ぎくしゃくした流線形について

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オークランドの空港ではパスポートコントロールで、団体なのでしょう、日本から来た観光客のひとびとが、どんどん「オーストラリア・ニュージーランドパスポート所持者用」と書いた列の先に「こっちが空いてる!」という声とともに割り込んで来てしまう。
わしがびっくりして見ていると、「イズ・ジス・オーケー?」と言って、一応、聞いてみたりしている。
別に呆れているわけではなくて、もう列をなして居並ぶオーストラリア人やニュージーランド人たちの列の前の、定められた線よりも前に出たところに走り込んでしまっているのに「いいですか?」と聞かれても答えようがないので、黙っていると、「オーケーだ」という意味に受け取った様子で、おばちゃんたち5、6人でさっさとパスポートコントロールのおっちゃんの前に群れをなしてしまった。
特にわしだけではなくて、ニュージーランド人たちもオーストラリア人たちも、文句を言うわけでもなく、おばちゃんたちを眺めています。
ブースのなかの検査官も咎め立てをするわけでもなく、淡々と旅券を処理している。
日本から団体観光客が来たときの「いつもの光景」なので、特に格別の違いもない、ということなのでしょう。
おばちゃんたちは、おもいおもいの英語で、ありったけの英会話力を試して、満足気に出口のところに固まって立って友達がブースを通過するのを待っている。
ニュージーランド人が通れないので、おばちゃんたちがどいてくれるのをジッと待っている。
そのうちに気が付いた添乗員がとんできて「通路を開けてください!」というと、
見事な素早さでパッと道をあける。
ニュージーランド人の家族が通り抜けてゆく。

トローリーを押して廊下を塞ぐようにして歩いていた日本人の親子連れの娘のほうが突然止まる。
後ろから矢張りトローリーを押して歩いていたアメリカ人の若い男のひとが止まりきれずに、ほんの少し40代くらいに見える娘の左足の踵に、ぶつかるというほどでもなく車輪が触れる。
若い男は西洋の礼儀に従って日本語で「大丈夫ですか?」と訊く。
見ていて驚いたことには、この40代半ばの女のひとは「痛ああああー、大丈夫なわけないけど、大丈夫にしてあげないとしょうがないのか」と言った。

アメリカ人の若い男のほうは明らかに日本語が理解できるので、一瞬、(怒りで)顔を真っ赤にしたが、すぐに自分を取り戻して、黙ったまま親子連れの横を通りぬけていった。
見ていたわしには直ぐ判った。
多分、アメリカ人の男も理解したと思うが、女の人は「大丈夫ですか?」とアメリカ人が述べたのを日本の人流の解釈で自分の非を認めたものだと受け取ったようでした。
横で見ていたわしには親子連れの唐突な行動のほうが危険だったが、本人たちは自分達が非を犯したとは思っていないようだった。

東京にいるときモニが歩いていると目の前(というかモニはたいていの日本の人よりも背が高いので現実的に描写すれば「目の下」だが)、ほんの10センチくらいのところを、すり抜けるように横切ってゆく日本のひとたちによく驚かされた。
頭では日本の社会では失礼なことでないと判っていても、感覚的にはどうしても異様で、慣れることが出来なかった、とモニさんはいまでも思い出しては、よく笑っている。
狭い舗道を右に左にゆらゆらしながら歩く癖のある人たちや、道いっぱいに広がって、昼食のあと、オフィスに帰っていくサラリーマンたち、「習慣の違い」というものは、最も克服できない違いだったと思う。

ひとつの規範が壊れて、新しい規範ができるというのは実はたいへんなことなのだと考えることが日本にいるときには、よくあった。
明治維新と名前の付いた日本の近代化運動の推進者たちには、やらなければいけないこと、変革しなければならないことが多すぎて、洋服を仕立てたり、ナイフやフォークの使い方をおぼえこんだりはしても、その洋服を着てどんなふうに歩くのが見栄えがいいのか、ということまでは頭が回らなかった。
ナイフやフォークを上手に使えるようになっても、そのあとに「舌鼓」を打っては、その粗野さに、まわりの人間は飛び上がるほどびっくりする、ということまでは考えがいかなかったように見える。

むかし、ファーストクラスで、機内を満たすエンジン音にも負けず、まるで一種の嫌がらせのためにつくった打楽器のように、くっちゃくっちゃくっちゃと音を立てながら食べては、ここぞというところで強勢の舌鼓を打ちながら食べる日本人の役員風のおじちゃんがいて、耐えかねたイギリス人のじーちゃんが「あれはなんぞ」というようなことを乗務員に小言を述べていたが、小言を述べるほうが間違っている。
黙ってヘッドフォンをつけて、映画でもみたほうが礼儀にかなっているのは言うまでもない。
習慣の違いに不平を述べ立てても仕方がないからです。

畳の上に座る生活でXの形に曲がった足や、その逆にOの字の形に曲がった足は本来着物を着ていれば見えないことに気が付いたのは、日本の滞在が終わりに近付いた頃だった。
笑われてしまうだろうが、その頃のわしは、日本の人が(たとえば日本料理の盛りつけを見れば直ぐにわかる)折角の美的センスをファッションに工業デザインに絵画に文学に発揮しても必ず袋小路に行き当たってしまうのは、細部を省みる余裕がなかった明治の「ご一新」の後遺症なのではないか、と考えるようになっていた。
社会全体の西洋化が観念的で、というよりも粗筋だけの物語じみていて、たとえばテーブルの上におかれたシングルモルトのウイスキーのグラスに差し出される手は、もともとは武骨なおおきな手でなければならないが、そうでない世界がアジアの東のはしっこにあらわれて、製法だけは素晴らしい次元に達しても、大きなあたたかい手のひらにかわる、日本の人の、男でも薄い繊細な手のひらにしっくりくるウイスキーの飲み方は、ただのいちども発明されないままであったようにみえる。

模倣が簡単でない、というのは、たとえば科学技術を学んだ人間には直ぐに直感的にわかることであると思う。
本質を理解しなければ模倣が生産性につながることはありえない。
ずっとむかしトヨタのハイラックスに瓜二つの中国の自動車会社がつくった4駆が、エンジンの出力が小さすぎて、悪路をおし渡るどころか坂があがれないので笑い話になったことがあったが、中国人は昔から「模倣」が歴史的に下手な民族と思う。
勘所をつかめないまま模倣をしては失敗するので、中国人はサルマネをする、と言って世界中のあちこちで失笑されることになった。
一方で、わしが小さいときにはまだ陰口を利かれていたと思うが、いまの日本車を見て「サルマネ」という人はいないだろう。
相手の技術を盗むのはいまでもやるが、日本の会社はお行儀良く黙っているだけでメルセデスやBMWが日本の会社から盗んだ技術は小はカップホルダーから大はディーゼルエンジンの噴射プログラムまでたくさんある。
お互いさまで、そういうことを殊更に「模倣」と言った立てるのは下品というものである。

模倣の神髄は「本質をつかんでコピーする」ことにあるが、そのためには相手の製品の形の裏にある楽屋裏はもちろん、それを支える物理や数学や化学を基礎から理解できなければならない。
日本人は短期間に要領よく西洋の技術文明を呑み込んで消化したが、「要領」を使えば「どうでもいいところ」は全て捨てざるをえず、細部に宿った魂はあらかた捨てることになることの深刻な帰結を予測できなかった。

さっき中国人はマネが下手だと述べたが、「欧州ルネサンスの三大発明」であるはずの「火薬・羅針盤・印刷」がみっつとも中国人の独創であることはよく知られている。
中国人は模倣は下手を極めるが独創においてはむかしから世界一なのである。
欧州人は、この3つの技術をあっというまに改良してみせた。
いまでもフランス人によく受け継がれているとおもうが、欧州人の歴史的才能は「模倣」で、オリジナルの発明の背後にある原理までを深く模倣の過程で掘り下げていって、当の中国人が知らなかった世界像にまでたどりついたのは歴史を読めば誰にでも了解される成り行きだと思われる。

ここで「欧州人が模倣に巧みだった」というのは、なにが模倣をしにくいか、ということを熟知していた、ということが含まれる。
欧州人は、生活の様式のようなものは模倣すると行き詰まることをよく知っていた。
欧州人は「思想」を模倣することが自分達の文化にとって致命的であることもよく知っていた。
キリスト教が思想的模倣を積極的におこなった例外だったが、この「模倣」がいかにおおきな停滞と無惨な社会の痴呆化を結果したかは、いまの目で歴史を振り返ると現実とは思えないほどであることを現代の欧州人はみな知っている。
キリスト教などは、西洋人にとっては所詮身にあわない「中東製の意匠」だったのだと、思っている。

福島第一事故の前に、原発がぶっとぶのでわ、と述べたのは、実際に念頭にあったのは福井の「もんじゅ」なのだから「事故を予言した」というようなバカバカしい意味ではなくて、必要な手順から不要と思われる手順を削って「ショートカット」をつくるのが得意な日本という社会にとっては、模倣しても肝腎な細部が落ちて極めて危険だと思ったからだった。
1999年の東海村JCO臨界事故は、そのことを証明しているように思えた。
いったん決めた手順を省略せずに枚挙的に繰り返す、というのは大陸欧州の文化であると思う。
原理だけを模倣しても、大陸欧州の、あの「そもそもが枚挙的な感じ」がないところで原発など運営して無事だとおもうほうがどうかしている。

日本が西洋の模倣からスタートした、とやや誇らしげに述べる欧州人は頭がわるい人間だと決まっている。
欧州自体が模倣の達人であることを知らない点で教養の点でも疑問がある。
いつかニュージーランドのマリーナでマリーナオフィスのおっちゃんと話していたら、このひとは日本の企業で長く働いていたことがあって日本人のことをよく知っていて国民性の勤勉さを高く評価しているのでもあったが「日本人は生まれつき原理を理解するのは速いが独創的なことには向かない頭脳構造をしている」とオオマジメに述べたので爆笑してしまった。
あのひとは50代で、そのくらいの人には、欧州にも生物器質的に日本人は独創ができない、と真剣に信じているひとがまだたくさんいる。

そうではなくて、模倣は要するに「リスクを避ける」ことによって起きる。
実績がでていない独創に巨大な資金と時間を投入するくらいなら、すでに実績が証明されている技術をまるごと模倣したほうが安全で、デザインのようなものについても同じことが言えるが、模倣が文明的に苦手な中国人が、いまだに寸分たがわぬデザインのトヨタの四駆をつくって小さすぎるエンジンを付けてしまって呆然としたりしているのは、要するにリスクを避けたい一心であることの喜劇的な結末にすぎない。

だが、(こんなことを聞けば日本の人は嫌な気持ちがするに決まっているが)「洋」服を着て、不可思議な歩き方で歩き回り、椅子に炬燵にはいるときのように背をこごめて座って、なんだか曲芸じみたナイフとフォークの使いかたをしている日本の人を見ていると、反射的に、何度かこのブログ記事に書いたサンフランシスコの住宅地で見た「鮮やかな」としか形容できない着物姿の女のひとが歩く姿や、日本では当たり前でも、西洋人がみれば目を瞠るしかない日本料理の「素晴らしい」や「美しい」という形容では全然足りない盛り付けを思い出して、模倣の困難さや、袋小路への陥りやすさ、社会全体が観念で描かれた(細部に現実感が盛られない)簡単すぎる線で描かれたのっぺらぼうな現実になってゆく傾向のことを思わないわけにはいかない。
日本がいまの停滞から脱して、他国と競争して生き延びてゆくためには、案外と「日本とはなにか」ということを、技術において、言語において、美術に音楽に文学において、あるいは細々とした習慣の分野に至るまで、いちど明治時代に近代をつくったのと同じ情熱で再検討したほうが良さそうな気がする。
着物を着てみれば、というわけではもちろんなくて、日本人の感覚から生まれた素晴らしいデザインの服があるのを見てもその必要もなくて、ただその洋服が自然な線を保って活きてゆくにはどこかに、というよりもそこここに、検討されないまま放置された細部があるように見える。
そうして、近代化から150年に近い年月が経ついまくらいが、欧州人の他文明の模倣の歴史から見ても、なにが自分達のなめらかな線を壊しているか考える時期に来ているのだと思います。

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3 Responses to ぎくしゃくした流線形について

  1. DoorsSaidHello says:

    がめ。がめちゃん。がめさん。どんな呼び方をすればいいのかわからない。
    きみにてがみをかきたいなあ、かきたいなあ、とずっとおもっていた。
    どこにかけばいいのかわからないから、とりあえずここにする。

    わたしのなまえはね、とある短編に「ドアが挨拶する男」というのがあって、
    その人が手を触れると、ふだんは押し黙っているドア達が声を出して
    「やあ」って彼にいうんだよ。それを見た人は驚いて、ドア達が本当は
    ものを考えていて、口をきくこともできるんだってことに初めて気がつくんだ。

    私はきみのことばに触れたとき、自分もまたドアであったことに気がついた。
    きみが「聞き取りにくい声を聞きたい」と述べたから、
    私は「やあ」って声を出してみることにしたんだよ。
    自分にも声があったのだ、と思いながらね。

    私が今まで声を上げなかったのは、求められなかったからだ。
    みんなが言わないで済ませてきたことを声に出して言うと疎まれる。
    悪いことを予測すると、人の不幸を望んでいるのだと言われる。
    良きことばかりを言う人だけが、いつまでも無辜でいられるのだ。

    翻って言えば、悪いことを警告する者はみんな罪人だ、よそ者だ、人外だ、
    プレスして型に嵌め殺してドアにでもして、一生黙らせて働かしておけばよいのだ。
    そんなふうに扱われて来たような気がする。
    恐ろしい未来を予期する者は穢れているのだ、呪われているのだと。

    「聞き取りにくい声だからこそ聞きたい」と言われた気がして、勇気を出してみた。
    自分の声におどろいたよ。聞いたことなかったもの。
    自分の声が祝福ではないが呪いでもなく、ただの声であることに安堵しながら、
    きみが普通に返事をすることを幸福に思う。話題はあまり明るくはないけどね。

       きみへの誠実を誓う、
       ふだんは無口なドアより。

    • ぜにいば says:

      Doorさん、こんにちは

      詩的なお便り楽しく読ませてもらいました。詩的であるということは、言葉の比喩が心に響くということなんだと今さら理解したところです

      「悪いことを警告するもの」たちは、2千年くらい前の中東の世界では、預言者として大衆から忌み嫌われ、皮膚を剥がれたりして殺されてきて、ホラーだね(^^:
      でも自国が大国に滅ぼされたのちには、生き延びた人々からこの上なく愛され暗誦される言葉となって今も生きている

      国とは何ぞや?と問われる現代、民主主義という言葉にだけは慣れた日本人。ほんとうに民主主義なら全員が預言者になってもよいはずのに
      国はもちろん、それを許さない民がいる。頭が戦前の江戸明治大正昭和のままの
      「わたいら民には何を決める権限も自由もないのは当たり前じゃー!いいつけられた仕事だけしとけばいいんじゃー!」自分がそう躾けられ生きてきたから?

      そういう人々はローマの世界では奴隷と呼ばれていたのでは。日本の大和の時代にあった「五色の賤」は、おそらく大陸から輸入されたシステムで、もしかすると精神は骨董品のごとく大切に今に引き継がれてきているのかも。見かけだけは玉虫色に変遷して

      がめさんはこき下ろしていたように思う丸谷才一は、その「忠臣蔵とは何か」の中で、江戸の人々が最も恐れていた「地震、雷、火事、親爺」、その親爺とはお上のことであったと喝破していました。将軍綱吉に象徴されるような暴政のもと、力なき民はただただ自然災害をやり過ごすように頭を抱えてひれ伏して、凶暴風の過ぎゆくのを待つしかなかったのだと

      「戦争はもうたくさん」とかいうバーちゃんジーちゃんでも、学習回路が開かれてない人はいまでも戦前の公立教育の頭のまんまで、投票にはそそくさと2013年の自民公明に入れに行く。こういう人たちは一刻も早く投票できなくなってほしいのだけど

      そしていま、民主主義の看板をたてていた日本国自身が、とうとう預言者を忌み嫌い抹殺しようとし始めた、そんな今の日本

      私もまわりの人々に嫌がられる存在と認識しているけれど、声を発することをやめられないと思う。あまりにも幼稚でくだらない人たちがいばっているのが耐えられないから

  2. DoorsSaidHello says:

    追伸 「ドア達があいさつする男」、
    The Man Doors Said Hello to という短編です。

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