Daily Archives: December 29, 2013

友達、5分前

インターネット上で出会った友達と、たとえば外でボートの舷側から桟橋に飛び降りた弾みで水の中に突き飛ばしたのがきっかけで仲良くなった友達とを区別したことはない。 わしにとっては、現実世界もインターネット世界も同じことで、結婚してからは、ますますどうでもよくなってきた気がする。 ひとつにはインターネットの外で出来た友達はヨーロッパとアメリカに多くて、自然、スカイプで話したりemailでやりとりしたりすることが多いので、たとえば日本語ネットで知り合った友達と付き合いかたが結局は似てしまっている、ということがあるに違いない。 子供の頃から友達が多すぎるのが悩みのタネだった、というとヘンな人みたいだが、社交的外向的であるのにひとりでいるのが好きだ、という奇妙な性格のせいで、皆で興奮してクリケットをやっているときは楽しいが、マッチが終わると、もう一刻もはやく家に帰って読みかけの本を読むとか、やりかけのコンピュータ・ゲームをやりたかった。 最近はやっと治ったが、長いあいだひどい活字中毒で一日に4冊は本を読まないと眠りにつけない、というような時間を大量に浪費する悪い生活習慣のせいもあったと思う。 友達とは奇妙なものだと思う。 義理叔父の最も仲の良い友達は中学の1年から大学を卒業するまでヒマさえあれば、ほぼまる一日べったりくっついて生活していたという新聞記者の友達だが、このひとがニューヨークにいた義理叔父に手紙を送ってきたことがあった。 「こんな会社では新聞記者などやっていられないのでおれは会社をやめて蕎麦屋をやることにした」と書いてある。 義理叔父は、まだインターネットがなかった頃なので「ヤメルナ」と電報(!)を打つと、もう何年も会っていない友達に会いにいちばん早い便のユナイテッドで日本にでかけた。 待ち合わせた神戸で、ホテルに隣りあった部屋をとって、交代で煙草をふかしながら、吸い殻でたちまち山盛りになった灰皿が載ったテーブルをはさんで、ほとんど黙って向かい合っていた。 ときどきどちらからともなく「腹減ったな」と述べて外に出て食事に行くだけなので、なんとも手持ち無沙汰で、仕方がないのでレンタカーを借りて、中年のおっさんがふたりで、奈良まで出かけたそうである(^^;) 4日間、そうやって、無言を無言で塗り込めたような毎日を過ごして、帰り際に 「会社、やめるの、やめたよ」 「あたりまえだ」という会話を交わして、おぼえている会話はたったそれだけだった。 「日本まで行く必要なかったんじゃないの?」と、わしが訊くと、 「バカだな、ガメ、あいつがおれに手紙だすなんて異常な事態に行かないわけにはいかないじゃないか」という。 「第一、あいつがおれのニューヨークの住所を後生大事に5年間もおぼえていたのを知ったときには心臓がとまるかとおもったぜ。そういう奴じゃないんだよ。よっぽど会社でくやしいことがあったんだろう」 と述べる義理叔父の目には涙が浮かんでいたのをおぼえている。 念のために訊ねてみると、それからまた10年近く会っていないそうで、どこまでもヘンな人たちであると思う。 あるいは義理叔父が財産を成す元になった事業で仲のよかった人は、なぜか秋の庭を歩いて横切って義理叔父の家の窓から部屋にはいってきた。 仕事上の考えの違いから大喧嘩して、絶交して3年になる友達の突然の来訪に義理叔父はびっくりしてしまった。 秋霜烈日、という。 仕事人として、若いひとびとの上司としても「秋霜烈日」という言葉がぴったりのこの義理叔父の仕事友達は、滅多に微笑むことのないひとなのに、この午後はなぜか、なんだか見ているだけで心が和らぐような柔和な笑みを浮かべていた。 「散歩にいきませんか」という言葉に頷いて一緒にでかけると、普段は口が極端に重い人であるのに、びっくりするほど多弁で、義理叔父がミーティングで妙に反対して頑張ってしまうときの滑稽な様子や、ほら、旦那(義理叔父のことです)がカリフォルニアから4年ぶりに日本に戻ってきたときに一緒に赤坂を歩いたじゃないですか、という。 そうだっけ? と聞き返すと、 そうですよ。 ものすごく暑い日なのに、旦那は、歩くのをやめなくて、豊川稲荷からふたりで汗みずくになりながら歩いて、到頭渋谷まで歩いてしまった。 明治通りで「グランドファーザーズ」の看板を見つけたら、ああ、この店、まだあるんだ、とつぶやいて勝手にすたすたと地下に階段を歩いて下りていってしまった。 タイムマシンをもらって、興奮で目を輝かせている未来の子供のようだった。 ところが気が付いてみると、もうふたりは青山のブルーノートの前を歩いていて、渋谷の話をしていたときは麻布十番の町を歩いていたはずなのに、そこから青山までどうやって歩いてきたのかどうしても思い出せないので、初めて、「あれ、これは夢かな?」と考え始めた。 でも構わずに一緒に歩き続けて、結局、水天宮や日本橋や丸の内の、ふたりで昔仕事を一緒にやっていた頃いっしょにでかけたすべての町を歩いて、しかもそれは長い長い夢で、半日以上歩き回って、そこがそもそも一緒の仕事を始める約束をした初めの池袋の焼き鳥屋を出たところで、それも以前にはついぞそんなことはしたことがない手を差し伸べて握手をすると、 「また、会いましょう。旦那は気が短いが良い奴だった。それが言いたかった」と言うなり、くるりと背を向けて池袋の曖昧な雑踏のなかに消えていったのだそうだった。 義理叔父は長い夢を見ていたカウチから起き上がると、電話を取り上げて義理叔父が絶交したあともその人と親交があるはずの業界紙の記者に電話した。 癌で入院してはいたものの、恢復したあとの予後の検査入院だったそうで、ああ、それじゃ構わない、しかし、癌になっても連絡しないなんて、あいつも頑固だな、と電話を切ったそうだった。 そのうちに会いたいから、きみ、あいつに伝えておいてくれないか。 業界紙の記者が、電話をかけてきたのは次の日で、今日の朝、亡くなったという。 予後だとばかり信じ込まされていたのが実は癌の再発後の危篤で、義理叔父が電話をかけた数時間前から意識不明の境をさまよっていたのだそうです。 私も、驚きました。 ああ、だから、あいつは、あんなにやさしい笑いかたをして、最後の最後に会いに来てくれたのか、と義理叔父は、不思議でもなんでもなく、普通に「友達」の友情を受け取って、ありがとう、と心のなかで呟いたのだそーでした。 … Continue reading

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