ニュージーランド・4つの小景

florence

1 空港

オークランド空港へはよくでかける。
本業のひとびとは意外なくらい「実際に顔をあわせて話す」のが好きだが、こっちは何しろええかげんな人間なので「スカイプじゃ、ダメ?」と述べて顰蹙を買う。
業を煮やして向こうからやってくるので、サービス精神に富んでいるわしとしては空港までお迎えにあがる。
ニュージーランドはビンボな国なので、ファーストクラスがある飛行機は少ない。
リースで借りたちっこいジェット機で来るひともいるが、おとなしく、つつがなく、ビジネスクラスでやってきて「新婚旅行のときみたいだね、と女房とふたりで話してたんだよ」という性格の良いおっさんもいます。

クライストチャーチに飛行機ででかけるときは空港のデザインそのものがよく出来ていてオンラインで駐車場を予約しておいて、予約に使ったクレジットカードを駐車場の入り口の端末でスワイプさせると、腕木が「ススス」とあがって、クルマから降りると、もうブリッジの向こうはチェックインカウンタなので、自動チェックインの画面にオンラインの予約番号を入力すると、「ぶ」とボーディングティケットが印刷されてでてくる。
そのまま飛行機に搭乗して、それで事が足りる。
あまりに簡便なので、ぶったるんで、これまでに都合3回飛行機に乗り遅れていて、アメリカの航空会社のように鷹揚に次の便にまわしてくれたりしないので、そのたびにぶわっか高い正規料金を払って次の便に乗るが、これまでを航空会社のせいにしては、やはり気の毒であると思われる。

よく出来ている国内線ターミナルに較べて、歩いて10分くらい先にある国際線ターミナルはチョーひどいデザインで、屋内駐車場がそもそもターミナルビルから歩いて5分は優にかかるとんでもないところにある上に、駐車場のなかを鳩がとびまわっていて、居並ぶベントレーやポルシェやレンジローバーが糞にまみれて白い斑状になっている。
一度、大雨の日にメルボルンから帰ってきて、クルマに辿り着くまでにずぶ濡れになったので、それ以来、国際線に乗るときは自分のクルマで来るのはやめて空港リムジンを頼むことにした。

オークランドのタクシーは出鱈目で有名で、運転が下手なひとが多い上に、家まで来ておいて、門から向こうのドライブウエイに行くのは嫌だ、と言ったりする。
門から家までスーツケースと一緒にはるばる歩かされるのはたまらないので、「そんなこと言わないで行きなさいよ」と言うと、ここから向こうは行ったことがないので、何があるかわからないではないか」と抗弁する。
運転手が勝手に門の中をドライブしたことがあったら、そっちのほうがたいへんだが、中東人は理屈を組み立て出すと、組み立てるのに熱中してしまうので、そういうことは考えないもののよーです。
だからタクシーもやめて空港リムジンだけにした。
だいたい決まった人を呼んで送り迎えをしてもらいます。
特にプロいふたりの人は庭に来てお茶を飲んで帰ったりする。
友達のようで、たいへんに気分がよい、と思う。

わしガキの頃は着陸寸前の低空から空港を眺めるのがニュージーランドでの楽しみのひとつだった。
大気がド汚いロンドンと異なって、澄み切った空気のなかで、クライストチャーチ空港は果樹園に囲まれていて、オークランドは周囲一帯が「馬牧場」だったので、妹とわしと馬さんが大好きな兄妹ふたりして、毎度毎度、「ああああー、馬だ! すげえー」と狂喜するのを常とした。
いまでもそうだが、ニュージーランドの美点は国ごとド田舎であることで、空港がそれを象徴しているように見えた。
初めはマクドが二軒しかないなんて、いったいどういう了簡で国をつくっておるのだ、タワケめが、と思っていたが、だんだんにニュージーランドに馴染んでくると、どこにいてもマニュアのにおいがするようなニュージーランドの徹底的なド田舎ぶりが、ガキわしにすら好もしく思われるようになった。
空港は、その象徴だったのだと思う。

いまはオークランド空港のまわりはビジネスディストリクト、ということになって、空港シフトで働くひとたちのための24時間オープンのスーパーマーケット「カウントダウン」や巨大よろず屋のウエアハウス、24時間空いているカフェ、なんでもある。
30歳ともなるとジジむさい感慨がでて、「馬さんが走り回っている頃はよかったなあー」と思うが、それをたまに口にだしても、移民の国なので、ホテルのレセプションでもベーカリーでも「へえええー? そんな頃があったんですか?」と疑わしそうな顔をする。
一挙に3光年くらい年をとった、気が遠くなるような気がします。

2 門

わし家は、モニとわしと小さな人が住んでいる区画、というか家の部分には誰かが門柱の呼び鈴を押しても聞こえないようになっている。
スイッチをいれて呼び鈴が鳴るようにすることも出来て、あんまり不意に人が訪ねてくる、ということはないが、土曜日などは待ち構えていると、おお、来た来た、新興宗教の勧誘じゃんね、しめしめ、という人びとの姿がCCDカメラの画面に映ることがある。
友達と話していたら、最近は日本人の移民が多いので、それを狙って、なんだか怪しい新興宗教の勧誘が日本人を狙い撃ちにしているよーだ:日本人の若い男と女の2人組が(日本人が多い)マウントエデンに行くと毎日曜日にうろうろしているのだ、と述べているひとがいたが、こっちは勧誘されたくてうずうずしていても、どうやって名前を調べるのか、日本名でないと来てもらえないそうで、わし家にはあらわれてもらえない。

マウンテンバイクにシブイ背広、背広とぜんぜんあわないおちゃらけた色彩のヘルメットをかぶった若い男のふたり連れ、というニュージーランドでは有名な「モルモンルック」で身を固めたモルモン教の勧誘というような退屈なひとびとしか来ません。
あとは、庭仕事を探しながら隙があると窃盗団になる、という根強い噂があって、ときどき警察につかまって名前が出てしまったりする「庭師泥棒団」のひとびとが稀にはやってくる。

ラウンジの液晶スクリーンに誰かが映ると、鼻をつまんで「わたしはニッポンジンなので、英語わかりませーん」と日本語混じりの英語で述べたり、フランス語でニュージーランド人なので英語がわからんのじゃ、と叫んだりしてからかって遊ぶ。
(自分で書いていてもたちがわるい)

いちど酔っ払ってカメラを早まわしにして映していたら、門の前に「貞子」が立っていて、ぶっくらこいたことがあった。
長い髪が顔の前に垂れていて、よく見ると血走った片方の目が「ぎろっ」と覗いている、あの「リング」の貞子さんです。
どひゃああああ、と思って1倍速にゆるめてあらためて眺めて怖がっていたら、門をよじのぼらずにしゃがみ込んで、げえげえと嘔いていて、どうやら酔っ払いの大学生かなにかのようであった。

ニュージーランドには若いひとびとのあいだに高級住宅地の家を5人くらいで家賃を払って一緒に住む習慣があって、最近の流行でもあるので、近くの通りかなにかの家を借りたワカモノのひとりが迷い込んできたに違いない。
しかし地面に四つん這いになって嘔きまくる姿勢まで貞子にそっくりで、もうこれからは、あんまり「呪怨」や「リング」を繰り返し観たりするのはやめたほうがいいかも知れんな、としみじみと思ったことでした。

3 デイリー

本来はDairyという。
いつかマリーナの駐車場に落ちていたニュージーランド在住の日本人向けらしい日本語雑誌をパラパラとめくって見ていたら「Daily」とわざわざアルファベットで書いてあったが、新聞や牛乳という「毎日のもの」を売っていて、なんとなく辻褄があう名前ではあっても、ほんとうはLではなくてRです。
デイリーは、最もニュージーランドらしい風物として有名であると思う。
http://pocketcultures.com/2010/07/23/the-new-zealand-dairy/
特に田舎の町では生活に密着した店で、わざわざ背広に着替えて、2ブロック先のデイリーまで新聞を買いに行くじーちゃんたちの姿や、2ドル硬貨を握りしめて駄菓子を買いにくるチビで、一日、案外とひきも切らずに客が来る。

オークランドではデイリーという単語がいかにも小さい商売ぽくて嫌なのでしょう、特にインドの人達はパッとした派手なことが好きなので、「Superette」と自称する店が多くなった。
聞いていると、新しくやってくる移民のひとびとも「Superette」とふつーに述べて、「Dairy」と言われても判らないひとが増えた。
ひと頃中国やインドのひとがどっと増えた頃に「takeaway」を「takeout」とアメリカ語風に呼ぶ店が増えて、へえええー、移民が増えると英語が変わってゆくのだなああー、と考えたが、多分、たくさんの客に「英語がまちがっておるぞ。『takeout』なんちゅうのは無教養で有名なアメリカ人の言葉だべ」と言われたのでしょう、すぐに終熄して「takeaway」に戻った。
takeoutはつつがなくtakeawayに戻ったが、Dairyはえらい勢いでSuperetteになってしまうので、こっちのほうは、話が人間の誇りの問題にからんで微妙で、文句をつけにくいのかも知れません。

デイリーは国民性が出る。
オークランドではだいたいにおいてインド人の商売で、散歩の途中で寄って水を買うと、「3ドル50である」という。「このあいだ来たときは娘さんがいて2ドル50だったぞ」と言うと、「じゃ、2ドル50セント」とすましています。
インドのひとはガーデニングでも家の修理でも、80ドルなら100ドルと言ってみる癖がある。
もとをただせばイギリス人の修理人ならば、「ちょっと20ドル上乗せしてみました」ということはおくびにも出さずに最後の最後まで100ドルだと頑張って、じゃあ、他のところに頼むからいいや、ほんじゃね、と踵を返して家のドアを開けるところでやっと、
「ちょっとちょっとちょっと待って。待ってx2。ふんじゃ。85ドルならどう?」というところだが、インドの人はあっさり「じゃ、80ドル」という。
交渉しないで100ドルと言うとありありと「110ドルて言ってみればよかった」という顔をするそうで、なんだか「インド的」な感じがしていつもオモロイと思う。

当然、その頃はアジアの人は「白豪主義」オーストラリアには移住が禁止されていたが、中国から50年代にニュージーランドにやってきたひとたちはデイリーにリンゴやぶどうの果物を導入する、という新基軸で稼いでいった。
いまではニュージーランド人も当然のように行う「果物を新鮮にみせるための霧吹き」は中国人たちが持ち込んだ「小売技術」で、中国人たちはそうやって細かい工夫をつみかさねてオカネを貯めていった。
いまは中国人でデイリーを経営する人は全然いないというわけではないが滅多にいません。
日本人が経営しているデイリーも見たことはない。
CBDに行くと韓国の人が経営しているデイリーはよくあって、韓国の人の特徴は在庫管理が行き届いていることで、韓国人のデイリーで品物を買うとだいたいにおいて新鮮である、という特技があるよーだ。

むかし、ニュージーランドの田舎町にでかけると、牛乳を買いにいかされた先のデイリーに、チビたちがやってきて、店の主人に「わたしあてにemail来てますか?」と礼儀正しく訊ねて、主人が「まだ来てないねえ」と言うと、ひどくがっかりした様子で、「そうですか。来てないのか…」とさびしそうに呟いていたりして、やっぱりニュージーランドはいいなあああ、と考えたりした。
ニュージーランドはいまもビンボだが、その頃(1990年代後半)はもっとビンボで、その上にコンピュータの値段がアメリカの3倍くらいするという酷いぼったくりだったので、コンピュータを買えない家が多かった。
ちょうど郵便局に手紙を受け取りに行くように、子供たちはemailをデイリーに受け取りに行ったりしていた。
その、わしにとってはたいへんニュージーランド的な感じがする習慣は、学校にコンピュータが行き渡り、インターネットの普及とともに同じ英語圏の他の国で、ほんとうはいくらでコンピュータを売っているかがばれてくると、あっというまにコンピュータの値段がさがって、ほんの短いあいだで終わってしまったが、デイリーという言葉を聞くと、イギリスでならばどんな田舎でも目にしえない、チビ女の子の「email来てますか?」という目のきらきらした輝きを思い出す。

多分、そういう記憶の積み重ねが、いま、こうやってニュージーランドでごろごろすることになった理由であると思います。

4 岸壁

よく晴れた午後に屋根が開くクルマを運転して海辺へ行く。
クルマを止めて、岸壁に腰掛けて、ゆっくりと巨大な船体をすすめて狭い水路を行くクルーザーを眺めている。
その辺りは干潮では12メートルくらいしか水深がなくて、ところどころ急速に浅くなる岩礁があるので、「動く町」という表現が適切な巨大客船が深いところを選んで注意深く進むのを見ているのはスリルがある。
特に最近は客船が増えすぎて船長たちの腕前の低下が話題になっているので、岩礁の近くを通っているのを見るとひやっとしたりする。
ちょうど「ロード・オブ・ザ・リング」の公開が始まった頃から、アメリカ人や欧州人のオカネがなだれこんでニュージーランドの経済はバブルになって、物価は沸騰するようにあがって、子供の頃の「ビンボ人パラダイス」は、あっというまに「英語世界の国のひとつ」になってしまった。
せっかく「隠れた宝石」だったのに、誰かが石をもちあげて、「ほら、こんなところにニュージーランドがある!」と見つかってしまったので、もう元には戻らないのさ、とニュージーランド人はよく言うが、それはいま起きていることをうまく言い当てていると思う。

さすがにイギリスでは、そういう人はいなかったが、わしガキの頃は、アメリカでおとなたちと話していると、大学を出て他のアメリカ人よりも並外れて海外知識を持っているはずのひとたちが、「ところでニュージーランドってのはオランダの隣なんだっけ?」と訊いたり、「ニュージーランドってのは何語で話しているの? 英語? ああ、じゃあカナダみたいなものなんだね」と述べたりして、普段からアメリカ人をケーベツする悪い傾向があったわしの侮蔑心を刺激したりした。
だいたい世紀が変わる頃から、そういうことがなくなったのは、やはりインターネットが英語という言語を通じて、世界じゅうの知識の血流をよくしているからであると思われる。

20年後に自分がどこにいるだろうか?
と考えると、フランスかニュージーランドにいる姿がまっさきに思い浮かぶ。
イギリスは生まれて育ったところなので、もう飽きている。
アメリカは論外として、メルボルンの家を売ろうとはおもわないが、オーストラリアという国は、人間の頭が粗雑で、荒っぽくて、むかしから苦手なので、太平洋圏にいるならやっぱりニュージーランドだよねえ、と思う。
むかしなら、日本、という跳躍的でものすごく思い切った変化を求める選択肢があったが、このブログ記事でさんざん述べた理由で、いまは、日本に立ち寄ることも考えられないのが残念であると思う。

相変わらず安全だということになっているらしいが、福島第一ひとつとったところで、普通の知識をもって考えれば事態が東電や日本政府が述べている程度でとどまっているとは、到底おもわれない。
日本のひとには日本のひとの考えがあって、「フクシマはもう安全だ」と世界に向かって言っているのだから、日本人の正直を信じて、言っていることを信じるのが礼儀だと思うが、自分と家族が日本を避けようと考えるのは、個人の判断はいろいろなのだから、仕方がないことだと思ってくれないと困ります。

日本のどこかという選択肢がなくなってしまったので、太平洋圏ならニュージーランドだが、「いろいろ言ってるけど、結局おにーちゃんがやってることって子供のときから同じなんじゃない?」と妹に言われるまでもなく、イギリスとニュージーランドでは生まれてから変わらずに、冒険という要素がゼロでなにがなし忸怩たる気持ちになる。

小さい人たちがおおきくなれば、教育、というようなことを考えて欧州のほうがいいかもなあー、と思うが、ま、それまではニュージーランドと船の組み合わせでなんとかしのげるべ、とも思う。
日本のように出来かけた縁が唐突に切れてしまうなつかしい外国もあれば、ニュージーランドのように、いつのまにか馴染んで、なんだか居心地がよくなってしまう国もある。
ま、そんなもんかなあー、と理屈にならない理屈を考えては、納得してみたりするのです。

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