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「技術」を巡るヲタクな思いについて

多分ひと頃の「日本の第二次世界大戦中の兵器技術礼賛」のようなものへの反動で、この頃は「零戦なんて名機でもなんでもない。各国のコピー技術の寄せ集めから戦闘機に絶対必要な防御装備を省いた『空飛ぶ戸板』みたいなものだった」というような意見が横行しているのを眺めていた(^^ 他人に訊かれることもないと思うが、訊かれてもためらいなく「いや、そんなことないよ、零戦はやっぱり良い戦闘機だったのね」と答える用意はあって、それはなぜかというと、出典も権威の引用もいらなくて「技術に興味をもって育った人間なら共通して判る健全さをゼロ戦という戦闘機は持っているから」であると思う。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/12/29/壊れた時間/ https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/07/05/零式艦上戦闘機/ https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/08/31/f4f-ワイルドキャット/ 機体の強度不足のために急降下が出来ず浅深度降下しか出来なかった。 防弾装備がなかったためにパイロットの死亡率が高かった。 無線が実用の域に達していなかった。 20mm砲が初速不足のために見越し射撃が不可能だった。 ゼロ戦にも欠点は無数にあるが、零戦が戦線に登場した1939年においては、ふつーに、公平に見て「名機」だったと思います。 子供というものは「公正」ということに敏感なので、わしガキの頃、いちばん売れていたイギリスクリスマスギフト用「第二次世界大戦飛行機名鑑」に「零戦」がでていなくて、なぜか日本の戦闘機からは中島のキ27 http://en.wikipedia.org/wiki/Nakajima_Ki-27 だけが載っているのに憤慨して出版社に手紙を書いたこともあった。 もし零戦が欧州戦線の戦闘機なら問題外のダメな戦闘機だった。 欧州戦線は常に戦線が接近しているので被弾確率が中国戦線や太平洋戦線に較べて格段に高く零戦のように火を噴きやすい戦闘機は「棺桶」と呼ばれて終わりだったと思うが、 戦闘に遭遇する確率が桁違いに低かった太平洋戦線では、(日本軍は中国戦線から頭を切り換えられずに格闘戦にこだわって採用しなかったが)基本的には敵を発見すれば大円周行動をとりながら遠くから態勢を整えて相手より高い高度からいっせいに突撃する一撃離脱の戦場だったので、防弾装備の重要性も欧州戦線に較べれば遙かに低かった。 その代わり相手の戦闘機をsweepするための索敵行動に必要な長大な航続距離を必要とした。 わざとガダルカナル島を重要な戦略地点に偽装して海においては日本海軍の補給艦隊護衛能力の乏しさに目を付けて、日本海軍におおきな出血を強いようとし、空においては、航続距離が長大な日本軍戦闘機の長所を恃んで、日本の頭の固いというよりは教科書どおりの発想から一歩も出られないマヌケでしかなかった日本軍参謀たちが作戦可能行動範囲のほとんど末端に位置するガダルカナルまで零戦を飛ばそうと画策することを見込んだのはアメリカ人たちの頭に浮かんだ「良いアイデア」であったと思う。 日本人はアメリカ人たちの思惑通り麾下の操縦士達に往復10時間弱滞空させる行程で、挙げ句の果てに極く短時間の連合軍側が用意した空域での空戦を強いるという致命的な過ちを犯した。それがいかに無謀で操縦士達が生身の人間であることを無視したデタラメな命令であったかは坂井三郎 http://en.wikipedia.org/wiki/Saburō_Sakai という日本の撃墜王だった「兵卒パイロット」が書いた「Samurai!」というベストセラーになったペーパーバックによって英語世界でも広く知られている。 相手の注文通り長所をそのまま短所に変じる愚かな用兵によって零戦はいまでも「見かけ倒しの愚作」であると、たとえば中国の人は、やはり戦争中の恨みが消えないのでしょう、話してみると普通に信じているが、そういう意見が一般的なものにどうしてもなっていかないのは「技術ヲタク」という困った人達が、この世界には存在するからであると思う。 スペックを並べて戦闘機の優劣を論じる人は、どうにもならないトーシロであるのは言うまでもない。 たとえば、もうひとつだけ「零戦」について述べると、前述の「Samurai!」にも繰り返し凡そ飛行機の操縦を出来る人になら誰にでもわかる表現で書かれていることは、「零戦」のスペックシートにあらわれない「操縦性の良さ」「素直さ」「安心できる感じ」で、頭をめぐらせれば言うまでも無いことだと思うが、戦闘機も戦闘機である以前に飛行機なので、操縦する人間にとって、これほど重要なことはない。 わしなどはセスナを飛ばせるだけのPPLの持ち主にしか過ぎないが、それでも、グラマンに乗る人は余程かわった人で、セスナの、たとえばスカイキャッチャーのほうが格段に良い飛行機であると思う。 ダメな飛行機というのは、「なんでここでそういう挙動をするかなあー」と思う。 ヨットにとても似ています。 あるいは「良い技術」というものは到底言葉では表現しがたいもので、 小船舶用エンジンでいうと、フォードの5.0リッター8気筒ディーゼルなどは、ものすごく良いエンジンで、音を聴いているだけで安心する。 ボートの例では判りにくければ、 クルマで言えばMX5(日本名はたしかユーノスロードスター)は、一部のアホなひとたちが述べるような「ただの安物のロータスエランのコピー」などではなくて、乗用車のパーツと生産技術を使って、どれほど素晴らしいライトウエートスポーツカーが出来るか、という模範的な技術の結晶で、「名作」としか言いようがないスポーツカーであると思う。 MX5の成功を見てメルセデスが慌ててつくった愚にもつかないチョー駄作のSLKや、世界最小トラックみたいなドアホなシフトフィールのMGFを見れば、MX5という自動車が如何にものすごい前衛的な「マスプロダクションカー」であったかが簡単に見てとれる。 良い技術は殆ど「音」だけで判別がつく、再び第二次大戦中の兵器で言えば ドイツ軍の88mm砲 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/07/30/88mm_flakとドイツ中世物語の終わり/ のいかにも初速が速い砲声を聴いてなんとも思わない人は、いかにも技術的に鈍感なひとである。 同様にスピットファイアのロールスロイスV12スーパーマリンエンジン のエンジン音を聴いてうっとりしない人は、酷い事を言うと、技術について云々しないほうがいいのではないかと思われる。 まったく余計なことでおおきなお世話だが、わしガキの頃、日本に行くたびに秋月電子に足をのばしていた頃、日本の「PC自作ブーム」というのが、ただのボードの抜き差しに終始するものだと知って、他人事ながら、日本のひとの「技術意識」はダイジョーブなんだろーか、と考えたことがある。 チップを買ってきてカードを自作する、というのならまだ判るが、マザーボードを選んでカードを組み合わせて電源を投入して動かす、なんていうのは英語世界では技術に何の興味もない人間でもコスト節約のためにやることで、そこで「スペックが」、「今度新しく出たグラフィックボードが」と、まるで一人前のエンジニアでもあるかのように語ってみせることで一市場が出来てしまっていることに、なんとも言えない情けない感じをもったのをおぼえている。 … Continue reading

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