Monthly Archives: December 2013

Private Universe

日本にいたときに、あるひとが「インターネットは真贋を見分ける目が大切で、それがないひとはインターネットをやってはいけないのだ」という意味のことを書いていて、読んで、大笑いしたことがあった。 チョー日本人ぽいというか、三流の骨董屋みたいなことを言うので「日本はたいへんな国だな」という印象をあらためて強くもった。 小林秀雄という人は公平に言って面白いひとで、大切にしていた掛け軸をある日じっと眺めていて、日本刀でまっぷたつに切ってしまう。 刀剣について書いていることから察して「贋物と見ていて痛いようにわかった」掛け軸を切った日本刀も贋物だったのではないかと思うが、あんまり意地悪なことをいうと化けてでるかもしれないので、止すことにする。 日本のひとほど「真贋」が好きなひとびとはいないと思う。 歴史的に言って日本の人が衒学と言っては角が立つが、ありとあらゆる細かいことにまで「これ豆知識な」みたいことが好きかというと、1945年に戦争が終わるまで、日本人は「知る事」を抑圧されてきたからである。 1945年8月までの社会は日本の社会では「知ろうとすること」は遠慮すべきことだった。「余計なことを詮索する」ことは感心できない態度だった。 政府の外交政策から農業の出来高、浜から遠望した軍艦の名前も、轟音とともに低空を通り過ぎた銀翼の低翼機のプロトタイプの名前も、まして、神武天皇がほんとうに存在したかどうかなど「知ろう」とすることはとんでもないことだった。 戦争が終わると少年誌から婦人誌、オトナの雑誌に至るまで、「雑学帖」や「ひとくち知識」が必ずコラムとして連載されるようになり、テレビでも「こんなことを知っていましたか?」というような企画の番組が流行ったのは、雑多な知識を吸収することが自由への営みと感じられたからである。 フィラデルフィアはがんばって英語っぽく読むよりも「古豆腐屋」と述べたほうがアメリカ人にはわかりやすいというようなことから天皇家の血筋には実は半島人の血が混ざっているというようなことまで戦後日本人はほぼ熱狂的に知識として吸収していったが、それは、「民主主義の明るさ」によって照らし出された、いままでどうしても見えなかった暗がりのようなものだったのだと思う。 当然、よく考えてみると何の役にも立たない知識を蓄えて行くことには自分が戦後人であることをたしかめるよすがにもなった。 知識を求めることは、どこというでもなく「自由になる」こととオーバーラップしていたのだと思う。 インターネット上の「ほんとうの」情報は何で「ニセの」情報はなにかと考えると、見ている方向が完全にピント外れであることに気が付く。 そういう見方が成り立つのは「欺そうとする人」がいて「欺されまい」とする人がいる構図があるときだけである。 ところがインターネットの思想はもともとグーグルの社是そのもの「Don’t be evil」なので、真贋を見極めなければ「インターネットをやる資格がなくなる」ようなネット世界は、そもそもネット世界として崩壊している。 崩壊している、というのがわかりにくければ、存在の意味がないインターネット世界なのであると思う。 日本語インターネット世界は伝統的現実世界の手垢がつきすぎているのではあるまいか?と、考え出したのは、だいたい、この「真贋の目をもってインターネットを見る」という噴飯物の意見を読んだことからだったと思う。 言葉が悪くてごめんごめんすまんと思うが、日本語インターネット世界がトイレ臭くて、あんまり長く滞在していると体中に臭気がついて失神しそうになるのは、インターネットの世界で名前を知られたひとびとが、インターネットには絶対に必要な向日性のノーテンキな性善説をもてなかったせいだと感じる。 英語世界でインターネットに馴染んでいる人には普通に判ると思うが、インターネットは平均的な英語人にとっては「楽しい経験をしにいくところ」である。 誤解する人がいるといけないので慌てて付け足しておくと英語世界にももちろん「真贋を見分ける目をもたなければ」バカを見るようなインターネットコミュニティは存在する。雰囲気の悪いMMOなどは戯画化された典型であると言ってもよい。 主に自他共に認める「頭がわるいひと」が集まるコミュニティに行けば「西洋人の使ったあとのトイレの臭い」を満喫できると請け合える。 でもあのひとたちは、自分でもバカなことをしていると知っているのだと思う。 ときどき日本語インターネット世界はなぜ「有効な」コミュニティを作るのに失敗したのだろうと考える。 感覚にしか過ぎないが日本の「草の根言論」はインターネットの普及とともに質が低下したと考える根拠は歴史のあちこちに痕跡が残っている。 英語世界と見較べると、その「後退」はインターネット世界を活字の世界と見誤ったことから生じているように見える。 インターネット上で、たとえばブログの形で「意見を発表」することを雑誌に記事を書いたり、酷い場合には本を出版するのと同値だと感じたのではないだろうか。 活字は沈黙がおおい世界で、(英語世界でなら)活字の世界でひとつのセンテンスの後ろに10の沈黙があるとすればブログは0.1くらいしかない。 インターネット世界とはもともと本来「批評精神」が働く時間である「沈黙時間」が極端に乏しい表現世界なのです。 新聞社サイトのような「活字世界のルールで出来ている」サイトは、もちろん異なるが、インターネット上にも「言論」があるとすれば、それはまず第一に「編集機能」という第三者による見直しと批評フィルターを経ない「無批評」のポンと出てくる情報・表現であって、次には熟考よりは知性の反射神経におおきく依存している。 正常に機能しているインターネット世界はしかつめらしくて前時代的、いかにも畳の臭いのする「個人の真贋」みたいなバカバカしい能力よりもコミュニティ全体が真贋を常識の機能によって判別していけるものでないと、そもそもインターネット上に存在するだけの価値がない。 発言者が懸命にベンキョーして、真贋を研究して、やっとものが言えるのでは楔形文字の石板は似合っても、そんなものは、オンラインで結ばれた個々人がニューロンの役割をはたすかのように情報が瞬時に伝播して、あっというまに真贋が決定してしまうオンラインコミュニティとは千光年くらいの距離があると言わなければならないと思う。 このブログ記事で何度も論じてきたように日本のインターネットコミュニティの救い難い後進性は、重箱の隅をつつきまわるようにして、あるいは教科書をなめまわすように読む頭の悪い秀才のようにして、訓詁的情熱を発揮した挙げ句、居丈高に、例をあげれば自分の生涯をかけた「いじめ研究」研究者を、ほんの二三日の俄勉強でバカにしにわっと押し寄せる軽薄な集団サディズムに典型的に見られる。 社会が、そういうサディズムを深い場所で許容していることの深刻な問題は言うまでも無い。 日本語マスメディアが完全に腐敗崩壊して「洞窟の入り口から入ってくる光」の役割を果たさなくなった以上、せめてインターネットが健全なコミュニティを築けなければ日本語が言葉として無意味な喚き声のようなものに堕ちてゆくことは避けられない。 それに、ほら、太陽を向けない植物は枯れるのですよ。 思想においても事情は同じだと思うのだけど。 (次も多分「思想の向日性」ということを考えると思われる)

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影の痛み

1 夜11時の六本木の「さくら坂」でモニさんとふざけて踊っている。 日本の人たちが人目を気にしないバカガイジンのカップルをおもしろがって遠巻きにしている。 カメラやスマートフォンを取りだして写真を撮っているひとたちまでいたから、モニとわしの姿は日本の家庭のどこかでいまでもシリコンの上の影になってとどまっているわけである(^^; 過剰な自意識をもてあます人間の聖典である「ライ麦畑でつかまえて」には、主人公の言葉使いが悪いクソガキが、この道路をぼくが渡ってゆくとして、向こう側に着くまでにぼくは消滅しないでいられるだろうか?と訝るところが出てくるが、それは、およそ人類と名前のつくすべての生き物が共有する疑問であるべきだろう。 いったい全体なにを根拠にきみは自分がたしかに存在していると思っているのだね。 なぜ、きみはそれを信じているのか。 フォーラムでジョン・タイターがつぶやいたときに、その疑問を一笑にふせたひとは考える習慣を持たないという点で健全だが、リアリティという概念を検討するという経験はもっていないひとだったろう。 人間は時間を光源にして地表にうつしだされた影に似ている。 影はうまれ、光が射すあいだはゆらめいて、やがて光が去るのと一緒に消えてしまう。 人間の一生も同じことで、ただひとつ異なるのは、傷ましいことに、この影は意識をもっている。 その意識も影の消滅とともに消えてしまうのだが。 現実の記憶なのか、「過去」というものにつきものの幻影が記憶の形をとって脳髄の表面に残像を残しているのか、もう判然としないが、かーちゃんに連れていかれた広島の「原爆記念館」で核爆発の熱風で捩れたガラス瓶の「美しさ」にたじろいでしまったことがあった。 たくさんの人間を殺して苦しめた原爆が残した造形を「美しい」と感じてはいけないのではないかと子供心に考えたが、その、かしいだ、得も言われない(非人間的であるという点で)残酷さに満ちた流線形は、あらがいようなく、美しかった。 そのときに、ふとこの世界に「神」などいないのではないかと考えた。 こんなことを考えては日曜日の教会が出す無料のハムサンドイッチと(こちらがより重要だったが)きゅうりのサンドイッチが食べられなくなるのでよくないと考えたが、そのあとまで野放図な生命力をもった熱帯性の蔓のように心に絡みつく疑問の始まりはあのときだった。 原爆記念館の出口にあったノートブックの最後のページに書かれていた 指で作ったおおきなVサインの絵と「ざまあみやがれ。おまえらがたったこれだけしか苦しまなかったことが俺は残念だ」と書いたオランダ人の「記帳」とともに、いまでも記憶に残っている。 影にも痛みがあることを知ったのは、だから日本にいたときのことだった。 この地上に長くとどまることを許されない儚いものたちにも永遠の普遍性をもつ苦しみがあることを考えたのは日本にいるときのことだった。 とりわけ日本語をひとしきりつかって考えて、ブログ記事を書いたあとに、ほんとうの筋肉痛のように痛む魂の痛さ(笑ってはいけません)にたえかねてモニを誘って、六本木に出かけた。 六本木は滅茶苦茶な町でむきだしのセックスとオカネで、ただそれだけで、壊れかけてボロくなった魂を入渠させるには良い町だった。 影の痛みのせいでいたたまれない気持ちになったのに、町そのものにまで陰翳があったのではたまらない。 そうしてモニの手をとって一緒に舗道で踊ることがあった。 モニさんの風のように軽いスカートが足のまわりでくるりとひるがえると、なんだかぼくの心も軽くなって、日本語が運んできた「痛み」を忘れ去る役にたったものだった。 2 (頼まれもしないのに)日本のことを考えると、自然と唇をかみしめて、ちくそー、と思う。 こんなバカな話があるか、と腹を立てる。 こわがることが科学的に正しくてもまちがっていても、そんなこと知るかバカめと思う。 このイナカモノ科学者めらが、自分が正しいと思うことがそんなに嬉しいのか、おまえたちの「科学」など、ただの自己満足ではないか、このクソバカタレが、こうなったら雷神に頼んでおまえらの研究室をすべて焼き払ってくれるわ、と憤る。 雷神がもしかして「いやだもん。そんなんめんどくさい」と述べたら式神を派遣してファイルキャビネットのなかにうんこしてこさせてやる、とまで思い詰める。 客観的条件(1 要するに自分と全然関係がない外国のことを自国のことのように怒っている 2 そもそも軽く一万キロ離れた土地に住んで原子炉の上に腰掛けているひとのように切歯扼腕している 3 日本語すら外国語である…等々)から考えると、無意味というか、なんのこっちゃわからない怒りだが、考えるたびにものすごく腹が立つ。 それから途方もなく悲しくなる。 こんなバカなことが現実であっていいわけはない、と思う。 You never give me your money … Continue reading

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人間になりたい

1972年のスポーツ新聞に虫明亜路無という人が、日本の戦後民主主義は「鉄腕アトム」がつくったのだ、という文章を書いている。 そーゆーことがあるものだろうか、と思って買ってみた「鉄腕アトム」というアニメDVDは、暗く、悲惨で、人間と同じ意識と感情をもちながら決して人間扱いされないロボットの絶望と苦悩を描いた、極めて深刻な物語で、これがほんとうに子供向けに土曜日の午後6時から放送されたアニメ番組だろうか、と、ボーゼンとするようなものだった。 アフリカ人の友達に会いに水戸市へでかけてみると、そこには「国際交流協会」という建物があって、さまざまな協賛企業が寄付したらしい装飾タイルに飛島建設という会社が「八紘一宇」という文字を焼き込んだタイルを献納している。 友達を待っているあいだじゅう、かつての大日本帝国が西洋世界に対抗するために発明して、いまでは当のアジア人たちから、かつての日本の残虐と傲慢、徹底的な蔑視の象徴として忌み嫌われている「八紘一宇」という言葉を眺めながら、「日本のひと」というものについて考えないわけにはいかなかった。 多分80年代頃まで、日本のテレビには、正統右翼の大立て者笹川良一自らが出演して「人類一家、世界は皆兄弟」と述べるコマーシャルが存在したはずだが、簡単に言えば、 この「人類一家、世界は皆兄弟」は八紘一宇の口語訳です。 山本五十六におもしろがられることで頭角をあらわしていった、かつての右翼青年は、岸信介(いまの日本国首相安倍晋三の祖父です)と通じて、アイゼンハワー来日の治安を守る為に「抜刀隊」を組織したり、中華人民共和国に莫大な金銭的支援を行ったりして、現代日本史の流れの舞台裏に見え隠れしながら日本の権力層に随走してゆく。 外国人で日本語を勉強する人間にとっては「笹川財団」は親しみのある名前で、海外のいまの日本語教育は、そういう文化事業にはいっさいオカネをださなかった日本という国の文化に対しては冷淡を極める日本政府の代わりに笹川良一が行った巨大な寄付がなければ存在しないものであることは誰でも知っていると思う。 日本の今の若い世代は、この国が初めてもった文明人とでもいうべき人達で、tumblrをみていると、あれほど上の世代がもてはやす安岡正篤をあっさり「俗物」と切り捨てていたりして、なんとなく読んでいてニコニコしてしまうが、安岡同様、(それが日本正統右翼のひとつの特徴で)詩的跳躍がまったくない魂の持ち主であったものの、「八紘一宇」は、あとに軍部や卑しい欲望を美辞麗句で固めてアジアから利を貪りつくそうとした日本指導層とは異なって、(ちゃっかりと自分の財布に拾ったオカネを放り込んでしまうのは忘れなかったが)笹川たち大アジア主義者の実際の信念だった。 「太平洋戦争は白人の有色人種差別に対するやむにやまれぬ防衛戦争だった」というふうに大アジア主義に基づく戦争解釈が人種差別の戦いへと矮小化されてゆくのはずっとあとのことで、当時の日本人は「白人と日本人がこの世界のふたつの優等人種だ」という明瞭な意識をもっていたようにみえます。 「白人たちによる日本人の劣等民族視」という意識は、どちらかというと戦争にぼろ負けして、どこからどうみてもパーにしか見えないGIとその家族に犬なみに扱われたことから生じた意識であるようにおもえる。 敗戦の結果、戦前の「アメリカ人、ドイツ人と肩を並べる優等民族」という固い信念から一気に「欧州人種と同じ人間であると妄想した頭のおかしなアジア人」の立場にまで自分達の意識の上で転げ落ちた日本人は、現実には自分達の仲間が戦場で行った蛮行への反応にすぎないことが多かったアメリカ人たちの日本人への軽蔑と憎悪を伴う反応を、根本的な人種の優劣の問題と受け取って、ある意味においては哲学的な苦境へ陥っていった。 もともと自分達自身が「人種の優劣が存在する」という前提に立って、「自分達は優等民族である」と規定していたことが、そもそもの苦しみの源泉であったのが、当時のいろいろなひとへのインタビューを読むと見てとれる。 手塚治虫の「鉄腕アトム」は、初め「アトム大使」で企図されたファンタジーから、弱さも人間と同等の感情もあるロボットという設定に変えたことで、作者自身が意図しなかった世界へ踏み込んでゆく。 後半になると、市民権を求めるロボットたちの側に立つか、「人間の番犬」と罵られながら人間の正義と善良さを信じて本来なかまであるロボットたちと戦うか、というような物語が多くなってゆく。 虫明亜路無が「鉄腕アトム」のなかに見たのは、アジア人でありながら、アメリカ人の側に立って、アジア世界と敵対する日本の「戦後民主主義」の姿でした。 日本人を決して自分達と同じ人間と認めていない、という西洋人たちに対する根の深い疑惑に戦後日本人は終始悩まされていた。 一方で、西洋的人文の価値や自由の価値を信じ、共産中国に代表される主人公を変えた「新・大アジア主義」と対立して、日本人は明治以来自分達が信じてきた西洋由来の「文明」を信じようとした。 日本の戦後を通じて、さまざまな日本人が西洋に対して発した「わたしたちは人間ではないのか? きみとは違う生き物なのか?」という叫びは、多分、これからの歴史の上でも、ただ日本人だけが、ほんとうの気持ちを理解できる痛切な響きを伴っている。 自分は人間ではないのか? という問いこそは、日本人が西洋文明に対してもっている最も本質的な、それだけに強烈な痛みを伴う問いであると思います。 アニメの鉄腕アトムは、陰惨すぎる、と作者自身が述べた原作の最後と異なって、太陽の活動を抑制するためのロケットを制御するために太陽のなかへ消えてゆく英雄的なアトムの姿で終わる。 現実世界の鉄腕アトムたる日本人は、ほかのすべての現実と同じく、英雄的な輝きも自分達を看取るたくさんのひとびとの涙もなしで、あれほど自分達を苦しめた人種差別がほぼ消滅した世界のなかで、ただ自分たちの固有の信念のようにして「人種差別がはびこる世界」を妄想して、日本語世界のなかに閉じこもってしまっている。 小さな単座単発機に乗って南太平洋の海と空以外はなにもみえない戦場を何百キロも孤独に苦しめられながら飛んで死闘した少年兵たちや、万策がつきて塹壕をとびだして「バンザイ、バンザイ」と絶叫しながら機関銃になぎたおされて死んだ若者たちの死体も歴史記憶の後景に退いて、同じアジア人同士のいがみ合いに明け暮れている。 日本のひとたちが、砂浜に勢揃いして立って、遠くの過去を眺めているのが目に浮かぶような気がする。 せめても、日本人が人種差別の悪夢のなかで見た「戦後民主主義」という儚い夢をどこかに記録しておかなければ、と思う。 もう、誰も日本人たちが立っていた場所に帰って来はしないだろうから。

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足首にからみつく髪の毛

成田空港のJALで携帯電話のレンタルを申し込んだ人が手続きのめんどくささにうんざりして、「どうして、こんなに書類を書かなければならないのか?」と訊いたら、中国の人で悪い人がいっぱいいるから仕方がないのだ、とJALの社員が言い訳したというので大笑いしてしまった。 中国の人は便利に使われて気の毒だが、他に言いようがなかったのでしょう。 「めんどくさいことはやらない」ということは、いまの世界を生きる人間にとっては美徳とまでは言えないかもしれないが、あたりまえのことにしかすぎない。 同じことをするために3クリックが必要なサイトは1クリックですむサイトに敗北するし、紙書類に住所・電話番号・国籍…と延々と書かせるレンタル携帯電話店は自動販売機でクレジットが購買価格の80%付いてくるプリペイド電話ビジネスに負ける。 1クリックですむはずの取引に3クリックかかるのは、「間違いが起こらないようにするため」であることが多いが、1クリックで起きる間違いに対応できるシステムを工夫しなければ、そもそもビジネスとして成功しないことには頭がまわらないらしい。 実質を伴わないことや思ってもいないことを相手を喜ばせるために口にしたり、本質と関係ないことをただ場をやわらげるために述べたりする人を英語ではrubbish talkerという。 「rubbish」はもともとゴミのことで、だから、rubbish talkerというのは「実のないことばかり言う人」で、それまで言われるままにじっと我慢して区役所の係員から渡される書類の山にありとあらゆる宇宙の事象を書き込まされていた妙にでかい流暢でなくもない日本語を話すガイジンが、突然、ペンを放り投げて、「こんなrubbishは、もうたくさんだ」と言って、唖然とする区役所のひとびとを尻目にすたすたと歩いて区役所を出ていってしまったりするときも、そーゆーときのrubbishは「くだらないことばかりさせやがって」という意味です。 日本にいるときに、へえ、と思ったのは、 「もちろん意見が違うひともいるわけですが、私は、いまの政権は少しヘンではないかと思います」というような言い方をする人がたくさんいたことで、なかなか不気味な体験だった。 「意見が違う人もいる」のは当たり前だからで、なぜ、そんなことをわざわざ枕詞のように文の頭にくっつけるのかという理由を考えると、社会全体がホラー小説に出てくる架空の共和国かなんかに似たチョーホラーな仕組みなのがわかるからです。 英語人なら「いまの政権はヘンだぜ」と簡潔に言う。 「もしかすると私が間違っているかもしれませんが」 「100%たしかとは言えませんが」 「これはぼくの独断と偏見ということになりますが」 いずれも同じで、薄気味が悪い、と思う。 のみならず、ツイッタにも書いたがコンドームを2枚つけなければどうしてもセックスできないボーイフレンドのようで、鬱陶しい。 わしなら、そういうボーイフレンドは願い下げであると思う。 (譬えが下品でごめんなさい) 念には念をいれて、念念には念念念をいれて、ありとあらゆる無駄なことをやらせる割には、まんなかのところではマヌケなくらいの大穴が開いていて、例を挙げれば、不動産取引で、さんざん訳の判らない書類を読まされたあと、「じゃ、こことここに捨印を捺して」というが、日本の法律では、あの「捨印」を捺した契約書を持っている側は、契約を自分の好きに書き換えて捨印を、その承認であると主張することが出来る。 あるいは、契約が合意されて、銀行へ向かうと、バンクチェックで簡単に支払ってしまう場合もあるが、たいていは、そこには銀行支店長と司法書士が座っていて書類をチェックして、では現金の授受という段になれば金銭を受け取るほうが振り込み用紙に支払う側が注視するなかで金額を書き込むという習慣になっている。 「間違いを防ぐ」というためには経験的な知恵に裏打ちされた方法だと思うが、しかし、領収書の受け渡しに至って、「あのお、申し訳ありませんが、2億5千万と2億6千万のふたつの領収書にサインして欲しいんですが、いいですか?」 という。 いいですか? って、いいわけがないので、なぜでしょう、とやや怖い顔をつくって言うと、銀行の融資は2億6千万円だったので、実際の買値の2億5千万円の領収書とは別に銀行に「見せるために」融資額丁度の領収書がいる、という。 買い手は義理叔父の旧知でもあり、めんどくさいから二枚領収書にサインしたら、この人は親切な人で、「じゃあ、こうします」と述べて、目の前で銀行用の2億6千万円の領収書のほうは破ったが、銀行員たちも見ている前だったので、銀行のほうも要は「書類を整える」だけが目的だと見当がついた。 「大量にある些末なこと」が、どれほど社会の変化の足をひっぱるか、という話をしようとしている。 念には念を、念念には念念念を、念念念には念念念念念を、と無駄な「ダイジョブ固め」をしているうちに、社会がほんの少しでも変化すると、稠密な整合性が崩壊して無茶苦茶なことになる。 外国人が日本に居住するときには本名と通称を用いる。 本名はパスポート通りだが、たとえばアラビアの人やタイの人だと、大半の日本の人には、そもそも発音の手がかりすらつかめないので、「大庭亀夫」というような雅な日本名をつけて通称にして良いことになっている。 かーちゃんシスターが日本に来たとき、通称をセシリア・ファーガソン・ルイーズ(←仮名)という本名のカタカナにしたかったが、当時のコンピュータのバイト数制限で、 「セシリア・ファガソン」でないと入らないと言われた。 ファガソンなんて、ファガファガな歯が抜けたばーちゃんが株で大損をこいてしまったようなヘンな名前は嫌なので、義理叔父の姓をくっつけて「島津セシリア」にしたそーです。 ところがところが。 いざ義理叔父が家を売るというときに家の所有権を二分の一ずつ持っている義理叔父のほうは問題がないが、かーちゃんシスターのほうは謄本がセシリア・ファーガソン・ルイーズなので、印鑑証明の印鑑にある「島津シス」が使えない。 セシリア・ファーガソン・ルイーズの、部分しか登録できなくて、「セシリア」という印や「ルイーズ」あるいは、「セファ」でも「シリア・ファ」でも、なんなら「ファ」だけでも登録できるが、普通の日本の習慣である旦那の姓を用いた通称では自分が自分であることを証明できない。 民主党政権のときに、やっと外国人にも住民票が出来て、日本の人にもガイジンに対する慈悲心が芽生えたのか、多摩川に迷い込んだオットセイと同じ程度の人権は認められたが、そのときに制度を変えたのがものすごいことになった理由だそうで、なんだか、よくわからないが、苦労したよーでした。 いつか内藤朝雄が「ツイッタで正しい情報も誤りが含まれる情報も重要で緊急と思われるものはとにかく皆でRTのリレーをしていって、皆で信憑性を検討する、というような仕組み(あるいは合意)をつくる必要があるのでないか」と述べて、冷笑が趣味の「例の一団」の人達から盛んに冷笑と嘲笑を浴びていた。 わしも、うっかり「それは、無理なんでわ」と朝雄さんに返答してしまったが、考えてみれば英語の世界では別に朝雄さんが提議しなくても、初めからSNSはそういうもので、「福島第一発電所事故の漏洩放射能のせいで突然変異が頻発!生命の危機か!?」というガメラの写真付きの「ニュース」や、ニュージーランドの風光明媚な砂浜に方角の感覚を失って無惨に打ち上げられた鯨たちの死骸の画像を記事の先頭に貼って「福島事故の汚染水垂れ流しで殺された鯨たち」というツイートはいまでも流通している。 そういう虚偽のニュースはどうなっていくかというと英語世界では「インターネットコミュニティ全体の常識」によって選択されて葬られていくので、信憑性がブラック&ホワイトではないというか、グラディエーションがかかっているなかで、「ダメぽい」「ほんとポイ」のいろいろな判断があって、「これがたしからしい」というソースや個人が決定されてゆく。 … Continue reading

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ぎくしゃくした流線形について

オークランドの空港ではパスポートコントロールで、団体なのでしょう、日本から来た観光客のひとびとが、どんどん「オーストラリア・ニュージーランドパスポート所持者用」と書いた列の先に「こっちが空いてる!」という声とともに割り込んで来てしまう。 わしがびっくりして見ていると、「イズ・ジス・オーケー?」と言って、一応、聞いてみたりしている。 別に呆れているわけではなくて、もう列をなして居並ぶオーストラリア人やニュージーランド人たちの列の前の、定められた線よりも前に出たところに走り込んでしまっているのに「いいですか?」と聞かれても答えようがないので、黙っていると、「オーケーだ」という意味に受け取った様子で、おばちゃんたち5、6人でさっさとパスポートコントロールのおっちゃんの前に群れをなしてしまった。 特にわしだけではなくて、ニュージーランド人たちもオーストラリア人たちも、文句を言うわけでもなく、おばちゃんたちを眺めています。 ブースのなかの検査官も咎め立てをするわけでもなく、淡々と旅券を処理している。 日本から団体観光客が来たときの「いつもの光景」なので、特に格別の違いもない、ということなのでしょう。 おばちゃんたちは、おもいおもいの英語で、ありったけの英会話力を試して、満足気に出口のところに固まって立って友達がブースを通過するのを待っている。 ニュージーランド人が通れないので、おばちゃんたちがどいてくれるのをジッと待っている。 そのうちに気が付いた添乗員がとんできて「通路を開けてください!」というと、 見事な素早さでパッと道をあける。 ニュージーランド人の家族が通り抜けてゆく。 トローリーを押して廊下を塞ぐようにして歩いていた日本人の親子連れの娘のほうが突然止まる。 後ろから矢張りトローリーを押して歩いていたアメリカ人の若い男のひとが止まりきれずに、ほんの少し40代くらいに見える娘の左足の踵に、ぶつかるというほどでもなく車輪が触れる。 若い男は西洋の礼儀に従って日本語で「大丈夫ですか?」と訊く。 見ていて驚いたことには、この40代半ばの女のひとは「痛ああああー、大丈夫なわけないけど、大丈夫にしてあげないとしょうがないのか」と言った。 アメリカ人の若い男のほうは明らかに日本語が理解できるので、一瞬、(怒りで)顔を真っ赤にしたが、すぐに自分を取り戻して、黙ったまま親子連れの横を通りぬけていった。 見ていたわしには直ぐ判った。 多分、アメリカ人の男も理解したと思うが、女の人は「大丈夫ですか?」とアメリカ人が述べたのを日本の人流の解釈で自分の非を認めたものだと受け取ったようでした。 横で見ていたわしには親子連れの唐突な行動のほうが危険だったが、本人たちは自分達が非を犯したとは思っていないようだった。 東京にいるときモニが歩いていると目の前(というかモニはたいていの日本の人よりも背が高いので現実的に描写すれば「目の下」だが)、ほんの10センチくらいのところを、すり抜けるように横切ってゆく日本のひとたちによく驚かされた。 頭では日本の社会では失礼なことでないと判っていても、感覚的にはどうしても異様で、慣れることが出来なかった、とモニさんはいまでも思い出しては、よく笑っている。 狭い舗道を右に左にゆらゆらしながら歩く癖のある人たちや、道いっぱいに広がって、昼食のあと、オフィスに帰っていくサラリーマンたち、「習慣の違い」というものは、最も克服できない違いだったと思う。 ひとつの規範が壊れて、新しい規範ができるというのは実はたいへんなことなのだと考えることが日本にいるときには、よくあった。 明治維新と名前の付いた日本の近代化運動の推進者たちには、やらなければいけないこと、変革しなければならないことが多すぎて、洋服を仕立てたり、ナイフやフォークの使い方をおぼえこんだりはしても、その洋服を着てどんなふうに歩くのが見栄えがいいのか、ということまでは頭が回らなかった。 ナイフやフォークを上手に使えるようになっても、そのあとに「舌鼓」を打っては、その粗野さに、まわりの人間は飛び上がるほどびっくりする、ということまでは考えがいかなかったように見える。 むかし、ファーストクラスで、機内を満たすエンジン音にも負けず、まるで一種の嫌がらせのためにつくった打楽器のように、くっちゃくっちゃくっちゃと音を立てながら食べては、ここぞというところで強勢の舌鼓を打ちながら食べる日本人の役員風のおじちゃんがいて、耐えかねたイギリス人のじーちゃんが「あれはなんぞ」というようなことを乗務員に小言を述べていたが、小言を述べるほうが間違っている。 黙ってヘッドフォンをつけて、映画でもみたほうが礼儀にかなっているのは言うまでもない。 習慣の違いに不平を述べ立てても仕方がないからです。 畳の上に座る生活でXの形に曲がった足や、その逆にOの字の形に曲がった足は本来着物を着ていれば見えないことに気が付いたのは、日本の滞在が終わりに近付いた頃だった。 笑われてしまうだろうが、その頃のわしは、日本の人が(たとえば日本料理の盛りつけを見れば直ぐにわかる)折角の美的センスをファッションに工業デザインに絵画に文学に発揮しても必ず袋小路に行き当たってしまうのは、細部を省みる余裕がなかった明治の「ご一新」の後遺症なのではないか、と考えるようになっていた。 社会全体の西洋化が観念的で、というよりも粗筋だけの物語じみていて、たとえばテーブルの上におかれたシングルモルトのウイスキーのグラスに差し出される手は、もともとは武骨なおおきな手でなければならないが、そうでない世界がアジアの東のはしっこにあらわれて、製法だけは素晴らしい次元に達しても、大きなあたたかい手のひらにかわる、日本の人の、男でも薄い繊細な手のひらにしっくりくるウイスキーの飲み方は、ただのいちども発明されないままであったようにみえる。 模倣が簡単でない、というのは、たとえば科学技術を学んだ人間には直ぐに直感的にわかることであると思う。 本質を理解しなければ模倣が生産性につながることはありえない。 ずっとむかしトヨタのハイラックスに瓜二つの中国の自動車会社がつくった4駆が、エンジンの出力が小さすぎて、悪路をおし渡るどころか坂があがれないので笑い話になったことがあったが、中国人は昔から「模倣」が歴史的に下手な民族と思う。 勘所をつかめないまま模倣をしては失敗するので、中国人はサルマネをする、と言って世界中のあちこちで失笑されることになった。 一方で、わしが小さいときにはまだ陰口を利かれていたと思うが、いまの日本車を見て「サルマネ」という人はいないだろう。 相手の技術を盗むのはいまでもやるが、日本の会社はお行儀良く黙っているだけでメルセデスやBMWが日本の会社から盗んだ技術は小はカップホルダーから大はディーゼルエンジンの噴射プログラムまでたくさんある。 お互いさまで、そういうことを殊更に「模倣」と言った立てるのは下品というものである。 模倣の神髄は「本質をつかんでコピーする」ことにあるが、そのためには相手の製品の形の裏にある楽屋裏はもちろん、それを支える物理や数学や化学を基礎から理解できなければならない。 日本人は短期間に要領よく西洋の技術文明を呑み込んで消化したが、「要領」を使えば「どうでもいいところ」は全て捨てざるをえず、細部に宿った魂はあらかた捨てることになることの深刻な帰結を予測できなかった。 … Continue reading

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よろめく隣人

習近平が期待を遙かに下回る能力の持ち主であったことは日本にとって厄災であるとおもう。 ツイッタでも書いたがいかにも異様な防空識別圏(ADIZ)の設定は、中華民国時代以来、外交に巧みなことで知られてきた中国としては信じがたいほどの愚かな外交政策/国家戦略だった。 直截のターゲットである日本の驚愕は言うまでもないが、中国にとっては「日本の向こう側にいる真の敵」であって、日本の同盟者であるアメリカにとっても、あるいは中国との苦しい、綱渡りに似た協調外交をスタートしたばかりの韓国にとっても「晴天の霹靂」であるのが見てとれる。 結局、唐突な防空識別圏の設定で利益がある国は中国自身を含めてひとつもなく、関係諸国のすべてにとって不利益しかない決定を世界の注視のなかで大きな身振りで行う、という国際政治上の大恥をかいて、しかもひっこみがつかなくなる、という、外交上、これ以上ない大失敗を中国は演じることになった。 通常、ひとつの国が外交上の計算を忘れて、あるいはおおきく計算を誤って、周囲を唖然とさせるような対外政策を打ち出すのは後ろに国際政治に関しては観念的で幼児的な理解しかもたない軍部の圧力が存在するからで、中国の決定も人民解放軍に対して習近平が指導力を失っているからだと推測される。 中国の政治的特徴は共産党の一党独裁によって経済と軍事力のふたつのおおきな対外影響力を完全にコントロールする体制であることだが、習近平は経済についても軍事力についてもコントロールに失敗している。 胡錦濤と比較して「際立って」という言葉を使いたくなるくらい能力の低い独裁者であることが誰の目にも明かになってしまっている。 もう何度も記事に書いて読み飽きていると思うが、朴槿恵も習近平も、悩みの種は主にインターネットの普及によって急激に圧力を増す自国民の「自由への希求」である。 あたりまえと言えばあたりまえだが社会のさまざまな自由を封殺することによって成り立っている社会では国民が自由を求める強い気持ちそのものが社会保障にとって脅威なので、政治的な姿勢として「内向き」になるしかなくなってゆく。 国民的アイデンティティの拠り所が「反日」である韓国や、日本の侵略が国民党を台湾に放逐するおおきな力となって以来「排日・抗日」が国家的原動力となっている中国においては「内向き」になることと日本への国家的憎悪を強めてゆくことは等号で結んでもよいくらい等価であるのは、ほぼ自明のことにしかすぎない。 経済で協力しあうために右手で握手しながら左手では相手の頬をはたき足で相手の脛をけりあげる中国と日本の関係は、中国人のひとりひとりが自由を手にするまでは変化することはない。 歴史的に国家に対して従順で個人の自由が制限されることをさほど気にしない日本人と前漢の時代からわがまま勝手で万力でしめあげなければ独裁者の顔におしっこをかけて手をうってはやしかねない「野放図」という表現がぴったりきそうな中国人とでは個人が自由を求める気持ちの強さがまるで異なる。 政府が政治的集中力のすべてを集めて国民の自由への希求を圧殺するのは中国政府にとっては常に焦眉の急である。 日本への憎悪を失えば国家がなくなってしまうのです。 鎌倉時代以来、日本という国のアイデンティティは「中国ではないこと」だった。 半島人が率先して「中国人よりも優秀な儒教の民」であろうとしているときに日本人は(儒教ではタブーの)諸肌を脱いで、その後、東アジア全域で日本人の暴力性の象徴となる日本刀を陽光に燦めかせながら中国の海岸を荒らし回った。 中国人が厭う「胡服」を着なければ不可能な乗馬の技術が支配層の必須技術だったとこにも日本人が中国とはまったく異なる文明を築こうとした意地のようなものを感じる。 同じように中国文明と異なる文明を築いて対峙しようとした民族にベトナム人があるが、こちらは文明的に近すぎて、うまくいかなかった。 ベトナム人の友達が胸をそらせて「これを見ろ、ベトナム人がいかに中国人と異なるかわかるだろう」とみせてくれるものは、ことごとく、残念ながら中国の地方文化のようにみえてしまう。 半島にいまでも命脈をたもっている儒教的な両班人倫理のような剛直かつ垂直な個人としての行動規範を日本人がもたないのは集団主義の伝統によるよりは儒教の否定に立つ、文化的な防衛姿勢であるようにみえる。 清帝国までの中国は、それほど真剣に膨張政策を考えることがなかった。 長いあいだ西洋的な「国境」という概念すらもたない、自分の国一国をそのまま全宇宙であると考える中国人の政治的思考の癖は、「中国」を言語と文化を共有する地域という緩いまとまりをもって定義する習慣を育てた。 現代に至って中国が歴史上初めて異なる文明圏へ積極的に膨張政策を採り始めたのは、ずっと遠くの未来まで考えて自分の安全を図っておこうとする中国人のもうひとつの思考の癖によっている。 「未来」というときの具体的な時間的長さにおいて中国人は欧州人や日本人に較べてずばぬけて遠い未来を考える。 欧州人が30年先を考えて行動するのに較べて中国人は100年先を見越すだけの違いがある。 そうして30年先を見ている人と100年先を心配する人の頭のなかの未来図でおおきく存在感が異なるのは「資源」なのであるのは、割合簡単に理解できる。 タイランドの「タクシン派」がほぼ中国政府の代理勢力であるのはタイ人の友達がいる人は皆聞かされて知っていることである。 ここに中国の代理勢力をつくっておくことにはメコン川の支配という大事な意味がある。 この地域最大の大国であるベトナムが官僚主義に足を引っ張られて思ったほど成長しないいまが中国にとってはおおきなチャンスである。 日本の人は「台湾は親日で、」という話が大好きだが、台湾に長く住んで、その情緒を共有する人は余程おめでたい人で、前にも何度か書いたように、日本の人は台湾人と中国人が同じ言語・文化を共有しているということの深刻な意味を軽視しすぎている。 中国本土人や台湾人と話してみると、日本の人が考えたがっているよりは、台湾人と本土人の愛憎に似たお互いへの感情は、もっと、ずっと深いところで絡まり合って、当人同士には不可視な様相をもっている。 2010年の尖閣諸島をめぐる反日デモの直前に中国に行った日本の人が「日本で言われるような『日本人憎悪』みたいな雰囲気はなくて、特に電車のなかでは、子供が可愛いらしくて、子供を立たせているなんてとんでもない、わたしのこの席に座りなさい、で争って親切にしてもらってびっくりした」と話していたが、一方では、尖閣諸島は中国のものだというビデオが街中のそこここに流れているので驚いた、と感想を述べていた。 尖閣諸島は中国のものだ、というビデオは、実際、ニュージーランドでも中国料理屋の大画面TVや、そこここで流れている。 中国人たちの店が軒を並べている通りに行けば、一軒か二軒は動画を流していて、日本と中国の空軍戦力の比較や、アメリカ極東軍との勝敗予想まであって、なんだか、もう戦争がとっくの昔に始まっているような雰囲気を醸し出している。 どうやら世界中の中華街で流れているようで、中国政府は最近、アメリカを始めとする英語圏のメディアにダミー会社を通じて大量の投資を行っているのでもある。 そうやって、すでに日本との戦争が始まっているかのように雰囲気を盛り上げているところに、無茶な防空識別圏の設定という致命的な失敗を犯したので、戦前の日本と同じというか、日本との開戦の可能性は、そもそも自分が言い出しっぺの人民解放軍自体がアメリカに抗して、戦闘を短時間で勝利のうちに収める自信がないために躊躇しているだけで、かつてないほど開戦の危機は増加していると思う。 いっぽうで安倍政権という日本から一歩でれば「極右政権」が通り相場の政権が日中戦争の抑止力として働いていることは、疑いがない。 こういう戦争の危機が切迫した問題にあるときは宥和的な政権のもとにあるほうが偶発的な戦争は起こりやすい。 安倍政権のように「危ない」政権が相手のほうが開戦の決断はしにくいのが現実の政治のおもしろさであると思う。 胡耀邦の時代に、日本の中曽根政権は胡耀邦の面子をつぶして、結果として反日をアイデンティティの軸とする勢力に中国を委ねることに手を貸すことになった。 … Continue reading

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ライスカレーを、もう一杯

部屋を片付けていたら銀座のすき焼き料理屋のレシートが出て来た。 吉川英治が筆をふるった屋号で有名な店です。 すき焼きが二人前で32000円 追加肉が16800円 玉子400円 ワインが10000円 サービス料5920円 席料6000円 で合計が71120円 消費税が3556円ついて、合計が74676円 と字面を見ているうちに、その晩のことを思い出した。 霜降り肉があんまり好きでないので「赤身肉」のコースにしたのに、まだ牛脂の脂肪がたくさんはいった肉で、「どひゃっ」と内心で思ったが、おもいのほかおいしくてモニとふたりで、おいしいものをおなかいっぱい食べた人の楽しい気持ちで、にこにこしながら、すき焼きって、おいしいねえー、ねー、と帰りがけに話したのだった。 ふたりで食事をして70000円を越えてしまうのでは、高くてあんまりな感じがするが、為替の知識を応用して円をスターリングに翻訳して計算してみたり、頭を巡らせて、考えてみると、いまの世界では、どこの大都市でも同じで、東京だけというわけではないので、「ぼって」いるわけではない。 6個320円のタコ焼きも70000円のすき焼きも同じようにおいしくて、行きたいほうにいけばいいだけ、ということなのでしょう。 食べ物と値段の関係はおもしろい。 ニュージーランドのネルソンという町の海辺に行くと、タイ版スープカレーの巨大な丼のなかに、欧州の小ぶりなミュール貝とは異なる、でっかいニュージーランドのミュール貝が20個ほどはいった食べ物があって、ときどき思い出すと、オークランドからボートでクック海峡を渡ってでかけたくなるが、これは12ドルで、いまの為替レートだと1000円ということになる。 ネルソンはなにしろ風景が綺麗なところなので、夏の、なんだか非現実じみた美しさのマルボロの入り江を眺めながら、テラスに出たテーブルでよく出来た料理を食べる楽しさを考えると安いと思うが、ニュージーランドの食べ物の値段のつけかたがヘンなのはトップノッチレストランでも同じ料理が同じような量で12ドルなことで、ニュージーランド人は外食の歴史が浅いせいか、レストランの雰囲気やサービスによらず「食べ物の質」だけで値段を決めている気がする。 インド料理になると、もっと顕著で、「オー・カルカッタ」のような内装やサービスが売り物のレストランでもインド人街の屋台じみたカレー屋でも、どっちで食べてもカレーは同じ値段なので、というのはつまり京橋の「伊勢廣」で焼き鳥を食べても有楽町のガード下で食べても値段が同じであるようなものなので、理屈として合っているような、話が根本から間違っているような、奇妙な気持ちになって、頭がぼんやりする。 ロンドンは高くなければ不味いという点で明瞭な町で、ふたりで1000ポンドくらいもださないで「ロンドンにはおいしいものがない」と言っても、ある種のロンドン人になら「なるほど」と言われて憐れみの表情を押し殺した、くだんの、そういう種類のイギリス人だけが持つ奇妙な表情に遭遇するだけであると思われる。 東京は、ロンドンのようなオカネと味の関係が明快な町とは大きく異なって、安いのにおいしい店があるので、とても困る。 いやラーメンだ、というひともいるだろうが、あいにくラーメンは苦手なので、東京で「安くておいしいもの」の筆頭はカレーライスとおもう。 成田のANAラウンジのカレーライスはおいしいので、成田空港の位置から言ってきっと東北の米を使っているに違いないと考える放射脳ガイジンどもを「食うか食わざるか」という疑問で煩悶させるが、銀座の泰明小学校の近くにある、名前を忘れてしまった蕎麦屋のカレー丼であるとか、神保町の中華料理屋「月世界」、あるいは、いっそ、お腹が空いたのでクルマを駐めて東戸塚の近くの名前がもともと不分明な定食屋で食べたというだけの「カレーライス」であるとか、あの、スパイスの味なんてほとんどなくて、頼りない、自己主張がはなはだしく小さいカレーライスを思い出すと、なつかしくて、日本へ行きたくなる。 以前に、義理叔父にカレーライスとライスカレーはどう違うのか、と訊いたら、「500円以下がライスカレーで、それより高いのがカレーライスさ」という明快な答えだったが、ほんとかどうか知らない。 カツカレーというへんてこな食べ物が好きで、日本で食べた味を思い出して、ときどき自分でつくってみるが、最近は腕があがりすぎて、日本の食べ物屋で食べていたカツカレーよりおいしくなってしまって残念であるような気がする。 味が上品すぎて、箱根富士屋ホテルのカツカレーを出前で食べているような親和のない上滑りな感じになってしまっている。 そういうことでは困るので、カツカレーは700円で70000円のすき焼きとは異次元の幸福をもたらすからカツカレーなのであると思う。 カツカレーの幸福には、ほんとうは値札をつけることが出来ないのではないだろうか。 すき焼きに支払うのとは異なって、おいしいカツカレーを食べたあとに置いていくオカネには、どことなく「幸福」という本来オカネで買えないものへの喜捨じみたところがある。 ニュージーランドで最もおいしい牡蠣の「ブラフオイスター」は的矢牡蠣などよりもずっと小粒で、小さな小さな牡蠣だが、フライにして、タルタルソースや、ニュージーランドでも普通に売っている「ブルドッグ中濃ソース」をかけて食べると、東京のことを思い出す。 このブログ記事に何度も出てくる「おばちゃんの定食屋」に行くたびに、季節には、「ポークソテー定食」を頼んでも「豚生姜焼き定食」を頼んでも、「ガメちゃん、いくつ欲しい?」と訊いて、4つか6つか、広島のどこかで穫れたブラフオイスターのように小さな、味までそっくりな、それがおばちゃんの癖で、焦げ茶色に近くなるまで揚げた牡蠣フライをただでつけてくれて、あの牡蠣を食べるたびに、いったい自分はこの国でなにをしているのだろう、こんなことをやっているのはやめてニュージーランドに帰りたい、と思ったものだった。 せっかく日本語で書いているのに、言葉で言い表せない、あの日本のひとのさりげなくて自然な、まるで宇宙が自分に対して持っている愛情を人間の所作に置き換えて表現してでもいるようなあたたかさを思い出す。 いま書いていて気が付くが、以前にはまたきっと戻ることがあるから、と考えて名前を伏せて「おばちゃんの定食屋」と書いていたが、ほんとうはもう実名で書いても何の変わりもなくなってしまった。 おばちゃんの定食屋には壁に、おばちゃんの誇らしさがいっぱい詰まったような「当店のお米は新潟産コシヒカリを使用しております」という筆で書いた張り紙がある。 それを見て、「新潟のコシヒカリなら、そんなに汚染されてないな」と思うような客としておばちゃんの店を訪ねるのは、気持ちが嫌でもあれば、行為として悲惨であると思う。 だから、もうきっと、一生あの店には行かないだろう。 銚子のおいしい秋刀魚がはいったから、食べていきなさいよ。 ガメちゃんが来たら食べさせようとおもってとっておいたのよ、と述べて、 どうせオカネを受け取ってくれるわけはないまま出してくれた秋刀魚を黙って手をつけないままカウンターに残してしまう勇気は、どんな人間にもあるわけはない。 自分が訪問する国が書き込まれた、日本という存在が欠落した地図を頭のなかに広げてみて、こんなことが現実に起きることもあるんだなあー、と呆然とした気持ちになる。 死んでしまって、もう会えなくなった友達を思う気持ちは、こんな感じなのだろうか、と自動的に考えている自分を発見して、もうそんなふうにしか考えられなくなってしまっているのか、と自分自身の感じ方に驚いてしまう。 … Continue reading

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