Monthly Archives: December 2013

2013-2

見ようによっては2014年という年は無事に済んだら、そっちのほうが不思議だわい、に見える年なので「行く年、来ない年」という題名で、このブログを書こうと思ったが、それはいかになんでも悪趣味なのでやめた。 もっかの日本が直面している問題など解決は簡単といえば簡単で日本自体に(いつか謎の怪人ナゾーを学習したときに発見した件の)「マブチ水中モーター」を切り取った日本の底にペタと貼り付けて、ぷるぷるぷるとアメリカ大陸の方向に太平洋を移動させればよいだけである。 頭の地図のなかで、平行移動を完成させてみると日本が近い将来において抱えそうな問題は核汚染以外はすべて解決されてしまう。 ほんで「核汚染」などは日本では「なんでもない」ことになっているので、ようするに問題はなにもなくて、みなハッピー、なのだと思われる。 だが問題はマブチの水中モーターは発売中止になってしまったことで、仮に復刻されても最近の、よく話題になる、日本の工業製品の質の低下ぶりでは日本を移動させるだけの出力はでなさそうである。 日本が調子がよいときにはつきまくっている博奕打ちのようにテーブルに黒や白のチップがどんどん積み上がる手が付けられない好調さなのに、どこかに挫折がはいると、今度はまた面白いように没落するのは、要するに失敗を失敗と認める装置が日本というマイクロ文明の内部には内蔵されていないからである。 いつもは日本などおおきな国のなかでは音沙汰が聞こえない国の典型で、アニメを別にすれば、普通の西洋人にとっては、そういえばそういう国あったな、という程度なのに、2013年という年は日本がよくニューズに登場する年で、伝えられるたびに福島第一の事故処理というが実は2年間なにもやってなかった、(え?)やらなかった理由は「事故処理をするとオカネがかかるから」という膝カックンな理由だった(えええ?)、とか、日本の人は案に相違して2年経ったいまも福島第一の近傍から逃走していなくて、放射能をこわがらないのはなぜかというと、名の有る科学者がこぞって、「危ないからそこにいなさい」と科学的ご託宣を述べたという一回読んだだけではそもそも頭にはいってこない不思議な理屈によってとどまったと解説されたりしていて、「日本のひとびとは変わっておるのだな」と唸らされるようなことが多かった。 昨日も書いたが、来年か10年後か、どのくらい時間がたてば実現するのかということは別にして、日本と中国が戦火を交えるほかにないコースが定まった年でもあって、アメリカはさまざまな可能性のひとつとして、ずっと前からこの事態を予期していたのは「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」の頃から明らかだが、安倍晋三がモーニング姿も颯爽と、早足で靖国神社に参拝してしまったので、「ば、ばか、そんなことやったら準備が終わらないうちに戦争になっちゃうじゃないか」と慌てふためいたので、父親が息子を叱責するようなナマな感情がこもったままの外交史上でも珍しい非難ステートメントをだすことになったりした。 アメリカやイギリスと日本に共通した社会の特徴は「自分の幸福よりも社会の幸福を優先して考えよ」という考えがいきわたっていることで、この3国のどれかに生まれると実際に小さな頃からうんざりするほどこの考えをふきこまれる。 膝蓋腱反射みたいというかなんというか、こういう話をすると日本のひとは、すぐ 「Max Weberがあー」と壊れたカラスのおもちゃみたいに繰り返すが、そういう問題とは別に、通りにでてみるだけですぐに判る、誰がみても日本はプロテスタント社会に極めて似た社会で、ポリネシア文明があるはずのところに忽然と欧州文明が存在するオーストラリアやニュージーランドと同じ眩暈というか、儒教あたまがならんでいるはずの場所にプロテスタント倫理が鎮座しているので、初めて訪れた観察者は「なんで、こんなところに」と面食らう。 しかも、それにしても極端にピューリタンなやつらだな、と考えて、ふと戒壇に目をやると、そこにはお馴染みの「神に裏切られた男」はいなくて、今出来のできのわるい玉座(しかも誰も座っていない)が「民主主義」の風に吹かれて揺れているだけである。 神がいなければ、その教会の内部で交わされる言葉には絶対の真理もあるはずはなくて、だから、この教会のなかでは現実もそのときどきの参加者によって自由に書き換えられる。 「絶対」によらず人間と人間の相対的な「あいだがら」から真理がうまれる社会では、自分たちのともがらが南京でおこなった虐殺も広大な中国の各地でおこなった集団強姦と殺戮も、簡単に消しゴムで消せる。 ひとつの「史実」があれば、歴史には、それとまったく相反する「史実」が必ずある、というのは赤毛の歴史の教師が第一時間目に述べて、15歳のガキどもを混乱させたひとことだったが、「歴史に対する解釈ということでしょうか?」と反問した最後列の生徒に向かって、「ミスター・オベール、そうではなくて、相反する歴史的現実が必ず存在するという意味である」と彼は述べたが、15歳だったわしらには、ひっぱってみせる顎髭がその頃はまだなかった。 日本人の失敗を失敗と決して認めない性癖の裏には「厳しすぎる罰」という問題があるのではないか、と考える。 いちど、東京でストローラーのなかの泣き止まない子供を叱りつける母親を観察していたことがあったが、その叱責の厳しさは常軌を逸したもので、声をあげて、たたきつけるような声で絶叫しているので、一緒にいたアメリカ人が、もじもじした様子で「警察を呼ばなくていいものだろうか?」と言い出すほどだった。 この国じゃ、普通なんだよ、と述べると、 それは怖いな、というようなことをむにゃむにゃと口のなかで呟きながら、それでもアメリカ人はまだ落ち着かない気持ちのようだった。 そのあと、しばらく彼を相手にむかしの日本ではたかが上司の奥さんとエッチをしたくらいでもハラキリだったのだと解説して、ひと頃「カチョーさんの奥さん」の長くて細い華奢な指へのあからさまに性的な羨望を述べたりして、しかももっと世間体の悪い事には、そのあと突然「カチョーさんの奥さん」についてはまったく何も言わない時期が生じて、おもいあたることがなくもなかったはずのアメリカ人の顔を蒼白にしたりした。 もしかすると待遇がよかった日本企業を唐突にやめてアメリカに帰ってしまったのは、あの日の会話が原因だったか、とあたたかい気持ちで、なつかしくおもいだす。 日本語インターネットの最大の問題は「集団サディズム」であるのは明らかである。 「集団サディズム、ってなんですか?」と思う人は、ツイッタでよいから社会学者の内藤朝雄のように「ひとりで社会に対して抗議する人」の後ろをついて歩けば直ぐにわかる。 集団サディストたちの特徴は「自分は絶対に正しい」と思い込んだ狂人がまんなかに座っていて、たいていは屁理屈屋でもあるマヌケな皮肉屋たちがまわりを囲んでいて、いれかわりたちかわり、しかも内藤朝雄から見れば視界のすみっこにあたるところで、さまざまな、しかし芸として独立させてみれば感心するくらい巧妙な中傷を行って内藤朝雄という存在の信ぴょう性そのものを低下させようとする。 社会的な信用度を低下させて発言を無力化させようと試みる。 日本のような社会では、なぜかこの退屈で凡庸な方法が極めて有効で、わしが日本語インターネットを見始めた6年前からでも、この「集団サディズム」によって、日本語インターネットの世界から排除された(そういう事件が起こされなければ日本語言論にたくさんの貢献をしたはずの)人間をいったい何人目撃したかしれない。 さらに問題を深刻にしているのは、この「集団サディズム」が最も猖獗しているのは、日本社会においては他の社会なら「リベラル」とラベルがついているはずの社会の部分であることで、言論のありかたとしては「反動者」のほうが遙かにまともなのは眺めていて面白いほどである。 この「集団サディスト」たちの実名や職業を調べてみると、人間の一生の悲惨というようなことを思いおこさせる面白いことがいろいろわかるよーだが、そんなことをここで述べても仕方がないので割愛する。 たとえばニュージーランドでは「インターネット中傷法案」とでもいうべきものがすでに工程に載っていて、来年くらいには法律化されそうだが、いままでの日本のインターネット関連の法案の作り方をみていると、安倍政権風の国家社会主義的な味付けを伴って、やがて日本でも法案化されるだろう。 そうなれば中傷者も場合によっては被害者も一網打尽でおよそ匿名性に依存するような発言を繰り返していた人間は少なくとも社会的には「国家の制裁」をうけることになる。 実質的には5年ほどは遡って「中傷者」の実名が公開され、インターネット上での発言は実名でしか行えなくなるのかもしれないが、いまの「集団サディズム」の不品行の実績をみると、インターネットの匿名発言者の側に抵抗する力が社会の側から与えられるとは到底おもえない。 「自業自得」という言葉をおもいだす。 日本は68年間の国民的努力を宙に放り投げて、西洋社会が向かっているのとは反対の方向にすたすたと歩きだしてしまった。 アメリカが残していった借り着じゃ、やっぱり身体にあわなかったな、あいつらの貧弱な身体じゃだぶだぶだもの、と悪態をつく人がいる。 「日本のアジア化だろう」という人もいれば、なに、ずっとおさえつけていた本性が出ただけさ、という人もいる。 一般には「やっぱり」という反応が多いように見受けられる。 しかし、「日本人」というのっぺらぼーな呼び名の皮の下に、憂鬱なサラリーマンのネナガラや、感情に不思議で爽快なスピードがあるゲームデザイナーのjosicoはん、社会の理不尽に怒っているおかーさんのナス、書くイタリア語を見てもほぼイタリア人化しているのにあーだこーだと述べて未だに日本のパスポートを持っているすべりひゆ、息をのむほど健全な知性のじゅら、自分のやさしい気持ちのせいで苦しみながらなんとか生きていこうとする優さん、高すぎる知能で自爆寸前のとらちゃん、ふてくされたまま生活者として精神の健康を保つ方法を探すラザロ、… ひとりひとり(あたりまえだが)異なる顔があって、ひとつひとつ別々の宇宙を造営して現代日本という知的な精神にとっては苛酷な荒れ地に最も似た土地に定住しているともだちをもつわしとしては、「日本人」とひとくくりにされたものの個々の実質を少しは知っているので、安倍晋三たちの、最近では意図を隠そうともしない日本の国家社会主義への回帰を耐えがたい動きと感じる。 東アジアのそのまた辺境の田舎に奇蹟のように咲き誇っていた自由社会がいま死のうとしているのである。 他の自由社会の人間がぼんやりと手を差し伸べないでいて良いわけがない。 振り返って、2013年という、もうすぐ過ぎていってしまう年を眺め渡してみると、見事なくらい「希望」というようなものは払拭されていて、どこにもありはしないが、それでも「なんとか、もってくれ」と危篤の病床の友達のために祈るような気持ちになるのです。

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2013

2013年は新しい凍死(←照れている)手法と外国語習得の年だった。 神様なんて信じていないのに神に感謝するのはイギリス人の奇妙な習慣だが、今年も平和と繁栄の年だったことを神様に感謝しないわけにはいかない。 この2、3年は(主に小さな人びとのせいで)ニュージーランドにいることが多いが、2013年もそうで、イタリアに3ヶ月弱、あんまりここで書きたくない、それぞれ1ヶ月には満たない旅行に3回出ただけで、あとはずっとニュージーランドにいた。 「ニュージーランドにいる」ということの意味は、ほとんどをオークランドのリミュエラにある家とハウラキガルフのどこかに浮かんでいるボートのなかで過ごしている、という意味で、このごろは以前に較べてクライストチャーチにいることは少なくなった。 一時的で、是正されるべき問題と思うが、クライストチャーチとオークランドのインフラにいまは少し差が出来ていて、現時点では「オーストラリアに週末でかける」というようなことを含めて、生活の便利さにおいてオークランドがクライストチャーチを遙かに上回っている、ということもあると思います。 もうひとつはオークランドは「ざっかけない」町で、わしは自分にとっては外国語であるいろいろな言葉で文章を書いたり、太陽の光を浴びながらモニとふたりで中庭で紅茶(アフガン付き)を飲んだり、PCゲームに熱狂したりするのに飽きると、裸足で午後の人気(ひとけ)のない町をぺたぺたと歩いて、遅い昼食、あるいは「おやつ」を食べに行く。 裸足なのだから、無論Tシャツとショーツで、耳からは件の白いオーディオケーブルが垂れていて、どんな音楽を聴いているかというと、ほとんどの場合は、「Lounge Music」と名前が付いている音楽 か、Stromaeのようなヒップホップ、あるいはDaft Punkのようなバカタレミュージックで、どんな曲が多いかはツイッタの言葉の流れのなかを一緒に移動している友達たちはみな知っている。 いま書いていて気が付いたが、Daft Punk は今年のおおきな発見で、バンド自体は多分15年くらい昔から知っていたはずだが、こんなに良いバンドだと思ったことはなかった。 なぜだろう? というようなことを考える必要はなくて、このふたりはもともと演奏中の事故によって死んだミュージシャンがサイボーグとして蘇ったという来歴で、つまりは、最新テクノロジーで音楽的才能をヴァージョンアップしたのが奏功したのだと思われる。 2011年にはオーストラリア/ニュージーランドのローカルな人気があるに過ぎなかった、Gotyeたち https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/11/15/out-of-tune/ が、その後あっというまに英語圏全体のワカモノの魂に訴えるミュージシャンになってから、KimbraやGin Wigmoreの歌声がアメリカのハリウッド映画やTVコマーシャルで流れるのはごく普通のことになったが、Gotye以来プロデューサーたちがオーストラリアとニュージーランドで音楽的才能を懸命に探すようになったせいもあって、タカプナ・ベイズウォーターの高校生、Lorde が太平洋を何回も往復することになったのは日本でもたくさんの人が知っていることだと思う。 今年読んだ本のなかでいろいろな意味で印象に残ったのは、 The Ode Less Travelled The Chronicles Moab Is My Washpoint (何れもStephen Fry) Coming Apart (Charles Murray) Strong in the … Continue reading

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友達、5分前

インターネット上で出会った友達と、たとえば外でボートの舷側から桟橋に飛び降りた弾みで水の中に突き飛ばしたのがきっかけで仲良くなった友達とを区別したことはない。 わしにとっては、現実世界もインターネット世界も同じことで、結婚してからは、ますますどうでもよくなってきた気がする。 ひとつにはインターネットの外で出来た友達はヨーロッパとアメリカに多くて、自然、スカイプで話したりemailでやりとりしたりすることが多いので、たとえば日本語ネットで知り合った友達と付き合いかたが結局は似てしまっている、ということがあるに違いない。 子供の頃から友達が多すぎるのが悩みのタネだった、というとヘンな人みたいだが、社交的外向的であるのにひとりでいるのが好きだ、という奇妙な性格のせいで、皆で興奮してクリケットをやっているときは楽しいが、マッチが終わると、もう一刻もはやく家に帰って読みかけの本を読むとか、やりかけのコンピュータ・ゲームをやりたかった。 最近はやっと治ったが、長いあいだひどい活字中毒で一日に4冊は本を読まないと眠りにつけない、というような時間を大量に浪費する悪い生活習慣のせいもあったと思う。 友達とは奇妙なものだと思う。 義理叔父の最も仲の良い友達は中学の1年から大学を卒業するまでヒマさえあれば、ほぼまる一日べったりくっついて生活していたという新聞記者の友達だが、このひとがニューヨークにいた義理叔父に手紙を送ってきたことがあった。 「こんな会社では新聞記者などやっていられないのでおれは会社をやめて蕎麦屋をやることにした」と書いてある。 義理叔父は、まだインターネットがなかった頃なので「ヤメルナ」と電報(!)を打つと、もう何年も会っていない友達に会いにいちばん早い便のユナイテッドで日本にでかけた。 待ち合わせた神戸で、ホテルに隣りあった部屋をとって、交代で煙草をふかしながら、吸い殻でたちまち山盛りになった灰皿が載ったテーブルをはさんで、ほとんど黙って向かい合っていた。 ときどきどちらからともなく「腹減ったな」と述べて外に出て食事に行くだけなので、なんとも手持ち無沙汰で、仕方がないのでレンタカーを借りて、中年のおっさんがふたりで、奈良まで出かけたそうである(^^;) 4日間、そうやって、無言を無言で塗り込めたような毎日を過ごして、帰り際に 「会社、やめるの、やめたよ」 「あたりまえだ」という会話を交わして、おぼえている会話はたったそれだけだった。 「日本まで行く必要なかったんじゃないの?」と、わしが訊くと、 「バカだな、ガメ、あいつがおれに手紙だすなんて異常な事態に行かないわけにはいかないじゃないか」という。 「第一、あいつがおれのニューヨークの住所を後生大事に5年間もおぼえていたのを知ったときには心臓がとまるかとおもったぜ。そういう奴じゃないんだよ。よっぽど会社でくやしいことがあったんだろう」 と述べる義理叔父の目には涙が浮かんでいたのをおぼえている。 念のために訊ねてみると、それからまた10年近く会っていないそうで、どこまでもヘンな人たちであると思う。 あるいは義理叔父が財産を成す元になった事業で仲のよかった人は、なぜか秋の庭を歩いて横切って義理叔父の家の窓から部屋にはいってきた。 仕事上の考えの違いから大喧嘩して、絶交して3年になる友達の突然の来訪に義理叔父はびっくりしてしまった。 秋霜烈日、という。 仕事人として、若いひとびとの上司としても「秋霜烈日」という言葉がぴったりのこの義理叔父の仕事友達は、滅多に微笑むことのないひとなのに、この午後はなぜか、なんだか見ているだけで心が和らぐような柔和な笑みを浮かべていた。 「散歩にいきませんか」という言葉に頷いて一緒にでかけると、普段は口が極端に重い人であるのに、びっくりするほど多弁で、義理叔父がミーティングで妙に反対して頑張ってしまうときの滑稽な様子や、ほら、旦那(義理叔父のことです)がカリフォルニアから4年ぶりに日本に戻ってきたときに一緒に赤坂を歩いたじゃないですか、という。 そうだっけ? と聞き返すと、 そうですよ。 ものすごく暑い日なのに、旦那は、歩くのをやめなくて、豊川稲荷からふたりで汗みずくになりながら歩いて、到頭渋谷まで歩いてしまった。 明治通りで「グランドファーザーズ」の看板を見つけたら、ああ、この店、まだあるんだ、とつぶやいて勝手にすたすたと地下に階段を歩いて下りていってしまった。 タイムマシンをもらって、興奮で目を輝かせている未来の子供のようだった。 ところが気が付いてみると、もうふたりは青山のブルーノートの前を歩いていて、渋谷の話をしていたときは麻布十番の町を歩いていたはずなのに、そこから青山までどうやって歩いてきたのかどうしても思い出せないので、初めて、「あれ、これは夢かな?」と考え始めた。 でも構わずに一緒に歩き続けて、結局、水天宮や日本橋や丸の内の、ふたりで昔仕事を一緒にやっていた頃いっしょにでかけたすべての町を歩いて、しかもそれは長い長い夢で、半日以上歩き回って、そこがそもそも一緒の仕事を始める約束をした初めの池袋の焼き鳥屋を出たところで、それも以前にはついぞそんなことはしたことがない手を差し伸べて握手をすると、 「また、会いましょう。旦那は気が短いが良い奴だった。それが言いたかった」と言うなり、くるりと背を向けて池袋の曖昧な雑踏のなかに消えていったのだそうだった。 義理叔父は長い夢を見ていたカウチから起き上がると、電話を取り上げて義理叔父が絶交したあともその人と親交があるはずの業界紙の記者に電話した。 癌で入院してはいたものの、恢復したあとの予後の検査入院だったそうで、ああ、それじゃ構わない、しかし、癌になっても連絡しないなんて、あいつも頑固だな、と電話を切ったそうだった。 そのうちに会いたいから、きみ、あいつに伝えておいてくれないか。 業界紙の記者が、電話をかけてきたのは次の日で、今日の朝、亡くなったという。 予後だとばかり信じ込まされていたのが実は癌の再発後の危篤で、義理叔父が電話をかけた数時間前から意識不明の境をさまよっていたのだそうです。 私も、驚きました。 ああ、だから、あいつは、あんなにやさしい笑いかたをして、最後の最後に会いに来てくれたのか、と義理叔父は、不思議でもなんでもなく、普通に「友達」の友情を受け取って、ありがとう、と心のなかで呟いたのだそーでした。 … Continue reading

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His Old Dream

習近平は困っているだろう。 防空識別圏の設定は外交上手の中国にしては珍しいほどの大失敗だったが、中国政府から見れば、「これだけ強烈な強硬態度をみせれば日本もアメリカも中国の不退転の決意を感じて譲歩するはずだ」という決意に立った、いわば「最後通告」の役割を担う意図的な「晴天の霹靂」だった。 本人たちからすれば「柔弱な民主主義の子」たちの上にくだした「雷神の一撃」というべきつもりのもので、まさか次の瞬間にアメリカが選りに選ってスパイ電子機器満載のB52をくりだして平然と防空識別圏を横切ってゆくとは思わなかった。 しかも今度は中国政府にとっては最も神経に堪える「靖国神社参拝」を安倍首相は実行した。 ほぼ絶体絶命の窮地に立った中国首脳の苦悩を思わないわけにはいかない。 英語ではmanoeuvreという。 どういう言葉かというとF15や零式戦闘機はそれぞれの世代においてmanoeuvreの良い戦闘機だ、という言い方をする。 あるいは50フィート級のボートが狭いマリーナにはいってきて、バウスラスターが付いているかなにかで綺麗な方向転換を決めてberthにはいると、あのボートはmanoeuvreが良いと褒めそやされる。 ちょっと身を交わしたり、するりと身を翻したり、というような身動きの総称です。 日本での評価とは異なって英語世界では終始一貫極東の極右政治家という定評の安倍晋三の靖国参拝で、もちろん、英語世界は安倍晋三に対する「やっぱりやったのか」という非難一色に塗りつぶされたが、もういちまい洞察の皮膚が下の、というのは報道記事ではなく公開されている「オピニオン」「論評」からはじまって、(非公開の)政治フォーラムというような場所にいくと習近平には、すでにmanoeuvreの余地がないのではないか、という意見がたくさん出ている。 強引な防空識別圏の設定という強烈な措置を予防的に先にとってしまったので、これより厳しい態度をとろうとおもえば、なにをするにしろ宣戦布告に限りなく近い政治行動になるのではないか。 実際には27日にはもう、韓国が「東アジア諸国は団結して日本を非難すべき」という一見復讐心に燃えた呼びかけにみえるが、現実には中国の暴発を避けるため、というか、簡単に言えば中国の苦境を救うための「外交的に差しのばした手」である声明を出しているので、中国には「東アジア諸国とともに日本に対して怒りの包囲網をつくる」という(中国の政治においては極めて重要な)「メンツ」も立てばmanoeuvreの余地をうみだす時間も稼げることになった。 中国の外交は韓国の外交にひとつ借りが出来た事になる。 しかし、それで作った「時間」も、そう潤沢にあるわけではないようにみえる。 28日に日付が変わった日本語の新聞サイトには「安倍晋三のオウンゴール」というような表現で安倍晋三の外交上の大失敗を非難する記事が並んでいる。 日本の新聞特有のお互いの顔色をうかがう「様子見」の段階が終わって、いっせいに「これは安倍晋三が悪い。アメリカの出方をまちがえた大失策である」という論調に染まりつつあるが、翻って英語のほうをみると、「安倍晋三の個人的信念があらわれはじめた」という見方が多い。 安倍晋三の第二次政権の特徴は、もともと本人にまったく興味がなく、やる気もないせいで第一次政権ではどうにもならなかった経済政策はテクノクラートに完全に委任して自分では口を出さず、自己の政治エネルギーは自分の政治信条の実現に全力をつくす、というもので、安倍晋三の政治的信条はなににあるかというと、かつては「美しい国」であった日本を取り戻すことにある。 質素な生活をしながら額に汗して勤勉に働いて、日本人同士一致団結して国をもりたてる健気で懸命な国民のいる「美しい国」が安倍晋三の政治目標だった。 いまの、規律に従わず、労働を軽蔑して、にやにやした口調で体制に向かって皮肉を述べることを娯楽にするような「醜い日本人」への憤りが安倍晋三を駆り立てている。 処方箋はクラシックなもので、社会に緊張をつくりだし、敵を明瞭な形で描き出して、自分たちの社会を愛することに目ざめさせて、民族的な優秀さを取り戻す、ということだと思う。 日本はもともと戦争による国民的な団結によって近代をつくった国だった。 まず台湾、それから対清、そしてあくまで戦争を避けようとする明治政府の弱腰を「学者としての立場から」弾劾した東大の「七博士」たちの、いま読むと腰を抜かしそうなほど好戦的な提言に見られるように、国民として戦争依存症になったあとは、ロシアと戦争をするという破天荒な無謀さまでみせた。 勝つはずのなかった対ロシア戦争に勝ってからは、日本では「戦争」と「国威の発揚」が同義になっていった。 卑近な例をもちだすと、大学のときに、あの大学に入ったうれしさのあまり狂躁的な状態に陥ってしまった同級生がいた。 持ち物にはすべて大学のロゴが入っている上に。言葉のアクセントまで無理矢理に大学特有のものにしようとするので、笑うよりも、なんだか不気味で怖い感じがした。 酷い事をいうと日露戦争に勝ったあとの日本社会は、ちょっと、その誇らしさのあまり狂気に似た自分でも抑制しがたい感情にとらわれていたらしい同級生に似ているような感じがする。 日本にいたときの感想は小学校から企業まで「集団」が存在する社会のありとあらゆる場所が「軍隊」のアナロジーに満ちていたということで、うららかさの象徴である「park」スポーツである野球まで「巨人軍、春の大進撃」などというので、ぶっくらこいてしまったのをおぼえている。 「このアベという人は、実際に戦争をしたいのではないか」と友達に訊ねられたので、このブログ記事を書いている。 政治行動を観察するときに最も決定的な間違いを犯しやすい人間のタイプは「穿った見方」をするタイプで日本の政治史上の人物では松岡洋右が典型として知られる。 9年間をアメリカで勉学して過ごした日本きっての「アメリカ通」と目されていた、この人の「アメリカ人は、まずイッパツおもいきりぶんなぐってから手を差しのばすのがアメリカと仲良くなる唯一の方法である」という意見に従って真珠湾でいっぱつおもいきりぶんなぐってみたら、案に相違してアメリカ人はそのまま顔を真っ赤にして怒りだしてしまい、怒った勢いで太平洋を大股で駈けわたってきて、それまで営々と築いてきた日本の近代文明をただの石ころの堆積に変えてしまった。 「兆し」や「サイン」を正しく読み取ることは外交を理解するためには必須だが、自分が頭が良いつもりになってさまざまなことを読み過ぎると、とんでもないことになるのは、この松岡洋右という誰にも口がはさめないほどの西洋外交事情の権威だった日本の外務大臣が妄想した「西洋」のバカバカしさを見ればよく判る。 安倍晋三は靖国神社に参拝したかったからしたのだ、というのは空疎な修辞ふうの判ったような判らないような言い草に聞こえるが、失策というより、あるがまま、見たままの、ただそれだけの行動なのではないかと思うことがある。 あまりに幼稚すぎて「そんなバカなことがあるわけないよな」という気持ちをいったん拭って横において考えると、「オリンピック誘致」「特定秘密保護法の制定」「集団自衛権の恢復」という安倍政権の素晴らしいスピードで策定された一連の国策は、「戦争をやりたいのだ」という、普通の常識に照らせばありえない仮定に立てば最もまっすぐに見通すことができる。 第一回目の東京オリンピックという1964年の五輪は実は二度目の開催決定に拠ったもので、ほんとうの第一回オリンピックは1940年に予定して開催権を獲得したものだった。国威の発揚と日本民族の団結の象徴として予定されていた第一回東京オリンピックは戦争という、より深刻な団結のためのゲームによってかき消されてしまった。 1936年のベルリンオリンピックや2008年の北京オリンピックが典型だが全体主義者の政権の発想においてはオリンピックの開催と戦争の開始は常に「民族の一致団結と優秀さの誇示」という同じ地平にある。 と、こうやって、とつおいつ考えていると、安倍晋三が現実に戦争を望んでいるのではないか、という、普段はそれほどアジアの問題に関心があるとは言えない幼なじみの友人の問いかけは、ある暗い深刻さをもって目の前に立ち現れる。 安倍晋三がここまで周到に描いてきたシナリオは、ほんとうは「日本を戦争にひきずりこむ」ための精巧に出来た筋書きなのではないか。 やりきれない疑問、といってもよい。 安倍晋三は、そもそも自分が靖国神社を参拝することによってアメリカが示した極めて強い反撥も精確に予期していたのではないか? 彼と彼のスタッフの計算は、まったく別のところにあって、防空識別圏の設定で平和へ向けての身動きがとれなくなった習近平の中国政府を確実に戦争の側に突き飛ばすことにあるのではないか? … Continue reading

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流砂の上に立つひと

島田雅彦という1961年に生まれた作家について1924年生まれの吉行淳之介が、この人には珍しく嫌悪感を剥き出しにした調子で、「この作家はどこに立ってものを言っているのか皆目わからない。無責任であると思う」と述べている。 日本語をうぬぼれでは日本人なみになったと思う程度に学習してからは、ときどき吉行淳之介の「どこに立って意見を言っているのか」という言葉の意味を考える。 吉行淳之介という作家は鋭敏な日本語への感受性を持っていたので、現実には島田雅彦という人の「優しいサヨクのための嬉遊曲」という小説の題名に対してカタカナで「サヨク」とは、どういうつもりだ、と気色ばむ気持ちがあったのかも知れません。 想像力を働かせると、いまで言えば50代くらい以上の日本のひとびとのなかに「w」に対する嫌悪を表明する人が多いのと似た事情なのではないだろーか。 たとえば日本の新聞社が自社を説明したものを読むと「公正中立・不偏不党の立場から社会に警鐘を鳴らす」というようなことが書いてあって、ピンと来ないので英語に訳してみて、そのあまりの幼稚さに気持ちがつんのめってしまうことがある。 人間の語彙がとどくかぎりの世界で「公正中立」でありうるためには「なにが公正か」を認識できる必要があり、それが認識できるのは神様以外にはない、というのが英語世界で育った者が馴染んだ教えで、それゆえに神は傍観者であり、神が傍観者であることの意味は、神のみが傍観者として存在することを許されていることによって保障されている。 ところが日本の新聞社の立場は「私は神である」と宣言しているのと等価で、その知的傲慢さに、へろへろとした気持ちになってしまう。 なぜ「自分が傍観者である」と述べるようなあからさまな傲慢が日本では大手を振ってまかりとおるのか、ということを考えると、もともと西洋社会にもひとつだけ「仮定として中立公正であるふりをする」役割が是認されている職業があることに気が付く。 学校の教師がそれで、英語の世界で(多分、日本語世界でも同じなのではないかと想像するが)よく教師が独善的で自画自賛ばかりしている権威主義的な「裸の王様」にたとえられるのは、生身の人間が公正中立であると思い込めるマヌケさ、と言ってひどければ知的能力の低さにおかしみを感じるからだと思われる。 40代くらいから上の日本の人は、就職面接のときに「普段講読している新聞はなんですか?」と質問されたほどだというので、「言論が中立でなければならない」という、言論においては常識においてまったく無効なスタンスを、これほど広汎な日本人が、床屋政談から知識人の文章まで、信奉しているということには、「新聞の影響」ということがあるのでしょう。 嫌ないいかたをすると、神のみが公正でありうる以上、公正な意見を求めることには「自分が神になった気持ちになりたい」という自己満足以外にありえないが、福島第一発電所事故以来、特に東京オリンピック誘致を契機に、少しずつ洩れ伝わってくる「日本人がなぜ放射能を怖がる能力をもたないか」ということへの理由がわかってくると、英語人の目には、一個の「巨大自己満足社会」とでもいうべき日本社会の印象が出来てきたのだと思う。 「えー、わたしたちは燃料棒の移動を危ないとは思っておりません」と、さしたる根拠もなく「ダイジョブ・ロボット」のような無表情で述べるTEPCOのエンジニアや、インターネットで発言の中心をなしているらしい人たち、テレビで盛んに発言している人達、どの人も「傍観者」としての発言が多いように見えて、傍観者として座る外野席には「科学者」「知識人」「タレント」「インターネット賢人」というペンキの塗り分けがあるだけで、みなが実際の作業に携わる作業員や子供を守る為に投げつけられる罵倒や冷笑を腕をかざして避けている母親たちを眺め、いまのよけ方は案外よかった、 作業員の給料はいくらなんだ?というようなことを「評価」している。 誰もゲームに参加したがらないので、ゲームに参加するのは権力の側にある人間だけである。 傍観者であることが返って賢げに見える、という社会を畸形である、と思うのは、かつて60年代には散々に世界中で論じられたことだが、また元の黙阿弥に戻ってしまった。 高校の時の英語(つまり国語)の教師が、公正中立は右と左のまんなかにあるわけではない、と述べたことがある。 公正中立な観点は天上にしかありえない。 だから、きみたちは自分が公正な立場をめざしている人間であるとか、知的な傍観者であるというような傲慢なことを述べてはならない、と述べた事があって、そりゃまあそうだろう、と考えたが、いま考えてみるとあの教師は研究者として外国人のための英語を勉強したこともあるひとで、英語世界以外の国では「公正な視点」を持っている人間が存在することにショックをうけたことがあるのかもしれない(^^;) 日本語ならば「吉本隆明」というような作家の書いたものを読めばわかるが、真理にたどりつくためには行動と結びついた思想において「過激」の極みに赴く以外にはない。 吉本隆明が街頭に立って投石することすらなく「政治」や「思想」を述べる人間を不必要なほど軽蔑し毛嫌いしたのは、宗教への感覚をもっていた作家が、人間が神の役割を演ずることのインチキさを強く憎んだからだろう。 「訳知りの傍観者」が大量に発生した結果、日本の社会、とりわけ言論社会というようなものは、はてしなく痴愚の群れに似てきてしまったが、なにしろ人間にとって最も尊敬しやすいのは「なにもしないナマケモノ」なので、こういうことをいうと嫌がられるが、もう取り返しがつかなくなってしまった。 言論の自由など行政の胸先三寸で簡単に剥ぎ取ってしまえる社会になっても、「無知なあなたの杞憂にすぎない。法案をよく読め」と言い、吉松育美と言う人が信じがたい勇気をもって、日本の金融から道路上の屋台に至るまで、文字通り「あますところなく」支配しているやくざという巨大な力(やくざは政治の世界にも力があるのですか?という質問に答えて、「中曽根までは首相がやくざを呼びつけたが中曽根以降は首相のほうからやくざの親分のほうに行くようになった」と述べた元警察官僚のおっちゃんがいた)に立ち向かおうとしたひとりの若い女びとに対して、「(余計な世話を焼く)ガイジン対やくざ」のゲームになった、と観客席で述べる国では、ただのひとうけのする知的意匠こそが「叡知」なのである。 遠くから見ていると、たとえば、「右と左のまんなか」にあるはずのものが、「あいだがら」という相対座標のせいで、最も左側のはしっこでもイギリスでは右のまんなかにしか見えない程度にずれてしまっていて、極右的思考の仕草がどんどん社会の中心に堆積しだしているのが手に取るように見える。 「賢い傍観者」という立場をクールな知的スタンスと誤解した社会が堕ちていってしまった先を見て、「なぜ日本の『インテリ』は何度も何度も何度も同じ謬りを無反省に繰り返すのか」と考えてみるが、もういまさら考えても仕方がない、というふてくされた気持ちもあるのか、そんなこと考えても意味ないわい、と午後のあいだじゅう考えていたのでした。

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鏡よ、鏡

「中韓以外、みーんな親日〜クールジャパンが世界を席巻中〜」酒井亨 「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」竹田恒泰 「イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか」宮田律 「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」池間哲郎 「住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち」川口マーン恵美 「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」井上和彦 「日本の文化 本当は何がすごいのか」田中英道 「呆韓論」室谷克実 「そして日本経済が世界の希望になる」ポール・クルーグマン 「日本は世界1位の政府資産大国」高橋洋一 「愛される国 日本」日本戦略研究フォーラム ……キリがないので、この辺で止すが、アマゾンの読者レビューで見る限り、読んだ人の評判もよくて、こうやって題名を見ていても、あるいは「なぜ中国はもうダメか」「韓国がすでにダメである10の理由」というタイプの題名が並ぶ、一方の中国や韓国についての本の題名を見ても、日本の未来は安泰で、韓国も中国もいずれは自爆するので、日本が東アジアに再び君臨する日は近いのであると思われる。 試みに「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」という本のトップのカスタマーレビューを見ると、 「『日本は世界中で嫌われて孤立している』と聞いたことはありませんか。 私は今までに何度も聞きました。特にテレビから。 それは悪い『呪い』です。 Facebookに登録して、世界中に知り合いができました。 外国人である彼らによって、私が当たり前に思って意識していなかった「日本」が、 どれほど海外で素晴らしいと称賛されているかを、思い知らされました」 と書いてある。 祝着至極、という表現は、こういうときのためにあるのだ、と考える。 ヴィルヘルム・グリムとヤーコブ・グリムが書いて、ルードヴィッヒ・グリムが挿絵を描いた「白雪姫」の王妃は、白雪姫が7歳になった朝、鏡に「世界で一番美しい女性は誰か?」と訊ねて、いつもの「王妃様に決まっていますとも」の代わりに「それは白雪姫です」という答えを聞いた瞬間に発狂したのだという説がある。 物語の筋を忘れてしまった人のために付け加えると、王妃は、物語の最後、白雪姫と王子の結婚祝いの席で、真っ赤に焼けた鉄の靴を履いて、死ぬまで踊り狂う。 英語世界でも、あまりに面白いのでひとしきり話題になったASEAN会議での秋本康と安倍晋三の蜜月関係の象徴であるお座敷芸について、バジルさん(@basilsauce)がツイッタでこんなふうに述べている。 「友人の英国人女性に見せたら「これはポルノ。アベは伊のベルルスコーニとお友達になれそうね」と言われました。@dztp これは喜び組…国辱…マジ勘弁 @kengo_man ASEANの首脳の前で披露された安倍晋三が誇る自慢のAKBショー。pic.twitter.com/54d1yjFpGM」 それに対して「京都大学大学院生」にして「オックスフォード大学学生」の「ただやす!」さん (@yasu_l) が、 「オクスフォードの友人達(院生ね)に見せたら、「日本の伝統芸能はあまりに有名すぎるし、ポップカルチャーは新しい世代に訴えるのに有効だから、戦略としては正しいんちゃうか?日本はソフト強いんだからいいだろ。見る側も機会ないだろうから面白いだろ」と返ってきた。なかなか」 と日本の人らしい間接的な反論を試みている。 どこの学寮なのか、関西弁の英語を話すオックスフォード大学の学生は珍しいと思うが、「でっちあげ」というわけではないのでしょう。 それは、この「ただやす!」という人が「確かに自分の耳で聞いたこと」なのである。 英語人としての自分の頭に聞いてみると、自分と同じ英語人がこの写真を見せられて、このニュアンスで「いい考えなんじゃない?」と反応するというのは考えるのが途方もなく難しいが、ま、ひとの言う事はまず信じてかかるべきで、そうでなければ(ただでさえ困難な)人間の言葉を使っての意思の伝達など、困難を極めることになるので、ほー、そーですか、と言って聞いておくのがよいと思う。 日本人は、いま、自分たちが置かれている現実とは思われないほどの状況に泣いているのだと思う。 泣いて、という言葉が軽みにすぎるなら、打ちひしがれ、呻いているのだと言っても良い。 そもそも自分達の社会がなぜここに至ったかも判らず、なぜ、これほど辱めをうけるのか理解できず、自分達ひとりひとりに向けられた韓国人と北朝鮮人たちの激しい憎悪や、もっと悪い事には実質的な復讐心を含む中国人たちの日本人への激しい敵愾心にとまどっているのだと思う。 「ブレードランナー」の原作の「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?」という一種偉大な小説には、そこまで無垢な魂の持ち主であるアンドロイドの女びとが、テーブルを横切る蜘蛛を摘み上げて、「なぜ蜘蛛は足が8本あるのかしら?」と訝しむところが出てくる。 「昆虫は、みな6本足なのに」と呟いて、足を2本むしりとってみる。 … Continue reading

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これから初めて逮捕される人のための初級特定秘密保護法案講座

何を対象にしているか曖昧な漠然とした法律をつくって、必要に応じて運用を厳しくして締め上げてゆく、というのは日本政府の歴史を通じての常套手段だった。 仕事に通暁した公務員には、どこをどう締めれば対象の民間が息もできなくなるか、無碍に判断できる能力が求められる。 運用の実際は考える必要はなくて最も身近なもので言えば自動車の速度違反を考えればいい。制限時速80キロの道を、どのクルマもどのクルマも120キロで走っていて、「流れに乗って」走っていると、突然、自分だけが路脇に停止させられて、「40キロオーバーですよー。はい、これが違反切符」と罰金を書いた紙が渡される。 なんでおれだけ、と運転手はふくれるが、交通警察のほうでは「止めやすかった」「ちょうど違反者をつかまえる頃合いだった」「助手席に美人が乗っているのが不愉快だった」、いろいろな理由があるのだと思われる。 特定秘密保護法案は、まず間違いなくアメリカの要求によって出来た法案だと思う。 目的は簡単に言えば「アフガニスタンでともに戦う日への準備」で、いままでのアメリカが一方的に日本を守る約束の片務軍事同盟の双務化(アメリカ市民もしくはアメリカ軍が攻撃されたときに日本側にもアメリカを助ける義務が生じる)への布石でしょう。 キッシンジャーと周恩来の会見で、日本の政治家の「おしゃべりぶり」が話題になって、ふたりで苦笑しあっているところが出てくるのは前にも書いたが、日本の政治家、それも首相周辺の「口の軽さ」は日本の政府の伝統と呼びたいほどのもので、官房に秘密を教えるのは、役人のあいだで、なるべくならやりたくないことのひとつになっている。 「溜池」には個々の情報の重要性が判別できない役人や政治家がたくさん屯していて、見聞きしたことを「ポロッ」とマスメディアに洩らす、ということが何度もあったからです。 軍事同盟を結んで共同作戦をすすめる具体的なプロセスを考えると、関与するひとびとには日米の制服組がいて、防衛省、外務省、警視庁を初めとする省庁から派遣された担当官がいる。アメリカ側からも対応する担当官が出席する。 その上に両国の政治家たちが加わって作戦が認証・決定される。 当然、秘密保護法案にも予想出席者の「嘴」がさまざまな形で突っ込まれている。 ハニー・トラップとずいぶん騒がれた時期があって、その頃、ちょうど日本に滞在中だったので調べてみたことがあったが、ハニー・トラップで漏洩した情報にはたいしたものはないようだった。 どちらかと言えば入手ずみの、例えばイージス艦の艦内の写真を見て、「ありいー? このヘンなスリットのあるボックスはなんだ? 何に使うのか見当がつかんな、ちょっと、あのXXさんんにイージス艦の将校とイッパツやって、これが何か聞き出すように言ってくれんかなあー」と注文を出して、報告を待ち、「ああ、コンドームの自動販売機なのか、なあんだ」と納得する、というようなことが多かったようです。 軍事的なスパイ情報は大半がアメリカのご本尊内部から洩れていて、その次、といっても遙かに少ない量がオーストラリアから洩れて、日本は、そこからまた桁がひとつさがって、その次、というような程度だと思う。 中国の日本での「スパイ活動」は積極的具体的に個々の情報をとってゆくよりは、「世論操作」というほうに力がこめられていて、むかしむかし、このブログ記事でうっかりリストのことを書いて、えらい怒られたことがあったが、書くほうが悪い、もうしません(^^ しかし、ずいぶん有名な名前も混じっている「既知のスパイのひとびと」も政府側はほとんど把握しているもののよーである。 自分のお縄を自分で用意するのは、マヌケな感じがするが、アメリカ側としては、ひとつには「口が軽すぎる日本の政治家」を緊張させて黙らせる、という考えがあるでしょう。 その次には政府の公務員のなかを「セグメント化」して、自由主義社会を信奉する公務員を中枢から遠ざける働きを法案に期待している。 日本の役人たちは、ただでさえ自分達のなかで「特権クラブ」をつくるのが好きで、なかなか淫靡な形で実行されているのでもあって、「上級役人の集まり」の招待を文官にだけ出す、というようなことをいまでもやる。 野口悠紀夫のようなひとたちが政府を早くからおん出てしまうことには、多少は、こういう些細だがダメージがおおきい「文系人」のやり口に嫌気がさす、という理由があるよーです。 予測できることには「東京大学法学部出身者」だけのクラブがある。 見ていて笑ってしまうのは例えば「麻布学園・東京大学法学部出身者」だけのクラブも存在することで、それならいっそ、「とーちゃんもじーちゃんもひーじーちゃんも東京大学法学部出身者である役人だけのクラブ」もありそーだが、歴史性を重視しない日本社会では、そういうイギリス式の嫌らしさは稀薄なよーです。 ほんとうは、麻生太郎や安倍晋三の「お孫ちゃんお気楽文化」を見ていると、そんなにながいあいだ賢い人間が続く家というものが存在しないのかもしれないが。 たださえクラブをつくりたがる役人に、「危ない人と付き合って秘密をうっかりもらした場合にはタイホだかんね」という石をひとつ放り込んでやると、波紋が立つどころではなくて、「危ない同僚」や「危ないOB」に対して口実を設けて会わないことにするのは公務員の習性からして明かで、これから政府内では中核的な役割から外された自由主義的な公務員の辞職が続くでしょう。 日本の政府らしい公務員「粛清」の仕方であると思う。 「特定秘密」を共有すべき立場にある職掌のうち、警察の「公安」にあたるひとびとが悪のりしだしたのにはアメリカも、ちょっとびっくりしたに違いない。 尻馬に乗って「自由主義者壊滅法案化」にのりだした。 さすがは日本が祖国のひとびと、というか、素晴らしい勘で、「この法案は危ない」と直感したひとたちが述べる事を注意して聴いていると、「特定秘密保護」を目的とした法案そのものよりも、よく訳がわからないうちに法案の目的にくっついてきてしまった「えらそーにガタガタぬかすとタイホする」のほうに感応したようで、その危惧は当たっている。 株式相場ですらそうだが、現代は実は「情報共有の時代」で、たとえば株式相場の世界では、ほんのひとにぎりの人間にだけ情報が握られていて、残りの大多数に情報が伝わっていないと、恐慌が起こりやすいことが理解されて、企業の側も株式市場へ伝えられるだけの情報を伝える努力をすることが当たり前になっている。 政治の世界でももちろんそうで1960年代の米ソ「ホットライン」に始まって、いまではアメリカ軍は、たとえば中国が尖閣問題でここまでやれば自国の海軍はこう即応して、その後、海軍をこういう海域に展開して、しかじかの攻撃をすることになる、というところまで懇切を極めた解説を中国人民解放軍に対して行う。 人民解放軍が威勢はいいのに、なかなか日本の領土にせめてこないのは、アメリカが示した予想棋譜を何度ためつすがめつ眺めても、チェックメイトされるのは自分のほうで、到底勝ち目がなさそうにみえているからで他に理由はない。 中国政府が「わたしは平和主義者ですから」と繰り返し述べるのを聴いて、ほんとですなあ、とうなづくおめでたい人は現代世界には存在しないだろうと思われる。 だから「チョー重大な特定秘密」というのは、たいていは既に公開されている戦略上の主題というようなものではなくて、ほんとうは、日本のあちこちに核弾頭が隠してある、とか、在日本駐留軍の将軍が酔っ払って日本人を強姦してしまったが内緒にしている、とか、そーゆー「自分達にとって都合が悪い秘密」が大部分になるはずで、もっと簡単に言えば、いまでも四捨五入すると存在しない日本語ジャーナリズムにとどめのひと刺しを与える、という目的があるでしょう。 記者クラブは、いまにもまして幇間倶楽部になりさがるのが決定されてしまった。 今回の一連の事象で最も興味深いのは、ついにアメリカ合衆国が日本を、たとえば「イギリス並み」の「仲間同盟国」とみなさないと決心したことが明瞭になったことで、いまの日本に対するアメリカの「同盟国」としての態度を見ていて、ホメイニ以降のイランに対するイラクのフセイン政権に対する態度や、かつての南ベトナム政府との「同盟」を思い出さないひとはいないと思う。 同じ「自由をめざす国民同士の会盟」から、日本をいちだん格下げして、「自国の世界戦略の駒」としての同盟へ切り換える決心をしたのは明かで、しつこいようだが、これは軍事的には例のヒラリー・クリントンが行った「奇妙な提案」と密接な関係がある。 ここに来てアメリカが「日本を教育するため」に片務軍事同盟に限定していた枠を取り去って双務同盟を希望しているらしいのも、同じ理由によるのでしょう。 ついでに言えば、「駒との同盟」においては相手が自由国家であるよりは形式だけは民主制でも、実質は独裁支配国家か国家社会主義国家であるほうが都合がよいのは言うまでもない。 日章旗が星条旗と肩を並べてカイバーパスに翻るのを誇らしいと思う人もいるのかもしれないが、アホらしい、というか、いまのところ確かなのは、「特定秘密保護」という名目で、まがりなりにも70年近くつみあげてきた日本人の自由への努力が、ついに日本語インターネット人の長年の宿望もかなって、所詮はアメリカの権益を守るための、しょもない戦争を共に戦うためにパーなってしまった、ということで、やるせない、というか、日本に「自由」が全体主義を国民性の足に踏みつけられたままの虫の息にしても、存在したのは短い期間だったなあー、とタメイキが出てきますのい。

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Private Universe

日本にいたときに、あるひとが「インターネットは真贋を見分ける目が大切で、それがないひとはインターネットをやってはいけないのだ」という意味のことを書いていて、読んで、大笑いしたことがあった。 チョー日本人ぽいというか、三流の骨董屋みたいなことを言うので「日本はたいへんな国だな」という印象をあらためて強くもった。 小林秀雄という人は公平に言って面白いひとで、大切にしていた掛け軸をある日じっと眺めていて、日本刀でまっぷたつに切ってしまう。 刀剣について書いていることから察して「贋物と見ていて痛いようにわかった」掛け軸を切った日本刀も贋物だったのではないかと思うが、あんまり意地悪なことをいうと化けてでるかもしれないので、止すことにする。 日本のひとほど「真贋」が好きなひとびとはいないと思う。 歴史的に言って日本の人が衒学と言っては角が立つが、ありとあらゆる細かいことにまで「これ豆知識な」みたいことが好きかというと、1945年に戦争が終わるまで、日本人は「知る事」を抑圧されてきたからである。 1945年8月までの社会は日本の社会では「知ろうとすること」は遠慮すべきことだった。「余計なことを詮索する」ことは感心できない態度だった。 政府の外交政策から農業の出来高、浜から遠望した軍艦の名前も、轟音とともに低空を通り過ぎた銀翼の低翼機のプロトタイプの名前も、まして、神武天皇がほんとうに存在したかどうかなど「知ろう」とすることはとんでもないことだった。 戦争が終わると少年誌から婦人誌、オトナの雑誌に至るまで、「雑学帖」や「ひとくち知識」が必ずコラムとして連載されるようになり、テレビでも「こんなことを知っていましたか?」というような企画の番組が流行ったのは、雑多な知識を吸収することが自由への営みと感じられたからである。 フィラデルフィアはがんばって英語っぽく読むよりも「古豆腐屋」と述べたほうがアメリカ人にはわかりやすいというようなことから天皇家の血筋には実は半島人の血が混ざっているというようなことまで戦後日本人はほぼ熱狂的に知識として吸収していったが、それは、「民主主義の明るさ」によって照らし出された、いままでどうしても見えなかった暗がりのようなものだったのだと思う。 当然、よく考えてみると何の役にも立たない知識を蓄えて行くことには自分が戦後人であることをたしかめるよすがにもなった。 知識を求めることは、どこというでもなく「自由になる」こととオーバーラップしていたのだと思う。 インターネット上の「ほんとうの」情報は何で「ニセの」情報はなにかと考えると、見ている方向が完全にピント外れであることに気が付く。 そういう見方が成り立つのは「欺そうとする人」がいて「欺されまい」とする人がいる構図があるときだけである。 ところがインターネットの思想はもともとグーグルの社是そのもの「Don’t be evil」なので、真贋を見極めなければ「インターネットをやる資格がなくなる」ようなネット世界は、そもそもネット世界として崩壊している。 崩壊している、というのがわかりにくければ、存在の意味がないインターネット世界なのであると思う。 日本語インターネット世界は伝統的現実世界の手垢がつきすぎているのではあるまいか?と、考え出したのは、だいたい、この「真贋の目をもってインターネットを見る」という噴飯物の意見を読んだことからだったと思う。 言葉が悪くてごめんごめんすまんと思うが、日本語インターネット世界がトイレ臭くて、あんまり長く滞在していると体中に臭気がついて失神しそうになるのは、インターネットの世界で名前を知られたひとびとが、インターネットには絶対に必要な向日性のノーテンキな性善説をもてなかったせいだと感じる。 英語世界でインターネットに馴染んでいる人には普通に判ると思うが、インターネットは平均的な英語人にとっては「楽しい経験をしにいくところ」である。 誤解する人がいるといけないので慌てて付け足しておくと英語世界にももちろん「真贋を見分ける目をもたなければ」バカを見るようなインターネットコミュニティは存在する。雰囲気の悪いMMOなどは戯画化された典型であると言ってもよい。 主に自他共に認める「頭がわるいひと」が集まるコミュニティに行けば「西洋人の使ったあとのトイレの臭い」を満喫できると請け合える。 でもあのひとたちは、自分でもバカなことをしていると知っているのだと思う。 ときどき日本語インターネット世界はなぜ「有効な」コミュニティを作るのに失敗したのだろうと考える。 感覚にしか過ぎないが日本の「草の根言論」はインターネットの普及とともに質が低下したと考える根拠は歴史のあちこちに痕跡が残っている。 英語世界と見較べると、その「後退」はインターネット世界を活字の世界と見誤ったことから生じているように見える。 インターネット上で、たとえばブログの形で「意見を発表」することを雑誌に記事を書いたり、酷い場合には本を出版するのと同値だと感じたのではないだろうか。 活字は沈黙がおおい世界で、(英語世界でなら)活字の世界でひとつのセンテンスの後ろに10の沈黙があるとすればブログは0.1くらいしかない。 インターネット世界とはもともと本来「批評精神」が働く時間である「沈黙時間」が極端に乏しい表現世界なのです。 新聞社サイトのような「活字世界のルールで出来ている」サイトは、もちろん異なるが、インターネット上にも「言論」があるとすれば、それはまず第一に「編集機能」という第三者による見直しと批評フィルターを経ない「無批評」のポンと出てくる情報・表現であって、次には熟考よりは知性の反射神経におおきく依存している。 正常に機能しているインターネット世界はしかつめらしくて前時代的、いかにも畳の臭いのする「個人の真贋」みたいなバカバカしい能力よりもコミュニティ全体が真贋を常識の機能によって判別していけるものでないと、そもそもインターネット上に存在するだけの価値がない。 発言者が懸命にベンキョーして、真贋を研究して、やっとものが言えるのでは楔形文字の石板は似合っても、そんなものは、オンラインで結ばれた個々人がニューロンの役割をはたすかのように情報が瞬時に伝播して、あっというまに真贋が決定してしまうオンラインコミュニティとは千光年くらいの距離があると言わなければならないと思う。 このブログ記事で何度も論じてきたように日本のインターネットコミュニティの救い難い後進性は、重箱の隅をつつきまわるようにして、あるいは教科書をなめまわすように読む頭の悪い秀才のようにして、訓詁的情熱を発揮した挙げ句、居丈高に、例をあげれば自分の生涯をかけた「いじめ研究」研究者を、ほんの二三日の俄勉強でバカにしにわっと押し寄せる軽薄な集団サディズムに典型的に見られる。 社会が、そういうサディズムを深い場所で許容していることの深刻な問題は言うまでも無い。 日本語マスメディアが完全に腐敗崩壊して「洞窟の入り口から入ってくる光」の役割を果たさなくなった以上、せめてインターネットが健全なコミュニティを築けなければ日本語が言葉として無意味な喚き声のようなものに堕ちてゆくことは避けられない。 それに、ほら、太陽を向けない植物は枯れるのですよ。 思想においても事情は同じだと思うのだけど。 (次も多分「思想の向日性」ということを考えると思われる)

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影の痛み

1 夜11時の六本木の「さくら坂」でモニさんとふざけて踊っている。 日本の人たちが人目を気にしないバカガイジンのカップルをおもしろがって遠巻きにしている。 カメラやスマートフォンを取りだして写真を撮っているひとたちまでいたから、モニとわしの姿は日本の家庭のどこかでいまでもシリコンの上の影になってとどまっているわけである(^^; 過剰な自意識をもてあます人間の聖典である「ライ麦畑でつかまえて」には、主人公の言葉使いが悪いクソガキが、この道路をぼくが渡ってゆくとして、向こう側に着くまでにぼくは消滅しないでいられるだろうか?と訝るところが出てくるが、それは、およそ人類と名前のつくすべての生き物が共有する疑問であるべきだろう。 いったい全体なにを根拠にきみは自分がたしかに存在していると思っているのだね。 なぜ、きみはそれを信じているのか。 フォーラムでジョン・タイターがつぶやいたときに、その疑問を一笑にふせたひとは考える習慣を持たないという点で健全だが、リアリティという概念を検討するという経験はもっていないひとだったろう。 人間は時間を光源にして地表にうつしだされた影に似ている。 影はうまれ、光が射すあいだはゆらめいて、やがて光が去るのと一緒に消えてしまう。 人間の一生も同じことで、ただひとつ異なるのは、傷ましいことに、この影は意識をもっている。 その意識も影の消滅とともに消えてしまうのだが。 現実の記憶なのか、「過去」というものにつきものの幻影が記憶の形をとって脳髄の表面に残像を残しているのか、もう判然としないが、かーちゃんに連れていかれた広島の「原爆記念館」で核爆発の熱風で捩れたガラス瓶の「美しさ」にたじろいでしまったことがあった。 たくさんの人間を殺して苦しめた原爆が残した造形を「美しい」と感じてはいけないのではないかと子供心に考えたが、その、かしいだ、得も言われない(非人間的であるという点で)残酷さに満ちた流線形は、あらがいようなく、美しかった。 そのときに、ふとこの世界に「神」などいないのではないかと考えた。 こんなことを考えては日曜日の教会が出す無料のハムサンドイッチと(こちらがより重要だったが)きゅうりのサンドイッチが食べられなくなるのでよくないと考えたが、そのあとまで野放図な生命力をもった熱帯性の蔓のように心に絡みつく疑問の始まりはあのときだった。 原爆記念館の出口にあったノートブックの最後のページに書かれていた 指で作ったおおきなVサインの絵と「ざまあみやがれ。おまえらがたったこれだけしか苦しまなかったことが俺は残念だ」と書いたオランダ人の「記帳」とともに、いまでも記憶に残っている。 影にも痛みがあることを知ったのは、だから日本にいたときのことだった。 この地上に長くとどまることを許されない儚いものたちにも永遠の普遍性をもつ苦しみがあることを考えたのは日本にいるときのことだった。 とりわけ日本語をひとしきりつかって考えて、ブログ記事を書いたあとに、ほんとうの筋肉痛のように痛む魂の痛さ(笑ってはいけません)にたえかねてモニを誘って、六本木に出かけた。 六本木は滅茶苦茶な町でむきだしのセックスとオカネで、ただそれだけで、壊れかけてボロくなった魂を入渠させるには良い町だった。 影の痛みのせいでいたたまれない気持ちになったのに、町そのものにまで陰翳があったのではたまらない。 そうしてモニの手をとって一緒に舗道で踊ることがあった。 モニさんの風のように軽いスカートが足のまわりでくるりとひるがえると、なんだかぼくの心も軽くなって、日本語が運んできた「痛み」を忘れ去る役にたったものだった。 2 (頼まれもしないのに)日本のことを考えると、自然と唇をかみしめて、ちくそー、と思う。 こんなバカな話があるか、と腹を立てる。 こわがることが科学的に正しくてもまちがっていても、そんなこと知るかバカめと思う。 このイナカモノ科学者めらが、自分が正しいと思うことがそんなに嬉しいのか、おまえたちの「科学」など、ただの自己満足ではないか、このクソバカタレが、こうなったら雷神に頼んでおまえらの研究室をすべて焼き払ってくれるわ、と憤る。 雷神がもしかして「いやだもん。そんなんめんどくさい」と述べたら式神を派遣してファイルキャビネットのなかにうんこしてこさせてやる、とまで思い詰める。 客観的条件(1 要するに自分と全然関係がない外国のことを自国のことのように怒っている 2 そもそも軽く一万キロ離れた土地に住んで原子炉の上に腰掛けているひとのように切歯扼腕している 3 日本語すら外国語である…等々)から考えると、無意味というか、なんのこっちゃわからない怒りだが、考えるたびにものすごく腹が立つ。 それから途方もなく悲しくなる。 こんなバカなことが現実であっていいわけはない、と思う。 You never give me your money … Continue reading

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人間になりたい

1972年のスポーツ新聞に虫明亜路無という人が、日本の戦後民主主義は「鉄腕アトム」がつくったのだ、という文章を書いている。 そーゆーことがあるものだろうか、と思って買ってみた「鉄腕アトム」というアニメDVDは、暗く、悲惨で、人間と同じ意識と感情をもちながら決して人間扱いされないロボットの絶望と苦悩を描いた、極めて深刻な物語で、これがほんとうに子供向けに土曜日の午後6時から放送されたアニメ番組だろうか、と、ボーゼンとするようなものだった。 アフリカ人の友達に会いに水戸市へでかけてみると、そこには「国際交流協会」という建物があって、さまざまな協賛企業が寄付したらしい装飾タイルに飛島建設という会社が「八紘一宇」という文字を焼き込んだタイルを献納している。 友達を待っているあいだじゅう、かつての大日本帝国が西洋世界に対抗するために発明して、いまでは当のアジア人たちから、かつての日本の残虐と傲慢、徹底的な蔑視の象徴として忌み嫌われている「八紘一宇」という言葉を眺めながら、「日本のひと」というものについて考えないわけにはいかなかった。 多分80年代頃まで、日本のテレビには、正統右翼の大立て者笹川良一自らが出演して「人類一家、世界は皆兄弟」と述べるコマーシャルが存在したはずだが、簡単に言えば、 この「人類一家、世界は皆兄弟」は八紘一宇の口語訳です。 山本五十六におもしろがられることで頭角をあらわしていった、かつての右翼青年は、岸信介(いまの日本国首相安倍晋三の祖父です)と通じて、アイゼンハワー来日の治安を守る為に「抜刀隊」を組織したり、中華人民共和国に莫大な金銭的支援を行ったりして、現代日本史の流れの舞台裏に見え隠れしながら日本の権力層に随走してゆく。 外国人で日本語を勉強する人間にとっては「笹川財団」は親しみのある名前で、海外のいまの日本語教育は、そういう文化事業にはいっさいオカネをださなかった日本という国の文化に対しては冷淡を極める日本政府の代わりに笹川良一が行った巨大な寄付がなければ存在しないものであることは誰でも知っていると思う。 日本の今の若い世代は、この国が初めてもった文明人とでもいうべき人達で、tumblrをみていると、あれほど上の世代がもてはやす安岡正篤をあっさり「俗物」と切り捨てていたりして、なんとなく読んでいてニコニコしてしまうが、安岡同様、(それが日本正統右翼のひとつの特徴で)詩的跳躍がまったくない魂の持ち主であったものの、「八紘一宇」は、あとに軍部や卑しい欲望を美辞麗句で固めてアジアから利を貪りつくそうとした日本指導層とは異なって、(ちゃっかりと自分の財布に拾ったオカネを放り込んでしまうのは忘れなかったが)笹川たち大アジア主義者の実際の信念だった。 「太平洋戦争は白人の有色人種差別に対するやむにやまれぬ防衛戦争だった」というふうに大アジア主義に基づく戦争解釈が人種差別の戦いへと矮小化されてゆくのはずっとあとのことで、当時の日本人は「白人と日本人がこの世界のふたつの優等人種だ」という明瞭な意識をもっていたようにみえます。 「白人たちによる日本人の劣等民族視」という意識は、どちらかというと戦争にぼろ負けして、どこからどうみてもパーにしか見えないGIとその家族に犬なみに扱われたことから生じた意識であるようにおもえる。 敗戦の結果、戦前の「アメリカ人、ドイツ人と肩を並べる優等民族」という固い信念から一気に「欧州人種と同じ人間であると妄想した頭のおかしなアジア人」の立場にまで自分達の意識の上で転げ落ちた日本人は、現実には自分達の仲間が戦場で行った蛮行への反応にすぎないことが多かったアメリカ人たちの日本人への軽蔑と憎悪を伴う反応を、根本的な人種の優劣の問題と受け取って、ある意味においては哲学的な苦境へ陥っていった。 もともと自分達自身が「人種の優劣が存在する」という前提に立って、「自分達は優等民族である」と規定していたことが、そもそもの苦しみの源泉であったのが、当時のいろいろなひとへのインタビューを読むと見てとれる。 手塚治虫の「鉄腕アトム」は、初め「アトム大使」で企図されたファンタジーから、弱さも人間と同等の感情もあるロボットという設定に変えたことで、作者自身が意図しなかった世界へ踏み込んでゆく。 後半になると、市民権を求めるロボットたちの側に立つか、「人間の番犬」と罵られながら人間の正義と善良さを信じて本来なかまであるロボットたちと戦うか、というような物語が多くなってゆく。 虫明亜路無が「鉄腕アトム」のなかに見たのは、アジア人でありながら、アメリカ人の側に立って、アジア世界と敵対する日本の「戦後民主主義」の姿でした。 日本人を決して自分達と同じ人間と認めていない、という西洋人たちに対する根の深い疑惑に戦後日本人は終始悩まされていた。 一方で、西洋的人文の価値や自由の価値を信じ、共産中国に代表される主人公を変えた「新・大アジア主義」と対立して、日本人は明治以来自分達が信じてきた西洋由来の「文明」を信じようとした。 日本の戦後を通じて、さまざまな日本人が西洋に対して発した「わたしたちは人間ではないのか? きみとは違う生き物なのか?」という叫びは、多分、これからの歴史の上でも、ただ日本人だけが、ほんとうの気持ちを理解できる痛切な響きを伴っている。 自分は人間ではないのか? という問いこそは、日本人が西洋文明に対してもっている最も本質的な、それだけに強烈な痛みを伴う問いであると思います。 アニメの鉄腕アトムは、陰惨すぎる、と作者自身が述べた原作の最後と異なって、太陽の活動を抑制するためのロケットを制御するために太陽のなかへ消えてゆく英雄的なアトムの姿で終わる。 現実世界の鉄腕アトムたる日本人は、ほかのすべての現実と同じく、英雄的な輝きも自分達を看取るたくさんのひとびとの涙もなしで、あれほど自分達を苦しめた人種差別がほぼ消滅した世界のなかで、ただ自分たちの固有の信念のようにして「人種差別がはびこる世界」を妄想して、日本語世界のなかに閉じこもってしまっている。 小さな単座単発機に乗って南太平洋の海と空以外はなにもみえない戦場を何百キロも孤独に苦しめられながら飛んで死闘した少年兵たちや、万策がつきて塹壕をとびだして「バンザイ、バンザイ」と絶叫しながら機関銃になぎたおされて死んだ若者たちの死体も歴史記憶の後景に退いて、同じアジア人同士のいがみ合いに明け暮れている。 日本のひとたちが、砂浜に勢揃いして立って、遠くの過去を眺めているのが目に浮かぶような気がする。 せめても、日本人が人種差別の悪夢のなかで見た「戦後民主主義」という儚い夢をどこかに記録しておかなければ、と思う。 もう、誰も日本人たちが立っていた場所に帰って来はしないだろうから。

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足首にからみつく髪の毛

成田空港のJALで携帯電話のレンタルを申し込んだ人が手続きのめんどくささにうんざりして、「どうして、こんなに書類を書かなければならないのか?」と訊いたら、中国の人で悪い人がいっぱいいるから仕方がないのだ、とJALの社員が言い訳したというので大笑いしてしまった。 中国の人は便利に使われて気の毒だが、他に言いようがなかったのでしょう。 「めんどくさいことはやらない」ということは、いまの世界を生きる人間にとっては美徳とまでは言えないかもしれないが、あたりまえのことにしかすぎない。 同じことをするために3クリックが必要なサイトは1クリックですむサイトに敗北するし、紙書類に住所・電話番号・国籍…と延々と書かせるレンタル携帯電話店は自動販売機でクレジットが購買価格の80%付いてくるプリペイド電話ビジネスに負ける。 1クリックですむはずの取引に3クリックかかるのは、「間違いが起こらないようにするため」であることが多いが、1クリックで起きる間違いに対応できるシステムを工夫しなければ、そもそもビジネスとして成功しないことには頭がまわらないらしい。 実質を伴わないことや思ってもいないことを相手を喜ばせるために口にしたり、本質と関係ないことをただ場をやわらげるために述べたりする人を英語ではrubbish talkerという。 「rubbish」はもともとゴミのことで、だから、rubbish talkerというのは「実のないことばかり言う人」で、それまで言われるままにじっと我慢して区役所の係員から渡される書類の山にありとあらゆる宇宙の事象を書き込まされていた妙にでかい流暢でなくもない日本語を話すガイジンが、突然、ペンを放り投げて、「こんなrubbishは、もうたくさんだ」と言って、唖然とする区役所のひとびとを尻目にすたすたと歩いて区役所を出ていってしまったりするときも、そーゆーときのrubbishは「くだらないことばかりさせやがって」という意味です。 日本にいるときに、へえ、と思ったのは、 「もちろん意見が違うひともいるわけですが、私は、いまの政権は少しヘンではないかと思います」というような言い方をする人がたくさんいたことで、なかなか不気味な体験だった。 「意見が違う人もいる」のは当たり前だからで、なぜ、そんなことをわざわざ枕詞のように文の頭にくっつけるのかという理由を考えると、社会全体がホラー小説に出てくる架空の共和国かなんかに似たチョーホラーな仕組みなのがわかるからです。 英語人なら「いまの政権はヘンだぜ」と簡潔に言う。 「もしかすると私が間違っているかもしれませんが」 「100%たしかとは言えませんが」 「これはぼくの独断と偏見ということになりますが」 いずれも同じで、薄気味が悪い、と思う。 のみならず、ツイッタにも書いたがコンドームを2枚つけなければどうしてもセックスできないボーイフレンドのようで、鬱陶しい。 わしなら、そういうボーイフレンドは願い下げであると思う。 (譬えが下品でごめんなさい) 念には念をいれて、念念には念念念をいれて、ありとあらゆる無駄なことをやらせる割には、まんなかのところではマヌケなくらいの大穴が開いていて、例を挙げれば、不動産取引で、さんざん訳の判らない書類を読まされたあと、「じゃ、こことここに捨印を捺して」というが、日本の法律では、あの「捨印」を捺した契約書を持っている側は、契約を自分の好きに書き換えて捨印を、その承認であると主張することが出来る。 あるいは、契約が合意されて、銀行へ向かうと、バンクチェックで簡単に支払ってしまう場合もあるが、たいていは、そこには銀行支店長と司法書士が座っていて書類をチェックして、では現金の授受という段になれば金銭を受け取るほうが振り込み用紙に支払う側が注視するなかで金額を書き込むという習慣になっている。 「間違いを防ぐ」というためには経験的な知恵に裏打ちされた方法だと思うが、しかし、領収書の受け渡しに至って、「あのお、申し訳ありませんが、2億5千万と2億6千万のふたつの領収書にサインして欲しいんですが、いいですか?」 という。 いいですか? って、いいわけがないので、なぜでしょう、とやや怖い顔をつくって言うと、銀行の融資は2億6千万円だったので、実際の買値の2億5千万円の領収書とは別に銀行に「見せるために」融資額丁度の領収書がいる、という。 買い手は義理叔父の旧知でもあり、めんどくさいから二枚領収書にサインしたら、この人は親切な人で、「じゃあ、こうします」と述べて、目の前で銀行用の2億6千万円の領収書のほうは破ったが、銀行員たちも見ている前だったので、銀行のほうも要は「書類を整える」だけが目的だと見当がついた。 「大量にある些末なこと」が、どれほど社会の変化の足をひっぱるか、という話をしようとしている。 念には念を、念念には念念念を、念念念には念念念念念を、と無駄な「ダイジョブ固め」をしているうちに、社会がほんの少しでも変化すると、稠密な整合性が崩壊して無茶苦茶なことになる。 外国人が日本に居住するときには本名と通称を用いる。 本名はパスポート通りだが、たとえばアラビアの人やタイの人だと、大半の日本の人には、そもそも発音の手がかりすらつかめないので、「大庭亀夫」というような雅な日本名をつけて通称にして良いことになっている。 かーちゃんシスターが日本に来たとき、通称をセシリア・ファーガソン・ルイーズ(←仮名)という本名のカタカナにしたかったが、当時のコンピュータのバイト数制限で、 「セシリア・ファガソン」でないと入らないと言われた。 ファガソンなんて、ファガファガな歯が抜けたばーちゃんが株で大損をこいてしまったようなヘンな名前は嫌なので、義理叔父の姓をくっつけて「島津セシリア」にしたそーです。 ところがところが。 いざ義理叔父が家を売るというときに家の所有権を二分の一ずつ持っている義理叔父のほうは問題がないが、かーちゃんシスターのほうは謄本がセシリア・ファーガソン・ルイーズなので、印鑑証明の印鑑にある「島津シス」が使えない。 セシリア・ファーガソン・ルイーズの、部分しか登録できなくて、「セシリア」という印や「ルイーズ」あるいは、「セファ」でも「シリア・ファ」でも、なんなら「ファ」だけでも登録できるが、普通の日本の習慣である旦那の姓を用いた通称では自分が自分であることを証明できない。 民主党政権のときに、やっと外国人にも住民票が出来て、日本の人にもガイジンに対する慈悲心が芽生えたのか、多摩川に迷い込んだオットセイと同じ程度の人権は認められたが、そのときに制度を変えたのがものすごいことになった理由だそうで、なんだか、よくわからないが、苦労したよーでした。 いつか内藤朝雄が「ツイッタで正しい情報も誤りが含まれる情報も重要で緊急と思われるものはとにかく皆でRTのリレーをしていって、皆で信憑性を検討する、というような仕組み(あるいは合意)をつくる必要があるのでないか」と述べて、冷笑が趣味の「例の一団」の人達から盛んに冷笑と嘲笑を浴びていた。 わしも、うっかり「それは、無理なんでわ」と朝雄さんに返答してしまったが、考えてみれば英語の世界では別に朝雄さんが提議しなくても、初めからSNSはそういうもので、「福島第一発電所事故の漏洩放射能のせいで突然変異が頻発!生命の危機か!?」というガメラの写真付きの「ニュース」や、ニュージーランドの風光明媚な砂浜に方角の感覚を失って無惨に打ち上げられた鯨たちの死骸の画像を記事の先頭に貼って「福島事故の汚染水垂れ流しで殺された鯨たち」というツイートはいまでも流通している。 そういう虚偽のニュースはどうなっていくかというと英語世界では「インターネットコミュニティ全体の常識」によって選択されて葬られていくので、信憑性がブラック&ホワイトではないというか、グラディエーションがかかっているなかで、「ダメぽい」「ほんとポイ」のいろいろな判断があって、「これがたしからしい」というソースや個人が決定されてゆく。 … Continue reading

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ぎくしゃくした流線形について

オークランドの空港ではパスポートコントロールで、団体なのでしょう、日本から来た観光客のひとびとが、どんどん「オーストラリア・ニュージーランドパスポート所持者用」と書いた列の先に「こっちが空いてる!」という声とともに割り込んで来てしまう。 わしがびっくりして見ていると、「イズ・ジス・オーケー?」と言って、一応、聞いてみたりしている。 別に呆れているわけではなくて、もう列をなして居並ぶオーストラリア人やニュージーランド人たちの列の前の、定められた線よりも前に出たところに走り込んでしまっているのに「いいですか?」と聞かれても答えようがないので、黙っていると、「オーケーだ」という意味に受け取った様子で、おばちゃんたち5、6人でさっさとパスポートコントロールのおっちゃんの前に群れをなしてしまった。 特にわしだけではなくて、ニュージーランド人たちもオーストラリア人たちも、文句を言うわけでもなく、おばちゃんたちを眺めています。 ブースのなかの検査官も咎め立てをするわけでもなく、淡々と旅券を処理している。 日本から団体観光客が来たときの「いつもの光景」なので、特に格別の違いもない、ということなのでしょう。 おばちゃんたちは、おもいおもいの英語で、ありったけの英会話力を試して、満足気に出口のところに固まって立って友達がブースを通過するのを待っている。 ニュージーランド人が通れないので、おばちゃんたちがどいてくれるのをジッと待っている。 そのうちに気が付いた添乗員がとんできて「通路を開けてください!」というと、 見事な素早さでパッと道をあける。 ニュージーランド人の家族が通り抜けてゆく。 トローリーを押して廊下を塞ぐようにして歩いていた日本人の親子連れの娘のほうが突然止まる。 後ろから矢張りトローリーを押して歩いていたアメリカ人の若い男のひとが止まりきれずに、ほんの少し40代くらいに見える娘の左足の踵に、ぶつかるというほどでもなく車輪が触れる。 若い男は西洋の礼儀に従って日本語で「大丈夫ですか?」と訊く。 見ていて驚いたことには、この40代半ばの女のひとは「痛ああああー、大丈夫なわけないけど、大丈夫にしてあげないとしょうがないのか」と言った。 アメリカ人の若い男のほうは明らかに日本語が理解できるので、一瞬、(怒りで)顔を真っ赤にしたが、すぐに自分を取り戻して、黙ったまま親子連れの横を通りぬけていった。 見ていたわしには直ぐ判った。 多分、アメリカ人の男も理解したと思うが、女の人は「大丈夫ですか?」とアメリカ人が述べたのを日本の人流の解釈で自分の非を認めたものだと受け取ったようでした。 横で見ていたわしには親子連れの唐突な行動のほうが危険だったが、本人たちは自分達が非を犯したとは思っていないようだった。 東京にいるときモニが歩いていると目の前(というかモニはたいていの日本の人よりも背が高いので現実的に描写すれば「目の下」だが)、ほんの10センチくらいのところを、すり抜けるように横切ってゆく日本のひとたちによく驚かされた。 頭では日本の社会では失礼なことでないと判っていても、感覚的にはどうしても異様で、慣れることが出来なかった、とモニさんはいまでも思い出しては、よく笑っている。 狭い舗道を右に左にゆらゆらしながら歩く癖のある人たちや、道いっぱいに広がって、昼食のあと、オフィスに帰っていくサラリーマンたち、「習慣の違い」というものは、最も克服できない違いだったと思う。 ひとつの規範が壊れて、新しい規範ができるというのは実はたいへんなことなのだと考えることが日本にいるときには、よくあった。 明治維新と名前の付いた日本の近代化運動の推進者たちには、やらなければいけないこと、変革しなければならないことが多すぎて、洋服を仕立てたり、ナイフやフォークの使い方をおぼえこんだりはしても、その洋服を着てどんなふうに歩くのが見栄えがいいのか、ということまでは頭が回らなかった。 ナイフやフォークを上手に使えるようになっても、そのあとに「舌鼓」を打っては、その粗野さに、まわりの人間は飛び上がるほどびっくりする、ということまでは考えがいかなかったように見える。 むかし、ファーストクラスで、機内を満たすエンジン音にも負けず、まるで一種の嫌がらせのためにつくった打楽器のように、くっちゃくっちゃくっちゃと音を立てながら食べては、ここぞというところで強勢の舌鼓を打ちながら食べる日本人の役員風のおじちゃんがいて、耐えかねたイギリス人のじーちゃんが「あれはなんぞ」というようなことを乗務員に小言を述べていたが、小言を述べるほうが間違っている。 黙ってヘッドフォンをつけて、映画でもみたほうが礼儀にかなっているのは言うまでもない。 習慣の違いに不平を述べ立てても仕方がないからです。 畳の上に座る生活でXの形に曲がった足や、その逆にOの字の形に曲がった足は本来着物を着ていれば見えないことに気が付いたのは、日本の滞在が終わりに近付いた頃だった。 笑われてしまうだろうが、その頃のわしは、日本の人が(たとえば日本料理の盛りつけを見れば直ぐにわかる)折角の美的センスをファッションに工業デザインに絵画に文学に発揮しても必ず袋小路に行き当たってしまうのは、細部を省みる余裕がなかった明治の「ご一新」の後遺症なのではないか、と考えるようになっていた。 社会全体の西洋化が観念的で、というよりも粗筋だけの物語じみていて、たとえばテーブルの上におかれたシングルモルトのウイスキーのグラスに差し出される手は、もともとは武骨なおおきな手でなければならないが、そうでない世界がアジアの東のはしっこにあらわれて、製法だけは素晴らしい次元に達しても、大きなあたたかい手のひらにかわる、日本の人の、男でも薄い繊細な手のひらにしっくりくるウイスキーの飲み方は、ただのいちども発明されないままであったようにみえる。 模倣が簡単でない、というのは、たとえば科学技術を学んだ人間には直ぐに直感的にわかることであると思う。 本質を理解しなければ模倣が生産性につながることはありえない。 ずっとむかしトヨタのハイラックスに瓜二つの中国の自動車会社がつくった4駆が、エンジンの出力が小さすぎて、悪路をおし渡るどころか坂があがれないので笑い話になったことがあったが、中国人は昔から「模倣」が歴史的に下手な民族と思う。 勘所をつかめないまま模倣をしては失敗するので、中国人はサルマネをする、と言って世界中のあちこちで失笑されることになった。 一方で、わしが小さいときにはまだ陰口を利かれていたと思うが、いまの日本車を見て「サルマネ」という人はいないだろう。 相手の技術を盗むのはいまでもやるが、日本の会社はお行儀良く黙っているだけでメルセデスやBMWが日本の会社から盗んだ技術は小はカップホルダーから大はディーゼルエンジンの噴射プログラムまでたくさんある。 お互いさまで、そういうことを殊更に「模倣」と言った立てるのは下品というものである。 模倣の神髄は「本質をつかんでコピーする」ことにあるが、そのためには相手の製品の形の裏にある楽屋裏はもちろん、それを支える物理や数学や化学を基礎から理解できなければならない。 日本人は短期間に要領よく西洋の技術文明を呑み込んで消化したが、「要領」を使えば「どうでもいいところ」は全て捨てざるをえず、細部に宿った魂はあらかた捨てることになることの深刻な帰結を予測できなかった。 … Continue reading

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よろめく隣人

習近平が期待を遙かに下回る能力の持ち主であったことは日本にとって厄災であるとおもう。 ツイッタでも書いたがいかにも異様な防空識別圏(ADIZ)の設定は、中華民国時代以来、外交に巧みなことで知られてきた中国としては信じがたいほどの愚かな外交政策/国家戦略だった。 直截のターゲットである日本の驚愕は言うまでもないが、中国にとっては「日本の向こう側にいる真の敵」であって、日本の同盟者であるアメリカにとっても、あるいは中国との苦しい、綱渡りに似た協調外交をスタートしたばかりの韓国にとっても「晴天の霹靂」であるのが見てとれる。 結局、唐突な防空識別圏の設定で利益がある国は中国自身を含めてひとつもなく、関係諸国のすべてにとって不利益しかない決定を世界の注視のなかで大きな身振りで行う、という国際政治上の大恥をかいて、しかもひっこみがつかなくなる、という、外交上、これ以上ない大失敗を中国は演じることになった。 通常、ひとつの国が外交上の計算を忘れて、あるいはおおきく計算を誤って、周囲を唖然とさせるような対外政策を打ち出すのは後ろに国際政治に関しては観念的で幼児的な理解しかもたない軍部の圧力が存在するからで、中国の決定も人民解放軍に対して習近平が指導力を失っているからだと推測される。 中国の政治的特徴は共産党の一党独裁によって経済と軍事力のふたつのおおきな対外影響力を完全にコントロールする体制であることだが、習近平は経済についても軍事力についてもコントロールに失敗している。 胡錦濤と比較して「際立って」という言葉を使いたくなるくらい能力の低い独裁者であることが誰の目にも明かになってしまっている。 もう何度も記事に書いて読み飽きていると思うが、朴槿恵も習近平も、悩みの種は主にインターネットの普及によって急激に圧力を増す自国民の「自由への希求」である。 あたりまえと言えばあたりまえだが社会のさまざまな自由を封殺することによって成り立っている社会では国民が自由を求める強い気持ちそのものが社会保障にとって脅威なので、政治的な姿勢として「内向き」になるしかなくなってゆく。 国民的アイデンティティの拠り所が「反日」である韓国や、日本の侵略が国民党を台湾に放逐するおおきな力となって以来「排日・抗日」が国家的原動力となっている中国においては「内向き」になることと日本への国家的憎悪を強めてゆくことは等号で結んでもよいくらい等価であるのは、ほぼ自明のことにしかすぎない。 経済で協力しあうために右手で握手しながら左手では相手の頬をはたき足で相手の脛をけりあげる中国と日本の関係は、中国人のひとりひとりが自由を手にするまでは変化することはない。 歴史的に国家に対して従順で個人の自由が制限されることをさほど気にしない日本人と前漢の時代からわがまま勝手で万力でしめあげなければ独裁者の顔におしっこをかけて手をうってはやしかねない「野放図」という表現がぴったりきそうな中国人とでは個人が自由を求める気持ちの強さがまるで異なる。 政府が政治的集中力のすべてを集めて国民の自由への希求を圧殺するのは中国政府にとっては常に焦眉の急である。 日本への憎悪を失えば国家がなくなってしまうのです。 鎌倉時代以来、日本という国のアイデンティティは「中国ではないこと」だった。 半島人が率先して「中国人よりも優秀な儒教の民」であろうとしているときに日本人は(儒教ではタブーの)諸肌を脱いで、その後、東アジア全域で日本人の暴力性の象徴となる日本刀を陽光に燦めかせながら中国の海岸を荒らし回った。 中国人が厭う「胡服」を着なければ不可能な乗馬の技術が支配層の必須技術だったとこにも日本人が中国とはまったく異なる文明を築こうとした意地のようなものを感じる。 同じように中国文明と異なる文明を築いて対峙しようとした民族にベトナム人があるが、こちらは文明的に近すぎて、うまくいかなかった。 ベトナム人の友達が胸をそらせて「これを見ろ、ベトナム人がいかに中国人と異なるかわかるだろう」とみせてくれるものは、ことごとく、残念ながら中国の地方文化のようにみえてしまう。 半島にいまでも命脈をたもっている儒教的な両班人倫理のような剛直かつ垂直な個人としての行動規範を日本人がもたないのは集団主義の伝統によるよりは儒教の否定に立つ、文化的な防衛姿勢であるようにみえる。 清帝国までの中国は、それほど真剣に膨張政策を考えることがなかった。 長いあいだ西洋的な「国境」という概念すらもたない、自分の国一国をそのまま全宇宙であると考える中国人の政治的思考の癖は、「中国」を言語と文化を共有する地域という緩いまとまりをもって定義する習慣を育てた。 現代に至って中国が歴史上初めて異なる文明圏へ積極的に膨張政策を採り始めたのは、ずっと遠くの未来まで考えて自分の安全を図っておこうとする中国人のもうひとつの思考の癖によっている。 「未来」というときの具体的な時間的長さにおいて中国人は欧州人や日本人に較べてずばぬけて遠い未来を考える。 欧州人が30年先を考えて行動するのに較べて中国人は100年先を見越すだけの違いがある。 そうして30年先を見ている人と100年先を心配する人の頭のなかの未来図でおおきく存在感が異なるのは「資源」なのであるのは、割合簡単に理解できる。 タイランドの「タクシン派」がほぼ中国政府の代理勢力であるのはタイ人の友達がいる人は皆聞かされて知っていることである。 ここに中国の代理勢力をつくっておくことにはメコン川の支配という大事な意味がある。 この地域最大の大国であるベトナムが官僚主義に足を引っ張られて思ったほど成長しないいまが中国にとってはおおきなチャンスである。 日本の人は「台湾は親日で、」という話が大好きだが、台湾に長く住んで、その情緒を共有する人は余程おめでたい人で、前にも何度か書いたように、日本の人は台湾人と中国人が同じ言語・文化を共有しているということの深刻な意味を軽視しすぎている。 中国本土人や台湾人と話してみると、日本の人が考えたがっているよりは、台湾人と本土人の愛憎に似たお互いへの感情は、もっと、ずっと深いところで絡まり合って、当人同士には不可視な様相をもっている。 2010年の尖閣諸島をめぐる反日デモの直前に中国に行った日本の人が「日本で言われるような『日本人憎悪』みたいな雰囲気はなくて、特に電車のなかでは、子供が可愛いらしくて、子供を立たせているなんてとんでもない、わたしのこの席に座りなさい、で争って親切にしてもらってびっくりした」と話していたが、一方では、尖閣諸島は中国のものだというビデオが街中のそこここに流れているので驚いた、と感想を述べていた。 尖閣諸島は中国のものだ、というビデオは、実際、ニュージーランドでも中国料理屋の大画面TVや、そこここで流れている。 中国人たちの店が軒を並べている通りに行けば、一軒か二軒は動画を流していて、日本と中国の空軍戦力の比較や、アメリカ極東軍との勝敗予想まであって、なんだか、もう戦争がとっくの昔に始まっているような雰囲気を醸し出している。 どうやら世界中の中華街で流れているようで、中国政府は最近、アメリカを始めとする英語圏のメディアにダミー会社を通じて大量の投資を行っているのでもある。 そうやって、すでに日本との戦争が始まっているかのように雰囲気を盛り上げているところに、無茶な防空識別圏の設定という致命的な失敗を犯したので、戦前の日本と同じというか、日本との開戦の可能性は、そもそも自分が言い出しっぺの人民解放軍自体がアメリカに抗して、戦闘を短時間で勝利のうちに収める自信がないために躊躇しているだけで、かつてないほど開戦の危機は増加していると思う。 いっぽうで安倍政権という日本から一歩でれば「極右政権」が通り相場の政権が日中戦争の抑止力として働いていることは、疑いがない。 こういう戦争の危機が切迫した問題にあるときは宥和的な政権のもとにあるほうが偶発的な戦争は起こりやすい。 安倍政権のように「危ない」政権が相手のほうが開戦の決断はしにくいのが現実の政治のおもしろさであると思う。 胡耀邦の時代に、日本の中曽根政権は胡耀邦の面子をつぶして、結果として反日をアイデンティティの軸とする勢力に中国を委ねることに手を貸すことになった。 … Continue reading

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ライスカレーを、もう一杯

部屋を片付けていたら銀座のすき焼き料理屋のレシートが出て来た。 吉川英治が筆をふるった屋号で有名な店です。 すき焼きが二人前で32000円 追加肉が16800円 玉子400円 ワインが10000円 サービス料5920円 席料6000円 で合計が71120円 消費税が3556円ついて、合計が74676円 と字面を見ているうちに、その晩のことを思い出した。 霜降り肉があんまり好きでないので「赤身肉」のコースにしたのに、まだ牛脂の脂肪がたくさんはいった肉で、「どひゃっ」と内心で思ったが、おもいのほかおいしくてモニとふたりで、おいしいものをおなかいっぱい食べた人の楽しい気持ちで、にこにこしながら、すき焼きって、おいしいねえー、ねー、と帰りがけに話したのだった。 ふたりで食事をして70000円を越えてしまうのでは、高くてあんまりな感じがするが、為替の知識を応用して円をスターリングに翻訳して計算してみたり、頭を巡らせて、考えてみると、いまの世界では、どこの大都市でも同じで、東京だけというわけではないので、「ぼって」いるわけではない。 6個320円のタコ焼きも70000円のすき焼きも同じようにおいしくて、行きたいほうにいけばいいだけ、ということなのでしょう。 食べ物と値段の関係はおもしろい。 ニュージーランドのネルソンという町の海辺に行くと、タイ版スープカレーの巨大な丼のなかに、欧州の小ぶりなミュール貝とは異なる、でっかいニュージーランドのミュール貝が20個ほどはいった食べ物があって、ときどき思い出すと、オークランドからボートでクック海峡を渡ってでかけたくなるが、これは12ドルで、いまの為替レートだと1000円ということになる。 ネルソンはなにしろ風景が綺麗なところなので、夏の、なんだか非現実じみた美しさのマルボロの入り江を眺めながら、テラスに出たテーブルでよく出来た料理を食べる楽しさを考えると安いと思うが、ニュージーランドの食べ物の値段のつけかたがヘンなのはトップノッチレストランでも同じ料理が同じような量で12ドルなことで、ニュージーランド人は外食の歴史が浅いせいか、レストランの雰囲気やサービスによらず「食べ物の質」だけで値段を決めている気がする。 インド料理になると、もっと顕著で、「オー・カルカッタ」のような内装やサービスが売り物のレストランでもインド人街の屋台じみたカレー屋でも、どっちで食べてもカレーは同じ値段なので、というのはつまり京橋の「伊勢廣」で焼き鳥を食べても有楽町のガード下で食べても値段が同じであるようなものなので、理屈として合っているような、話が根本から間違っているような、奇妙な気持ちになって、頭がぼんやりする。 ロンドンは高くなければ不味いという点で明瞭な町で、ふたりで1000ポンドくらいもださないで「ロンドンにはおいしいものがない」と言っても、ある種のロンドン人になら「なるほど」と言われて憐れみの表情を押し殺した、くだんの、そういう種類のイギリス人だけが持つ奇妙な表情に遭遇するだけであると思われる。 東京は、ロンドンのようなオカネと味の関係が明快な町とは大きく異なって、安いのにおいしい店があるので、とても困る。 いやラーメンだ、というひともいるだろうが、あいにくラーメンは苦手なので、東京で「安くておいしいもの」の筆頭はカレーライスとおもう。 成田のANAラウンジのカレーライスはおいしいので、成田空港の位置から言ってきっと東北の米を使っているに違いないと考える放射脳ガイジンどもを「食うか食わざるか」という疑問で煩悶させるが、銀座の泰明小学校の近くにある、名前を忘れてしまった蕎麦屋のカレー丼であるとか、神保町の中華料理屋「月世界」、あるいは、いっそ、お腹が空いたのでクルマを駐めて東戸塚の近くの名前がもともと不分明な定食屋で食べたというだけの「カレーライス」であるとか、あの、スパイスの味なんてほとんどなくて、頼りない、自己主張がはなはだしく小さいカレーライスを思い出すと、なつかしくて、日本へ行きたくなる。 以前に、義理叔父にカレーライスとライスカレーはどう違うのか、と訊いたら、「500円以下がライスカレーで、それより高いのがカレーライスさ」という明快な答えだったが、ほんとかどうか知らない。 カツカレーというへんてこな食べ物が好きで、日本で食べた味を思い出して、ときどき自分でつくってみるが、最近は腕があがりすぎて、日本の食べ物屋で食べていたカツカレーよりおいしくなってしまって残念であるような気がする。 味が上品すぎて、箱根富士屋ホテルのカツカレーを出前で食べているような親和のない上滑りな感じになってしまっている。 そういうことでは困るので、カツカレーは700円で70000円のすき焼きとは異次元の幸福をもたらすからカツカレーなのであると思う。 カツカレーの幸福には、ほんとうは値札をつけることが出来ないのではないだろうか。 すき焼きに支払うのとは異なって、おいしいカツカレーを食べたあとに置いていくオカネには、どことなく「幸福」という本来オカネで買えないものへの喜捨じみたところがある。 ニュージーランドで最もおいしい牡蠣の「ブラフオイスター」は的矢牡蠣などよりもずっと小粒で、小さな小さな牡蠣だが、フライにして、タルタルソースや、ニュージーランドでも普通に売っている「ブルドッグ中濃ソース」をかけて食べると、東京のことを思い出す。 このブログ記事に何度も出てくる「おばちゃんの定食屋」に行くたびに、季節には、「ポークソテー定食」を頼んでも「豚生姜焼き定食」を頼んでも、「ガメちゃん、いくつ欲しい?」と訊いて、4つか6つか、広島のどこかで穫れたブラフオイスターのように小さな、味までそっくりな、それがおばちゃんの癖で、焦げ茶色に近くなるまで揚げた牡蠣フライをただでつけてくれて、あの牡蠣を食べるたびに、いったい自分はこの国でなにをしているのだろう、こんなことをやっているのはやめてニュージーランドに帰りたい、と思ったものだった。 せっかく日本語で書いているのに、言葉で言い表せない、あの日本のひとのさりげなくて自然な、まるで宇宙が自分に対して持っている愛情を人間の所作に置き換えて表現してでもいるようなあたたかさを思い出す。 いま書いていて気が付くが、以前にはまたきっと戻ることがあるから、と考えて名前を伏せて「おばちゃんの定食屋」と書いていたが、ほんとうはもう実名で書いても何の変わりもなくなってしまった。 おばちゃんの定食屋には壁に、おばちゃんの誇らしさがいっぱい詰まったような「当店のお米は新潟産コシヒカリを使用しております」という筆で書いた張り紙がある。 それを見て、「新潟のコシヒカリなら、そんなに汚染されてないな」と思うような客としておばちゃんの店を訪ねるのは、気持ちが嫌でもあれば、行為として悲惨であると思う。 だから、もうきっと、一生あの店には行かないだろう。 銚子のおいしい秋刀魚がはいったから、食べていきなさいよ。 ガメちゃんが来たら食べさせようとおもってとっておいたのよ、と述べて、 どうせオカネを受け取ってくれるわけはないまま出してくれた秋刀魚を黙って手をつけないままカウンターに残してしまう勇気は、どんな人間にもあるわけはない。 自分が訪問する国が書き込まれた、日本という存在が欠落した地図を頭のなかに広げてみて、こんなことが現実に起きることもあるんだなあー、と呆然とした気持ちになる。 死んでしまって、もう会えなくなった友達を思う気持ちは、こんな感じなのだろうか、と自動的に考えている自分を発見して、もうそんなふうにしか考えられなくなってしまっているのか、と自分自身の感じ方に驚いてしまう。 … Continue reading

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