I want to be something 

formaggio

英語では I want to be something という。
「なんだかになりたい」という意味ではなくて「何者か意味のあるものになりたい」という意味です。
死んでからも誰かがおぼえていてくれるような、あるいは、他のひとでは出来なかったことをachieveしてから死にたい。
欧州人の鬱病の原因で最も多いのは文化背景的には正にこれで、自分に特に他人にすぐれた才能がないことに気が付いて、自分など価値がない者だと感じ
はじめると止まらなくなってしまう。
ずるずると、奈落への傾斜を落ちていく。
酷い敗北感のなかで睡眠薬を飲んで浴槽にお湯を張って手首を切って目を瞑る。

somethingであるためには競争に勝ち抜いて勝っても意味がないので、他のひとと質的に異なる精神の跳躍がなければsomethingにはなれはしない。
トーダイを出て役人のトップになるという話とはもちろん関係がない。
気が付いたひともいるでしょうが、当然、この苦しみは個人主義社会に特に多いものでもあります。

モニはまじめなひとなので、よく「いまの自分ではダメだ」と思うようだ。
もともと絵に才能があるひとなので夜中じゅう絵を描いている。
遅くまでカウチで本を読んでいる。
いつも外国語をひとつは勉強している。
自分は怠け者だとつぶやいて、ひとりで落胆している。

妹も似たようなもので他人よりも早く学校を卒業して研究者になったのはいいが、他人に対して口には出さないものも、「こんなに恵まれた環境に育って、たったこれしか社会に貢献できなくていいものだろうか?」とアホのような題目で悩んでいる。
一般にわしの家のひとどもは、「社会への義務」とか「恵まれた人間の債務」とか、ばっかし言っておって、なんとなく「義務おばけ」のひとびとの集まりのようである。
ただ、わしだけが健全に遊びほうけている。

わしは、妹や家族のような「義務」みたいなことは考えたことがない。
前にも何度か書いたが、わしは、人間がこの世界に生まれてくるのは魂が肉体をもたなければかなわない感覚の悦楽を思い出すためだと思っている。
いかに高貴な魂であっても、肉体の助けがない魂だけでは、恋人の肌にそっと触れてみる指先の感覚の楽しみや、頬にふきつける風の心地よさ、雄大なカーブを描いて跳躍する筋肉の瞬間の緊張も、ワインやウイスキーに溺れて、バカ騒ぎをする歓びすらない。

実は肉体のなかにあってすらそうだが、魂は盲目で音も聞こえない。
微かに音を立てているような感覚が満ちている温度もない暗闇のなかで思考だけが明晰で、そのくせ世界そのものは茫漠としている。
魂が魂であるためには肉体の記憶が必要なのは明かであるように思われる。

二十代の義理叔父がケンブリッジの町にあるハーバード大学を用事で訪問していたときに丁度ビル・ゲイツがパーティの招待客として来ていた。
ハーバードの友達たちと一緒にでかけていったら、ビル・ゲイツは開口一番、
「ぼくがきみたちを雇う事は金輪際ない」と言う。
「退屈な講義ばかりの大学で4年も我慢して卒業したうえに、大学院にまで行くなんて、よっぽど退屈な頭の鈍い人間なのに決まってるからね」と続けると、ビジネススクールの学生たちからおおきな笑い声があがったが、
「でもHBSの学生たちを見る目が笑ってなかったな、あのひと」と言っておった。

よく知られていることだと思うが、たいていの場合「something」になろうと思っても、そもそもどんなsomethingになれる可能性があるのか見当がつかないうちに一生は終わってしまう。
「something」のほうから偶然の邂逅を装って自分に必要な魂を物色の挙げ句、やってきて、誘拐するように連れ去って行く。

実際ビル・ゲイツもハーバードに入学はしたものの、講義に出てみても頭のなかはメモリマップやプログラミング上の問題でいっぱいで、ふつーのオベンキョーはまったく手がつかなかった。
結局、やめてしまった。

有名な例であるコリン・ウイルソンのようにごく若いうちから「社会の通念上『成功した人生』を歩めば自分はきっと最後は「社会にみせるための自分」と「ほんとうの自分」との懸隔に耐えられなくなって、天井の梁から首をつるしかなくなるだろう」と考えて、授業にはろくすぽ出席せずに、16歳で学校を止めて、食いつなぐためだけの時間仕事を転転としながら、自分の魂が共存できるゆいいつの職業であるはずの作家になるために25歳までの9年間、ただひたすら原稿を書いたというひともいる。
コリン・ウイルソンは、あちこちで、「たとえば医師のような社会的には最も安定した職業が自分にとっては自殺に導かれるしかない職業であることはよくある。一生の安全の保障は個人個人によって異なる。自分にとっては世間では最も不安定で自殺的だと思われている「作家志望」こそが、そういう意味で最も安全な人生の選択だったのだ」と述べている。

ビル・ゲイツもコリン・ウイルソンも、この先の歴史がおぼえているかどうかは判らなくても、 パイドパイパーに従うようにして現代社会における「something」になったわけだが、しかし、正直に言って、わしには、somethingたりうるかnothingで終わるかは、どうでもよいことに思える。
なんの違いもない、と言ってもよい。

歴史の側から言えば、人間が考える歴史は、あきらかに、歴史そのものが人間の心に映る鏡であると仮定している。
われわれが歴史を読んでいて歴史上の「事件」が記憶に浮かぶ表象のように感じられるのはそのためである。
ところが現実には歴史という人間の集団意識が保持している記憶は、言語が含包する歴史的記憶にしかすぎないので、そこで記憶と思われているものは実際には幻影にしかすぎない。
そこから導かれる結論は「何事か価値あることをやりとげる」と云っても結局はそれも意匠的な自己満足にしかすぎない、という冷たい現実であると思う。
somethingをめざす努力よりもnothingのままで一日一日の一瞬の跳躍や陶酔に心を集中するほうが人間の生き方として誠実でもあれば自然の理にもかなっているように考える。

個人の側から言えば、言うまでもない、somethingであるのは本質的に魂の側の役割で、わしなどはケチなので、なんとなくそのぶんだけ肉体側は損をしたような気がしてしまう(^^)

モニが「わたしは、どうして、月並みなことしか出来ないのだろう」と嘆くと、わしはモニをむぎゅっと抱きしめて、「わしはモニさんが大好きですから」と言う。
関係ないじゃん、というなかれ、めんどくさいので説明しないが、一日24時間モニさんが大好きで、ときどきどうかすると、モニさん大好きダンスをキッチンで踊ってモニさんを笑い死にさせそうになっているアホ旦ちゃんは、モニさんがまだ自分では知らない「something」にモニさんがなってゆくのを幇助しているのです。

See.
I AM something.

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3 Responses to I want to be something 

  1. おいちゃん says:

    父親は92歳で亡くなった。そこは特別養護老人ホームの一室だったが
    私は一晩、父の枕元で、看取ることができた。少しづつ弱くなっていく父の呼吸
    水を含ませた綿で父の唇を拭きながら、
    父と鮎釣りに行ったこと、用水に「ウケ」と呼んでいた竹かごを仕掛けて
    夜中魚を追い込んだこと・・・何故か魚獲りの思い出ばかり 次々浮かんできて
    さういへば、今までこんなに父と話したことなかったなあ
    そのうちにフッと橙色の明かりが灯ったやうに暖い気持ちになって
    ああ此れが気持ちが通じる ってゆーことか、魂の会話に言葉はいらないんだ
    って思いました。
    「お前は今のまま生きていけばいいんだ。」逆に父親に励まされているやうで
    この先生きてゆく勇気が湧いてきました。

    さうして父は亡くなり、 私は速攻葬儀社に連絡して葬儀の段取りを整え
    一旦喪服を取りに家に戻る車中溢れる
    涙を拭き取ることさえできませんでした。

    泣いたのはこれっきりです。

    後日譚
    葬儀が終わって、家の仏壇に手を合わせている時
    突然父が出てきて「俺はまた生まれ変わって90年生きてかなきゃならない。大変だよ・・・」って
    なんか世界の秘密を、肉体の呪縛から離れた父の魂が
    そっと私に教えてくれたみたいで
    心から震えました。
    人生が修行だって 本当なんだ
    って思いました。ちなみに
    私は生まれ変わっても木彫の職人になりたいと思っています。さうして
    又 母ちゃんと一緒になりたい  って
    (これカメさんと一緒だろう(´∀`) へっへ・・・)

  2. DIO says:

    自分の大切な人が人生において何かを探していたり、何かになろうとしている姿はただひたすら愛おしい。その人のことを思うと自然と目に涙が浮かんでしまう。愛する人を傍で見守ることのできるガメさんが羨ましい。
    今朝このエントリを読んで不覚にも泣き出しそうになった。こんな内容のときは前もって書いてもらわないと。

  3. kojiro says:

    神様はなぜ、あの人より私の方にたくさんのギフトを与えてくれたのだろうか。
    このギフトに対するお返しを、自分はちゃんとできているのだろうか。
    そういうことを真面目に考える人が、私は好きです。
    自分は怠惰ですぐに流されてしまう性格なので、そういう人のそばにいて、常に新鮮な空気を吸い続けないと、あっというまに腐敗してしまうのではないかと思っています。

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