ある物理学者の友達への手紙2

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戦争が終わったときの、日本のひとの反応は「爆発的開放感」だった。
1945年8月15日は、あとから調べにやってきた者には不思議な印象を与える日で、いまでもマスメディアが8月15日になれば日本中にばらまく、校庭や会社の敷地に整列して、頭を垂れ、初めて聴く天皇の声に敗戦を悟って嗚咽をこらえている映像と、光が漏れないように雨戸を立て回した、あるいは電灯に黒い傘をかけた、家の人間しかいないところでは誰いうともなく重苦しさから解放されて、爆発的な歓喜に湧く文字で記録された記録との、そこには奇妙な混淆がある。

建前と本音、ということなのかと初めは考えていたが、だんだんに判ってくると、どうやらそうではなくて、日本のひとは自分がおかれた「場」によって実際に感情が変わるらしい。
慌ててつけたすと、それが「悪い」と述べているのではなくて、「良い」でもなくて、まだ頭のなかでどういうことなのかは考えて処理されていないが、映像をみたり文字を読んだりしていると、一見矛盾なく起きている、ほんとうは同時に起きるはずがないふたつのおおきな感情の事件を説明するためには、いまのところは「感情が場によっているのだ」という仮の説明を与えておくしかない、ということにしかすぎない。

戦争はひどい敗北だった。
現代の眼から見ると、帝国陸海軍が「永久要塞」を謳っていたサイパン島が3週間のアメリカ軍の攻撃で陥落してからは、まったく無意味な戦争努力を日本は続けた。
いまでは昭和天皇は終始一貫して平和を願っていたことになっているが、歴史のあちこちに昭和天皇の「せめてどこかで決戦して決定的な1勝をあげてから」という願いが、軍の上層部に強く影響していたのが見て取れる。

太平洋戦争は面白い戦争で、というといくらなんでも言葉が悪いが、アメリカは局面局面で彼我の戦力、生産力の差異からくる次の局面での戦力バランスの変化、個々の戦闘の結果から導き出される、最善と思われる現実的な戦術を選択しようとして「新しい戦争」を戦っているのに、眼を転じて日本側をみると、日露戦争をそのまま戦っている。
陸軍も海軍も「決戦主義」で、たとえば海軍で言えば、ちょうどロジェストヴェンスキーがラトヴィアのリバウを出て、ウラジオストックをめざして、対馬で東郷平八郎の率いる艦隊と、世界の歴史のなかでも最大の海戦を経て、ほとんど一艦残らず日本海の海底に沈んでしまったように、サンディエゴを出て、東京をめざして殺到するアメリカ太平洋艦隊を、途中で迎え撃って撃滅する、という単一の目的で日本の連合艦隊は設計されていた。
極端な言い方をすると、当時の日本帝国海軍はレンジが少し長い「自衛隊」のようなもので、アメリカやイギリスの海軍のように世界のどこにでも長躯でかけていって自国の利益を脅かす相手を粉砕する、というふうには出来ていなかった。
軍用艦としては航続距離がちょっと不思議なくらい短く、補給部隊が貧弱だったのは、日本海軍がもともと「専守防衛」型の特殊海軍だったからです。

英語世界には山ほどある軍人や国務省の役人に真珠湾攻撃を許した責任を問うインタビューに対する最も数が多い解答は「ただの人間を神と崇めているような野蛮な人間たちに近代戦を遂行する能力があるとはおもわなかった」というもので、なるほど、とインタビュアーも納得しているように見えるが、実際には連合艦隊の進出距離の短さはアメリカ海軍将校たちの常識になっていて「日本の艦隊は防御型である」と教わるものだから、それが頭にこびりついて、まさかそんなものがハワイまでやってくるとは思わなかった、たかをくくっていた、というのが真相だろう。

太平洋戦線が欧州戦線の二の次の言わば「付録の戦い」であったこともあって、真珠湾以降、常に戦力的劣勢を強いられていたアメリカ軍は「決戦」などするわけにはいかなかった。
結果的に起きたのは「なしくずしの戦争」で、防御装備が手厚い戦闘機や爆撃機に兵士を乗せて、撃墜されれば機体を捨てた操縦士をカタリナ艇が拾ってあるき、陸上では傷病率をさげるために9時から戦闘を始めれば夕方の5時には兵営に引き返して休養する、日本軍将校たちに「アメリカ軍は戦争のやりかたまでふまじめだ」と怒らせる、「相手を弱らせながらナチの崩壊を待つ」、不思議な先延ばし戦略にでる。

具体的にはガダルカナルのような相手が意固地になりそうな補給線の先端を狙って叩いて、ぐじぐじぐだぐだ戦闘をして、戦力を消耗させ、相手の補給能力が枯渇するのを待つ、というローマ帝国軍に対するフランク族のような、古典的な戦争にもちこんでゆく。

日本が戦っていたつもりの戦争はいちども起こらなかった。
いまの日本人は、「サイパン決戦」「レイテ決戦」「沖縄決戦」「本土決戦」と天皇から一兵士まで、ボロ負けに負け続けながら「決戦」「決戦」とばかり言っていたむかしの日本人の負け惜しみの強さにうんざりして歴史を読み返すようだが、面倒くさくても少しだけ「むかしの日本人」のために陳弁すると、彼等日本軍人は要するに「頼むから、おれに日露戦争をやらせてくれ」と言っていたのだと思う。
旅順や日本海海戦、黒溝台の戦いはどこへ行ったのか? と子供が地団駄を踏むような気持ちで苛立っていたのだと思います。

ともかく、そうしてアメリカは太平洋の戦争に圧勝した。
日本は後で当の日本政府から自国民を大量に虐殺してもらったことへの感謝の印として勲一等旭日大授章を与えられたカーチス・ルメイが夢見た通り、大都市は殆どが更地になり、瓦礫の山と化し、本土空襲だけで33万人の日本人をぶち殺して、ついでにたいして投下の必要がなかった原爆を広島と長崎に落として爆発に成功させ、スターリンに日本の分割支配を諦めさせる決め手にした。

いつか、日本語で書かれた本を読んでいて、「日本は一貫して独立を保ってきたアジアのなかではごく少数の国のひとつである」というところで読む眼がとまって、じっと眺めいってしまったことがある。

日本は短く数えても1945年から1952年までの7年間、アメリカに占領されていた。
最終的に占領が終了したのは沖縄が返還された1972年だった。
占領の目的は簡単に言えば「日本の伝統と固有文化を徹底的に破壊すること」で、ぼく自身が日本の戦後史を読んで最もぶっくらこいちまったのはポルシェビキでも実行に躊躇しそうな「農地改革」だが、日の丸の旗の使用・掲揚は禁止された。
この敵愾心の発現においてナチのフランス占領を遙かにうわまわるアメリカ軍による日本の占領と7年間の日本文化の徹底的な破壊は、ちょうど、中国の文化大革命のような影響を日本社会に与えたと思う。
ここで歴史は断絶しアイデンティティは根本から否定され、日本は「リセットされた歴史をもたない新興国」になった。
重化学工業を禁止して「日本を農業と軽工業の国にする」という当初の米軍の政策は「農地改革」という政策の実行で予測がつくように無惨に失敗して、やがて朝鮮戦争を口実に、冷戦構造のなかでの日本への過剰投資へとつながってゆく。

戦艦三笠には艦橋がなかった、という話を聞いたことがありますか?
たしかニミッッツ通りからだったと思うが、横須賀の米軍基地(もちろん元の横須賀鎮守府です)から公園ごしに見える、この日本の「救国の英雄」である「ツシマ海戦」における連合艦隊旗艦は戦後、鉄くず業者が違法に擬装を剥ぎ取り続けて到頭艦橋を持ち去って平舟のような無様な姿になってしまった。
「プライドよりカネ」ということでしょう。
艦橋がなくなった船体はキャバレーに改修されて、アメリカ水兵と日本の女びとのカップルで連日超満員であったそうである。

その話を教えてくれたのはアメリカ海軍の将校だったが、チビちゃんなので将校服を着るとなんとなくユーモラスな彼とぼくのあいだの足下には「霧」と書かれた旧帝国海軍のマンホールの蓋がそのまま使われたマンホールがあって、なんとなく無造作に踏みにじられた日本の長い歴史と、アメリカ人の文明の生得的な「鈍感さ」ということをぼくに思い出させたりした。

日本に行ったことのない欧州の友達に日本について説明を求められると、ぼくはよく「神のいないプロテスタント国」と解説する。
特に工夫した言い方では無くて、ぼくが日本の社会を見ていて頭に浮かんだ普通の表現です。
清潔好き、仕度好き、早起き、仕事好き、職業への誠実、道具への偏愛、…無数のことにおいて、プロテスタント、宗教的にもっと細かく言われたほうが安心できるひとならばルター派諸派の国に似ているだろう。

ところが日本という、この風変わりな国では、なるほどプロテスタンティズムに満ちた国なのだな、と納得して、ふと祭壇を見ると神像がない。
神がいない。

歴史的に非常におおきく見ればカトリック教会からルター派が生まれたことは(そんなことを言うとルター派のひとびとは憤激するだろうが)欧州人が長いカトリック教会の不正と隠蔽とデタラメさに嫌気がさして、ついに無神に向かい始めた、その第一歩であると考えることができる。
「なんだ、それなら初めから俺は神なんか信じねえ、と言えばいいじゃないか」という人がいそうだが、当時の欧州では到底そういうわけにはいかなかった。
神様が染みになってこびりついたような言葉を使っていては、第一、「無神」という状態を想像することが出来なかった。

日本の「神のいないプロテスタンティズム」に初めて大打撃を与えて、その伝統を冷笑し、憎悪をこめて破壊したのが戦後、圧倒的勝者として日本にやってきたアメリカ人たちだったが、日本は彼等の厳密な指図によってしか民主主義へ向かう選択肢がなかった。

….と、ここまで書いて、ふと見ると、いつもよりだいぶん長くなっている(^^)
きみは、いま松江にいるそうで、正直に「うらやましいなあ」と思う。
ぼくは京都の日本海側から松江あたりまでの日本海側にあこがれがあって、柳田国男が生まれた町や、志賀直哉の短編で描かれた町、浜坂という小さな美しい浜辺のある村や、そういう場所をうろうろしてみたことがある。
松江にも行きたかったが、そのときは神戸でひとと待ち合わせをしていたので行けなかった。

ラフカディオ・ハーンという、変わり者で片眼、小男のギリシャ系イギリス人は、たいそうラッキーな奴で、その人生の後半に小泉セツという素晴らしい女びととめぐりあう。
小泉セツが英語をおぼえようとして使った手書きの英単語帳がいまでも残っているが、「アエアンナタハングレ」(I am not hungry)というような言葉を見ると、そのまま、その場を動きたくなくなるような気持ちになってしまう。
英語を話さない小泉セツと自分で発明したような風変わりな日本語しか話さなかったラフカディオ・ハーンは、しかし、「ヘルンさん言葉」とふたりで呼んで笑ったという、ふたりのあいだだけの日本語で会話を重ねながら、幸福な結婚生活を送る。

「破られた約束」のようなラフカディオ・ハーンの傑作は、今昔物語や雨月物語からの再話ではなくて、どれも小泉セツが「ヘルンさん語」でラフカディオ・ハーンに語ってきかせた松江の物語だった。
西洋人がいまでも持っている「美しい、神秘の日本」というイメージはハーンがこしらえたもので、そのもとは松江の風景のなかで生きて死んだひとびとの物語だった。

ある日、「自分にもっと学があれば、あなたの書き物の助けになったのに」とセツが述べると、ハーンはセツの手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、
「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。
一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と言った。

ハーンが好きなものは、「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」であったという。

「(明治)三十七年九月十九日の午後三時頃」、セツに「あなたお悪いのですか」と尋ねられたハーンは「私、新しい病気を得ました」と答える。
「新しい病、どんなですか」
「心の病です」
心の病、とは心臓病という意味です。

死の数日前、ハーンはセツに
「昨夜大層珍しい夢を見ました」
「大層遠い、遠い旅をしました。今ここにこうして煙草をふかしています。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」
「西洋でもない、日本でもない、珍しい所でした」という。

ハーンはそうして、五十四歳で死んでしまうが、きっと死の時にも松江の美しい風景を思い浮かべていたに違いない。

ぼくは松江の小さな家で、セツと肩を並べて、セツが「ヘルンさん語」で語りかける「破られた約束」の物語を、「ママさんの話は、とてもこわい」と述べながら、悪い視力のせいで丈の高い机に顔をくっつけるようにして原稿を書いていったハーンを思い浮かべる。
セツとハーンのまわりを出雲に集まった帰り途の八百万の神さまたちがぐるりと囲んで、小さな外国人と、ぴんと背筋をのばして座る武家の娘が、ふたりで紡ぎ出してゆく美しい物語を、人間には聞こえない声で称賛の嘆息をもらしながら、どきどきしながら聞き入っていただろう。

松江。
うらやましいなあ。
放射脳のぼくは、もう行けなくなっちゃったよ。
あれよりうまそうな出雲蕎麦の写真を送りつけた場合は、夜中の寝床で我が式神の祟りをうけるものと知るべし。

では、また

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3 Responses to ある物理学者の友達への手紙2

  1. tetsujin says:

    >建前と本音、ということなのかと初めは考えていたが、だんだんに判ってくると、どうやらそうではなくて、日本のひとは自分がおかれた「場」によって実際に感情が変わるらしい。

    >慌ててつけたすと、それが「悪い」と述べているのではなくて、「良い」でもなくて、まだ頭のなかでどういうことなのかは考えて処理されていないが、映像をみたり文字を読んだりしていると、一見矛盾なく起きている、ほんとうは同時に起きるはずがないふたつのおおきな感情の事件を説明するためには、いまのところは「感情が場によっているのだ」という仮の説明を与えておくしかない、ということにしかすぎない。

    おお、ガメさん、これぞ私もなんとか説明しようと思って、ここ数年、とつおいつ考えている問題であります。以下は、ちょっとした思いつき。

    「感情が場によっている」というのは、考えてみると、それほど珍しいことではないように思われます。

    例えば、ホラー映画を観ると、よくできた作品の場合、「うわぁ、怖っ」と感じる。まぎれもなく怖い。でも、ほんとうは怖くなんかない。だって、リビングでDVDを鑑賞しているだけなんだから。サダコがほんとにテレビから出て来たりするはずはない! ゼッタイだいじょぶ!! (薄型テレビだと余計に無理っぽい。)

    つまり、全然怖くないけれど、やたら怖い。あるいは、すっごく怖いんだけれど、ホントのところは怖くない。

    芸術鑑賞では、こういうことは普通に起こるようです。複数の、しばしば相反する感情を同時に心の中に持っていて、それが場面によって――リビングにいると自覚するか、フィクションに入り込むかによって――切り替わる。素にもどると怖くない、物語に取り憑かれると怖い。

    芸術の楽しみは、人間の想像力のこのような仕組みにもとづくのでしょう。この点は、洋の東西を問わないし、古今も問わないと思います。

    そして、日本のひとは、社会生活を、芸術鑑賞をするように生きているのかもしれない。想像力の中を生きてしまう。

    別の言い方をすると、役者が演技するように生きているのかもしれない。現実に悲しくはなくても、うまい役者は涙を流すことができて、そのときたしかに、ホントにかなり悲しい気持ちになっている(らしい)。素の状態としては、全然悲しくない。でも役柄に取り憑かれたかぎりで、心底悲しい。

    これは「良い」「悪い」の問題ではなく、人間の一つの能力の使用例ということです。

    ホモ・サピエンスの脳は、他人の意志や場面の設定に乗り移ったり、乗り移られたりする能力(深い共感の能力と言ってもよいけれど)を組み込まれているのでしょう。そして、素にもどる局面と物語に取り憑かれる局面の切り分け方が、文化や言語や慣習によっていくらか違っている、ということではないかしら。

    神様がいる文化では、場がどう変化してもこれだけは動かない、という岩盤のようなものがあるらしい。それは言葉遣いにも影響しているみたいで、「What is true and only what is true to be believed. We are not free to believe as we please.」という言葉をある本で見つけたときには、日本語の「信じる」と英語の「believe」の違いがここにあるな、と思いました。この英文が伝えていることは、「イワシの頭も信心から」という日本の俗諺と、ずいぶん違う。日本語の「信じる」には、英語なら「make-believe」と言った方がよいような意味がだいぶ混じっているのではないか。

    ですから、日本のひとは、どういうわけか、社会生活を make-believe の中で生きていることがある。そう思うのです。――日本以外でも、これは案外あるのじゃないかとも思います。テーブルマナーなんかは、どこでも、まあとりあえずそうしておく、というだけの社会的規則でしょう。となると、とても大事な局面を make-believeで生きてしまうのが、日本のひとの特徴なのかな。

    なぜ、いつから、こうなったのかは分かりません。でも、漱石が100年くらい前に「涙をのんで上滑りに滑っていくしかない」と言っていたことが思い出されます。

  2. DAI says:

    いつもblog楽しく読ませていただいてます!
    私は出雲市在住です。蕎麦も旨いし”水の都”松江は夕方辺りからその美しさが増していきます。ぜひいらしてください。その際はご案内しますよ。

  3. tetsujin says:

    ガメ様

     この上のコメントの引用は、間違ってました。「is」が一つ足りなかった。短い文に「is」大杉。以下が、正確です。
     
     ”What is true and only what is true is to be believed. We are not free to believe as we please.”

     どの本かはGoogle Booksで判るはずですが、上のコメントの、芸術鑑賞での虚実の往復という話はその本にありました。とても面白い本でした。

     以上、訂正まで。

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