いちど出た家に帰る

italia2

「中国人や韓国人はなぜ日本をバカにするのか?」と訊かれてびっくりしてしまった。
モニさんがおおきな絵を描くのに忙しいので、わしはここ2週間くらいはごろごろしていて何もしない。
日本語を中心に2つか3つツイッタを開いていて、ひとが話しかけてきたりすると答える。
部屋の大画面に映画が流れていてSarah Michelle Gellerが、背後からぬっと現れた「トシオ」に絶叫したり、神のない世界の住人が、どんどん神のいない世界の悪霊に殺されていくのを観ている。
あるいは小さなひとの相手をしていて、同じ家に住んでいるのに異なる時間の流れに住んでいるらしい「ちいさなひと」の圧倒的な忙しさを眺めている。

「なにかやりながら」ひとと話をして遊ぶのにツイッタは向いていて、しかも140文字の制約があるので母語でない言葉で考えをやりとりするのにも向いている。

「プライドをもたないから、中国人や韓国人にバカにされるのか?」
と実直そうなこの人は訊くが、質問の前提がまちがっている。
妹が「おにーちゃんは、どうしてそーバカなのか?」と、よく口走るのと同じで、前提をあやまっているので答えようがない。
中国人や韓国人は日本人をバカにしていないし、妹の「おにーちゃん」たるわしは一般に観測されているより、カシコイのです。

ずっとむかしのニューヨーク、もういまはなくなった6番街のバーンズ&ノーブルで義理叔父がレストランガイドを探している。
レストランガイドの棚が見つからないので、たまたま通りかかった若い店員に声をかける。
おお。ちょっと待ってね、いま、この用事が終わったらもどってきますから、と言ったまま2分たっても戻ってこなかったが、義理叔父の重大な取り柄のひとつは「トロい」ことなので言われたまんま、ぼおおー、と待っていた。
ところがさっきの若い女びとの店員がいきせき切ってほんとうに戻ってきたので驚いてしまう。

向かい合って立ってみると、欧亜混血の、愛らしい美人だったそうです。
「結婚してなければデートに誘うところであったが、それはともかく」と義理叔父が話している。
レストランガイドを探している、という話から、このヘンにディムサムのおいしい店はないだろうか。韓国料理屋でもいいんだけど、と義理叔父が言うと、
女の子は、うーん、と考え込んでしまう。
ディムサム、食べないからなあー。
Kタウンなら、あるかも!
あっ、わたしたち、Kタウンって呼ぶんですけどね。
韓国人街のことです。
この近くにあるの。

それから、ちょっと、おもしろいことに気が付いたような顔をして、
「待っててね! この3階上にある事務所の友達たちに訊いてくるから!」と言うなり、ほとんど信じられない身の軽さで階段を「二段とばしに」駆け上がっていく。

しばらくして戻ってきた女びとのてのひらにはディムサムの料理屋が2つ書いてある紙切れが握られている。

義理叔父はていねいに例を述べて冬のマンハッタンの通りに出て行った。
あのひとはわざわざディムサムを探してくれたけど、コリアンでもいいな。

ところが、遠くから、呼ぶ声がする。
みなが振り返るので、義理叔父も振り返ると、さっきの女の子が、白い息をはきながら走っておいかけてくるところだった。
「わあー、間に合った。よかった」
もうひとりのアジア料理屋に詳しい同僚が戻ってきたから訊いてみたの。
はい、これ!
マレーヒルの近くだけど、ここからそんなに遠くない。

義理叔父が相手のあまりの親切に動揺しながら、お礼を言うと、
「あなた、日本人でしょう?」と言う。
「そうだと思った。わたしは、おかあさん、韓国人。わたしたち兄弟同士だね!
昼ご飯、たのしんでね」と言うと、また冬の冷たい大気のなかを走ってもどっていってしまった。

たったそれだけの体験なんだけど、それ以来、ぼくは韓国人の悪口を言うやつをみると頭にくるんだよ、と義理叔父は、それが癖で、口をとがらせる。
それにね、笑いたければ笑いたまえ、「慰安婦」と聞くたびに、あの若い親切な韓国人の女の子をおもいだす。
思い出すたびに、ぼくはいつのまにか歯をくいしばっていて、「おれは絶対に許さないぞ」とつぶやいてるんだ。
考えてみれば、自分に向かって怒ってるわけで、バカなんだけどね。

普通の欧州系人やアフリカンアメリカンと話していても日本の話がでることは、まずないが、中国のひとや韓国のひとと話すと日本の話が良く出る。
香港の経済構造が返還前からするとかなり変わっていて、経済と社会のモデルが実は日本であることを教わったのも、そういう折りのことだった。

中国や韓国のひとは日本のどういう点がすぐれていて、どういう点がダメかを年がら年中考えているようにさえ見える。
わしが最も仲のよい中国系イギリス人に属するLは、ロンドンのチャイナタウンの二階のバーから、さっきから、どういう理由か鞄のなかみを道路に並べて口論しているふたりの日本人らしい若い女の子がいる外の通りを見下ろしながら、いたずらっぽく笑うと、
「日本の歴史の長さはなにしろうらやましい」と言う。
中国の歴史は1977年から数えてたった30年しかないからね。
日本は1868年から140年の歴史がある。
この100年の差はおおきい。

いっぽうでは、イギリス人がなぜか常に熱狂的に好きである戦争中の兵器の話の輪のなかにいると、ゼロ戦の話が出たときに、「あんな見せかけだけで防弾装備すらない戦闘機なんて」と鼻で嗤うことがある。
そういう細部で、日本に対する複雑な感情が看てとれます。

英語人からみると、東アジアの3つの言葉、中国語、韓国語、日本語をつかうひとびとには共通したところがある。
感情が激しやすい。
感情が激すると、その感情に身をまかせて、それで心の解放を得ようとするようなところがある。
理屈が介在しない、ごく自然なやさしさがあって、「相手のためによくしてやりたい」というやむにやまれぬとでも言うような欲求がある。

韓国人に至っては、「もしかしたら、このひとたちは戦前の日本人の情緒をそのまま保存しているのではないか」と思わせるところがある。
ゴルフレンジで、まわりのひとがびっくりするような激越で熱狂的な調子で若いひとにゴルフのスイングを教えている韓国おっちゃんが、どう見ても戦闘で生き延びる方法を新兵に教える帝国陸軍の古参軍曹にしか見えなかったりする。

日本からやってきた新米ニュージーランド人村上レイが「息子が捕鯨でいじめられたとき、『おれは犬を食うぞ、文句あるか』と言って『からだをはって』庇ってくれたのは中国人の子供だった」と書いていたが、ボストンでもロンドンでも、同じような話はよく聞く。
かーちゃんシスターの友達の弁護士Cさんは中国系のひとだが、息子が同級生をぶん殴って怪我をさせたというので、委員会を放り出してあわてて学校へ駆けつけたが、行ってみると、たまたま家で観たディスカバリチャンネルの旧日本軍の蛮行を記録したドキュメンタリで興奮した子供達3人が日本人の子供をいじめていたのを見て、コーカシアンの子供に躍りかかって3人ともぶちのめしたのだった。
ドキュメンタリは、おまえの国がこいつの国にやられた話じゃないか、と言う相手に、「おまえらの問題じゃない。これはこいつらとおれたちの問題なんだ」と答えたそーである。

Cさんは、一瞬、「よくやった」とほめかかったが、ぐっと気をひきしめて、校長の手前、「暴力はいかん」とかろうじて言えてよかったと述べていた(^^;)

孫文を助けたのは日本人の右翼たちだった。
日本の正統右翼は大アジア主義の伝統にたっているので、政府がお互いに音信不通になっているときでも右翼人と半島人は常に連絡を保っていた。
代々木上原には戦前から日本ではもっともおおきいムスリム寺院があるが、1986年に再建される前の旧寺院は頭山満たち右翼人が奔走して、東条英機たちに協力させて建設にこぎつけた。
チャンドラ・ボースは日本に住んで革命のときを待った。
暗殺された朴正煕、いまの大統領朴槿恵の父親は、よく知られているとおり、日本の帝国陸軍士官学校を出て流暢な日本語を話す(その、頭のなかで日本語で十分思考が出来るということにおいて)「日本人」と呼んでもよいほどの人だった。
大陸では胡耀邦が「日本を手本にする」ことを公言した最後の政治家だったが、中曽根政権に中国人にとっては大事な「面子」をつぶされて失脚してしまう。

孫文を見捨て、チャンドラ・ボースを傀儡に仕立てようとして失敗して見捨て、胡耀邦の面前で中国に「靖国参拝」という平手打ちを食らわせて、胡耀邦の反対勢力に、胡耀邦を権力からひきずりおろす格好で絶対的な理由を与えて見殺しにした日本は、いままた朴槿恵を磔にしようとしている。
朴槿恵は老練な政治家なので、みすみす「親日」の汚名を着せられて政治生命を終わる失敗は犯さないだろうが、日本に近付く可能性は日本側の手によって閉ざされてしまった。
いまとなっては中国とアメリカの力の均衡上を綱渡りして歩くほか方法はなさそうです。

グラマシーの自分のアパートで義理叔父がある理由にかこつけて「アジア系人ばかり」という不思議なパーティを開いたことがある。
欧州系人の出席者はかーちゃんシスターとわしだけの面白いパーティだった。
その席で、なんの弾みか、あるいは義理叔父のことだから初めから企んでいたのか、
林則徐の話に始まって、日本が明治時代に感じた西洋世界への恐怖、大慌てで行った西洋の模倣、日本人たちにとっての苦労がどんなもので、なにが困難であったか、おおいそぎで国力を強化しようと焦るあまり歪みがきてしまった社会で戦前日本がどんなふうに破滅していったか、長い長いスピーチをおこなった。

義理叔父は教養のないひとだが、公平に述べて素晴らしい冗談の才能はある人なので、みながときおり爆笑しながら聞き入っている。
話が日本が深刻な局面に陥った佳境にいたっても、かすかな笑い声が洩れるので「もう、みんな飽きてきたのかな」と思ってよく眼をこらして見渡してみると、笑っているのではなくて、忍び泣いているのだった。
インド人も韓国人も中国人も台湾人も香港人も、日本人の運命のために、みなが肩をふるわせて泣いているのです。
わしは、その光景を忘れることができない。

「脱亜入欧」のかけ声とともに、日本は威勢よく「いつまでもダメなアジア」を見捨てて、アジアの文明を出ていったが、そうして得たものはなんだったろうか、とときどき考える。
準西洋人の自己満足では寂しすぎる。

日本人のひとりひとりが半島人や大陸人と胸襟をひらいて話し、自分達が何を考えてどんな道を歩いてきたかを心から述べることは明らかに重要なことだと思う。
八紘一宇の驕慢を去り、居丈高な態度を去って、自分達がアジアの同胞なのだ、一緒にやっていけるのだと他のアジア人を納得させたとき、日本人は故郷に帰ってゆけるのだと思う。
むかし、若いときには軽蔑した故郷の町で、自分の生家を探し当てて、いまは豊かになった自分の記憶とは異なる、その貧しい台所や居間とも呼べないような粗末な団欒の部屋を発見したとき、狭い部屋に、ひしめくように、半島や大陸の親族たちが初めて姿をあらわし、日本人の肩を抱き、日本人が明治以来あるいてきた棘(いばら)の道をおもって、ともに泣いてくれるのだと思います。

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One Response to いちど出た家に帰る

  1. いろいろ少ない脳みそをかき混ぜてみたのですが、外国に行った事の無い私には異国で暮らす義理叔父さんのお気持ちが解りきれない・・・狭い了見でごめんなさい
    米国は優秀な国が自国であると勘違いし続けているように私には見えるのですが、それでも成長した日本は米国に礼を尽くし、自立の姿を親や妹に見せなければなりませんね。(正直頑張っても、生みの親に血の繋がってない妹くらいにしか思えないのですが・・・)

    今日このような記事を見ました。
    http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/32427203.html
    『437. PCパーツの名無しさん 2013年09月06日 17:52 ID:fZuGcTgv0
    韓国人が遅れているとか言っているけど、
    当時、韓国と同じように遅れている国なんて大勢あった。
    だから、遅れていることに恥じる必要はない。

    ともに「最後まで」
    欧米列強の脅威から逃れようと立ち上がるのなら、
    日本も今に至るまで喜んで手を貸しただろう。
    遅れている国は、進んでいる国に手を貸してもらえばいいんだ。
    そうして成長した後に、今度は手を貸してくれればいい。

    それなのに、韓国は日本に頼り切ってしまったから、
    信用を失ったんだ。愚かな国だよ。

    遅れているだとか、貧しいとかにコンプレックスを感じなくていい
    そんなものに振り回されていると、本当の意味で、
    精神的に遅れた国になってしまうぞ。

    兄弟になるはずだった韓国も、
    親になるはずだった中国も、
    どうしてこんな阿呆なことをしてしまったんだろうな。
    素直な外交をしていれば、もっと助け合って生きていけただろうに。つまらん見栄の為に、どれだけのものを失ったことか。
    残念でならんよ。』

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