ある物理学者の友達への手紙1

SF1

コメディアンのグルーチョ・マルクスが
「I refuse to join any club that would have me as a member」
(ぼくは、ぼくがメンバーになれるようなクラブのメンバーにはなりたくないんだよ)と言っている。
もう英語世界中の隅々で何千回何万回と引用された、有名な科白なので聞いたことがある人も多いと思う。

St James’s あたりにあるようなロンドンの「ジェントルマンズ・クラブ」は、もともとは客との外食の出費を節約して低く抑えるための工夫だった。
「メンバーズオンリー」のクラブは、世界中だいたいがそうで、ジェントルマンズ・クラブでなくても、たとえば日本のFCCJ、外国人特派員協会(The Foreign Correspondents’ Club of Japan)も、まだまだ洋式のホテルも洋式の食事も、特殊なものとみなされていて、「目の玉がとびでるほど」高かった戦後日本で特派員記者が宿泊し、食事をするところとして生まれた。
「マスコミ寿司」という面白い名前の鮨屋とコースメニューが中心の人気のないラウンジと食事も出来るバーがあるが、いまでも3つのどのひとつをとってもびっくりするくらい安い食事をだす。
これは実は西洋の「クラブ」の文法に則っている。

学士会館、如水会館、というようなものがあっても日本では「クラブ文化」が発達しなかったことを日本の人はもっと誇りにしていいと思う。
それは人間に頭っから上下をつける「階級」というものへの近代日本人の強烈な反撥の証拠で、士族、平民と言っても、勉強ができ、おもいきり努力すれば階級が上の人間達といえども、まだ20代の田舎からぼっと出の官僚に平伏して最敬礼しなければならなかった日本の近代社会の黎明期を反映している。

前にも書いたが、わしはなにげなく買った戦前の数学教科書の後ろに執筆陣の名前のなかでひときわおおきく「主筆 平民 理学博士XX」と書いてあるのを見て、言葉にならない感情にとらえられて涙ぐんでしまったことがあった。
その、ことさらに「おれは平民なのだ」と叫んでいるような、ひときわおおきな活字が、まるで「日本」という国の切なさを表しているようで、ためいきをつきたいような、心が引き締まるような、不思議な気持ちになったのをおぼえている。

日本が民主主義を完全に消化できなかったのは、日本人の「ひとりひとりの人間はみな平等なのだ」という信念によっているのだ、と言ったらきみは笑うだろうか。
またガメは訳のわからない理屈をこねる、と苦笑いするきみの顔が見えるようである。

しかし、ぼくは、日本人が1945年にもった浩然たる気持ち、実のところ、それは本を読んで民主主義を理解するしか方法がなかった日本人の誤解にすぎなかったが、「人間は平等なのだ。同じ人間だ。根本的な違いなどあるものか」という封建主義が倒れたあとの、一種、晴れ晴れとした、爆発的にこみあげてくる自由のなかで、抑えがたいような、晴れがましいような、自分でもうまくコントロールできないほどの解放された魂の咆哮のなかで手応えを感じていた「人間は本質的にみな同じだ」という感覚こそが日本への民主主義の定着を阻んだ最大の理由だと思っている。

言うまでもなく「人間の平等」というのは「個人に与えられる機会の平等」ということを意味している。
欧州人は、人品に問題があるので、歴史を通じてただのいちども「人間が平等だ」という考えをもったことがなかった。
あるものは優れ、あるものは劣っていることを当然のことだと考えて社会をつくった。
しかも欧州人がいまは口をつぐんでいる「血」への信仰から、「愚か者の子は愚か者」「高貴な血筋からは高貴な人間が生まれる」という、いまから考えると、その辺のおばちゃんが女性週刊誌の血液型人生相談のページを読みながら狂信しているような、情けない考えにとらわれていたので、この「人間に優劣があってあたりまえ」という「常識」は、もちろん容易に人種差別にも結びついた。

なんだかお伽噺じみているが、そんなに遠いむかしのことだとは言えなくて、現に、ぼくの祖父や祖母の教科書には世界について初めて学習する子供たちのための世界への案内として
「世界にはさまざまなひとが住んでいます。
肌の色も、信じている神様もさまざまです。
アフリカに住んでいる黒人たちのように怠けてばかりいるひとたちもいれば、
アジアに住んでいる黄色い皮膚のひとたちのようにずるばかりしてウソを平気でつく人達もいます。
ヨーロッパに住む、わたしたち白人のように勤勉で正直なひとたちもいます」
と書かれている(^^;)

他の人種や民族に対して差別をする社会は、あたりまえだが、自分達の社会の内部でも厳しい差別が行われる社会で、いいとしこいて、なんとなくウブなところがあるきみなどは、ぼくが生まれて育った社会の「包み隠さない姿」を見れば、ぶっくらこいてしまって、その足で銃砲店に向かって、学寮から出てくる誰彼を射殺しようと考えたに違いない。

社会がぜんぶ、ぶっ壊れて、社会の天と地がさかさまになって、なにからなにまで無茶苦茶になる革命は、自分の世代で起きれば、これほど困るものはないが、先進国というほどの国は一回は革命あるいは革命もどきを経験して、これを二回も三回もやる社会はどうかしてるが、一回はやむをえなくて、欧州でも革命が起きたときに、チョーバカな人間でもチョーカシコイ人間と同じ機会を与えて、まあ、どうせビンボ人はバカなんだから合格するわけはないが、ダメに決まってるから受けさせない、というのは、また革命になるから拙いか、ということになった。

議会への立候補も、実業の世界も、やれるもんならやってみい、という程度の門の広さだったが、とにもかくにも「平等」ということにした。

ホンダが連合王国にやってきたとき、しばらくして本田宗一郎本人がやってきて、髪の毛が逆立つほど腹を立てたのは、イギリス人の役員たちが、それまでの長い伝統に従って、いちだん高くなったステージで、通常の従業員とはまったく別の豪華なメニューの食事を、ついでに言えばおまけにワイン付きで、静々と気取って食べていたことだった。
あるイギリス人の証言によれば、(ほんとうかどうかは知らないが)本田宗一郎は眼に涙を浮かべて激怒したのだという。
「あんなものは、すぐやめさせろ」と宗一郎が言ったので、その日から本田の創業者は文明を理解できない野蛮人だという噂が立った。

日本帝国陸軍は悪い記録ばかり残っているが、意外な一面がある組織で、食事といえば、将軍から兵卒まで、同じメニューのものを、同じコミューナルテーブルで摂った。
あとでは牟田口廉也のような腐敗した将軍が出て、「ミートキーナの芸者遊び」と戦後にも憎悪をこめて言われるようになるが、それは戦争の開始から軍紀が緩みに緩んで、集団強姦から強盗、ほとんど意味のない遊び半分の殺人に至るまで、軍紀が弛緩した軍隊がやりそうなことはすべて手を染めた、あの時期の「帝国陸軍」が行きつくべくして行きついた、ひとつの特殊な姿にすぎない。

そうではなくて将も兵も肩を並べて貧しい食事を談笑しながら食べている陸軍の軍人たちの姿を目撃して
横光利一は、「日本はもともと人民戦線主義的な国なのだ」と書き留めている。

そういう「平等」の信念に燃える日本という社会がつくった「民主主義」は、たとえば、「議論をつくしてみなが納得することこそが民主主義だ」という迷妄にさえ陥った。
西洋の民主主義も「議論をつくす」ところまでは同じだが、「みなが納得することが民主主義だ」と思う人はいない。
理由は簡単で、多種多様な人間が住む文明化した社会では、「そんなことは起こりえないから」で、全員の納得などをめざせば、会議は無意味に帰して、なにも決まらず、いつまでも評定が続いて、よくて体力が強いものが押し切って結論を出すか、悪ければ、なにも決まらないまま「参考意見」がぞろぞろと行列をつくるだけの議事録が出来てしまう。

西洋世界では、選挙で権力を付託された指導層が、良いと信じたことを実行する。
選挙は、彼等の思い込みと行きすぎを掣肘するためにある。
ときに現れる英雄達に拍手を送りながら、およそ民主主義が発達するような社会の人間たちは、計算高く、薄情な利己主義者であると決まっていて、
ウインストン・チャーチルは、誰にも疑いようのない救国の英雄だったが、戦争が終わったら議席をあっさり失ってしまった。
ほとんど全幕僚の反対を押し切って、「小グループ」による果敢な迎撃を強行してイギリスを世界最強のルフトバッフェのもたらす破滅から直截救ったヒュー・ダウディングはイギリスの空での勝利が決まった瞬間に左遷された。
選挙する側にとっては、ふたりとも「用済み」だったからです。

きみはよく自分のtumblrやツイッタに「日本は法治国家(笑)」「民主主義(笑)」と書き込んでいるが、ではなぜそうなったか、というのは、教科書や「知識人」たちが公理としているほど簡単ではないような気がする。
たとえば、きみは、やさしい人間が住む社会ではいまだかつて民主主義が定着したことがないという事実を考えた事がありますか?

もちろん責めているのではない。
「知的な人間でかつ友人」には容赦がないぼくが育った社会の悪習で、ぼくはきみに厳しいことを言い過ぎている、という自覚がある。

しかし、そのことには深いいわれがあって、そうして、ぼくには、きみの知性に語りかけることによって「日本」という国がもっとよく見えてくるだろう、という期待がある。

そんな迷惑な、と思うだろうが、運命だと思ってあきらめなさい(^^)
今日は、このくらいにするが、ぼくは今度はあんまり間をおかずに手紙を書いて、戦争が終わってからいままで日本という国でなにが起きたのかを、戦前に日本が入りたかった「クラブ」、民主主義や自由についての(あるいは避けがたかった)さまざまな誤解の話くらいから始めて、歴史を横目で見ながら考えようと思っている。

相変わらず自分勝手だなああああー、という、きみの嘆息が聞こえてきそうだけど。

では

ガメ

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One Response to ある物理学者の友達への手紙1

  1. ITARU says:

    前回といい、今回といい、ガメさんの読者へのにじり寄り方が一見笑えて、でも本質的な呼び声になっていて、見失いがちな現状どころか未来への態度さえ呼び寄せていて素敵だなあ。

コメントをここに書いてね書いてね

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