友達、5分前

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インターネット上で出会った友達と、たとえば外でボートの舷側から桟橋に飛び降りた弾みで水の中に突き飛ばしたのがきっかけで仲良くなった友達とを区別したことはない。
わしにとっては、現実世界もインターネット世界も同じことで、結婚してからは、ますますどうでもよくなってきた気がする。

ひとつにはインターネットの外で出来た友達はヨーロッパとアメリカに多くて、自然、スカイプで話したりemailでやりとりしたりすることが多いので、たとえば日本語ネットで知り合った友達と付き合いかたが結局は似てしまっている、ということがあるに違いない。

子供の頃から友達が多すぎるのが悩みのタネだった、というとヘンな人みたいだが、社交的外向的であるのにひとりでいるのが好きだ、という奇妙な性格のせいで、皆で興奮してクリケットをやっているときは楽しいが、マッチが終わると、もう一刻もはやく家に帰って読みかけの本を読むとか、やりかけのコンピュータ・ゲームをやりたかった。
最近はやっと治ったが、長いあいだひどい活字中毒で一日に4冊は本を読まないと眠りにつけない、というような時間を大量に浪費する悪い生活習慣のせいもあったと思う。

友達とは奇妙なものだと思う。
義理叔父の最も仲の良い友達は中学の1年から大学を卒業するまでヒマさえあれば、ほぼまる一日べったりくっついて生活していたという新聞記者の友達だが、このひとがニューヨークにいた義理叔父に手紙を送ってきたことがあった。
「こんな会社では新聞記者などやっていられないのでおれは会社をやめて蕎麦屋をやることにした」と書いてある。

義理叔父は、まだインターネットがなかった頃なので「ヤメルナ」と電報(!)を打つと、もう何年も会っていない友達に会いにいちばん早い便のユナイテッドで日本にでかけた。
待ち合わせた神戸で、ホテルに隣りあった部屋をとって、交代で煙草をふかしながら、吸い殻でたちまち山盛りになった灰皿が載ったテーブルをはさんで、ほとんど黙って向かい合っていた。

ときどきどちらからともなく「腹減ったな」と述べて外に出て食事に行くだけなので、なんとも手持ち無沙汰で、仕方がないのでレンタカーを借りて、中年のおっさんがふたりで、奈良まで出かけたそうである(^^;)

4日間、そうやって、無言を無言で塗り込めたような毎日を過ごして、帰り際に
「会社、やめるの、やめたよ」
「あたりまえだ」という会話を交わして、おぼえている会話はたったそれだけだった。

「日本まで行く必要なかったんじゃないの?」と、わしが訊くと、
「バカだな、ガメ、あいつがおれに手紙だすなんて異常な事態に行かないわけにはいかないじゃないか」という。
「第一、あいつがおれのニューヨークの住所を後生大事に5年間もおぼえていたのを知ったときには心臓がとまるかとおもったぜ。そういう奴じゃないんだよ。よっぽど会社でくやしいことがあったんだろう」
と述べる義理叔父の目には涙が浮かんでいたのをおぼえている。
念のために訊ねてみると、それからまた10年近く会っていないそうで、どこまでもヘンな人たちであると思う。

あるいは義理叔父が財産を成す元になった事業で仲のよかった人は、なぜか秋の庭を歩いて横切って義理叔父の家の窓から部屋にはいってきた。
仕事上の考えの違いから大喧嘩して、絶交して3年になる友達の突然の来訪に義理叔父はびっくりしてしまった。

秋霜烈日、という。
仕事人として、若いひとびとの上司としても「秋霜烈日」という言葉がぴったりのこの義理叔父の仕事友達は、滅多に微笑むことのないひとなのに、この午後はなぜか、なんだか見ているだけで心が和らぐような柔和な笑みを浮かべていた。
「散歩にいきませんか」という言葉に頷いて一緒にでかけると、普段は口が極端に重い人であるのに、びっくりするほど多弁で、義理叔父がミーティングで妙に反対して頑張ってしまうときの滑稽な様子や、ほら、旦那(義理叔父のことです)がカリフォルニアから4年ぶりに日本に戻ってきたときに一緒に赤坂を歩いたじゃないですか、という。
そうだっけ?
と聞き返すと、
そうですよ。
ものすごく暑い日なのに、旦那は、歩くのをやめなくて、豊川稲荷からふたりで汗みずくになりながら歩いて、到頭渋谷まで歩いてしまった。
明治通りで「グランドファーザーズ」の看板を見つけたら、ああ、この店、まだあるんだ、とつぶやいて勝手にすたすたと地下に階段を歩いて下りていってしまった。
タイムマシンをもらって、興奮で目を輝かせている未来の子供のようだった。

ところが気が付いてみると、もうふたりは青山のブルーノートの前を歩いていて、渋谷の話をしていたときは麻布十番の町を歩いていたはずなのに、そこから青山までどうやって歩いてきたのかどうしても思い出せないので、初めて、「あれ、これは夢かな?」と考え始めた。
でも構わずに一緒に歩き続けて、結局、水天宮や日本橋や丸の内の、ふたりで昔仕事を一緒にやっていた頃いっしょにでかけたすべての町を歩いて、しかもそれは長い長い夢で、半日以上歩き回って、そこがそもそも一緒の仕事を始める約束をした初めの池袋の焼き鳥屋を出たところで、それも以前にはついぞそんなことはしたことがない手を差し伸べて握手をすると、
「また、会いましょう。旦那は気が短いが良い奴だった。それが言いたかった」と言うなり、くるりと背を向けて池袋の曖昧な雑踏のなかに消えていったのだそうだった。

義理叔父は長い夢を見ていたカウチから起き上がると、電話を取り上げて義理叔父が絶交したあともその人と親交があるはずの業界紙の記者に電話した。
癌で入院してはいたものの、恢復したあとの予後の検査入院だったそうで、ああ、それじゃ構わない、しかし、癌になっても連絡しないなんて、あいつも頑固だな、と電話を切ったそうだった。
そのうちに会いたいから、きみ、あいつに伝えておいてくれないか。

業界紙の記者が、電話をかけてきたのは次の日で、今日の朝、亡くなったという。
予後だとばかり信じ込まされていたのが実は癌の再発後の危篤で、義理叔父が電話をかけた数時間前から意識不明の境をさまよっていたのだそうです。
私も、驚きました。

ああ、だから、あいつは、あんなにやさしい笑いかたをして、最後の最後に会いに来てくれたのか、と義理叔父は、不思議でもなんでもなく、普通に「友達」の友情を受け取って、ありがとう、と心のなかで呟いたのだそーでした。

死んでから見つかった、この人の日記を元に業界紙の記者がドキュメンタリを出版しようと思って読んだら、全ページ、同じ業界の誰彼へのすさまじい罵倒に満ちていて、これではとても本にならないと思ってこの記者の人は出版を諦めたが、義理叔父に、その罵倒の表現の常軌を逸した強烈さに驚いたことを述べたあとで、記者は、ちょっと不思議そうな顔をして、「ところが、XX(義理叔父の名前)さんの名前がどこにも出てこないんです」
「あれだけの仕事を一緒に成し遂げたのに、ひとこともXXさんについて言及がないのは考えられないんですが」

業界紙の記者は盛んに首をひねったが、義理叔父は「あいつらしい」と考えて、可笑しかったという。

自分と友人たちはこれからどんなふうに付き合っていくだろう、と思う。
日本語インターネットで言えば、すべりひゆ、ナス、josicoはん、ミナ、ネナガラ、というような人達は、古くからの友達である。
新しく出会った友達には、オダキンやもじんさんがいる。
友達と呼ぶには、戦士で、恐れ多い(←冗談)気がするが、パワーのかたまりのような、ビンボクサイ知性の平衡感覚を拒否するという「本物の」知性の特徴を余すところなくもった朝雄さんも(あんまりツイッタ上では言葉を交わさないがemailでは)友達として話をしている。
日本語フォーラムに招待した仲間たちも言うまでもない。

初めのうちは自分の(ここで話す気がしない)特殊な環境と、もうひとつは日本語インターネット世界には、なんだか偏執的な「集団サディスト」と呼ぶべきひとたちが跋扈していて、交代で「殺してやる」「これ以上日本語圏(←意味がよく判らないが、この人の言葉使いの癖であるらしくて違う人のふりをしているはずなのに何故かいつもこの「日本語圏」が出てくる)で発言したら自分の家族に危害が及ぶと思え」
というようなのから始まって、ツイッタ上や「はてなブックマーク」というような「お馴染み」の臭気のする場所で、年がら年中手の込んだ嫌がらせをしている、こっちは数えてみるとどうも十人くらいのグループらしいひとびとが鬱陶しいので、日本語に限ってはインターネットと現実の世界を分けていたが、放射脳のせいで、日本を再訪する可能性もなくなったので、実名でやっても匿名でやっても、どうでもいいような気がする。
もともとがゲームブログのこのブログでGAME OVERのつもりでつけた
ガメ・オベールという名前や、それに漢字を当て嵌めた「大庭亀夫」という名前に愛着があるが、それも日本語を使っているときだけの愛着なので、英語の頭に戻れば、言わば、日本語人格そのものが消滅している。

昨日もブログのほうへ「いいかげん外国人のふりをして世界を旅行して歩くのはやめたらどうか。第一、旅費がもう尽きただろう」というemailを寄越した人がいたが、6年間も旅行できるほどアルバイトでオカネを貯める才覚はわしにはありはしない(^^)
このブログを始めたときのゲーム会社の社長がわしであると思っている人もたくさんいるよーだが、この人達は輸入ゲームソフト屋がそんなに儲かると思っているのだろーか、と不思議な気がする。
くだらないことを書き留めておくと、あのゲームサイトは義理叔父に言われて仕入れる会社を紹介したことはある。
義理叔父の入れ知恵で日本の「ライバル会社」の人達はロス・アンジェルスの会社から入っていると信じ込んでいたようだが、実際はゲームの大半は北欧と連合王国から入っていた。アメリカの卸屋に較べると、ゲーム流通の不思議な仕組みにしたがって、そっちのほうがずっと安かったからです。
それでも、1ヶ月の純益は良い時で1500万円もいかなかったのではないだろうか。
(ばらすと、「シャチョー」が怒るかw)
このブログ記事に顔を出す場所や生活をただ「なかを覗き見る」程度でも、1500万円程度の月収では出来るわけはないが、そういうこととは縁がない人達なのでしょう。
あれほど才能のある悪意をもってしても想像が届かなかったのだろうと思われる。

わしはモニや小さい人と遊びながら、画像によって判る人には判ってしまうらしい要塞じみた家の奥にひきこもって暮らしている。
引き籠もりの度合いがどのくらい酷いかというと、仕事の関係の人間は大半がわしが以前と同じくロンドンかニューヨークで暮らしていると信じ込んでいると述べればわかってもらえるのかもしれない。

でもときどき、どこまでもスタスタと駆け抜けてゆく「もじんさん」のアイコンを眺めていたり、主にわしの側の理由で議論などでは全然ないケンカばかり繰り返しているオダキン、一緒に記事を書くと(なにしろ、それが元の職業なのでプロらしく)ぶっとぶような素晴らしい記事を書いてくれる孤茶…、現実の友達、インターネットの友達というが、少なくとも日本語に限っていえばネット上の友達のほうが現実の世界よりも遙かに濃密に「友達」な気がする。
先刻の「シャチョー」などは、「現実世界のガメさんは、偉すぎて、友達ぐち、おそれおおくて利けませんよ」と嫌味を言うが、エライのは事実無根でも、現実は意外なほど人間の心の結びつきを遠ざける仕掛けに満ちているのだと思う。
なにを言っているのか判りにくいのは承知しているが、わしにはアメリカ人の友達を招待して、自分の家族と一緒に晩餐をとって、それ以後、友達として会ってもらえなくなった苦い過去がある。

ある日、わしは突然日本語を捨てて、日本語世界で出会った友達に会いに行くに違いない。
それがスイスの大学の天文学研究室のカウチに寝そべっている大男であるか、大阪大学の門にもたれて空を眺めている不良ガイジンか、買い物をすませたシグマの駐車場でイタリアでは珍しいはずの軽自動車の脇に立っている、なんとなく思い詰めた顔の、いかにも世慣れない若い父親であるか、どれであるかは自分では見当がつかない。
でも、特に最近は、そんなに遠くない未来に、やはり、これほどお互いを見つめ合ってきた現実の友達の、現実の肉体の、手のひらを握りしめておくべきだろうと思っています。

(友達諸君は、現実のわしの後光がさしているごときハンサムぶりと雄大な肉体の厚み(←デブという意味ではありません)にびっくりしないよーに。)
(あと、考えてみたけど、なんとなく気恥ずかしいから日本語使わないからね。英語にしようね)(ね)

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