ニュージーランドと日本人

italia

インスペクター・モースというオックスフォードの町を舞台にした刑事ドラマのなかでジョン・ギルグッドが扮する大学人が「この地球上にはみっつのオックスフォードがある」と演説をするところが出てくる。
「ひとつはカナダ、もうひとつはニュージーランド、そして、ここ、われわれのオックスフォードで、しかしながら、真実の栄光あるオックスフォードは、もちろん、この町だけである」

ニュージーランドの贋物オックスフォードはクライストチャーチの北、ワイマカリリという郡にある。
タウンシップは、ニュージーランド人は「ペトロステーション」と言うガソリンスタンドがふたつ。小さな図書館がひとつ、デイリー、地元人に聞くと経営者がケチなので評判がわるいというスーパーマーケットがひとつ、ニュージーランドの田舎にはどこにでもある「ワークマンズ・クラブ」がひとつ、パブがひとつ、それに最近できたテレビや講演で有名なJo Seagarのクッキングスクール併設のレストラン「SEAGARS」
http://joseagar.com/at-oxford/cook-school/
がある。
人口は1200人くらいだったと思います。

クライストチャーチの南にある「牧場の家」からカンタベリー地震の震源だったロールストン、ダーフィールドを通ってOld West Coast Roadでオックスフォードに出る。
あるいは昔は黒松材をクライストチャーチに運ぶ路面貨車が走っていたのでその名前が付いたTram Roadで行く。
オックスフォードのまわりには観光客など金輪際来ない30メートルほどの巨大な滝やマウントトマス、浅瀬が広がった渓谷のアシュリーゴージというような、少なくとも平日ならば必ず無人の美しい宝箱のような場所がたくさんあって、ぼくは好きだった。
この世の風景とは思われないくらい美しい場所がたくさんある。

ケンブリッジもある。
オークランドから南に下ったワイカト郡にある、裕福な農場主たちの町で、モニとぼくはときどきこの町のまわりのどこかでピクニックをしたり、農場を訪ねていって、農家のひとびとと話をして遊ぶ。

見てすぐ気が付くひともいるだろうが、そもそもクライストチャーチという町の名前がオックスフォードの学寮の名前で、無論(クライストチャーチがある地方の名前の)カンタベリーもハーンベイも、みなイギリスの地名である。

ニュージーランドはもともと連合王国の労働者階級が、自分たちが理想とする社会を建設するために作った国で、「隣りの国」オーストラリアまで2200キロという19世紀にしてみれば気が遠くなるような孤絶した環境のなかで、貧困と闘い、チョービンボのなかで羊を飼って、どうにかこうにかここまで辿り着いた国です。
ふりかえって由来を考えると、ニュージーランドは150年後のいま植民当初の理想を実現したと思う。
マジメに働けば愛し合って結婚した相手とふたりで小さくても家が持て、子供に教育が与えられ、誰にも見下されずに(つつましくても)幸福な生活ができる。

「隣り」のオーストラリアは、最も開明的なヴィクトリアでもつまりは「スクオッター」の作った国で、スクオッターという言葉は日本語人には馴染みがないかも知れないので説明すると、イギリスからやってきて、勝手に広大な国有地の私有を宣言して、ボーア戦争で警察力の余裕がなかった本国の事情をよいことに、攻めてくる連合王国の警察や軍隊を武力で撃退して、最後には到頭私有を認めさせてしまった一群のひとびとのことで、今日でもオーストラリアで「名家」に数えられる富豪にはスクオッターの後裔が多い。

70年代くらいまではオーストラリアは英語圏では最も官僚制度が腐敗した国でもあって、ほんとうは、もうその頃はそんなことはなかったはずだが、子供の頃、ロンドンでアウトバックへの旅行を計画している父親の友達が父親に「クイーンズランドの警察はいまでも賄賂を要求するだろうか?」と訊いて、大笑いされていたのを微かにおぼえている。

荒っぽいオーストラリアに較べてクソまじめなニュージーランド、豊かなオーストラリアに較べてビンボなニュージーランド、成功のためなら手段を選ばず勝てば英雄のオーストラリアに較べて結果はどうでも懸命に努力することが大事だと言うニュージーランド、
要するに歴史的には「ビンボで要領が悪くてクソマジメで退屈なマヌケ」というのがニュージーランドのイメージで、人口が集中するオークランド(ついでに言うと、これはインド総督の名前ですAucklandと綴る)などは内実はおおきく変わって半ばオーストラリア半ばアメリカ風の社会に変わってしまっているが、ニュージーランドってオランダの隣にあるんだっけ?というアメリカ人は別にして、イギリス人でも特に年長者が持つニュージーランドのイメージは、いまでも似たようなものだという感じがする。

現代イギリス人にとってのニュージーランド人のイメージは「ウエイターとウエイトレス」とイギリス人は差別的発言に鈍感な国民性そのままに冗談を言って笑うが、実際、イギリスを旅行中の若いニュージーランド人のウエイターやウエイトレスは数が多くて、ガイドブックに載っているような由緒あるパブやレストランも、たいていの人員の構成はウエイターやウエイトレスが東欧人でマネージャーはニュージーランド人という例が多いが、歴史的にはなんといってもイギリスとニュージーランドの間柄は「戦友」であると思う。

ガリポリでなかよく枕を並べてトルコ人の夜襲、夜中にバラバラに英連合軍の塹壕にしのびこんでひとりづつ喉首をかき切るトルコ陸軍伝統の襲撃方法で絶命したのを皮切りに、ハイライトはスピットファイアを駆った「イギリスの戦い」で、「バトルオブブリテン」トップエース10人のうち、ふたりがニュージーランド人であるので戦友としての結びつきの強さが理解される。

そうやって若い男達が出払っているすきに太平洋をどんどんくだってきたのが日本だった。事務屋将軍パーシバルのシンガポール軍は増援もなにも送らずに陥落もやむなしと考えていたウインストン・チャーチルですらぶっくらこいてしまうほど簡単に降参してしまい、拠点を失い、軍勢も予備の兵士となるべき若い男たちも兵器も、なにもかも欧州に出払っていた丸裸の南太平洋は、無人の荒野のような軍事的空白となって、日本軍は到頭井上成美中将率いる大艦隊をオーストラリアの近海へ送りこんでくる。

オークランドのタマキドライブはCBDからセントヘリオスまで左側にずっとハウラキガルフの明るい青色の海が見えている海辺の道だが、右側の崖には点々と、その頃日本軍上陸に備えて、じーちゃんやばーちゃんが必死にこさえたトーチカ群がいまもある。

ニュージーランドにとっては「敵」と言えば日本のことで、もう何度か書いたが、子供の頃はまだ日本のひとが観たらびっくりして泣き出したくなるような番組がたくさん流れていた。どんな国の話がでても「まあ、いいんじゃねーの」のおとなたちも、日本人だけは嫌いだ、と明言する人が多かった。

最後に「やっぱり、まだ日本人への敵意はすごいのだな」と思ったのは1998年のVJデー(対日勝利の日・8月15日)のパレードで、夏とは別に、一週間だけクライストチャーチに来ていたぼくは近所の友達一家に誘われて復員軍人たちのパレードにつきあった。
日本の人には勇気があるひとがいて、観光で来ていたのだと思うが、「戦争はどちらが加害者というのではなく国民にとってはお互いに悲劇でした。わたしたちも行進に参加させて下さい」と申し出た。
そのときの復員兵じーちゃんたちの表情を忘れることはないだろう。
見るにも険しい顔で「No!」のひとことで突っぱねてしまった。
周りにいた別のじーちゃんが「どのツラさげて…」と低い声でつぶやいたのもおぼえている。

世紀が変わって、不思議なくらい反日感情が薄らいだのは、ひとつにはドラゴンボールを観て育った世代が社会の中核に育ったこと、もうひとつはだいたい2000年に始まったバブルで社会そのものが圧倒的に豊かになったからでしょう。
それでもアジア人がいるとみると、いあわせたひとびとがいっせいに口をつぐむ、民族的嫌悪を述べることが社会を根本から破壊する寸前の断崖へ運んでしまうというポーリンハンソン事件の教訓から民族についての発言そのものがタブーになっているオーストラリア人ほどではなくても、差別的だろうがなんだろうがおもいついたことはなんでも口にだして言っていいことになっているニュージーランド人といえど、最近は「日本人嫌い」みたい発言は、ちょっとカッコワルイのではないか、ということになって、あんまり日本の人も嫌な思いをしないようになったと思うが、先週会ったコロマンデルの漁師のじーちゃんは、「日本人だけは口を利きたくねえ。おれのおやじはマレーシアで日本人になぶり殺しにされたんだ」と言っていたりして、深層では完全に日本という国への憎悪がなくなったわけではないよーだ。

1994年に始まったニュージーランドの反アジア運動はウインストン・ピータースの「反日本人発言」で始まった。
このままではニュージーランドは日本人の洪水になる、と言う。
ちょうどかーちゃんシスターと一緒にニュージーランドにいた義理叔父は物好きにも日本大使館に出かけて、ほんとうに洪水になるほど日本人が移住してきているのか調べに行った(^^;)
最も問題が深刻だった南島全体で、日本人人口は500人、だったそーです。

子供の頃のクライストチャーチでは、しかし、現実に日本人はたいへんに目立つ存在で、「町の家」はフェンダルトンという所にあったが、大きな家が並ぶこの町には「元公務員」や「元大企業役員」の日本人がたくさん住んでいて、お決まりというべきか、メルセデスのSクラス(しかもなぜか白が多かった)かレクサスを買って、近所づきあいはいっさいなく、ときどき日本人だけのパーティを開いては大声が通りに聞こえていたりした。
空港に近いAvonheadには「Japonhead」という日本のひとは英語の語感があまりわからなくて良かった、と子供のぼくが思うほどひどい呼び名がついて、いま考えてみると噴飯もので、しかも聞いていて気分が悪くなるような悪意に満ちたものなのでここに到底書く気がしない噂がたくさん流れていた。

向こうから歩いてきたふたり連れの身なりの良いコーカシアンの若い男たちに、丁寧な口調で「空港にどうやって行くかご存じですか?」と訊かれたので、行き方を告げると、
「道を知ってるんなら、さっさと飛行機に乗って自分の国に帰れ!」と一転あざけりの口調で言われた、パパヌイロードを歩いていたら通りすがりのクルマに「自分の国に帰れ、クソ女!」と言われた、というような話がその頃は山ほどあった。

ほんとうはだんだんに変わってきたのだと思うが、なんだか記憶のなかでは「世紀が変わったら憑き物が落ちたように人種憎悪がなくなった」ように憶えている。

日本のひとに話しかけてみると、とんでもない、嫌な思いをすることはいまでもいくらもある、ということなのかも知れない(イギリスに関しては、差別なんてないでしょう?と訊いて、ぶっくらこくような話を日本のひとからいっぱい聞かされたことがあった)が、少なくとも自分のまわりでは下町の相当あらっぽいパブにでかけても日本の人に対する憎しみの言葉やあざけりの言葉を聞くということはなくなった。

日本とニュージーランドはおもわぬつながりがいろいろある国で、横浜のランドマークタワーの前には「日本丸」が保存されているが、あの練習航海船の行き先はオークランドだったはずである。
いつか戦前ハリウッドのスターだった早川雪舟のことを調べていたら、娘さんはニュージーランド人と結婚していてオークランドに住んでいる。

むかしニュージーランド人が日本から移住してくる人達に対して「これは、たまらん」と思ったのには、公平に言って、日本の人の側にも理由があって、正直に述べて、態度が横柄すぎたと思う。
「札束で頬をはたく」というが、クイーンズタウンのような観光地でも、クライストチャーチでも、その通りの人が多かった。
「なぜ日本人は、あんなに傲慢なのか?」というのはおとなたちの格好の話題だった。
もうひとつは独特の閉鎖社会に住んでいて、たとえばオークランドで日本の若い人が日本人たちに殺された事件では、背景報道がいろいろあって、その異様さに息を呑んだりした。

移住してくる日本のひとの側も、いまは変わったのだと思う。
日本語ツイッタを通して知った日本のひとは調子っぱずれの努力家村上レイをはじめ、知っているのはみんなインターネットを通じてのひとばかりだが、どのひとも「普通」にしていて、むかしの日本人のような異様な横柄さを、まるで誇示するようにしている人は見なくなった。

移住先を考える時に、その国の教育システムや医療制度、年金など、「その国がすでに持っているもの」を検討して決めるのは人間の自然の気持ちだと思うが、罠というか、移住を受けいれるほうには常に「あいつらは、おれたちが苦労して築き上げたものを盗みに来た」というマヌケなひとびとがいる。
福島震災のあとに「日本人はオカネがあるひとは海外不動産を購入したほうがよい」と呼びかけている「在外邦人」のひとたちがいたが、不動産を買い占めるのは個人の権利であって、とやかく言う筋合いはなくても、聞いているほうは昔のオーストラリア人やニュージーランド人の「日本人の土地の買い占めをこのまま野放しにすれば、われわれの子供は自分の家をもてなくなる」と怒りで顔を真っ赤にしながら怒鳴るおばちゃんやおっちゃんの顔を思い出して、ひやっとする。

この記事では「移民を受けいれる側の気持ちや問題」を書こうと思ったが、いつものことで長くなりすぎて、書ききれなくなってしまった。

この次この記事の名前で戻ってくるときには、もう少し明るい話をもってきておこうと思います。

(画像はイタリア名物オバチャリにまたがったまま世間話に興じるイタリアの田舎おばちゃん)
(ふつーの光景に見えるが、ニュージーランドでは、こういう光景はないのでオモロイ)

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One Response to ニュージーランドと日本人

  1. 地球の南中心から愛をさけぶ says:

    ガメさんの事はTwitterを通して読んだ事があり、kiwiパートナーと結婚して名前をどうしようと調べものしていたら偶然また辿り着きました。NZのことを違う視点で勉強することができ、とても感謝しています。彼の祖父が生きていたら、私は日本人以外の国出身ですと自己紹介していただろうという話をしていたところでした。正直、歴史など強くない私は、お恥ずかしながら 日本人はNZでなにをしでかしたのか知りませんでした。大好きなNZの事と、日本の事をもっと勉強しなくては。ガメさんにはいつか、本を出版してほしいなぁ ブログ、消さないでほしいです!

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