいが、ひとつだけ余計なことをつけくわえると、外国語は第一に「語彙」で
、文法が極めて大事で文法お化けのようなイタリア語文化においても、義理叔父のように Vorrei comprare megane ? ヴォッレイコンプラーレメガーネ (メガネを買いたいのですが)というような独創的なイタリア語を話すひとは別にして、
目につくものがイタリア語で言えなければイタリア語が頭にはいるわけはない。

この次おなじタイトルの記事でもどってくるときに話そうと思うが、イタリアのひとと日本のひとは思わぬところで似ている。
体格が細くて小さくて、身のこなしが日本のひとに似ている一瞬がある。
食事を食べる速度がはやくて、フルコースでワイン付きコーヒー+甘い物つきの食事を30分ほどで食べてしまう。

そうして、わしは観察していて、イタリア人と日本人はもっと文明の深いところでも似ているのだと気が付いて呆然としたことについて書こうと思う。

でもいまはもう5分くらいでモニさんとふたりで夜の散歩にでかけるので、もう行かなくてわ。

チャオチャオチャオ。

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